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改めてわかりやすい解説ありがとうございました。小学生でもわかるシリーズ、大変勉強になります!征韓論を学校で習った時に「西郷さん朝鮮攻めるとか急にどうした!?」って腑に落ちなくて、大人になって調べたら、「征韓」ではなく、「朝鮮使節の派遣」だったことを知り驚きました。もっと授業で教えるべき!!あと、大久保さんの内政重視はまだわかるのですが、岩倉さんが朝鮮使節派遣に反対する理由は謎だし、なんなら大久保さんも戦争前提じゃないとなれば反対する理由にならないはずなのになぜそこまでこだわる!?って思ってたけど、結局は西郷さんの政府内での力が大きくなってきてることへの危機感からきてて、その内実は、権力争いだったわけですね。
この話にはまだ続きが…。翌年大久保は台湾に出兵を決めますw。「えっ?内政重視うんぬんじゃなかったのかよ。筋が通らない」と木戸も呆れて下野します。さすがに木戸まで政府からいなくなったら薩長の大物が自分一人になって薩長の権力が弱まるいうことで、五代友厚だの伊藤だのが木戸復帰に向けて間を取り持ったのが「大阪会議」。
確かに「太政大臣代理なら代理らしく何も言わずにハンコ貰ってこいや」という江藤の言い分はごもっとも…
テロップで「意義あり」→「異議あり」だと思います。いつもわかりやすい解説でありがとうございます。
武士道さん、凄い分かりやすいです❣️👏👏それぞれの考えていたこと、衝突しあって最終的な決断に至るまでの道のり。とても勉強になりました。学生さん👩🎓👨🎓にもわかりやすく頭に入ってくる解説がいつも素晴らしいです❣️これからも分かりやすい解説をどうぞ宜しくお願いします🙇♀️❣️
何でこんな大事な話を学校では話してくれないんだろう?うわべだけの言葉を覚えても何にも役に立たないのに
めちゃくちゃ分かりやすかったですかなり笑ってしまいましたありがとうございました😊
おおお、それぞれの言い分、なぜ政府がいつも揉めてるのか分かりやすく大変勉強になりました。新政府は諸ルールも定まっていないし、立場とかを気にしたり、議論のやり方に慣れてなかったり、日本政府のフワフワ感は今も昔も同じなのかも…
生みの苦しみですね。明治政府の方達はそれぞれ信念があり、戦った末に落ち着く所に落ち着いた感があります。皆骨があり今の政治家に爪の垢でも煎じて飲ませたいです。最近思うのは金が無ければ何も出来ない。だから経済を良くしなければいけません。
江藤らは元々副島種臣を使節に推していましたが、西郷が行きたがったため切替えました。副島は日清修好条規を結んで帰ってきたばかりなので、使節に最適と思うのですが…
西郷は、「使者は、おそらく殺される」という前提で話をしているので、自分が行って死ぬならともかく、誰かに「使者として死んでくれ」とは、言いづらいのではないでしょうか?
とてもわかりやすく面白かった!やっぱり歴史は大事ねぇ
三条さんの胃が痛くなるのも分かる気がする・・
凄く面白かったです。ミスター武士道さんのテンポの良い語りでわかりやすいし。このあたりのことは今回の大河では触れられないのがちょっと残念。尺の問題と、栄一自身が関わらなかったからかな🤔大河のスピンオフでやって欲しいくらいです。
今でも西郷隆盛は強硬な征韓論推進者と誤解されていると思う。歴史教科書でも征韓論に破れて西南戦争を起こして城山で自決した記述をされているが、実際は武力で攻める前に使節として交渉したかったが、それを否定されたと書いて欲しかった。
西郷も「最終的には戦争になるだろう」と言っていたけど、板垣や三条にくらべれば、相対的に穏健派で、むしろ、彼等を抑えている側なんですよね。それなのに、最も過激な主張をしたような、印象を持たれてしまっている。
西郷にしろ大久保にしろ自分の意見を通すため結構な頻度で政府に出たり入ったりしているよね今の政治屋と比べて政治家として一本筋が通っている気がする
素晴らしい!
今の政治家は、こんな篤く議論しているのでしょうか? 立法府なのに 行政府である役人の言いなりか! 情けない。とても解りやすく 有難うございました。
今回の動画、納得です!西郷さん=征韓論のイメージでしたが私も違うと思ってました。西郷さんは本来、戦争は嫌いな人。これから日本最後の内戦に向かうと思うと悲しい😢。
👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍
福沢諭吉さんの話しを是非お願いします。特に脱亜入欧のところ!
世界史組の理解 ↓1860 露・ 北京条約・沿海州獲得1873 征韓論1875 江華島事件1884 甲申政変、失敗1885 脱亜論1891 露・ウラジヴォストーク建設開始1898 露・旅順大連の租借1899 南アフリカ戦争1902 日英同盟1903 露・東清鉄道の開通1904 日露戦争、勃発1904 第1次日韓協約1905 第2次日韓協約1907 第3次日韓協約1909 安重根1910 日韓併合
大久保利通の銅像の文字で道の字がずれてるんですよね。人の道を外したって意味でワザとずらしてるとかなんとか
大変面白く視聴しました。この頃のことは今までしっかり教えてくれなかったのか私がぼんやりしていたのか良く分かりませんでした。教科書でも征韓論に破れた西郷が西南の役を起こして討伐された、と2,3行で終わっていたような。だからなんで政府にはむかった人の銅像が建っているのかも?でした。そもそも征韓論自体の説明は無かったと思う。教科書がぼかしているのかな。
富国強兵を掲げる大久保と農産増強やインフラ整備を進める西郷や経済の充実を唱える渋沢が何故対立するのか大河を見て疑問だったが、影響を受けたのがビスマルクと聞いて納得した。よりによって和を尊ぶ日本人が一番見習ってはいけないものに学ぶとは…
単に朝鮮をどうするかだけで無く権力争いもあったのですね。西郷の真意は今でも見方が分かれる訳ですか。伊藤のやり方はずるいですよね。これでは西郷や江藤が明治政府に嫌気がさしますね。
西郷隆盛の❤印象とガラッと変わったかっこいい❤️👍江藤新平❤️👍
ご存知でしょうか?当時、旧加賀藩の政治結社 忠告社が前田斉泰を介して旧加賀藩から旧加賀藩の征韓論の建白書を新政府に提出していた事を…実は何度も新政府には提出していて西郷南洲翁の後押しを旧加賀藩はしているのです。全て揉み潰されそれが西南戦争〜紀尾井坂事件まで発展していくわけですが…西郷南洲翁は死にたがりじゃないです…言い方が……
加賀藩の征韓論は、単純な征伐論だったのでしょうか?それとも西郷が言うような、使者の派遣が前提だったのでしょうか?もし、西郷が(実は)交渉する気だったなら、加賀藩の思惑とは、違ってしまわないでしょうか?
先進国をこの目で見て感じた大久保達と話には聞いてるくらいの居残り組の認識違いが結果的に方向性の違いを生んでしまった
ビスマルクから富国強兵の話を直接聞いたか、聞いてないかで大きな対立が生まれてしまった感じかもしれません。
そうなんだ。
この中で筋通してるのは江藤しかいない件
むしろ留守政府における江藤の独走こそがこの話をややこしい方向に持っていったように思うけどそもそも江藤みたいなタイプの人物が征韓論にマジになるとも西郷を信奉するとも思えないから外遊組締め出しありきの政争の具として真っ先に征韓論を利用したように見える
フランス法制を整えようとしてた江藤が征韓論が愚策なことを理解できない筈はないし、十中八九江藤は外遊組排斥のために征韓派に立ってる。征韓派で辞職した参議の中で江藤だけは私欲で動いてる感が否めない。
これは長年気になってる日本史ネタですが正直、理解も結論も至らずモヤモヤしてます。多分、「小学生でもわいかる」は厳しい(解説努力には賛辞を送ります)。西郷が派遣されたら?の「if」シナリオも気になるところ。朝鮮半島をめぐる安保や地政学について、日本側の認識は今に至るまで日本政治史を動かしてきた思います。私はどちらかというと世界史の側なので、そこからの素朴な疑問ですが、なぜ半島経由の侵略を脅威としたのか。例えば英仏海峡はその近さから大ブリテン島(英国)は史上、何度も征服されてます。しかし日本と朝鮮半島間は最短ポイントでもドーバ海峡の倍以上ありますし、海流も激しい。事実、侵攻は過去の元寇ぐらいしかない(それも失敗)。日清日露戦に至る政策決定でも必要以上に怯えてた感じ。ちなみに当時の伊藤博文は両戦争とも回避・自制派でした。
間違いなく帝政ロシアの南下政策の影響でしょうね。1860年の北京条約でウラジオストクの獲得に始まり朝鮮半島内での通商を李氏朝鮮にロシアは求めてきました。日本と朝鮮半島は英仏の両国のように同じキリスト教でもないし、何度も両国が百年戦争みたいに争ったわけでもないので同列に語るのは難しいと思います。イギリスは征服されましたが、そのあとにフランスを何度も撃退もしたわけです。19世紀半ばまでに北米、インド、欧州においてイギリスはフランスを撃退しています。
翔ぶが如くを読んだ時明治になって自分の役目は終わったと国に戻ったが大久後の要望もあり政治に介入する事になったが、彼g望んだ新政府は全く彼が描いた理想とはほど遠い物だったのだろう。征韓論において西郷は辛いほどに自ら大使となってこの交渉に望みをかけたかったのかもしれない。岩倉も大久保も朝鮮の後ろにいる請を恐れた。この夢が打ち砕かれた西郷の落胆は相当なショックだっただろうな。しかし皮肉な事に後にこの問題は征台論、日請戦争 朝鮮併合の道を歩ことになる。
請?清のことだよね?
西郷どんの意見、征韓論、通れば、今日の日韓関係、こんなに悪くなる事は無かったと思います。だから伊藤博文が暗殺される事も無かったかも知れませんね。
結果として、征韓論自体は中止にして良かったのかもしれませんが、心情的な部分で岩倉具視・大久保利通・伊藤博文なんかのやり方が好きになれないんだよねぇ
英国の意向と新政府に挟まれた西郷隆盛の苦悩~
おもしろぉ
伊藤博文って基本的に冷静でカッコいいそりゃ初代総理大臣になるわな
不平等条約改正については、確かに失敗だったかも、観光旅行には意味は有ったとは思うんだが、さておき、今で言う大使館何だけれど、地方政府から中央政府に移管されてたのね。欧米列強と似たような事をやらかしてたが、ここで欧米を見てきたのが、ブレーキに成っちゃったりしてて、出兵論よりは、国内整備が優先だったのは、確かだよね。
叫んで素にもどるの好き
素晴らしい簡略に征韓論の本質を゙解説有難う御座います、西郷隆盛が戦争を前提にしていない事、解りやすく解説お見事、尚親友を自身の保身の爲に平気で裏切る大久保利通の系統が後の政治を司取り今日も過大評価が見られる😢
まあいつの時代もそうだけど、政治家と軍人は相容れないってことよ
Koreanの無礼は今に始まったことではないとわかるなあ
明治初期に何の無礼を受けたの?
せいかんろんはKoreanの無礼と頑迷にたいして起きた議論
朝鮮は弱いくせに威張ってたからな。明治維新により新政府ができたから、朝鮮に使節団を送ったところ、文書に皇などの文字を使うな、こんな文字を使っていいのは中華様だけだと発言する無礼を働いてたからな。朝鮮に行った人間は皆んなブチギレて、征韓論になって日本に帰ってくるくらいだからね笑竹添進一郎しかり、三浦梧楼しかり。朝鮮にいて正気を保ったのは大鳥圭佑くらいじゃないか。
@@ロイス-y5j ただ相手国の拒絶反応も分かる。日本は強引過ぎた
ちょっと前まで、日本もさんざん「攘夷攘夷」と言っていたのだから、朝鮮側の拒絶反応が、理解できないのはおかしい。ペリーが来るまでは、日本も欧米の使者なんか、(無礼にも)つっけんどんに追い返していたし、長州藩は四国艦隊にいきなり砲撃して、全然悪びれていないのだから、「江華島事件」での朝鮮側の発砲に、怒る資格は無い。「無礼」とかいうのは、ただの建前で、①国内の不満を外交に逸らして、内政を安定させ、②出来れば、朝鮮半島を何らかの形で、「コントロール下」に置きたいというだけの話です。
征韓論は武闘派と穏健派の争いって学校で習った時は思ってたけど、それぞれに思惑かあって単純じゃないのね。 それにしても現世に未練のない西郷の存在は怖い。
これを聞いて岩倉具視とんでもねーやつだな
この人佐幕派やね笑
あっちゃんとコラボしてほしい
ビスマルク閣下に 欧米の現実をきけたことが 物凄いかちがありました! おかしな発信しないでください
征朝論じゃないの❓️
早口過ぎて、頭に入って来ません❗
解りやすく説明していただいたんですが、最近の人はどうも早口で聞きずらいですね。それにこの程度の解説ならどこの動画でもやってます。何か新しい説が欲しいですね。
👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍
れろま
『征韓論』西郷隆盛に武士の味方ではない?・・・・てにをは・・・が無茶苦茶でなにをいいたのか?意味不明。歴史が「言葉」を使って過去を再現する学問なのにここまで無茶苦茶では致命的です。
この征韓論のゴタゴタをまとめあげようとする人間はいなかったんですか?みな自分の意見を主張してばかりだと分裂もしますよね。その時の明治天皇の役割ってただ決裁の判子押すだけだったんですかね?
所詮戦争好きな侍の芋ざむらい。急に世界を考えようとしても無理ってことだ。
改めてわかりやすい解説ありがとうございました。小学生でもわかるシリーズ、大変勉強になります!
征韓論を学校で習った時に「西郷さん朝鮮攻めるとか急にどうした!?」って腑に落ちなくて、大人になって調べたら、「征韓」ではなく、「朝鮮使節の派遣」だったことを知り驚きました。もっと授業で教えるべき!!
あと、大久保さんの内政重視はまだわかるのですが、岩倉さんが朝鮮使節派遣に反対する理由は謎だし、なんなら大久保さんも戦争前提じゃないとなれば反対する理由にならないはずなのになぜそこまでこだわる!?って思ってたけど、結局は西郷さんの政府内での力が大きくなってきてることへの危機感からきてて、その内実は、権力争いだったわけですね。
この話にはまだ続きが…。翌年大久保は台湾に出兵を決めますw。「えっ?内政重視うんぬんじゃなかったのかよ。筋が通らない」と木戸も呆れて下野します。さすがに木戸まで政府からいなくなったら薩長の大物が自分一人になって薩長の権力が弱まるいうことで、五代友厚だの伊藤だのが木戸復帰に向けて間を取り持ったのが「大阪会議」。
確かに「太政大臣代理なら代理らしく何も言わずにハンコ貰ってこいや」という江藤の言い分はごもっとも…
テロップで「意義あり」→「異議あり」だと思います。いつもわかりやすい解説でありがとうございます。
武士道さん、凄い分かりやすいです❣️👏👏それぞれの考えていたこと、衝突しあって最終的な決断に至るまでの道のり。とても勉強になりました。学生さん👩🎓👨🎓にもわかりやすく頭に入ってくる解説がいつも素晴らしいです❣️これからも分かりやすい解説をどうぞ宜しくお願いします🙇♀️❣️
何でこんな大事な話を学校では話してくれないんだろう?うわべだけの言葉を覚えても何にも役に立たないのに
めちゃくちゃ
分かりやすかったです
かなり笑ってしまいました
ありがとうございました😊
おおお、それぞれの言い分、なぜ政府がいつも揉めてるのか分かりやすく大変勉強になりました。
新政府は諸ルールも定まっていないし、立場とかを気にしたり、議論のやり方に慣れてなかったり、日本政府のフワフワ感は今も昔も同じなのかも…
生みの苦しみですね。明治政府の方達はそれぞれ信念があり、戦った末に落ち着く所に落ち着いた感があります。皆骨があり今の政治家に爪の垢でも煎じて飲ませたいです。最近思うのは金が無ければ何も出来ない。だから経済を良くしなければいけません。
江藤らは元々副島種臣を使節に推していましたが、西郷が行きたがったため切替えました。
副島は日清修好条規を結んで帰ってきたばかりなので、使節に最適と思うのですが…
西郷は、「使者は、おそらく殺される」という前提で話をしているので、
自分が行って死ぬならともかく、
誰かに「使者として死んでくれ」とは、
言いづらいのではないでしょうか?
とてもわかりやすく面白かった!やっぱり歴史は大事ねぇ
三条さんの胃が痛くなるのも分かる気がする・・
凄く面白かったです。ミスター武士道さんのテンポの良い語りでわかりやすいし。
このあたりのことは今回の大河では触れられないのがちょっと残念。尺の問題と、栄一自身が関わらなかったからかな🤔
大河のスピンオフでやって欲しいくらいです。
今でも西郷隆盛は強硬な征韓論推進者と誤解されていると思う。
歴史教科書でも征韓論に破れて西南戦争を起こして城山で自決した記述をされているが、実際は武力で攻める前に使節として交渉したかったが、それを否定されたと書いて欲しかった。
西郷も「最終的には戦争になるだろう」と言っていたけど、
板垣や三条にくらべれば、相対的に穏健派で、
むしろ、彼等を抑えている側なんですよね。
それなのに、最も過激な主張をしたような、印象を持たれてしまっている。
西郷にしろ大久保にしろ自分の意見を通すため結構な頻度で政府に出たり入ったりしているよね
今の政治屋と比べて政治家として一本筋が通っている気がする
素晴らしい!
今の政治家は、こんな篤く議論しているのでしょうか? 立法府なのに 行政府である役人の言いなりか! 情けない。とても解りやすく 有難うございました。
今回の動画、納得です!
西郷さん=征韓論のイメージでしたが私も違うと思ってました。
西郷さんは本来、戦争は嫌いな人。
これから日本最後の内戦に向かうと思うと悲しい😢。
👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍
福沢諭吉さんの話しを是非お願いします。特に脱亜入欧のところ!
世界史組の理解 ↓
1860 露・ 北京条約・沿海州獲得
1873 征韓論
1875 江華島事件
1884 甲申政変、失敗
1885 脱亜論
1891 露・ウラジヴォストーク建設開始
1898 露・旅順大連の租借
1899 南アフリカ戦争
1902 日英同盟
1903 露・東清鉄道の開通
1904 日露戦争、勃発
1904 第1次日韓協約
1905 第2次日韓協約
1907 第3次日韓協約
1909 安重根
1910 日韓併合
大久保利通の銅像の文字で道の字がずれてるんですよね。人の道を外したって意味でワザとずらしてるとかなんとか
大変面白く視聴しました。
この頃のことは今までしっかり教えてくれなかったのか私がぼんやり
していたのか良く分かりませんでした。教科書でも征韓論に破れた西郷が
西南の役を起こして討伐された、と2,3行で終わっていたような。
だからなんで政府にはむかった人の銅像が建っているのかも?でした。
そもそも征韓論自体の説明は無かったと思う。教科書がぼかしているのかな。
富国強兵を掲げる大久保と農産増強やインフラ整備を進める西郷や経済の充実を唱える渋沢が何故
対立するのか大河を見て疑問だったが、影響を受けたのがビスマルクと聞いて納得した。
よりによって和を尊ぶ日本人が一番見習ってはいけないものに学ぶとは…
単に朝鮮をどうするかだけで無く権力争いもあったのですね。西郷の真意は今でも見方が分かれる訳ですか。伊藤のやり方はずるいですよね。これでは西郷や江藤が明治政府に嫌気がさしますね。
西郷隆盛の❤印象とガラッと変わったかっこいい❤️👍江藤新平❤️👍
ご存知でしょうか?当時、旧加賀藩の政治結社 忠告社が前田斉泰を介して旧加賀藩から旧加賀藩の征韓論の建白書を新政府に提出していた事を…
実は何度も新政府には提出していて西郷南洲翁の後押しを旧加賀藩はしているのです。
全て揉み潰されそれが西南戦争〜紀尾井坂事件まで発展していくわけですが…
西郷南洲翁は死にたがりじゃないです…
言い方が……
加賀藩の征韓論は、単純な征伐論だったのでしょうか?
それとも西郷が言うような、使者の派遣が前提だったのでしょうか?
もし、西郷が(実は)交渉する気だったなら、
加賀藩の思惑とは、違ってしまわないでしょうか?
先進国をこの目で見て感じた大久保達と話には聞いてるくらいの居残り組の認識違いが結果的に方向性の違いを生んでしまった
ビスマルクから富国強兵の話を直接聞いたか、聞いてないかで大きな対立が生まれてしまった感じかもしれません。
そうなんだ。
この中で筋通してるのは江藤しかいない件
むしろ留守政府における江藤の独走こそがこの話をややこしい方向に持っていったように思うけど
そもそも江藤みたいなタイプの人物が征韓論にマジになるとも西郷を信奉するとも思えないから外遊組締め出しありきの政争の具として真っ先に征韓論を利用したように見える
フランス法制を整えようとしてた江藤が征韓論が愚策なことを理解できない筈はないし、十中八九江藤は外遊組排斥のために征韓派に立ってる。征韓派で辞職した参議の中で江藤だけは私欲で動いてる感が否めない。
これは長年気になってる日本史ネタですが正直、理解も結論も至らずモヤモヤしてます。多分、「小学生でもわいかる」は厳しい(解説努力には賛辞を送ります)。西郷が派遣されたら?の「if」シナリオも気になるところ。朝鮮半島をめぐる安保や地政学について、日本側の認識は今に至るまで日本政治史を動かしてきた思います。私はどちらかというと世界史の側なので、そこからの素朴な疑問ですが、なぜ半島経由の侵略を脅威としたのか。例えば英仏海峡はその近さから大ブリテン島(英国)は史上、何度も征服されてます。しかし日本と朝鮮半島間は最短ポイントでもドーバ海峡の倍以上ありますし、海流も激しい。事実、侵攻は過去の元寇ぐらいしかない(それも失敗)。日清日露戦に至る政策決定でも必要以上に怯えてた感じ。ちなみに当時の伊藤博文は両戦争とも回避・自制派でした。
間違いなく帝政ロシアの南下政策の影響でしょうね。1860年の北京条約でウラジオストクの獲得に始まり朝鮮半島内での通商を李氏朝鮮にロシアは求めてきました。
日本と朝鮮半島は英仏の両国のように同じキリスト教でもないし、何度も両国が百年戦争みたいに争ったわけでもないので同列に語るのは難しいと思います。イギリスは征服されましたが、そのあとにフランスを何度も撃退もしたわけです。19世紀半ばまでに北米、インド、欧州においてイギリスはフランスを撃退しています。
翔ぶが如くを読んだ時明治になって自分の役目は終わったと国に戻ったが大久後の要望もあり政治に介入する事になったが、彼g望んだ新政府は全く彼が描いた理想とはほど遠い物だったのだろう。征韓論において西郷は辛いほどに自ら大使となってこの交渉に望みをかけたかったのかもしれない。岩倉も大久保も朝鮮の後ろにいる請を恐れた。この夢が打ち砕かれた西郷の落胆は相当なショックだっただろうな。しかし皮肉な事に後にこの問題は征台論、日請戦争 朝鮮併合の道を歩ことになる。
請?清のことだよね?
西郷どんの意見、征韓論、通れば、今日の日韓関係、こんなに悪くなる事は無かったと思います。だから伊藤博文が暗殺される事も無かったかも知れませんね。
結果として、征韓論自体は中止にして良かったのかもしれませんが、心情的な部分で岩倉具視・大久保利通・伊藤博文なんかのやり方が好きになれないんだよねぇ
英国の意向と新政府に挟まれた西郷隆盛の苦悩~
おもしろぉ
伊藤博文って基本的に冷静でカッコいい
そりゃ初代総理大臣になるわな
不平等条約改正については、確かに失敗だったかも、観光旅行には意味は有ったとは思うんだが、さておき、今で言う大使館何だけれど、地方政府から中央政府に移管されてたのね。欧米列強と似たような事をやらかしてたが、ここで欧米を見てきたのが、ブレーキに成っちゃったりしてて、出兵論よりは、国内整備が優先だったのは、確かだよね。
叫んで素にもどるの好き
素晴らしい簡略に征韓論の本質を゙解説有難う御座います、西郷隆盛が戦争を前提にしていない事、解りやすく解説お見事、尚親友を自身の保身の爲に平気で裏切る大久保利通の系統が後の政治を司取り今日も過大評価が見られる😢
まあいつの時代もそうだけど、政治家と軍人は相容れないってことよ
Koreanの無礼は今に始まったことではないとわかるなあ
明治初期に何の無礼を受けたの?
せいかんろんはKoreanの無礼と頑迷にたいして起きた議論
朝鮮は弱いくせに威張ってたからな。
明治維新により新政府ができたから、朝鮮に使節団を送ったところ、文書に皇などの文字を使うな、こんな文字を使っていいのは中華様だけだと発言する無礼を働いてたからな。朝鮮に行った人間は皆んなブチギレて、征韓論になって日本に帰ってくるくらいだからね笑
竹添進一郎しかり、三浦梧楼しかり。朝鮮にいて正気を保ったのは大鳥圭佑くらいじゃないか。
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ちょっと前まで、日本もさんざん「攘夷攘夷」と言っていたのだから、
朝鮮側の拒絶反応が、理解できないのはおかしい。
ペリーが来るまでは、日本も欧米の使者なんか、(無礼にも)つっけんどんに追い返していたし、
長州藩は四国艦隊にいきなり砲撃して、全然悪びれていないのだから、
「江華島事件」での朝鮮側の発砲に、怒る資格は無い。
「無礼」とかいうのは、ただの建前で、
①国内の不満を外交に逸らして、内政を安定させ、
②出来れば、朝鮮半島を何らかの形で、「コントロール下」に置きたい
というだけの話です。
征韓論は武闘派と穏健派の争いって学校で習った時は思ってたけど、それぞれに思惑かあって単純じゃないのね。 それにしても現世に未練のない西郷の存在は怖い。
これを聞いて岩倉具視
とんでもねーやつだな
この人佐幕派やね笑
あっちゃんとコラボしてほしい
ビスマルク閣下に 欧米の現実をきけたことが 物凄いかちがありました! おかしな発信しないでください
征朝論じゃないの❓️
早口過ぎて、頭に入って来ません❗
解りやすく説明していただいたんですが、最近の人はどうも早口で聞きずらいですね。それにこの程度の解説ならどこの動画でもやってます。何か新しい説が欲しいですね。
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れろま
『征韓論』西郷隆盛に武士の味方ではない?・・・・てにをは・・・が無茶苦茶でなにをいいたのか?意味不明。
歴史が「言葉」を使って過去を再現する学問なのにここまで無茶苦茶では致命的です。
この征韓論のゴタゴタをまとめあげようとする人間はいなかったんですか?みな自分の意見を主張してばかりだと分裂もしますよね。その時の明治天皇の役割ってただ決裁の判子押すだけだったんですかね?
所詮戦争好きな侍の芋ざむらい。急に世界を考えようとしても無理ってことだ。
とてもわかりやすく面白かった!やっぱり歴史は大事ねぇ
れろま