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A列車の合間に短時間バタバタと見回っただけでしたが、茶色で統一された大きな駅舎ですね。ホームも広く、あちこちにくまモンが点在していたのが目立ちました。
急行「火の山」時代が懐かしいですね。かつて、博多~別府メインで運転されていた時代、熊本では博多から来た編成と三角からの編成が併結して豊肥線に入り別府へ向かっていたのを覚えています。あと思い出深いのは乗り得列車です。熊本からの三角行き普通列車には、三角で急行「火の山」として折り返すものがあり、編成にはグリーン車キロ28やキハ65が組み込まれて、贅沢な旅に憧れた少年時代にはそれも楽しかったです。
駅舎に使われている木材の風合いが駅舎のレトロ感もあって良い感じですね。
駅舎の造り、そして機回し線。 歴史を感じさせる駅ですね。連絡船の先の島原鉄道も、いまは路線短縮とかで大変そうです。
天草への玄関口の役割も快速バスあまくさ号に奪われてしまいました。
お疲れ様です。昔は豊肥線宮地まで行ってたんですね。宮地から先は今でも本数少ないですけど当時はどうだったんでしょうか。
三角線に乗り入れていた急行「火の山」は別府までの運転でした。熊本で、博多から来た「火の山」編成と併結して豊肥線へ乗り入れていました。
それから、宮地から豊後竹田までの区間については、国鉄時代も少なかったと思います。動画内で紹介された時刻表の時代だと、豊肥線は熊本~立野で本数はそこそこあったはずで、高森線(現:南阿蘇鉄道)乗り入れ列車も含みます。
@@jamesjacobsen7824 どうもありがとうございました
こんばんは
A列車の合間に短時間バタバタと見回っただけでしたが、茶色で統一された大きな駅舎ですね。
ホームも広く、あちこちにくまモンが点在していたのが目立ちました。
急行「火の山」時代が懐かしいですね。
かつて、博多~別府メインで運転されていた時代、熊本では博多から来た編成と三角からの編成が併結して豊肥線に入り別府へ向かっていたのを覚えています。
あと思い出深いのは乗り得列車です。
熊本からの三角行き普通列車には、三角で急行「火の山」として折り返すものがあり、編成にはグリーン車キロ28やキハ65が組み込まれて、贅沢な旅に憧れた少年時代にはそれも楽しかったです。
駅舎に使われている木材の風合いが駅舎のレトロ感もあって良い感じですね。
駅舎の造り、そして機回し線。
歴史を感じさせる駅ですね。
連絡船の先の島原鉄道も、いまは路線短縮とかで大変そうです。
天草への玄関口の役割も快速バスあまくさ号に奪われてしまいました。
お疲れ様です。昔は豊肥線宮地まで行ってたんですね。宮地から先は今でも本数少ないですけど当時はどうだったんでしょうか。
三角線に乗り入れていた急行「火の山」は別府までの運転でした。
熊本で、博多から来た「火の山」編成と併結して豊肥線へ乗り入れていました。
それから、宮地から豊後竹田までの区間については、国鉄時代も少なかったと思います。
動画内で紹介された時刻表の時代だと、豊肥線は熊本~立野で本数はそこそこあったはずで、高森線(現:南阿蘇鉄道)乗り入れ列車も含みます。
@@jamesjacobsen7824
どうもありがとうございました
こんばんは