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【参考文献のリンク】◯ビジュアル・シンカーの脳www.valuebooks.jp/bp/VS0087585344◯心はこうして創られるwww.valuebooks.jp/bp/VS0084184940 ◯The invisible gorillaua-cam.com/video/vJG698U2Mvo/v-deo.html◯息吹amzn.to/443hQHX◯アンナ・カレーニナamzn.to/3JlWEDs◯タイタス・グローンamzn.to/44bcZEU◯ゾミアamzn.to/3Q50d4I◯プロジェクション・サイエンス 心と身体を世界につなぐ第三世代の認知科学amzn.to/4aCMH0p◯裁判百年史ものがたりamzn.to/3xCZzFf【サポーターコミュニティへの加入はこちらから!】yurugengo.com/support【我々の初の著書『言語沼』はこちら!】www.valuebooks.jp/bp/VS0058755147【おたよりフォーム】forms.gle/mTGM7A9QNqgjZMgN7※皆様からの楽しいおたよりをお待ちしています!
うごぉぉおぉぉお!
ビジュアルシンカーは在庫切れ状態ですね。早めに入手しておいて正解でした。
言語に関して社会がどう捉えているかという話に関連して、書き言葉がある社会と無い社会では感覚が変わると指摘している『声の文化と文字の文化(ウォルター・J. オング)』という本が面白かったです。ぜひお二人に読んで欲しいです。
IKEAの取説はやりすぎかもしれないけど、プラモデルの組立説明書はすごくバランスが良いと思う。
自分はとある外国語大を卒業しているのですが、教養科目の哲学で「言葉にした時点で想いや考えは嘘になるよね」という一節が話題に出たのが今でも忘れられない授業のうちのひとつです。
上から順に読んだ中で初めて同意できるコメントを見つけた
広告とか写真がそうですよね。アウトプットした瞬間にもう意味が損なわれてしまい商品化が始まりますからね。資本主義の良くないところです
異本ですね
うろ覚えだけど、ヘミングウェイの短編で男女が昔の旅行の思い出を話しているシーン思い出した「やめよう。言葉にすると思い出が色褪せる」「わかってるわ。だからその周りだけを話しているんじゃないの」そのものはあえて言葉にせずに、輪郭だけを言葉にすることで本当に描きたいものが浮かびあがるのだなぁ、と
@@HelloWorldcom素敵!絵みたいですね!!!光と影が物体を形作ってるんですよ!2人で同じキャンバスに描いてるみたいでなんかロマンチックですね。そういう話し方もあるんだ…
すげえ、言語化が先に来る人ってこんなに考え方違うんだ私はビジュアルが先に来るので「形のない感情や考えをクッキー型でくり抜くように言語化する」感覚でした、なので言語化できない余りができる
表現が素敵…!そして仰っていることがパッと絵に浮かびすんごくわかりやすい!!と感動しました!!
わからん、、、
全く同じこと考えていたので嬉しくてコメントしました。めっちゃ分かります…!!
わかる。頭の中の絵より口から出る言葉の方が少ないわ。人に説明するとき絵に描くとわかってもらえないこともある。美大では友達に対してそれで通じてたから社会に出て絵の説明が通じない人がいて驚いた。
視覚思考者はビジュアルを言語で比喩してるのかな。頭の中にある複雑なビジュアルを簡単な言葉に変換する。そして前、堀本さんも言ってたけど比喩は完全に元のものを説明できない。別のものに例えた時点で厳密性が幾分か捨てられる言語思考者は言語で考えてそのまま話すけど、複雑な説明とかには単純な物の動きや構造で比喩をする。
お二人は元々言語で考えてるから言語化が得意と仰っていますが、ビジュアルシンカーだけど技術が無くて絵が描けない人のように、言語思考者だけど情報の整理が苦手だったりで言語化が苦手な人もいるのかなと思いました。結局絵も言葉もアウトプットする技術を学べば人に思いを伝えるのが少しは楽になるのかなと
素晴らしいコメントゴリゴリにビジュアルシンカーなのに画伯な俺を許してくれてありがとう
@@アレ-e2xおもろい
アウトプットを代わりにしてくれるAIが流行っているのはそういう背景があるんですかね
自分は、『言わぬが花』という感覚があり、アウトプットをうまくできない人に対してネガティブな気持ちを持ったことがないので、世の中の評価ってアウトプットできない人に対して厳しい(もしくは、厳しいと思ってる人がいる)ことをこの動画で初めて知りました。多分、生きてきた境遇によっても感覚が変わるのかも。
バリバリの言語思考者だとしても文章構成や単語を熟知していないと言語化できませんからね。言語思考者をしている堀元さんと水野さんでもロシア語で言語化してと言っても出来ないわけで。ロシア人から見たら「頭悪いなぁ」という感想になるでしょうね。文章構成や単語を学習すれば上達するので苦手でも克服できるようにしていく努力が必要なのだと思いました。自分はおそらくビジュアル思考寄りだと思います。
言語化するタイプのビジュアルシンカーです。プロセスとして言語化は一番最後なので、道端で泣く時は言語がまだ来てないというかんじです。「文字」になっていると記憶しやすいので、ゆる言(他のゆる学徒関連も)UA-camはテロップをいれてくださる動画編集の方々に感謝しきりです!
職場に「ビジュアルシンカーだけど言語化が上手い人」も「極端に言語思考だけど言語化が下手な人」もいるから、言語化が上手い下手と、どちらの思考なのかというのは全く別の話だよなーと思いつつ…なんにせよ、「相手がどっちかによって伝え方を変える努力」が必要なんだなーと日々感じます💦話題に出た本を読んで、お二人の極端な例を聞くとどちらの思考も理解が深まりそうで非常に参考になります!
最後の方に水野さんが言っていた「自分がマイノリティであると自覚すると考え事をしたくなる」という話は、「その水になじめない魚だけが、その水について考えつづける。」(頭木弘樹さんという方のエッセイの言葉らしいです、自分はTwitterで見かけました)という言葉につながるなーとおもいました。
ビジュアルシンカーシリーズ神回では?ここ最近でも抜群に面白い
1時間超えにしてるとこに、堀元さんの神回だけど最終回にしたい意向が見える。
「君たちはどう生きるか」を見た時に、これは言語化したくないなぁって思ったのを思い出しました。言語化すると感動が低減してしまう気がして。その映画で感じたものを、今までにどこかで使用された言葉で表すのは勿体ない気がしちゃうんですよね
分かる。あの表題初めて見た時のなんとなしの危うさはそういうことだったのか。
自分はああいうのを説明するとき、まず総括として言葉を使って、補助として似た感覚が浮かぶイメージをいくつか挙げてるな100%合致する説明はできないんだけど、いくつか上げたイメージの共通点からなんとなく感覚が浮かび上がってくるなと
英語を学び始めたばかりの日本人にbus, bath, bassを発音してもらうと、どれも「バス」になるが、それは「本来の音」を「知っている音」で表現しようと結果であって、その作業によって元の情報は失われてしまう。そして、何かを言語化するときも同様のことが起きているように思う。つまり、それを知っている言葉だけで表現する必要があるために、元の情報は失われてしまう。文章を彩る様々な語彙は、結局のところ元の意味をできるだけ維持しようというパッチワークであるとも言える。しかしそれは、連続のスペクトルで構成される世界を有限個のクレヨンで表現するような営みであり、人が自身の考えを正確に言語化できていないように感じる原因はそこにあるように思う。哲学書に限らず、高度な専門書が難解に思えるのは、複雑な世界を表現するための新たな色、もとい専門用語を大量に用意し、駆使しているからであり、裏を返せば、そうでもしないと情報を正確に伝えられないということだ。大衆向けの平易な入門書では、専門書が群青色で表現していたものを単に青色で置き換えている。こういった作業は、時に私達の思考をひっぱる。それは、本来無限の色があるはずの虹を七色に錯覚してしまうようなもので、自身の思考を表すのに相応しい単語を見つけると、これこそが私の考えだと思いたくなるが、それが個人の考えを正確に反映しているかは定かではない。青と藍の間にあったはずの自分の思いは、どちらかに帰属されて完全に消えてしまうかもしれない。動画を見ていて、そんなことを考えました!面白かったです!!
言語化上手いなぁ〜
無限のスペクトルと有限個のクレヨン、良い表現ですね言語学の音素と音韻にも繋がる話ですね
めっちゃわかりやすくて面白い
まさに言語化上手い人でうらやま。「青と藍の間にあった自分の思いは・・・」の表現がとても素敵ですね。
普段ふわっと感じていたことがわかりやすく言語化されていて感動しました。ありがとうございます。
堀本さんの「モヤモヤした気持ちの3割を形にしたものが文章、その割合を大きくできたら素敵だなという気持ちで文章を書いている」という話を聞いて、こんなに言語化できる人でもそうだったんだ!と少し勇気をもらいました。私は物心ついた頃から、何でも描ける!と20年以上絵を描き続けてきたのですが、最近ピタッと描けなり、絵が嫌いになったのかなと悩んでいたので、、、もしかしたら絵だけでは表現できないことに気づき始め、それを認められてなかっただけなのかなと思いました。私は言語化が苦手ですが、いつも言葉にしてヒントをくれる人に感謝しています!
自分は絵描きですが頭の中にあるイメージを絵として出力した瞬間にそれはもう元のイメージとは別の何かになります。堀元さんの言うモヤモヤした気持ちの3割を形にしたものが文章というのと似ているなぁと感じました。
絵は頭の中のイメージが完璧なんだけど、出力されるときに物理的な問題や身体的な制約などのさまざまな要因によって、イメージとは異なるものができてしまう。個人的には実際に出力されたストロークや色彩が元のイメージと混ざり合って別物が出来上がることこそがモノをつくるということなんだと思っています。考えてから作るのも良いし、出来てから考えるのも良い。
本が読めないのはわかります。小学生の時、本が読めなくて親に言ったら、「映像でいいやん!アニメやテレビ、情報は本だけじゃないし、これからはもっと増えるだろうし、そっちを大事にしなさい」と言って、すごく助かったのを思い出しました。大きくなり、それが今では立派なアニオタになりました。お母さんありがとう!愛読書は図鑑と風景の写真集と地図帳でしたね、懐かしい✨
親公認のビジュアルシンカー、アニメおたく、素晴らしい✨
素敵なお母さまですね。この言葉、誰でも簡単に出せるものではないです。ブラボー❤
お母さんも同じで遺伝してるんじゃないですか?
俺「時代は言語化や!noteで稼いだろ!」言語思考者「言語化出来ないなら黙ってろ」俺「よっしゃ!なら絵で勝負や!」視覚思考者「クリエイティブなめんなよ」俺「」
涙…拭けよ()
俺がお前のために言語も絵も消してやるよ。
人としての価値がなくないですか?
キムワイプ…いるか……??
コメ欄で人を楽しませるのも十分才能やで
これ水野さんの何がすごいって、言語化を称揚する枠組みの中にどかっと仁王立ちしてる堀元さんにその態度を反省させるための水準とか別の言説をもたらすことが実際にできたことだと思う。水野さんぐらい堀元さんに刺さる面白い話ができる人じゃないとその扉は絶対開けられない。
これ本当に思いました。言語化できることが人として当たり前だと認識している方(堀元さん)にこんなにもスムーズに、軽やかに新たに気付きを与えている姿に関心しました。私は言語化が下手くそなので伝わるかわからないですが…かなり共感したのでコメント残しておきます。
謙虚な人はどこまでも世界が広いのだと思った
すごく好きなコメント
あるサイトで見た「脳は感覚器があるから外部情報を取得できるのであって、本体は常に暗い頭蓋骨の中にいる」という言葉が好きです。本当に見ている世界は正しいのか? この言葉で信じきらず考えることもできるし、相手のことも考えることができます。ホラーな言葉に見えるかもだけど、私は励まされました
なんか想像したらすごいこわくなった
これ、ビジュアルシンカーというテーマが面白いというより、面白いのは「他者理解」そのものだという感じがするな
2022年9月9日に、駅で転んで外傷性くも膜下出血で入院して失語症になりました。自分の思考が変わった気がしていましたが、結果として言語主導の思考からビジュアル・シンカーにウェイトが移ったということなのかも。もちろん、言語主導のこの世界では、思考スピードが落ちると自分でも評価していて生き難いですが、思考の結果のクオリティは、上がった気がしています。
私も事故で脳の言語を司る部分をこぼしてしまい、言葉の一部と右半身の動きを無くしました。そして同じくヴィジュアル感覚を使わざるをえない状況になって始めて今まで理解せず無視してきた世界が見えて楽しいです。辛いけどね〜 ꉂꉂ(´▽`)変長文章ごめんあそばせ
岡田斗司夫さんの思考のトルクの話を思い出した。どんどん話せるひとは高速道路でスピードを上げるのは得意だけど、聞く立場の時に話を先回りしてしまう。ゆっくりのひとはトルクが遅くて、そういうひとはしっかり話を聞くことができる。会議で黙ってる人にそういう人がいて、聞いたら重い一言が出るという話でした。
@@Nearly-eq3cc ネットで検索したら、植原 亮氏も思考を2つに分けて論じているようです。早く話せることのみが頭の良い事と思っている人はChatGPTと同じで、場当たり的な結論ではなく、問題そのものを解決する深い結論には到達できない気がします。
ビジュアルシンカーです。上手く言語化出来なくて感覚的な話なのですが、話を聞いた時に見落とすは 自分が 遅い見過ごすは 自分は はやい見逃すは 対象物が はやいみたいな映像?脳内イメージみたいなものが流れて来ました。言語化下手すぎる、、笑
まさにそれです…!
言語思考者のワイは全部文で考えてた笑
私の場合見落とす→対象が止まってる、自分が早い見過ごす→対象が早い、自分は止まってる見逃す→対象と同等の早さを出せるが、あえて自分は止まってると理解してました。言葉を聞いた途端、鬼ごっこのシーンが浮かびました。
例えば机の端にあったコップを落としてしまった時に見落とす→そもそもコップの存在に気づいてない見過ごす→コップがあることには気づいているけど、落としそうな所にあることには気づいていない見逃す→コップが落としそうな所にあるなとは思いつつ放置私の中ではこんな感じ
おもちろい
言語化ハラスメントの話聞いて思い出した。小学生の頃、押し黙っている子に大人が「黙ってちゃ分からないでしょ!!」って怒ってるの聞いて、『なんで分かんない奴が偉そうにキレてんの?』って思ったことがある。学校の勉強だったら分からない人間の方が❌をつけられるのに
@@おぶ-n1r おっしゃる通り…
@@saya_tsukada言い方キツすぎましたね、申し訳ないです
@@おぶ-n1r そんなことないです!なんて良い人!😭
言いたいことはなんとなく理解できるけど、その場合どうすれば正解なんだろう。。。大人が言語化ハラスメントを自覚して子供が自分の言葉なり絵なりで説明してくるのを待てばいいんだろうか。子供としても自分の意見を何かしらの形で表明すべきなのか。
@@hbdkxbsttnz ラジオの中でも言及されてましたけど、社会がもう言語化至上主義で形成されちゃってるので多人数を一気に教育しようと思ったら取りこぼされる子が出てきちゃうのはどうしようもない気がしますね…そういうタイプの子を伸ばせる環境を別口で用意してどんどんそっちへ誘導するくらいの身も蓋もない手段になりそう
昔から、自分には心の核とか芯みたいなものがない、今まで得た知識と経験の集合体が人間みたいな形をしているだけ…みたいな感覚があったので、「心なんてない」という主張はサラッと理解できました。ただ自分がゴリゴリにマイノリティである自覚があったので「みんなそうなのでは…?」と思うことは今までなく、そこは今回驚きました。「他の人はみんな心があって豊かなんだなぁ」と思っていたので。
とても分かるマン2
こういう人がふえていくの自分にとってすごく嬉しい。暖かいなぁっておもう。
私は自分の考えを他人に知ってほしいと思っていないので、必要がなければ言語化するつもりはありませんが、論文は英語で書かなければならないので、とりあえず英語でできるだけ正確に記述するという訓練はしました。ただ、私にとって言語化という作業は、他人に伝えるという目的がなければ、ほとんど価値のない作業です。また、心に関しては以前から神話と同じ存在であると解釈していて、実在はしていないが大多数が存在している前提で扱っているので、とりあえず話をあわせておこう、というスタンスです。言語にはこのような概念が多くあるので、言語で記述される特殊な世界が実在とは別に存在しているというのが私の生き方です。少し別角度からの表現をすれば、言語で記述される世界は人間の想像力の範囲内に限定された世界であるという認識です。
1:56からのくだり最高すぎる。「Aというものが好きだからこそ、Aの枠組みで説明できないものを尊いと思う」という考え方、共感やばい。僕の場合は、再現性とかマニュアル化とかが好きだからこそ、再現することができない思い出の写真や誕生日にもらうどんな高い商品よりも寄せ書きに強烈に執着する。あと、水野さんの話を聞いて言いたいことが無限に出てきてオーバーヒートする堀元さんと同じ反応してしまって共感がやばい。
自分もオーバーヒートを実感することがよくあるんですけど、「言語思考者で言うオーバーヒート」が視覚思考者にあったとして、それはなんなのか、それはオーバーヒートなのか別の言葉なのか、凄く気になっています。とんでもない絵画が一枚パッと出てくるのが、無数に絵画がinstaのshortsみたいに表れるのか。オーバーヒートに対立するカタカナ言葉があったらめっちゃ気持ちいいなって。助けて〜〜
オーバーヒートの反対はカームダウンやクールダウンでどうでしょう
@@pyxin6789完璧な視覚思考者ではないものの、趣味でイラストを描いている者です。オーバーヒートとは違うかもしれませんが、私は時折、絵のアイデアがビジュアルになる以前のイメージだけ、印象だけで脳裏に現れてくることがあります。輪郭線のハッキリしない抽象画というと近いかもしれません、それこそ全体は見れるのに細部が矛盾している物体というか、結果だけが現れるというか。感情が先に想起される点を含め、イデアと言うのが一番しっくり来るたとえかもしれません。そんな印象、心象に無理矢理二次元三次元のピントを合わせて形容しつつ、出来るだけ原本を見た時と同じ感情が出力できるような関数にする、というのが創作活動のように考えています。……求められていらっしゃる答えにはなっていないかもしれませんが、少しでも理解の一助になっていたら嬉しいなと思い口を挟んでみました……如何でしょうか
かつて、思考をすべて言語化できないことに気づいて「思考を言葉にすると酸化する」と無理やり表現していましたが、それを見事に言語化してくれたことに感謝します
私はビジュアルシンカーよりの人間だと思いますが、今回の話を聞いた限りではそもそも「心」というものの存在を議論して定義しようとすること自体が言語化するという行動に近いものだと感じました。私は一般的に心と言われるものは雲のようなふわふわして如何様にも変化し、現れたり見えなくなったりするものというイメージを持ってます。
お二人をみてお若いなぁとつくづく感じました。お二人の親世代の私ですが、自分の心の有り様をまだまだ探せる伸び代を与えていただきありがとうございました。
お二人の「物事を面白がる」という姿勢に、生きる力をもらっています。辛い事や大変な事のとても多い人生ですが、その要素を「面白がる」ことによって、今日もなんとか生きています。いつも本当にありがとうございます。
自分たちのこと何度も言語化得意って言い切れるのすごいな
すごいですよねなんかもう、こう何とも言い表わせないくらいすごいと思います
@@そら-v9v6r根本的な自尊心に由来するもので サブジェクト自体(言語化)は 得手不得手どちらに転ぶことも可能だと思います。
ほんまに。お前らのどこがメタモンなんだよって思う。
画像や図で思考することが苦手(できない)とセットだからでは?
@@gutsnosada水野さん堀本さんもそういう認識っぽいけど、両方できる人もできない人もいる気がするけどね
このシリーズはビジュアルシンカーの理解より、言語化ヤクザ対策として大変役にたった。私は物事をしっかり考え物事を確実に進めて行きたい志向があるが。人にはその場で辻褄合わせて、嘘までとはいかないが適当なこととをスラスラ言える人間がいる事を知れて良かった。今ちょうどそういう人間に振り回されて、タイミングが最高でした。
言語化が上手いことと、その人物が信頼できるか否かは別の問題だもんね。
私も似た気持ちでした。 ESTJは下手するとブラック企業経営者になるので猶更… この動画主さんたちはたまたま「改心」することができたからセーフだが、改心できずにいまだにビジュアルシンカーを下に見続けている人は多そう。 私たちビジュアルシンカーは、そんなヤクザからうまく距離をとるなり配慮してもらわにゃならん…同じ動画シリーズの別コメントで、発達障碍者はビジュアルシンカーが多いとのことを知った。ゆえに彼らは言語化優位社会で割を食ってるんだろう。手帳をもらえば支援が受けられる世の中になったのはありがたい… そう、私の事です(隙自語)
音楽雑誌に根源的な問題を感じていました。IKEAの説明書は家具を組み立てることが目的であり、言葉が3次元の方向性を説明するのにそれほど向いてはいないが図と共にあれば問題ないのに対して、音楽の良さを伝えることが目的の音楽雑誌は、図でも言葉でも正確に伝えることが難しい。音楽の良さを知りたいのに、その文章の文学性や作者インタビューからなんとなく想像するしかない。聞けば一発なのに、ずいぶん遠回り・・・それどころか間違った印象を伝えている場合すらある。しかし音楽は抽象的すぎて、家具の組み立て方もストーリーを正確に伝えることはできない。つまり伝える目的によって言語も図も音に得て不得手があり、どれを選ぶべきかを本来常に考えなければならないということだと思います。一方で言葉の良さを伝えるには言葉が最も最も適している。絵にはオマージュや模写という活動が、音楽には編曲という派生があるにせよ、「良さを伝える」という目的を考えると、言葉以外に方法がないというジレンマもあります。正確であろうとすると実物でしか伝わらない。それ以外はなんらかの情報が失われているのだと思います。その欠損度が音楽雑誌は非常に高く、もはや手段が目的になっている典型なのではないかと思うのです。
映画やテレビドラマ批評とかもだいぶそう…
食べ物、飲料の評価もだいぶそう
媒体を介することによる情報の欠損を前提として、それをどう埋めていくか創意工夫することが表現であり文学性だと仮定すれば、その成果物たる音楽雑誌を手段ではなく、あるいは手段であると同時に目的として楽しむことはごく自然なことだと思います。これは音楽を題材にした評論や随筆にも言えることでしょう。実際に聞きにいく人は、気になった曲やミュージシャンを知るとっかかりとして単独の文章より網羅的な雑誌は有用だと思われます。そもそも、ミュージシャンからして、歌詞、MV、ジャケット、パフォーマンス、空間演出、時代性などを一切排除して音だけで活動したいと行動している人がどれだけいるのでしょうか。これは音楽を軸とした総合芸術という解釈もでき、だとすれば、それが文学性を帯びるのも自然なことです。音楽の良さを言葉で伝えることの意義や妥当性も見いだせるのではないでしょうか。あくまで個人的な考察(辻褄合わせ)ですが。
言葉で表しきれない時き、百聞は一見にしかず(一聴にしかず?)だよ!!としか言えないのがもどかしい。
インプット(読む/聞く/見る)、アウトプット(話す/書く)でもビジュアルかシンクかに得手不得手の差があり、その傾向が別れる人も多数存在すると思われます。
インスタで見た動画で、「考える時は何語を使ってますか?」って質問にNiziUでマルチリンガルのリマちゃんが「考える時って言葉使う?just likeイメージじゃない?」って答えてて、ビジュアルシンカー!!ってなりました
Kevin's English RoomってUA-camチャンネルの日本語を喋れるアメリカ生まれアメリカ育ちのケビンが配信で全く同じ質問されて「考える時って言葉使わなくない?」って答えてて、俺と一緒だー!ビジュアルシンカーだ!ってなりました
KERもチャンネル登録しててよく聴きます!笑、その話は取りこぼしてました…!
この回聞いて真っ先に思い出したのがそのケビンの話でした!言葉で考えないってどういうこと……?ってなってたんですけど(かけちゃんやまちゃんもそんな感じ)、腑に落ちました。
「辻褄合わせのポンコツ嘘つき」がこんな形で回収されることになるとは思わなかった
小6の息子と楽しく拝見してます。息子は自閉症スペクトラムで、この本のテンプルさんと同じです。子育てする中で、あまりにも息子を理解できず、6歳で診断にいたるまで「息子は宇宙人」という感覚でした。診断をうけ、専門家の本や講演を聞き、ほんの少しだけ息子の感じ方が分かってきました。マジョリティではない人、自分と違う感じ方、方法の人たちがいるということを、頭の片隅に置いておくだけで、世の中が優しい方向にいくのではと思います。学校教育は言語化と書字が基本なので、いろんな子にあった学ぶ方法が選べればよいのになあと、この回を見て改めて感じました。
成人した息子もASDです。彼は言語も読み書きではずば抜ける一方空間認知のテストも秀でていました。父親で元夫は相貌失認があり、家族の超高学歴を自慢し、読書をしなかったり文法を間違う「知識」のない人を見下します。夫は医者を拒否し診断はついていませんが。絵はチョー下手で具体的なこと、手仕事、家事など一切出来ません。自然や動物も苦手です。うちは極端な例ですが、全ては脳の特性から出発し良い教育環境と社会の寛容さで上手くいく可能性が生まれます。時代は良い方向に向いています。子育て頑張って下さい。
大変でしょうが、普通の子と違うというだけで悲観的にならず、頑張ってください。これからの時代は多様性が求められます。自閉症スペクトラムの高い子は、本人の性格等にもよりますが、高い集中力を保つ事が出来る子が多いです。コンピューターの父と呼ばれる天才、ジョン・フォン・ノイマンも「宇宙人の様だ」と言われていたらしいですよ。自閉症の方は抽象的思考が非常に困難らしいです。ですので、具体的な直接記憶に頼る傾向にあり、琴線に触れれば驚異的ば能力を発揮する場合もあると聞きます。無理に普通の子と同等になる様に強力に矯正するより、是非ともその子の得意分野見つけ、伸ばす様にして育ててあげて下さい。
鼻中の鼻毛のあり方とかいう説明しづらい状況をありありと伝えられるところにお二人の言語化能力の真髄を見た
法規を読みながら(言語志向)、図面を書く(ヴィジュアル思考)という作業を建築設計業では行うのですが、同業者を見てると「どちらか一方しか上手く出来ない」という人が大多数で、なおかつ出来ても苦痛が伴う人が多いように思います。こういう仕事をしている身として楽しく聞かせて頂きました。
めちゃくちゃ分かる。法規が図で書いてあればまだマシなのになといつも思う
ビジネスチャンスかもね実はそういうジレンマのある構造があるってことは、それを解消する道を作ったら大成功するかも
行動分析学を学んでいましたが、今回のお話大変懐かしく思いました。堀本さんの母校である慶應義塾は行動分析学の祖であるバラス・スキナーから実験装置を送られており、今でも日本行動分析学の大本流といえる大学です。何度かお邪魔しましたが本当に歴史を感じる施設でした
お話聞いてて感じるのは、水野さん;情報の解像度は粗めで、手元の言葉で納得、満足することが容易にできる→言語化が得意という自認に繋がる。処理がエコなので処理速度が早いという利点有り。考え事をしないという自認にも繋がる?堀元さん:情報の解像度が高く、情報と言語の1対1マッピングの模索を楽しむ人完全なマッピングに近いほど良いと感じるので、言葉での表現の出来に思い入れがあって、マッピングが上手いと感じる作家に愛情を持つ。処理負荷は高そうだけど、これまでの配信や文筆の経験で克服してるのかなと感じます。画家の方など(ここで言うビジュアルシンカー):情報の解像度が高く、言語ではなくビジュアルへのマッピングを楽しむ人。言語へのマッピングを自己理解、表現に用いておらず、一般的なコミュニケーションのアウトプットとして言語にマッピングするので表現や説得に重きを置いた言語マッピングに不慣れ。という感じで、情報の解像度や情報のマッピング方法が軸になるのかなと感じ、水野さんと堀元さんも突然ながら同じタイプの人間ではないなと感じました。またマッピングも当然ながらビジュアルだけでなく、映像の人もいれば、音の人もいるのかもしれませんね。個人の感じるマッピングの容易さ、好みによるのでしょうね。
12:57 私は、「文化祭を冷笑的に見る」ことで「カッコつけてる/スカしてる」と勘違いされるのも嫌だから、冷笑的に見る心も胸の内に秘めつつ、大人数が楽しむことを自分も素直に楽しもう、と思っていた。これは決して無理しているわけではない。ただ、人が楽しんでいることを否定するような人間になりたくないと言うことだ。
なんも説明できんかったのが訓練して説明できるようになって仕事もプライベートもうまくできるやうになったので、言語化から逃げないように諭してくれた師匠には感謝してる。すげー生きやすくなった。
子育ての経験と、AIについて多少勉強して得た知識から、自分はどちらかというと「心は存在しない」と思っている派です。学習するデータ量とパラメータの数が多すぎて複雑に見えるだけで結局は入力(刺激)に対する出力(反応)でしかない感じ。このビジュアルシンカーの全3回は色んなことを考えされられてめちゃくちゃ面白かったです。
私も「入力と出力」にすぎないと考えていますが、それこそが「心」が指す概念であると捉えています。単に捉え方の違いでしかありませんが、少し主張する立場が変わるような気がします……。🤔
マジで価値観変わったわ正しい多様性のあり方の一端を垣間見れた気がする
このビジュアルシンカーシリーズ好きすぎるずっと喋っててくれほんとに
見落とす、見逃す、見過ごすの違いは、それこそいったん言葉に合うビジュアルを考えたら簡単にわかりますよね。
言葉で説明したかったけれどまったく簡潔に説明できません😵条件見落としたわ→◯条件見逃したわ→◯条件見過ごしたわ→◯見落としてやった→開き直り?言い回しとしては変見逃してやった→◯見過ごしてやった→△(あえて、見過ごしてやった、など?)番組見落としたわ→そもそもあったのを認識できなかった番組見逃したわ→単純に機会をのがした番組見過ごしたわ→なにか他のことをしていて鳥を見落とす→1.発見できなかった鳥を見逃す→1.発見できなかった 2.追わなかった鳥を見過ごす→1.発見できず通過させた、またはこちらが通過した「鳥を見過ごす」のみでは「鳥を見逃す」のみとは違い、介入しなかったとの解釈は著しく優先度が低く、伝える側も「鳥を見逃す」にしたほうが正確な伝達を期待できると予想がつくため、その可能性は通常考慮しない(文脈のない「鳥を見過ごす」一文からその鳥に対して認識していたが自発的に介入しなかったと解釈するのはかなり異様である)「あえて鳥を見過ごす」のように「あえて」を接頭して文脈を追加すれば確実に「鳥を見逃す」と類義にできるが文脈のない一文「鳥を見逃す」のように2通りの意味を保持した50:50の未確定状態で遊ぶことは「鳥を見過ごす」にはできないここに違いの鍵があるか「鳥を見逃す」も実際の使用状況は文脈の中にあり、2通りの意味のどちらか不明という状況はわざとそのような構造にしなければ起こりえず他との違いが分からず混乱することはない・見落とす1.対象が静的やこちらが動的に働きかけて陥る?あるべき、保持するべきもの、したかったもの、した方が望ましいものを取りこぼしたさま・見逃す1.対象が動的静的どちらも?「見落とす/見過ごす」と同じように使えるが 2.認識しているが介入しないことの意が簡潔にあらわせるのは「見逃す」・見過ごす1.対象が動的静的どちらも?使う状況が動的であることも特徴的かも?過ぎ去っていくものや時間に関係する?「見落とす/見逃す」との違いは動いているか?がより強調される?
見落とすだと、視界の範囲からぽろっと対象を取りこぼすイメージで、見逃すだと見ようとしている所を対象がスーッと逃げる、逃がすイメージ見過ごすは見るという定点観測を時間なり視覚野が移動する中、(まるで小川を流れる木の葉が飛び出た石に引っかかることなく脇をすり抜けるかのように)センサーをするりと対象が搔い潜り主体が気づかない様子……みたいなかんじだと思いました
見過ごすという表現は、過ぎるという意味から時間経過に対する意識があると解釈できますまた過ぎるという事は自分が移動している意識もありえるでしょう朝顔の観察記録をしていて最初に咲いた日を記録できなかったという場合、見過ごしたという表現が的確なのではと思いますしかし見逃すという表現の場合は残念な気持ちが乗せやすく感じるので、普段使われやすいかもしれません感覚の問題にしたらただの辻褄合わせにも思えてきましたが
すみません、書いた後で過ごすと過ぎるはちょっと違うイメージだと思いました
一一一一一一| 逃さない意志 | 意図的か否か |────────────────────────────────────見落とす | どちらでも | 意図的でない |見逃す | 強め | 意図的 |見過ごす | 弱め | 意図的 |こんなイメージたしかにややこしいけど、そんなばっさり言語化できないっていうほど、イメージを使わないんだって思った
5:00 アニメーターになる為に人間の気持ちを絵画化するトレーニングばっかりしてたから堀本さんのこれにめちゃくちゃゾッとした……。ここまで前提が違うんだ。
堀元さんがどういう意図で言ったかは分かりませんが、アウトプットに掛かる作業時間当たりの情報量が多いのは圧倒的に言語ではないでしょうか「絵を見ることで得られる情報量」と「文章を読むことで得られる情報量」は一概に比べられませんが、「1分で描いた絵で伝えられる情報量」と「1分で書いた文章で伝えられる情報量」は後者の方が圧倒的に多いように感じられます
@@Seiya_laugh それは言語思考者から見たらそう見えるという側面と、言語思考者に優位なように入力デバイスが進化したという側面の合成で考えられるのではないでしょうか。この3回で何度も言及されていますが、言語思考者と視覚思考者は取り扱っている情報が全く違います。このため片方から見ればもう片方が情報量の少ない媒体に見え得ます。また、今はフリック入力やキーボード、音声認識で文字が高速に入力できますが、手書きでこれを行うならば文章での伝達は遅くなるはずです。手書きにしたとしても、文字は書くために長い時間をかけて洗練されているので、依然文字の方が有利という可能性はあります。しかしそれは、言語思考者が有利な社会が長年培ってきたものの結果にすぎません。ただ、手で文字か絵を書くよりも喋る方が情報伝達が圧倒的に速い可能性はあります。これは人体の構造の話なので、全く別の側面ですね。
@@若ノ崎 「言語思考者に優位なように入力デバイスが進化した」はあると思いますが、経緯はどうあれ「現時点では文章での出力の方が早い」という点は変わらないのではないでしょうか視覚のほうが削ぎ落とされる情報が少ないことはあるので優劣を付けるつもりはありませんが、「短時間である程度の精度の情報を伝える」という観点では、やはり言語が有利に感じますこれは堀元さんがコスパ重視であることが関係していて、言語思考か視覚思考かとは別問題だと思います。
例えば「物を投げた」ということを伝えたいときに、それがオーバースローなのかサイドスローなのかが重要でないときは、単に「投げた」と言えばいいので意図的に重要でない情報を落とす事ができるので、伝えたい情報のみを伝えられると思うんですよ。一方で絵画の方が実際の世界(あるいはビジュアルシンカーの内面)に即しているので、それそのものを伝えたい時には適しているとも言えますね。まあただのMr.ホリモトの適当なポジショントークだと思いますけど
まぁラジオ上のネタとして言ってる部分は大きいっすよね〜これまでの絵の感想とか見てる感じマジっぽさも感じてしまって結構ウワッ!ってきたってそんだけです。
ちょうど言語化が苦手な同僚がいて言語化できないことは欠点だという認識だったので考え方を見直すきっかけになりました。ありがとうございます。
今回はもはやゆる哲学ラジオ
心があるか無いかは、「心」とは何かを定義しないと議論できないので、まず心の定義を「言語化」していただきたい。
心は存在しない説に同意してる人が、心をどう定義してるのか、僕も気になります。正直全く逆のことを考えてます。
心や自由意志、分離脳まわりのテーマにおいては、「受動意識仮説」というのもお勧めしたい。その仮説における心の定義(というか心の正体は何なのかという答え)は、「心とは、エピソード記憶を創り出す回路である」つまり私たちの意識や心というものの正体は、私たち自身が、脳内のうち「エピソード記憶を創り出す回路」自身であり、その回路視点で見たものがこの世界なんだ、というもの。
言語思考者で絵を描く者ですが、「絵は描けないけど展覧会を見て語り合う」友人と「会話は苦手だけど絵が一流(おそらくビジュアル思考)」な友人が別にいます。ですが後者のケースでも作品を描き合って価値観を共有できているので、絵が描ける言語思考者は後天的にビジュアル思考ができる説を推します。
心は思わせられているようです。思うようになっているか。その様に出来ているか、そのうにされているか。考えを深める事が出来まして、ありがとうございます。
水野さんのいうことが、予測つくこと!わかる!娘と私が話していて感じることタイプの同じ人間の話し合いは、独り言に近くなりますね
ビジュアルシンカーでかつイラストレーターの自分にとって自ら発した言語が全て嘘っぱちっていうのはすごくすっと理解できる。自分が頭の中にあるものを全てそのまま描けたかと言われればイェスとは全く言えない。妥協とごまかしののような絵の具を混ぜていかないと明確にイメージできる色は出せない。思い描いた絵や色を出せるようになるにはもはや神になるしかない。
黒川くんが道端で泣きたくなるメカニズム予想…ある条件を満たす道端を歩く→道端という「視覚情報」によって心理的な「視覚情報(無意識なので見えない)」と結びつく→言語化出来ない感情が生まれる→泣きたくなる……かな〜と考えてみました。
1:04:06本当にこれ本をラジオ形式で解説するのは自分のようなこういう人間にとって意義があり過ぎるゆる言ありがとうございます
分離脳の実験でいうと、片目にだけ「歩いてください」という指示を出して、歩き出した患者に「なぜ歩いたんですか?」と質問したら、「ジュースを買いに行くから」と答えた、というのを聞いたことがあります。人の心(意識)は後付けなんじゃないかというのを示唆する話として印象深く残っています。
時間軸を通すと 思考は全て後付だと思います。瞬間の「感じる」という体験のみが本質により近く、アウトプットを試みると 後付けのカテゴリーになると思います。
このテーマにおいては、「受動意識仮説」というのもお勧めしたい。その仮説は、興味深い結論を出している:「心や意識の正体は、エピソード記憶を創り出す回路である」つまり私たちの意識や心というものの正体は、私たち自身が、脳内のうち「エピソード記憶を創り出す回路」自身であり、その回路視点で見たものがこの世界なんだ、というもの(クオリアは、その回路から見たデータの感触)。平たく言うと、「私たちは、エピソード記憶生成機そのものなんだぜ!」という仮説です。「ジュースを買いに行くから歩いたんだ」というのも、エピソード記憶の一種。それはこの回路が自身で勝手に作り出した「エピソード」であり、真実ではない。後付けのエピソードデータである。自我とはこういう記憶データの蓄積でしかない。(ちなみに、自我の連続を感じる時間的奥行きも記憶でしかないため、世界五分前仮説も成立する。)
僕は営業畑の人間だけど優秀な営業って言語化ヤクザが多いしかし、ぶっちぎりの営業の天才はビジュアルシンカーで、相手に自分の温度を感染させることができる人だと思う
言語化やくざの営業ってやってることは言語化マウントによる説得にみせかけた「矯正」だからなぁ。裏付けや説得がなく情報の波で押し流すだけだから、後々になると騙されたという感想になることが必然だし。
私は人生において出来るだけ普遍的に思える定義・要請を何個か課して、その辻褄を合わせるように生きてます。
このチャンネルの1番好きなところは、新しい言葉をたくさん浴びられることころです。新しく学べるのほんとに楽しい!
これもうゆる言語学ラジオ史上のパラダイムシフトだろ
これは、いい
それESTJは下手すると優生思想やメリトクラシーに陥りやすい(例えば動画内の「自己責任」「努力不足」などの発言。例えば言語化できない人、会議で発言できない人を貶めるなど「できない人」を差別する様)。しかし、本を読む機会を得たがゆえに、それを無事回避した印象。もしこの本がこの2人にいきわたらなかったら…と考えると恐ろしい。 そんな人はいっぱいいるだろうから。一生それに気づかないESTJ幹部は沢山いて、それがブラック企業の経営につながる
全3回とても面白かったです!未知の価値観に触れたり、自分が過去に経験した違和感の輪郭が少し見えたりした気がします私にとって言葉にすることは「こういう感覚にはこんな言葉」みたいなパターンを覚えて当てはめるようなもので、おそらく「伝えたい内容に相応しいスタンプを選んで送信する」ことに近いと思いますもともと作文が大の苦手で学校ではしょっちゅう居残りするくらいだったのですが、こんな風に自分の感覚そのものとは別物として扱えるようになってからじわじわと社会的になんとかやっていけるレベルでの言語化が出来るようになりましたただ、言語って意味や使い方が予め決まっている有限の単語の集合なのに、自分の思考や感覚がどれかに当てはまる保証なんて無いじゃん〜とは今でも思ってるので、常に「この言葉でも大丈夫?」と心に対して合意をとってる気分ですそれと動画内で何度か繰り返していた「言語化できる人が有利な社会」については確かにそうかもと思いつつ、一方的な有利ではなく「言葉にすることで責任を負う社会」でもあるんですよねたくさん言葉にしている人はたくさんの責任を負っている、だからこそ「言葉にしないのはズルい」とか考えていたのですが、もう少し相手に寄り添って一緒に意見を引き出す方法を考えたほうが建設的かもと思い直しました仮に視覚思考の人が有利な社会を考えるなら「描いた描かない論争」とか「こんな絵が残ってるんだから、もう描き逃れ出来ないだろう!」みたいなやりとりがあったら面白いですね
3回にわたって色々と考えされる話を聞けましたやはり最後の「おしっこうんちくを足す」の字面が綺麗でとても感心しました
そもそもビジュアルか、ランゲージか、というどちらかで考えている人がいることに驚きを感じている。私が思考するときはナレーション付きのgif画像が多く、時に絵本、字幕付きの映画。といったように形を変える。しかしこれらの出現率が多いというだけで、お二人のように言語が先行することもあれば、ルパン三世のタイトルコールのように視覚化した言語で考えることもあったり、文字が一切現れない概念で思考する時もある。同じような人がいたらお話ししたいです。
学生時代から本が読めないコンプレックスが強烈でした。今、初めて納得のいく肯定を受けて涙が出そうです。
「隠れディスレクシア」と検索すると発見があるかもしれませんよ
水野さんの人文学の捉え方が素敵だと思いました。自分の価値観を固定化せず、多様な価値観に触れてみよう、という気持ちで人文学を読んでみようと思いました。
ビジュアルシンカーなので、今回の動画は全人類に見て欲しい。自分では言葉にできず自分がどんなタイプか伝えられないから、この動画見といてって言いたい。
「関数で表せるならば心でない」というイメージで水野さんは話しているけれど、自分は「心は実在して、かつ関数で表せる」と考えているので、そこのイメージがずれていることに驚きました。
カオス的な振る舞いによって計算ができないのが心という意味かもしれませんね「関数で表せるならば心でない」
これ私も思いました。 加えてその直前水野さんはご自身で「僕単純なので」と仰っていましたが、その自己認識も事後的に作られたものでしかないという点も見落としているように思います。ただこれは水野さんが誤解しているというよりは、我々の日常感覚として「心がある」ことを前提にしているため、仕方のないことだと思います。
私も同意見です。めちゃくちゃ多い変数が複雑に関与する関数で、各人の関数が異なり、しかも経験によって関数が書き換わる可能性がある(関数を書き換える関数が潜在的に存在する)。ここまで有機的なシステムならもう心と称していいと思ってます。既に充分以上に面白い。
もはや1つの映画の尺くらいなの無理してほしくはないけどこっちとしては非常にありがたい
お二人とは逆に、言語だけで考えて話す人がいるということにこれまで気づきませんでした。自分は大学で油絵を学び、その後デザイナーとして就職したという経緯からビジュアル思考が先で、それを言語化する思考は後から育ちました。言語のみの思考で、言語化するということがありうるんだというのは目から鱗です。言語ではないものを言語にするから言語”化”なのだと思っていました。
サンボマスター そのぬくもりにようがあるの”俺は言葉にならないからギターを弾くわけですよ”って歌詞は言語化できないフラストレーションを表した名言だと思う
本を読むのが苦手なので音声で本の魅力を伝えて頂けて本当に嬉しいです😭
「語る = 騙る」のカタルシスですね
snsでバズる投稿は、言語思考的に考える事が多いものを簡単なイラストで表現したり、ビジュアル思考的に考える事が多いものを文章で書いたものがよくあると思う。
まってましたーーー!ビジュアルシンカー、近所の本屋さんも全滅で版元から取り寄せてもらうことにしました!届くのが楽しみです!自分もビジュアルシンカーよりで、自分や自分の取り組んでいることを人に説明した後、私の頭の中にはもっと世界広がってるんだけど言葉で伝わらないなー、なんでー!とモヤモヤしていたので、この3回で自分の特性に気づけることができました。神回な配信ありがとうございますー!
6:10堀元さんが「しゃべりたいこと4つくらい浮かんだ」という”浮かんだ”が、頭の中でどう整理されて4つを認識しているのかが、スゴく気になりました!自分自身でその表現するときは、それぞれに関連性がないならリスト形式で4行、関係性があるなら例えば4象限などのマッピングで、どちらも中身は内容によって絵かキーワードのイメージしやすいものを置いたかたちの、全体でいうとリスト、図、図表で考えています。今回の放送、自分の認識のしかたを改めて整理できて、本当に面白かったです!ありがとうございました。
道路標識が単語と形・図を組み合わせて描かれているのは、どちらのタイプにも直感的に分かるようにしているのかなと思いました。
私は自分の感じたことを言語化したい気持ちから読書にハマり、小説を書くようになり、言葉や文で表現することが楽しい時間を長く過ごしていましたが、最近では言葉で表現した瞬間にその言葉たちは、私の体感した全てからはどんどんかけ離れていってしまう実感があり、それがとても嫌だと感じるようになりました。単語とはここからここまで意味するという枠や境界線があり、しかしその枠からすこしでもはみ出た部分を忘れたくないという気持ちから抽象画を始め、去年は展示会まで開催してしまいました。今では、いかに言葉から離れて世界を捉えられるか、いかに映像的なものを言葉として表現できるか、この双方を交互に意識的に行き来して日々生きているところでしたので、今回のお話しは私に刺さりすぎました‼︎
子供の頃、宿題とかで日記を書かなきゃいけないとき、感情を書いた瞬間に嘘を書いてるみたいで気持ち悪くてしょうがなかったことを思い出しました😅
脳の中で起きているのは電気のフラッシュやホルモンの感知でも、その時人の中では、おもろ!って思ったり、嬉しかったり悲しかったり、色々感じてるというのが趣深い。今、今この瞬間を生きてるなあ。
ビジュアルシンカーの私は、英語を習い始めた子供の頃、既に「なぜこの事を言葉にできないのか?」という疑問を持っていたので、外国語ならそれができるかもしれないという動機が今日の外国語オタクへ繋がっています。同時に、世の中には絵の描ける人が少ないなぁー、というのを見てビジュアルシンカーである事に自信と誇りを持っていました。ただし、絵の描けない輩とは深い仲にはなれないな、と今でも思ってます。
言語思考と視覚思考との間には大きな溝がありそう。文化戦争のように
@@hmtsite ほんそれ。このチャンネルの人は賢いからその溝の存在に気付いたが、いやむしろ、それくらい賢くてもようやく今更この溝に気付いたくらいだもんね。 ほとんどの人々は、その溝の存在すら気付けずに互いに貶め合いそう。 悲しいわ
自分は絵の勉強を始めて描き始めた時に、心の扉が開放されたような感動したのを覚えています。感受性は時に傷つく要素にもなるけれど、忘れてはいけない本能だと思います。
理系文系よりよっぽど有益な区別なので、これからは理系でなくビジュアル系を名乗っていくことにした
1:18:59 書くことは得意ですが、活字を読むのが本当に苦手でコンプレックスを抱えてる自分には本当にありがたいチャンネルです。
与えられたパラメータに対して何を出力するのかの関数そのものを心と呼ぶんだと自分の中には府に落ちました この関数は再起関数で、無限に呼び出されながら過去の自分までパラメータに入れて出力を変えていくんだと思います
すごく面白かったです。ゆる言語学ラジオもコテンラジオも、podcastで聞くよりUA-camで映像を見ながらの方が頭に入ってくる。話し手の表情や仕草込みで聴くのが一番入ってくる。
「なんか描いて」と「なんか喋って」が同等のハラスメントだと理解して、反省した。
でも、なんか描いて を言う場面が一般社会では少ないから、一方的にハラスメント受けるだけで終わるよね
私は本が読めないので、本当に音声で情報を得られるのありがたすぎるのです。
私はアメリカ人の日本語学生ですけど、日本語で話してるときには英語から翻訳していない。私には、言葉は考えじゃなくて、ただ考えの一つの伝い方です。
「人文書は自分と出会い直す本」。本当にその通りです。「人文系不要論」がまことしやかに叫ばれる世の中ですが、水野さんのような人に人文書の価値を広めてほしいと思います。私は学者ですが、学者がいくら「人文系の学問は大事だ」と言っても世の人の心にはあんまり響かないのかもしれないなあ、とも感じてしまっています。
映画「JOKER」を当時結婚を考えていた彼女と観に行って、自分にとって衝撃的過ぎて心の内でゾワゾワモヤモヤした何かが渦巻いてたところに「おもろかったなぁ!」「どうやった?」と無邪気に色々喋りかけてきたことが受け入れられなくて、それを境に色々うまく行かなくなって結局別れてしまったことを思い出した。自分にとってはそんな簡単に片付けられる、言葉にできるものじゃなかったから、黙りこくってしまって。というか言葉にした瞬間自分が受け取ったものが霧散してしまうような、別のものに姿を変えてしまうような感じがして、言葉で規定したくないと思ったんだな。思い返すと、最初の衝撃がすごすぎた作品は感動が薄れるのが嫌で二度目を見ない傾向にある。西村美和の「ゆれる」「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」「JOKER」など。
ビジュアルシンカーで絵を描けない人もいそう。言語思考者でも口下手だけどめっちゃ良い文章を書く人も、その逆の人も、どっちもできない人が居るように、ビジュアルシンカーにも多様な人が居ると思う。結局、絵を描くのも話すのも身体を伴うから。関係ない話ですが、将棋のプロ棋士である米長邦雄は対局に負けて悔しくて、将棋会館の4階から放尿をしようとしたことがあるらしいです。
「りゅうおうのおしごと!」にそのエピソードが載ってましたね
どういう心理なんだろう😂負けたけどワイは本当は強いんじゃー!(オスのマーキング行為)ってこと?😂
本当に関係ない話で草
このラジオ聴いていると、人生ってどこまで行ってもとことん暇つぶしだなって思い知らされる。
夫は感情を言語化をあまりしません。私は言葉にして欲しい、と彼に迫って、辛い思いをさせました。彼は絵も描きません。体や表情で表現するのは上手です。相手の体から、感情を読むのも上手です。絵だけじゃなく、音楽やダンスなど、色んな感覚で考えている人がいるんじゃないかと、このシリーズで想像させてもらいました。スポーツも筋肉感覚で世界を捉えている部分があるんじゃないかな。
視覚優位or聴覚優位の二元論っぽく論じられてる点が少しモヤッとする部分もありましたが、すごく面白かったです。そもそも視覚情報の処理能力と聴覚情報の処理能力という二つの要素だけで個人の思考の傾向は特徴づけられる訳ではありませんし、脳の成長や老化といった時間要素、病の後遺症や突然変異といった偶然要素なども絡みつつ「思考の癖」は日々流動的に変化しています。だから「心」や「自由意志」といったネーミングが妥当かどうかはともかく、一回性の「反復不可能な知」(by東浩紀)みたいなものを個人の脳は孕んでいると私は考えます。個人的には、明らかに言語化が得意じゃない人がすごく「つたない」けれど真摯な言葉で、世界の核心を独自の視点から指摘してしまう瞬間とかがあって、そういう時に「ああ、言葉って素敵だな」と思ったりします。私も若い時、人間の社会は個々人の考えを言葉にしてお互い話し合うことで良い方向に変化させていくものだし、そうあるべきだと強く思っていました。でも私の親友(バカだけどめちゃくちゃいいヤツ)がある日、「人間って、思ってることと全然違うこと、しゃべるよ?」と教えてくれたんです。文字にすればどうってことのない指摘ですが、当時の私はそんなことにすら気付いてませんでした。あの時の衝撃を思い出し、老害おばさんはお二人に少しだけ「ようこそ、待ってたよ!そしてよくぞ言ってくれた!」と思ったりしました。
この人達が羨ましいと思う傍らに、それを共有してくれてありがとうとも思う
折り紙とかLEGOブロックとかの説明書で理解できないヤツに全く共感出来なかったけどやっとわかった気がする
文章生成AIは「直近の入力を元にそれっぽい次の単語を出力する」というシステムで動いてますよね。そんな簡単な仕組みで人間と見紛うような出力になるのは不思議でしたが、現実の人間もそのようなアルゴリズムで動いているからなのかもしれませんね。
この3回通した読後感が少し古いSFを読んで満足した時とよく似ていた
演劇を教えています。「心」というか「感情」の存在を意識すると大体芝居が上手く行かないので今回の心の話はすごくしっくりきました!ちなみに生徒の皆さんには「感情は勝手について来るよ」と教えています。
47:00 私はUA-camや音楽を聴きながら勉強しようとしてもテキスト(視覚)に意識がいきすぎて音が無くなるんですが、その話をした友人は逆に音(聴覚)に意識がいきすぎて勉強が進まなくなってしまうと言っていて、聴覚優位者と視覚優位者の違いは集中の仕方にもあるんだな〜と少し新鮮でした。
【参考文献のリンク】
◯ビジュアル・シンカーの脳
www.valuebooks.jp/bp/VS0087585344
◯心はこうして創られる
www.valuebooks.jp/bp/VS0084184940
◯The invisible gorilla
ua-cam.com/video/vJG698U2Mvo/v-deo.html
◯息吹
amzn.to/443hQHX
◯アンナ・カレーニナ
amzn.to/3JlWEDs
◯タイタス・グローン
amzn.to/44bcZEU
◯ゾミア
amzn.to/3Q50d4I
◯プロジェクション・サイエンス 心と身体を世界につなぐ第三世代の認知科学
amzn.to/4aCMH0p
◯裁判百年史ものがたり
amzn.to/3xCZzFf
【サポーターコミュニティへの加入はこちらから!】
yurugengo.com/support
【我々の初の著書『言語沼』はこちら!】
www.valuebooks.jp/bp/VS0058755147
【おたよりフォーム】
forms.gle/mTGM7A9QNqgjZMgN7
※皆様からの楽しいおたよりをお待ちしています!
うごぉぉおぉぉお!
ビジュアルシンカーは在庫切れ状態ですね。
早めに入手しておいて正解でした。
言語に関して社会がどう捉えているかという話に関連して、書き言葉がある社会と無い社会では感覚が変わると指摘している『声の文化と文字の文化(ウォルター・J. オング)』という本が面白かったです。
ぜひお二人に読んで欲しいです。
IKEAの取説はやりすぎかもしれないけど、
プラモデルの組立説明書はすごくバランスが良いと思う。
自分はとある外国語大を卒業しているのですが、教養科目の哲学で「言葉にした時点で想いや考えは嘘になるよね」という一節が話題に出たのが今でも忘れられない授業のうちのひとつです。
上から順に読んだ中で初めて同意できるコメントを見つけた
広告とか写真がそうですよね。アウトプットした瞬間にもう意味が損なわれてしまい商品化が始まりますからね。資本主義の良くないところです
異本ですね
うろ覚えだけど、ヘミングウェイの短編で男女が昔の旅行の思い出を話しているシーン思い出した
「やめよう。言葉にすると思い出が色褪せる」
「わかってるわ。だからその周りだけを話しているんじゃないの」
そのものはあえて言葉にせずに、輪郭だけを言葉にすることで本当に描きたいものが浮かびあがるのだなぁ、と
@@HelloWorldcom
素敵!絵みたいですね!!!
光と影が物体を形作ってるんですよ!
2人で同じキャンバスに描いてるみたいでなんかロマンチックですね。
そういう話し方もあるんだ…
すげえ、言語化が先に来る人ってこんなに考え方違うんだ
私はビジュアルが先に来るので「形のない感情や考えをクッキー型でくり抜くように言語化する」感覚でした、なので言語化できない余りができる
表現が素敵…!そして仰っていることがパッと絵に浮かびすんごくわかりやすい!!と感動しました!!
わからん、、、
全く同じこと考えていたので嬉しくてコメントしました。めっちゃ分かります…!!
わかる。頭の中の絵より口から出る言葉の方が少ないわ。人に説明するとき絵に描くとわかってもらえないこともある。美大では友達に対してそれで通じてたから社会に出て絵の説明が通じない人がいて驚いた。
視覚思考者はビジュアルを言語で比喩してるのかな。頭の中にある複雑なビジュアルを簡単な言葉に変換する。そして前、堀本さんも言ってたけど比喩は完全に元のものを説明できない。別のものに例えた時点で厳密性が幾分か捨てられる
言語思考者は言語で考えてそのまま話すけど、複雑な説明とかには単純な物の動きや構造で比喩をする。
お二人は元々言語で考えてるから言語化が得意と仰っていますが、ビジュアルシンカーだけど技術が無くて絵が描けない人のように、言語思考者だけど情報の整理が苦手だったりで言語化が苦手な人もいるのかなと思いました。結局絵も言葉もアウトプットする技術を学べば人に思いを伝えるのが少しは楽になるのかなと
素晴らしいコメント
ゴリゴリにビジュアルシンカーなのに画伯な俺を許してくれてありがとう
@@アレ-e2xおもろい
アウトプットを代わりにしてくれるAIが流行っているのはそういう背景があるんですかね
自分は、『言わぬが花』という感覚があり、アウトプットをうまくできない人に対してネガティブな気持ちを持ったことがないので、世の中の評価ってアウトプットできない人に対して厳しい(もしくは、厳しいと思ってる人がいる)ことをこの動画で初めて知りました。
多分、生きてきた境遇によっても感覚が変わるのかも。
バリバリの言語思考者だとしても文章構成や単語を熟知していないと言語化できませんからね。
言語思考者をしている堀元さんと水野さんでもロシア語で言語化してと言っても出来ないわけで。
ロシア人から見たら「頭悪いなぁ」という感想になるでしょうね。
文章構成や単語を学習すれば上達するので苦手でも克服できるようにしていく努力が必要なのだと思いました。
自分はおそらくビジュアル思考寄りだと思います。
言語化するタイプのビジュアルシンカーです。プロセスとして言語化は一番最後なので、道端で泣く時は言語がまだ来てないというかんじです。
「文字」になっていると記憶しやすいので、ゆる言(他のゆる学徒関連も)UA-camはテロップをいれてくださる動画編集の方々に感謝しきりです!
職場に「ビジュアルシンカーだけど言語化が上手い人」も「極端に言語思考だけど言語化が下手な人」もいるから、言語化が上手い下手と、どちらの思考なのかというのは全く別の話だよなーと思いつつ…
なんにせよ、「相手がどっちかによって伝え方を変える努力」が必要なんだなーと日々感じます💦
話題に出た本を読んで、お二人の極端な例を聞くとどちらの思考も理解が深まりそうで非常に参考になります!
最後の方に水野さんが言っていた「自分がマイノリティであると自覚すると考え事をしたくなる」という話は、「その水になじめない魚だけが、その水について考えつづける。」(頭木弘樹さんという方のエッセイの言葉らしいです、自分はTwitterで見かけました)という言葉につながるなーとおもいました。
ビジュアルシンカーシリーズ神回では?ここ最近でも抜群に面白い
1時間超えにしてるとこに、堀元さんの神回だけど最終回にしたい意向が見える。
「君たちはどう生きるか」を見た時に、これは言語化したくないなぁって思ったのを思い出しました。
言語化すると感動が低減してしまう気がして。
その映画で感じたものを、今までにどこかで使用された言葉で表すのは勿体ない気がしちゃうんですよね
分かる。あの表題初めて見た時のなんとなしの危うさはそういうことだったのか。
自分はああいうのを説明するとき、まず総括として言葉を使って、補助として似た感覚が浮かぶイメージをいくつか挙げてるな
100%合致する説明はできないんだけど、いくつか上げたイメージの共通点からなんとなく感覚が浮かび上がってくるなと
英語を学び始めたばかりの日本人にbus, bath, bassを発音してもらうと、どれも「バス」になるが、それは「本来の音」を「知っている音」で表現しようと結果であって、その作業によって元の情報は失われてしまう。
そして、何かを言語化するときも同様のことが起きているように思う。つまり、それを知っている言葉だけで表現する必要があるために、元の情報は失われてしまう。
文章を彩る様々な語彙は、結局のところ元の意味をできるだけ維持しようというパッチワークであるとも言える。しかしそれは、連続のスペクトルで構成される世界を有限個のクレヨンで表現するような営みであり、人が自身の考えを正確に言語化できていないように感じる原因はそこにあるように思う。哲学書に限らず、高度な専門書が難解に思えるのは、複雑な世界を表現するための新たな色、もとい専門用語を大量に用意し、駆使しているからであり、裏を返せば、そうでもしないと情報を正確に伝えられないということだ。大衆向けの平易な入門書では、専門書が群青色で表現していたものを単に青色で置き換えている。
こういった作業は、時に私達の思考をひっぱる。それは、本来無限の色があるはずの虹を七色に錯覚してしまうようなもので、自身の思考を表すのに相応しい単語を見つけると、これこそが私の考えだと思いたくなるが、それが個人の考えを正確に反映しているかは定かではない。青と藍の間にあったはずの自分の思いは、どちらかに帰属されて完全に消えてしまうかもしれない。
動画を見ていて、そんなことを考えました!面白かったです!!
言語化上手いなぁ〜
無限のスペクトルと有限個のクレヨン、良い表現ですね
言語学の音素と音韻にも繋がる話ですね
めっちゃわかりやすくて面白い
まさに言語化上手い人でうらやま。「青と藍の間にあった自分の思いは・・・」の表現がとても素敵ですね。
普段ふわっと感じていたことがわかりやすく言語化されていて感動しました。ありがとうございます。
堀本さんの「モヤモヤした気持ちの3割を形にしたものが文章、その割合を大きくできたら素敵だなという気持ちで文章を書いている」という話を聞いて、
こんなに言語化できる人でもそうだったんだ!と少し勇気をもらいました。
私は物心ついた頃から、何でも描ける!と20年以上絵を描き続けてきたのですが、
最近ピタッと描けなり、絵が嫌いになったのかなと悩んでいたので、、、
もしかしたら絵だけでは表現できないことに気づき始め、それを認められてなかっただけなのかなと思いました。
私は言語化が苦手ですが、いつも言葉にしてヒントをくれる人に感謝しています!
自分は絵描きですが頭の中にあるイメージを絵として出力した瞬間にそれはもう元のイメージとは別の何かになります。
堀元さんの言うモヤモヤした気持ちの3割を形にしたものが文章というのと似ているなぁと感じました。
絵は頭の中のイメージが完璧なんだけど、出力されるときに物理的な問題や身体的な制約などのさまざまな要因によって、イメージとは異なるものができてしまう。
個人的には実際に出力されたストロークや色彩が元のイメージと混ざり合って別物が出来上がることこそがモノをつくるということなんだと思っています。
考えてから作るのも良いし、出来てから考えるのも良い。
本が読めないのはわかります。
小学生の時、本が読めなくて親に言ったら、
「映像でいいやん!アニメやテレビ、情報は本だけじゃないし、これからはもっと増えるだろうし、そっちを大事にしなさい」と言って、すごく助かったのを思い出しました。
大きくなり、それが今では立派なアニオタになりました。
お母さんありがとう!
愛読書は図鑑と風景の写真集と地図帳でしたね、懐かしい✨
親公認のビジュアルシンカー、アニメおたく、素晴らしい✨
素敵なお母さまですね。この言葉、誰でも簡単に出せるものではないです。ブラボー❤
お母さんも同じで遺伝してるんじゃないですか?
俺「時代は言語化や!noteで稼いだろ!」
言語思考者「言語化出来ないなら黙ってろ」
俺「よっしゃ!なら絵で勝負や!」
視覚思考者「クリエイティブなめんなよ」
俺「」
涙…拭けよ()
俺がお前のために言語も絵も消してやるよ。
人としての価値がなくないですか?
キムワイプ…いるか……??
コメ欄で人を楽しませるのも十分才能やで
これ水野さんの何がすごいって、言語化を称揚する枠組みの中にどかっと仁王立ちしてる堀元さんにその態度を反省させるための水準とか別の言説をもたらすことが実際にできたことだと思う。
水野さんぐらい堀元さんに刺さる面白い話ができる人じゃないとその扉は絶対開けられない。
これ本当に思いました。
言語化できることが人として当たり前だと認識している方(堀元さん)にこんなにもスムーズに、軽やかに新たに気付きを与えている姿に関心しました。
私は言語化が下手くそなので伝わるかわからないですが…かなり共感したのでコメント残しておきます。
謙虚な人はどこまでも世界が広いのだと思った
すごく好きなコメント
あるサイトで見た「脳は感覚器があるから外部情報を取得できるのであって、本体は常に暗い頭蓋骨の中にいる」という言葉が好きです。
本当に見ている世界は正しいのか? この言葉で信じきらず考えることもできるし、相手のことも考えることができます。ホラーな言葉に見えるかもだけど、私は励まされました
なんか想像したらすごいこわくなった
これ、ビジュアルシンカーというテーマが面白いというより、面白いのは「他者理解」そのものだという感じがするな
2022年9月9日に、駅で転んで外傷性くも膜下出血で入院して失語症になりました。自分の思考が変わった気がしていましたが、結果として言語主導の思考からビジュアル・シンカーにウェイトが移ったということなのかも。もちろん、言語主導のこの世界では、思考スピードが落ちると自分でも評価していて生き難いですが、思考の結果のクオリティは、上がった気がしています。
私も事故で脳の言語を司る部分をこぼしてしまい、言葉の一部と右半身の動きを無くしました。
そして同じくヴィジュアル感覚を使わざるをえない状況になって始めて今まで理解せず無視してきた世界が見えて楽しいです。
辛いけどね〜 ꉂꉂ(´▽`)
変長文章ごめんあそばせ
岡田斗司夫さんの思考のトルクの話を思い出した。どんどん話せるひとは高速道路でスピードを上げるのは得意だけど、聞く立場の時に話を先回りしてしまう。ゆっくりのひとはトルクが遅くて、そういうひとはしっかり話を聞くことができる。会議で黙ってる人にそういう人がいて、聞いたら重い一言が出るという話でした。
@@Nearly-eq3cc ネットで検索したら、植原 亮氏も思考を2つに分けて論じているようです。早く話せることのみが頭の良い事と思っている人はChatGPTと同じで、場当たり的な結論ではなく、問題そのものを解決する深い結論には到達できない気がします。
ビジュアルシンカーです。
上手く言語化出来なくて感覚的な話なのですが、話を聞いた時に
見落とすは 自分が 遅い
見過ごすは 自分は はやい
見逃すは 対象物が はやい
みたいな映像?脳内イメージみたいなものが流れて来ました。
言語化下手すぎる、、笑
まさにそれです…!
言語思考者のワイは全部文で考えてた笑
私の場合
見落とす→対象が止まってる、自分が早い
見過ごす→対象が早い、自分は止まってる
見逃す→対象と同等の早さを出せるが、あえて自分は止まってる
と理解してました。
言葉を聞いた途端、鬼ごっこのシーンが浮かびました。
例えば机の端にあったコップを落としてしまった時に
見落とす→そもそもコップの存在に気づいてない
見過ごす→コップがあることには気づいているけど、落としそうな所にあることには気づいていない
見逃す→コップが落としそうな所にあるなとは思いつつ放置
私の中ではこんな感じ
おもちろい
言語化ハラスメントの話聞いて思い出した。
小学生の頃、押し黙っている子に大人が「黙ってちゃ分からないでしょ!!」って怒ってるの聞いて、
『なんで分かんない奴が偉そうにキレてんの?』って思ったことがある。
学校の勉強だったら分からない人間の方が❌をつけられるのに
@@おぶ-n1r おっしゃる通り…
@@saya_tsukada言い方キツすぎましたね、申し訳ないです
@@おぶ-n1r そんなことないです!
なんて良い人!😭
言いたいことはなんとなく理解できるけど、その場合どうすれば正解なんだろう。。。大人が言語化ハラスメントを自覚して子供が自分の言葉なり絵なりで説明してくるのを待てばいいんだろうか。子供としても自分の意見を何かしらの形で表明すべきなのか。
@@hbdkxbsttnz ラジオの中でも言及されてましたけど、社会がもう言語化至上主義で形成されちゃってるので多人数を一気に教育しようと思ったら取りこぼされる子が出てきちゃうのはどうしようもない気がしますね…そういうタイプの子を伸ばせる環境を別口で用意してどんどんそっちへ誘導するくらいの身も蓋もない手段になりそう
昔から、自分には心の核とか芯みたいなものがない、今まで得た知識と経験の集合体が人間みたいな形をしているだけ…みたいな感覚があったので、「心なんてない」という主張はサラッと理解できました。
ただ自分がゴリゴリにマイノリティである自覚があったので「みんなそうなのでは…?」と思うことは今までなく、そこは今回驚きました。「他の人はみんな心があって豊かなんだなぁ」と思っていたので。
とても分かるマン2
こういう人がふえていくの
自分にとってすごく嬉しい。
暖かいなぁっておもう。
私は自分の考えを他人に知ってほしいと思っていないので、必要がなければ言語化するつもりはありませんが、論文は英語で書かなければならないので、とりあえず英語でできるだけ正確に記述するという訓練はしました。ただ、私にとって言語化という作業は、他人に伝えるという目的がなければ、ほとんど価値のない作業です。
また、心に関しては以前から神話と同じ存在であると解釈していて、実在はしていないが大多数が存在している前提で扱っているので、とりあえず話をあわせておこう、というスタンスです。言語にはこのような概念が多くあるので、言語で記述される特殊な世界が実在とは別に存在しているというのが私の生き方です。少し別角度からの表現をすれば、言語で記述される世界は人間の想像力の範囲内に限定された世界であるという認識です。
1:56からのくだり最高すぎる。「Aというものが好きだからこそ、Aの枠組みで説明できないものを尊いと思う」という考え方、共感やばい。僕の場合は、再現性とかマニュアル化とかが好きだからこそ、再現することができない思い出の写真や誕生日にもらうどんな高い商品よりも寄せ書きに強烈に執着する。
あと、水野さんの話を聞いて言いたいことが無限に出てきてオーバーヒートする堀元さんと同じ反応してしまって共感がやばい。
自分もオーバーヒートを実感することがよくあるんですけど、
「言語思考者で言うオーバーヒート」が視覚思考者にあったとして、それはなんなのか、それはオーバーヒートなのか別の言葉なのか、凄く気になっています。
とんでもない絵画が一枚パッと出てくるのが、無数に絵画がinstaのshortsみたいに表れるのか。
オーバーヒートに対立するカタカナ言葉があったらめっちゃ気持ちいいなって。
助けて〜〜
オーバーヒートの反対はカームダウンやクールダウンでどうでしょう
@@pyxin6789完璧な視覚思考者ではないものの、趣味でイラストを描いている者です。オーバーヒートとは違うかもしれませんが、私は時折、絵のアイデアがビジュアルになる以前のイメージだけ、印象だけで脳裏に現れてくることがあります。輪郭線のハッキリしない抽象画というと近いかもしれません、それこそ全体は見れるのに細部が矛盾している物体というか、結果だけが現れるというか。感情が先に想起される点を含め、イデアと言うのが一番しっくり来るたとえかもしれません。そんな印象、心象に無理矢理二次元三次元のピントを合わせて形容しつつ、出来るだけ原本を見た時と同じ感情が出力できるような関数にする、というのが創作活動のように考えています。
……求められていらっしゃる答えにはなっていないかもしれませんが、少しでも理解の一助になっていたら嬉しいなと思い口を挟んでみました……
如何でしょうか
かつて、思考をすべて言語化できないことに気づいて「思考を言葉にすると酸化する」と無理やり表現していましたが、それを見事に言語化してくれたことに感謝します
私はビジュアルシンカーよりの人間だと思いますが、今回の話を聞いた限りではそもそも「心」というものの存在を議論して定義しようとすること自体が言語化するという行動に近いものだと感じました。私は一般的に心と言われるものは雲のようなふわふわして如何様にも変化し、現れたり見えなくなったりするものというイメージを持ってます。
お二人をみてお若いなぁとつくづく感じました。
お二人の親世代の私ですが、自分の心の有り様をまだまだ探せる伸び代を与えていただきありがとうございました。
お二人の「物事を面白がる」という姿勢に、生きる力をもらっています。
辛い事や大変な事のとても多い人生ですが、その要素を「面白がる」ことによって、今日もなんとか生きています。
いつも本当にありがとうございます。
自分たちのこと何度も言語化得意って言い切れるのすごいな
すごいですよね
なんかもう、こう何とも言い表わせないくらいすごいと思います
@@そら-v9v6r根本的な自尊心に由来するもので
サブジェクト自体(言語化)は 得手不得手どちらに転ぶことも可能だと思います。
ほんまに。お前らのどこがメタモンなんだよって思う。
画像や図で思考することが苦手(できない)とセットだからでは?
@@gutsnosada水野さん堀本さんもそういう認識っぽいけど、両方できる人もできない人もいる気がするけどね
このシリーズはビジュアルシンカーの理解より、言語化ヤクザ対策として大変役にたった。私は物事をしっかり考え物事を確実に進めて行きたい志向があるが。人にはその場で辻褄合わせて、嘘までとはいかないが適当なこととをスラスラ言える人間がいる事を知れて良かった。
今ちょうどそういう人間に振り回されて、タイミングが最高でした。
言語化が上手いことと、その人物が信頼できるか否かは別の問題だもんね。
私も似た気持ちでした。 ESTJは下手するとブラック企業経営者になるので猶更… この動画主さんたちはたまたま「改心」することができたからセーフだが、改心できずにいまだにビジュアルシンカーを下に見続けている人は多そう。 私たちビジュアルシンカーは、そんなヤクザからうまく距離をとるなり配慮してもらわにゃならん…
同じ動画シリーズの別コメントで、発達障碍者はビジュアルシンカーが多いとのことを知った。ゆえに彼らは言語化優位社会で割を食ってるんだろう。手帳をもらえば支援が受けられる世の中になったのはありがたい… そう、私の事です(隙自語)
音楽雑誌に根源的な問題を感じていました。IKEAの説明書は家具を組み立てることが目的であり、言葉が3次元の方向性を説明するのにそれほど向いてはいないが図と共にあれば問題ないのに対して、音楽の良さを伝えることが目的の音楽雑誌は、図でも言葉でも正確に伝えることが難しい。音楽の良さを知りたいのに、その文章の文学性や作者インタビューからなんとなく想像するしかない。聞けば一発なのに、ずいぶん遠回り・・・それどころか間違った印象を伝えている場合すらある。しかし音楽は抽象的すぎて、家具の組み立て方もストーリーを正確に伝えることはできない。つまり伝える目的によって言語も図も音に得て不得手があり、どれを選ぶべきかを本来常に考えなければならないということだと思います。一方で言葉の良さを伝えるには言葉が最も最も適している。絵にはオマージュや模写という活動が、音楽には編曲という派生があるにせよ、「良さを伝える」という目的を考えると、言葉以外に方法がないというジレンマもあります。正確であろうとすると実物でしか伝わらない。それ以外はなんらかの情報が失われているのだと思います。その欠損度が音楽雑誌は非常に高く、もはや手段が目的になっている典型なのではないかと思うのです。
映画やテレビドラマ批評とかもだいぶそう…
食べ物、飲料の評価もだいぶそう
媒体を介することによる情報の欠損を前提として、それをどう埋めていくか創意工夫することが表現であり文学性だと仮定すれば、その成果物たる音楽雑誌を手段ではなく、あるいは手段であると同時に目的として楽しむことはごく自然なことだと思います。これは音楽を題材にした評論や随筆にも言えることでしょう。
実際に聞きにいく人は、気になった曲やミュージシャンを知るとっかかりとして単独の文章より網羅的な雑誌は有用だと思われます。
そもそも、ミュージシャンからして、歌詞、MV、ジャケット、パフォーマンス、空間演出、時代性などを一切排除して音だけで活動したいと行動している人がどれだけいるのでしょうか。これは音楽を軸とした総合芸術という解釈もでき、だとすれば、それが文学性を帯びるのも自然なことです。音楽の良さを言葉で伝えることの意義や妥当性も見いだせるのではないでしょうか。
あくまで個人的な考察(辻褄合わせ)ですが。
言葉で表しきれない時き、百聞は一見にしかず(一聴にしかず?)だよ!!としか言えないのがもどかしい。
インプット(読む/聞く/見る)、アウトプット(話す/書く)でも
ビジュアルかシンクかに得手不得手の差があり、その傾向が別れる人も多数存在すると思われます。
インスタで見た動画で、「考える時は何語を使ってますか?」って質問にNiziUでマルチリンガルのリマちゃんが「考える時って言葉使う?just likeイメージじゃない?」って答えてて、ビジュアルシンカー!!ってなりました
Kevin's English RoomってUA-camチャンネルの日本語を喋れるアメリカ生まれアメリカ育ちのケビンが配信で全く同じ質問されて「考える時って言葉使わなくない?」って答えてて、俺と一緒だー!ビジュアルシンカーだ!ってなりました
KERもチャンネル登録しててよく聴きます!笑、その話は取りこぼしてました…!
この回聞いて真っ先に思い出したのがそのケビンの話でした!言葉で考えないってどういうこと……?ってなってたんですけど(かけちゃんやまちゃんもそんな感じ)、腑に落ちました。
「辻褄合わせのポンコツ嘘つき」がこんな形で回収されることになるとは思わなかった
小6の息子と楽しく拝見してます。息子は自閉症スペクトラムで、この本のテンプルさんと同じです。子育てする中で、あまりにも息子を理解できず、6歳で診断にいたるまで「息子は宇宙人」という感覚でした。診断をうけ、専門家の本や講演を聞き、ほんの少しだけ息子の感じ方が分かってきました。
マジョリティではない人、自分と違う感じ方、方法の人たちがいるということを、頭の片隅に置いておくだけで、世の中が優しい方向にいくのではと思います。
学校教育は言語化と書字が基本なので、いろんな子にあった学ぶ方法が選べればよいのになあと、この回を見て改めて感じました。
成人した息子もASDです。彼は言語も読み書きではずば抜ける一方空間認知のテストも秀でていました。父親で元夫は相貌失認があり、家族の超高学歴を自慢し、読書をしなかったり文法を間違う「知識」のない人を見下します。夫は医者を拒否し診断はついていませんが。絵はチョー下手で具体的なこと、手仕事、家事など一切出来ません。自然や動物も苦手です。うちは極端な例ですが、全ては脳の特性から出発し良い教育環境と社会の寛容さで上手くいく可能性が生まれます。時代は良い方向に向いています。子育て頑張って下さい。
大変でしょうが、普通の子と違うというだけで悲観的にならず、頑張ってください。
これからの時代は多様性が求められます。
自閉症スペクトラムの高い子は、本人の性格等にもよりますが、高い集中力を保つ事が出来る子が多いです。
コンピューターの父と呼ばれる天才、ジョン・フォン・ノイマンも「宇宙人の様だ」と言われていたらしいですよ。
自閉症の方は抽象的思考が非常に困難らしいです。
ですので、具体的な直接記憶に頼る傾向にあり、琴線に触れれば驚異的ば能力を発揮する場合もあると聞きます。
無理に普通の子と同等になる様に強力に矯正するより、是非ともその子の得意分野見つけ、伸ばす様にして育ててあげて下さい。
鼻中の鼻毛のあり方とかいう説明しづらい状況をありありと伝えられるところにお二人の言語化能力の真髄を見た
法規を読みながら(言語志向)、図面を書く(ヴィジュアル思考)という作業を建築設計業では行うのですが、同業者を見てると「どちらか一方しか上手く出来ない」という人が大多数で、なおかつ出来ても苦痛が伴う人が多いように思います。こういう仕事をしている身として楽しく聞かせて頂きました。
めちゃくちゃ分かる。法規が図で書いてあればまだマシなのになといつも思う
ビジネスチャンスかもね
実はそういうジレンマのある構造があるってことは、それを解消する道を作ったら大成功するかも
行動分析学を学んでいましたが、今回のお話大変懐かしく思いました。堀本さんの母校である慶應義塾は行動分析学の祖であるバラス・スキナーから実験装置を送られており、今でも日本行動分析学の大本流といえる大学です。何度かお邪魔しましたが本当に歴史を感じる施設でした
お話聞いてて感じるのは、
水野さん;情報の解像度は粗めで、手元の言葉で納得、満足することが容易にできる→言語化が得意という自認に繋がる。処理がエコなので処理速度が早いという利点有り。考え事をしないという自認にも繋がる?
堀元さん:情報の解像度が高く、情報と言語の1対1マッピングの模索を楽しむ人完全なマッピングに近いほど良いと感じるので、言葉での表現の出来に思い入れがあって、マッピングが上手いと感じる作家に愛情を持つ。処理負荷は高そうだけど、これまでの配信や文筆の経験で克服してるのかなと感じます。
画家の方など(ここで言うビジュアルシンカー):情報の解像度が高く、言語ではなくビジュアルへのマッピングを楽しむ人。言語へのマッピング
を自己理解、表現に用いておらず、一般的なコミュニケーションのアウトプットとして言語にマッピングするので表現や説得に重きを置いた言語マッピングに不慣れ。
という感じで、情報の解像度や情報のマッピング方法が軸になるのかなと感じ、水野さんと堀元さんも突然ながら同じタイプの人間ではないなと感じました。
またマッピングも当然ながらビジュアルだけでなく、映像の人もいれば、音の人もいるのかもしれませんね。個人の感じるマッピングの容易さ、好みによるのでしょうね。
12:57 私は、「文化祭を冷笑的に見る」ことで「カッコつけてる/スカしてる」と勘違いされるのも嫌だから、冷笑的に見る心も胸の内に秘めつつ、大人数が楽しむことを自分も素直に楽しもう、と思っていた。これは決して無理しているわけではない。ただ、人が楽しんでいることを否定するような人間になりたくないと言うことだ。
なんも説明できんかったのが訓練して説明できるようになって仕事もプライベートもうまくできるやうになったので、言語化から逃げないように諭してくれた師匠には感謝してる。すげー生きやすくなった。
子育ての経験と、AIについて多少勉強して得た知識から、
自分はどちらかというと「心は存在しない」と思っている派です。
学習するデータ量とパラメータの数が多すぎて複雑に見えるだけで
結局は入力(刺激)に対する出力(反応)でしかない感じ。
このビジュアルシンカーの全3回は色んなことを考えされられて
めちゃくちゃ面白かったです。
私も「入力と出力」にすぎないと考えていますが、それこそが「心」が指す概念であると捉えています。
単に捉え方の違いでしかありませんが、少し主張する立場が変わるような気がします……。🤔
マジで価値観変わったわ
正しい多様性のあり方の一端を垣間見れた気がする
このビジュアルシンカーシリーズ好きすぎるずっと喋っててくれほんとに
見落とす、見逃す、見過ごすの違いは、それこそいったん言葉に合うビジュアルを考えたら簡単にわかりますよね。
言葉で説明したかったけれどまったく簡潔に説明できません😵
条件見落としたわ→◯
条件見逃したわ→◯
条件見過ごしたわ→◯
見落としてやった→開き直り?言い回しとしては変
見逃してやった→◯
見過ごしてやった→△(あえて、見過ごしてやった、など?)
番組見落としたわ→そもそもあったのを認識できなかった
番組見逃したわ→単純に機会をのがした
番組見過ごしたわ→なにか他のことをしていて
鳥を見落とす→1.発見できなかった
鳥を見逃す→1.発見できなかった 2.追わなかった
鳥を見過ごす→1.発見できず通過させた、またはこちらが通過した
「鳥を見過ごす」のみでは「鳥を見逃す」のみとは違い、介入しなかったとの解釈は著しく優先度が低く、伝える側も「鳥を見逃す」にしたほうが正確な伝達を期待できると予想がつくため、その可能性は通常考慮しない
(文脈のない「鳥を見過ごす」一文からその鳥に対して認識していたが自発的に介入しなかったと解釈するのはかなり異様である)
「あえて鳥を見過ごす」のように「あえて」を接頭して文脈を追加すれば確実に「鳥を見逃す」と類義にできるが
文脈のない一文「鳥を見逃す」のように2通りの意味を保持した50:50の未確定状態で遊ぶことは「鳥を見過ごす」にはできない
ここに違いの鍵があるか
「鳥を見逃す」も実際の使用状況は文脈の中にあり、2通りの意味のどちらか不明という状況はわざとそのような構造にしなければ起こりえず
他との違いが分からず混乱することはない
・見落とす
1.対象が静的やこちらが動的に働きかけて陥る?あるべき、保持するべきもの、したかったもの、した方が望ましいものを取りこぼしたさま
・見逃す
1.対象が動的静的どちらも?「見落とす/見過ごす」と同じように使えるが 2.認識しているが介入しないことの意が簡潔にあらわせるのは「見逃す」
・見過ごす
1.対象が動的静的どちらも?使う状況が動的であることも特徴的かも?過ぎ去っていくものや時間に関係する?
「見落とす/見逃す」との違いは動いているか?がより強調される?
見落とすだと、視界の範囲からぽろっと対象を取りこぼすイメージで、
見逃すだと見ようとしている所を対象がスーッと逃げる、逃がすイメージ
見過ごすは見るという定点観測を時間なり視覚野が移動する中、(まるで小川を流れる木の葉が飛び出た石に引っかかることなく脇をすり抜けるかのように)センサーをするりと対象が搔い潜り主体が気づかない様子
……みたいなかんじだと思いました
見過ごすという表現は、過ぎるという意味から時間経過に対する意識があると解釈できます
また過ぎるという事は自分が移動している意識もありえるでしょう
朝顔の観察記録をしていて最初に咲いた日を記録できなかったという場合、見過ごしたという表現が的確なのではと思います
しかし見逃すという表現の場合は残念な気持ちが乗せやすく感じるので、普段使われやすいかもしれません
感覚の問題にしたらただの辻褄合わせにも思えてきましたが
すみません、書いた後で過ごすと過ぎるはちょっと違うイメージだと思いました
一一一一一一| 逃さない意志 | 意図的か否か |
────────────────────────────────────
見落とす | どちらでも | 意図的でない |
見逃す | 強め | 意図的 |
見過ごす | 弱め | 意図的 |
こんなイメージ
たしかにややこしいけど、そんなばっさり言語化できないっていうほど、イメージを使わないんだって思った
5:00 アニメーターになる為に人間の気持ちを絵画化するトレーニングばっかりしてたから堀本さんのこれにめちゃくちゃゾッとした……。ここまで前提が違うんだ。
堀元さんがどういう意図で言ったかは分かりませんが、アウトプットに掛かる作業時間当たりの情報量が多いのは圧倒的に言語ではないでしょうか
「絵を見ることで得られる情報量」と「文章を読むことで得られる情報量」は一概に比べられませんが、「1分で描いた絵で伝えられる情報量」と「1分で書いた文章で伝えられる情報量」は後者の方が圧倒的に多いように感じられます
@@Seiya_laugh それは言語思考者から見たらそう見えるという側面と、言語思考者に優位なように入力デバイスが進化したという側面の合成で考えられるのではないでしょうか。
この3回で何度も言及されていますが、言語思考者と視覚思考者は取り扱っている情報が全く違います。このため片方から見ればもう片方が情報量の少ない媒体に見え得ます。
また、今はフリック入力やキーボード、音声認識で文字が高速に入力できますが、手書きでこれを行うならば文章での伝達は遅くなるはずです。
手書きにしたとしても、文字は書くために長い時間をかけて洗練されているので、依然文字の方が有利という可能性はあります。しかしそれは、言語思考者が有利な社会が長年培ってきたものの結果にすぎません。
ただ、手で文字か絵を書くよりも喋る方が情報伝達が圧倒的に速い可能性はあります。これは人体の構造の話なので、全く別の側面ですね。
@@若ノ崎
「言語思考者に優位なように入力デバイスが進化した」はあると思いますが、経緯はどうあれ「現時点では文章での出力の方が早い」という点は変わらないのではないでしょうか
視覚のほうが削ぎ落とされる情報が少ないことはあるので優劣を付けるつもりはありませんが、
「短時間である程度の精度の情報を伝える」という観点では、やはり言語が有利に感じます
これは堀元さんがコスパ重視であることが関係していて、言語思考か視覚思考かとは別問題だと思います。
例えば「物を投げた」ということを伝えたいときに、それがオーバースローなのかサイドスローなのかが重要でないときは、単に「投げた」と言えばいいので意図的に重要でない情報を落とす事ができるので、伝えたい情報のみを伝えられると思うんですよ。
一方で絵画の方が実際の世界(あるいはビジュアルシンカーの内面)に即しているので、それそのものを伝えたい時には適しているとも言えますね。
まあただのMr.ホリモトの適当なポジショントークだと思いますけど
まぁラジオ上のネタとして言ってる部分は大きいっすよね〜
これまでの絵の感想とか見てる感じマジっぽさも感じてしまって結構ウワッ!ってきたってそんだけです。
ちょうど言語化が苦手な同僚がいて言語化できないことは欠点だという認識だったので考え方を見直すきっかけになりました。
ありがとうございます。
今回はもはやゆる哲学ラジオ
心があるか無いかは、「心」とは何かを定義しないと議論できないので、まず心の定義を「言語化」していただきたい。
心は存在しない説に同意してる人が、心をどう定義してるのか、僕も気になります。
正直全く逆のことを考えてます。
心や自由意志、分離脳まわりのテーマにおいては、「受動意識仮説」というのもお勧めしたい。その仮説における心の定義(というか心の正体は何なのかという答え)は、
「心とは、エピソード記憶を創り出す回路である」
つまり私たちの意識や心というものの正体は、私たち自身が、脳内のうち「エピソード記憶を創り出す回路」自身であり、その回路視点で見たものがこの世界なんだ、というもの。
言語思考者で絵を描く者ですが、
「絵は描けないけど展覧会を見て語り合う」友人と「会話は苦手だけど絵が一流(おそらくビジュアル思考)」な友人が別にいます。
ですが後者のケースでも作品を描き合って価値観を共有できているので、
絵が描ける言語思考者は後天的にビジュアル思考ができる説を推します。
心は思わせられているようです。思うようになっているか。その様に出来ているか、そのうにされているか。考えを深める事が出来まして、ありがとうございます。
水野さんのいうことが、予測つくこと!
わかる!娘と私が話していて感じること
タイプの同じ人間の話し合いは、独り言に近くなりますね
ビジュアルシンカーでかつイラストレーターの自分にとって自ら発した言語が全て嘘っぱちっていうのはすごくすっと理解できる。
自分が頭の中にあるものを全てそのまま描けたかと言われればイェスとは全く言えない。
妥協とごまかしののような絵の具を混ぜていかないと明確にイメージできる色は出せない。
思い描いた絵や色を出せるようになるにはもはや神になるしかない。
黒川くんが道端で泣きたくなるメカニズム予想…
ある条件を満たす道端を歩く→道端という「視覚情報」によって
心理的な「視覚情報(無意識なので見えない)」と結びつく
→言語化出来ない感情が生まれる
→泣きたくなる……かな〜と考えてみました。
1:04:06
本当にこれ
本をラジオ形式で解説するのは自分のようなこういう人間にとって意義があり過ぎる
ゆる言ありがとうございます
分離脳の実験でいうと、片目にだけ「歩いてください」という指示を出して、歩き出した患者に「なぜ歩いたんですか?」と質問したら、
「ジュースを買いに行くから」と答えた、というのを聞いたことがあります。
人の心(意識)は後付けなんじゃないかというのを示唆する話として印象深く残っています。
時間軸を通すと 思考は全て後付だと思います。
瞬間の「感じる」という体験のみが本質により近く、アウトプットを試みると 後付けのカテゴリーになると思います。
このテーマにおいては、「受動意識仮説」というのもお勧めしたい。その仮説は、興味深い結論を出している:
「心や意識の正体は、エピソード記憶を創り出す回路である」
つまり私たちの意識や心というものの正体は、私たち自身が、脳内のうち「エピソード記憶を創り出す回路」自身であり、その回路視点で見たものがこの世界なんだ、というもの(クオリアは、その回路から見たデータの感触)。
平たく言うと、「私たちは、エピソード記憶生成機そのものなんだぜ!」
という仮説です。「ジュースを買いに行くから歩いたんだ」というのも、エピソード記憶の一種。それはこの回路が自身で勝手に作り出した「エピソード」であり、真実ではない。後付けのエピソードデータである。自我とはこういう記憶データの蓄積でしかない。(ちなみに、自我の連続を感じる時間的奥行きも記憶でしかないため、世界五分前仮説も成立する。)
僕は営業畑の人間だけど
優秀な営業って言語化ヤクザが多い
しかし、ぶっちぎりの営業の天才はビジュアルシンカーで、相手に自分の温度を感染させることができる人だと思う
言語化やくざの営業ってやってることは言語化マウントによる説得にみせかけた「矯正」だからなぁ。
裏付けや説得がなく情報の波で押し流すだけだから、後々になると騙されたという感想になることが必然だし。
私は人生において出来るだけ普遍的に思える定義・要請を何個か課して、その辻褄を合わせるように生きてます。
このチャンネルの1番好きなところは、新しい言葉をたくさん浴びられることころです。新しく学べるのほんとに楽しい!
これもうゆる言語学ラジオ史上のパラダイムシフトだろ
これは、いい
それ
ESTJは下手すると優生思想やメリトクラシーに陥りやすい(例えば動画内の「自己責任」「努力不足」などの発言。例えば言語化できない人、会議で発言できない人を貶めるなど「できない人」を差別する様)。
しかし、本を読む機会を得たがゆえに、それを無事回避した印象。もしこの本がこの2人にいきわたらなかったら…と考えると恐ろしい。 そんな人はいっぱいいるだろうから。一生それに気づかないESTJ幹部は沢山いて、それがブラック企業の経営につながる
全3回とても面白かったです!未知の価値観に触れたり、自分が過去に経験した違和感の輪郭が少し見えたりした気がします
私にとって言葉にすることは「こういう感覚にはこんな言葉」みたいなパターンを覚えて当てはめるようなもので、おそらく「伝えたい内容に相応しいスタンプを選んで送信する」ことに近いと思います
もともと作文が大の苦手で学校ではしょっちゅう居残りするくらいだったのですが、こんな風に自分の感覚そのものとは別物として扱えるようになってからじわじわと社会的になんとかやっていけるレベルでの言語化が出来るようになりました
ただ、言語って意味や使い方が予め決まっている有限の単語の集合なのに、自分の思考や感覚がどれかに当てはまる保証なんて無いじゃん〜とは今でも思ってるので、常に「この言葉でも大丈夫?」と心に対して合意をとってる気分です
それと動画内で何度か繰り返していた「言語化できる人が有利な社会」については確かにそうかもと思いつつ、一方的な有利ではなく「言葉にすることで責任を負う社会」でもあるんですよね
たくさん言葉にしている人はたくさんの責任を負っている、だからこそ「言葉にしないのはズルい」とか考えていたのですが、もう少し相手に寄り添って一緒に意見を引き出す方法を考えたほうが建設的かもと思い直しました
仮に視覚思考の人が有利な社会を考えるなら「描いた描かない論争」とか「こんな絵が残ってるんだから、もう描き逃れ出来ないだろう!」みたいなやりとりがあったら面白いですね
3回にわたって色々と考えされる話を聞けました
やはり最後の「おしっこうんちくを足す」の字面が綺麗でとても感心しました
そもそもビジュアルか、ランゲージか、というどちらかで考えている人がいることに驚きを感じている。私が思考するときはナレーション付きのgif画像が多く、時に絵本、字幕付きの映画。といったように形を変える。
しかしこれらの出現率が多いというだけで、お二人のように言語が先行することもあれば、ルパン三世のタイトルコールのように視覚化した言語で考えることもあったり、文字が一切現れない概念で思考する時もある。
同じような人がいたらお話ししたいです。
学生時代から本が読めないコンプレックスが強烈でした。
今、初めて納得のいく肯定を受けて涙が出そうです。
「隠れディスレクシア」と検索すると発見があるかもしれませんよ
水野さんの人文学の捉え方が素敵だと思いました。
自分の価値観を固定化せず、多様な価値観に触れてみよう、という気持ちで人文学を読んでみようと思いました。
ビジュアルシンカーなので、今回の動画は全人類に見て欲しい。自分では言葉にできず自分がどんなタイプか伝えられないから、この動画見といてって言いたい。
「関数で表せるならば心でない」というイメージで水野さんは話しているけれど、自分は「心は実在して、かつ関数で表せる」と考えているので、そこのイメージがずれていることに驚きました。
カオス的な振る舞いによって計算ができないのが心という意味かもしれませんね「関数で表せるならば心でない」
これ私も思いました。
加えてその直前水野さんはご自身で「僕単純なので」と仰っていましたが、その自己認識も事後的に作られたものでしかないという点も見落としているように思います。
ただこれは水野さんが誤解しているというよりは、我々の日常感覚として「心がある」ことを前提にしているため、仕方のないことだと思います。
私も同意見です。
めちゃくちゃ多い変数が複雑に関与する関数で、各人の関数が異なり、しかも経験によって関数が書き換わる可能性がある(関数を書き換える関数が潜在的に存在する)。
ここまで有機的なシステムならもう心と称していいと思ってます。既に充分以上に面白い。
もはや1つの映画の尺くらいなの無理してほしくはないけどこっちとしては非常にありがたい
お二人とは逆に、言語だけで考えて話す人がいるということにこれまで気づきませんでした。
自分は大学で油絵を学び、その後デザイナーとして就職したという経緯からビジュアル思考が先で、それを言語化する思考は後から育ちました。
言語のみの思考で、言語化するということがありうるんだというのは目から鱗です。
言語ではないものを言語にするから言語”化”なのだと思っていました。
サンボマスター そのぬくもりにようがある
の”俺は言葉にならないからギターを弾くわけですよ”
って歌詞は言語化できないフラストレーションを表した名言だと思う
本を読むのが苦手なので音声で本の魅力を伝えて頂けて本当に嬉しいです😭
「語る = 騙る」のカタルシスですね
snsでバズる投稿は、言語思考的に考える事が多いものを簡単なイラストで表現したり、ビジュアル思考的に考える事が多いものを文章で書いたものがよくあると思う。
まってましたーーー!ビジュアルシンカー、近所の本屋さんも全滅で版元から取り寄せてもらうことにしました!届くのが楽しみです!自分もビジュアルシンカーよりで、自分や自分の取り組んでいることを人に説明した後、私の頭の中にはもっと世界広がってるんだけど言葉で伝わらないなー、なんでー!とモヤモヤしていたので、この3回で自分の特性に気づけることができました。神回な配信ありがとうございますー!
6:10
堀元さんが「しゃべりたいこと4つくらい浮かんだ」という”浮かんだ”が、頭の中でどう整理されて4つを認識しているのかが、スゴく気になりました!
自分自身でその表現するときは、それぞれに関連性がないならリスト形式で4行、関係性があるなら例えば4象限などのマッピングで、どちらも中身は内容によって絵かキーワードのイメージしやすいものを置いたかたちの、全体でいうとリスト、図、図表で考えています。
今回の放送、自分の認識のしかたを改めて整理できて、本当に面白かったです!ありがとうございました。
道路標識が単語と形・図を組み合わせて描かれているのは、どちらのタイプにも直感的に分かるようにしているのかなと思いました。
私は自分の感じたことを言語化したい気持ちから読書にハマり、小説を書くようになり、言葉や文で表現することが楽しい時間を長く過ごしていましたが、最近では言葉で表現した瞬間にその言葉たちは、私の体感した全てからはどんどんかけ離れていってしまう実感があり、それがとても嫌だと感じるようになりました。
単語とはここからここまで意味するという枠や境界線があり、しかしその枠からすこしでもはみ出た部分を忘れたくないという気持ちから抽象画を始め、去年は展示会まで開催してしまいました。
今では、いかに言葉から離れて世界を捉えられるか、いかに映像的なものを言葉として表現できるか、この双方を交互に意識的に行き来して日々生きているところでしたので、今回のお話しは私に刺さりすぎました‼︎
子供の頃、宿題とかで日記を書かなきゃいけないとき、感情を書いた瞬間に嘘を書いてるみたいで気持ち悪くてしょうがなかったことを思い出しました😅
脳の中で起きているのは電気のフラッシュやホルモンの感知でも、
その時人の中では、おもろ!って思ったり、嬉しかったり悲しかったり、
色々感じてるというのが趣深い。
今、今この瞬間を生きてるなあ。
ビジュアルシンカーの私は、英語を習い始めた子供の頃、既に「なぜこの事を言葉にできないのか?」という疑問を持っていたので、外国語ならそれができるかもしれないという動機が今日の外国語オタクへ繋がっています。同時に、世の中には絵の描ける人が少ないなぁー、というのを見てビジュアルシンカーである事に自信と誇りを持っていました。ただし、絵の描けない輩とは深い仲にはなれないな、と今でも思ってます。
言語思考と視覚思考との間には大きな溝がありそう。文化戦争のように
@@hmtsite ほんそれ。
このチャンネルの人は賢いからその溝の存在に気付いたが、いやむしろ、それくらい賢くてもようやく今更この溝に気付いたくらいだもんね。 ほとんどの人々は、その溝の存在すら気付けずに互いに貶め合いそう。 悲しいわ
自分は絵の勉強を始めて描き始めた時に、心の扉が開放されたような感動したのを覚えています。
感受性は時に傷つく要素にもなるけれど、忘れてはいけない本能だと思います。
理系文系よりよっぽど有益な区別なので、これからは理系でなくビジュアル系を名乗っていくことにした
1:18:59 書くことは得意ですが、活字を読むのが本当に苦手でコンプレックスを抱えてる自分には本当にありがたいチャンネルです。
与えられたパラメータに対して何を出力するのかの関数そのものを心と呼ぶんだと自分の中には府に落ちました この関数は再起関数で、無限に呼び出されながら過去の自分までパラメータに入れて出力を変えていくんだと思います
すごく面白かったです。
ゆる言語学ラジオもコテンラジオも、podcastで聞くよりUA-camで映像を見ながらの方が頭に入ってくる。
話し手の表情や仕草込みで聴くのが一番入ってくる。
「なんか描いて」と「なんか喋って」が同等のハラスメントだと理解して、反省した。
でも、なんか描いて を言う場面が一般社会では少ないから、一方的にハラスメント受けるだけで終わるよね
私は本が読めないので、本当に音声で情報を得られるのありがたすぎるのです。
私はアメリカ人の日本語学生ですけど、日本語で話してるときには英語から翻訳していない。私には、言葉は考えじゃなくて、ただ考えの一つの伝い方です。
「人文書は自分と出会い直す本」。本当にその通りです。「人文系不要論」がまことしやかに叫ばれる世の中ですが、水野さんのような人に人文書の価値を広めてほしいと思います。私は学者ですが、学者がいくら「人文系の学問は大事だ」と言っても世の人の心にはあんまり響かないのかもしれないなあ、とも感じてしまっています。
映画「JOKER」を当時結婚を考えていた彼女と観に行って、自分にとって衝撃的過ぎて心の内でゾワゾワモヤモヤした何かが渦巻いてたところに「おもろかったなぁ!」「どうやった?」と無邪気に色々喋りかけてきたことが受け入れられなくて、それを境に色々うまく行かなくなって結局別れてしまったことを思い出した。自分にとってはそんな簡単に片付けられる、言葉にできるものじゃなかったから、黙りこくってしまって。というか言葉にした瞬間自分が受け取ったものが霧散してしまうような、別のものに姿を変えてしまうような感じがして、言葉で規定したくないと思ったんだな。
思い返すと、最初の衝撃がすごすぎた作品は感動が薄れるのが嫌で二度目を見ない傾向にある。西村美和の「ゆれる」「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」「JOKER」など。
ビジュアルシンカーで絵を描けない人もいそう。
言語思考者でも口下手だけどめっちゃ良い文章を書く人も、その逆の人も、どっちもできない人が居るように、ビジュアルシンカーにも多様な人が居ると思う。
結局、絵を描くのも話すのも身体を伴うから。
関係ない話ですが、将棋のプロ棋士である米長邦雄は対局に負けて悔しくて、将棋会館の4階から放尿をしようとしたことがあるらしいです。
「りゅうおうのおしごと!」にそのエピソードが載ってましたね
どういう心理なんだろう😂
負けたけどワイは本当は強いんじゃー!(オスのマーキング行為)ってこと?😂
本当に関係ない話で草
このラジオ聴いていると、人生ってどこまで行ってもとことん暇つぶしだなって思い知らされる。
夫は感情を言語化をあまりしません。
私は言葉にして欲しい、と彼に迫って、辛い思いをさせました。
彼は絵も描きません。
体や表情で表現するのは上手です。
相手の体から、感情を読むのも上手です。
絵だけじゃなく、音楽やダンスなど、色んな感覚で考えている人がいるんじゃないかと、このシリーズで想像させてもらいました。
スポーツも筋肉感覚で世界を捉えている部分があるんじゃないかな。
視覚優位or聴覚優位の二元論っぽく論じられてる点が少しモヤッとする部分もありましたが、すごく面白かったです。
そもそも視覚情報の処理能力と聴覚情報の処理能力という二つの要素だけで個人の思考の傾向は特徴づけられる訳ではありませんし、脳の成長や老化といった時間要素、病の後遺症や突然変異といった偶然要素なども絡みつつ「思考の癖」は日々流動的に変化しています。
だから「心」や「自由意志」といったネーミングが妥当かどうかはともかく、一回性の「反復不可能な知」(by東浩紀)みたいなものを個人の脳は孕んでいると私は考えます。
個人的には、明らかに言語化が得意じゃない人がすごく「つたない」けれど真摯な言葉で、世界の核心を独自の視点から指摘してしまう瞬間とかがあって、そういう時に「ああ、言葉って素敵だな」と思ったりします。私も若い時、人間の社会は個々人の考えを言葉にしてお互い話し合うことで良い方向に変化させていくものだし、そうあるべきだと強く思っていました。でも私の親友(バカだけどめちゃくちゃいいヤツ)がある日、「人間って、思ってることと全然違うこと、しゃべるよ?」と教えてくれたんです。
文字にすればどうってことのない指摘ですが、当時の私はそんなことにすら気付いてませんでした。
あの時の衝撃を思い出し、老害おばさんはお二人に少しだけ「ようこそ、待ってたよ!そしてよくぞ言ってくれた!」と思ったりしました。
この人達が羨ましいと思う傍らに、それを共有してくれてありがとうとも思う
折り紙とかLEGOブロックとかの説明書で
理解できないヤツに全く共感出来なかったけど
やっとわかった気がする
文章生成AIは「直近の入力を元にそれっぽい次の単語を出力する」というシステムで動いてますよね。
そんな簡単な仕組みで人間と見紛うような出力になるのは不思議でしたが、現実の人間もそのようなアルゴリズムで動いているからなのかもしれませんね。
この3回通した読後感が少し古いSFを読んで満足した時とよく似ていた
演劇を教えています。「心」というか「感情」の存在を意識すると大体芝居が上手く行かないので今回の心の話はすごくしっくりきました!ちなみに生徒の皆さんには「感情は勝手について来るよ」と教えています。
47:00 私はUA-camや音楽を聴きながら勉強しようとしてもテキスト(視覚)に意識がいきすぎて音が無くなるんですが、その話をした友人は逆に音(聴覚)に意識がいきすぎて勉強が進まなくなってしまうと言っていて、
聴覚優位者と視覚優位者の違いは集中の仕方にもあるんだな〜と少し新鮮でした。