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やっぱり485系が最も特急らしさを感じます。
んじゃ🎵
183系は?
重いのだけが欠点
国鉄色が一番落ち着く
今でも「特急」と言ったら485系が真っ先に思い浮かびます。
同じく
かつての北陸本線では雷鳥、スーパー雷鳥、北越、はくたか、3000番台といろんな色の485系が見れましたねそこに681系や583系も加わって…金沢駅は本当に飽きない場所でしたね
E7系「やぁ」683「やぁ」
母ちゃんと一緒に乗った思い出の車両駅降りて夕方、母ちゃんの後ろに乗って見る田んぼ道が気持ち良くて好きだった
コメを書くのはあまりないですが、いつも拝見しております。見応えある作品でしたぁ。自分は田舎民ですので、485系グループの中で実際に乗った事があるのは、ひばり号で走った483系と、スーパー雷鳥で走った485系だけです。電化区間ならどこでも走れる485系も新幹線の新規開通に伴い、旅客列車が非電化されることも増えて彼の活躍した路線も非電化が進んで行き、寂しい気持ちです。。
懐かしいし時代の流れを感じます。長い間お疲れ様ですと言いたいですね。
白鳥を全区間乗り通した父が帰宅して「日本は広い」と感想を述べたのか印象的です。特急車両の代名詞と言い切っても良い485系にとって、一番の花形列車であったと思います。今でも、当時無理を言ってでも父に同行すれば良かったと後悔しています😅
こんな素晴らしい車両の歴史の1ページに立ち会えたことは、一生の誇りですね。
20年以上前だけど、札幌から青森まで「はまなす」、青森から「白鳥」に乗ったけど、神戸から姫路までの間に実家があったので大阪まで完乗せずに京都で新快速に乗り換えた。あと、高校の時にNikonの一眼レフを入手して以降、大阪駅や京都駅で「白鳥」や「雷鳥」、「シュプール」を狙ってた。営業車としては、国鉄色で1500番台のついたT-18?K-18?編成を富山での「北越」で押さえたのが最後だったと思う
小学生の頃の、絵柄ヘッドマークになり、グリーン車2両、食堂車連結の12両雷鳥、しらさぎがいちばん好きだった。
その中で、当時青森持ちで13両だった白鳥は、やはり何か別格だった…
485系と言えば東北・上越新幹線が開業する前の上野駅が本当に印象が強いですね。鶯谷で眺めていて飽きなかったです。
俺は今51歳初めて国鉄の特急列車に乗らせてもらったのが、1978年8月20日大阪駅午前9時5分発の金沢行きの雷鳥号でした福井まで両親に乗せてもらいました😆夏休みにはいったときからワクワクドキドキが止まらなかったです。485系が大阪駅11番ホームに入線した時の鼓動は今もこれからも忘れる事は無いでしょう🤣
最近新しい電車も出てきましたが私の中でのTOPは485系です! 国鉄色とのベストマッチが好きすぎる
ある意味、万能列車ですね!😊😊
485系の中には、外観を大きく改造された『485系3000番台』もあったなぁ。かつて、函館・青森〜盛岡間の『はつかり』、函館〜八戸(東北新幹線の八戸延伸時は青森まで短縮)の『白鳥』も運行されていました。
北越急行のはくたか用に上沼垂区所属もあったね
私にとってはみのり、くびきでした赤倉の長野行の方が利便性は良かったのだけど
両親が金沢出身なんで雷鳥にしか乗ったことがありませんが、親父と食堂車でなんか食ったのはいい思い出。
鉄道ならではのよい思い出。
田舎が会津だから夏休みにあいづ号に乗って行ったなぁ…今走らせてもかなり席埋められると思うから運行してほしいなぁ
ボンネットタイプが子供の頃から大好きで、ワンワン特急と呼んでました。オッサンになった今でも見かけると「ワンワン特急だ」と思わず言ってしまいます(笑)
485系1500番代が頓挫したのは寒さではなく雪のせい。国鉄も知っていて781系までの繋ぎとしながら485系として取り得る最大限の対策を行ったものの通用しなかった。つまり、冬の北海道で安定して走れた711系と781系はマジで凄い。
半導体技術の賜物ですね!(^0^)
ベースとなった車両の違いですね。本州用の485系に酷寒地対策するのと、最初から酷寒地用の711系をベースに製作した781系。言うなれば血統の違いですかね。
今でこそ気候変動で道央でも湿った重い雪が頻繁に降雪するようになったが昔は乾いたサラサラの雪が降る事が殆どで粉雪が床下や車内にも侵入していた
183系気動車も凄いと思う。さらには粉雪対策を施した制御振り子を搭載した281系、進化系だった283系気動車も凄い。さらに言えば、苗穂の職人も凄い。
適材適所ではつかりとしてはぴったり。あと整流器か何処かに使われているものが毒性が強かったとか。うろ覚えですみません。あとキハ80系にあった食堂車がキハ183系では無かった。特に北海道用でなかったキハ80系。はつかりがっかりだけど、素晴らしく思います。
常磐線の特急ひたち号に乗車している途中の取手ー藤代間で直流から交流に流れる電気が切り替わる為一度室内灯が消えて再点灯するのが特徴でした。
ボンネット型と貫通式型がやっぱりカッコいいと思うね。😀一番お世話になった特急は有明号でした。
北海道における485系は、「いしかり」だけでしたが、一度も乗ることなく終わったので、東京ミニ周遊券で卒業旅行した時、東北新幹線開業前に初めて乗れた「はつかり」が思い出深いです。その時乗った編成に1両だけ1500番台が混じってて思わず笑みがこぼれましたね。グリーン車を通って食堂車に行ったら満席で、利用をあきらめたことが心残りでした。ありがとう485、君との一期一会は忘れない。
現在の新幹線ではつかりやいしかりのネーミングが復活してほしいですね。
うぽつです。485系といえば、昔、ひたちに乗りたかったけど、結局乗れずじまい。といったイメージから、雷鳥やしらさぎといった北陸線の特急で、ひたちの無念を晴らす形で乗りまくった思い出が有ります。魔改造の回でコメントした、113+485=415+183の事を取り上げて頂き有難うございます。個人的ですが、明日、KATOのボンネット買うのが楽しみです。
自分が3歳の頃、仙台に引っ越しになり、当時「ひばり」として走っていた485系がこの列車との出会いでした。当時はやまばと、つばさ、やまびこ、はつかりとともに東北本線を彩った特急たちで、特急と言えばこの系統という印象が強いです。
仙台なら「ひたち」もやね
自分の子供時代は「くろしお」は381系で自分の中で特急と言えばこれの為485系にはほぼ縁が無かったのですが(新大阪あたりで「雷鳥」を見た時に「くろしお」の親戚みたいなのがいると思った事が)後に183系化されて「まいづる」として東舞鶴⇔京都を走ってた時代には舞鶴で海上自衛隊にいたので休日に大阪へ行く時に大変お世話になりました。
乗れずじまいだと思ってたら北越に乗ったことがあったのを思い出した。489系まで含めたら能登も。485系といったらはつかりと雷鳥のイメージが強いし、この2列車のヘッドマークが一番似合うと思う。
同じ意見です。『一番よく似合う』を通り越して、別格ですね。
485系は全盛期の時代は最大12両編成で食堂車も連結されていて正に特急の王道でしたね。
分割民営化後の話ですが、583系と組んで14両貫通編成のシュプール号、という編成もありました。ホームに入りきれずドアカットされた駅もあります。
「シュプール妙高・志賀」では583系と485系が先頭車同士で幌を繋ぎ合わせた編成の他に、583系の中にモハ484+485を1ユニット組込んだ編成もありました。
@@kiha110oykot何でそんなの知ってるとか
@@シュウ-y2p 運行当時その編成が回送・留置されていたのをよく目にしていた。
また、作ってくれないかなぁ現代版485を
性能や経歴を見た感じだと683系やE653系とかが当てはまりそうですよね
JR九州の特急有明で、783系がデビューした時は時刻表に「ハイパーサルーンで運転」と書いてあり、書いて無い列車が485系L特急有明でした。当時は最新型に乗りたくて783系ばかり乗っていて、783系の指定席が満席だった時だけ渋々485系の特急有明に乗っていました!😅今思えばこれから活躍する783系より引退していく485系に沢山乗っておけばよかったなと後悔しました😢でもその後鹿児島~宮崎のきりしまで乗り納め出来て良かったです♪♪
プラレール の影響もあるけど、この車両を見るとL特急というイメージが強い
子供の時(山陽新幹線博多開業直後)に、国鉄特急図鑑みたいな本を見ていて、ほとんどの中・長距離のL特急が「485系」だった。おまけに大抵の列車が食堂車連結・営業。今思い出すと懐かしい。
583系好きにしてみれば485系はハズレ。485系はつかり俺がっかり。一般利用者には真逆で583系がハズレ扱いだったけど。何にせよ懐かしい。
@@tomohikoo8949 どっちの雷鳥も乗ったけど、ハズレなんて考えた事なかったなぁwwなんせ本数多かったから、485系のボンネットも全面ドアの連結も、583系運用も、一日何本も走ってましたからねぇ(#^^#)中学の頃にわざわざ新大阪~京都間だけの移動に乗ったりして楽しんでましたwww
リゾートやまどりのクハが181系サロだったように数が多いからカオスなことになっていたんですね!
485系は、先頭車両の種類豊富で、いいですよね
ボンネット型、貫通型、非貫通型、簡易貫通型、加えてパノラマカーに3000番代のリニューアル顔・・・個人的には邪道と言われそうだけど簡易貫通型がけっこう好き。
昭和40年代生まれの私からすると、特急(L特急)はこの形の車両が思い浮かびます。
L特急。もはや死語。
まあE電よりはマシ、
485系といえば、新宿から新潟方面へ行く快速ムーンライトえちごと、その間合い運用の快速フェアーウェイも名列車でした。博物館で再開したときには心の中で長い活躍をねぎらってあげたいと思います。
大学生の時新宿駅で見たな
昨年末、半世紀以上に渡り日本中から愛された汎用特急485系の歴史にとうとう幕を降ろしましたね🙏 長期に渡って増備され、転用や改造を繰り返した事で、細部を含めると一体幾つのStyleを持つか、車両の改造経緯等、長年の鉄道ファンであっても解らない程、幾多の顔を持つ車両でした(かく言う私も全く解らない😅)。うp主さんも仰る通り、片方だけがボンネット顔の編成は雷鳥号等でも多く見られ、両端が異なる顔を持つ実に面白い編成でしたね😆民営化直後には、派ッ手な色に塗り替えられたり、東日本では様々なジョイフルトレインにリノベーションされたりと、🇯🇵日本列島🗾も華やかになっていましたしね💐✨
181からの変態改造好きでした489、189みたいなのも
食堂車連結の485系が好きだった。
国鉄特急の代表のような車種だったのですね子どもの頃に母の帰省に付いていって、関西から新幹線で博多乗換で「かもめ」「みどり」に乗った事があります小学校の頃に祖母がなくなり、自分も大人料金扱いになり苦笑、「くろしお」と「やくも」は旅行や出張で乗った事がありますが、それは485ではなかったのですね東京へ転勤する前に、京都→大阪だけ「雷鳥」に乗ったのが最後だと思います乗りたかったけど、あまり乗れなかった、自分の中ではちょっと特別な特急でしたありがとうございました
白鳥は、全区間乗ったわけではありませんが、直江津から青森の間は乗っています。新潟から青森までだけでもかなりの長距離でした。
私は、23年前に兄が越後長岡の国立大学に通った事で特急白鳥号を青森〜長岡間を利用したことがありました。しかし、越後長岡へ向かう途中に弘前駅周辺で架線トラブルで到着が大幅に遅れました。けれども、特急白鳥は自分にとって『一期一会』でした。
「白鳥or485系名物・3電源対応」とは?>何しろ直流区間はともかく、「白鳥」廃止5年7ヶ月半後の敦賀~糸魚川間の交流60㎐区間、そして村上以東の交流50㎐区間まで走れるという万能車で、異なる電源のみならず異なる交流区間の周波数の差異にも対応できるのが特徴です。
東北・上越新幹線開業で、東北方面の車両が大量に九州へ転属になった。このような転配が可能だったのは485系の能力が役に立った。また九州へ転配された結果、「かいもん」「日南」「出島」「弓張」といった急行が廃止され、485系の増発特急に格上げされた。また489系は少数でありながら、先頭車が「こだま」形ボンネットから、183系同様の形へモデルチェンジする時期だったので、両形式先頭車が見られた。
出島弓張懐かしい!廃止前に博多〜長崎乗りました
雷鳥、北越といった北陸特急でお世話になった1番好きな車両。お疲れ様でした。
485系は九州の真っ赤なやつがやっぱり印象に残ってます…それと同時にきりしま色や国鉄色、ハウステンボス色もいい存在でした! 九州の485系はいろいろな特急で走っていましたが、特急にちりんって言う名前は485系が相応しいって僕は思います!
これも日豊本線にはこいつが必要だよなーあの真っ赤な電車いいよなー
@@大坂孝幸 日豊本線大分以南の特急に885.883来たらおもろいかも
まだ私の頭の中は非電化でDF50が彗星や富士を牽引している時代で止まっています。
にちりんはディーゼルと国鉄色電車までかな?あの真っ赤はわざわざ整った国鉄色を変な色にするかなぁとは感じてました。
山陽本線に直通していた頃は食堂車を連結し営業している列車が多かったが九州島内になってからは連結しても休止になりやがて編成から抜かれて編成は年々短くなり民営化直前に改造半室グリーン車にした3両編成が登場した時には愕然とした
485系、私にとっては最も思い出深い特急車両です。中学生の頃、祖母が倒れて看病で上野からつばさ号で秋田まで行った事を覚えてます。当時12両編成、食堂車も連結されていました。
富山地鉄の旧元西武5000系の機器が485系の転用でしたよね別の形ですが現役で有り続けていると
私が子供の頃の特急といえばこの電車でしたね😄
おおー。栄光の485系!!国鉄型特急全滅か?と思いきやまだ381系か残ってる!これは乗りに行きたいな。
485系、首都圏で育った自分のイメージはやはり上野駅。ただ一度でいいから、大阪から青森までを乗り通してみたかった。
私は鉄ではありませんがとてもわかりやすかったです。東北新幹線開業前にこの車両で横浜から長い時間かけて一ノ関そして平泉に行きました、感謝しています。
ヒゲが付いたボンネットタイプのクハ481はヤル気満々って感じの顔でカッコいい!
地元では見かけませんでしたが、名古屋でしらさぎを見かけたり、東京であさまやひたちに乗ったり、国鉄末期に青森から白鳥に乗ったのが懐かしいですね。
485系こそ電車特急のエースで万能選手ですね。クロ481形は東北で生まれ九州で育った形式ですね。ひばり、ひたち、あいづなどに連結されていたが九州のみどり創設時に半数ほど九州に行きその穴埋めとして先頭車は貫通形、非貫通形の200、300番台が入り片ボンネットの編成が生まれました。そして57年11月改正で残り全部が九州に行ってしまいました。今では考えられない車両転配ですね。
父の実家が会津だったので、その昔「あいづ」ボンネット型のグリーン車に何回か乗りました。1回「あいづ51号」で夏休み、1号車グリーン車の冷房装置が故障して、通路に氷柱を立てて会津若松まで行きましたね。
@@高橋靖-x1m 冷房の故障は大変でしたね。
19:39 783系がまじでかっこいい
スキー旅行で長岡から糸魚川まで乗った特急北越に乗ったことがあります。どこでも見れた時代が遠い話というのは、いい時代ですね。そして未だに引退をする気配が見えない元東急7000系・7700系が走っている。
学生時代から社会人になるまで485系は在来線特急でよく乗った車両だった。1番の思い出は青森から大阪まで乗り通した「白鳥」かな。始発駅から終着駅まで乗り通したから、周辺の人達からビックリされた。引退は惜しいけど、昭和、平成、令和と、よくぞここまでと言うぐらい長く活躍した車両は余り無いのでは?むしろ「長く走ってくれてありがとう、お疲れ様」と言いたい。今ではトミーの485系Nゲージを部屋で走らせて懐かしんでる。
昔、東北本線では、黒磯あたりで一瞬電気が消える。交流と直流が切り替わるところ。485系L特急ひばりややまびこ、やまばとなんかに乗ってると、切り替わっていたのをおぼえてる。
国鉄時代の485系と583系が好き
古い車両をいつまでも使うのはJR西日本の得意技と思ってたけど485系はJR東日本のほうが末永く大事に使ってたんですねちょっと意外でした
飛ばすためなら新快速も117系から221系を経てあっさり223、225系体制にしてしまったところですから。特急も全部サンダーバード顔にしたかったんでしょうね。
手厚い手入れをしていたが長距離高速運転と雪害と塩害で初期車を中心にボロボロになっていた。民営化前後に延命工事したのも効いていたが、整備新幹線及びスーパー特急構想の影響で京都と金沢所属車は想定より長期間使用される事になった。
JR東日本では21世紀の直前になった頃に大規模修繕しちゃったからねその代わり車内や快適性はその頃の最新鋭E653やE257と比べても遜色ない仕上がりまで進化してた違うことといえばデッドセクション通過時に室内灯は消灯してしまうことくらい(但しLED表示器は点灯したまま)
東日本で生きながらえたのは、青函トンネル対応車と、60Hz区間に乗り入れる「北越」運用のある新潟車を、それぞれ新幹線開業まで持たせないといけなかった事情が大きかったわけです。あとは波動運用の需要が他社より大きかったことも。
しぶとく485と583が生き延びたのもネズミが棲んでいる夢の国への団臨需要があるのも一因
13:55 で説明された勝田区でひたちとかで使っていたボンネット編成がそのままの姿で有明で使われていて、ひげってあだ名で呼ばれていた。その後、レッドエキスプレス塗装になって最後の方まで活躍していた。少し前までは熊本に所属編成がないのに熊本鉄道事業部熊本運輸センター川尻派出(川尻駅測線扱い)には頻繁に南福岡所属のにちりん編成のような国鉄色編成や大分のDo3~6、31、Dk16などK&H色編成などが疎開留置されていて中々見応えがあった。
485系が東武鉄道で走ったのはびっくりしたわぁ
全国の電化区間で必ず見て乗った特急型電車。
日本を代表する特急型だと思います
国鉄特急形電車485系が1番好きな車両です❤
485系はキングオブ特急電車こだま型のボンネットタイプでデビューしたその後、貫通型と非貫通型が現れる四国、山陰以外の日本各地に走破した歴史の長い名車札幌(札サウ)、青森(盛アオ)、秋田(秋アキ)、仙台(仙セン)、金沢(金サワ)、向日町(大ムコ)、南福岡(門ミフ)、鹿児島(鹿カコ)と日本各地に基地を持った全国規模の特急電車だった
個人的に北の玄関口の主役と言って良かった存在で、私が関東に移住するときに初めて乗った「電車」でもあります。
トーマスの第一話のDVDもってます。昔のゴードンは結構威張ってましたからねぇ。ヘンリーの方がかなり丸くなってますよ!
485系、東北新幹線開業前に、私の地元を走っていた特急はつかり・やまびこ・つばさ・ひばり・やまばと・あいづなどボンネット、貫通型、非貫通型と列車がくるたびに楽しんでいました。特に、前後ボンネット型の時は嬉しかった思い出があります。特急はやはり485系が格好いいです!
485系は中間車に先頭車を付ける、改造車も独特でしたね。例を挙げるとしたら、九州のクロ480やクモハ485。ひたちやあいづの上野側のクハ481ー1100番台とか。485系はシャッター式のタイフォンですが、改造車は581系の様なスリット式で一部はタイフォンカバーを付けてた車両もありましたね。
11:34向日町時代のクロハ181。ヘッドマークの幕式改造、連結器カバーの赤塗り。後に普通のクハに改造されるまで短期間の貴重な写真。初めて見ました。
485型特急電車は万能でした。
型ではない。
やっぱり自然振子方式の381系しなの号に限るね。485系?交流特急の末期にJR九州で運用されてましたね。熊本有明号や日豊線にちりん号、長崎かもめ号と佐世保みどり号です。本州内はしらさぎ号だけで他は一切知りません。
151系がゴミなだけです。MT46シリーズはダメっすね。471系とか特に
動画にはなヵったけど583と繋がれ開かずの扉が使われたシュプール号、富山地鉄に乗り入れたスーパー雷鳥、489系は3電源を生かした山陽特急等、鉄道ファンなら忘れてはならない!名車、ありがとう485系。
489系が山陽走っていたのですか。びっくり。
@@tydeentetuota5514 さん489系は先頭車がボンネットのグループが最初は向日町運転所に配属されたので、485系と共通で山陽特急に充当された事もあったのでしょうね。(金沢に配属されたのは「白山」デビュー翌年の1973年)また、レッドアローyさんが挙げたJR西日本の「シュプール妙高・志賀」は、485系と583系の先頭車同士が貫通幌を繋ぎ合わせた編成の他、583系の編成内にモハ484+モハ485を1ユニットだけ混結した編成も充当されていました。
直流から交流の切替ポイントのデッドセクションでは、車内の照明が消える。西村京太郎のトリックに使用されていた。
改めて一番485系が好きでした。
日本を築き上げた一員。国宝。
国鉄型の交流直流両用電車は、直流電車に整流変電所を増設搭載した構造なので、50Hz用のトランスを搭載すれば基本的に60Hzで動作できるはずの物です。トランスの鉄心重量が周波数反比例なので、周波数が高い方向には動作できて、降圧+整流だけなら50Hz用は50/60Hz共通に使えるのが基本です。家電製品の蛍光灯やモータは直の交流動作なので50/60Hz周波数別に設定が必要で共用できません。インバータ型は一旦直流にするので、50/60Hz共用になります。 国鉄の偉いさんがそれ(50Hz用が60Hzで使えること)に気付かず、交直両用車も家電並みに50/60Hz仕様の発注を掛けたことで60Hz専用が出来てしまいましたが、暫くして気付いて、50Hz専用機の新型は現れなくなり50/60Hz両用仕様ばかりになりました。そこは先輩のポカなので後輩が触れてはならない国鉄型タブーとなっているようです。東京都電の廃止で不要になった変電所のトランスが長崎市電に譲渡されたのは50Hz→60Hzだったから可能になったこと。
九州の交流専用化編成がウッカリ下関行き運用に入ってしまって関門トンネル手前で運転を打ち切った珍事もあったなあ。
新幹線ができる前の仙センの485系は青森寄りがボンネット、上野寄りが電気釜の編成が多く見られ面白みがあった反面、1000番台で揃えれた秋アキの編成は変化に乏しかった。盛アオは僅かな期間クハ481-100の配置があった様だが直ぐ電気釜に変わり後に1000番台も入る事になり種類は増えていった。583系も最初入っていたクハネ581に変わりクハネ583に変わった。
485系は1000番台はツバサで乗りましたね3000番台は白鳥で乗りました
特急電車と言えばコレって言うお馴染みの型式でしたね。
快速くびき野号や快速ムーンライトえちご号でお世話になったな。夜遅くに新宿駅または池袋駅で新潟の485系を見た時の安心感は半端じゃなかった。485系のモーター音も好きだったな。古い車両なんだけど音が静かだったし。快速くびき野号はホント乗り得列車だった。当初は4両編成の485系で運転だったけど利用客数がかなり好調だったから6両編成化された。普通乗車券だけで特急北越とほぼ変わらない(宮内停まるか否かの違いだけ)停車駅の列車だったからホント廃止がもったいないと思う。後継の特急しらゆきも快速しらゆき(指定席1両自由席3両)にしておけば乗客が伸び悩むことなんてなかったのに。
485系は長距離列車のイメージがあります。JR九州でも小倉~西鹿児島間の長距離特急のにちりんがありました。今はソニック、にちりん、きりしまに分類されています。
一応、国土交通省では700キロ以上を長距離、300〜700キロが中距離、300キロ以内が近距離のようで。
日豊本線が約463キロ。にちりんシーガイアの走行距離は約413キロ。なので長距離ではなく中距離ですね。
ボンネット型前面の485系が、特急らしい特急で大好きです。大阪駅で、「雷鳥」号をよく見に行きました。
高崎から上野まで185系の新特急だと1時間25分くらいかかるのに485系のL特急は1時間10分前後で爆走してくれて新幹線が高くて速さが微妙なのでよく乗ってたなぁ
国鉄の顔だと思います❤0系新幹線と同じくらいの名車🚃だと思います❤🇯🇵の経済発展を支えて下さってありがとうございました🙇🇯🇵
常磐線の特急ひたち号に使用されていたボンネットタイプのクハ481型が九州の南福岡電車区、鹿児島運転所から1985年3月14日の国鉄全国ダイヤ改正前までに大挙して常磐線特急ひたち号の配属先になる勝田電車区に転属されて来ました!特急ひたち号の先頭車両が全てボンネットタイプに置き換えられました。当時の国鉄水戸鉄道管理局がつくばEXPO85計画で485系交直流両用特急型電車🚃を日本全国から勝田電車区に転属して来ました。急行ときわ号廃止に伴い451系交直流両用急行型電車🚃を仙台電車区へ転属して485系交直流両用特急型電車🚃を勝田電車区に転属されました。1985年3月14日の国鉄全国ダイヤ改正で常磐線特急ひたち号の受け持ち先が仙台運転所から勝田電車区に転属されました、ボンネットタイプで赤ひげ、赤スカートのクハ481型が九州内の特急有明およびにちりん号の編成組み換えにより特急ひたち号の受け持ち先である勝田電車区に転属されて来ました。非貫通型のクハ481型300番台が秋田運転区、青森運転所に転属されました。常磐線特急ひたち号が12両編成からサハ481型1両を減車してグリーン車1両と普通車10両の11両編成になりました。
The昭和、The国鉄でしたね。当時グリーン車と食堂車が秀逸。晩年は廃車になっていくのが残念に思いました。
485系は交直流両方とも走れるのが強みでした。
北陸新幹線開業前の金沢に特急北越を利用して行ったなあ。往復共3000番台にぶち当たったけど、道中の区間乗車では原型に乗車することも出来たな。
昭和の在来線特急全盛時代を支えた車輛でしたね。私も、とてもお世話になりました。お疲れさまでした。
JR九州になって、485系が、赤色に塗装変更され、今までの国鉄特急色のイメージから、ガラリと変わり寂しい感じがしました。又、赤色塗装なのに、「みどり」とは、違和感を感じ るものがあります。
ジョイのミントで食器を洗うと485系のトイレで用を足した時を思い出しました。鈍行の115系、特急の485系という両方が無くなってしまってなんか物寂しいものがありますね。
昭和40年代から50年代半ば迄、交流電化の主要幹線で12,3両編成でグリーン車、食堂車連結という新幹線と同様なスペックの姿が当たり前だった。当然それ以降新幹線網が拡大した事により、走行距離は短くなり、短編成化、食堂車廃止となった。先のフルスペックの編成、新幹線博多開業直前直後の時期の北陸本線の「しらさぎ」「雷鳥」「白鳥」が当たり前の様に利用した。
良いですね~485形🎉
対応区間すべてを合わせたのが白鳥なのよな
総距離1000キロ超え!スケールのデカさは東京発着の寝台特急にも劣らなかった。宮脇俊三氏も同列車に全区間乗っている。曰く、北前船が陸にあがったようなもの。乗りたかったが…
鉄研で廃止前に乗ったら、宴会が延々続くしかも要所毎に、関係者が差し入れを持ち込むとカオスちくまで行き、海峡、フェリーで帰ると二泊三日の大旅行
大学時代に弘前まで乗りましたよ。新潟から帰りの583系きたぐにと合わせて、良い思い出です(*^-^*)
白鳥は文句なしの長距離特急ですね。700キロ以上走るから。
大阪発白鳥は羽越本線を北上する頃に日没を迎えてからは灯りはまばらで車窓はほぼ真っ暗闇。沿線に大都市の煌びやかな街の灯りは無く、最果てへ向かう無常感が漂う。やがて終点青森が近付く弘前辺りから車掌が連絡船乗船名簿を配り始めると緊張感が走る。
少し前まで新潟今は岡山住まいなので、国鉄特急型の車両には世話になることが多いッス
お父様が「小学生の頃これで東京まで行った」という思い出話聞いて長距離も無問題のタフな車両ですのねって思ってたらお父様がそれ以上にタフでしたわ
485系1500番台は最初わぬ頃北海道経て渡る前に青森運転所に配属されていて(仮配置、表記は、札幌運転区)特急白鳥に使用されていた。また最初の頃は白鳥といなほには、ボンネット型が使われていた。
485系・良いですね! 他に 583系・キハ181も 大好きでした
あれ?地元の方で似たようなやつ走ってなかったっけ?と思ったら伯備線で走ってるのは381系ってやつなのか。しかもあれついこの前、国鉄色リバイバル車両に塗り直されたやつが走ってたから見た目的にはすごくなじみがあるなぁ。
481.483.485.489系の同じような写真を見せて「この車両の特急と言えば!?」って問題をいきなり出してみたいみーんなバラバラだろうけど
写真や本ではなく直では80年代に見ただけです。特急雷鳥が回送で兵庫県明石市の大久保駅に来ていました。どちらか忘れましたが先頭車が普通タイプとボンネットタイプの両方でした。約一時間位停車してその間行き先表示の回転して大阪方面へ戻って行きました。
やっぱり485系が最も特急らしさを感じます。
んじゃ🎵
183系は?
重いのだけが欠点
国鉄色が一番落ち着く
今でも「特急」と言ったら485系が真っ先に思い浮かびます。
同じく
かつての北陸本線では雷鳥、スーパー雷鳥、北越、はくたか、3000番台といろんな色の485系が見れましたね
そこに681系や583系も加わって…金沢駅は本当に飽きない場所でしたね
E7系「やぁ」
683「やぁ」
母ちゃんと一緒に乗った思い出の車両
駅降りて夕方、母ちゃんの後ろに乗って見る田んぼ道が気持ち良くて好きだった
コメを書くのはあまりないですが、いつも拝見しております。見応えある作品でしたぁ。
自分は田舎民ですので、485系グループの中で実際に乗った事があるのは、ひばり号で走った483系と、スーパー雷鳥で走った485系だけです。
電化区間ならどこでも走れる485系も新幹線の新規開通に伴い、旅客列車が非電化されることも増えて彼の活躍した路線も非電化が進んで行き、寂しい気持ちです。。
懐かしいし時代の流れを感じます。長い間お疲れ様ですと言いたいですね。
白鳥を全区間乗り通した父が帰宅して「日本は広い」と感想を述べたのか印象的です。
特急車両の代名詞と言い切っても良い485系にとって、一番の花形列車であったと思います。
今でも、当時無理を言ってでも父に同行すれば良かったと後悔しています😅
こんな素晴らしい車両の歴史の1ページに立ち会えたことは、一生の誇りですね。
20年以上前だけど、札幌から青森まで「はまなす」、青森から「白鳥」に乗ったけど、神戸から姫路までの間に実家があったので大阪まで完乗せずに京都で新快速に乗り換えた。
あと、高校の時にNikonの一眼レフを入手して以降、大阪駅や京都駅で「白鳥」や「雷鳥」、「シュプール」を狙ってた。
営業車としては、国鉄色で1500番台のついたT-18?K-18?編成を富山での「北越」で押さえたのが最後だったと思う
小学生の頃の、絵柄ヘッドマークになり、グリーン車2両、食堂車連結の12両雷鳥、しらさぎがいちばん好きだった。
その中で、当時青森持ちで13両だった白鳥は、やはり何か別格だった…
485系と言えば東北・上越新幹線が開業する前の上野駅が本当に印象が強いですね。
鶯谷で眺めていて飽きなかったです。
俺は今51歳
初めて国鉄の特急列車に乗らせてもらったのが、1978年8月20日大阪駅午前9時5分発の金沢行きの雷鳥号でした
福井まで両親に乗せてもらいました😆
夏休みにはいったときからワクワクドキドキが止まらなかったです。
485系が大阪駅11番ホームに入線した時の鼓動は今もこれからも忘れる事は無いでしょう🤣
最近新しい電車も出てきましたが私の中でのTOPは485系です! 国鉄色とのベストマッチが好きすぎる
ある意味、万能列車ですね!😊😊
485系の中には、外観を大きく改造された『485系3000番台』もあったなぁ。
かつて、函館・青森〜盛岡間の『はつかり』、函館〜八戸(東北新幹線の八戸延伸時は青森まで短縮)の『白鳥』も運行されていました。
北越急行のはくたか用に上沼垂区所属もあったね
私にとってはみのり、くびきでした
赤倉の長野行の方が利便性は良かったのだけど
両親が金沢出身なんで雷鳥にしか乗ったことがありませんが、親父と食堂車でなんか食ったのはいい思い出。
鉄道ならではのよい思い出。
田舎が会津だから夏休みにあいづ号に乗って行ったなぁ…
今走らせてもかなり席埋められると思うから運行してほしいなぁ
ボンネットタイプが子供の頃から大好きで、ワンワン特急と呼んでました。
オッサンになった今でも見かけると「ワンワン特急だ」と思わず言ってしまいます(笑)
485系1500番代が頓挫したのは寒さではなく雪のせい。
国鉄も知っていて781系までの繋ぎとしながら485系として取り得る最大限の対策を行ったものの通用しなかった。
つまり、冬の北海道で安定して走れた711系と781系はマジで凄い。
半導体技術の賜物ですね!(^0^)
ベースとなった車両の違いですね。本州用の485系に酷寒地対策するのと、最初から酷寒地用の711系をベースに製作した781系。言うなれば血統の違いですかね。
今でこそ気候変動で道央でも湿った重い雪が頻繁に降雪するようになったが
昔は乾いたサラサラの雪が降る事が殆どで粉雪が床下や車内にも侵入していた
183系気動車も凄いと思う。さらには粉雪対策を施した制御振り子を搭載した281系、進化系だった283系気動車も
凄い。さらに言えば、苗穂の職人も凄い。
適材適所ではつかりとしてはぴったり。
あと整流器か何処かに使われているものが毒性が強かったとか。
うろ覚えですみません。
あとキハ80系にあった食堂車がキハ183系では無かった。
特に北海道用でなかったキハ80系。
はつかりがっかりだけど、素晴らしく思います。
常磐線の特急ひたち号に乗車している途中の取手ー藤代間で直流から交流に流れる電気が切り替わる為一度室内灯が消えて再点灯するのが特徴でした。
ボンネット型と貫通式型がやっぱりカッコいいと思うね。😀
一番お世話になった特急は有明号でした。
北海道における485系は、「いしかり」だけでしたが、一度も乗ることなく終わったので、東京ミニ周遊券で卒業旅行した時、東北新幹線開業前に初めて乗れた「はつかり」が思い出深いです。
その時乗った編成に1両だけ1500番台が混じってて思わず笑みがこぼれましたね。
グリーン車を通って食堂車に行ったら満席で、利用をあきらめたことが心残りでした。
ありがとう485、君との一期一会は忘れない。
現在の新幹線ではつかりやいしかりのネーミングが復活してほしいですね。
うぽつです。
485系といえば、昔、ひたちに乗りたかったけど、結局乗れずじまい。といったイメージから、雷鳥やしらさぎといった北陸線の特急で、ひたちの無念を晴らす形で乗りまくった思い出が有ります。
魔改造の回でコメントした、113+485=415+183の事を取り上げて頂き有難うございます。
個人的ですが、明日、KATOのボンネット買うのが楽しみです。
自分が3歳の頃、仙台に引っ越しになり、当時「ひばり」として走っていた485系がこの列車との出会いでした。当時はやまばと、つばさ、やまびこ、はつかりとともに東北本線を彩った特急たちで、特急と言えばこの系統という印象が強いです。
仙台なら「ひたち」もやね
自分の子供時代は「くろしお」は381系で自分の中で特急と言えばこれの為485系にはほぼ縁が無かったのですが(新大阪あたりで「雷鳥」を見た時に「くろしお」の親戚みたいなのがいると思った事が)後に183系化されて「まいづる」として東舞鶴⇔京都を走ってた時代には舞鶴で海上自衛隊にいたので休日に大阪へ行く時に大変お世話になりました。
乗れずじまいだと思ってたら北越に乗ったことがあったのを思い出した。489系まで含めたら能登も。
485系といったらはつかりと雷鳥のイメージが強いし、この2列車のヘッドマークが一番似合うと思う。
同じ意見です。
『一番よく似合う』を通り越して、別格ですね。
485系は全盛期の時代は最大12両編成で食堂車も連結されていて正に特急の王道でしたね。
分割民営化後の話ですが、583系と組んで14両貫通編成のシュプール号、という編成もありました。ホームに入りきれずドアカットされた駅もあります。
「シュプール妙高・志賀」では583系と485系が先頭車同士で幌を繋ぎ合わせた編成の他に、583系の中にモハ484+485を1ユニット組込んだ編成もありました。
@@kiha110oykot何でそんなの知ってるとか
@@シュウ-y2p
運行当時その編成が回送・留置されていたのをよく目にしていた。
また、作ってくれないかなぁ
現代版485を
性能や経歴を見た感じだと683系やE653系とかが当てはまりそうですよね
JR九州の特急有明で、783系がデビューした時は時刻表に「ハイパーサルーンで運転」と書いてあり、書いて無い列車が485系L特急有明でした。
当時は最新型に乗りたくて783系ばかり乗っていて、783系の指定席が満席だった時だけ渋々485系の特急有明に乗っていました!😅
今思えばこれから活躍する783系より引退していく485系に沢山乗っておけばよかったなと後悔しました😢
でもその後鹿児島~宮崎のきりしまで乗り納め出来て良かったです♪♪
プラレール の影響もあるけど、この車両を見るとL特急というイメージが強い
子供の時(山陽新幹線博多開業直後)に、国鉄特急図鑑みたいな本を見ていて、ほとんどの中・長距離のL特急が「485系」だった。おまけに大抵の列車が食堂車連結・営業。今思い出すと懐かしい。
583系好きにしてみれば485系はハズレ。485系はつかり俺がっかり。
一般利用者には真逆で583系がハズレ扱いだったけど。何にせよ懐かしい。
@@tomohikoo8949 どっちの雷鳥も乗ったけど、ハズレなんて考えた事なかったなぁww
なんせ本数多かったから、485系のボンネットも全面ドアの連結も、583系運用も、
一日何本も走ってましたからねぇ(#^^#)
中学の頃にわざわざ新大阪~京都間だけの移動に乗ったりして楽しんでましたwww
リゾートやまどりのクハが181系サロだったように数が多いからカオスなことになっていたんですね!
485系は、先頭車両の種類豊富で、いいですよね
ボンネット型、貫通型、非貫通型、簡易貫通型、加えてパノラマカーに3000番代のリニューアル顔・・・個人的には邪道と言われそうだけど簡易貫通型がけっこう好き。
昭和40年代生まれの私からすると、特急(L特急)はこの形の車両が思い浮かびます。
L特急。
もはや死語。
まあE電よりはマシ、
485系といえば、新宿から新潟方面へ行く快速ムーンライトえちごと、その間合い運用の快速フェアーウェイも名列車でした。
博物館で再開したときには心の中で長い活躍をねぎらってあげたいと思います。
大学生の時新宿駅で見たな
昨年末、半世紀以上に渡り日本中から愛された汎用特急485系の歴史にとうとう幕を降ろしましたね🙏 長期に渡って増備され、転用や改造を繰り返した事で、細部を含めると一体幾つのStyleを持つか、車両の改造経緯等、長年の鉄道ファンであっても解らない程、幾多の顔を持つ車両でした(かく言う私も全く解らない😅)。うp主さんも仰る通り、片方だけがボンネット顔の編成は雷鳥号等でも多く見られ、両端が異なる顔を持つ実に面白い編成でしたね😆民営化直後には、派ッ手な色に塗り替えられたり、東日本では様々なジョイフルトレインにリノベーションされたりと、🇯🇵日本列島🗾も華やかになっていましたしね💐✨
181からの変態改造好きでした
489、189みたいなのも
食堂車連結の485系が好きだった。
国鉄特急の代表のような車種だったのですね
子どもの頃に母の帰省に付いていって、関西から新幹線で博多乗換で「かもめ」「みどり」に乗った事があります
小学校の頃に祖母がなくなり、自分も大人料金扱いになり苦笑、「くろしお」と「やくも」は旅行や出張で乗った事がありますが、それは485ではなかったのですね
東京へ転勤する前に、京都→大阪だけ「雷鳥」に乗ったのが最後だと思います
乗りたかったけど、あまり乗れなかった、自分の中ではちょっと特別な特急でした
ありがとうございました
白鳥は、全区間乗ったわけではありませんが、直江津から青森の間は乗っています。
新潟から青森までだけでもかなりの長距離でした。
私は、23年前に兄が越後長岡の国立大学に通った事で特急白鳥号を青森〜長岡間を利用したことがありました。
しかし、越後長岡へ向かう途中に弘前駅周辺で架線トラブルで到着が大幅に遅れました。
けれども、特急白鳥は自分にとって『一期一会』でした。
「白鳥or485系名物・3電源対応」とは?>
何しろ直流区間はともかく、「白鳥」廃止5年7ヶ月半後の敦賀~糸魚川間の交流60㎐区間、そして村上以東の交流50㎐区間まで走れるという万能車で、異なる電源のみならず異なる交流区間の周波数の差異にも対応できるのが特徴です。
東北・上越新幹線開業で、東北方面の車両が大量に九州へ転属になった。このような転配が可能だったのは485系の能力が役に立った。また九州へ転配された結果、「かいもん」「日南」「出島」「弓張」といった急行が廃止され、485系の増発特急に格上げされた。また489系は少数でありながら、先頭車が「こだま」形ボンネットから、183系同様の形へモデルチェンジする時期だったので、両形式先頭車が見られた。
出島弓張懐かしい!廃止前に博多〜長崎乗りました
雷鳥、北越といった北陸特急でお世話になった1番好きな車両。お疲れ様でした。
485系は九州の真っ赤なやつがやっぱり印象に残ってます…それと同時にきりしま色や国鉄色、ハウステンボス色もいい存在でした! 九州の485系はいろいろな特急で走っていましたが、特急にちりんって言う名前は485系が相応しいって僕は思います!
これも日豊本線にはこいつが必要だよなー
あの真っ赤な電車いいよなー
@@大坂孝幸 日豊本線大分以南の特急に885.883来たらおもろいかも
まだ私の頭の中は非電化でDF50が彗星や富士を牽引している時代で止まっています。
にちりんはディーゼルと国鉄色電車までかな?あの真っ赤はわざわざ整った国鉄色を変な色にするかなぁとは感じてました。
山陽本線に直通していた頃は食堂車を連結し営業している列車が多かったが
九州島内になってからは連結しても休止になりやがて編成から抜かれて
編成は年々短くなり民営化直前に改造半室グリーン車にした3両編成が登場した時には愕然とした
485系、私にとっては最も思い出深い特急車両です。中学生の頃、祖母が倒れて看病で上野からつばさ号で秋田まで行った事を覚えてます。当時12両編成、食堂車も連結されていました。
富山地鉄の旧元西武5000系の機器が485系の転用でしたよね
別の形ですが現役で有り続けていると
私が子供の頃の特急といえばこの電車でしたね😄
おおー。栄光の485系!!国鉄型特急全滅か?と思いきやまだ381系か残ってる!これは乗りに行きたいな。
485系、首都圏で育った自分のイメージはやはり上野駅。
ただ一度でいいから、大阪から青森までを乗り通してみたかった。
私は鉄ではありませんがとてもわかりやすかったです。
東北新幹線開業前にこの車両で横浜から長い時間かけて一ノ関そして平泉に行きました、感謝しています。
ヒゲが付いたボンネットタイプのクハ481はヤル気満々って感じの顔でカッコいい!
地元では見かけませんでしたが、名古屋でしらさぎを見かけたり、東京であさまやひたちに乗ったり、国鉄末期に青森から白鳥に乗ったのが懐かしいですね。
485系こそ電車特急のエースで万能選手ですね。クロ481形は東北で生まれ九州で育った形式ですね。ひばり、ひたち、あいづなどに連結されていたが九州のみどり創設時に半数ほど九州に行きその穴埋めとして先頭車は貫通形、非貫通形の200、300番台が入り片ボンネットの編成が生まれました。そして57年11月改正で残り全部が九州に行ってしまいました。今では考えられない車両転配ですね。
父の実家が会津だったので、その昔「あいづ」ボンネット型のグリーン車に何回か乗りました。
1回「あいづ51号」で夏休み、1号車グリーン車の冷房装置が故障して、通路に氷柱を立てて会津若松まで行きましたね。
@@高橋靖-x1m 冷房の故障は大変でしたね。
19:39 783系がまじでかっこいい
スキー旅行で長岡から糸魚川まで乗った特急北越に乗ったことがあります。
どこでも見れた時代が遠い話というのは、いい時代ですね。
そして未だに引退をする気配が見えない元東急7000系・7700系が走っている。
学生時代から社会人になるまで485系は在来線特急でよく乗った車両だった。
1番の思い出は青森から大阪まで乗り通した「白鳥」かな。始発駅から終着駅まで乗り通したから、周辺の人達からビックリされた。
引退は惜しいけど、昭和、平成、令和と、よくぞここまでと言うぐらい長く活躍した車両は余り無いのでは?むしろ「長く走ってくれてありがとう、お疲れ様」と言いたい。
今ではトミーの485系Nゲージを部屋で走らせて懐かしんでる。
昔、東北本線では、
黒磯あたりで一瞬電気が消える。
交流と直流が切り替わるところ。
485系L特急ひばりややまびこ、やまばとなんかに乗ってると、
切り替わっていたのをおぼえてる。
国鉄時代の485系と583系が好き
古い車両をいつまでも使うのはJR西日本の得意技と思ってたけど
485系はJR東日本のほうが末永く大事に使ってたんですね
ちょっと意外でした
飛ばすためなら新快速も117系から221系を経てあっさり223、225系体制にしてしまったところですから。特急も全部サンダーバード顔にしたかったんでしょうね。
手厚い手入れをしていたが長距離高速運転と雪害と塩害で初期車を中心にボロボロになっていた。
民営化前後に延命工事したのも効いていたが、
整備新幹線及びスーパー特急構想の影響で京都と金沢所属車は想定より長期間使用される事になった。
JR東日本では21世紀の直前になった頃に大規模修繕しちゃったからね
その代わり車内や快適性はその頃の最新鋭E653やE257と比べても遜色ない仕上がりまで進化してた
違うことといえばデッドセクション通過時に室内灯は消灯してしまうことくらい(但しLED表示器は点灯したまま)
東日本で生きながらえたのは、青函トンネル対応車と、60Hz区間に乗り入れる「北越」運用のある新潟車を、それぞれ新幹線開業まで持たせないといけなかった事情が大きかったわけです。あとは波動運用の需要が他社より大きかったことも。
しぶとく485と583が生き延びたのもネズミが棲んでいる夢の国への団臨需要があるのも一因
13:55 で説明された勝田区でひたちとかで使っていたボンネット編成がそのままの姿で有明で使われていて、ひげってあだ名で呼ばれていた。
その後、レッドエキスプレス塗装になって最後の方まで活躍していた。
少し前までは熊本に所属編成がないのに熊本鉄道事業部熊本運輸センター川尻派出(川尻駅測線扱い)には頻繁に南福岡所属のにちりん編成のような国鉄色編成や大分のDo3~6、31、Dk16などK&H色編成などが疎開留置されていて中々見応えがあった。
485系が東武鉄道で走ったのはびっくりしたわぁ
全国の電化区間で必ず見て乗った特急型電車。
日本を代表する特急型だと思います
国鉄特急形電車485系が1番好きな車両です❤
485系はキングオブ特急電車
こだま型のボンネットタイプでデビューした
その後、貫通型と非貫通型が現れる
四国、山陰以外の日本各地に走破した歴史の長い名車
札幌(札サウ)、青森(盛アオ)、秋田(秋アキ)、仙台(仙セン)、
金沢(金サワ)、向日町(大ムコ)、南福岡(門ミフ)、鹿児島(鹿カコ)と日本各地に基地を持った全国規模の特急電車だった
個人的に北の玄関口の主役と言って良かった存在で、私が関東に移住するときに初めて乗った「電車」でもあります。
トーマスの第一話のDVDもってます。昔のゴードンは結構威張ってましたからねぇ。ヘンリーの方がかなり丸くなってますよ!
485系、東北新幹線開業前に、私の地元を走っていた特急はつかり・やまびこ・つばさ・ひばり・やまばと・あいづなどボンネット、貫通型、非貫通型と列車がくるたびに楽しんでいました。特に、前後ボンネット型の時は嬉しかった思い出があります。
特急はやはり485系が格好いいです!
485系は中間車に先頭車を付ける、改造車も独特でしたね。
例を挙げるとしたら、九州のクロ480やクモハ485。ひたちやあいづの上野側のクハ481ー1100番台とか。
485系はシャッター式のタイフォンですが、改造車は581系の様なスリット式で一部はタイフォンカバーを付けてた車両もありましたね。
11:34向日町時代のクロハ181。ヘッドマークの幕式改造、連結器カバーの赤塗り。後に普通のクハに改造されるまで短期間の貴重な写真。初めて見ました。
485型特急電車は万能でした。
型ではない。
やっぱり自然振子方式の381系しなの号に限るね。485系?交流特急の末期にJR九州で運用されてましたね。熊本有明号や日豊線にちりん号、長崎かもめ号と佐世保みどり号です。本州内はしらさぎ号だけで他は一切知りません。
151系がゴミなだけです。MT46シリーズはダメっすね。471系とか特に
動画にはなヵったけど583と繋がれ開かずの扉が使われたシュプール号、富山地鉄に乗り入れたスーパー雷鳥、489系は3電源を生かした山陽特急等、鉄道ファンなら忘れてはならない!名車、ありがとう485系。
489系が山陽走っていたのですか。
びっくり。
@@tydeentetuota5514 さん
489系は先頭車がボンネットのグループが最初は向日町運転所に配属されたので、485系と共通で山陽特急に充当された事もあったのでしょうね。
(金沢に配属されたのは「白山」デビュー翌年の1973年)
また、レッドアローyさんが挙げたJR西日本の「シュプール妙高・志賀」は、485系と583系の先頭車同士が貫通幌を繋ぎ合わせた編成の他、583系の編成内にモハ484+モハ485を1ユニットだけ混結した編成も充当されていました。
直流から交流の切替ポイントのデッドセクションでは、車内の照明が消える。西村京太郎のトリックに使用されていた。
改めて一番485系が好きでした。
日本を築き上げた一員。国宝。
国鉄型の交流直流両用電車は、直流電車に整流変電所を増設搭載した構造なので、50Hz用のトランスを搭載すれば基本的に60Hzで動作できるはずの物です。トランスの鉄心重量が周波数反比例なので、周波数が高い方向には動作できて、降圧+整流だけなら50Hz用は50/60Hz共通に使えるのが基本です。
家電製品の蛍光灯やモータは直の交流動作なので50/60Hz周波数別に設定が必要で共用できません。インバータ型は一旦直流にするので、50/60Hz共用になります。
国鉄の偉いさんがそれ(50Hz用が60Hzで使えること)に気付かず、交直両用車も家電並みに50/60Hz仕様の発注を掛けたことで60Hz専用が出来てしまいましたが、暫くして気付いて、50Hz専用機の新型は現れなくなり50/60Hz両用仕様ばかりになりました。
そこは先輩のポカなので後輩が触れてはならない国鉄型タブーとなっているようです。
東京都電の廃止で不要になった変電所のトランスが長崎市電に譲渡されたのは50Hz→60Hzだったから可能になったこと。
九州の交流専用化編成がウッカリ下関行き運用に入ってしまって関門トンネル手前で運転を打ち切った珍事もあったなあ。
新幹線ができる前の仙センの485系は青森寄りがボンネット、上野寄りが電気釜の編成が多く見られ面白みがあった反面、1000番台で揃えれた秋アキの編成は変化に乏しかった。盛アオは僅かな期間クハ481-100の配置があった様だが直ぐ電気釜に変わり後に1000番台も入る事になり種類は増えていった。583系も最初入っていたクハネ581に変わりクハネ583に変わった。
485系は1000番台はツバサで乗りましたね
3000番台は白鳥で乗りました
特急電車と言えばコレって言うお馴染みの型式でしたね。
快速くびき野号や快速ムーンライトえちご号でお世話になったな。夜遅くに新宿駅または池袋駅で新潟の485系を見た時の安心感は半端じゃなかった。485系のモーター音も好きだったな。古い車両なんだけど音が静かだったし。快速くびき野号はホント乗り得列車だった。当初は4両編成の485系で運転だったけど利用客数がかなり好調だったから6両編成化された。普通乗車券だけで特急北越とほぼ変わらない(宮内停まるか否かの違いだけ)停車駅の列車だったからホント廃止がもったいないと思う。後継の特急しらゆきも快速しらゆき(指定席1両自由席3両)にしておけば乗客が伸び悩むことなんてなかったのに。
485系は長距離列車のイメージがあります。JR九州でも小倉~西鹿児島間の長距離特急のにちりんがありました。
今はソニック、にちりん、きりしまに分類されています。
一応、国土交通省では700キロ以上を長距離、300〜700キロが中距離、300キロ以内が近距離のようで。
日豊本線が約463キロ。
にちりんシーガイアの走行距離は約413キロ。
なので長距離ではなく中距離ですね。
ボンネット型前面の485系が、特急らしい特急で大好きです。大阪駅で、「雷鳥」号をよく見に行きました。
高崎から上野まで185系の新特急だと1時間25分くらいかかるのに485系のL特急は1時間10分前後で爆走してくれて新幹線が高くて速さが微妙なのでよく乗ってたなぁ
国鉄の顔だと思います❤
0系新幹線と同じくらいの名車🚃だと思います❤
🇯🇵の経済発展を支えて下さってありがとうございました🙇🇯🇵
常磐線の特急ひたち号に使用されていたボンネットタイプのクハ481型が九州の南福岡電車区、鹿児島運転所から1985年3月14日の国鉄全国ダイヤ改正前までに大挙して常磐線特急ひたち号の配属先になる勝田電車区に転属されて来ました!特急ひたち号の先頭車両が全てボンネットタイプに置き換えられました。当時の国鉄水戸鉄道管理局がつくばEXPO85計画で485系交直流両用特急型電車🚃を日本全国から勝田電車区に転属して来ました。急行ときわ号廃止に伴い451系交直流両用急行型電車🚃を仙台電車区へ転属して485系交直流両用特急型電車🚃を勝田電車区に転属されました。1985年3月14日の国鉄全国ダイヤ改正で常磐線特急ひたち号の受け持ち先が仙台運転所から勝田電車区に転属されました、ボンネットタイプで赤ひげ、赤スカートのクハ481型が九州内の特急有明およびにちりん号の編成組み換えにより特急ひたち号の受け持ち先である勝田電車区に転属されて来ました。非貫通型のクハ481型300番台が秋田運転区、青森運転所に転属されました。常磐線特急ひたち号が12両編成からサハ481型1両を減車してグリーン車1両と普通車10両の11両編成になりました。
The昭和、The国鉄でしたね。当時グリーン車と食堂車が秀逸。晩年は廃車になっていくのが残念に思いました。
485系は交直流両方とも走れるのが強みでした。
北陸新幹線開業前の金沢に特急北越を利用して行ったなあ。往復共3000番台にぶち当たったけど、道中の区間乗車では原型に乗車することも出来たな。
昭和の在来線特急全盛時代を支えた車輛でしたね。
私も、とてもお世話になりました。お疲れさまでした。
JR九州になって、485系が、赤色に塗装変更され、今までの国鉄特急色のイメージから、ガラリと変わり寂しい感じがしました。又、赤色塗装なのに、「みどり」とは、違和感を感じ るものがあります。
ジョイのミントで食器を洗うと485系のトイレで用を足した時を思い出しました。
鈍行の115系、特急の485系という両方が無くなってしまってなんか物寂しいものがありますね。
昭和40年代から50年代半ば迄、交流電化の主要幹線で12,3両編成でグリーン車、食堂車連結という新幹線と同様なスペックの姿が当たり前だった。当然それ以降新幹線網が拡大した事により、走行距離は短くなり、短編成化、食堂車廃止となった。先のフルスペックの編成、新幹線博多開業直前直後の時期の北陸本線の「しらさぎ」「雷鳥」「白鳥」が当たり前の様に利用した。
良いですね~485形🎉
対応区間すべてを合わせたのが白鳥なのよな
総距離1000キロ超え!
スケールのデカさは東京発着の寝台特急にも劣らなかった。
宮脇俊三氏も同列車に全区間乗っている。
曰く、北前船が陸にあがったようなもの。
乗りたかったが…
鉄研で廃止前に乗ったら、宴会が延々続く
しかも
要所毎に、関係者が差し入れを持ち込むとカオス
ちくまで行き、海峡、フェリーで帰ると二泊三日の大旅行
大学時代に弘前まで乗りましたよ。新潟から帰りの583系きたぐにと合わせて、良い思い出です(*^-^*)
白鳥は文句なしの長距離特急ですね。
700キロ以上走るから。
大阪発白鳥は羽越本線を北上する頃に日没を迎えてからは灯りはまばらで車窓はほぼ真っ暗闇。
沿線に大都市の煌びやかな街の灯りは無く、最果てへ向かう無常感が漂う。
やがて終点青森が近付く弘前辺りから車掌が連絡船乗船名簿を配り始めると緊張感が走る。
少し前まで新潟
今は岡山住まいなので、国鉄特急型の車両には世話になることが多いッス
お父様が「小学生の頃これで東京まで行った」という思い出話聞いて長距離も無問題のタフな車両ですのねって思ってたらお父様がそれ以上にタフでしたわ
485系1500番台は最初わぬ頃北海道経て渡る前に青森運転所に配属されていて(仮配置、表記は、札幌運転区)特急白鳥に使用されていた。また最初の頃は白鳥といなほには、ボンネット型が使われていた。
485系・良いですね!
他に 583系・キハ181も 大好きでした
あれ?地元の方で似たようなやつ走ってなかったっけ?と思ったら伯備線で走ってるのは381系ってやつなのか。
しかもあれついこの前、国鉄色リバイバル車両に塗り直されたやつが走ってたから見た目的にはすごくなじみがあるなぁ。
481.483.485.489系の同じような写真を見せて
「この車両の特急と言えば!?」
って問題をいきなり出してみたい
みーんなバラバラだろうけど
写真や本ではなく直では80年代に見ただけです。
特急雷鳥が回送で兵庫県明石市の大久保駅に来ていました。
どちらか忘れましたが先頭車が普通タイプとボンネットタイプの両方でした。約一時間位停車してその間行き先表示の回転して大阪方面へ戻って行きました。