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うーん、思いきって生きてなんか楽しいことしたほうがいいよね、っていうその楽しい、という感覚が心ですよねー。こういう議論は常にものすごく矛盾を孕んでいますよね。さらに言えば、科学自体が意識、心を使っている。言葉自体が幻想ですから、この人が言っている事自体も幻想、ということにもなりますよね。ブッダは心がない、と言っているというのは私たちが考える意味での心がない、という事では本当はありません。ここに大きな誤解があります。ブッダは肉体、物質もその本質は空だといっています。その空はいわゆる何もない、だけではなく、満ち満ちている空だと言っているのが正しい理解です。何もなくかつ満ちている、ということです。空の原語であるシュニャータ、という言葉の意味はそういう意味です。さらに言えばブッダは哲学的な思考によってそういう理解を得たのではなく、瞑想という体験的な行為を通じてそういう理解に達しています。思考、つまり、言語を通じた理論ではなく、思考を越えて体験したものを何とか言語におとしこんで説明している、というのが正しい理解と思われます。また、私たちは言語にあまりに囚われていて言語以前の実体と、共にある、という感覚を忘れているので、人間には自由意思がある、とか、ない、とかいう不毛な議論が生まれるのだと思います。
今の時代の一定数の人たちには既に認識、共有、共感されている話と思うのでその上で、日々苦しみから抜け出せない「心」を持つ人たちに向けて有用な知識、技術を、個別的にも、ウェルビーイング、幸福学がどこまで示せるのか。次回が楽しみです。
自由意志は無いからこそ自由である、何をやってもいいというのはすごい腑に落ちました。ありがとうございます
おっしゃる通り、ものすごい単純な話し、ほとんどの人、また、受動意識仮説を信じている人は、受動的意識で生きています。でも、逆に武術、禅的修行を実践している私は、完全に能動意識で動いています。武術、禅的修行をやっていなかった頃とは、心と意識の関係性(感覚)は、まったく違います。まだまだ、ですが、意識を能動的(積極的)に働かせれば、どこまでも意識の空間は広がっていきますよ♪♪♪
心はあると思います。睡眠や病気で意識を失っている時と、健康で覚醒している時の心象風景は明らかに違うと感じますし。
独立した心がない
例えれば、心は肉体という端末にあるのではなく宇宙意識というクラウドにある。
例えれば人間の肉体はスマホであって意志の情報はクラウド 宇宙の意志から来る。要素還元主義が袋小路にはまっているからそう考えるんでしょう。宇宙全体が視野に入ってないからそういう考えになるわけ
ブッダは心はあると言っています。
自由意志があるからそれを指し示す言葉として自由意志という熟語があるのでしょう?自由意志が無ければそれを示す言葉自体が存在しないはず。
ほとんどの場合、自由意志と言う言葉を使うと正しい議論ができなくなる。「脳の物理的状態とは関係なく、生体の行動や意思の内容を決定し、その通りに思惟または行動する能力」などという言葉を使うと、自由意志は無く、自由意志の幻想だけがあるのではないか?と思えるようになる。
スピ本読んでそう
リベットのデザインした実験で観測される活動と、実生活上の活動との関係を検討せずに一般化するの安直なのでは?
宇宙には意志があるよね
証明されていない事を議論しても無意味ですな。あまりに早計な議論ですね~
うーん、思いきって生きてなんか楽しいことしたほうがいいよね、っていうその楽しい、という感覚が心ですよねー。
こういう議論は常にものすごく矛盾を孕んでいますよね。さらに言えば、科学自体が意識、心を使っている。言葉自体が幻想ですから、この人が言っている事自体も幻想、ということにもなりますよね。
ブッダは心がない、と言っているというのは私たちが考える意味での心がない、という事では本当はありません。ここに大きな誤解があります。ブッダは肉体、物質もその本質は空だといっています。その空はいわゆる何もない、だけではなく、満ち満ちている空だと言っているのが正しい理解です。何もなくかつ満ちている、ということです。空の原語であるシュニャータ、という言葉の意味はそういう意味です。さらに言えばブッダは哲学的な思考によってそういう理解を得たのではなく、瞑想という体験的な行為を通じてそういう理解に達しています。思考、つまり、言語を通じた理論ではなく、思考を越えて体験したものを何とか言語におとしこんで説明している、というのが正しい理解と思われます。
また、私たちは言語にあまりに囚われていて言語以前の実体と、共にある、という感覚を忘れているので、人間には自由意思がある、とか、ない、とかいう不毛な議論が生まれるのだと思います。
今の時代の一定数の人たちには既に認識、共有、共感されている話と思うので
その上で、日々苦しみから抜け出せない「心」を持つ人たちに向けて
有用な知識、技術を、個別的にも、ウェルビーイング、幸福学がどこまで示せるのか。次回が楽しみです。
自由意志は無いからこそ自由である、何をやってもいいというのはすごい腑に落ちました。ありがとうございます
おっしゃる通り、ものすごい単純な話し、ほとんどの人、また、受動意識仮説を信じている人は、受動的意識で生きています。でも、逆に武術、禅的修行を実践している私は、完全に能動意識で動いています。武術、禅的修行をやっていなかった頃とは、心と意識の関係性(感覚)は、まったく違います。
まだまだ、ですが、意識を能動的(積極的)に働かせれば、どこまでも意識の空間は広がっていきますよ♪♪♪
心はあると思います。睡眠や病気で意識を失っている時と、健康で覚醒している時の心象風景は明らかに違うと感じますし。
独立した心がない
例えれば、心は肉体という端末にあるのではなく宇宙意識というクラウドにある。
例えれば人間の肉体はスマホであって意志の情報はクラウド 宇宙の意志から来る。要素還元主義が袋小路にはまっているからそう考えるんでしょう。宇宙全体が視野に入ってないからそういう考えになるわけ
ブッダは心はあると言っています。
自由意志があるからそれを指し示す言葉として自由意志という熟語があるのでしょう?自由意志が無ければそれを示す言葉自体が存在しないはず。
ほとんどの場合、自由意志と言う言葉を使うと正しい議論ができなくなる。「脳の物理的状態とは関係なく、生体の行動や意思の内容を決定し、その通りに思惟または行動する能力」などという言葉を使うと、自由意志は無く、自由意志の幻想だけがあるのではないか?と思えるようになる。
スピ本読んでそう
リベットのデザインした実験で観測される活動と、実生活上の活動との関係を検討せずに一般化するの安直なのでは?
宇宙には意志があるよね
証明されていない事を議論しても無意味ですな。
あまりに早計な議論ですね~