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「NAMCO」と聞くと楽しかった思い出が懐かしく蘇ってくるが、それが「バンナム」となると怒りと失望しか湧いてこない合併はしかたなかったにしても、ここまで落ちぶれるものなのか…
バンダイナムコはソシャゲで搾取の鬼ですよ😂
今はガンプラをはじめとするホビー部門の黒字でデジタル部門の赤字を埋め合わせさせられてるわけですが。なんでもいいからちゃんと稼いでよナムコ
@@takareal1757 マリカ8作ってるからなぁ一概に悪いとは言えないなぁ
ファミコンもPCエンジンもプレステもナムコ無しでは成功はなかったかもしれないそんな偉大なメーカーなだけに、今の現状は寂しい限りです
サイバースレッド好きだったなぁ
セガ「…」
ナムコって、ファミコンとかのパッケージイラストのデザインセンスが優れてると思う
80年代はまさに神メーカーだったクリエーターもゲーマーもみんな憧れたなんでこんな事に😢
@@himi4789 ガチャとオンライン商法がゲーム全てを駄目にしたような気もする。
90年代半ばも3Dをセガと共に二大巨頭の一角を担って発展させたり大型筐体で多くのヒット作を出していたりと神がかっていた今や見る影も.....最近ではアケアカに参入して移植されてなかったゲームを移植を積極してくれるようになったのは嬉しいけど......
ナムコのゲームは好きだったけどファミコンの初期はすごかったPCエンジンの初期はすごかったプレステの初期はすごかったこのイメージです
ナムコは昔社員の一人が会社のハードディスクを横領し転売した事件もありました
神奈川県庁のハードディスク転売事件の富士通の子会社を思い出しました
バンダイとナムコというとファミコンで出したマクロスのゲームの開発がナムコだったな
源平討魔伝、当時あのデカいキャラがスムーズに歩いていたのにはホントにびっくりしました。歩くだけでなく刀を振り下ろしていましたから。もう40年近くになりますかね。ホントに当時からナムコって凄かったんだなと今でも思います。
同意。キャラがジャンプしたりのアクション全般の動きの素早さに衝撃を受けた。今でも目に焼き付いてる。。。
ナムコミュージアムと、アンコールは今でも大事にしている。名作揃いで小中学生時代の頃遊びまくった。(ゲーセンも)カプコンと二大巨頭だった。(個人的に)
あれはほぼ神移植です。🎉🎉ドルアーガとワルキューレについてはそのままアーケードにての活用が使えます
ほとんどの人が見向きもされなかったけど、自分の中ではティンクルピット(1994)が80年代ナムコテイストを感じる最後の作品でしたね。長らく移植されませんでしたけど、つい先日アーケードアーカイブスに移植されました。
リッジレーサー全部入り、死ぬ前にやりたいです。
リッジレーサー復活のお布施として、泣きながらプレステプラスプレミアムに入りました(R4とリッジレーサーズがやりたいばっかりに)
レイブも収録希望
90年代の都内二子玉川にあったナムコワンダーエッグはドルアーガの塔とかゲームをテーマにしたパークで楽しかった。テーマパークまで作ったゲーム会社だったのに
ナムコはパックマン、ギャラガ、ゼビウスいろいろやったけどファミコンだと独特のパッケージに入ったヤツをよく買ったなあ。ファミスタ、ドラゴンバスターなどなど。メトロクロスも好きでした。
ナムコに限った話ではなく、アーケードが衰退したのは、家庭用ゲーム機器がアーケード同様高性能に進化し、ゲーセンいかなくてもというのが大きい。アフターバーナーⅡが家庭用に完璧に移植されてゲーム機器で遊ぶ様子がアニメボーグマンで描かれていたが、当時そんな家庭用ハードはなく、そんな時代がホントやってくるのか?と思いつつ見てた。でもそれは現実になった。同時にゲーム会社は爆発的に増えて増えすぎたというのも。既存のゲーム会社はそれらに勝てず、過去の作品を焼き直しするだけの企業に成り下がり、優秀なクリエイターは他社に移り分散してしまった。
かつてナムコのアーケード営業の補助業務でバイトしてました。ナムコ推しなのは今でも変わりません。当時セガの出店進出凄まじくなにがナムコと違うんだろうとは思ってましたが、その後セガの凋落を見るに財務状の無理をゴリ押しして競合駆逐に奔走しすぎていたのかなぁと。。華やか見えていた業界でナムコも決して安泰ではなく開発コストのキャッシュフローはやっぱこの時期ピークを超えてたんでしょうね。デカいから安定などの理屈が通らない業界なのは昔も今も変わらないように見えますね〜!
ワルキューレの伝説やマーベルランドの頃のナムコゲーム目的でゲーセン通いしてた思い出。
トイポップはメルヘンチックな見た目とは裏腹にザコ以外の敵はそれに対応した武器でないと倒せない高い難易度だが、画鋲でないと倒せないドムドム(風船みたいな奴)が大量に湧くのに画鋲が出現しないラウンドがあって、その為に少し前のラウンドから画鋲を持ち越して行かないといけない戦略性を要求されるところなど、ある意味でナムコらしい骨太で玄人受けするゲームだった。
今のように情報が無い時代、玉石混合のファミコンソフトが大量に販売されていた時に、ナムコのソフトは安心して買えた。それだけに現状は寂しいですね。
近くの喫茶店のテーブル型のゲームでは必ずと言って良いほどナムコのゲームが遊べた、唐揚げとドリンクのセットをいつも頼んでは1時間ぐらいやってた時代が懐かしい
アウトフォクシーズ移植を今でも待ってる
おお同志よ!!
幼稚園の頃ギャラクシアンを喫茶店でやったのがnamcoとの出会い😊
久夛良木Jrが来てからなぁ・・・
任天堂がソニーにスーファミCDロムを出させればソニーは勝手に自滅しただけに山内社長の完全な判断ミスでしたね。しかもソニーの代わりにスーファミCDロムを開発すると発言したフィリックス社まで裏切る形となりましたし
個人的にナムコのゲームの質の低下は、90年代後半から始まったクリエーターを前面に出す流れを受け入れなかった所にあるんじゃないかと
貝獣物語(ファミコン版)、じゅうべえくえすと、三国志、独眼竜政宗……、この辺りがナムコで好きなゲームだったな……😊
開発費高騰、それによるベテランの減少、技術革新による新人の参加の容易さ、ダウンロード商法、、、稼げるゲームを目指すために、面白いゲームが作りの環境が作りにくい環境ができやすいのはどこも同じなのかな?switchが発売される前だけど、リクルートやマイナビなど転職企業から任天堂が「本物のゲームプランナ」を探していると聞いたが頷ける理由だな
相手がバンダイはねぇーなぁ。当時は思ったよ。バンダイ、バンプレスト、その他のバンダイ系開発会社・・・・・・。キャラクターが無かったらマジクソゲーばっかりだったもの。バンダイ+ナムコで物凄いゲームができるかもと期待していました・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。ナムコが底なし沼に足を取られてしまいましたとさ。チャンチャン。
『グロブター』(ゼビウスのスピンオフ)・『プロップサイクル』・『ミスタードリラー』・『ボスコニアン』もやった事ある。
DLC商法と完全版商法をゲームメーカーに根付かせた罪はあまりに重すぎる
〇國志&〇長の野望"パワーアップキット"〇国無双"猛将伝"某メーカーも片棒担いでるんで便乗
DLCはまだしも(せいぜい衣装やBGM追加程度でガチャ方式じゃなければ個人の好みで買う買わない決まる程度なのでセーフ)、完全版商法は正直詐欺も良いところ.....
昭和の昔、ゲーセン配布の小冊子NGの通販でポスターTシャツ缶ペンケース等買ってただけの田舎のゲーム小僧に、毎年ナムコキャラの年賀状を送ってきてくれた思い出…
最初期のウィニングランのDX筐体を、確かマイケル・ジャクソンが持っていた筈。それとバンダイとの合併は悪くなかったと思う。戦場の絆は、このコンビじゃなかったら出来なかったろうし。あれが20年も続いたのは凄い。ゲームセンターは、もう無くなるだろうし、いい時代に生まれ育ったと思う。
タイムクライシスの新作早く出してくれ〜
せっかくのガンコンを使いたいんじゃ〜!
プレステのマザーシステムは、ナムコが開発していたんだよね。アーケード用のマザーを家庭用に直した物。後、ロイヤリティ面でファミコン初期に優遇されていたから、アーケードの他メーカーソフト(主にデコ)なんかも、それを利用して荒稼ぎしていた。1990年代までは、多くのゲームメーカーがディズニーを目指して活躍していたのだが、その過程で掛かる莫大な費用等に多くのメーカーが没していく事になる。
逆だよ逆ソニーが開発してたマザーの性能をソニー側から「見て欲しいものがある」とナムコは呼びかけられて、見せてもらったところ「家庭用(価格帯)クラスのハードでここまで3Dを表現できるとは....」と圧倒され評価。そして当時、汎用筐体で伸び悩んでたナムコは大型筐体で成功した3D技術を汎用筐体に流用できるローコストの3D基板が丁度欲しかったこともあり、ソニーに「積極的にソフトを卸して技術提携もするから、そのマザー(基板)をどうかうちの業務用基板の一つに流用させていただけませんでしょうか?」という取引を提案し一方でゲーム業界デビュー間もなかったせいで自社ソフト資産が無く他社の参入が欲しかったソニー側も承諾、利害一致となり、お互いに同盟を結んだ関係になった。
塊魂とかミスタードリラー、もじぴったん辺りを作ってた頃が一番好きだったな
ワンダーモモでカメラ小僧から「フォーカスチャンス!」とパンツを撮られると恥ずかしくて怯む演出が、ある意味で男心をわかっていて好きだった。
ただキモい。
売上至上主義みたいなんがあったんじゃないかな?新しいゲームが出なくなり、採算が見込める続編しか売れなくなった。業界全体がそんな中で次第に続編も飽きられなんとか生き残る為に合併するしかなかった。
どの会社もそうですからね。コエテクなどもそうですしどの会社も任天堂を裏切った訳ではなく任天堂ハード以外にもゲームを出さないと利益が見込めない時代になっただけの事ですし
ナムコ……。1980年代.この名を口にしただけで心トキメイていた✨綺羅星の如く.アーケードゲームを発表。パックマン、ギャラクシアン、ラリーX、ギャラガ、マッピー、ポールポジション、キリが無いね😆しかし、今のバンナムは😭悲しいね。
やっぱりゲーム以外の部分で赤字だしてたのか。あれだけヒット作あるのに。サターンからセガ派になったのでサターンメインの頃はあまりナムコのゲームやらなかったな。もちろん鉄拳も無視してた(というか最初にプレイした時操作がわけわからず、そのあとやる気なくなった)ドリームキャストで1本だけど出してくれてありがたかった。
ナムコ時代自社開発に甘く下請け会社に厳しい会社だったので開発力の高い会社に嫌われて逃げられたのが大きかったかも知れませんねえ、ナムコ関係の開発は予算がタイトな割に厳しい要求を突き付けて来られたので数タイトルで辞めて競合他社の大手に乗り換えてましたわ
その下請けにはアトラスも入っていて独立して成功しました
で、今、そのアトラスことインデックスはどうなりましたっけ……おっと、今は会社じゃないですねw
一番でかい魚だったのがクインティ開発したゲームフリークでしょうねでもポケモンは任天堂がバックにいたからあそこまでうまくいったんでしょうがナムコだとあそこまで肥大化した版権問題とか上手にまとめられないような気がする
@@NUE-L-e6s様あら、アトラスって今はそうなのか😢メガテンシリーズとプリクラだっけ?
@@しぐれん-v1d ああバンダイとナムコ権利関係に関してガバガバでしたね。
昔はブイブイ言わせてたメーカー。今は鉄拳とアイドルマスターが心の寄す処。
ワルキューレもドルアーガもファミスタも無いんだね😢
@@菅原のしゅん お返事くださりありがとうございます。全くその通りです。かつての大ヒットシリーズはことごとく捨てられました。で、残ったのが前述の二本。
かつては、黄金時代を支えてくれた一流メーカー。今は見る影もない。
リッジレーサーもタイムクライシスも死んでしまった
@@kamameshi0804 お返事くださりありがとうございます。おお、我が同士よ!みんな、あの日に帰りたい!
ナムコがバンダイに吸収された話は知っていました。ゲーセンで、よくプレイさせて貰いました。
最初に買ったファミコンのカセットは「マッピー」だったな~
ファミスタとかDDS女神転生とか、よくプレイしましたね最近はご無沙汰ですけど
ナムコはファミスタを筆頭にファミリー〇〇ってイメージ
バンダイはビデオゲーム製作についてはダメだけど、製造業として世界最高水準の金型技術を持っておりさらに強力なコンテンツを多数所有して巨大な製造拠点と販路もある私はナムコとバンダイは良い合併だったと思います
バンプレストも。
動画の趣旨と関係ないのですが 1:13 からのBGMなんて曲なんですか?
誰からも相手にされなかったコメ😅
一番好きなゲーム会社この先更に合併などをするかも知れませんがいつまでも遊び心を忘れないで欲しいです「遊び」をクリエイトするこれ以上のキャッチコピーを私は知りません
そういや、タイムクライシス2もナムコだったなぁ。あれはめちゃくちゃハマった
ナムコと言えばPS1の時にソニーがナムコの為にソフト通し番号の765をキープしていたって話があったな あれって本当の話なのか
同盟を結んだくらいだからね、ナムコが技術提携とソフト積極的に卸す一方でソニーがナムコにPS基板をアーケードに流用することを許可するという相互取引した形で。そしてその契約時にソニーから「リッジレーサーの発売日がプレイステーションの発売日です、それでよろしいですね?」と言わしめたそうで(だからリッジレーサーのソフト品番も「1」と、発売日がローンチだっただけでなく名実共にPSの最初の1枚目のソフトとなっている)
ロケーション事業(ゲーセン)が稼げなくなってナムコは身売りしました。ビデオゲームは開発費高騰でワンプレイ100円玉では元を取れなくなり撤去。クレーンゲームを主力にしたものの景品代も高騰しお客さんがなかなか取れない設定にしないと儲けが出ない。そんな感じで負の連鎖になっちゃった。けどナムコのゲームは本当に独創的で面白かったしナムコのゲームには外れはなかったです😊ナムコ大好き!
80年代、どこの駅前にもタイトーがあって、セガも多かったが、ナムコは直営店が少なく、折半レンタルが多かった任天堂は玩具店へのレンタルが多かったが、ナムコは多くのゲーセンへのレンタルをしていた個人経営店から、ダイエーレジャーランド(現モーリーファンタジー)のような大手まで様々な店にレンタルしていた
ナムコは直営店多くて成功してた方だと思ってたんだけどなぁ実態は違ってたのか.....
@@kamameshi0804 屋上遊園地から始まっただけに、そういう立地の店舗は多いですが、多くが共同運営かレンタルで、ナムコの名前が出ていない店の方が多かったです(セガやタイトーは共同運営でも屋号や設備でわかったけど、ナムコの共同運営店の多くは屋号にナムコの名前がなかった。もちろんある方が有利ではあるが客層が偏るのとオーナー側のイメージを優先するなどで隠される事も多く、NGなどで初めてそこがナムコ系とわかる事もあった)
@@Feverplum セガやタイトーとは方向性を変え、ファミリーで楽しめるロケーションを曲げなかったのは、創業者の理想が間違っていなかったことを、今だからこそ感じることがあります。蒲田東急プラザ屋上の直営店は、今でもBNEIの社員研修で活用されています。
King of Kingsと女神転生2、遊びまくった
90年代は一年おきに各ジャンルで名作シリーズの一作目を出してた。1993:リッジレーサー1994:鉄拳1995:テイルズ(テイルズオブファンタジア)1996:タイムクライシスこのうち今でも生き残ってるのは鉄拳とテイルズだけという....
やっぱり会社規模の大きな社風に侵されていく傾向が強くなるねエースコンバット以外の名作が消えてしまったのは残念
ファミコン初期勢からしたらナムコなんて面白いソフトしか作ってなかったイメージ
インベーダー→ギャラクシアンヘッドオン→パックマンベースとなるゲームの仕様を改変して。自社オリジナルの独創性を世に出していくいい会社でした。ソレが、バンダイというクソメーカーと組んだばかりに、近年はキャラクター主体で独創性が薄れていったかのように思えます。
ナムコの深夜ラジオが好きでした!ゲームはナムコー
確か、銀行から出向してきた社長が成果主義を導入して、売り上げ至上主義になってしまったのがトドメでしたね。
女神転生も最初はnamcoから販売されてた
ナムコが昔バンダイと組んでファミコンソフトを開発していたから統合もスムーズだったのかもね。今ではガンダムゲームで救われてる部分もあるんじゃないかな。ワンダーエッグは昔遊びに行ったことあるけどギャラクシアン3とか維持に金がかかりそうだったもんなぁ。ゲームセンターのキャロットもナムコのゲームを遊ぶんだにはメンテも良くて好きだった。とても楽しい遊びの場を提供してくれていただけにナムコが衰退していくのは悲しかったな。
仮面ライダーエグゼイドにはパックマン、ファミスタ、ゼビウス、ギャラクシアンがフォームとして出ていたなぁ
最近配信動画で「エグゼイド」の映画を見たけど、「ゼビウス」の巨大アンドアジェネシスが洋画「ピクセル」のゲームキャラのごとく攻撃してきたのを見て洋画「インデペンデンス・デイ」のようでビビった!!!
もしバンダイがナムコと合併しないで、当初の予定通りセガと合併していたらナムコはどうなっていたのだろう?
バンプレストとも。
3:48 優遇ってより、宇田川さんがファミコンを独自解析したから、任天堂の、縛りの緩い方を選択できたからなのでは?ua-cam.com/video/K2nn0OsaGD4/v-deo.htmlsi=nj8F7zymhKf5ot_3
池袋ナンジャタウンもナムコですよね!
そうです。
何処にも一切話が出てないですが、スーパーファミコンの終焉まじかの時、ナムコは自社で家庭用ハードを開発して発売しようとしてましたが、突如その話は消え、直ぐその後プレステの発表があったのを覚えてます。
必要無くなったからねだってソニーから提携を持ちかけられて同盟を結び、当時ナムコが得意としてた3DグラフィックのゲームをそのPSで出せるようになったからしかもソニーからはPS互換基板をアーケードに転用していいと許可を得たため、ローコストで自慢の3Dをアーケードでも発揮できるようにもなった。それで生まれたのが鉄拳
動画を見ている方へ、このチャンネルはゲームの歴史にくわしくない人がつくっています。3:35 「初期メンは全部で6社いて」 間違いです。ナムコ・ハドソンの最初期メンバー二社に、OEM契約を果たしたアイレム、コナミ、サン電子、ジャレコ、タイトー、バンダイの6社、計8社です。カプコンはOEM契約を果たしておらず、任天堂製のカセットを使用しています。ナムコが得に優遇されていたのは、まだサードパーティ契約をどうやったらいいのかわかってない任天堂がナムコとハドソンに本数制限を課してなかったからです。本数制限が必要だと気がついたのはその後の話です。6:26 「売上面でも技術面でもトップを爆走中だったんだ」 セガがいます。当時のアーケードはセガ・ナムコの二大巨頭でした。ちなみに任天堂はこの二社の売上を足してもまだ届かないくらいでした。7:44 「その比重は以前より完全にPCエンジンやメガドライブといった他のハードに移っていったんだ」 91年にSFCに参入し、逆にPCエンジンは92年のドルアーガの塔を最後に撤退しています10:34 「唯一発売したのがファミスタ64」 海外でリッジレーサー64を発売してます。細かな間違いはあげたら切りがないので書きません。真面目に動画をつくりましょう。
ゲームが一本当たると儲けた金でさらに開発費をかけて続編を開発するけど、ユーザーは『前と同じだから飽きる』で企業と消費者の乖離がある。 開発費は上昇するのに売上は半分になっていく。
『鉄拳』は、今では『ポッ拳』もあるし…GCでも『ドンキーコンガ』発売されたし😢
アイマスとか色々ありがとう。ダンシングアイ、ワープマン、バトルシティとか続編欲しい
ナムコの社長 中村氏は今も経営に携わっていますか。
ナムコは、リブルラブルとか、メタルホーク良かったな。アイドルマスター以降は、よくわからん。ワンダーモモってある意味、キャラ萌え???のはしりのゲームもリリースしてはいるんだが。
と言うかナムコはギャルゲーメーカーだったよなw
ワルキューレ、ダンシングアイ、アイマス、鉄拳?
ナムコは任天堂とのイザコザ以降確かに任天堂以外のハードに協力的だったけどセガにはあまり協力的にはならなかったアーケードでバチバチにやり合ってたからセガに力添えはしたくないってナムコは自社ハードを2回計画したけどどちらも検討のみで終わらせた16ビット機と32ビット機後者の開発コードはnc1(ナムココンシューマ1)コンシューマハードやるなら当時としては絶対的にRPGが必要だったけどFFとDQが任天堂以外のハードでリリースなんて当時ほ誰もがありえないと思ってた所でテイルズって傑作が出来た事は大きかったと思う当時のRPG至上主義は他社もやっぱり気にしてたようでPS初期はSCEでRPG作りまくりだった後にまさかFFもDQもPSにとは誰も想像出来なかっただろうし
PS2までが好きだったな~(^O^)/
“衰退”ですか・・・2:10ぎゃ、ギャラクシップが見えねぇ~?!(惜しい)2:45ここはファミコン版じゃなくてアーケードを・・・あ、また『見えない部分』が出てくるからこれは正しい選択、か?!(汗&苦笑)・・・ちょ?3:20もうファミコン時代の話ですか?パソコン(MSX)やソードm5版とかの歴史にも触れてもらいたかったなぁ(苦笑)。・・・果たしてナムコはバンダイと合併して“衰退”したのだろうか??(汗)確かにゲーム分野の活躍は最近とんとお目にかからなくなってしまったイメージはあるけど・・・ね。・・・あ。11:35&12:23&12:38ああ、こういう歴史を経てきて『今』があるのか(汗汗)。13:07その流れの中でハドソンもウィンキーソフトも“飲み込まれて”消えていってしまったのか・・・無念だ!!(泣)■■■■■■■■■■■■■■■・・・ファッ?!13:19いつの間にセガは任天堂と“手を組んで”いたんだぁ~?!(驚&苦笑)幻の“セガバンダイ”がよもや『こんな形』になろうとはな・・・(汗)。■■■■■■■■■■■■■■■↑訂正します!!!□□□□□□□□□□□□□□□13:19ここ!別に任天堂とセガサミーが手を組んだわけじゃないんですね?『任天堂【、】セガサミーホールディングスに次ぐ・・・』『、』が必要!&大事!と、つまりはゲーム業界第1位の任天堂、第2位のセガサミーホールディングス、第3位のバンダイナムコホールディングスと言いたかったわけですね動画アップ主さん?□□□□□□□□□□□□□□□わし早とちり&勘違いしてしまいました~!!!お騒がせしました!!さてそのバンダイナムコホールディングス。たとえ『ゲーム』には活かされなくても、『他の分野』にナムコの技術が活かされていれば、それはそれで・・・『活かされてる』?!(汗汗)『ハドウ(波動)』とかいうVRアトラクションに負けるな?!(苦笑)“360度全スクリーン筐体”とか開発してくれぇ~!!!(笑)あ、ナムコの歴代ゲームについて語り出すときりがないのでわしは割愛します!(笑)サムネイル画像&動画タイトルと概要での説明に“誤差”がありますよね・・・“釣り”ですか?(汗&焦)話はそれるけど、12:44この辺りから解説と画面の映像がまるで噛み合っていないよね?解説に耳を傾けると映像が目に入らないし、映像に集中すると解説が耳に入ってこなくなる~?!(汗&焦&苦笑)あとで見直そう!12:44・・・というわけで『ナムコミュージアム』の宣伝映像動画でした~?!(爆&苦笑)
ラッキー&ワイルドが人生で初めて遊んだナムコゲームかつガンシューティングゲームでしたあれを超えるナムコゲームはありませんよ、自分の中で何度ノーコンティニュークリアしたことだろう。数えきれないくらい遊んだ。一番好きなキャラはテイルズオブデスティニー2のリアラですけどねw(次点でソウルキャリバーのソフィーティアとカサンドラ)
こういうことあるから任天堂好きじゃないんだよね
どうも中村さんがゲーム以外の色々な事を考えてて(例:映画)それが収益に結びつかなかったのがでかいんじゃないかと思ってる。もちろん有能な人ではあったと思う。83年の時点でゼビウスというゲーム外で展開できるストーリーを持ったゲームの存在は驚異的だと思う。
京都の組長も玩具以外色々やって全部失敗して、原点に戻ってようやく成功しているので異業種参戦は昔からハードルが高いのかもしれませんね。
ナムコのゲーム内容における(他メーカーと大きく差をつけた)黄金期は80年代前半かと思います。ナムコとバンダイってセガに振られた同士の合併ですよねwナムコの由来はおおむね一致してるのですが季刊NGと月刊NGとファミ通のインタビューで細かい表記が全部違っていたような・・・多分中村会長含めざっくりしてたんでしょうねw以下はネット以前には見聞きしたけど最近聞かないナムコに関するうわさ。・課長昇進試験の受験資格に回数制限があり、それを嫌って退職した大物もいるとかいないとか・・・・第1回AOUショーで関係者の振りをした他メーカーの人間がギャラクシアンを筐体毎持ち去りコピー基盤をつくった。関西系の有名メーカー?
ナムコはセガに振られたのではなく合併をセガに提案して勝手に撤回しただけですよ
@@INTEGRATYPE_R 降られたわけではないのですね。ご指摘ありがとうございます。なんかこうそうしといた方が「アオハルかよ」って感じで調べずに書きのでしまいました。
バンプレストは?
@@ふみこりかりえあぁ、言われてみれば確かにセガバンダイ構想の先駆けw
確かにナムコがいなければソニーのゲーム業界での躍進はあり得なかったでしょう。天狗になっていた任天堂に対してナムコ・スクウェアの謀反は結果的にゲームを発展させみんなを幸せにした。
その後は合併、倒産、吸収地獄で今の惨状だけどな
その任天堂が崩壊したから困った事になったのですが。もし岩田社長の逆転の発想によるWiiやDSがヒットしなかったら今頃は任天堂がゲームハード業界から撤退していた可能性すらあるのですし
07年になって太鼓が任天堂ハード入りしたし、その際に『任天堂形式』の「LR使わない太鼓演奏」も確率したり。
>唯一発売したのがファミスタ64~ 海外だとリッジレーサー64出してるんだよなぁ…PSのキラータイトルのはずなのに64で出してる辺り保険のつもりなのかねぇ
そして、屋内アクティビティ施設、スペースアスレチックトンデミが爆誕する!!
バンダイとナムコの事業内容がバッティングしていないという話ですが統合当時のナムコが日活株を保有していた事を忘れてはいけません。
カムライ~神来~楽しかったな。戦闘システムは難しかったし好感度システムもよく分からなかった記憶あるけど、それはそれ。
あれのキリハというお姉さんヒロインがドストライクでタイプでした
セガ・サターンでソフトを出さなかったな
う~~ん…昭和50年生まれで、「ゲームはナムコ~!」の「黄金時代真っ只中」に生きていた僕から見ると…1988年、ゲーセンに「未来忍者」が出た瞬間…「え?コレがナムコ作品なの?」という違和感を覚えました。「任天堂の優遇が終わった」のは…「未来忍者」などに端を発する…「(待遇面などなどを含めた)天才開発者が次々と辞めてしまったせいで、ナムコ作品の質が徹底的に低下したせい!」だと思うのですが…
プレイステーションは鉄拳・リッジレーサー・エースコンバットが最強!
ここ制作者が定期的に流出したりいなくなったりするんだよねぇ…。 神様は死に悪魔はエビゾーと去った。 バラデュークとファミスタ作ったきっしいもコエテクに行ってしまった。 3D技術者はナムコとセガを行ったり来たり。 カプコン程ではないせよ人材に対して報酬を厚くするとか大切にするべきでは?と思う次第です。
塊魂20周年おめでとう
速くエースコンバット8を出して欲しい😸
テイルズでよくやっていた移植完全版とかあれはちょっとな。
源平の前あたりで低迷した時期なかったかなぁ?
♪ゲームはー ナムコーが印象的だったCMを覚えているおじさんも多いはずラジアメリスナーはいる?
ワニワニもナムコだったのか
ナムコって言うと家庭ゲーム機だとテイルズシリーズが有名だが自分は風のクロノアがすこ過ぎてクロノアチーム解散でもう新作は望み薄なのが悲し過ぎた😢
まともにプレイしたことあるのテイルズオブファンタジアくらいだなあ凄く面白くて大好きだっただけに期待に胸膨らませて買ったデスティニーが(私としては)ちっとも面白くなくて、おかげで私のテイルズ人生は凄い短命で終わったんだったわ
いやいや、ゲームセンター事業はコンシューマー事業(家庭用)とは完全に別だから、テーマパークとかの不採算は関係ない。純粋にコンシューマーの不採算。その時代は、外注への依存が始まった時代なので、それが影響しているのだと思う。プレイステーションに開発バイアスを書けたのではなく、システム22は業務用プレイステーションなので、アーケードからの移植を行っただけ。
昔は伝説のゲームメーカー、今は…アイマスと鉄拳くらいしか残ってない。(アーケードアーカイブスは復刻なので除く)バンダイと合併したのがトドメ刺しちゃった感じだなぁ。合併に際して方向性が違うと不幸になるよね…
バンダイに完璧飲み込まれたという結果ですねえ見事なまでの完全吸収合併という結果になりましたスクエニでスクエア部分が未だに残っていて幅を利かせているのとは対照的です…
@@smithkakuta7361 バンダイとナムコのゲームの完成の在り方が全く違うそうで、法個性の違いからナムコ側のスタッフが辞めまくったのかなぁって邪推してしまいます。結局バンダイはコンテンツが欲しかっただけなのかねぇ?
@@ふみこりかりえ バンプレストもアーケードゲームリリースしなくなって久しいですね。
98年頃なら日活支援が痛かったんじゃないかね
ナムコだけではなくゲーム業界自体が20年ぐらい前から徐々に衰退しているような気がするね。
こうやってINTI渋谷も閉店して行ったんですね。。。今や吉本になってしまった
私も妖怪道中記は大好きですよ。PS2で一番遊んだゲームは熱チュープロ野球2003ですね。ナムコといったらプレステ、というイメージがあるのは任天堂に不満があったからですか。初めて知りました。
「NAMCO」と聞くと楽しかった思い出が懐かしく蘇ってくる
が、それが「バンナム」となると怒りと失望しか湧いてこない
合併はしかたなかったにしても、ここまで落ちぶれるものなのか…
バンダイナムコはソシャゲで搾取の鬼ですよ😂
今はガンプラをはじめとするホビー部門の黒字でデジタル部門の赤字を埋め合わせさせられてるわけですが。なんでもいいからちゃんと稼いでよナムコ
@@takareal1757 マリカ8作ってるからなぁ一概に悪いとは言えないなぁ
ファミコンもPCエンジンもプレステもナムコ無しでは成功はなかったかもしれない
そんな偉大なメーカーなだけに、今の現状は寂しい限りです
サイバースレッド好きだったなぁ
セガ「…」
ナムコって、ファミコンとかのパッケージイラストのデザインセンスが優れてると思う
80年代はまさに神メーカーだった
クリエーターもゲーマーもみんな憧れた
なんでこんな事に😢
@@himi4789 ガチャとオンライン商法がゲーム全てを駄目にしたような気もする。
90年代半ばも3Dをセガと共に二大巨頭の一角を担って発展させたり大型筐体で多くのヒット作を出していたりと神がかっていた
今や見る影も.....最近ではアケアカに参入して移植されてなかったゲームを移植を積極してくれるようになったのは嬉しいけど......
ナムコのゲームは好きだったけど
ファミコンの初期はすごかった
PCエンジンの初期はすごかった
プレステの初期はすごかった
このイメージです
ナムコは昔社員の一人が会社のハードディスクを横領し転売した事件もありました
神奈川県庁のハードディスク転売事件の富士通の子会社を思い出しました
バンダイとナムコというとファミコンで出したマクロスのゲームの開発がナムコだったな
源平討魔伝、当時あのデカいキャラがスムーズに歩いていたのにはホントにびっくりしました。歩くだけでなく刀を振り下ろしていましたから。
もう40年近くになりますかね。ホントに当時からナムコって凄かったんだなと今でも思います。
同意。
キャラがジャンプしたりのアクション全般の動きの素早さに衝撃を受けた。
今でも目に焼き付いてる。。。
ナムコミュージアムと、アンコールは今でも大事にしている。名作揃いで小中学生時代の頃遊びまくった。(ゲーセンも)カプコンと二大巨頭だった。(個人的に)
あれはほぼ神移植です。🎉🎉
ドルアーガとワルキューレについてはそのままアーケードにての活用が使えます
ほとんどの人が見向きもされなかったけど、自分の中ではティンクルピット(1994)が80年代ナムコテイストを感じる最後の作品でしたね。
長らく移植されませんでしたけど、つい先日アーケードアーカイブスに移植されました。
リッジレーサー全部入り、死ぬ前にやりたいです。
リッジレーサー復活のお布施として、泣きながらプレステプラスプレミアムに入りました
(R4とリッジレーサーズがやりたいばっかりに)
レイブも収録希望
90年代の都内二子玉川にあったナムコワンダーエッグはドルアーガの塔とかゲームをテーマにしたパークで
楽しかった。
テーマパークまで作ったゲーム会社だったのに
ナムコはパックマン、ギャラガ、ゼビウスいろいろやったけどファミコンだと独特のパッケージに入ったヤツをよく買ったなあ。ファミスタ、ドラゴンバスターなどなど。メトロクロスも好きでした。
ナムコに限った話ではなく、アーケードが衰退したのは、家庭用ゲーム機器がアーケード同様高性能に進化し、ゲーセンいかなくてもというのが大きい。アフターバーナーⅡが家庭用に完璧に移植されてゲーム機器で遊ぶ様子がアニメボーグマンで描かれていたが、当時そんな家庭用ハードはなく、そんな時代がホントやってくるのか?と思いつつ見てた。でもそれは現実になった。同時にゲーム会社は爆発的に増えて増えすぎたというのも。既存のゲーム会社はそれらに勝てず、過去の作品を焼き直しするだけの企業に成り下がり、優秀なクリエイターは他社に移り分散してしまった。
かつてナムコのアーケード営業の補助業務でバイトしてました。
ナムコ推しなのは今でも変わりません。当時セガの出店進出凄まじくなにがナムコと違うんだろうとは思ってましたが、その後セガの凋落を見るに財務状の無理をゴリ押しして競合駆逐に奔走しすぎていたのかなぁと。。
華やか見えていた業界でナムコも決して安泰ではなく開発コストのキャッシュフローはやっぱこの時期ピークを超えてたんでしょうね。デカいから安定などの理屈が通らない業界なのは昔も今も変わらないように見えますね〜!
ワルキューレの伝説やマーベルランドの頃のナムコゲーム目的でゲーセン通いしてた思い出。
トイポップはメルヘンチックな見た目とは裏腹にザコ以外の敵はそれに対応した武器でないと倒せない高い難易度だが、画鋲でないと倒せないドムドム(風船みたいな奴)が大量に湧くのに画鋲が出現しないラウンドがあって、その為に少し前のラウンドから画鋲を持ち越して行かないといけない戦略性を要求されるところなど、ある意味でナムコらしい骨太で玄人受けするゲームだった。
今のように情報が無い時代、玉石混合のファミコンソフトが大量に販売されていた時に、ナムコのソフトは安心して買えた。
それだけに現状は寂しいですね。
近くの喫茶店のテーブル型のゲームでは必ずと言って良いほどナムコのゲームが遊べた、唐揚げとドリンクのセットをいつも頼んでは1時間ぐらいやってた時代が懐かしい
アウトフォクシーズ移植を今でも待ってる
おお同志よ!!
幼稚園の頃ギャラクシアンを喫茶店でやったのがnamcoとの出会い😊
久夛良木Jrが来てからなぁ・・・
任天堂がソニーにスーファミCDロムを出させればソニーは勝手に自滅しただけに山内社長の完全な判断ミスでしたね。しかもソニーの代わりにスーファミCDロムを開発すると発言したフィリックス社まで裏切る形となりましたし
個人的にナムコのゲームの質の低下は、90年代後半から始まったクリエーターを前面に出す流れを受け入れなかった所にあるんじゃないかと
貝獣物語(ファミコン版)、じゅうべえくえすと、三国志、独眼竜政宗……、この辺りがナムコで好きなゲームだったな……😊
開発費高騰、それによるベテランの減少、技術革新による新人の参加の容易さ、ダウンロード商法、、、
稼げるゲームを目指すために、面白いゲームが作りの環境が作りにくい環境ができやすいのはどこも同じなのかな?
switchが発売される前だけど、リクルートやマイナビなど転職企業から
任天堂が「本物のゲームプランナ」を探していると聞いたが頷ける理由だな
相手がバンダイはねぇーなぁ。当時は思ったよ。
バンダイ、バンプレスト、その他のバンダイ系開発会社・・・・・・。
キャラクターが無かったらマジクソゲーばっかりだったもの。
バンダイ+ナムコで物凄いゲームができるかもと期待していました・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
ナムコが底なし沼に足を取られてしまいましたとさ。チャンチャン。
『グロブター』(ゼビウスのスピンオフ)・『プロップサイクル』・『ミスタードリラー』・『ボスコニアン』もやった事ある。
DLC商法と完全版商法をゲームメーカーに根付かせた罪はあまりに重すぎる
〇國志&〇長の野望"パワーアップキット"
〇国無双"猛将伝"
某メーカーも片棒担いでるんで便乗
DLCはまだしも(せいぜい衣装やBGM追加程度でガチャ方式じゃなければ個人の好みで買う買わない決まる程度なのでセーフ)、
完全版商法は正直詐欺も良いところ.....
昭和の昔、ゲーセン配布の小冊子NGの通販でポスターTシャツ缶ペンケース等買ってただけの田舎のゲーム小僧に、毎年ナムコキャラの年賀状を送ってきてくれた思い出…
最初期のウィニングランのDX筐体を、確かマイケル・ジャクソンが持っていた筈。
それとバンダイとの合併は悪くなかったと思う。戦場の絆は、このコンビじゃなかったら出来なかったろうし。あれが20年も続いたのは凄い。ゲームセンターは、もう無くなるだろうし、いい時代に生まれ育ったと思う。
タイムクライシスの新作早く出してくれ〜
せっかくのガンコンを使いたいんじゃ〜!
プレステのマザーシステムは、ナムコが開発していたんだよね。
アーケード用のマザーを家庭用に直した物。
後、ロイヤリティ面でファミコン初期に優遇されていたから、アーケードの他メーカーソフト(主にデコ)なんかも、それを利用して荒稼ぎしていた。
1990年代までは、多くのゲームメーカーがディズニーを目指して活躍していたのだが、その過程で掛かる莫大な費用等に多くのメーカーが没していく事になる。
逆だよ逆
ソニーが開発してたマザーの性能をソニー側から「見て欲しいものがある」とナムコは呼びかけられて、見せてもらったところ「家庭用(価格帯)クラスのハードでここまで3Dを表現できるとは....」と圧倒され評価。そして当時、汎用筐体で伸び悩んでたナムコは大型筐体で成功した3D技術を汎用筐体に流用できるローコストの3D基板が丁度欲しかったこともあり、ソニーに「積極的にソフトを卸して技術提携もするから、そのマザー(基板)をどうかうちの業務用基板の一つに流用させていただけませんでしょうか?」という取引を提案し一方でゲーム業界デビュー間もなかったせいで自社ソフト資産が無く他社の参入が欲しかったソニー側も承諾、利害一致となり、お互いに同盟を結んだ関係になった。
塊魂とかミスタードリラー、もじぴったん辺りを作ってた頃が一番好きだったな
ワンダーモモでカメラ小僧から「フォーカスチャンス!」とパンツを撮られると恥ずかしくて怯む演出が、ある意味で男心をわかっていて好きだった。
ただキモい。
売上至上主義みたいなんがあったんじゃないかな?新しいゲームが出なくなり、採算が見込める続編しか売れなくなった。業界全体がそんな中で次第に続編も飽きられなんとか生き残る為に合併するしかなかった。
どの会社もそうですからね。コエテクなどもそうですし
どの会社も任天堂を裏切った訳ではなく任天堂ハード以外にもゲームを出さないと利益が見込めない時代になっただけの事ですし
ナムコ……。1980年代.この名を口にしただけで心トキメイていた✨綺羅星の如く.アーケードゲームを発表。パックマン、ギャラクシアン、ラリーX、ギャラガ、マッピー、ポールポジション、キリが無いね😆しかし、今のバンナムは😭悲しいね。
やっぱりゲーム以外の部分で赤字だしてたのか。あれだけヒット作あるのに。
サターンからセガ派になったのでサターンメインの頃はあまりナムコのゲームやらなかったな。
もちろん鉄拳も無視してた(というか最初にプレイした時操作がわけわからず、そのあとやる気なくなった)
ドリームキャストで1本だけど出してくれてありがたかった。
ナムコ時代自社開発に甘く下請け会社に厳しい会社だったので開発力の高い会社に嫌われて逃げられたのが
大きかったかも知れませんねえ、ナムコ関係の開発は予算がタイトな割に厳しい要求を突き付けて来られたので
数タイトルで辞めて競合他社の大手に乗り換えてましたわ
その下請けにはアトラスも入っていて独立して成功しました
で、今、そのアトラスことインデックスはどうなりましたっけ……おっと、今は会社じゃないですねw
一番でかい魚だったのがクインティ開発したゲームフリークでしょうね
でもポケモンは任天堂がバックにいたからあそこまでうまくいったんでしょうが
ナムコだとあそこまで肥大化した版権問題とか上手にまとめられないような気がする
@@NUE-L-e6s様
あら、アトラスって今はそうなのか😢
メガテンシリーズとプリクラだっけ?
@@しぐれん-v1d
ああバンダイとナムコ権利関係に関してガバガバでしたね。
昔はブイブイ言わせてたメーカー。今は鉄拳とアイドルマスターが心の寄す処。
ワルキューレもドルアーガもファミスタも無いんだね😢
@@菅原のしゅん お返事くださりありがとうございます。全くその通りです。
かつての大ヒットシリーズはことごとく捨てられました。で、残ったのが前述の二本。
かつては、黄金時代を支えてくれた一流メーカー。今は見る影もない。
リッジレーサーもタイムクライシスも死んでしまった
@@kamameshi0804 お返事くださりありがとうございます。おお、我が同士よ!
みんな、あの日に帰りたい!
ナムコがバンダイに吸収された話は知っていました。ゲーセンで、よくプレイさせて貰いました。
最初に買ったファミコンのカセットは「マッピー」だったな~
ファミスタとかDDS女神転生とか、よくプレイしましたね
最近はご無沙汰ですけど
ナムコはファミスタを筆頭にファミリー〇〇ってイメージ
バンダイはビデオゲーム製作についてはダメだけど、製造業として世界最高水準の金型技術を持っており
さらに強力なコンテンツを多数所有して巨大な製造拠点と販路もある
私はナムコとバンダイは良い合併だったと思います
バンプレストも。
動画の趣旨と関係ないのですが 1:13 からのBGMなんて曲なんですか?
誰からも相手にされなかったコメ😅
一番好きなゲーム会社
この先更に合併などをするかも知れませんが
いつまでも遊び心を忘れないで欲しいです
「遊び」をクリエイトする
これ以上のキャッチコピーを私は知りません
そういや、タイムクライシス2もナムコだったなぁ。あれはめちゃくちゃハマった
ナムコと言えばPS1の時にソニーがナムコの為にソフト通し番号の765をキープしていたって話があったな あれって本当の話なのか
同盟を結んだくらいだからね、ナムコが技術提携とソフト積極的に卸す一方でソニーがナムコにPS基板をアーケードに流用することを許可するという相互取引した形で。
そしてその契約時にソニーから「リッジレーサーの発売日がプレイステーションの発売日です、それでよろしいですね?」と言わしめたそうで(だからリッジレーサーのソフト品番も「1」と、発売日がローンチだっただけでなく名実共にPSの最初の1枚目のソフトとなっている)
ロケーション事業(ゲーセン)が稼げなくなってナムコは身売りしました。ビデオゲームは開発費高騰でワンプレイ100円玉では元を取れなくなり撤去。クレーンゲームを主力にしたものの景品代も高騰しお客さんがなかなか取れない設定にしないと儲けが出ない。そんな感じで負の連鎖になっちゃった。けどナムコのゲームは本当に独創的で面白かったしナムコのゲームには外れはなかったです😊ナムコ大好き!
80年代、どこの駅前にもタイトーがあって、セガも多かったが、ナムコは直営店が少なく、折半レンタルが多かった
任天堂は玩具店へのレンタルが多かったが、ナムコは多くのゲーセンへのレンタルをしていた
個人経営店から、ダイエーレジャーランド(現モーリーファンタジー)のような大手まで様々な店にレンタルしていた
ナムコは直営店多くて成功してた方だと思ってたんだけどなぁ
実態は違ってたのか.....
@@kamameshi0804 屋上遊園地から始まっただけに、そういう立地の店舗は多いですが、多くが共同運営かレンタルで、ナムコの名前が出ていない店の方が多かったです
(セガやタイトーは共同運営でも屋号や設備でわかったけど、ナムコの共同運営店の多くは屋号にナムコの名前がなかった。もちろんある方が有利ではあるが客層が偏るのとオーナー側のイメージを優先するなどで隠される事も多く、NGなどで初めてそこがナムコ系とわかる事もあった)
@@Feverplum セガやタイトーとは方向性を変え、ファミリーで楽しめるロケーションを曲げなかったのは、創業者の理想が間違っていなかったことを、今だからこそ感じることがあります。
蒲田東急プラザ屋上の直営店は、今でもBNEIの社員研修で活用されています。
King of Kingsと女神転生2、遊びまくった
90年代は一年おきに各ジャンルで名作シリーズの一作目を出してた。
1993:リッジレーサー
1994:鉄拳
1995:テイルズ(テイルズオブファンタジア)
1996:タイムクライシス
このうち今でも生き残ってるのは鉄拳とテイルズだけという....
やっぱり会社規模の大きな社風に侵されていく傾向が強くなるね
エースコンバット以外の名作が消えてしまったのは残念
ファミコン初期勢からしたらナムコなんて面白いソフトしか作ってなかったイメージ
インベーダー
→ギャラクシアン
ヘッドオン
→パックマン
ベースとなるゲームの仕様を改変して。自社オリジナルの独創性を世に出していくいい会社でした。
ソレが、バンダイというクソメーカーと組んだばかりに、近年はキャラクター主体で独創性が薄れていったかのように思えます。
ナムコの深夜ラジオが好きでした!ゲームはナムコー
確か、銀行から出向してきた社長が成果主義を導入して、売り上げ至上主義になってしまったのがトドメでしたね。
女神転生も最初はnamcoから販売されてた
ナムコが昔バンダイと組んでファミコンソフトを開発していたから統合もスムーズだったのかもね。
今ではガンダムゲームで救われてる部分もあるんじゃないかな。
ワンダーエッグは昔遊びに行ったことあるけどギャラクシアン3とか維持に金がかかりそうだったもんなぁ。
ゲームセンターのキャロットもナムコのゲームを遊ぶんだにはメンテも良くて好きだった。
とても楽しい遊びの場を提供してくれていただけにナムコが衰退していくのは悲しかったな。
仮面ライダーエグゼイドにはパックマン、ファミスタ、ゼビウス、ギャラクシアンがフォームとして出ていたなぁ
最近配信動画で「エグゼイド」の映画を見たけど、「ゼビウス」の巨大アンドアジェネシスが洋画「ピクセル」のゲームキャラのごとく攻撃してきたのを見て洋画「インデペンデンス・デイ」のようでビビった!!!
もしバンダイがナムコと合併しないで、当初の予定通りセガと合併していたらナムコはどうなっていたのだろう?
バンプレストとも。
3:48
優遇ってより、
宇田川さんが
ファミコンを
独自解析したから、
任天堂の、
縛りの緩い方を
選択できたからなのでは?
ua-cam.com/video/K2nn0OsaGD4/v-deo.htmlsi=nj8F7zymhKf5ot_3
池袋ナンジャタウンもナムコですよね!
そうです。
そうです。
何処にも一切話が出てないですが、スーパーファミコンの終焉まじかの時、ナムコは自社で家庭用ハードを開発して発売しようとしてましたが、突如その話は消え、直ぐその後プレステの発表があったのを覚えてます。
必要無くなったからね
だってソニーから提携を持ちかけられて同盟を結び、当時ナムコが得意としてた3DグラフィックのゲームをそのPSで出せるようになったから
しかもソニーからはPS互換基板をアーケードに転用していいと許可を得たため、ローコストで自慢の3Dをアーケードでも発揮できるようにもなった。それで生まれたのが鉄拳
動画を見ている方へ、このチャンネルはゲームの歴史にくわしくない人がつくっています。
3:35 「初期メンは全部で6社いて」 間違いです。ナムコ・ハドソンの最初期メンバー二社に、OEM契約を果たしたアイレム、コナミ、サン電子、ジャレコ、タイトー、バンダイの6社、計8社です。カプコンはOEM契約を果たしておらず、任天堂製のカセットを使用しています。
ナムコが得に優遇されていたのは、まだサードパーティ契約をどうやったらいいのかわかってない任天堂がナムコとハドソンに本数制限を課してなかったからです。本数制限が必要だと気がついたのはその後の話です。
6:26 「売上面でも技術面でもトップを爆走中だったんだ」 セガがいます。当時のアーケードはセガ・ナムコの二大巨頭でした。ちなみに任天堂はこの二社の売上を足してもまだ届かないくらいでした。
7:44 「その比重は以前より完全にPCエンジンやメガドライブといった他のハードに移っていったんだ」 91年にSFCに参入し、逆にPCエンジンは92年のドルアーガの塔を最後に撤退しています
10:34 「唯一発売したのがファミスタ64」 海外でリッジレーサー64を発売してます。
細かな間違いはあげたら切りがないので書きません。真面目に動画をつくりましょう。
ゲームが一本当たると儲けた金でさらに開発費をかけて続編を開発するけど、ユーザーは『前と同じだから飽きる』で企業と消費者の乖離がある。 開発費は上昇するのに売上は半分になっていく。
『鉄拳』は、今では『ポッ拳』もあるし…GCでも『ドンキーコンガ』発売されたし😢
アイマスとか色々ありがとう。
ダンシングアイ、ワープマン、バトルシティとか続編欲しい
ナムコの社長 中村氏は今も経営に携わっていますか。
ナムコは、リブルラブルとか、メタルホーク良かったな。アイドルマスター以降は、よくわからん。
ワンダーモモってある意味、キャラ萌え???のはしりのゲームもリリースしてはいるんだが。
と言うかナムコはギャルゲーメーカーだったよなw
ワルキューレ、ダンシングアイ、アイマス、鉄拳?
ナムコは任天堂とのイザコザ以降確かに任天堂以外のハードに協力的だったけど
セガにはあまり協力的にはならなかったアーケードでバチバチにやり合ってたからセガに力添えはしたくないって
ナムコは自社ハードを2回計画したけど
どちらも検討のみで終わらせた16ビット機と32ビット機
後者の開発コードはnc1(ナムココンシューマ1)
コンシューマハードやるなら当時としては絶対的にRPGが必要だったけどFFとDQが任天堂以外のハードでリリースなんて当時ほ誰もがありえないと思ってた所でテイルズって傑作が出来た事は大きかったと思う
当時のRPG至上主義は他社もやっぱり気にしてたようでPS初期はSCEでRPG作りまくりだった後にまさかFFもDQもPSにとは誰も想像出来なかっただろうし
PS2までが好きだったな~(^O^)/
“衰退”ですか・・・
2:10
ぎゃ、ギャラクシップが見えねぇ~?!(惜しい)
2:45
ここはファミコン版じゃなくてアーケードを・・・あ、また『見えない部分』が出てくるからこれは正しい選択、か?!(汗&苦笑)
・・・ちょ?
3:20
もうファミコン時代の話ですか?パソコン(MSX)やソードm5版とかの歴史にも触れてもらいたかったなぁ(苦笑)。
・・・果たしてナムコはバンダイと合併して“衰退”したのだろうか??(汗)確かにゲーム分野の活躍は最近とんとお目にかからなくなってしまったイメージはあるけど・・・ね。
・・・あ。
11:35
&
12:23
&
12:38
ああ、こういう歴史を経てきて『今』があるのか(汗汗)。
13:07
その流れの中でハドソンもウィンキーソフトも“飲み込まれて”消えていってしまったのか・・・無念だ!!(泣)
■■■■■■■■■■■■■■■
・・・ファッ?!
13:19
いつの間にセガは任天堂と“手を組んで”いたんだぁ~?!(驚&苦笑)幻の“セガバンダイ”がよもや『こんな形』になろうとはな・・・(汗)。
■■■■■■■■■■■■■■■
↑
訂正します!!!
□□□□□□□□□□□□□□□
13:19
ここ!
別に任天堂とセガサミーが手を組んだわけじゃないんですね?
『任天堂【、】セガサミーホールディングスに次ぐ・・・』
『、』が必要!&大事!
と、つまりは
ゲーム業界第1位の任天堂、第2位のセガサミーホールディングス、第3位のバンダイナムコホールディングス
と言いたかったわけですね動画アップ主さん?
□□□□□□□□□□□□□□□
わし早とちり&勘違いしてしまいました~!!!お騒がせしました!!
さてそのバンダイナムコホールディングス。
たとえ『ゲーム』には活かされなくても、『他の分野』にナムコの技術が活かされていれば、それはそれで・・・『活かされてる』?!(汗汗)
『ハドウ(波動)』とかいうVRアトラクションに負けるな?!(苦笑)“360度全スクリーン筐体”とか開発してくれぇ~!!!(笑)
あ、ナムコの歴代ゲームについて語り出すときりがないのでわしは割愛します!(笑)
サムネイル画像&動画タイトルと概要での説明に“誤差”がありますよね・・・“釣り”ですか?(汗&焦)
話はそれるけど、
12:44
この辺りから解説と画面の映像がまるで噛み合っていないよね?解説に耳を傾けると映像が目に入らないし、映像に集中すると解説が耳に入ってこなくなる~?!(汗&焦&苦笑)あとで見直そう!
12:44
・・・というわけで
『ナムコミュージアム』
の宣伝映像動画でした~?!(爆&苦笑)
ラッキー&ワイルドが人生で初めて遊んだナムコゲームかつガンシューティングゲームでした
あれを超えるナムコゲームはありませんよ、自分の中で
何度ノーコンティニュークリアしたことだろう。数えきれないくらい遊んだ。
一番好きなキャラはテイルズオブデスティニー2のリアラですけどねw
(次点でソウルキャリバーのソフィーティアとカサンドラ)
こういうことあるから任天堂好きじゃないんだよね
どうも中村さんがゲーム以外の色々な事を考えてて(例:映画)それが収益に結びつかなかったのがでかいんじゃないかと思ってる。もちろん有能な人ではあったと思う。83年の時点でゼビウスというゲーム外で展開できるストーリーを持ったゲームの存在は驚異的だと思う。
京都の組長も玩具以外色々やって全部失敗して、原点に戻ってようやく成功しているので異業種参戦は昔からハードルが高いのかもしれませんね。
ナムコのゲーム内容における(他メーカーと大きく差をつけた)黄金期は80年代前半かと思います。
ナムコとバンダイってセガに振られた同士の合併ですよねw
ナムコの由来はおおむね一致してるのですが季刊NGと月刊NGとファミ通のインタビューで細かい表記が全部違っていたような・・・多分中村会長含めざっくりしてたんでしょうねw
以下はネット以前には見聞きしたけど最近聞かないナムコに関するうわさ。
・課長昇進試験の受験資格に回数制限があり、それを嫌って退職した大物もいるとかいないとか・・・
・第1回AOUショーで関係者の振りをした他メーカーの人間がギャラクシアンを筐体毎持ち去りコピー基盤をつくった。関西系の有名メーカー?
ナムコはセガに振られたのではなく合併をセガに提案して勝手に撤回しただけですよ
@@INTEGRATYPE_R 降られたわけではないのですね。ご指摘ありがとうございます。
なんかこうそうしといた方が「アオハルかよ」って感じで調べずに書きのでしまいました。
バンプレストは?
@@ふみこりかりえ
あぁ、言われてみれば確かにセガバンダイ構想の先駆けw
確かにナムコがいなければソニーのゲーム業界での躍進はあり得なかったでしょう。
天狗になっていた任天堂に対してナムコ・スクウェアの謀反は結果的にゲームを発展させみんなを幸せにした。
その後は合併、倒産、吸収地獄で今の惨状だけどな
その任天堂が崩壊したから困った事になったのですが。もし岩田社長の逆転の発想によるWiiやDSがヒットしなかったら今頃は任天堂がゲームハード業界から撤退していた可能性すらあるのですし
07年になって太鼓が任天堂ハード入りしたし、その際に『任天堂形式』の「LR使わない太鼓演奏」も確率したり。
>唯一発売したのがファミスタ64~ 海外だとリッジレーサー64出してるんだよなぁ…PSのキラータイトルのはずなのに64で出してる辺り保険のつもりなのかねぇ
そして、屋内アクティビティ施設、スペースアスレチックトンデミが爆誕する!!
バンダイとナムコの事業内容がバッティングしていないという話ですが統合当時のナムコが日活株を保有していた事を忘れてはいけません。
カムライ~神来~楽しかったな。
戦闘システムは難しかったし好感度システムもよく分からなかった記憶あるけど、それはそれ。
あれのキリハというお姉さんヒロインがドストライクでタイプでした
セガ・サターンでソフトを出さなかったな
う~~ん…
昭和50年生まれで、「ゲームはナムコ~!」の「黄金時代真っ只中」に生きていた僕から見ると…
1988年、ゲーセンに「未来忍者」が出た瞬間…
「え?コレがナムコ作品なの?」という違和感を覚えました。
「任天堂の優遇が終わった」のは…「未来忍者」などに端を発する…
「(待遇面などなどを含めた)天才開発者が次々と辞めてしまったせいで、ナムコ作品の質が徹底的に低下したせい!」だと思うのですが…
プレイステーションは
鉄拳・リッジレーサー・エースコンバットが最強!
ここ制作者が定期的に流出したりいなくなったりするんだよねぇ…。 神様は死に悪魔はエビゾーと去った。 バラデュークとファミスタ作ったきっしいもコエテクに行ってしまった。 3D技術者はナムコとセガを行ったり来たり。 カプコン程ではないせよ人材に対して報酬を厚くするとか大切にするべきでは?と思う次第です。
塊魂20周年おめでとう
速くエースコンバット8を出して欲しい😸
テイルズでよくやっていた移植完全版とかあれはちょっとな。
源平の前あたりで低迷した時期なかったかなぁ?
♪ゲームはー ナムコー
が印象的だったCMを覚えているおじさんも多いはず
ラジアメリスナーはいる?
ワニワニもナムコだったのか
ナムコって言うと家庭ゲーム機だとテイルズシリーズが有名だが
自分は風のクロノアがすこ過ぎてクロノアチーム解散で
もう新作は望み薄なのが悲し過ぎた😢
まともにプレイしたことあるのテイルズオブファンタジアくらいだなあ
凄く面白くて大好きだっただけに期待に胸膨らませて買ったデスティニーが(私としては)ちっとも面白くなくて、おかげで私のテイルズ人生は凄い短命で終わったんだったわ
いやいや、ゲームセンター事業はコンシューマー事業(家庭用)とは完全に別だから、テーマパークとかの不採算は関係ない。
純粋にコンシューマーの不採算。
その時代は、外注への依存が始まった時代なので、それが影響しているのだと思う。
プレイステーションに開発バイアスを書けたのではなく、システム22は業務用プレイステーションなので、アーケードからの移植を行っただけ。
昔は伝説のゲームメーカー、今は…アイマスと鉄拳くらいしか残ってない。(アーケードアーカイブスは復刻なので除く)
バンダイと合併したのがトドメ刺しちゃった感じだなぁ。
合併に際して方向性が違うと不幸になるよね…
バンダイに完璧飲み込まれたという結果ですねえ
見事なまでの完全吸収合併という結果になりました
スクエニでスクエア部分が未だに残っていて幅を利かせているのとは対照的です…
@@smithkakuta7361
バンダイとナムコのゲームの完成の在り方が全く違うそうで、法個性の違いからナムコ側のスタッフが辞めまくったのかなぁって邪推してしまいます。
結局バンダイはコンテンツが欲しかっただけなのかねぇ?
バンプレストとも。
@@ふみこりかりえ
バンプレストもアーケードゲームリリースしなくなって久しいですね。
98年頃なら日活支援が痛かったんじゃないかね
ナムコだけではなくゲーム業界自体が20年ぐらい前から徐々に衰退しているような気がするね。
こうやってINTI渋谷も閉店して行ったんですね。。。
今や吉本になってしまった
私も妖怪道中記は大好きですよ。
PS2で一番遊んだゲームは熱チュープロ野球2003ですね。
ナムコといったらプレステ、というイメージがあるのは任天堂に不満があったからですか。初めて知りました。