Es la versión física de algunos sintetizadores virtuales de hoy en día. Asusta porque se ve en físico, pero si fuera versión virtual quien lo viera diría "qué va! en un par de meses aprendo a usar este programa" jaja
I must admit,I appreciated Isao Tomita!I really enjoyed his music….a lot!Tomita is no longer with us,but,I know his music 🎵 lives on.He made good music 🎼 to listen to!
赤い人民服着た日本人と素晴らしい演奏、後ろに大きいコンピュータがあるだけでもうそれに感動する。というかビビる。
日本では無名だった、って言ってるけど、三人とも有名だったんだよなあ
このメンバーでグループ結成するんだ、って驚いたもんなあ
ユキヒロはミカバンドで有名だったけど、そんなにソロで前には出ていなかったし、坂本はクロスオーバー関係で名前はちらほら見えたけど、どんな人かは知らなかった。ティン・パン・アレーは通好みな裏方集団だったし。
中田ヤスタカ氏のサウンドを聴いているととても影響を受けている事が分かる。
電子音楽、DTMもまた奥が深い分野だと思いました。
僕は当時、小3で友達からYMOの増殖をきかされました。学校で吹奏楽部に入り音楽を学び初めだったので理解できませんでした。が、ラジカセにカセットテープダビングし毎日毎日きいていると耳に馴染みました。それから、今も聞いています。シンセは凄い!ありがとうYMO
「受け入れられなかった。」って・・・ アイドルしか聞いていなかった私が、初めてライディーンを聞いてYMOに夢中になった。
細野さんがインタビューで仰っている様に、日本は先入観が強く、当初受け入れられなかった。しかし、アメリカでの反応は良好だった。
社会は若者や女性ほど異質なものを受け入れ易いといわれます。日本の音楽界にはいまだに「音楽はライブ演奏でなければならない」なんて言う了見の狭い人達が居座っている。
YMOの登場した当時の偏見は、相当に強かったと想像できます。拒否反応を起こした人達が危惧したとおり、業界から生オケやバンドが消えたのも事実ですから。
しかし、電子音楽の進歩によって、業界が大きく変化するのは必然だった。
日本からYMOが輩出されて私たちは幸運であったと思います。
1980年すごい憧れるなぁ~
暑苦しくなく、情熱的❤
浅倉さんでさえmoogで分からないことあるとこの方に聞くというもんなぁ。
まさに生きるレジェンドだわ。
理由は分からず理屈抜きで染み込んでくる電子音。リアルタイムで小学生の頃かな✨✨✨
何はともあれ、先駆者達が居たから、今の音楽に繋がっているのでわ? 富田さん、YMO、松武さん有り難う❗UA-camが昔の楽曲を今聴く事の出来る、時代に感謝します。音楽に携わっている人は、楽曲の批判もしたいでしょうが、先駆者達の偉業を学び、生かして欲しい。
鶴田英文 さんへ
同感です (⌒‐⌒)
良い話をありがとう…
この番組の流れだと、ライディーンが最初はまったく売れず、アメリカのプロデューサーによってお色直しされてヒットしたみたいに聞こえる。情報の扱い方って深いね。
グリークシアターのライブは見ても聞いても一番好きだ。
UA-cam で観られるBehind the maskで始まるフルバージョンが凄く好きです。聴衆の「このバンドなんか凄いぞ」という感じの反応も良いですよね。
発想がすごいんだろうなぁ、YMOは。
従来の理論を理解して、その従来のものを新しいアイデアで考えたんだろうな
俺は生まれてないけど、小さい頃は「アメリカがやってるなら間違いない」っていう空気だった記憶がある。
今じゃ日本の方がサブカルの輸出元(音楽は知らんけど)だもんな…歴史はシーソーみたいだなって
現在も彼等を超えるオリジナルジャパンサウンダーは
出て来ない
平沢 進とかSchool Food Punishmentとか、電子音楽で言えばゲームのBGMとかもすごいのいっぱいあるぞー!
@@poccori
それはそれ
彼等はパイオニアとして
のテクニックアベレージが高かったから
後に続くんだよ
メジャーリーグなら野茂英雄
YMOも前座で演って評価され
野茂英雄もマイナー契約から
メジャーに成り上がった
環境が恵まれての相乗評価と
違うよ
黄色い、手品の
楽団!名前からしてやられた当時。とにかく未だにカッコ良すぎる!歌詞入ってないのにボリューム上げてもうるさくない。
確かに、日本って逆輸入でヒットした物とか有りますね。Gショックやカップヌードルとか。YMOの曲に憧れて、中学の音楽室のシンセサイザー触りまくりました(^^;
素晴らしい!
クリック音がかわいい♪
そう言えば、この【クリック音】のリズムを口ずさみながら曲を聴くと合点がいくのが、わかる気がする。
YMOクリック良い!!!
スゴいですね〜うらやましいです。
維持も大変だと思いますが頑張って下さい。
ライディーン。私が小学生の時だったかな。素晴らしい曲だ✨
自分は幼稚園のころライディーン知ってたけど、ロボットの方だった。
あと、なんとなくこの音楽から今、現在の音楽は進歩してない気がとてもします❤
クイーンだってイギリスじゃ評価されなくて日本で爆発的にヒットして世界的有名になった。言わば逆輸入版。YMO も同じことが言えると思う。やはり異文化の人間が聴いたり、見たりすると違うんだね。
そうなんや
クイーンはほぼ全世界同時でヒットしてる(日本は少し早かっただけ)
評価されてないって言ったってクソみたいな評論家にクソって言われてただけ
日本で大ヒットしたから世界的に有名になったっていうのは勘違い
YMOも別に日本で流行ってなかったわけじゃないしね(むしろ結構流行ってたし逆に途中から日本でばっかり展開してた)
黒澤映画はGeorge LucasやYMOに多大な影響を与えた。凄い事だと思う。
懐かしいなあ。
すげー貴重な動画だ
新しい挑戦をする時は準備ができていない。準備してたら間に合わないなんてこともあるよね。
Legends legends legends ❤
興味深いものを見た。
電子音なのに、ソウルフル❤
Legends
今や貴重な動画ですね。皆さんお若い!当時は(1980~81)理屈抜きで耳が喜んだ、ってかんじで聴いてました。ラジオ、テレビ(CM)からは毎日のように流れていましたしレコード店の売り上げランキングコーナーにはYMOのアルバムが4枚(増殖まで)ずらり…。ちなみにRYDEENはシングルカットとしては2枚目です。MIDI、DTM規格等へのYMOの功績はまだ過小評価だと思います。メーカーの開発に携わる方はYMOファンが多いと聞きますし。御三方、松武先生もまだ現役で活躍されているのは喜ばしいところです。
シンセの目新しさもあるけど、それ以外のドラム・ベース等の演奏がすばらしい。
そして曲が良いからこそ、これから聞かれ続けるんだと思う。
なんでもかんでも、まずはアメリカで成功しなければ始まらない、いまでもそうだよなぁ🍬🍭
カセットテープにコンピュータープログラムを記録してたなぁ(遠い目)
松武さんがMOOGを購入しなかったらYMOも生まれてないってことですね
当時、アナログシンセを使うのは忍耐と、ご本人も言ってました。打ち込んだデーターが静電気で消えちゃったり。しかし、デジタルシンセにない太い音色が今でも魅力なんでしょうね。
別の人に頼んだからYMOは成立していますね。
松武さんに冨田勲さんがシンセの存在を教えていなかったら松武さんはシンセを知らなかったかもしれないですね(^^)
TYDEEN TETUOTA YMOのメンバーが「宇宙の彼方へ星が消えていっちゃいそうな音」などの音色づくりの注文をし、それを提案していたのは紛れもなく松武さんなので彼の感性あってのYMOかと私は思います。
モーグを持ってたマニピュレーターは他にいたかも知れないが、MC-8を持ってたかどうかも大きいだろう。アナログのシーケンサーとか手弾きでは難しい。
80年代に松武さんに直接タンスやMC-8を触らせてもらいましたのが懐かしく感じられます。logicも好きなのですが、当時は酷評されていましたね…
細野「聞かせられない物なんです」高橋・松武「キッコッコカッコッコッコ」
聞かすんかい!!
RARE DIG
聴衆側には聞かせられない音という意味で言ってるだけでしょ。
でも昔のライブビデオ音量上げて観てると、曲間とかにこのクリック音ちゃんと聞こえるよね。
細野さんはじらすのが好きだから。
YMO大好き!!!
YMOや中田ヤスタカやPerfumeやCAPSULEや電気グルーヴ最高!
すごい
この動画の中で、トミー・リピューマに見初められてアメリカ進出が決まったってあるけど、これは確か創作で、実は当初から海外展開を計画されていたんだけどこうしてストーリーを作った方がウケが良いという理由だったとかなんとか
また、YMO創設にあたり細野さん宅でコタツでみかんしながら、教授とユキヒロさんにも『ファイアー・クラッカー』で世界狙うみたいな野望を語ってたともあった筈だから、最初からYMOは世界的野心のバンドだった事が濃厚
か
あれ馬が駆け抜ける音だったのか…
シンセが登場する前は、ジャズが「若者の音楽」だったんだよな
ロックンロールはぁ?
ロックでは?
60年代にビートルズが出て
ジャズと入れ替わってロックンロールが流行った気がします。
70年もややハードなロックかな?
70年後半になるとシンセが出たんかな?
松武氏のタンス、って元々はmoogでなくE-muのモジュラーのことで、以前はご本人も言っていたのに。
いつの間にかmoogのことにされてしまった。
hajime sato 様
ですよね。
私も納得してない1人です。
E-mu(Eμと言う表記もある)ももっと紹介してほしいよね。
MOOG、ワシらはムーグと発音しておった!!
YMOも昔だけど、この特集も昔だわな。
ずっと『ムーグ』だと思ってたけど、『モーグ』って呼ばれてたんですね。
開発者のモーグ博士の名前からきているのだと思う。
20年くらい前に呼び方変わったんじゃないかな、確か。
プロフィットは定着しなかったな。
いま、moogをエミュレートしたフリーのソフトシンセがありますがファイルでいうと2メガバイトくらいの容量です
それ考えると時代の流れはすごい
すごい…GarageBandで打ち込みをするのとわけが違いますね…
少年革命家TOM あれ?nanaのトムくん
1977年?頃ですべての音がデジタルっていう音楽家は富田勲かYMOくらいしかいなかったと思う(ディズニーのエレクトリカルパレードもあるけど)この時代はメモリーカード的な記録装置がなかったらしく、ライブをするたびに1回回音作ったとか…
さっくん え、なぜ僕を知って…
さっくん 歌聞きました!もしかして、さくまさん?
さっくんさん;
年寄りからひとこと。
当時の音源はアナログです。タンスのmoogも教授のARPやProphetも。
松武さんが苦労したRoland MC-8は、中身はコンピューターですが、moogの音源を制御する出力信号は、アナログです。
冨田さんの作品も、デジタル音源デジタル編集になったのはもう少し後のことです。フェアライトCMIやシンクラビアという機械が、今で言うデジタル音楽制作の先駆けですね。
日本の場合は、自分たちの外にある人物や物事を称賛するのは得意でも、自分たち自身を宣伝することは不得意であるように感じますね。
ワシらのころはこれをムーグと呼んでおったがなぁ。
ムーグと思ってましたので調べたら、ドイツ語でモーグ、英語でムーグらしいです(なんかそのままなんですけどね・・・)
Es la versión física de algunos sintetizadores virtuales de hoy en día. Asusta porque se ve en físico, pero si fuera versión virtual quien lo viera diría "qué va! en un par de meses aprendo a usar este programa" jaja
馬の駈け足音とか、重さ40トンのシンセサイザーで苦労して出してのに、今では携帯で簡単にYMOサウンドが鳴らせる。
すでに、80年代はパソコン1台で出来たけど、演出ってのが大きかったね。
馬でしたか。
4人目の、YMOのメンバー!
もし横尾さんが正式加入していたら、横尾さんが第4、松武さんが第5になったかも知れない?
馬か!馬なのか…知らなかった
本当だ…
特別に特別にって・・・
冨田勲さんは、ムーグを1千万円以上で手に入れたらしい。
安部公房は趣味の領域で、シンセを持ってたらしいから最強だな。
思っている以上に難しいことをやっていたんだな。ベース一つに取っても、ありきたりな音を使っていないし。シンセのコードもおそらく、そうなんだろう。
雷電=>RYDEEN=>ライディーン=>ライデイン=>レイイデン=>靈異伝
本当に日本の近代音楽だなと
更にその先がライジーンw
すべてはアルファレコードがあらかじめ仕組んだシナリオだったんですね。
いいシナリオ(演出)もある。
だけど、悪いシナリオ(ヤラセ)もある。
松武さんがモーグで出しているYMOクリック、松武さんが触ってないのに音程がフラついていますね。あんなに狂うものなのですか?
モーグってアナログ・シンセサイザーですから少しの抵抗とか静電容量で音が変わるんでしょうね、機械が古いと特に。
暫くたって、1チップでアナログシンセ作れるICが販売され、それを使って、私も自作もどきをやったんですが配線の長さや取り回しで音が変わってしまった思い出があります。
大昔、佐藤允彦さんがミニモーグを弾いているレコードがあって、プレーヤーがワウフラッターを起こしたんじゃないかと思うぐらい、かなり音程がうねっていたんですが、このモーグほどではなかった。昔に持っていたヤマハはあまり狂わなかった。時間が経つと、少し変わるぐらいで。
ヴィンテージのアナログシンセは内部の熱や電圧の変化によってピッチが変化するため、チューニングの作業が必要になるんですよね。それこそ立ち上げてから安定するまで30分以上かかることもざらのようです。
MC-8などのシーケンサーはもっと厄介で、会場では熱暴走を避けるためにサーキュレーターを当てっぱなしだったという話もありますね...。
海外では70年代始め頃にすでにアナログシンセを使った有名バンドがライブやってたけどね。
なにも日本のYMOが初ってわけではないです。
ゾウイ_敦獅 Zowie_Atsushi 日本初と言った方がいいかも。
当時はギターのパートをアナログシンセで代用するといった使い方がメインで
曲自体はただのロックやポップスでありきたりだったよ。
音色の目新しさで興味を引こうとシンセサイザーを導入する場合がほとんど。
YMOが斬新なのはシーケンサーをバンドのプレイヤーとして導入し
演奏者が人間である必要は無いと知らしめた事とテクノ・ミュージックの
為の斬新な音楽形式を生み出したことかな。
人間味やプレイヤーの癖をなるべく排除し機械的にと細野さんは思っていたのにアッコちゃんはノリノリしすぎました。
mimi vava クラフトワーク
バンドでライブの最中にエフェクターが効かなくなり、生音でやりました。中身見て丸薄い電池を交換し復活しましたが、やはり、またライブで液晶画面とメモリーが あっまたで修理。熱と経年劣化で液漏れが原因でした。ヤマハspxⅡ高額でしたが再起不能で残念でした。熱に注意ですね。
日本からは誰からも評価されなかった!だと!全然違いますね。。。大変残念。
同意よ
I must admit,I appreciated Isao Tomita!I really enjoyed his music….a lot!Tomita is no longer with us,but,I know his music 🎵 lives on.He made good music 🎼 to listen to!
あの音にハットを合わせるの?
世代的にYMO好きだけど、よく考えたらシンセサイザーって既に70年代にJean Jacques Perrey や冨田勲が散々使ってたよね。 教育テレビの科学番組のテーマソングとか...。 そっちのほうが意外にPOPだったかも。
シーケンサーによるシンセサウンドをライブで使った事がセンセーショナルだったんじゃない? 当時の技術者が「まさかライブでつかうなんて。。。」言うくらい、突拍子もない発想だったのでしょう
松武さんは冨田勲さんの弟子だったみたいですよ(^^)
松武さんの著書にも師弟関係と書かれてます
松武さんにシンセの存在を教えた(知らせた)のも勲さんらしいです本人曰く
そうそう。TV時代劇の座頭市や啞侍鬼一法眼でも冨田勲氏がテーマソング作ってたようですね。
本人曰く昔、海外でシンセを買い、恐らく日本に初めて持ち込もうとした時、当時の税関職員に見たこともないシンセをテロか何かの機器と思い込まれて何日も拘束されたとラジオで言ってましたね。
🍀💛😃🥀
Hay que ser ingenio para poder operar ese sintetizador
1分53秒辺りの曲 何方か教えてください!
お願いします。
わざわざありがとう!
凄くカッコイイですこの曲
Subarashi
YMOも冨田勲と同じで、先にアメリカで認められたのか....
モーグ費用800万は余裕で回収出来たでしょ。てかめちゃめちゃ儲かったでしょうね。
ymo
5:41 始めてやることは大概理解されない
この時期のライブ映像の歓声はあとかぶせだよ…
教授,幸宏さんが療養〜の復帰でYMOがlive開催という流れになり松武秀樹さんの後継者として浅倉大介さんがtourに参加すれば役割以上に貢献してくれると思う。
かなしい😢
@@5dj6
叶わなかった…。
ウエンディーカルロスさんや冨田勲先生にも触れてよ。
ガチな話ライブは置いといてレコーディングでは3cどれぐらい使われていたんだろうか
RYDEENでは、3Cはメロデイ、ベース、シケーンスの音ですね。トラックシートに書いてあります。
こちらは、どちらの番組だったかご存知でしょうか?
はじめまして。
2003-03-16に録画した「そして音楽が始まる」という番組です。
Ohayō, could somebody please add English subtitles for this please? Gomen-nasai. Origato.
It's easier to... Yk... Learn japanese. You wouldn't need subtitles to any japanese video then
ばんぱかw
Aooooo, non c'ho capito una beata mazzaaaaaaa!!😨
Non sei l'unico !!! ah ah ah
景気下方なのに、ライディーン
wen video loko
私のムスコはマツタケです
good
エノキタケ乙
やっちまったな
他のコメントにもあるように、いったい何が世界初なのか、偉業なのか、厳密に言及して欲しいです。細かいツッコミが入りまくるし。
20年くらい前に、MOOGⅢcと、Ⅲpを、購入しました。後に、ARP・ODYSSEY、QUADRA、VP-330、P-5、T-8、MC-8、LINNDURM9000を、購入。
Why this Japanise guy has US made synthesizer and US designed laptop? Isn't that british made Soundcraft mixer?
sjtToo so what? why americans drive german mercedes and bmw?
😅
360円? そんなに 古い話し(~_~)?
E foda
Eu qro ver mas n entendo porra nenhuma
eu tbm
exatamente
コンピュータはどこ?アナログシーケンサじゃないの?
電子計算機=コンピュータなので
シーケンサもコンピュータの一種となります。
今主流のパソコンもコンピュータの一種です。
それは知りませんでした。
私が昔努めていた某コンピュータ会社では、
シーケンサには演算も制御もないので
コンピュータとは別扱いだったもので。
ありがとうございました。
@@hsasakihsasaki コンピュータ会社のシーケンサってどんな感じなんでしょうか?
音楽のシーケンサは音符を数値化して記録していくので
ある意味コンピュータではあるのですが。
クロックジェネレータからのクロックをカウンターでカウントアップ
した出力をPROMのアドレスに入れて、PROMのデータをロジックに
食わせて動作を進めます。
どのタイミングでどのような動作になるかはPROMに入っているデータ
次第です。
MoogIIIと、言うか当時のアナログシーケンサは(私の記憶が正しければ)、
クロックのカウントが進むごとにアサインされた電圧を複数出力し、そ
れをパッチケーブルを経由してVCO,VCF等のモジュールに供給しているだ
けのものだったと思いますので、私的にはとても「コンピュータ」と呼べ
るものとは思えませんでした。
「音楽のシーケンサは音符を数値化して記録していく」シーケンサは、
製品としてはRolandが当時マイコンと呼ばれていたものを使ったものが
最初ではなかったかと思います。
そのころに、TK-80やIMSAI8800等のマイコンキットにDACを付けて自作し
てる人もいたようです。
MC8のことかな?
9:46
なんでも上手いように言うなよw
実際そうでしょう
何でも上手い様に言ってる松竹が、富田の弟子だったって事も知らないのかなぁ。富田勲が世界の音楽に何をしたって事も知らないだろうし。妙に冷静にその当時の成り行き事を語っているだけで、上手い様に言ってる!と、なってしまう。単純すぎるよ。当時、世界の誰もが手を付けられずにいた世界だったんだから。ムーグやアープの市販の高級シンセサイザーで何が出来るのか?を、前面に世界に先駆けて大胆にやって見せたユニットなんだよ。富田が多重録音でやってた事を、ステージでの一発勝負に取り入れて、苦労して実験的にやって見せた功績なんだよ。
松武さんはYMO3人にかなり鍛えれたと思うよ。実際、別のアレンジャーと組んだり、自分だけでやったアルバムはつまらない。
その証拠に馬の駆ける音・・・とか、無理やりそういうことにしないでほしい。
AndyJolt009 無理やりなんですか?
違法動画
そんなこと言いつつも絶対最後まで見とるやろww
合法的にこういう映像は
どこで見れますかね?
同じ事をやらされてたのに、藤井の扱いときたらww