明日に向かって~高松運転所DF50 機関士養成物語~

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  • Опубліковано 21 жов 2024

КОМЕНТАРІ • 13

  • @北野大地-x1o
    @北野大地-x1o 6 місяців тому +12

    二十歳過ぎで駅員から職種転換で、車掌見習いだった頃頃、師匠(指導車掌)に色々教わったことを思い出してきました。
    時には師匠と運転士からも叱責もありましたが、そのおかげで無事故で乗務員生活を過ごすこともできた事に感謝。
    運転士ではなかったけど、乗務員としての使命感は運転士と同じだった。

  • @勘吉-j3x
    @勘吉-j3x 6 місяців тому +4

    Jトレインのチャンネルがあったなんて知らなかったです。
    それにしても四国に9両10両の列車が走っていたなんて今では信じられない思い。まさに隔世の感。

  • @高須正光
    @高須正光 5 днів тому +1

    四国の本線用ディーゼル機関車はDF50だったんですね。DF50はかつて昭和50年ごろ梅小路蒸気機関車館の横を通る山陰本線を旧型客車を牽引した茶色のDF50を見たことがあります。

  • @toriri-service
    @toriri-service 6 місяців тому +11

    総出力600kwと非力で 蒸気機関車の完全な代替手段とはならなかったDF50でしたが 四国では土讃線等で無煙化に貢献し 5:09 旧型客車10両を牽く運用もあったんですね。

  • @こどおじ46歳
    @こどおじ46歳 6 місяців тому +13

    後輩を育てるいい時代だった

  • @sunami808
    @sunami808 6 місяців тому +6

    子供の頃四国にいたので、DF50牽引の客車列車は懐かしいですね。昔は四国に高速がなく、松山から車で高知に行くとなれば、とんでもない道を走ってました。当時は四国内の移動は鉄道って感じでした。

  • @秋冬-z9i
    @秋冬-z9i 6 місяців тому +6

    大変貴重で内容も密な記録をありがとうございます。昭和50年代の初頭の頃でしょうか?

    • @Jtrain_official
      @Jtrain_official  6 місяців тому +4

      主人公のベテラン機関士さんが昭和14年就職(おそらく高等小学校卒と推察されます)で、定年退職間際(当時は55歳定年)といっていることを考えると、昭和53~54年ごろの作品ではないかと思われます。

    • @秋冬-z9i
      @秋冬-z9i 6 місяців тому +3

      返信ありがとうございます。改めてその気持ちで拝見致します。

  • @silvia9396
    @silvia9396 6 місяців тому +8

    なぜ東京の息子が国鉄受けたいという事を手紙で寄せるのかと思ったが、この時代は手紙か電話位しか連絡手段がなかったことを忘れていた。
    仕事を越えた関係性で人と人が関係を築けた時代は良かったのかも。
    ハラスメントに耐え、また加害者にならように気をつけながらやっていかないといけない変な時代。

  • @浄門道場
    @浄門道場 6 місяців тому +12

    この機関士さん、大正何年産まれなんだろうか?

    • @Jtrain_official
      @Jtrain_official  6 місяців тому +27

      詳しいことを伺っていないので確かなことは申し上げられませんが、昭和14年就職と話しているので、大正14年ごろ生まれで高等小学校卒業後に国鉄就職された方ではないかと思われます。このベテラン機関士さん、また見習から一本立ちした新人機関士さんも、すでに鬼籍入りされているとのことでした。

  • @DennisHosokawa
    @DennisHosokawa 6 місяців тому +6

    今の時代と違い、この当時の運転士は技術、経験、運転センスがものを言うSLからスタートした方が多いので運転技術は、昨今のJRの運転士は彼等の足元にも及ばないと思い 19:04 ます。今の運転士は停車時のブレーキ操作が雑な人が多いですね。