【ネオジオ】やる事がことごとく裏目過ぎる⁉格闘ゲームを一躍有名にした存在の没落の裏側‼【ゆっくり解説】
Вставка
- Опубліковано 22 жов 2022
- 1990年代にデビューするや、ゲームセンターと自宅の垣根を無くしたゲーム機が大きな話題に。
当時の格闘ゲームブームを引っ張り社会現象にまで発展させたネオジオ誕生!
ゲームバブルを駆け抜け、一時はテーマパークを運営する巨大企業に成長するも会社は倒産。
未来のゲーム機、ネオジオを待ち受ける過酷な運命とは!
・超高性能で超高価!?大人向けゲーム機「ネオジオ」誕生!
・対戦格闘ゲームのブームど真ん中!ゲームセンターの救世主
・売り上げは頂点に!次に目指すは一大エンターテイメント企業!?
・運営会社が倒産!どうなるネオジオ
👇チャンネル登録はこちらからどうぞ!!
/ @user-jq5nr4ub4t
その昔、彼らは「俺たちのヒーロー」だった…。
圧倒的な人気を誇り、ブームを生み出した「もの」や「サービス」たち。
彼らの繁栄から衰退…そして現在の状況までを本人を招いて解説していきます。
【視聴者のみなさまへ】
取り上げた「ヒーロー」を貶める目的の動画ではありません。
ぜひ最後まで動画をご覧ください。 - Розваги
当時本当にネオジオが青春だったなあ。
小中学の頃は学校の帰りに駄菓子屋でネオジオ、高校は帰りにネオジオランド。
本当に楽しかったし良い思い出も沢山あった、ありがとうSNK。
自分も青春でした。中にはクソゲーもあったけどそれでもNEOGEOは最高だった。戦国伝承のあのお経のようなBGMは衝撃でしたね。
ネオジオだけで見たら大成功
失敗したのはハイパーネオジオ64とアミューズメントパーク
ネオジオポケットも戦犯?
あの頃の独特な「ゲーセン」の空気もう味わえないんだなぁ、、、懐かしい
家庭版ネオジオはかなりバイト代を取られましたが当時かなりのステータスとゲーセンでお金を出してやったと思えば完全に元を取った感が最高でした
基盤そのものを買うと考えたら、随分手頃でしたからね。
コントローラー部分の固定だけがハードルだったかな……
友達の家にネオジオCDがあって、くそ長いロード中に金田一の事件簿読んでたらいつの間にかそっちに夢中になってた思い出
あるある
ロード時間でカップ麺が作れるって言われるぐらいだしね…
@@RS2000B KOFで1戦目までにカップ麺出来て、2戦目までの間に食べ終わって、3戦目までの間にカップ捨てて残った汁の処理して箸を洗えたなw
対戦ゲームでのキャラ変更は御法度だった。
これだけで一つの社会学のテーマとして研究できるレベル✏️
初めてのバイト代で本体と餓狼伝説スペシャルを買った思い出。一月分のバイト代が吹っ飛んだ…。
同士、私は高校の時にバイトして買ったのがネオジオと餓狼伝説スペシャルでした、確かに1ヶ月のバイト代ぐらいしました餓狼伝説スペシャルとキングオブファイターズ95を友達とプレイしていました。
ネオジオさん、私はあなたで育ちました。ありがとうございました。子供の頃、柔道の大会で優勝したらネオジオを買うと、親との交渉に成功し、試合では優勝出来ずに涙を飲んだ思い出があります。今思うと、優勝しなくて良かったと思っております(笑)
でも本当に楽しいゲームがたくさんでした、ありがとうございました。安らかにお眠りください
筐体は無料で提供し、人の目に触れるようにして
その存在をより多くの人にとりあえず認知させる…
今のSNSでいう「拡散力」みたいなのを地でいってるのかなり有能なのでは?
センスも本当に尖ってたし90年代のSNKは本当に青春でした
なんならカプコンより好きだったかも。
旧SNKは自分も青春でしたね。
倒産の原因の一つには、ネオジオポケットの大失敗もありました。
「誰だってBOYを捨てる時が来る」という挑発的なキャッチコピーで登場したものの、モノクロ版発売直後にカラー版を発表したりと戦略ミスが目立って全然売れず、ネオジオワールドとハイパーネオジオ64の大コケも重なって多大な負債を抱えることになってしまったんですよねぇ…。
ネオジオポケット発売当時は既に『ポケモン』が世界的人気になっていた頃で、その状況での例のキャッチコピーはハッタリ嫌いの自分には全く刺さらず、かえって買う気をなくしました。
@@nekotora3415僕はそのキャッチコピーに痺れて即買いしたけどカラーの携帯ゲーム機でなら数年前に発売されたゲームギアの方が遥かに性能良かったです。電池の異常な消耗が欠点ではありましたが。
ロンチタイトルも酷かった
ソフトが足りないから、裏名義で作っていた賭博ゲームを移植したりなど、明らかに真面目に作っていないとしか言えないソフトで水増ししていた、これがまずかった
ちょうどこの時期に大学生だったのでネオジオに時間とカネ(バイト代)をつぎ込めた。ナコルル可愛かった。
バブルがはじける前でカネ回りも良かった。昭和の良き残り香を楽しめた懐かしい時代だよ
ソフト10本=ヨーロッパ旅行に行ける
ネオジオは青春そのもの😊
Kof94から格闘ゲームを初めて今はネオジオミニで楽しんでいる。
2002のアンヘル使いの美少女(ハイスコアガールの大野みたいな感じ)とテリーボガードコスプレお兄さん…懐かしい想い出😌
因みに好きなキャラはキング様😍
ゲーム会社に勤めている従弟がネオジオのROMを見て言った
「このサイズの基盤が2枚も入ってるのか、これ1個の製造単価7000円超えるんじゃない?」って言うのがものすごく印象に残ってるなぁ・・・。
そりゃ1本3万するわって思った。
同級の、基盤を扱う人が、硝子基盤でシステムチップを何個も使っているから高いといってた。
カセットの容量はスーファミが512KB~最大でせいぜい6MB、しかし価格はものによっては1万円
ネオジオは最小でも5MB以上、最大なら約90MB。
むしろ、3万円ですむほうが驚異的かもしれません。
@@marineblu9584
いやぁ、それを考えると技術の進化は凄いですなぁ・・・。
国語辞書みたいなサイズのネオジオで100メガ越えたのが93年の侍魂で、そこから30年で小指の爪サイズのmicroSDの8Gがワンコインなんだから。
一番遊んだのが得点王だったな
審判の視線に入ってなきゃ背負投げしてもファール取られないとか
あんなに激しく審判に抗議してんのにレッドカード出されるとアッサリ背中向けて退場するとかゲラゲラ笑いながらやってたなぁ
しくじり系chによくある「対象をSageまくって〆」が、当chには無いのがかなり好印象。
NEOGEO作品はまさに子供の頃の青春そのものでしたし、今でも友人宅のアーケードアーカイブスで遊ぶ程大好きです。
どのハードにも良いところを探してるのが好感持てる
このチャンネルの最後の〆
良い動画作りたいって
気持ちが伝わって、結構好き!
うちは駄菓子屋してたんだけど、営業かけられて3台置くことになって、稼働し始めたんだ。
しかし、ゲームの交換が遅く、人気の格闘ゲームに慣れた小学生は、50円で1時間粘れるようになってしまい、電気代さえ回収出来ない程になって、余り素行の良くない学生のたまり場となったんで、店をたたむのを口実にしてやっと引き取ってもらったんだよね。
プレステやサターンにもネオジオのゲームが移植されたけど、総合性能ではネオジオを上回る2機種でも完全移植は無理でPS2辺りになってようやくネオジオの完全移植が実現出来たんですよね。次世代機戦争と呼ばれた時代でもライバルに引けを取らないポテンシャルを発揮したネオジオは偉大でした
最初は、サターンやプレステに移植し無いと、公言していたのに完全に無視したからな…。当時、批判の嵐だったな。
@@user-qg9bo4sr6q 格闘ゲームメインなのにロードがアホみたいに長いネオジオCDの売れ行きが低迷したことによるものですからね…。
コストの都合で倍速RAMを採用できなかったのが運の尽きだったのかも。
そうなんだよ!ネオジオCDのロード問題!今でも何で出した?と思う。4倍速の新型でも無理だったし…。
@@user-qg9bo4sr6q 旧SNKとしては高価格のネオジオゲームを低価格かつオリジナルスペックで提供したかったのでしょうけど、いかんせんハード面の技術力がね…という感じでした。
それでも当時の自分はロードはあえて問題としないことにして遊んでいましたが。
@@user-qg9bo4sr6q
ネオジオCDはネオジオで高かった価格を抑えるために、敢えて遅い等速ディスクにしたと聞いた。PSやSSは最初から倍速ディスクだったからロード時間に差が付くのは最初から目に見えてたかと。メーカーの想定した「遅い」よりも遅かっただけで。
友達の家で12時間以上狂ったみたいに
ガロスペ対戦やったなぁ😄
長時間やり過ぎて友達のかぁちゃんに怒られた若き頃の良い思いで
パワーウェイブ!
一人だけネオジオ持ってた友達は家で練習してきて
成果をゲーセンで披露するという卑怯な手を使ってきて
最強のキムカッファンで鳳凰脚コンボを100%の成功率で放つというね
ちくしょうめえ!!!絶対に許さん!(良い思い出)
懐かしいなあ
当時小学生だった自分は兄弟でお小遣いを出し合ってネオジオフリークを購読してた
大人になったらネオジオワールドに行きたい!と思ってたのにその前に倒産してしまったのは本当に悲しかったな…
ハードとしては負け組でも、紆余曲折あれどSNKの名を冠する会社は引き継がれ
2022年現在も新作ソフトを出し続けているのは素晴らしいことです。
その新作ソフトもまた、新旧どちらのファンも大事にしていることが伺えます。
NEOGEOは100メガショックでSFC当時だと高スペック
90年代初頭まではゲオやTSUTAYAでレンタルできた。だからレンタル機器ってイメージが有る
100Mショック→MAX330M→GIGA POWER
でしたっけ?冒頭のロゴ……
※MAX330Mのあとにもう一段階あったかも
@@user-ov8rc4cd9b MAX330Mは確か初期からあって、その後100Mショック→GIGAPOWERだったような。
その頃からゲオやTSUTAYAってあったんだな
出ては淘汰吸収のこの業界で何気にすごい
当時ゲーム好きでスト2などにメッチャハマってた時期に友人がこれ持ってて遊びまくってた懐かしい思い出
スト2当時はマジでアーケード基盤欲しいくらいハマってた
家庭用ネオジオは業務用基盤+コントロールユニット(筐体)を導入する程のコアユーザーからすれば安価だったんですよね
(家庭用ソフトでも5万越えとかがあったが、業務用基盤(ソフト)は新品なら数十万とか普通の世界)
そういう意味では土俵がそもそも違うハードだったと言えますね
ネオジオにとって致命的だったのは次世代のプラットフォームを生み出せなかった事なのかもしれない
コピー対策などが解析されまくってた影響でかなり脆弱だったと聞きますし
ネオジオは性能もよかったけど音源もすごくよかった
確かに羽振りが良くてJリーグのチームスポンサーになっていた。しかも一番高い前面のスポンサーw セガ、任天堂、カプコン、ハドソン、バンダイ。体力ないのにネオジオポケット、ネオジオポケットカラー出したのも圧迫したのでは。身売りされネオジオポケットミニを発売できるようになって良かったね
KOF94を自宅でできると聞いて兄とワイで父を説得しなんとかネオジオCDとKOF買ってもらう…んで動画で触れられてる通り、
読み込みがすごく遅くてひたすら猿がお手玉をしてる絵を眺めてた思い出…あまりにもロード長すぎて数回遊んだら次第にプレイ頻度が減っていき…サターンでKOF95が発売されたら邪魔だなこれ扱いされました…。
ネオジオカートリッジからCDZまで全部あったけれども
やっぱワールドが一番致命的だったんだろうなぁ
地方のランドでイベントたまにやったりする程度でやめときゃよかったのに
ねおちゅぴが懐かしい
ネオジオ懐かしいです。ありがとうございます
ブーム当時、仕事で大阪の江坂駅周辺をまわってるとSNKのビル周辺にネオジオランドが確か3つほどあって
(めちゃくちゃ儲かってんだなぁ)と思って見てたのも良い思い出。
江坂はSNKの城下町でしたもんね。大袈裟な話でなく本当に江坂駅降りたら見えるのはSNK関連だらけ。
ゲームセンターの格闘ゲームブームは懐かしいですね。
大きなフロアにストⅡの筐体が大量に並んでいる光景は今思い出しても圧巻でしたね。
後から出たセガサターンがほぼ同じユーザー層なのにソフトが安いので苦しかった
ネオジオCDでソフトが高すぎる問題を解決しようとしたけど今度はロードが長すぎて使いものにならないという...
苦肉の策でポケモンから始まったゲームボーイブームに乗ろうとしてネオジオポケット出して失敗したのがとどめになった気がします
真サムスピが1本3万円弱で販売されて発売日に買ったぞ
その、たった半年後に1500円で販売されたときのショックは未だに忘れない
おもちゃ屋さんは勿論、近所の駄菓子屋さんでもアーケードゲームも安価で楽しめてのは最高でした😆
持ってたなぁ 当時 基盤 買って遊ぶか迷ったんだよな ほぼ同じ価格帯だし 中古になるとやっと買える感じ値段 CDになってからが問題で 直ぐに倍速CD に変わり 自分は等速買ってたので裏切られた気になった
侍魂と餓狼とKOFは青春だった…
NeoGeoは「高い」だけがネックで、ゲーセンと全く同じものができるってのは驚異だった
失敗はNeoGeoCDだな…
ローディング中の猿は殺意しか…w
NEOGEOを今のパソコンのエミュレーターで動かすとオンメモリで全て動いてしまうから隔世の感が有ります。
NEOGEOCDもローディング問題が無くなります。
(個人所有している物に限るBIOS含めて)
拡張RAM4MB専用の格闘ゲームを出したセガサターンの存在もネオジオ衰退の一因だと思う。CDのゲームでありながらロード時間がほぼ無しというのは当時では衝撃だった。
サムライスピリッツ天草降臨の蒼月を
ジャニオタばりに黄色い声で筐体でプレイしてたねーちゃんが忘れられない
SNKのキャラデザインは本当にキャッチーでキレてて先駆的だったと思う。
あのデザインは、当時会社で最年少の方がデザインを・・
さらに、初の女性デザイナーも採用して・・・
なんてことがありまして・・
ネオジオは私の青春を語る上で欠かせません。
有名格ゲータイトルもいいけど、意欲作の他に無いゲーム性のものも多かったですよね。
当時小学生で格ゲー弱かったので、シューティングやメタルスラッグをよくやりました。懐かしい。メタスラ1、2、3、Xは本当によくやった。
ティンクルスタースプライツを死ぬほど遊びましたねぇ。サターンにも移植されてましたが、ネオジオのROM版はあの微妙な処理落ちなんかもあって面白かった。
サターンとプレステの所
ソニーは兎も角、セガの「参入」って表現はなんか変じゃないかなぁ…
既にメガドラ等でゲーム機市場にそれなりのポジションが有ったわけだし
SC-3000、SG-1000、マークIII、メガドライブとしっかり出してましたよね
あとゲームギアもありましたし
@雷雲 セガも時代を先取りしてアーケードの感覚を自宅で味わえる!をウリにしてましたね
@@user-ww8ij8tr1u そうなんですが、アーケード部門と家庭用機部門とか微妙に連携してなかったというか、食い合う関係になる可能性もあるのでしょうがない気はしますけど。
ネオジオCDは本当に読み込みが致命的すぎた、餓狼3で一戦ごとに5分位読み込みかかるのはなあ…
KOFなんかキャラごとに読み込みだから余計に…w
@@Phantom002100 ロード時間でカップラーメンできる。じゃなく
ロード時間でカップラーメン作って食べ終わる。でしたよね苦笑
ネオジオCDは等速ディスクを使ってて他のメーカーのPSやSSの倍速ディスクより遅いからね。後からネオジオCDZって倍速ディスクを出したけど、出遅れすぎて。
それで一時期CDも聞いてたなぁ
5分は大袈裟やろ!?
KOFで2分近く待ってラウンド2が始まってワンパンで秒で試合終わったらまた2分とかいう地獄だったw
当時のネオジオは頭2つ抜き出ていたよね
実はメモリーカードがアーケードにも使えてクリアデータのセーブができたよね
PS,SSに移植が出てもロード時間や入力の癖など
特にゲームセンターの練習にしていた人には違いが感じられたかな~
高かったけど忘れられない一台ですね
PSとSSが「家庭用で初めて3Dグラフィックを採用した」と言ってるけど
SFCのスターフォックスやMDのスタークルーザーなど3Dグラフィックを採用したゲームは以前からあったよ
あと、世界で初めて3Dポリゴンを使ったアーケードゲームはATARIの『I,Robot』(1983年)
ゲーム雑誌の広告見て「高っ!」とずっと思ってましたね~。
後に本体少し高めだけどソフトはSFCとかとほぼ同等の値段のNEOGEOCDが出てそちらを購入しました。
ローディングは確かに長かったですが対戦が楽しかったので苦にならなかったですね。
「ゲーセンのゲームが家で遊べる!」と言う魅力がやはり大きかったですし。
初代ネオジオは最高のハードだったと今でも思う。値段は確かに高かったけどあの90年代の格闘ゲームブームな中でゲームするのも至難、プレイしたところで強いプレーヤーに瞬殺。また一時間位待って2分だけゲームしての永久ループでした。ネオジオが出たおかげで家でひたすらトレモのように練習しまくって相当に腕を上げたところでゲーセンに行きました。ワンコインで何時間もの間連勝して周りからは称賛されて最高の気分でしたよ。昔はCPUも有り得ない強さだったので奴らの超反応を上回れるようになった頃には人のプレイが遅く感じたものです
ネオジオが、好きすぎてROMカセット NEOGEO CD NEOGEO CDZ 全部買ってました。
今でもSNKとNEOGEO 愛してる!
地元の近くの駄菓子屋にネオジオが置いてありましたが、ネオジオの起動を
お願いすると、店主のジジイにすげぇ嫌な顔をされたのを今でも覚えていますw
ただ竜虎の拳やKOFで遊びたかったので、嫌な顔をされても気にせず遊んでました。
旧SNKに対戦格闘ゲームが多くなったのは、元プロボクサーという経歴を持つ創業者の影響もあったようです。
NEOGEOで一番遊んだのはアンドロデュノスでしょうか。当時が懐かしいです。
12:12
ハイパーネオジオ64向けサムライスピリッツのことかなぁ…
当時snk倒産のニュースを聞いた時はまったくピンとこなかった。でもsnkサポーターズクラブ終了の通知が年会費の返金と一緒に届いてその後ネオジオフリーク最終号のポスターのテリーの姿を見た時本当に終わってしまったんだなと実感して泣いたのを覚えている
そんなSNKが紆余曲折を経て今現在も存在していて餓狼MOWの続編のリリースまで決まるなんてほんと倒産した当時は想像もできなかったなぁ。
ネオフリ最終号を飾るテリー、正しくSNK、ネオジオの看板キャラ
倒産して会社が大変な時でも年会費の返還をしてネオジオフリークもキチンと送る。ユーザーに綺麗に筋を通して倒産する会社なんて未だに見たこと無い。ソシャゲなんか夜逃げみたいに消えるからねー
ネオジオはレンタルビデオ屋で遊びまくりました
当時スト2が置いてあるゲーセンが一軒しかなく空いているネオジオ筐体で餓狼伝説でお茶を濁してました
100円で2プレイ出来るのが魅力でバイト先の無い田舎では中学生高校生の味方でした
あと学校に通えなかった外国人労働者の子供の溜まり場にもなってました
サターン版のKOFシリーズを含め僕の青春です
CDドライブ、等速を採用するのは、
コストの関係とはいえ流石にヤバすぎた。
snkは格ゲー以外の人気タイトルが乏しかったのが弱点だったかも、、(メタルスラッグぐらいしか思いつかない)
その点カプコンはロックマン、ブレスオブファイア、PSが出てからはバイオハザードもヒットしたのでアーケードと家庭用でバランスよくタイトル出してましたね
ビキニアーマーのアテナは当時の男子は大興奮したそうです
CAPCOMが格闘ゲームの先駆者ならSNKは開拓者というほど格闘ゲームを世に広めた立役者ですね。
当時はお金持ちの家にしかない本体を目当てに友達の家に別のクラスの奴が集まる等チョットしたヒーローでした。
駄菓子屋で1プレイ50円で出来た事も画期的でワンコインクリアーしてエンディングを見ずに立ち去る仕事人も居ましたね。
ネオジオCDはKOF96までは耐えられたけど、その後は試合開始前の演出や勝利演出にもロードを挟むので待ち時間が致命的になりましたね。
格闘ゲームブームが下火の時にネオジオ64やネオジオポケット、さらにはネオジオワールドと完全に失策したせいで消滅しましたが魅力的なキャラやシステムは今でも引き継がれているので、最近の新作でありがちな半端な3Dモデルの格闘ゲームではなく原点でもあり頂点でもある2D格闘の復活を望みます!
PSは全然そうでもなかったけど
SSのKOF'95はロード時間短縮で革命的だった
ネオジオのROM版持っててKOFと餓狼シリーズずっと買ってたけど
ネオジオCDが失敗の始まり、ネオジオポケットが爆死、次世代ネオジオが3D格闘で失敗
更にネオジオランドが会社を殺した
3Dに移行せず2D対戦格闘を続けていれば、今のスト4、スト5みたいなものが出来たかもしれないのに
ネオジオのソフトケースを見た時はビックリしましたね!デカッ!🤣💦
金持ちの友達が持ってるイメージだった
それにこの頃はハードが多すぎなんだ
カセット版の家庭用ネオジオ持ってましたが、カセットの値段が高すぎたので結局初代サムスピ、餓狼スペシャル、龍虎の拳2の三本ぐらいしか買えなかったですねえ・・・
それはさておき、ネオジオワールドなんて物があったんですね!これは全く知らなかったのでビックリしましたw
真サムライスピリッツのROMカートリッジが暴落して298円で売られていて、思わず買った思い出。持ってるのにね。コレ新品(当時)ね。
@@user-cm6uh7ow2i 真サムスピってPC98でもPC版でも売ってて
でも起動条件がpentiumと書いてて遊べなくて
PC9821V200をモニター込みで30万円で買ってまでプレイしたけど
ネオジオ買った方が安かったわw
中古ロムは当時値段の格差すごかったねー 今はプレミアついてすごそう
学生の頃よくゲーセンで遊びました。
殆どがサムスピシリーズでしたけど。
カセット買う時も他の欲しい物ガマンしてお小遣い貯めて買った思い出があります。
ASO II をやるためだけにネオジオ本体+ASO II カセットを買いました。あれは本当にぼくの青春でした。アーマー装着するときのボイスがまたカッコイイんですわあ。
NEO.GEOの、名作シューティングASO2かなり遊べたな。SNKシューティングは、出来が良かったから長く遊べた。ゴーストパイロットも、かなり遊んだ!
この頃のHDDの容量がちょうど100MByteだったのにちなんで、HDDがクラッシュするたびに「100メガショック!」というブラックジョークがあちこちで聞かれたもんだw
これ先駆的なのは、コンシューマーに与えた影響というよりもアーケードに与えた影響なんですよね。当時アーケードはゲームごとに専用の一枚基板を作っていたんですが、アーケードもコンシューマーみたいに「本体」+「ROM」の形式で行けるっていうのを実践したのがネオジオなんですよね。以降、他社のアーケードも「本体」+「ROM」というのがかなり増えました。
カプコンもCPシステム改良で、似たような物を出す計画があったらしいが。
20代の頃にゲームショップに勤めていてネオジオCDも買いましたね
ところが動画内の説明でもあった通りなんせロードが長かった・・・
いや長過ぎた・・・
しかしゲームのクオリティーは忘れられずロムを買いました
いや高かった・・・本当に高かったw
今でこそいろんなモードがありますが当時はアーケードそのままで遊べる=ベタ移植だったんで
プラクティスモードすらなかったんでそこは不満点でしたね
あれからいろいろありましたが復活して今も頑張っているSNKには本当に楽しませてもらいました(^_^)
さすがにネオジオは買えなくて、ネオジオCDデビューだったけど、その前にレンタルはした事ある 家でアーケードと同じクオリティの餓狼伝説や龍虎の拳をPray出来たのは子供心にも感動したな
ネオジオCD持ってたなぁ!
ローディングが早くなるアップグレード版が出たけど少し早くなっただけで亀なのは変わらずで笑ったわ
でも当時小学生だったけど家でサムスピやワールドヒーローズが出来るのが感涙もので今でも覚えてる
その当時はとてもお世話になりました!
次第に格ゲーとメタルスラッグしか出さなくなって胸やけしそうだった
当時は学生でバイト代を全てゲームに注ぎ込んでいたと言っても過言ではありません。
勿論、NEO GEOも持ってました(最終的にはソフト26本までためました)
カプコンのCPS2基盤まで手を出し家で練習しゲーセンで対戦してました。
昨今のレトロゲーの高騰を見てると手放すのでは無かったと後悔してます。
ネオジオはやはり面白いゲームばかりだった!
ネオジオCD持ってるがローディングが・・・良い思い出です
天サム キンファイ94 98 2002etc.面白かったなあ!
懐かしかったです
でも細かいところがちょっと気になりました
・ネオジオはレンタルから家庭用ハード販売に進出した
最初からアーケード展開・家庭用販売・レンタル展開は同時進行でした
・バーチャファイターは世界初の3Dポリゴンゲーム
初めての「対戦格闘ポリゴンゲーム」ですね ポリゴンのゲームはそれ以前にすでにけっこうありました
・セガはゲーセン運営してたので、それを参考にSNKもゲーセン事業に乗り出した
セガほど規模は大きくないけどSNKもネオジオワールド以前から直営ゲームセンターは運営してました
買えないけど見ているだけで幸せになりました😂
バトルホッパーほしいなあ
玩具屋にバイトしてる時1台だけ有りました
結果ただの飾りに終わりました
誰が買うんだと思ってましたね
高いイメージしかない(苦笑)
90年代後半は格ゲの人気は陰りを見せたかも知れないがそれでも根強かった。まだまだリリースしてたし。
スーファミからサターンにプレステさらにスペック的にはネオジオに並び超えてしまったプレステ2、3さらに4とゲーム機の発展にネオジオの存在も影響しソニーやSEGAは特にゲーセンレベルに追い付き追い越そうと意識していた。
高校の時ゲーセン通いして大学の時にネオジオ買いました。今も大事に保管してます
ネオジオの人気を作り上げるきっかけとなった初代「餓狼伝説」の開発は、カプコン在籍時に初代「ストリートファイター」を開発した西山隆志氏と松本裕司氏がメインとなり開発されたものです。
当時、カプコンがSNKに何も言って来なかった一番の理由はここにあります。
昔にアーケード用のネオジオ基板買って遊んでたけど、あれどこにしまったかな?
久しぶりに動かしたくなったけど、今のモニターにどうやって繋ごう・・・
ネオジオポケットの話が出なかったのが少し悲しい……
最近ドット絵のゲームが見直されてきてるんだからドット絵路線貫いても良かったんじゃないかと思う。
3Dへの転換期に優秀なドット絵職人な技術者多数流出させちゃってるのよね。
リターンオブザオブラディンっていうゲームあるんだけど、白黒、ドット絵、そして3Dの融合した美しいグラフィックのゲームで物凄い衝撃を受けたんだけど、そういったドット絵で突き抜けたゲーム作ってほしかった。
ガキの頃、たった一人だけネオジオ持ってる
友達の家全体がツタに絡まれて草だらけで
ジャングルみたいな見た目だったの覚えてる。
アーケードと同じゲームを遊ぶ手段が二桁万円以上する基板しかなかった時代だから
当初は家庭用ネオジオの価格も決して高くはなかったけど
2Dが強かったうえに拡張ロムまで使えたセガサターンがネオジオと遜色ないレベルの移植を実現してしまいましたね
ネオジオROMは『アーケード(MVS)そのまま』なコンセプトだから、土俵自体違うんだよな……
『扱いやすい(管理しやすい)基盤』に近かった。
CPSチェンジャやCPS2はある意味ネオジオのアイデアを参考にしたようなもんだったのかなぁ
@@Gloire_Xac6496
CPS2だけでなく、
セガもST-V(サターン互換)やNAOMI(ドリキャス互換)でカートリッジやディスクを採用してソフト交換を簡単にしましたからね。ナムコもSYSTEM246(PS2互換)でDVD採用したし徐々にアーケード基板でもカートリッジやディスク形式のソフトが定着していったっけな。
そういう意味では正しく先駆者、着眼点が優れていたハード。
アーケード版ネオジオことMVSも当時の基板の中で操作が簡単で何よりソフトが交換が簡単なカートリッジ形式でオペレーターに優しい設計だったんだよなぁ
@@kamameshi0804
ST-Vの方はよく知らんけど、ナオミは移植版が早く出たなぁ……とは感じたね。
カートリッジ式で取扱いも楽だから、駄菓子屋とかスーパーの一角にもよく置かれてたなぁ……
50円の所も多かったよ。
※スーパーだと、『親の買い物待ちの子供』が主なターゲットだろうから、儲け度外視に近い価格設定だった。で、回転率を上げたのが中高生(笑)
14:46確か荒川沖のゲームパニックつくばのある場所でしょうか
だとしたらよく行ってたので懐かしいです
確かに家庭用ゲーム機として考えると値段は高いけどゲーム基盤を買うと安い。ネオジオは家庭用ゲーム機と言うよりも安いアーケード基盤と考えた方が良かった。
ネオジオポケットもモノクロ版発売してからすぐカラー版出すような迷走だったような。
高校時代に個人経営のちっぽけな古本屋でバイトしてたけど そこにもネオジオの筐体が4台あった
あまりやってる人は来なかったけど
道路挟んで向かいにSNKの営業所があってポスターとか沢山もらえた
メタルスラッグを産んだだけで、神
現実問題として本体は確かKOF94発売日当時は15000円程で買えました。
ただしROMは最新作だと約3万円w
丁度95年に高校卒業後就職したので
KOF95のROMが出る前にネオジオの
ROM版の本体とKOF94のROMを買ってプレイしていました。
ただ格闘ゲームの腕は決して良くなかったのでソロプレイがほとんどでしたが。
餓狼シリーズとKOFシリーズを買ってましたが餓狼シリーズはリアルバウト系3作品、KOFシリーズは99まで買い続けましたが自分のネオジオ熱が冷めたのでそこから先は買ってません。
KOFシリーズを毎年約3万円払って買ってたのが懐かしい。
90年代半ばまでは、カプコンと熾烈な競争をしていたのを覚えています。
高価なネオジオ本体を買えるのは、クラスに一人ではなく、学年に一人といった頻度だったのでは?
格闘技ゲームにおいても、カプコンに比べたら、やや大味な調整がされていた印象です。
大阪の江坂に本社がありました。
CAPCOM vs SNK2(PS2版)やるとヒーローたちの夢の共演に感動しました
ナコルルが竜巻旋風脚くらったりアテナが春麗にフェニックスアロー当てたりしてましたw
学年に1人くらいで大体あってるんじゃないかなw
僕の地区では1人しか持ってなかったよ。
自分、20年くらい前にネオジオ買って。サムスピとかKOFも小遣い貯めて買って。友達何人かよんで、度数系をさ、買ってね。ワンプレイ毎にカチカチするのよ交通調査みたいに笑 後で「一回100円計算でお前は〇〇円の貸し お前は〇〇円の貸しがあるから大人になっても俺と仲良くしろよ」て言い続けて20年経って今も酒飲み友達です。
本体は買えたがセーブの為のメモリーカードを買うのに苦労した思い出が。
ゲームコーナーのあるゲーム屋で注文したら「店で使う為でしか売れない」と言われた。家に持ち帰れないって。それじゃ意味無いじゃんってモメたわ。
SNKがゲームセンター事業を行ってたのはネオジオワールド以前からですよ。まぁ、店舗は当時本社のあった大阪の江坂近辺だけでしたが、そこでロケテストなんかも頻繁に行われてました。
社会人になってから買った。
4本くらい新品で購入したけど、後悔はしていない。
何度か放送したスペシャルアニメも好感触だった。
だけど、ネンジオCDは後悔した。
スゲー裏切られた気分になり、私の中の100メガショックはネオジオCDで終わった。
逆に今、サムライスピリッツのテーマパークを作れば、インバウンドで需要があると思う。
ネオジオがキャラになってるの可愛い❤️
アーケードゲームがそのまま遊べるみたいな触れ込みだったな。ソフトはビデオテープのように大きく大容量、高性能だった。アーケードゲームという位置づけでありながら家庭用としても遊べる唯一のハード
うん。やっぱ「ネオジオワールド」だよな
当時のゲーマーは皆SNKの事を心配していた
「サルのお手玉」の洗礼を受けた俺の友人でさえな
そして心配していた通りになった。アレは正直悲しかったな
初心会のやってた事考えると「牛耳ってた」がむしろ最適な表現だなw
格ゲーブームの過渡期にはすでにMVS筐体をあまり見かけなくなってたよね…
ネオジオワールド子供の頃行った事ある、帰りに貰った福袋の中にお菓子とネオジオフリークとなぜか携帯電話のケースが入ってた
ゲームに限らず常時つきまとう『どこまでマニアを信じられるか』で信じすぎちゃったパターン
マニア受けは商売としては賭けだからね。