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旧駅は島式ホーム1面2線でズームカー4両編成停車対応でした。改札とホームは構内踏切でつながってました。単線だったので行き違いの時は停車時間が長くなりました。新線切り替え前は三日市町〜橋本のトンネルは紀見トンネルだけでした。勾配は旧線より新線の方がキツくなっています、カーブのキツさと多さで大型車の乗り入れが制限されていました。。
そのため1971年製造分からの高野線向け4枚扉車両は河内長野~橋本間複線化完成を見越してその暁に最大25‰改め最大33‰という連続勾配区間が発生し抑速制動が必要となることから、抵抗制御車に至っては発電制動用抵抗器を従来までの10箱から12箱に増強したり、後年それ以前に製造された4枚扉車両に対して実施された一連の複線化対応工事で改めて10箱あった抵抗器を12箱に取り替えたりなどの取り組みがなされました(ズームカーも1981年度より実施)。
過去のことを知ると色々とわかることが多いですね。
>千早口駅と紀見峠駅 間にある天見駅と合わせて、柵が独特の色で塗られていることでも有名ですね 少なくとも20年以上前からやっていたかと0:45 ある意味名前詐欺の駅なんですよね>千早口 今も昔も河内長野か富田林からバス使うのが一般的ですし、そもそも昔は千早村(現千早赤阪村)へ直接行けなかった記憶が5:27 高野下以北だとほぼ無関係ですが、通常の転落防止幌では急曲線区間で幌同士が擦れてしまうのでその対策だったかと(つまりこの形状が真価を発揮するのは山線区間) 元々は2000系に転落防止幌を設置する目的で作られたはず>旧道床 実は、美加の台駅付近から紀見トンネル手前まで断続的に遊歩道が整備されていたりするんですよね
この駅、券売機の故障対応のための発券機もあるのですね。 こんな最近の遠隔リモート駅、何かさみしいです。
6000系の片扉トップナンバーがなんばまで走るのに、新鋭の2000系が橋本止まりとは。南海は面白い運用をしますね😙旧線の跡は遊歩道ですか。歩いてみたいものです。結構山深そうですが😄
旧線時代を知っていますが、結構高い築堤を単線で走っていました。勿論、大分速度は控えて走りましたが。
大手の本線級路線の急行運用で、大きな片開き扉のロングシート通勤車が現役ってのは、ここぐらいじゃないかな?少し前なら阪神にも片開き扉の通勤車がいたけど、それも引退しちゃいました。もう少し遡ると、京急に800形(ダルマ)がいましたね。
昭和の頃は、三日市町以南は超ど田舎でしたけどね。千早口駅の前後も単線で、グリーンのズームカーとこうや号しか通らなかった。
現在の美加の台トンネルを抜け切った後も、新しい千早口駅を挟むこと現在の下天見トンネルを抜け切った後も、超ど田舎であることは今も変わりません。
千早口ー天見ー紀見峠の3駅、南海高野線の快速急行という影の薄い種別の存在意義となっている…沿線人口が特に少ない所を通り、単線時代は信号場としての役割が大きかった印象が強い(今の山岳区間における紀伊神谷や紀伊細川等と同様)単線時代は輸送需要におっつけずに地獄の満員電車になっていたとか聞くなあ既出で有るが「はるちはみき」の3駅(春香・千早・美希、駅の柵が桃色、水色、黄緑色なのが丁度合致する)としても有名か
南海6000系昭和37年製の車両が未だに現役なのが凄過ぎる
南海ファンの間では半ば本気で「一世紀は現役なんじゃ?」とか言われてました 8300系の投入で順次置き換えが進んでいますが 因みに、大井川鐡道で運用されている21000系とはほぼ同世代という驚きの事実もあったり
@@Tochi_Kann元南海21000系ズームカーも昭和34年登場から既に半世紀以上経っていますね。
しかもなんば行き急行運用。
6001編成ですね。おそらく片開き扉車で現役最古だと思いますね。 余談ですけど僕よりも1つ歳上です。 どうか廃車まで何事もなく仕事を全うしてくださいね。 現在(60)
天見駅と紀見峠駅と違い、複線化の際に駅舎が新駅舎になったそうです。(御幸辻駅は高架化のため無論旧駅舎はない)
7:47 ???「えっ止まるの?」
千早口駅といえばアイマスの聖地の駅だ千早口駅いえば如月千早と72に由来する聖地であるホーム柵の色が如月千早のイメージである水色で駅のナンバーリングがNK72(千早の胸の大きさと同じ)なのは偶然なのか出来レースなのか?
くっ
本題は8:43~9:43と10分の動画内の最後1分間だけで、リラックマはガッカリした😞
1コメ!駅のホームに結構長い列車止まりますね。トンネルができる前結構山を越えたりしてたのか。
1983年6月5日の下天見トンネル完成に伴う複線化後は一気に隣の天見駅までほぼ一直線で貫きます。それから半年後、三日市町~千早口間複線化に先立って現在使用中の美加の台トンネルが完成、この際複線化までのつなぎとして2代目加賀田信号所が初代と逆向きで供用開始し、3ヶ月後の複線化完成を待ちます(Wikipediaによると1983年4月5日には1984年9月1日に開業する美加の台駅建設工事が開始されており、現在使用中の美加の台トンネルならびに2代目加賀田信号所供用開始時点では造りかけの状態だった)。
@@rhscm989 なるほどね。素晴らしい解説ありがとうございます。
あの~、これでは本題は「駅に行ってきた」だけでいいですよね?「できる前はどうなってた?」で昔の写真か動画があるのかと思いましたがそれも無しだし。動画はしっかり作りこまれているのに残念な結果に。
旧駅は島式ホーム1面2線でズームカー4両編成停車対応でした。
改札とホームは構内踏切でつながってました。
単線だったので行き違いの時は停車時間が長くなりました。
新線切り替え前は三日市町〜橋本のトンネルは紀見トンネルだけでした。
勾配は旧線より新線の方がキツくなっています、カーブのキツさと多さで大型車の乗り入れが制限されていました。。
そのため1971年製造分からの高野線向け4枚扉車両は河内長野~橋本間複線化完成を見越してその暁に最大25‰改め最大33‰という連続勾配区間が発生し抑速制動が必要となることから、抵抗制御車に至っては発電制動用抵抗器を従来までの10箱から12箱に増強したり、後年それ以前に製造された4枚扉車両に対して実施された一連の複線化対応工事で改めて10箱あった抵抗器を12箱に取り替えたりなどの取り組みがなされました(ズームカーも1981年度より実施)。
過去のことを知ると色々とわかることが多いですね。
>千早口駅と紀見峠駅 間にある天見駅と合わせて、柵が独特の色で塗られていることでも有名ですね 少なくとも20年以上前からやっていたかと
0:45 ある意味名前詐欺の駅なんですよね>千早口 今も昔も河内長野か富田林からバス使うのが一般的ですし、そもそも昔は千早村(現千早赤阪村)へ直接行けなかった記憶が
5:27 高野下以北だとほぼ無関係ですが、通常の転落防止幌では急曲線区間で幌同士が擦れてしまうのでその対策だったかと(つまりこの形状が真価を発揮するのは山線区間) 元々は2000系に転落防止幌を設置する目的で作られたはず
>旧道床 実は、美加の台駅付近から紀見トンネル手前まで断続的に遊歩道が整備されていたりするんですよね
この駅、券売機の故障対応のための発券機もあるのですね。
こんな最近の遠隔リモート駅、何かさみしいです。
6000系の片扉トップナンバーがなんばまで走るのに、新鋭の2000系が橋本止まりとは。南海は面白い運用をしますね😙
旧線の跡は遊歩道ですか。歩いてみたいものです。結構山深そうですが😄
旧線時代を知っていますが、結構高い築堤を単線で走っていました。勿論、大分速度は控えて走りましたが。
大手の本線級路線の急行運用で、大きな片開き扉のロングシート通勤車が現役ってのは、ここぐらいじゃないかな?
少し前なら阪神にも片開き扉の通勤車がいたけど、それも引退しちゃいました。もう少し遡ると、京急に800形(ダルマ)がいましたね。
昭和の頃は、三日市町以南は超ど田舎でしたけどね。
千早口駅の前後も単線で、グリーンのズームカーとこうや号しか通らなかった。
現在の美加の台トンネルを抜け切った後も、新しい千早口駅を挟むこと現在の下天見トンネルを抜け切った後も、超ど田舎であることは今も変わりません。
千早口ー天見ー紀見峠の3駅、南海高野線の快速急行という影の薄い種別の存在意義となっている…
沿線人口が特に少ない所を通り、単線時代は信号場としての役割が大きかった印象が強い(今の山岳区間における紀伊神谷や紀伊細川等と同様)
単線時代は輸送需要におっつけずに地獄の満員電車になっていたとか聞くなあ
既出で有るが「はるちはみき」の3駅(春香・千早・美希、駅の柵が桃色、水色、黄緑色なのが丁度合致する)としても有名か
南海6000系
昭和37年製の車両が未だに現役なのが凄過ぎる
南海ファンの間では半ば本気で「一世紀は現役なんじゃ?」とか言われてました 8300系の投入で順次置き換えが進んでいますが
因みに、大井川鐡道で運用されている21000系とはほぼ同世代という驚きの事実もあったり
@@Tochi_Kann元南海21000系ズームカーも昭和34年登場から既に半世紀以上経っていますね。
しかもなんば行き急行運用。
6001編成ですね。おそらく片開き扉車で現役最古だと思いますね。 余談ですけど僕よりも1つ歳上です。 どうか廃車まで何事もなく仕事を全うしてくださいね。 現在(60)
天見駅と紀見峠駅と違い、複線化の際に駅舎が新駅舎になったそうです。(御幸辻駅は高架化のため無論旧駅舎はない)
7:47 ???「えっ止まるの?」
千早口駅といえばアイマスの聖地の駅だ
千早口駅いえば如月千早と72に由来する聖地である
ホーム柵の色が如月千早のイメージである水色で
駅のナンバーリングがNK72(千早の胸の大きさと同じ)なのは
偶然なのか出来レースなのか?
くっ
本題は8:43~9:43と10分の動画内の最後1分間だけで、リラックマはガッカリした😞
1コメ!
駅のホームに結構長い列車止まりますね。
トンネルができる前結構山を越えたりしてたのか。
1983年6月5日の下天見トンネル完成に伴う複線化後は一気に隣の天見駅までほぼ一直線で貫きます。
それから半年後、三日市町~千早口間複線化に先立って現在使用中の美加の台トンネルが完成、この際複線化までのつなぎとして2代目加賀田信号所が初代と逆向きで供用開始し、3ヶ月後の複線化完成を待ちます(Wikipediaによると1983年4月5日には1984年9月1日に開業する美加の台駅建設工事が開始されており、現在使用中の美加の台トンネルならびに2代目加賀田信号所供用開始時点では造りかけの状態だった)。
@@rhscm989 なるほどね。
素晴らしい解説ありがとうございます。
あの~、これでは本題は「駅に行ってきた」だけでいいですよね?「できる前はどうなってた?」で昔の写真か動画があるのかと思いましたがそれも無しだし。
動画はしっかり作りこまれているのに残念な結果に。