ゲノムが明かした日本人のルーツ!渡来人が四国に多かった衝撃の理由
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- Опубліковано 31 лип 2024
- えっへん!
日本人はもともと日本にいた縄文人と、
渡来系弥生人の混血だってことを突きとめたのだ!
ええっ!?
その混血の比率は地域によって異なる?
じゃ、渡来人が多い地域ってどこ?
渡来人はどうしてそのエリアに集まったのだ?
エンターテイメントとしてお楽しみください!
#古代ミステリー #日本人の起源 #渡来人
00:00 日本人は縄文人と渡来系弥生人の混血
00:47 渡来人が最も多い日本のエリア
04:05 渡来人とは?
10:10 ヤポネシアゲノム
19:49 渡来人が四国へ向かった理由
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渡来人は外人だけでなく、出戻り組もいたって説。
ても取り許さん、雷😢😂😮😅
約束は守れ、帝は忠義を尽くす。はあはあハイは一回ww
渡来人という言葉がひとり歩きしてるけど、何をもって渡来人と言えるのかはっきりしなければならない。
@@kzn3720 元々倭人で国境もはっきりない頃に半島南端に住んでる倭人と、対馬や壱岐や済州島に住んでる倭人と、北部九州に住んでる倭人に渡来かどうかなんて区別あったんでしょうか?
阿波国の阿南には古代辰砂採掘跡があったり、伊予の東の瀬戸内海側は、別子銅山など鉱山が多かった。宇摩地方の山中には金砂湖というのがあり、吉野川の支流の銅山川では砂金が多く取れていた。 8世紀には伊予国宇摩郡常里の金集史挨麿(カネアツメノフヒトヤカラマロ)という名の人が飛鳥寺で授戒したとの記録もある。
3000人の渡来人を連れてきた徐福が探してたのは不老不死の薬らしいが、その薬って水銀朱(辰砂)らしいのでここに大陸系の渡来人が取り付いてたと思う。
石川県の能登地方は、古くから渤海と交易していました。
リマン海流の一部が北陸に向かって流れていたから交易地になっていたんでしょうね。
帰りは対馬海流に乗って北海道方面まで北上してからリマン海流に移って沿海州へのルートだったそうです。
@@bobuGsanだとしたら途中に交易地があったかも
@@shinchangreen36 そうですね。
秋田能代湊や出羽、出雲などに使節が来航した記録がありますね。
弘法大師は密かに渤海との交易をして留学資金を稼いでいたという説がありますね
ですよね。
自分は渤海国のあった地域との(当時は粛慎・挹婁かな?ウラジオストク周辺地域)交易ルートから古墳が伝わったのではと考えています。
面白かった😀😀😀😀
古事記や日本書紀の国生みでは、淡路島からできたことになっている。
阿波への道の島、あわじしま。阿波(徳島)が日本の首都だった時期がある。
徳島とユダヤの関係と日ユ同祖論、ユダヤの祭りと神社の神輿、ヘブライ語。
秦氏(秦の始皇帝)と幡多(はた)・八幡(やはたヤハウェ)と八幡様(はちまんさま)、
稲荷(秦氏)とINRI(キリスト十字架に掲げられた文字)、いなり・いんり・ユダヤとの関係。
犬神や蟲毒などの呪術や拝み屋は大陸(古代中国朝鮮)発祥と言われる、阿波の犬神、狗神、狐憑きと、お稲荷様。
古墳時代の歴史書は大化の改新で蘇我氏の手によって焼失したため、謎とオカルトしかない。
魏志倭人伝の距離測定的にも今は阿波が固いだろうしなぁ
高知には曽我部、宗我部と言う姓が多い、つまり蘇我氏の部が多かったって事でその配下の渡来人の所領も多かっただろう。
長宗我部も氏は秦氏と公言してるし、蘇我氏没落の後、蘇我の部をその配下の秦氏が乗取った可能性は有ると思う。
@@simosimo-fs5gf 余談ですが、バンコラン(パタリロ!)等の名声優であった故曽我部恭也氏は長曾我部家の系統なのだとか。
香宗川の曽我部氏だから香曽我部を名乗りそれに倣って長岡の曽我部だから長宗我部になったと。総ては曽我部が最初にあって地名になりあとから来た宗我部氏が長宗我部になったんすね。鎌倉の頃の話だったような。歴史書に書いてました。でも、香曽我部は武田系曽我部氏で苗字もこちらに来る前は違うと聞きました。香曽我部は武田菱の家紋と戦旗で有名ですね、のぶやぼとかするとアレッてなるけどそうだ、武田系だったわってなるという
やっぱり「東征」はあったって事でしょうね。
日本語での漢字の音読みは呉の発音が多く残っている。
春秋の呉の滅亡の頃に断続的に九州東岸に上陸し、受け入れられ発展をしていった集団がいくつも出来上がっていった。
時代が下り紀元後は朝鮮半島経由の流入が九州北部で頻発したのでしょうね。
九州では先進小国家が乱立しつつ大陸との外交も始まった。
外交の経験上、北部九州は大陸とのアクセスが良いのはメリットでありデメリットである事を学んだのでしょうね。
だから更なる発展をするにはある程度アクセスの悪い防衛しやすい地域を求めていた。
瀬戸内海の突き当たりの近畿エリアへの移住計画が実行されたのでしょう。
また、九州に流入して後、豊後水道を渡る四国への流入ルートもできたのでしょうね。
もちろん縄文後期頃黒潮に乗って四国へ漂着した渡来人もいたのでしょう。
四国は多分縄文後期の寒冷化時代に東北の縄文人が南下してごく僅かな集落を形成し大量の九州経由の渡来人が入る一方で流動性が他の地域より少なかった。
とにかく四国は特異です。
九州の渡来系と近畿の縄文系のミックス国家となってから何が起きたか。
九州から近畿へ流入して奈良王朝ができてから、彼らは防衛のためにどんどん東国人を九州へ送っていた。
防人として望郷の念にかられながら帰郷がかなわず九州に住み着く人も年々増えたでしょう。
その防衛体制は元寇まで続く。
500年以上東国人が九州に送られていれば、渡来系のDNAも薄くなりますよね。
日高見国の東日本は西日本のヤマト論争を高みから見物
さらに、私のYハプロも例に漏れずO1b2a1a1の弥生人系でした。弥生時代ではないけど、先祖は800年以上前に紀伊国から阿波に渡って来た熊野修験者であるとの伝承もあり、吉野川と紀ノ川を経由して阿波国は熊野、大和国とは繋がっていたともおう。吉野川沿いの古墳群や弥生時代の遺跡を見てもその時代から交流はあった。ってか吉野って大和国南部のことだし。
はぁ?😮
我が家は古代吉野国栖族の末裔です。我が家も明治以前は山伏で御師、御師宿をやってたみたいです。面白いのが、吉野郡は大和国の面積3分の2をしめながらも古代は国栖族の住む化外の地だったことです。
@@user-sz7pt4hw9u 国栖族がいた紀ノ川の上流も吉野川ですね。古事記にて八咫烏が現れたあと吉野川の川尻(河辺?)で国栖族と合流してますね。この吉野川をさらに下っていくと紀伊水道に出て、そのまままっすぐ西に剣山を仰ぎながら淡路島南岸に沿って向かうと阿波国の吉野川に出ます。そこからまっすぐ西に遡ると阿波国の遺跡や神社や古墳群、剣山や祖谷に出ます。地理的にも中央構造線に沿って大和の吉野からまーっすぐです。
@@TheKzit1969 衛星写真から見ても吉野川、紀の川、それから淡路島を通って対岸の吉野川沿いに中央構造線がくっきり見えますね。
神武天皇の大和征服時、吉野国栖族の祖の3神が井氷鹿、石押分之子、贄持之子ですが、神武天皇は吉野国栖族を滅ぼさないと決め、井氷鹿は吉野首長になりました。その飛鳥時代の末裔が井角乗といい、役小角の弟子となり、吉野修験の始祖となりました。
口伝になりますが、山伏の頭巾とお尻に付けた毛皮の引敷は、国栖族から取り入れたものだそうです。
@@user-sz7pt4hw9u 尻尾(引敷)の話、そうなのだろうとイメージしていましたが、あれって勇敢さを表すと同時に座布団だったんですね。また、趣味で北摂の低山をよく歩いていましたが、役小角を祭る祠や鳥居をよく見かけました。北摂も行者山などもあり修験者が多くいた場所のようです。四国では、吉野川の上流の伊予新宮に熊野神社の四国総本山があり、熊野12神をお祀りしています。修験者が修行を重ねていた四国の拠点が今の八十八箇所霊場になっているところも多くあるようです。(四国渡来人と離れてしまいましたね。苦笑)
これ当時の地域による混血率以外にも現代の人の往来量もかなり反映されてるでしょ
関西圏の中では四国はかなり人の出入りが少ない地域だから当時の混血率を維持しやすいわけで必ずしも当時の渡来人の定住数を反映してるわけじゃないと思うけど
その後に来た人は都会である近畿地方に定着して、わざわざ四国には行ってないということかな。あるあるですね。
ゲノム解析ではいつ頃、どのグループから分かれた存在なのかということも分かるので、畿内グループのゲノムと比較することでそれが畿内由来なのか、それとも別の系統なのかも分かると思います。
まだサンプルが足りないんじゃないでしょうか。
ちなみにご存知の通り、四国は昔から遠流の地で、数々の畿内で政争、戦争に敗れた人たちが逃げる
、流されるを繰り返しているので、のちの時代になってから渡来系の血が濃くなった可能性はあると思います。
@@yasu7346 瀬戸大橋や明石海峡大橋ができるまでは、本当に関西は遠い遠い都会でした。
@@man-10 弥生時代の人骨をたくさん解析しないとわからないってことですよね
@@man-10
それでも人の流れは地方から中央が主流です。
北海道は明治以降に全国から入植した移民が多いから
たった50人の遺伝子検査では統計学的に偏りそうなんだけどどうなんでしょうかね
近代の開拓として本格的に入植してきたのは明治時代ですけど、実は鎌倉時代から和人が移り住んでいます。
8:22 秦の字が違うように思います。
8:18 秦氏が奏氏になってる…
秦奏(はた かなで )当時の渡来系モデル。巫女。演奏者。シンガーシングライターで横笛奏者として有名な秦葵(はた あおい)の妹。弟は蹴鞠プロチーム阿波オドランカイのエースストライカーにして四国得点王の秦泰(はた やすし)。いとこに鉄器研究者の秦奉(はた まつる)がいる。
@@SoundOf_K39ww
徐福伝説に一票
畿内に近くて当時大和人が少なかったので拠点にしたのでは
熊襲征討の際に百済系の雑兵がエスニッククレンジングしまくったノイズが大きいので一足飛びに超古代と結び付けない方が良いと思います。
四国の渡来人は弥生系の不老長寿を探していた秦氏で辰砂を宝として拠点として住み着いたんだろうね。
日本人らしさはゲノムじゃねぇ、ってことだな。
文化や人は座標(環境)で決まるからね。遷都やらを古代にしまくった理由はそこよ。
環境や方位で人は変わると、都市やルールがここまで敷かれてなかった時代の人間は理解しやすかった。
文化への順応性は極論自然環境への適応。アメリカの日本人が日本人からして、なんか雰囲気きついな…って思える理由。
そしてその土地に居るとモテる男や女には偏りが出てくる。
そして選択的進化論につながる。
俺はDNAは後で、まずは環境適応本能、DNAよりもっと本質的普遍的な生命のメカニズムが先だと思ってる。
中国南部や台湾から黒潮に乗って四国に到着した渡来人が多かったのかとも思ったが、それならば九州南部も渡来人が多くてもよさそうだしな。
古代の人は開けた広大な平野より適度に山に囲まれて水源がある地を好んだそうだけど、中央構造線により谷となって吉野川が流れる阿波は理想郷だったのかもしれない。
南九州は地質が終わってて、農業自体に適してないから大陸から来た渡来人は住みにかかったんじゃ無い?
@@user-sc4pr4ms4u 確かに昔はシラスの土壌は稲作には適さない土地でしたね。
火山性土壌は肥沃でインドネシアのジャワ島やアフリカのルワンダは人口密度が高いです。火山性土壌が共通点です。日本も地域全体でみれば火山性土壌が多い土地です。ただし作物を育てるには他の土地とは違って一工夫必要です。
北海道のように当時は四国はニューフロンティアだったりして。
12:11
あとこれ日本語の方言の甲種アクセントとそれ以外のアクセントの分布と割と重なってるのなんか関係あるんかな
由来のわからない巨大寺院?の跡が徳島県内陸にあるよ年代も規模もそして本格的大規模な調査もやられていない。
漢書地理志呉地、後漢書倭傳などでは、弥生/後漢時代近畿、四国のあたりには呉など大陸から移り住んだ人たちによる東鯷(トウテイ)国とよばれる国があったと伝えています。祭事に銅鐸が使われ(ヤマトの支配で途絶える)、銅剣、銅矛を祭事に使うヤマトとは異なる人々が暮らす領域であったことが考古学的な遺物からわかります。
最近ペルシャ人も居たらしいってのを聞きました。
平家がペルシャ系だったかもという話もあるみたいですね
@@user-yh9qn8et2l 教えていただき、ありがとうございます。
中国や韓国では残ってない中東がルーツのミトコンドリアDNAが日本に残ってたのは平家の栄華があったからかもしれませんね。☺️
聖徳太子の家庭教師にも日本人じゃないオリエント的な名前に読める当て字された人たちが発見されてるんだってね。祖国が生きづらい時期で逃げて逃げてたどり着いたんだろうかね
帰化人の名前から昔からも推測されてますね。50年くらい前に聞いた話です。
大江健三郎の小説に、縄文人につながるという「原・四国人」が出てくるが、あれは完全に大江の創作なんだろうか?
石川県って、小中学の学力検査がトップじゃなかったでしたっけ?
学力が高いという事も、その古墳時代に来た渡来人由来の影響とかがあるのかな、とか思った。面白い。
香川、徳島は縄文遺跡があまりないね。だから、容易に定着できたんだな
徳島市の矢野遺跡は西日本で最大規模の縄文遺跡。
いや、四国とか嘘やろ
絶対九州人の捏造やろ
九州が渡来人が多いと考えるのがどう考えても普通
韓国から船で来れるし
ちなみに私の本籍は金田町金川で、近くに金生川も流れてる。ここから法皇山脈の峰を南に越えると金砂湖がある。😂 渡来人がおおく住んで、馬の牧もあったらしくこれが宇摩の由来とも言われてる。充分渡来人が来る理由があるよ😊
百済からの渡来人が馬をたくさん飼ってたとかって聞いたことありますね、金田の半田は「秦」から転じたとか
@@33rd_Head_Of_The_Family そういえば昔からその辺りに栗タルトの美味しい畑田本舗っていう和菓子屋さんがありますよね。この姓も秦氏からっぽい。
近畿圏から遠ざけたい技術者集団を四国に集めたってのは説得力がある
@@user-th-monkey-kuro
ただ忌部氏は阿波から各地に進出しているのですよ。
忌部の祖神である天太玉、天日鷲はことごとく阿波から各地に、勧請されているのです。
阿波ってのは近畿にめちゃ近いんですよ。四国山地を越えた土佐ならいざ知らず、阿波に「遠ざけた」てのは全然説得力ない。
淡路島を経由するとして北も南も海を渡るけどそんなもの?
@@user-th-monkey-kuro そんなものです。古代人の感覚でも。イザナミイザナギの国造り神話を思い出してください。その舞台はどこでしたか?それほど皆が認識できるほど近しい土地です。海を隔てるなど、この島国の民にとっては大したことではない。土佐が鬼国と呼ばれたわけ、紀国が鬼の国に繋がる印象、すべて山ですよね。土佐は大歩危小歩危という難所を通り抜けなければいけない土地、紀州は役行者とともに語られる地。海よりも山で隔てられる土地の方が遠いんですよ。だから陸路で行く北陸が「越(遠いという意味)国」と呼ばれたんですよ。一方で瀬戸内各地と北九州などは近い土地なんです。船が使えるから。
@@user-om7ex6yg5r 南海道に四国だけじゃなく紀伊が含まれてることがもう。
縄文人も弥生人も日本語をしゃべっていたので争いがなっかった。
If you could count the tribes of present Britain, you may count the same numbers of modern Japanese.
どちらかと言うと、半島他近隣地域より寧ろ中東方面から海流に乗って渡来してきた人達の方が多い気もする…
ずんだもんの音声を作った人は凄いと思う。魔理沙や霊夢とは比べ物にならない滑らかさ。とても合成音とは思えない。
自分は例の分布図では、四国と和歌山に渡来人の遺伝子が濃いように感じました。
つまり、紀伊水道の両岸に多いって感じですね。
渡来して来た先を朝鮮半島だけに限定する必要もないのでは?
そうですね
@@oniwakamarukumano8328 太伯の末裔とかもあると思う
@@TheKzit1969 さん
可能性は0ではないでしょうね。
和歌山も以外も奈良、京都、滋賀、三重も四国と全くおなじ色やない?
アカホヤの大噴火の為に、九州は住みにくい土地に成っていたと思うし、近畿地方は大和王権があるから、海で隔てた四国へ渡来人が多く移り住んだのかな?
偏西風の影響で九州(とくに北部)より四国の方がダメージが大きくて人口密度が低くて土地が確保しやすかったからかも。
逆です。火山がある土地は肥沃なので住みやすいです。インドネシアのジャワ島が人口が多い理由はそのためです。ただ火山なんでたまに災害があるんでしょう。あとは土壌が違うんで大陸とは育ちやすい作物が違っていたとも考えられます。
@@Muttonpalov
日本は黒ボク土だからそれは無理です。
リン酸欠乏症になるので日本では火山性の土地では農業は向きません。
@@user-yu1ip1qg4v
ジャワ島も黒ボク土です
@@Muttonpalov 黒ボク土が活用される様になったのは戦後のはずです。
いつも楽しい配信ありがとうございます。とても興味深い内容でした。四国は日本が滅亡するときの最後の砦、その為の結界があるというのを思い出しました。動画と関係の無い内容かもしれませんが気になったので
ソノ結界って剣山ですかねぇ⁉️😅
特に徳島県は他の県よりO型が多いって事も関係しているのでしょうか??
某教授のデータは、分析を『奈良時代以前の国』で調べ直した方が良いかもしれません。
同じ都道府県の中でも、方言の差が激しいケースがありますから…
日本神話だと淡路島が最初に誕生したし剣山とか宗教的に何か特別だったのかな?
徳島県の阿波と千葉県の安房は同じで、海沿いに同じ系統の外国人が移り住んだ説があります。
そして外人(縄文人以外)が持ち込んだ可能性が高い神道のトップクラスの格式の香取神宮・鹿島神宮があると。
空海の氏族の佐伯氏の墓とされる有岡古墳群からは舟と馬と人を描いた線刻画や新羅と類似した装身具が見つかっている
とりあげている研究での渡来系というのが新撰姓氏録の諸蕃に限るとは思えない
ちょうど京阪神アクセントの分布にも重なる
四国は、
縄文時代の早期・前期・中期・後期・
晩期に於ける遺跡が多く残ってます。
😮😮😮😮😮
空海が有り得ない速度で外国語を習得したのは誇張なのか産まれた環境から当たり前に話せていたのかどうなのでしょうか?
渡来人(中国、朝鮮から来た人)の解釈はビミョーですね。
中国、朝鮮の方から来た人が正しいのでは。もとの言い方だと渡来人=中国、朝鮮人に聞こえますよね。
それはちょっと違うと思う。
消防署から来たと
消防署の方から来たの違い
奏→秦(はた)だよ~😅
徳島出身のワイ、興味津々。
元のデータ収集方法に問題がある!
11:59 こんなに高かったら、大体が富裕層のゲノムになっちゃう気が…性格遺伝はいくら例外多くても近畿や北海道が重宝されやすい、新たな希望の開拓好きな血の渡来系だったり、反渡来人の防波堤で、蝦夷系防人も多い大宰府のある北九州が渡来系少なかったり色々妄想できますね。
8:15ガチでうちは古代氏族で国栖族の末裔です。
新羅の王にも倭人がいた事を考慮して
朝鮮半島での倭人達の力が強かった証拠であり
朝鮮半島にあった中国の技術を
倭人が日本に持ち帰ったとの意見もあるね
発掘人骨や遺物の地層年代や炭素14年代測定、瀬戸内海の海進具合、それらの結果と解釈はどうなっているのだろう🤔
縄文人は四国が一番少なかったですね。
四国の老人の鼻濁音と甲高い声での会話は 日本語より中国語のニュアンスや
響きに聞こえる
白村江からの人では 朝鮮髭で薄く
大体一重まぶた
今から遡って何世代も前というよりも、何十世代というべき。今なら30年ぐらいだろうが、ほとんどの期間で20年ぐらいが1世代ではないだろうか。1200年前としたらしたら60世代前になる。
秦氏の子孫の苗字というが、日本国民みんなが苗字を持ったのは明治時代からだったのではと思って調べてみたら、苗字を名乗ることが許されていなかっただけで、ほとんどの農民は苗字を持っていたというのが現実みたいですね。
四国はお酒に強い人の比率が結構高いのが気になる
そりゃどこのゴンベさんかわからんしな 税金も払えないわ
渡来人(→故郷に帰った人) vs 帰化人(→移民、混血して日本に定着した人)、を混同しないことが大切と思う。
「大切と思う」…キッショw 氷河期子供部屋壺ウヨ爺さんっていつも日本語ビミョーだよな😂
ネトウッちゃん「渡来人は渡来人じゃなくて元々日本に居た縄文人で世界各地に縄文文明を伝えたあと故郷に帰って来た」「アイヌは鎌倉時代に大陸から渡来して縄文人を滅ぼした。アイヌは先住民じゃない先住民は縄文人。縄文人は日本人」考古学的にはそんな結果になっていない。弥生渡来人は中国南部の人。
遺伝子的にアイヌは本土人よりも、沖縄人よりも縄文人に近い。あとアイヌは日本の、北海道の先住民族じゃないって主張するのはロシアにとっては「日本の先住民族じゃないのなら、ロシアの先住民族ですね。」ってことになり好都合。最近、その手の主張はもしかしたらロシアのプロパガンダではないかと疑ってしまう。
故郷に帰った?どういうこっちゃ
私もそう思います❤混同しまいがちですが😅
@@yari-pg1tv 渡来人は明らかに縄文人と違うので帰ってきたわけではないのでわ。
淡路島周辺に渡来人が多い理由は理解した。しかし高知県には何があった?わざわざ高知県へ移住する理由が分かりません。
ずんはいつでもガードが硬いな。なにかのお呪いか?
アワとサヌキ…
阿波は倭。聖徳太子も阿波で生まれたってことですよ。
ゆっくりは下膨れの2人と掛け合いが煩くて苦手。ずんだもんは聞きやすく素晴らしい❣️
日本の一部であったムー大陸から始まったそうです。
四国はユダヤの痕跡多し。
やはりヤマト政権はそれ系か?
品部が四国に多かったと言う事なのでしょうか?
北海道、東北や九州、沖縄の人達はお酒強そうなのも納得
そうやって考えると四国の高知の人達がお酒が強いのが不思議
耐性ではなく根性???それとも容堂公リスペクト???
四国って真ん中に山があるから移動が面倒で、現代でも香川とかから行くなら愛媛を通って行かないといけないから、高知は四国の中でも陸の孤島なんだと思う。動画では大雑把に四国で括ってるけどよく調べたら高知だけ数値が変わる可能性はあるよね
そういうイメージがあるだけで、酒豪遺伝子(ALDH2)発現率の都道府県ランキングだと高知が14位だから対して強くないよ。
ちなみに1位は青森で、2位の沖縄をのぞいて6位までを東北5県が独占。
残りの"東北で最下位"の福島ですら13位だから、"四国で最上位"の高知よりランキングが上。
高知県出身ですが、実際にお酒が強い人は多いです。僕の家も代々高知県ですが僕は一滴も飲めない下戸です。ちなみに高知県に来たらわかると思いますが、鹿児島のような顔の濃いひとが結構います。
だから元は縄文ベースなんじゃないかと思いますが、顔が縄文で一滴も飲めない僕みたいな人たちは何処から来たのだろうという不思議があります。
@@man-10
不思議な話ですね。
色々な要素が合わさって、今の私達が居るのかもですね。
ちなみに私は顔は超薄い塩顔ですが
体毛は外国人も尻尾を巻いて逃げるレベルで毫毛ですw
こんだけ体毛濃いなら顔も濃くしてくれよ……と
年頃の頃は思ったものです😂
「酒好き」と「酒に強い」のは少し違う気もしますね(^_^;)💦
これ間違っていると思う。あのマップみたいな奴は縄文人の定義を明記していないし、本当の縄文人はN9bとかM7aの女性から生まれてきた人達で、渡来人も大きく2つのグループに分けられて、朝鮮半島経由で入ってきた弥生系と長江下流で入ってきた古墳系の2つに分けられて、古墳系が割合が多いので四国というだけ。
それでこの古墳系こそが大和民族の祖先で日琉祖語を話していた勢力だと思います。
九州は火山が多いので肥沃です。これは事実です。これを踏まえて仮説を立ててみます。九州は肥沃な土地だったので古来から人が多く開発できる土地が少なかったので相対的に人が少なく開発できる余地が多かった四国に移住してきた人が多かった説。もう一つは火山性土壌なので大陸とは育ちやすい作物が違って、大陸の作物が比較的育ちやすい四国に移住してきた人が多かった説。さらに縄文時代に噴火が多くて噴火直後なので植生が無かった説。これらのことが考えられます。
ゲノムで年代確定できる日が来たらいいですな。
空海がサンスクリット語話せるようなので、空海さんの時代にはインド人もいたんでしょうね。
日本カレー起源は、阿波?いや、カレーうどん起源が讃岐なのか???(笑)
空海がサンスクリット語を話せるのは中国に行って勉強したからだろ。
じゃあジョン万次郎が英語喋れるから日本にはアメリカ人がいたのか?
@@Bloomerschwater 大陸行き前には、話せたらしいよ。伝承では、仁徳朝から大王家の壬生(家庭教師)と近衛的家柄だったらしい。ほんとかな🤣知らんけど。
渡来人て?縄文人?弥生人?
古代人はどこから来ましたか?
四国は天然パーマや二重瞼が多いので思い込みと思う。
「大陸から見たら九州北部が日本の玄関口である」という認識から違うんじゃないかと思ってますね。多分九州はほぼ外国と言う感覚だったんじゃないかな?
日本書紀でやたらと淡路島が重要な位置に居るのが常に疑問でした。
渡来人が来てる時代の日本の形はそれでいいのかな?
縄文人しかいません。エジプトやギリシャは戦争で忙しかったからでいません❗️
徳島は 邪馬台国の最優秀植民地であったのでは?
むしろ邪馬台国そのものでは?
記紀が編纂された奈良時代に多数の資料が焚書されて藤原氏の支配に都合の良い歴史ができたらしい。ただ、日本神話の中にはかなり真実も含まれているのではないか。
よし、天皇家のルーツを調べよう!(最大タブー)
天皇家は南九州だよ。タブーどころか縄文系だから日本の主人。我々弥生系とは逆。
その南九州と言えば熊襲・隼人と呼ばれる集団がいた。前者は朝鮮系、後者はオーストロネシア系との関係が深いと個人的に考えてる。
そこにすむ人々が日琉祖語かピジン言語かまたはそれ以外を話していたか(たぶん集落単位で違う)いつか分かる日が来るといいな
人類の起源まで遡る事に
なるよ💦
渡来人の皇族がいたって
皇后が言ってたじゃん少し前
@@user-iv5qc8ov4u
光仁天皇夫人で桓武天皇生母高野新笠さんのことでは?
阿南は地方名か。緑の狸です。人類は少ない時代ですので無理な話です❗️!
四国の剣山に失われたアークが存在すると噂があるが渡来人の末裔が守っているのだろうか…。😊
渡来人→日琉系
縄文人→アイヌ系
こうだと思うんだけど
ここらへん認識違う人が多いのでちょい気になる
追記:西日本の縄文系はもしかしたらオーストロネシア系(台湾原住民と同じ)かも
東北と九州は縄文人に近いらしいけどゆうて「比較的近い」の話でしょ
弥生人なんていませんよ
近代に言われる様に成った弥生文化の用語ならあるけど
ちなみに東北地方で出土した弥生人骨は100%縄文人の遺伝子だった
@@Bloomerschwater
東北は昔から蝦夷やらなんやら
縄文人の末裔がいたでしょう
まぁアテルイなどは大和朝廷に
暗殺されてしまいましたがね
そういえばソロモン王の財宝が四国に隠されているらしい😂
知らんけど😊
劔山掘り返してみないとなんとも言えないしょや
私は心が狭いので隣国の人と混ざり合いたくない
この遺伝子調査にアイヌは含まれていないと言うのが闇深い
法的に先住民と定義して保護しているアイヌの由来を科学的に明らかにしたら、何か都合が悪いことでもあると言うのだろうか???
そらアイヌは100%渡来人の影響がないに決まってるからだろ。
あ、ここで言う渡来人ってのは中国・朝鮮半島から来た民族のことな。
オホーツク文化人とは混血してるわ。
都合悪いんでしょうね
調査の仕方で血統的遺伝子の分布は異なるのだが、確定的な都道府県が存在する。島根県、鹿児島県と四国四県。島根鹿児島はなぜか縄文人系、四国は渡来人系。
このデータで判明するのは、島根の出雲大社は縄文人系の地域の神社であると云う事と鹿児島の薩摩隼人は縄文人系である可能性が高いと云う事だ。
僕は四国と云う地は日本列島において最後に土地の地殻変動が現在の地形に落ち着いたと考えている。それは南海トラフ地震が歴史上において何度も大きな揺れを起こしていると云う事。地震が数百年おきに有り、四国北部に東西に渡る構造線が存在する。この構造線に向かって南方向から大陸プレートが押していく変動が数千年以上に渡って継続している。香川愛媛と徳島高知の県境の山脈は縄文時代を通して南から大陸プレートが押し続けた結果の隆起では?と考えると…
縄文人は災害が最も多く危険な地域に定住化しなかったと考えられる。
また四国と云う立地上、どうしても九州北部が入植の玄関口となる。そして大陸からの渡来が増えた時代に中華での戦乱同様、土地争いの紛争が起こる事となる。この土地争いで敗けた者達や争いを避けた者達が行けるその他の地に向かう事となる。縄文人が色濃かった島根県と鹿児島県に居ると云う事で、渡来人達の入植地、定住地を求める所は限定されてくる。九州北部の次は山陽地域、その次に四国となる。
なので四国に辿り着いたのは、空白地だったので入植しやすかったからと考えるのが矛盾しないのです。
渡来人なら外国語を使ってたのにその辺の解明がいい加減だよなあ
渡来人≒何らかの技術を持った人 と考えてみると、
その技術が生かせたのは、当時の日本の中でもある程度の先進地域、ってことになる。
つまり当時の四国は「ある程度の先進地域」だった、と。
そもそも現代でも「野球の技術を持った人」が球団がある地域以外に来ても何の役にも立たないw
養蚕で知られる秦氏(渡来人)が日本に来たのが縄文末ぐらいからなので、年々技術的な優位性は失われていったでしょうね。
天武天皇の時代には既に流刑地として活躍していたのは、長らく本土文化と切り離された渡来系が多かったのが理由の一つかも。
@@nekono_mimikon
いやいや、本土文化と切り離されてたのも、流刑地となっていたのも、四国の中でも脊梁山脈を挟んだ土佐(高知県)に限られる。
嘘です。
2🍙コメ(≧∇≦)bなのだ🎉
平安時代の坂上田村麻呂の東せい後、エミシのふしゅうで戦闘能力が高かったエミシを関東や九州へ派兵したから、関東や九州に縄文DNAが多く残ってるという事でもあるらしいですよ。のちの時代に板東武者や薩摩隼人のような強い武士になった理由でもあるらしいですよ。渡来して来る人は半島から来るから皆渡来人だと思ったんでしょうね。アカホヤの噴火で西日本に住めなくなった人達が大陸へ避難して来た、かつては渡来人と呼ばれた出戻り縄文氏族もいるようですよ。長江流域に倭人の集落があるという中国の文書や、新羅の初代王が倭国出身と書かれていたり、新羅の倭人が攻めて来たと書かれた高句麗の碑文もあるので避難した人たちが居たのはほぼ間違いないのかと、だから新羅、百済、加羅と仲が良かったり倭人の古墳がいっぱいあるんでしょうね。奈良時代の木簡に書かれたペルシャ人の役人も、避難してペルシャまで行った氏族が世代を経て戻って来たら、見た目がペルシャ人だったからペルシャ人の役人と書き残されたかもしれませんね。たとえ権力者が変わっても、あくまで日本のトップは縄文の王族だから、圧倒数の縄文人や出戻り縄文人やいくつかの渡来人たちが付いて来て纏まって今の日本まで男系にこだわって続いてるんでしょうねえ。秦氏はバックアップに徹したから、大王のお墨付きをもらって自分たちの影響(稲荷神社や八幡神社など)を全国に広められたんでしょうねえ。
縄文系が大陸に渡ってたら大陸の方にも、ハプログループD1a2a系残ってるよ
殆ど残ってないから、殆ど出てないという判断になる
韓国、ミクロネシア、ティモール島、中国にD1a2aは残っていますね。
中国の場合はかなり薄まっていますが、これは北方民族やモンゴルからの侵略を何度も受けているためかなと考察しています。
神話の三貴子で天照は中国南部、月読は月氏族、素戔嗚は朝鮮半島の縄文系出戻り渡来人を表しているんじゃないかなと妄想してます。
金払って個人情報晒すってのはどうなんだろ?
と思ったものです。
お前の個人情報には隠すほどの価値はないけどな
遺伝子情報って究極の個人情報なんですけどね… 将来的な疾病因子をばら撒かれたら結婚その他にも影響するのに
@@ryoco-hu6ux お前らは疾病因子をばら撒かれなくてもどうせ結婚できないやろ
じいちゃん高知出身だわ。渡来人とか嫌だわ。
そもそも大和民族は渡来人と
縄文人の混血ですからね
まぁ本土の日本人は殆ど
縄文人の遺伝子を受け継いでないので
顔が薄いのでしょう沖縄などに比べると
そんな大昔の事なんて知ったこっちゃねぇ、気にスンナ。
血と見掛けは日本人な日系人も代を重ねれば思考が既に日本人とかけ離れた考え方したりするじゃん?
重要なのはこの国の風土に育てられた血肉で生き抜くってことなんだから。
@@ネコは天の愛
いい事言う👏🏻👏🏻👏🏻
大事なのは「思考的血脈」
現代日本人にとっての第一条件は
この複雑怪奇な日本語を自由自在に使いこなせる事ザマス〜
日本語をスラスラ読んで
ペラペラ話す〜
オノマトペもご覧通り〜
渡来人ってシナ系とか朝鮮系とか思われがちだけど実際は日琉系なんで全然誇らしいことやと思うよ?(いやシナ系や朝鮮系が祖先だから嫌ってのもおかしな話やけど)
渡来人という呼称は正しいのかな。もともとはその遺伝子特徴は列島に住んでいた人たちのもので、その人々が大陸へ移住して行ったと考えられないか?特にアルコール解毒酵素に関する遺伝子変異は現在の日本人に多く見られるが、大陸由来の渡来人の特徴だというなら、なぜ中国人や東南アジア人に多くないのだ?稲作についての疑問なら、大陸から伝わったのは土木に関する技術であったと考えればいい。つまり、稲作はもともと池や沼地などに土を入れて水田とした。遺跡から「田下駄」や「田舟」が出土していることから、相当深い泥田だと推測できるし、それなら水のある所に土を入れたと考えられる。弥生期とは、そういう耕作のところに土木技術により溜池や水路を引く技術ができたから、爆発的に耕作面積が増えた。それを「稲作」自体がもたらされたと勘違いしているのではないか。なんでも大陸から来たもので、という自己否定史観だな。鉄においても、北からもたされた(技術が南下してきた)と考えられる理由もある。玉鋼をはじめとする鋼製作技術は大陸や半島では皆無と言っていい状況は、どう考えるんだろうか。銅鐸だが、阿波で多く発掘されたことは否定しないが、阿波のあちこちの遺跡からだろう。ところが出雲の加茂岩倉では一か所から39個の銅鐸が発掘されているんだよ。銅鐸の発祥を阿波というのは、そのことからも断定は無理。新撰姓氏録をそのまま信じてどうすんのよ。むしろこの書が作られた背景こそ考えるべき。何にしても、もっと様々な科学的な証拠が出なけりゃ、なんとも言えないね。因みに史料では讃岐は東北の蝦夷と共通していてもいいはずなんだが。敏達期、宮廷警護のために召喚された東北の蝦夷が、三輪山の北東(桜井市出雲付近)に住を与えられ、佐伯の姓を賜った。後讃岐の国司として移り住み繫栄し、平安初期には大納言佐伯蝦夷が現れる。空海の伯父である。彼の働きで空海は私費留学僧として遣唐使第3船に乗船し、唐に渡ることになる。50ずつの、それも高価な検査の遺伝子情報の、その一部の解析(各県で50でしょ。検査を依頼した層にも偏りがあるだろうし、サンプルも統計学的処理として言えるには少なすぎますね)にしか過ぎないね。今後の研究をまたなければ。ま、単なる遊びみたいなものか(何か花火を上げておかないと研究費が回ってこない事情もある)。
一つ腹立たしいのは当時の皇室が自分たちを支える国民である日本人を差し置いて、渡来人を重用した事だ。渡来人など奴隷扱いで十分の筈。
帰れる場所も無い奴らを何故、日本人の上に置こうとするのか。これは現在の岸田政権にも言える事なので非常に重要だ。
日本の権力者は誰の為に政治を行っているのか!?
渡来して来る人は朝鮮半島から来るから皆渡来人だと思われてたみたいですが、アカホヤの噴火で西日本に住めなくなった縄文人達が大陸へ避難して戻って来た、かつては渡来人と呼ばれた出戻り縄文氏族も沢山いるようですよ。戻って来て新しい技術で稲作を再開しただけだと思います。長江流域に倭人の集落があるという中国の文書や、新羅の初代王が倭国出身と書かれていたり、新羅の倭人が攻めて来たと書かれた高句麗の碑文もあるので大陸へ避難したのは確実で、新羅、百済、加羅は倭人の国だから仲が良かったり倭人の古墳がいっぱいあるんでしょうね。奈良時代の木簡に書かれたペルシャ人の役人も、避難してペルシャまで行った氏族が世代を経て戻って来たら、見た目がペルシャ人だったからペルシャ人の役人と書き残されたかもしれませんね。メソポタミア地方で突然東から現れた日本語と同じ膠着語を使うスメラ人や何故かその周辺やエジプトに数多く残ってる十六菊花紋もありますからねえ。たとえ権力者が変わっても、あくまで日本のトップは縄文からの王族だから、圧倒数の縄文人や出戻り縄文人やいくつかの渡来人たちが付いて来て纏まって今の日本まで続いてるんでしょうねえ。魏志倭人伝にも、男系の女王ヒミコ(モモソヒメ)が祭祀王になったから争いが収まったとありますからねえ。だから日本のトップは男系でつづいてないといけないんだと思います。エジプト、イスラエル方面から戻って来た忌部氏や秦氏はバックアップに徹したから、大王のお墨付きをもらって自分たちの影響(稲荷神社や八幡神社など)を全国に広められたんでしょうねえ。縄文から続く天皇は世界最初の王かもしれないし、メソポタミアだけでなくアスカ、アらスカ、アスてカ、なァスカなど世界中に縄文人が影響してるかもしれないのでヤマト縄文魂はすてたもんじゃないです!それを分かってない岸田はアカン!
違う。当時の有力豪族を思い出せばいい。物部・大伴・中臣・蘇我など権力をふるった有力豪族は例外なく全て倭系なんだよ。東漢・秦などは数も経済力も強大だったが、所詮渡来人系豪族の扱い。まあ、個人のレベルでは上に行く人もいたけれど。例、坂上田村麻呂。彼ら渡来人は今で言うと、一流大学出の優秀な人たち。当時の倭人は縄文のポテンシャルはあっただろうが発展性なし。優秀な彼らを大量にスカウトしたことで今の日本があると言っていい。彼らをスカウトしなければ、日本人はいまだに竪穴式住居に住んでいたことだろう。当時の大和は、渡来人の海に浮かぶ倭人の王権だったわけだが、決して彼ら渡来人に権力を渡そうとはしなかった。
技術、つまり手に職もってたから重用されたのであって無能がわけもなく重用されたわけじゃないよ。外国語だったりが喋れたり外国の話を聞かせたりした。養蚕もした。諸説あるが、養殖もやってたってね?しじみとかはまぐり
古代朝鮮半島の南部は日本の領土(前方後円墳 があるのが証拠)で普通に日本人が住んでいたし、百済は日本の属国だったので半島から来たのは普通に半島出身の日系の人達だったと言うべきで(現在でも百済の辺りに住む人達は韓国で差別されています)長江流域から来た人達だけを渡来人と言うべきだと思うよ
属国だったというのはどうだろう。古墳のソースがあったとしてもだいぶ乱暴な解釈だと思うけど。共存共生の不思議な文化圏だった可能性もあるわけで、そのころに日本と言う概念はもっとあいまいな物だったし。
そういうことはもう少し学術的な経験値を積んでから発言すべきだと思うよ。
ほう。
では学術的に日本人と半島人の状況を具体的に説明してみな。
WWW~~~~ 国立遺伝学研究所WWW===== もう結構。
剣山には【失われたアーク】もあると言いますからね
ロマンですよねwww
徳島県祖谷地方に残る「祖谷のみたからの歌」はアーク伝説の民謡と言われてます。
@@user-zj9kp7re1gわたしの母の故郷が祖谷です。田舎通り越して秘境です。