戦国最強の傭兵集団雑賀衆 雑賀の戦い【織田信長の戦い#24】
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- Опубліковано 10 лют 2025
- 1576年8月8日、
毛利水軍は木津川口で織田水軍を撃破して
大坂本願寺に兵糧を補給することに成功した。
天下静謐を目指す織田信長は
本願寺に対して新たな対応策を検討するのであった。
●目次
00:41 興福寺相論裁定
04:25 三瀬の変
12:04 三好長治滅亡
15:20 雑賀の戦い
※季節感が分かりやすいよう新暦を採用しています。
●参考資料
『現代語訳信長公記』中川太古
amzn.to/49fz7yY
『織田信長合戦全録』谷口克広
amzn.to/3uvh3Ce
『織田信長』柴裕之
amzn.to/3HMfByp
『織田信長』池上裕子
amzn.to/4bpGFB7
『織田信長の実像』金子拓
amzn.to/4hHlCwd
『信長と消えた家臣たち』谷口克広
amzn.to/492cgar
『明智光秀』早島大祐
amzn.to/4108gG4
『織田信長の家臣団』和田裕弘
amzn.to/49VLkJD
『織田信忠』和田裕弘
amzn.to/4hKjC6I
『徳川家康と武田勝頼』平山優
amzn.to/44xsQhj
『武田氏滅亡』平山優
amzn.to/4buISe7
『顕如』神田千里
amzn.to/3vZLdxT
『本願寺と天下人の50年戦争』武田鏡村
amzn.to/42u2v2g
『足利将軍たちの戦国乱世』山田康弘
amzn.to/3BfIXWe
『足利義昭と織田信長』久野雅司
amzn.to/4i8TIug
『三好一族』天野忠幸
amzn.to/3Osp0yH
『三好一族と織田信長』天野忠幸
amzn.to/3BPqZtQ
『毛利輝元』光成準治
amzn.to/4eVPDqm
『本能寺前夜』光成準治
amzn.to/49aQv9w
『長宗我部元親・盛親』平井上総
amzn.to/4aR1BkH
『戦国鉄砲・傭兵隊』鈴木眞哉
amzn.to/3Q5wNmQ
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/ @tunach
#織田信長
#雑賀衆
#雑賀の戦い
やはり良い動画だと思う。
我々全てが知る1582年に近づくのが
残念でならないくらいこのシリーズはお気に入りになりました。次回を期待しながらも時代が進む事に焦燥感を覚える矛盾したファン心理。
いつもありがとうございます。
とても励みになります。
1582年まで全力で作成します。
お疲れ様です。待っていました。ありがとうございます。
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最近このチャンネルが一番の楽しみ。
説明のリズムが心地よいんだよな〜
ありがとうございます。
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お疲れ様です、雑賀衆編とても楽しみにしていました。
この後拝見します。無理せず続けていただけると嬉しいです。
いつもありがとうございます。
次回も頑張ります。
雑賀攻めのメンバーが織田家オールスターにもかかわらず、粘って和睦を勝ち取った雑賀衆は流石の一言。火薬、弾薬の備蓄量も海から補給していたと思われるが、財力は相当なものだったんでしょうね。
当時、間違いなく戦国最強の傭兵集団だったと思います。
銃を用いた集団戦法は高度に洗練されていただろうから、雑賀衆の戦法がその後の戦国時代の合戦を変えたとも言える。
雑賀攻めはかなり豪華な顔ぶれでしたね。
雑賀衆の実態も知れば知るほど興味深いですね。
ありがとうございます!
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お待ちしてました!
楽しく拝見させていただきました!
ありがとうございます!
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待ってました!相変わらず地図と勢力、城の位置等で分かりやすくて見やすい動画でした
紀伊の雑賀衆の実態や、どうして鉄砲集団になったかも分かりやすかったです
いつもありがとうございます!
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動画ありがとうございました。
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待ってました!
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北畠親子の最後は知りませんでした
腕に自信ある暗殺対象になりやすい人の最後はこうなるのですね
具教は南伊勢をまとめた実力者でもありますから
惜しい最期でしたね
こうやって見ると、織田信長が尾張から岐阜へ城を移した理由も良く分かる。京都の秩序を維持するのに重要。伊勢の支配は地道に手堅く、血まみれに敷かれていくのが分かる。
とても手際が良い。
紀伊をまず攻めてみるという大胆さ。僅かな綻びすら武将には破滅になる手段だが、失敗してしまったら内通者をより厳しく粛正。こういう人の本性をテストしながら前進する有り様は「残酷」では表しきれない。やらなくてはいけないことがあるという言葉を我々は持っていないのかもしれない。
かつて天下を支配した三好家。まさか逃げ延びた四国の領国で滅亡することになるなど思いもしなかっただろう。海を隔てた相手を倒す手段は、渡海は難しい。
やはり反乱分子を用いるのが大事なのだろう。現代の日本においては注意しなくてはいけない事。外人を容れ続けている事や内応する官僚や政治家、財界関係には注意が要る。
反信長勢力の結集はバカではない。知恵を絞って多方面から攻めている。しかしこれを中央という「天下と云われる地理の利」を活かして縦横に移動しながら対応する織田家、信長の能力は高い。
能力が高いだけでは叶わない。相当に情報があったと考えられる。実際一々、行動のタイミングが絶妙、言い換えればギリギリなのである。
京都における人事についてのルール重視のスタンスも常識なのだが、相手は常識にいない。これは現代のトランスジェンダーとスポーツの関係として見ることもできる。
つまり「非常識」や「悪行」がのさばっているのに、時の政権は正常化できなくなっているのである。政権政府の主導権が時に主体が移り変わる必然性を暗示している。
長曾我部に働きかけていたのも面白い。後の秀吉が長曾我部に冷淡だったことから、実力があるからとか好意的な評価で声を掛けたのでもないだろう。
しかしこの時点で長曾我部は本州側が想定している以上に潜在的な強さがあった。(しかしその強さの限界も後に露呈していく。最期の長曾我部の辿った運命もまた皮肉だ)
そんな長曾我部の取り立てられたのは室町幕府「細川政元」が権力を持っていた時代である。この人は色々アレなのですが、その1つは「山伏」でもあったこと。
山伏の世界は色々アレではあるものの、山のネットワークともいうべきものを持ち、これが時に戦争に役立つことになります。細川政元にとっても重要な情報源でしたし、このコミュニティを整備した可能性があります。 四国は山伏関連のミームが未だ多く残る地域でもあります。
ので、戦国時代の背景の1つに山伏とその情報もあり。忍者・間者だけではないのです。
山伏ネットワークは興味深いですよね。
機会があれば動画でご紹介したいと思います。
河内紀伊が守護分国の畠山氏が戦国の最後のころまで大軍を興せる理由はこの地域が先進商工地帯だったからかな?
こんにちは😊
こんにちは☺
1ゲト、というtesco♪
ワイは、脳内で『下天は夢か』が並行して流れている。
当時、丹波〜毛利開戦あたりは印象が薄かったので、本動画のおかげで臨場感増しましです。
このまま開府まで、うp主殿と、皆で賑やかに逝こうでや♪
下天は夢か、いいですよね♪
@@tunach 津本陽先生のサイン入りです♪
老中首座