関ヶ原の戦い【毛利はなぜ寝返ったのか?】 現在の地形図から謎に迫る。 (毛利元就・毛利輝元・吉川広家・小早川秀秋)

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  • 関ヶ原の戦いにおいて最も重要な役割を果たした毛利一族。
    毛利輝元、吉川広家、小早川秀秋・・彼らはどう動いたのか?
    現場へ行って確かめてきました。

КОМЕНТАРІ • 124

  • @taroyamada7372
    @taroyamada7372 Рік тому +22

    小早川秀秋は優柔不断で土壇場でもどちらに付くか決断できない男に描かれますが、慶長の役の蔚山の戦いで混乱して逃げて行く明の大軍を執拗に追っかけ回して多数討ち取った猛将です。

  • @fukulyu241
    @fukulyu241 2 роки тому +39

    実際に現地を見るとわかることがありますね。
    もし、毛利・吉川・小早川が内通していなかったら、家康が敵勢に囲まれた関ケ原までのこのこ進軍してくるわけがないですね。

  • @修行僧
    @修行僧 Рік тому +14

    わかりやすすぎてビックリ。
    三本の矢のうち、二本だけが残るというのが、リアルだなあ。
    私の地元は小早川のいた三原市だけど、同級生も大人も、だーれも小早川の話なんかしなくって、大人になって小説を読んでるときに初めて地元だとわかった。
    主君を守るための自己犠牲の養子ゆえの滅びなのに、悲しいよ。

  • @to5093
    @to5093 2 роки тому +30

    総大将の輝元が大阪城に篭らず関ヶ原に出向いておれば、小早川の裏切りも吉川の怠けも無かっただろうなぁと想像したりしなかったり

  • @yt-bx9uu
    @yt-bx9uu Рік тому +9

    島津の退き口の動画も見ました。正直すごく感動しています。ちゃんと地形で観るのはすごく大事だと思いました!

  • @user-bx5ki2mo8b
    @user-bx5ki2mo8b 2 роки тому +20

    毛利元就からの吉川小早川両家への関係がはっきり理解できました、それと西軍陣地の位置関係も現場目線でとても分かりやすくおもしろかったです
    江戸末期から明治維新にかけては関ヶ原の戦い後の処遇が影響していたのでしょうか、その点もとても興味深かったです

  • @qwert8519
    @qwert8519 2 роки тому +24

    取材お疲れ様でした。わかりやすかったです。

  • @kkyy3433
    @kkyy3433 2 роки тому +21

    毛利元就の子は三兄弟と思ってる人めちゃくちゃ多いけど実はもっと多い

  • @user-ib1tl5vy7h
    @user-ib1tl5vy7h Рік тому +7

    はじめて毛利小早川吉川の関係と関ヶ原での裏切りの背景が理解できました。ありがとうございます😊

  • @admjgptwm
    @admjgptwm Рік тому +16

    毛利家の解説がとても分かりやすかったです!関ヶ原に至る過程ではそれぞれの年齢が分かるとより良いと感じました。広家と輝元の年の差などわかれば力関係もなんとなく見えたのかなぁと。

  • @isawisaw655
    @isawisaw655 Рік тому +10

    この絵柄の三兄弟なら天下を狙えそう

  • @meroppa1
    @meroppa1 2 роки тому +37

    サリンとガンダムの動画で感動してから新作期待してました。テイストが違うのに分かりやすさは相変わらずです。もっと評価されて欲しい。

  • @user-kw7sk9uv4h
    @user-kw7sk9uv4h 10 місяців тому +2

    毛利家は複雑で、関ヶ原で吉川、安国寺らの意見が割れていたというのは知っていましたが、それぞれの家系の流れ理解が及んでいませんでしたが、全部わかりました。
    ありがとうございます!

  • @deathmelonpan
    @deathmelonpan Рік тому +2

    日本史苦手で学生時代はいつも赤点で好きになれなかったのですが、こちらのチャンネルの動画わかりやすくて面白くて日本史って面白い!!と目からウロコです。

  • @satokoichi1778
    @satokoichi1778 Рік тому +6

    馬謖の古事にもあるように、山の上に陣を敷いてる時点で石田陣営に察せよと言いたかったというのもあるかも。

  • @ra-ku-da
    @ra-ku-da 11 місяців тому +1

    理解しやすさ優先でとても面白く拝見できました

  • @user-gl8cz7ro6m
    @user-gl8cz7ro6m 2 роки тому +9

    勉強になります。
    ありがとうございます。

  • @notewave3228
    @notewave3228 Рік тому +4

    私も20年ほど前に松尾山に登ったことがありますが、こんな所から急斜面を駆け下りて攻撃するどころか、
    下から鉄砲を撃って脅すことさえ絶対無理(つまり作り話)だと思いましたね。
    近年では、秀秋は松尾山から降りた低い台地から大谷吉継に襲い掛かった説が有力のようです。

  • @user-nh6ji8db6s
    @user-nh6ji8db6s 2 роки тому +13

    これもまた、最後泣ける程悲しい。吉川さんに感謝感謝。あぁ毛利家。

  • @user-hn6dh8lq4l
    @user-hn6dh8lq4l 2 роки тому +7

    安国寺恵瓊は安芸武田家の流れともいわれていますね。有田中井手の戦いで毛利元就が下します。ちなみに小早川家は明治維新後にお家回復します。長州の執念を感じさせますね。

  • @user-qc2id8mq5f
    @user-qc2id8mq5f 2 роки тому +8

    サウザーに笑ってしまいましたw

  • @user-jt8qs3mm5q
    @user-jt8qs3mm5q 11 місяців тому

    9:20
    このあたりめっちゃ分かりやすくて
    最高です!

  • @user-di1uc7oe5p
    @user-di1uc7oe5p 2 роки тому +8

    毛利は毛利家の存続が最大の目的。石田のみっちゃんはわかっていても、仁義振りかざしてであるべき論。隆景存命なら家康につくから、関ヶ原ももっと違っていたかな。

  • @chamochamo-chun
    @chamochamo-chun 2 роки тому +14

    すごく分かりやすくておもしろかったです。ありがとうございました。

  • @user-gd5xt6lp2k
    @user-gd5xt6lp2k 2 роки тому +24

    そして吉川は領地を減らされた毛利内で皆からの恨みを買い冷遇されました

  • @user-kt1ld4xt5e
    @user-kt1ld4xt5e Рік тому +4

    吉川広家・小早川秀秋あたりは家康に恩義があり三成には遺恨があるので、元々からして西軍側で参加する義理も何もないですからね。
    寝返りというか最初から家康に付く気マンマンだったでしょう。
    三成はそれを戦力として当てにしていたんだとしたらそりゃ失策でしょうなぁ

  • @mff_channel_naka
    @mff_channel_naka 2 роки тому +12

    吉川広家が迅速に動けないように押し込めたんだな

  • @nichirowar
    @nichirowar 11 місяців тому +2

    まあ史実の動きを見るに岐阜城が一日で陥落した段階で毛利家は西軍を見限ってるよね

  • @sakuragami-emaki
    @sakuragami-emaki Рік тому +1

    小早川秀秋については、隆慶一郎『柳生非情剣』の一編「逆風の太刀」が忘れられないなあ。

  • @klmklm1237
    @klmklm1237 Рік тому +7

    今日初めてこのチャンネルを「発見」し、
    1時間程前より朝鮮出兵、関ヶ原と連続で拝見していますが、
    動画内の字幕コメントの面白さに爆笑しています。
    島津の退き口の 「 景色に見とれている場合ではありません 」 の2回繰り返しなどがそうです。
    この動画の9:24の「ゆとり世代 不忠者 何も出来ない子 いらない子」もそうです。
    戦国時代にゆとり世代という言葉が無いのは明白ですが、
    そういう言葉の選択が「 ナンセンスギャグ 」になっていて笑えるのです。
    「内容が真面目」系の動画では、見る側が途中で息抜きできる場面がなければ
    連続視聴しているとだんだん疲れてくるものなので、
    このような笑いを誘う要素はとても重要だと、これまでの自分の経験から思っています。
    動画作成&UP、有難うございます。
    興味がある分野や、知識が今一つ曖昧な分野でも、
    本屋や図書館に足を運んで自分にも読めそうな手頃な本を探してみるのは
    敷居が高かったりするので、
    このような動画はとても助かります。
    使われているBGMも面白いです。

    • @Hatomaru-l5s
      @Hatomaru-l5s Рік тому +7

      堅苦しくないという点では大変に評価できますが、ステレオタイプ的な認識や誤った情報が散見されるのであまりこの動画を鵜呑みにしない方がいいとは思います

    • @klmklm1237
      @klmklm1237 Рік тому +1

      @@Hatomaru-l5s 余計なお世話です。

  • @amidalapadme2004
    @amidalapadme2004 2 роки тому +10

    ジャギも仲間に入れてあげて

  • @user-mj7qh7kd7e
    @user-mj7qh7kd7e 2 роки тому +7

    三男はジャキですよね😆

  • @user-fm7bh3bj7f
    @user-fm7bh3bj7f Рік тому +3

    すごいわかりやすい動画でした。ただ最近の輝元研究ではひ弱な3代目では無くて野心的な人物だったのではとの考えが主流なので、時代によって見え方が大きく変わる歴史は面白いなと感じます。

  • @user-gd5xt6lp2k
    @user-gd5xt6lp2k Рік тому +3

    輝元の初動の軽率さに重臣達や秀元ですら非難をしています。関ヶ原に行くまでは秀元以外、裏で徳川方と交渉している状況でした。たとえ、吉川に遮られてなくても重臣からの妨害はあったと思われます。ちなみに小早川は東軍に合流しょうとして出来なく松尾山に陣取り、それに危機感を覚えた西軍主力が大谷隊の支援のために大垣城を出たのが真相らしいですよ

  • @user-wu6fm9hx5m
    @user-wu6fm9hx5m Рік тому +2

    そんな複雑な事情があったんだな。💧
    彼らにはそれぞれに信念があったんだろうけど。

  • @user-st3td1fq7u
    @user-st3td1fq7u 2 роки тому +8

    私も松尾山や南宮山登ったことあるけど、問鉄砲は少なくともウソだろうな、と思いました
    聞こえるわけねー

  • @user-hl8fs7vv8h
    @user-hl8fs7vv8h Рік тому +2

    南宮神社は初詣によく行ったものですが、登れるとは知らなかった。
    面白かったです。

  • @user-cs6zx4vl3b
    @user-cs6zx4vl3b 2 роки тому +13

    毛利三兄弟が、北斗の拳で草。
    鬼滅の刃を用いるのも、草。

  • @taya1269
    @taya1269 Рік тому

    凄い面白い
    他のも見漁ります😂

  • @daihuku494
    @daihuku494 9 місяців тому +1

    マジで面白い

  • @hiyoko.life.design
    @hiyoko.life.design Рік тому +2

    全てのカギを毛利家が握ってたんですね
    こうしてみると、秀吉と光秀に裏切らせて、信長を討ったのも毛利家かも知れない
    毛利一代は諜報や裏切りで代を成したのだし

  • @nanamiso22
    @nanamiso22 Рік тому +5

    歴史詳しくないけど、信長の野望やっててなんで小早川隆景が超強くて、秀秋クソザコなんやろと思ってたけど、そういうことか。
    めちゃわかりやすいですね。

  • @oranssi14
    @oranssi14 Рік тому +3

    北斗三兄弟
    木下藤吉郎=プロゴルファー猿!
    最高です!

  • @sf9374
    @sf9374 Рік тому +4

    関ヶ原後の毛利は酷い⤵️

  • @swh-iaconference9436
    @swh-iaconference9436 Рік тому +7

    会津出身の西田敏行は、某氏から「薩摩の西郷は演じても良いが、長州人は絶対✖︎」と言われたそうですね。

  • @sgtgj205
    @sgtgj205 2 роки тому +14

    家康が南宮山を越えた西に陣を構えた時点でおかしいと思わず「勝った」と思った三成の負けやね

  • @user-st3td1fq7u
    @user-st3td1fq7u 2 роки тому +8

    「さりとてはの者」
    なかなかの切れ者
    一目置くべき者

  • @alpinistrascal
    @alpinistrascal 2 роки тому +10

    関ケ原の近くにお住まいなのでしょうか?
    羨ましいです

  • @user-il8pv6ml2p
    @user-il8pv6ml2p Рік тому +5

    ケンシロウのちょんまげが似合ってなくて面白いサウザーは似合ってるのに

  • @user-wc5yu4hn6k
    @user-wc5yu4hn6k Рік тому +7

    13:39 宰相とは参議の唐名でここで言っている宰相殿とは毛利秀元のことですよ
    ※吉川広家は参議になっていません
    また小早川家は当時筑前名島59万石を領しており毛利本家とはほぼ切れていると言っても過言ではないです(本戦前も伏見城を落とした後はほぼ単独行動している)
    そもそも広家や秀秋と三成らとの確執を説明しないのはタイトルに反するんじゃないかと……

  • @user-wd6fi3vw7z
    @user-wd6fi3vw7z 2 роки тому +4

    息子は優秀だったけど孫世代は……
    ある意味天下を狙わなかった毛利の弊害なのかなって
    結局孫世代は闘争をほぼ経験しなかったのかなって

  • @user-dv1oo3ms2n
    @user-dv1oo3ms2n 2 роки тому +1

    こんな歴史的遊歩道、わしも歩いて頂上の景色を俯瞰して見たい☹️でも、遠いんだよね、わしのとこから🥵

  • @user-so3mu7xn9y
    @user-so3mu7xn9y Рік тому +9

    270年後末裔たちが怨恨をはらすとは、人の恨みとはなんと恐ろしいものか。

    • @user-fl6ek2yq1n
      @user-fl6ek2yq1n Рік тому +5

      長宗我部盛親の家臣団も自分たちを長宗我部侍って言って内心では冷酷な山内家と徳川家をずっと敵視してましたからね。大坂の陣の真田幸村の家臣などの名のある敗残兵の一部も密かに土佐に棲み着いて、明治維新期に陸援隊に入った人もいます。
      鹿児島薩摩の西郷隆盛は、南北朝時代の南朝忠臣菊池武時の子孫であるが故に尊王派の力を持っていて、倒幕を主導したわけですから、明治維新期に、毛利か薩摩か土佐あたりのどこかに南朝の子孫がいたかもしれません。そうなると何百年越しの因縁ってことですね。

    • @alexale4074
      @alexale4074 Рік тому +1

      長宗我部にしろ毛利にしろ
      朝廷との調停や連絡に齟齬があったのでしょうよ

  • @user-wj2it6zn6b
    @user-wj2it6zn6b Рік тому +3

    家康と言う人間をもっと知ってたら裏切らなかったかもね
    もしくは石田三成が大将でなければ

  • @nitro2525k
    @nitro2525k 2 роки тому +5

    7:10は外交交渉に決裂したことに対する信長への当てつけと、直接顔を合わせた秀吉を持ち上げてるだけにしか見えない。本能寺の変は必然では無いからなぁ。

  • @sadakichi1000
    @sadakichi1000 Рік тому +5

    家康が小早川に督促をするときに、鉄砲?大筒?を打ちかけたという話はよく聞きますけど、当時の銃や大砲の射程であの山の上まで本当に届いたんでしょうか?

    • @user-xy1jt9lu1n
      @user-xy1jt9lu1n Рік тому +1

      普通に威嚇射撃だと思いますが。

    • @user-xy1jt9lu1n
      @user-xy1jt9lu1n Рік тому +3

      @@user-jd5gf7oo7x 歴史家が精緻な文献解析を試みて新説を唱えるのは別に構わないし、立派なことと思いますが、正直、私は眉に唾付けて聞くようにしています。歴史家は別に軍事や経済、技術や外交に詳しいとは限らず、頓珍漢な解釈をしていると思うことがよくあるからです。
       例えば、長篠の戦で、信長の三段撃ちが無かったというのが、暫らく前からの説ですが、それを否定するのに、千人横隊での一斉射撃は現実には無理という「検証」によるものとテレビで視て呆れました。小隊ごとに撃ったに決っているだろうと、その歴史家の軍事常識の無さにビックリしました。こういうのは、兵卒が小隊で並んで鉄砲を構え、下士官の𠮟咤の下、将校が指揮して撃つに決っているのです。
       それ以来、確実に偽説、創作と確定できる確証がない限り、定説を採用するようにしています。

    • @user-xy1jt9lu1n
      @user-xy1jt9lu1n Рік тому +3

      @@user-jd5gf7oo7x 「後に創られた可能性が高い」←そこなんですよね。確かに勝てば官軍ではありますが、だからといって権力者側が好きに歴史を改竄・創作したと考えるのは、いかにも共産主義的な、全体主義的な思考なので、全くしっくりこないんですよ。じゃあ、本当に創作なんですかと問われて、「創作です」とは断言できないでしょう。私は、歴史の伝承というのは、殷墟や始皇帝陵、シュリーマンの発掘に見るように、意外に信ずるに値すると考えるので、「一次資料がない限り、信ずるに値しない」は、やり過ぎ、言い過ぎだと思うのです。
       江戸時代に確立した講談では、当初は、大名家や重臣たちに、講釈をさせるところから始るのですが、姉川の戦い、三方ヶ原、長篠、小牧長久手の四つが基本です。一番最初に講釈師が話すのが、何と言っても、家康が大敗した三方ヶ原からだそうです。脱糞したことも民衆にはよく知られてましたので、そこから天下を治めた神君が凄いということではあっても、意外に公平なのです。
       小早川秀秋が、関が原後、周囲の「裏切者」という(暗黙・明示の)責め苦に耐えかねて、酒に走って早死にしたというのは、どうにも実際のよう(肝硬変でなければ、急性アルコール中毒かも)ですし、それは、裏切り方が臆病で卑怯だったと目されていたからではないかとも考えられますよね。だったら、問鉄砲だったと考えても自然な話です。
       問鉄砲をしても弾が届かない、という意見も一見もっともですが、逆に届いていたら、死傷者が出た訳で、恐ろしいですよ。陣の前方に展開されて、砲門を自方に向けられて威嚇射撃をされれば、それは怖いですよ。本当に弾を浴びせるのが目的ではなく、家康にとっては、政治的な目的を達するのが肝心な訳ですから。

    • @user-xy1jt9lu1n
      @user-xy1jt9lu1n Рік тому +1

      @@user-jd5gf7oo7x あら、深夜に絶叫したら、近所迷惑ですよ♪……さて、誰が「一次資料に頼らないで、江戸中期の軍記物を信用する」なんて言ったよ。失敬な奴だな。
       歴史は、物語ですよ。宗教でもなければ、科学でもない。もっと言うなら、共有認識の集合体です。だから、変らない訳ではないが、極めて保守的なものです。それ故か、動画主さんは、「通説」に則って、現地調査、又はグーグルアースを使って地理調査し、その上で何が推察されるかを配信しています。立派な姿勢です。
       「通説」には、それなりの重みがあって、各地に伝承が残っています。古代でさえも勿論そうです。ウチの近くにも、源氏のお偉い何某が平安時代末期に馬を繋いだ松、とかが残っていて、地元に厚く尊崇されています。神武東征とかも、そうです。これが、「共有認識の集合体」たる歴史を紡いでいるのです。こんなことは、各地にあります。地名にさえなっています。一次資料が最重要視されることは論を待たないのですが、それしかない、とするのは、絶対におかしいのです。
       あなた、そもそも、なぜ現在、こんなに文献に基づいた「実証史学」が重視されるか、ご存知ですか?これは、嘗てマルクス主義史観に沿って日本史を解釈する歴史学が、決定的に破綻した反省で生れたことです。でも今は、それが行き過ぎて、文献に現れないことは、無かったことだとの極論が歴史界を支配しています。こんなのは、イデオロギーに過ぎない。
       私はね、問鉄砲はなかった、とか、小早川は最初から東軍だった、とか、或いは「三段撃ちなんて嘘嘘」とかが事実であっても、一向に構いません。でもね、私達は、これまでに残されたものから推測するしかないのです。新説が出てもいい。有力説とかが出てもいいでしょう。しかし、その根拠が、「小早川陣に鉄砲玉は届かない」とか、「千人が横隊で、一斉射撃は出来ない」とかいう稚拙なものならば、いやいや、そんな筈ないでしょ、と突っ込むだけです。そんな理由なら、充分反駁可能ですから。否定するなら、それなりの根拠を示さねば。それは、我々のような素人ではなく、あなたのような?「専門家」がやるべきでしょう。
       私だけでなく、色々な方が、そういう傲慢な「歴史家」が、トンチキな「珍説」を述べ立ててくることに辟易としていて、本当に顰蹙を買っています。
       科学者の場合、素人に罵声を浴びせる人を見たことがありません。ところが、文系の場合、「ヴァカ」などと罵しる「専門家」が後を絶ちません。これは、人間としてのモラルの欠如だと思います。
       これが「最後」だと言うんなら、それでいいでしょう。私も最後にします。でもこれで益々、歴史の「専門家」に不信感が募ったとは言っておきましょう。蛸壺もいい加減にしたらどうでしょうかね。

    • @user-xy1jt9lu1n
      @user-xy1jt9lu1n Рік тому +1

      おーい、ブルースカイとやら、全部消えてるぞ。遁走かよ。なんて卑怯な奴。やっぱりそういう奴だったんだな。ビックリしたわ。侮蔑する。

  • @Hatomaru-l5s
    @Hatomaru-l5s Рік тому +2

    割とステレオタイプな感じですね

  • @user-xy6nf4zi4t
    @user-xy6nf4zi4t Рік тому

    確かに南宮山といい、松尾山といいおかしいですね。新説の最初から小早川は東軍で、石田三成方は一方的に敗れ去ったのが本当かもですね。

  • @sohno
    @sohno Рік тому +1

    最近では違う説も出てるようですが松尾山や南宮山がどえらく遠いことはよく判りました。

  • @user-jx3pu5nh2l
    @user-jx3pu5nh2l Рік тому +2

    宰相は毛利秀元。広家は侍従だよ。

  • @tystyp
    @tystyp Рік тому +1

    恵瓊がそのまんま過ぎてワロタw

  • @2010atoz
    @2010atoz Рік тому

    現代なら、山の高見に陣取って動かない奴らには下から迫撃砲を撃ち込みたい心情が良く理解できました

  • @user-jy4bm5vz4o
    @user-jy4bm5vz4o 2 роки тому +8

    石田の人望が無さすぎた。
    武将派に憎まれ佐和山へ引退させられるわ、挙兵しても毛利一族からは完璧に裏切られるわ、最初から勝負あった😜

  • @user-ws5pm2wx7t
    @user-ws5pm2wx7t Рік тому +4

    5:28「同盟の証として次男の元春を養子に出します→領主の吉川興経とその息子を殺して吉川家を乗っ取ります」即落ち2コマ

  • @user-nz2wf4zt7u
    @user-nz2wf4zt7u 4 місяці тому

    毛利が高陣。陣は高きに作れってね。
    毛利さんちは元就の時から誰よりも高く陣を作るのよ。

  • @spiritual-world-universe
    @spiritual-world-universe 10 місяців тому

    毛利やべ。吉川家と小早川家乗っ取ったって知らなかった。

  • @yamatanooroshi
    @yamatanooroshi Рік тому

    こうして見ると石田三成は既に毛利を疑って布陣してるよね。

  • @weissagen
    @weissagen Рік тому +1

    3本の矢の3兄弟が今話題の兄弟力士「若隆景」や「若元春」の元ネタなのよね
    なのでちゃんと「若隆元」というお兄ちゃんもいます

  • @47kbn42
    @47kbn42 2 роки тому +10

    戦犯の吉川広家さん、子孫はあの有名な吉川晃司さんだとか…

    • @sadakichi1000
      @sadakichi1000 Рік тому +6

      吉川晃司さんが大河ドラマ「天地人」で織田信長役をやられた時、お身内の長老の方々から「敵の役なんて断れ!」って怒られたそうですね。

  • @nekosuke87jp
    @nekosuke87jp Рік тому

    本当にわかり易くて面白い動画です。この北○の拳面子の毛利家なら信長、秀吉より先に天下統一していたかもしれませんね(笑)。

  • @user-qm2sz7pm5y
    @user-qm2sz7pm5y Рік тому +1

    毛利氏実は北斗真拳の人物だよ、それから鬼滅之刃に変わり行きました

  • @tansoku2023
    @tansoku2023 Рік тому +1

    石田三成の調整不足

  • @mige11000
    @mige11000 Рік тому +2

    予想以上に狭い地域ですね。なんか密集突破に見える。

  • @user-qs7ws8lh7u
    @user-qs7ws8lh7u 2 роки тому +6

    これは江戸時代の創作で実際は家康が到着したと同時に挟撃して一瞬で西軍壊滅らしいね
    まあ、、これだと西軍弱すぎだから話盛ったんだろなあ

  • @andykamisama9406
    @andykamisama9406 Рік тому +1

    息切れすぎwww運動を٩̋(๑˃́ꇴ˂̀๑)

  • @syuku99
    @syuku99 2 роки тому +3

    宰相は秀元のことですよ。安芸宰相なので

  • @user-sz4qi3tp2v
    @user-sz4qi3tp2v 2 роки тому +6

    裏切った人達は大体没落しているみたいな。😅
    毛利も家康を恨むのも筋が違うと思う。
    狩りが終れば猟犬は煮られるのが世の常なのだ。

  • @user-lb1zt6zh1e
    @user-lb1zt6zh1e Рік тому +1

    相変わらずのジャギ様不遇だな。
    本当は北斗四兄弟なのにリュウケンと共に継承者の座を争ったにコウリュウってのが居て思わず北斗三兄弟って言ってしまったからこうなった。
    もっと言うとリュウケンの弟子に破門されたキムっていうのが居るんですよ。

  • @poipoi3693
    @poipoi3693 10 місяців тому

    小早川秀秋はあの肖像画で損してる

  • @yonyon8387
    @yonyon8387 Рік тому

    北斗風のチョンマゲイラストは自分で書いてるの?発注してるの? w

  • @abc-yl7jf
    @abc-yl7jf 2 роки тому +7

    毛利家の家系図親戚が持ってる、 毛利元就の子孫らしい

    • @user-il2vc5op9c
      @user-il2vc5op9c 2 роки тому +1

      私は持ってませんけど元を辿れば天野元政になるって言われています

    • @abc-yl7jf
      @abc-yl7jf 2 роки тому +3

      @@user-il2vc5op9c 僕の苗字も天野です

  • @user-du8hz7ex8t
    @user-du8hz7ex8t 2 роки тому +2

    裏切り者を粛清しろ。

  • @user-vw7ei5pm7z
    @user-vw7ei5pm7z 2 роки тому +3

    小早川が味方を裏切り攻撃した事は
    後世に裏切り者と言い伝えられる

  • @asaichban9842
    @asaichban9842 Рік тому +1

    単純に寝返ったわけではないでしょう たまたま数時間で終わったからそう見えただけ
    毛利と言っても いろんな人がいた、統制の取れなかった毛利 しかし生き残って維新を起こした

  • @japsamurai5345
    @japsamurai5345 2 роки тому +5

    吉川広家が裏切り物とする根拠は何?史実を読み、古文書を読み歴史を見るべき

  • @user-mr6td8de5y
    @user-mr6td8de5y Рік тому

    裏切り者か

  • @kingofmarty
    @kingofmarty Рік тому +1

    長州藩の倒幕が徳川家への恨みなんて言いますけど、元々、中途半端な事ばかりしてる毛利一族が悪い。
    飛んだ逆恨みだし、ダメ息子たちばかりで3本の矢が可哀想

    • @Hatomaru-l5s
      @Hatomaru-l5s Рік тому +3

      ちゃんとした史料を読んで勉強しよう!

    • @kingofmarty
      @kingofmarty Рік тому

      @@Hatomaru-l5s 勉強した上での個人的感想ですが…?
      意味のわからないコメントで絡んでこないで

    • @Hatomaru-l5s
      @Hatomaru-l5s Рік тому +2

      @@kingofmarty 歴史学の中心は一次史料の史料批判!「関ヶ原の恨み」が倒幕の原動力になったなどという言説は面白おかしさを求めた小説的考え。表層許を見るにあらず!

    • @kingofmarty
      @kingofmarty Рік тому +1

      @@Hatomaru-l5s
      歴史学科卒で、一級資料の重要さは重々承知してますよ。
      ただ、仮説・創作の面白さもたくさん知ってます。そういった仮説を完全に否定する事が出来ない創作の隙間もまた、歴史の面白さだと思ってます。
      そうやって人の否定をして、歴史好きの人数減らす前に、まずは多様性を持ってください。
      ※そもそも一次資料の批判は、熟成しきった平成以降の歴史学で、昭和中期ぐらいまでの論文では純粋な資料研究が多いように感じます。
      一次資料の否定ではなく、文書をいかに正確に読み取るかが歴史学だと思います。