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幕末の三舟と言えば有名だけど大河等で泥舟が出た事無いのは不思議でした。今回の動画で、なるほど!と言う感じです。
手紙とか決断とか、勝をムリに交渉の中心に絡めなくていいんじゃないかしら。勝は自伝で抜け目なく手柄を主張してるけれど、鉄舟はそう言う話は辞している。南洲はその勝の前で「命も要らず名も要らず」と言う有名な感慨を述べて暗に鉄舟をたたえている。
私は鹿児島県民ですが、「命も要らず名も要らず」を西郷の事を評した言葉と思い込んでいる県民が多くてうんざりしています。むしろ山岡が西郷を、クーデターの主犯になる運命から救ってくれたのだと感じています。
良い動画ですよ‼️頑張って下さい応援ですね‼️
会津戦争や白虎隊、榎本武揚の解説して欲しいです!
慶喜の小物感が半端ないから三舟が際立つんだよね。幕末の英雄達はカッコいい生き様に惚れますね。
森田健司「明治維新という幻想」洋泉社という面白い本を今、読んでますが、そこで初めて泥舟のことを知りました。この動画はかなり詳細に解説されてますね、ここまでの動画があるとは思いませんでした。すごく参考になりました。
武士道様、今回もありがとうございました。山岡鉄平様‼️書道を通じて存じておりました。以前自分で調べてはみましたが全く覚えておりません😅今回、なにより武士道様がご説明くださりわかりやすく学べました。いつも楽しみにしております♫
ミスター武士道、しっかり説明してくれてありがとう!
あんまりこの2人は聞いた事なかったので色々知ることが出来ました!!動画投稿お疲れ様です!!!!
山岡鉄舟の肖像写真が惇忠あにぃにしか見えないw
『山岡鉄舟&高橋泥舟』の解説、有り難う御座います今まで私は、①西郷・勝会談②天璋院と和宮の嘆願書③イギリス公使の圧力で、江戸城は無血開城になったのだろうと理解していました真の功労者は、山岡鉄舟なんですね 幕臣に、山岡鉄舟や高橋泥舟のような恭順する人達もいて良かったですね 小栗忠順のような強硬派ばかりだと、事は上手く運べなかったでしょうから山岡鉄舟は、剣の腕だけでなく、禅や書にも長けていたとの事だったので『文武両道』な人物だったのですね私も、山岡鉄舟、高橋泥舟の大河ドラマが出来たらいいのにな!と思いました
髙橋泥舟槍が得意だったんだ強かったんだかっこいい
三舟の話はかなり分かりました、幕末の話は掘れば掘るだけ限りなく面白いですね。
山岡鉄舟は5つ目も交渉して西郷を納得させた。勝海舟は事務手続きをしただけという説あり。
山岡鉄舟の回、ありがとうございます!男に惚れられる男。静岡県静岡市清水区にゆかりのものが色々あります!劇団の芝居でも登場してます!ua-cam.com/video/GYIPWQXMtlk/v-deo.html
こんにちは!動画、有り難う御座いました
今日TLに流れてきたうつむき姿勢の武士道さん(?)の画像がやけに格好いいと思ったら、るろうに剣心最終章上映終了のお知らせでした😆
泥舟が理解出来ました!
私の父の郷里が飛騨高山なのですが、高山の陣屋、代官所として使われていたのですが、その門前に山岡鉄舟の像が立っています。なぜ鉄舟の像が立っているのだろうと、不思議に思って銘文を読むと、彼の父が代官所の役人として着任していた時期がありそれに伴って鉄舟も飛騨高山に在住していた時期があったようです。偉人との縁が繋がって気がして勝手に嬉しかった思い出がありますw。
会津戦争、白虎隊お願いしたいです。容保さんについてもお話聞きたいです。
鉄舟と木村屋の餡パンの話してほしかったです(笑)
歌舞伎ではよく二人が出ます!
鉄舟&泥舟と清川八郎が仲が良かったんですね、清川はヤバイ人間ですから幕臣の二人と仲が良いのは意外でした。大河ドラマで二人を取り上げて欲しいですね、勝海舟はもういいです‼️
笑笑笑笑笑笑、山岡鉄舟👍👍👍😊
『定説の検証・江戸無血開城の真実』水野靖夫著(星雲社)の研究結果が正解であると私は考えています。山岡鉄舟の談判によって西郷南洲を説得したのだと。
すみません、自分の知っている歴史では山岡鉄舟と西郷隆盛との間の会談で慶喜の身柄引き渡しのやり取りがあって、そこで命がけで交渉して話がまとまっているという認識です。その後、勝との会談では「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕末に困るものなり。この仕末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり。」と山岡を評価してます。山岡鉄舟については多くの文献を見ているので、ちょっと認識にずれが生じていますので、どの文献を見てそのように判断したのか教えて頂ければ幸いです。
山岡鉄舟は「一刀正伝無刀流」です。一刀[真実]を[正]しくお[伝]え下さい。
成る程~タイミングや京都で見廻り組・新撰組に対する恨みも有ったでしょえが、会津戦のの容保公が恭順の意思を示しても新政府が恭順を認めなかった理由が戦いが始まってからの恭順を認めないというのも有ったのかも知れないんですね(^_^)
会津戦争は…1986年年末放送の『白虎隊』を見たのですが、涙を誘いましたよね まだまだ子供である二本松少年隊も戦地に行ったので、大変な時代でしたよね松平容保…薪を背負って火中に飛び込んでしまいましたね
お二人共凄いんですね(°д°)名前は、聞いた事が、有ったけども、何をした人?って感じでした(•́ε•̀٥)何時か、大河の主役、やって欲しいです🤩
勝海舟はあまり信用できない。
いち
幕末の三舟と言えば有名だけど大河等で泥舟が出た事無いのは不思議でした。今回の動画で、なるほど!と言う感じです。
手紙とか決断とか、勝をムリに交渉の中心に絡めなくていいんじゃないかしら。
勝は自伝で抜け目なく手柄を主張してるけれど、鉄舟はそう言う話は辞している。
南洲はその勝の前で「命も要らず名も要らず」と言う有名な感慨を述べて暗に鉄舟をたたえている。
私は鹿児島県民ですが、「命も要らず名も要らず」を西郷の事を評した言葉と思い込んでいる県民が多くてうんざりしています。
むしろ山岡が西郷を、クーデターの主犯になる運命から救ってくれたのだと感じています。
良い動画ですよ‼️頑張って下さい応援ですね‼️
会津戦争や白虎隊、榎本武揚の解説して欲しいです!
慶喜の小物感が半端ないから三舟が際立つんだよね。
幕末の英雄達はカッコいい生き様に惚れますね。
森田健司「明治維新という幻想」洋泉社という面白い本を今、読んでますが、そこで初めて泥舟のことを知りました。
この動画はかなり詳細に解説されてますね、ここまでの動画があるとは思いませんでした。
すごく参考になりました。
武士道様、今回もありがとうございました。
山岡鉄平様‼️書道を通じて存じておりました。以前自分で調べてはみましたが全く覚えておりません😅
今回、なにより武士道様がご説明くださりわかりやすく学べました。
いつも楽しみにしております♫
ミスター武士道、しっかり説明してくれてありがとう!
あんまりこの2人は聞いた事なかったので色々知ることが出来ました!!動画投稿お疲れ様です!!!!
山岡鉄舟の肖像写真が
惇忠あにぃにしか見えないw
『山岡鉄舟&高橋泥舟』の解説、有り難う御座います
今まで私は、
①西郷・勝会談
②天璋院と和宮の嘆願書
③イギリス公使の圧力
で、江戸城は無血開城になったのだろうと理解していました
真の功労者は、山岡鉄舟なんですね 幕臣に、山岡鉄舟や高橋泥舟のような恭順する人達もいて良かったですね 小栗忠順のような強硬派ばかりだと、事は上手く運べなかったでしょうから
山岡鉄舟は、剣の腕だけでなく、禅や書にも長けていたとの事だったので『文武両道』な人物だったのですね
私も、山岡鉄舟、高橋泥舟の大河ドラマが出来たらいいのにな!と思いました
髙橋泥舟槍が得意だったんだ強かったんだかっこいい
三舟の話はかなり分かりました、幕末の話は掘れば掘るだけ限りなく面白いですね。
山岡鉄舟は5つ目も交渉して西郷を納得させた。勝海舟は事務手続きをしただけという説あり。
山岡鉄舟の回、ありがとうございます!
男に惚れられる男。
静岡県静岡市清水区にゆかりのものが色々あります!
劇団の芝居でも登場してます!
ua-cam.com/video/GYIPWQXMtlk/v-deo.html
こんにちは!動画、有り難う御座いました
今日TLに流れてきたうつむき姿勢の武士道さん(?)の画像がやけに格好いいと思ったら、るろうに剣心最終章上映終了のお知らせでした😆
泥舟が理解出来ました!
私の父の郷里が飛騨高山なのですが、高山の陣屋、代官所として使われていたのですが、その門前に山岡鉄舟の像が立っています。
なぜ鉄舟の像が立っているのだろうと、不思議に思って銘文を読むと、彼の父が代官所の役人として着任していた時期がありそれに伴って鉄舟も飛騨高山に在住していた時期があったようです。
偉人との縁が繋がって気がして勝手に嬉しかった思い出がありますw。
会津戦争、白虎隊お願いしたいです。容保さんについてもお話聞きたいです。
鉄舟と木村屋の餡パンの話してほしかったです(笑)
歌舞伎ではよく二人が出ます!
鉄舟&泥舟と清川八郎が仲が良かったんですね、清川はヤバイ人間ですから幕臣の二人と仲が良いのは意外でした。
大河ドラマで二人を取り上げて欲しいですね、勝海舟はもういいです‼️
笑笑笑笑笑笑、山岡鉄舟👍👍👍😊
『定説の検証・江戸無血開城の真実』水野靖夫著(星雲社)の研究結果が正解であると私は考えています。山岡鉄舟の談判によって西郷南洲を説得したのだと。
すみません、自分の知っている歴史では山岡鉄舟と西郷隆盛との間の会談で慶喜の身柄引き渡しのやり取りがあって、そこで命がけで交渉して話がまとまっているという認識です。その後、勝との会談では「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕末に困るものなり。この仕末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり。」と山岡を評価してます。山岡鉄舟については多くの文献を見ているので、ちょっと認識にずれが生じていますので、どの文献を見てそのように判断したのか教えて頂ければ幸いです。
山岡鉄舟は「一刀正伝無刀流」です。一刀[真実]を[正]しくお[伝]え下さい。
成る程~タイミングや京都で見廻り組・新撰組に対する恨みも有ったでしょえが、会津戦のの容保公が恭順の意思を示しても新政府が恭順を認めなかった理由が戦いが始まってからの恭順を認めないというのも有ったのかも知れないんですね(^_^)
会津戦争は…1986年年末放送の『白虎隊』を見たのですが、涙を誘いましたよね まだまだ子供である二本松少年隊も戦地に行ったので、大変な時代でしたよね
松平容保…薪を背負って火中に飛び込んでしまいましたね
お二人共凄いんですね(°д°)
名前は、聞いた事が、有ったけども、何をした人?って感じでした(•́ε•̀٥)
何時か、大河の主役、やって欲しいです🤩
勝海舟はあまり信用できない。
いち