関西本線柘植駅1972年頃

Поділитися
Вставка
  • Опубліковано 3 гру 2024

КОМЕНТАРІ • 30

  • @利-y8w
    @利-y8w 27 днів тому

    八尾の親戚に身を寄せていた夏休み、草津線で柘植経由で帰ろうと画策。時刻表もろくすぽ引かず乗車、まさかこんなに時間がかかろうとは!帰宅が深夜に及び、伯母にこっぴどく怒られました。
    柘植から乗車した関西線、あまりにものんびり運転で心細くなってしまった。
    草津線は旧型の客レ、関西線はキハ35、奈良からは113系でした。

    • @tetsu-jiiji
      @tetsu-jiiji  26 днів тому

      伯母さまにご心配をかけてしまいましたね。柘植-木津間は距離は短いですが線形も心理的にも遠い区間です。今でも、陽が暮れてから乗るのに抵抗を感じる区間です

  • @merumaron
    @merumaron 29 днів тому +1

    駅舎の向こう側にあるハエタタキ懐かしいです。

    • @tetsu-jiiji
      @tetsu-jiiji  28 днів тому +1

      いつかすっかり姿を消しましたね。

    • @merumaron
      @merumaron 28 днів тому

      中在家の素通りも物足らないですね。

  • @futon_hosu1661
    @futon_hosu1661 29 днів тому

    1970年万博の時、関ロッジ(国民宿舎)に泊まりました。拓殖方面の加太超えに挑むD51の白煙が窓からよく見えたのを思い出しました。0:16 の背景、キハ35(30)と45(23かも)の連結がこの辺りで見られたというのも貴重な1枚。

    • @tetsu-jiiji
      @tetsu-jiiji  28 днів тому +1

      山々に汽笛がこだまして、爽快だったでしょうね。
      当時はキハ35がやたらにいました。天王寺から快速で走ってきて、ロングランしていました。

  • @関目高殿-d3m
    @関目高殿-d3m 29 днів тому +1

    大回り乗車でお世話になったな…

    • @tetsu-jiiji
      @tetsu-jiiji  28 днів тому +1

      関西1デイパスでも柘植駅まで乗れました。関西1デイパスは無くなってしまいましたが・・・

    • @孝一郎巽-s3o
      @孝一郎巽-s3o 27 днів тому +1

      @@tetsu-jiiji 今でも関西1デイパスは発売していますか教えてください、

    • @tetsu-jiiji
      @tetsu-jiiji  27 днів тому +1

      JRから公式に発売中止の案内は出ていませんが、発売されないのでなくなったのだと思います。

  • @ぽんこ-f8u
    @ぽんこ-f8u Місяць тому +4

    明治23年開業とも言われる立派な駅舎を大切にしてほしいものです
    プレハブみたいな簡素な駅舎になるのは勘弁。

    • @tetsu-jiiji
      @tetsu-jiiji  29 днів тому +1

      古い木造駅舎が今でも現役のようです。もはや文化財級の建物ですから、これを建て替えたりせず集客に活用してほしいですね。

  • @ゆうゆう東海
    @ゆうゆう東海 Місяць тому +4

    加太越えをする機関助手はさぞかし地獄だったと思います。

    • @tetsu-jiiji
      @tetsu-jiiji  29 днів тому +3

      煤煙が運転室に入りにくくするために、列車が入ったらトンネルの口に幕を下ろしていたそうですね。列車がピストンのように空気を押し出し、陰圧にして煤煙を後ろに逃がすのだそうです。

  • @鵺屋敷の管理人鵺太郎
    @鵺屋敷の管理人鵺太郎 Місяць тому +2

    加太越えがあり、単線非電化が災いして、東海道本線みたいに発展しませんでした。昔は湊町から東京を結ぶ急行「大和」号が走ってました。
    時刻表で関西、草津、奈良、桜井、和歌山、紀勢各線のダイヤを見るのが好きでした。
    今、柘植から草津線経由で網干まで電車が走ってるとか。
    スライドで懐かしの腕木式信号機が映ってました。

    • @tetsu-jiiji
      @tetsu-jiiji  29 днів тому +1

      JR西日本の「関西1デイパス」というフリー切符に柘植駅が周遊区間に入っていました。発売は終了したようですが、よく利用して柘植に立ち寄りました。もっとも下車することはなく、草津線から関西線に乗り換えるだけでしたが、ディーゼルに乗れて楽しかったです。

  • @hassiemozart
    @hassiemozart Місяць тому +3

    柘植駅、良いですね!あの機関区?とターンテーブルが良かったでね!私は関西本線の最後のSL(D51重連回送)は柘植駅で見送りました。本当に懐かしいです。また訪れたいと思います。

    • @tetsu-jiiji
      @tetsu-jiiji  29 днів тому +1

      柘植の機関区(駐泊所)へは訪問せず、遠くから見ただけでした。加太越え用の補機(D51)が休んでいたのでしょうね。

  • @bictaka29
    @bictaka29 Місяць тому +3

    ジャンクションとはとても思えない風景ですね。ホームも嵩上げされる前で、とても低い。草津線だけは、京都方面に乗り入れる電車も走るなどまあまあ近代化されましたね。

    • @tetsu-jiiji
      @tetsu-jiiji  29 днів тому +2

      草津線の電車が発着しているので利便性はまずまずですが、雰囲気・利用者数ともに大変なローカル駅です。

  • @久保隆史-p7v
    @久保隆史-p7v Місяць тому +2

    近くの公園に静態保存されてますね。転車台の跡もありますよ

    • @tetsu-jiiji
      @tetsu-jiiji  29 днів тому +1

      久しぶりに見に行きたいです。

    • @吉岡弘毅-g2n
      @吉岡弘毅-g2n 29 днів тому +1

      保存車両やったら九条ニモ有ります。

    • @久保隆史-p7v
      @久保隆史-p7v 29 днів тому +1

      @ あ、例の社長の道楽ですね。^^;

    • @吉岡弘毅-g2n
      @吉岡弘毅-g2n 29 днів тому +1

      すみません、大阪市西区(言うても感覚的には港区)の九条です。
      中央大通りに面してます。
      地下鉄中央線からも見れると思います。

  • @稲岡敬二
    @稲岡敬二 Місяць тому +4

    この頃,京都始発急行[くまの]で尾鷲を訪れたが関西線に🚂が走っていたとは意外です。
    1972年なら153系[新快速]が運転されており関西線,草津線との落差が著しいですね💦

    • @tetsu-jiiji
      @tetsu-jiiji  29 днів тому +2

      1972年の時点では、関西本線の方が近代化が進んでいたようです。とは言ってもキハ35が主力で幹線の風格は既にありませんでした。

  • @浮草-t7j
    @浮草-t7j Місяць тому +3

    当時はまだまだお若かった筈なのに、ショットの切り取り方がプロはだしですね。フィルムが貴重な時代で構図が実によく練られていると思います。また当時これだけの望遠レンズをお持ちと云う事が羨ましい限り。懐かしくいい写真ばかりです。被写体の周囲に人が映り込むのを嫌う撮り鉄が居ますがあれは情操感の無い邪道写真家だと思います。時代の風俗を後世に残す証言者たる写真の真意を理解していない無味乾燥の写真になってしまいます。目障りだから樹を切るとか構築物を破壊するとか道行く人々に邪魔だと罵声を浴びせるとか・・・人としてもはや屑です。撮り鉄も、鉄じいじさん、エルスケン、宮本常一、入江泰吉等々の時代の証言者になってほしい。

    • @tetsu-jiiji
      @tetsu-jiiji  29 днів тому +1

      ありがとうございます!
      望遠レンズは持っておらず、標準一本で全て撮影していました。望遠に見えるのはパソコン上でトリミングしたものです。(フィルムも大袋入りの激安品などを買っていました)
      とんでもない人と並べられて穴があったら入りたいです。