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ADHD/ASD診断済ですが、2Eまたはギフテッドであった可能性があると感じている中年当事者です。30年ほど前、高校時代にスイスに留学していた際、何人かの外国人教師にtalentedやgiftedと評されたことがありますが、当時はtalentedやgiftedなどという言葉は日本では存在しないといってもいいくらいだったのでその意味合いがわからず、その後社会人になって不適合を起こし、30代中頃でADHDと診断されました。診断を受ける際、WAIS-IIIの結果は片桐先生が仰るように言語理解や知覚統合が高く、作動記憶や処理速度は平均よりやや下という形で、ADHDの診断をされた先生も「ディスクレパンシーは明らかにあるけどね、でも低い方もほぼ平均くらいだしね…でもADHDっていってもいいのかな」といったような形で首をひねりながら診断を下されました。最近になってギフテッドが取り上げられるようになって、「自分はもしかしてギフテッドだったのでは?」と思っているというような人間ですが、その当事者として感想を。動画中、鈴木さんはギフテッドも発達障害に包含してしまっていいのでは、と仰っていましたが、私自身、子供の頃は不注意で忘れ物や遅刻はよくありましたが、授業中は多動らしい多動はなく、せいぜい多弁であるくらいで、ADHDにピタリ当てはまるわけではありませんでした。興味のある教科についてはかなりいい点数を取れましたが、興味がない教科も平均より少し上ではあるものの、成績のよい教科よりはかなり落ちる成績になる、といった傾向が常にありました。こういう場合に、仮にADHD児のように不注意とか多動をメインにした支援教育を受けたとしても、正直ピント外れな感じを受けただろうなと今思います。当時、たまたま自分の親が興味のあることを伸ばすよう家庭教育をしてくれたおかげで今なんとか過ごせていますが、そうではなく興味のない教科に対しても「集中力を鍛える」「大人しく授業を受ける」みたいな感じの支援をされていたら、やはりそれは反発したり無視したりしてしまっていただろうと思います。現実に今でもADHDやASDの臨床像を知れば知るほど、なんか自分に似てはいるけどどうも当てはまらないなと思うところも多く、しっくりこないなと思っているので、子供であればそこの差異は余計に感じると思います。確かに発達障害も様々な臨床像があるので、個別最適化されていれば支援プログラム上はそこまで問題ではないのかもしれませんが、日本では往々にしてラベリングしたものに画一的なプログラムを当てはめて(押し込んで)しまうところがあるので、発達障害とギフテッドを同一視するのではなく区別して考えましょうという片桐先生のご意見にすごく納得できたところです。いずれにしても学びの多いセミナーでした。公開して頂けたおかげで拝聴できたのは幸運でした。ありがとうございました。
先生のお話にとても共感します。 娘がギフテッドですが彼女が好きな事をやれて、伸び伸び過ごせる教育環境が必要です。でもそれはギフテッドに限らず全ての子供と私達大人にも言える事だと思います。
最後の質問にそうそうと思うと同時に、答えにちょっとがっかりしました。ギフテッドでも発達障害でも「大人は?」って言うと「今困ってなければいいんじゃないですか?」って。これ、どこに言ってもめっちゃ言われますね。困ってなければこんなところに顔を出さないし、精神科の門も叩かないのに。子供には「将来困らないように」というのに、実際大人になって困っていたら「さぁ?」なのは支援としてなんだかちぐはぐさを感じます。今支援されている子供たちも、大きくなったら梯子を外されるんじゃないかなと思えてならない。
当社がそう思うかどうかは別として…通常、ギフテッドとは子ども向けの定義だということだと思います。つまり可能性のある段階の子どもについていう…。でも大人になったら可能性云々ではなく、今できることで評価される。なので専門家もあまり大人について考えていないのかなぁと感じました。一方で子どもの問題が大きくて大人まで手を付けられていないということも言えるかもしれません。いずれにせよギフテッドと言っても発達障害でも他の人の支援でも必要な一人一人の特性を客観的に機能的に分析していくというところは変わらないので、大人になったら何もなくなるというわけではないと思います。
先生の話の小さなニュアンスが伝わる人が少ない状況が、ギフテッドの子が学校で抱える悩みと共通する。発達障害と分けて理解してもらえる環境は必要です。
大学生の息子は、ASD&ADHD&高IQです。通級など支援を受けて来ましたが、特別支援の枠組みでも当てはまらない点が多く、対応が難しかったです。最近2Eの概念に触れ、発達障害の特性とギフテッドの特性が相殺し合うこと、高IQならではの伝え方が必要なことなど、知りました。本人の納得が意欲と行動につながるので、自己理解を促しつつ、対応していきたいと思います。
わかる。わかる話ばかりです。とっても、良くわかります。とても良いお話です!
良かった集中すると半端ない集中力叱ればきちんと理解でき、治そうとする人の気持ちや痛みがわかる。
北海道教育大学旭川校教授・片桐正敏先生の、GIftedへの理解と温かいまなざしに感銘を受けました。一方、株式会社Kaienの社長は、何度も何度も、Giftedと発達障害は同じとおっしゃり、Giftedという概念を認めたくないことに驚きました。なぜGiftedと発達障害は同じだと固執されるのか、理由を教えてください。
ギフテッドの説明は発達障害で説明が出来てしまうところがあります。もちろん診断レベルほどではないという主張もあると思いますし実際そういう人もいると思いますが、そもそも発達障害的な特性は連続的な概念でいわゆる診断閾値下も含めると十二分に発達障害の特性で説明できると思われるからです。いわゆるニューロダイバーシティ的に考えたほうが良いのではということです。一方でギフテッドで説明したい人を否定したいわけではありません。ただしアプローチとしてギフテッドへのアプローチも発達障害へのアプローチも結局は一緒であり、そういう意味でもわざわざ分ける必要を感じないというのもあります。片桐先生は発達障害だとTEACCHやABAを無条件で当てはめるという主張をされていましたが、そのような「一部の支援者」は個々人の違いを見えていない人であり、そもそも発達障害の方の支援も出来ていないのではないかと思います。
本当、ギフテッドを活かすも殺すのも関わる大人だと思う。昨今このように認知されて嬉しく思います。
OECD世界と比較すると日本は教育予算下から2番目です。ですので文科省は何も知らないと思います。
とても参考になり腑に落ちました。わが子をみるに、明らかにギフテッド要素とADHD要素の両方を併せ持つ2eであり、これらは別の特性だと実感します。文章を丸呑みするように理解し、頭の中ではいろいろ空想しているけど、明らかな実行機能の欠如がある。読書は好きだけど、切り替えられないほどの過集中はない。これはASD傾向の皆無から来るのもあるかもしれません。人が好きで、人といることが苦痛でないので、読書とリアル世界の往き来が楽にできるようです。そして、書きと聞きの苦手さ。クラスでの様子を見ると、LDや軽度難聴の範疇に入るのでないかと思うほどの継次能力の低さですが、言語や知覚推理の高さにマスクされてしまい、担任にもスクールカウンセラーにも理解してもらえない。学校の理解と配慮を得るために、ADHDの診断は取り、IQ値は隠したまま小学校を卒業しました。ギフテッドだからレベルの高い教育を受けたいというよりも、書きと聞きの苦手さから解放させてもらえる授業構成だと、非常にありがたかったです🙏わが家は中学受験してICTと協同の学びの実践校に進み、手書き負担や聞きの低集中の課題から、だいぶ解放されました。地域の学校でも、個別最適化と協同の学び、両輪がうまく回りはじめますよう祈っています。
😊
ギフテッドは発達障害でもあるよね。 おいらも不登校中2の発達障害。ギフテッドではないけど発達障害はギフテッドと同レベルにつらいし苦悩の塊。 発達障害は言語がいらつくような言動を取ったり、精神的に弱い人が発達障害にはなぜか多いのです。 魂レベルが高いのでしょう。発達障害の子供はとても美しいんです。 才能の塊だ。ですが思春期はめちゃめちゃ悩む時期なのです。 人不信にもなります。 by現不登校中2より 無勉強
必ずしもギフテッドが発達障害であるわけではないよ
発達障害を美しいと思い込むことで自分を守ってることが想像される文章
ギフテッドの才能をほったらかしの状態は、もったいないと思います。
恩師や周囲から自分は認められているのだという安心感を本人が持てるよう寄り添う環境の整備が及第点かととはいえ…支援方法を探求し続け、このように見聞を拡める方がいらしてる現実、世の中捨てたものじゃありませんね!素敵です担任の先生と言われる日常的に児童と接する教育者による児童各々の分析精度や教育者本人の情緒も含めた価値観、教育者と監護者との関係性等…国は本気で環境整備を進めてほしいものですとある処の〇〇雑技団をオマージュし、ありとあらゆる方面の才能を国が閉鎖的に包括するような事態を懸念してます
中学3年の息子が2Eと呼ばれるギフテッドではないかと他の機関や学校以外の場で言われながら義務教育を過ごしてきました、特に中学時代は全く理解されなかったので、フリースクールへ転校。理解のあるフリースクールで伸び伸びと過ごせています。いかに学校教育が合わなかったかと言う事に痛感しました。フリースクールで過ごしていると感性の豊かさが顕著に出たり、場面に応じて切り替えは可能なので 自宅近くの診療所でのASD?の診断には少し疑問はあったり、専門家にじっくりキチンと見てもらいたいとは思ったりします
これは感覚値も含みますが、通常学級の仕組み(一つの学び方)にあう人は6割程度と言われていますよね。4割も通常に合わない人がいるならば個別が許される学び場になるのが理想ですね。
小中向け支援 38:21
私も成績が一位でしたが、発達障害ではなく、HSPが一番近いと思いました。神経症教育の中に感受性の子供を入れるのはあまりにも雑だと思います。ADHDの病気になります。記憶も失います。IQや、ADHD, HSP, EQ に関して、感受性系の子供をまとめると能力を受け取りあって、みんな能力が上がると思います。脳内成分が違うわけですから、神経症的性質とは分けるべきだと思います。
マスキング能力に長けた発達障害者ははどうなるんだろう。特に女の子には多いのでは。
能力は能力、障害は障害なのに、一緒にする事で社会的不適合のラベリングをしていると思います。税金も得やすいのでしょうけど、金持ちを支援すると同様な次元で、社会的な損出だなと思います。
ADHD/ASD診断済ですが、2Eまたはギフテッドであった可能性があると感じている中年当事者です。
30年ほど前、高校時代にスイスに留学していた際、何人かの外国人教師にtalentedやgiftedと評されたことがありますが、当時はtalentedやgiftedなどという言葉は日本では存在しないといってもいいくらいだったのでその意味合いがわからず、その後社会人になって不適合を起こし、30代中頃でADHDと診断されました。
診断を受ける際、WAIS-IIIの結果は片桐先生が仰るように言語理解や知覚統合が高く、作動記憶や処理速度は平均よりやや下という形で、ADHDの診断をされた先生も「ディスクレパンシーは明らかにあるけどね、でも低い方もほぼ平均くらいだしね…でもADHDっていってもいいのかな」といったような形で首をひねりながら診断を下されました。
最近になってギフテッドが取り上げられるようになって、「自分はもしかしてギフテッドだったのでは?」と思っているというような人間ですが、その当事者として感想を。
動画中、鈴木さんはギフテッドも発達障害に包含してしまっていいのでは、と仰っていましたが、私自身、子供の頃は不注意で忘れ物や遅刻はよくありましたが、授業中は多動らしい多動はなく、せいぜい多弁であるくらいで、ADHDにピタリ当てはまるわけではありませんでした。
興味のある教科についてはかなりいい点数を取れましたが、興味がない教科も平均より少し上ではあるものの、成績のよい教科よりはかなり落ちる成績になる、といった傾向が常にありました。
こういう場合に、仮にADHD児のように不注意とか多動をメインにした支援教育を受けたとしても、正直ピント外れな感じを受けただろうなと今思います。
当時、たまたま自分の親が興味のあることを伸ばすよう家庭教育をしてくれたおかげで今なんとか過ごせていますが、そうではなく興味のない教科に対しても「集中力を鍛える」「大人しく授業を受ける」みたいな感じの支援をされていたら、やはりそれは反発したり無視したりしてしまっていただろうと思います。
現実に今でもADHDやASDの臨床像を知れば知るほど、なんか自分に似てはいるけどどうも当てはまらないなと思うところも多く、しっくりこないなと思っているので、子供であればそこの差異は余計に感じると思います。
確かに発達障害も様々な臨床像があるので、個別最適化されていれば支援プログラム上はそこまで問題ではないのかもしれませんが、日本では往々にしてラベリングしたものに画一的なプログラムを当てはめて(押し込んで)しまうところがあるので、発達障害とギフテッドを同一視するのではなく区別して考えましょうという片桐先生のご意見にすごく納得できたところです。
いずれにしても学びの多いセミナーでした。公開して頂けたおかげで拝聴できたのは幸運でした。
ありがとうございました。
先生のお話にとても共感します。 娘がギフテッドですが彼女が好きな事をやれて、伸び伸び過ごせる教育環境が必要です。でもそれはギフテッドに限らず全ての子供と私達大人にも言える事だと思います。
最後の質問にそうそうと思うと同時に、答えにちょっとがっかりしました。ギフテッドでも発達障害でも「大人は?」って言うと「今困ってなければいいんじゃないですか?」って。これ、どこに言ってもめっちゃ言われますね。困ってなければこんなところに顔を出さないし、精神科の門も叩かないのに。子供には「将来困らないように」というのに、実際大人になって困っていたら「さぁ?」なのは支援としてなんだかちぐはぐさを感じます。今支援されている子供たちも、大きくなったら梯子を外されるんじゃないかなと思えてならない。
当社がそう思うかどうかは別として…通常、ギフテッドとは子ども向けの定義だということだと思います。つまり可能性のある段階の子どもについていう…。でも大人になったら可能性云々ではなく、今できることで評価される。なので専門家もあまり大人について考えていないのかなぁと感じました。
一方で子どもの問題が大きくて大人まで手を付けられていないということも言えるかもしれません。
いずれにせよギフテッドと言っても発達障害でも他の人の支援でも必要な一人一人の特性を客観的に機能的に分析していくというところは変わらないので、大人になったら何もなくなるというわけではないと思います。
先生の話の小さなニュアンスが伝わる人が少ない状況が、ギフテッドの子が学校で抱える悩みと共通する。
発達障害と分けて理解してもらえる環境は必要です。
大学生の息子は、ASD&ADHD&高IQです。通級など支援を受けて来ましたが、特別支援の枠組みでも当てはまらない点が多く、対応が難しかったです。
最近2Eの概念に触れ、発達障害の特性とギフテッドの特性が相殺し合うこと、高IQならではの伝え方が必要なことなど、知りました。本人の納得が意欲と行動につながるので、自己理解を促しつつ、対応していきたいと思います。
わかる。わかる話ばかりです。とっても、良くわかります。とても良いお話です!
良かった
集中すると半端ない集中力
叱ればきちんと理解でき、治そうとする
人の気持ちや痛みがわかる。
北海道教育大学旭川校教授・片桐正敏先生の、GIftedへの理解と温かいまなざしに感銘を受けました。
一方、株式会社Kaienの社長は、何度も何度も、Giftedと発達障害は同じとおっしゃり、Giftedという概念を認めたくないことに驚きました。なぜGiftedと発達障害は同じだと固執されるのか、理由を教えてください。
ギフテッドの説明は発達障害で説明が出来てしまうところがあります。もちろん診断レベルほどではないという主張もあると思いますし実際そういう人もいると思いますが、そもそも発達障害的な特性は連続的な概念でいわゆる診断閾値下も含めると十二分に発達障害の特性で説明できると思われるからです。いわゆるニューロダイバーシティ的に考えたほうが良いのではということです。
一方でギフテッドで説明したい人を否定したいわけではありません。ただしアプローチとしてギフテッドへのアプローチも発達障害へのアプローチも結局は一緒であり、そういう意味でもわざわざ分ける必要を感じないというのもあります。
片桐先生は発達障害だとTEACCHやABAを無条件で当てはめるという主張をされていましたが、そのような「一部の支援者」は個々人の違いを見えていない人であり、そもそも発達障害の方の支援も出来ていないのではないかと思います。
本当、ギフテッドを活かすも殺すのも関わる大人だと思う。昨今このように認知されて嬉しく思います。
OECD世界と比較すると日本は教育予算下から2番目です。ですので文科省は何も知らないと思います。
とても参考になり腑に落ちました。
わが子をみるに、明らかにギフテッド要素とADHD要素の両方を併せ持つ2eであり、これらは別の特性だと実感します。
文章を丸呑みするように理解し、頭の中ではいろいろ空想しているけど、明らかな実行機能の欠如がある。読書は好きだけど、切り替えられないほどの過集中はない。これはASD傾向の皆無から来るのもあるかもしれません。人が好きで、人といることが苦痛でないので、読書とリアル世界の往き来が楽にできるようです。
そして、書きと聞きの苦手さ。クラスでの様子を見ると、LDや軽度難聴の範疇に入るのでないかと思うほどの継次能力の低さですが、言語や知覚推理の高さにマスクされてしまい、担任にもスクールカウンセラーにも理解してもらえない。学校の理解と配慮を得るために、ADHDの診断は取り、IQ値は隠したまま小学校を卒業しました。
ギフテッドだからレベルの高い教育を受けたいというよりも、書きと聞きの苦手さから解放させてもらえる授業構成だと、非常にありがたかったです🙏わが家は中学受験してICTと協同の学びの実践校に進み、手書き負担や聞きの低集中の課題から、だいぶ解放されました。
地域の学校でも、個別最適化と協同の学び、両輪がうまく回りはじめますよう祈っています。
😊
ギフテッドは発達障害でもあるよね。 おいらも不登校中2の発達障害。ギフテッドではないけど発達障害はギフテッドと同レベルにつらいし苦悩の塊。 発達障害は言語がいらつくような言動を取ったり、精神的に弱い人が発達障害にはなぜか多いのです。 魂レベルが高いのでしょう。発達障害の子供はとても美しいんです。 才能の塊だ。ですが思春期はめちゃめちゃ悩む時期なのです。 人不信にもなります。 by現不登校中2より 無勉強
必ずしもギフテッドが発達障害であるわけではないよ
発達障害を美しいと思い込むことで自分を守ってることが想像される文章
ギフテッドの才能をほったらかしの状態は、もったいないと思います。
恩師や周囲から自分は認められているのだという安心感を本人が持てるよう寄り添う環境の整備が及第点かと
とはいえ…支援方法を探求し続け、このように見聞を拡める方がいらしてる現実、世の中捨てたものじゃありませんね!素敵です
担任の先生と言われる日常的に児童と接する教育者による児童各々の分析精度や教育者本人の情緒も含めた価値観、教育者と監護者との関係性等…
国は本気で環境整備を進めてほしいものです
とある処の〇〇雑技団をオマージュし、ありとあらゆる方面の才能を国が閉鎖的に包括するような事態を懸念してます
中学3年の息子が2Eと呼ばれるギフテッドではないかと他の機関や学校以外の場で言われながら義務教育を過ごしてきました、特に中学時代は全く理解されなかったので、フリースクールへ転校。理解のあるフリースクールで伸び伸びと過ごせています。いかに学校教育が合わなかったかと言う事に痛感しました。フリースクールで過ごしていると感性の豊かさが顕著に出たり、場面に応じて切り替えは可能なので 自宅近くの診療所でのASD?の診断には少し疑問はあったり、専門家にじっくりキチンと見てもらいたいとは思ったりします
これは感覚値も含みますが、通常学級の仕組み(一つの学び方)にあう人は6割程度と言われていますよね。4割も通常に合わない人がいるならば個別が許される学び場になるのが理想ですね。
小中向け支援 38:21
私も成績が一位でしたが、発達障害ではなく、HSPが一番近いと思いました。神経症教育の中に感受性の子供を入れるのはあまりにも雑だと思います。ADHDの病気になります。記憶も失います。IQや、ADHD, HSP, EQ に関して、感受性系の子供をまとめると能力を受け取りあって、みんな能力が上がると思います。脳内成分が違うわけですから、神経症的性質とは分けるべきだと思います。
マスキング能力に長けた発達障害者ははどうなるんだろう。特に女の子には多いのでは。
能力は能力、障害は障害なのに、一緒にする事で社会的不適合のラベリングをしていると思います。税金も得やすいのでしょうけど、金持ちを支援すると同様な次元で、社会的な損出だなと思います。