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確かに日本の蒸気機関車には除煙版が似合う気がする
E型を名乗るSL自体が珍しいのに、キャブフォワードも国産でも珍しいのにさらにデフレクターまでも取り付けられなかったという徹底的に珍しいづくしだったとは…。
こう考えると、大正時代に量産されて最後の方まで使われた9600や8620は本当に幸せな機関車だったな。
青梅鉄道公園、最近屋外保存の車両に屋根をかける工事が行われています。E10とC11は未だ屋根が付いていませんが、先週行った時には隣のクモハ40が屋根の設置工事を行っていたので、近いうちにE10も屋根付き展示になりそうですね。逆に屋根なしの状態で写真を撮りたい方は早めに撮っておいたほうが良いかも。
青梅鉄道公園まで拝見しに伺いました。小ぶりな施設ではありましたがあんなお安い値段で、貴重な車両たちが見られて最高ですねあそこは
青梅交通公園に昔行った時なんでこれだけ左じゃなくて右なんだろうねとか親と話していたがこういう経緯があったとは・・・激動の時代の激動の機関車ドラマいいですね。
E10を初めて見たときの感想。『車輪多いっ!!』『車輪ちっちゃ!(C57とかと比べて)』『ずんぐりむっくり!!』今となってはすげぇ機関車やな。
e10を初めて見た時「ボイラーでっか!」「ナンバーちっちゃ!」
E10ってタンク式ながらもデカイから他の機関車にはないかっこよさがあるな。
動輪が5つの機関車が日本にあったことを初めて知りました。やっぱり動輪が多いとロマンを感じますね😍😍😍
E10型は設計上の問題で先輩の4100型や4110型の方が重宝されたと聞きました。実際各地を転々としたのはどこの車両区でも扱いづらくて追い出しが激しかったからだと言われておりますし。
E10けっこう見た目好き
E10、つくづく不遇な形式だった。国鉄最後の新製蒸気機関車だったのに…(名車C62は改造名目で登場した)。この蒸気機関車の流転の生涯を自分の人生に重ね合わせている者も少なくないのでは?(苦笑)
4:19から私の自作曲を使用して頂き、ありがとうございました! やはり他の方の動画で自作曲が流れると感動します…!鉄道については全くの素人ですが、分かりやすい解説とロマンを感じる濃密な内容で、とても楽しく視聴させて頂きました。それぞれの時代や環境に応じての構造の変遷などは、とても面白そうですね!また使えそうな曲がありましたら、ぜひお声がけください♪ありがとうございました!
青梅でこのE10を見ると小山のような巨大さに圧倒されます。同じタンク機でもC12などとは対極ですね。ただ、特殊な機関車がその用途を喪失したり少数派であることの悲哀さをこの機関車は見事に表現してしまってます。こんな薄幸な形式も珍しいですが、皮肉な事に、より車齢の古い4110の方が後年まで活躍した辺りは8620とC50の関係にも通ずるものを感じます。
それを言うなら9600とC58も。
まさか後ろ向きに進むとは思わなかった・・・ そういえばC12やC56なんかも後進運転想定して見やすくしてるみたいですけどあれらはキャブフォワードにはならないんですね
新作投稿谢谢茄子!キャブフォワード解除後は、珍しい右運転台になったってのがカッコイイ
昔炭鉱で働いていたおじいちゃんが4110型の話をしてくれたなー。
マイクロエースが、以前、E10や4110のNゲージモデルをだしてた。E10は持ってるが、4110とか、また生産して欲しいと思ってる人も多いのではないかな。
矢岳峠越えの為に転属した時は、D51と比べて空転が多く乗務員に嫌われた事も転属の一因であったようですね。パワーで勝るD52や軸重軽減型のD62も東海道本線、山陽本線が電化されると使用出来る線区が限られ、配置がしにくかったようです。特にD62は東北本線での使用が終了すると、転属先が無く廃車となってしまいました。種車となったD52より確か7年ほど早く全機廃車となった記憶が。
懐かしい青梅鉄道公園、この地域の幼稚園や保育園児や小学生は機会があれば行き学校行事でも行く所ですまた見に行きたくなりました、ありがとう
チャンネル登録しました。資料も豊富で編集も丁寧で音声も聞きやすいので、頭に入ってきます。とても勉強になります。
E10型機関車の存在は知ってたけどキャブフォワード式だったのは知らなかったw
同じくwww
@@nyakurin-xu3kz ですよねw E10のキャブフォワード式が余り知られていない事がこの動画のコメント欄でわかりますねw
俺もwww
昭和19年に、仮称E10という設計が既にされていたそうですが、その時の設計にはデフが付いていたんですよね。戦後実際に作る際にはキャブフォワードで走るからデフ不要と判断されたみたいですが……。また、ボックス動輪とスポーク動輪、走行性能上はあまり変わらなかったようですが、C51やD50などではスポークの強度が不足していて折れたり車輪が変形したりというトラブルがあったため、それ以降の機関車はみんなボックスになったようです。
日本の鉄道は海沿いに敷設されているので、地盤が軟弱なのが機関車の大型化を疎外した様です!複式のマレーが開発され無かったのが証しですね!外国は多数有ります。重油炊きも遅れてしまったのも要因です。C53が唯一の3シリンダーです!アメリカの物流は貨車Wコンテナで50両編成ですからね。規模が違います!
宇佐美光男 それのおかげで電化したとも言えるから、一概にそれが悪いとも言えない。
峠区間の煙害の話は『エンジニール』って漫画で知ったけど、日本の場合、蒸気機関車でどうこうするより、電化した方が良いという方針だったのかね
国産ディーゼル機関車DD50形の本格的な導入は、昭和28(1953)年だから既存動力の蒸気機関に依存せざるを得なかった。DD54形の西独マイバッハ社製のエンジンは不調が多く、DF50形の電機式エンジンもまた不調が多く、1200psと低出力・・・。昭和37(1962)年ようやくDD51形が登場(出力2200ps)。昭和30年代前半までの地方は、ディーゼル機関車よりも蒸気機関車がまだ重用されていた時代・・・。
でしょうね。仙山線:作並~山寺、上越線:水上~石打は開業時から電化だし。
E10型機関車を初めて知った時こんな機関車いるのかと思っていた
またまたとても勉強になりました。ありがとうございます! 峠のプロ! 5軸動輪SL 惹かれます!
青梅のE10がキャブ・フォワードでない理由がわかりましたキャブ・フォワードのまま保存されてほしかったなぁ
ドラクエのBGM聞いて鳥肌立ちました。
小さい頃、青梅鉄道公園に行った時E10がいた記憶があります。最初C12と同じような物だと思っていたけど、良く見たら動輪の数とかいろいろ違ってびっくりした記憶があります。そもそも大きさが違いすぎるのに一番びっくりしましたww
鉄道模型でも、C12とE10を比較すると、大きさが全然違って笑えるレベルです
面白かったです!肥薩線にも少しの間ではあるけど来ていたとは初めて知りました。ありがとうございます。
肥薩線というと、重油燃焼の補助装置がついたD51があまりに有名ですからね。1年という短さも原因だったのかもしれません今はかつてE10がいた人吉機関区に、もっと古い8620形が現役で来ているというのも興味深いですね
貴方様のこの動画に影響されて、E10を見に行きました。サスペンションに板ばねが多くあり現代の列車と違うんだなぁと思いましたし、キャブフォワード式の名残か、後ろの窓にも雨除けがついているのがとても印象的でした。青梅鉄道公園は他にも沢山の車輛がいて、とても興味深かったです。
東京で保存されていることもあって、比較的アクセスしやすいかもしれませんね。この動画がきっかけであったり、予習に役立っていたら嬉しいです
@@64denden こちらこそ、すばらしい動画をありがとうございます。これからもがんばってください!
Wikipediaを見ると日本の蒸気機関車は煙突が前にあるのが規定になっているそうでこれは単なる逆行運転らしくキャブフォワード式ではないそうです
E10がキャブ・フォワードだと初めて知りました。 ボイラーの縁がC62みたいに丸く綺麗に仕上げられている所が意外でした。 もし電化が10年後だったらもっと量産もされて峠を駆け巡っていたのかもしれません。
E10のキャブフォワード時代の運転室の写真を発見した時は鳥肌が立ちましたね。そうですね。量産されていなくても、短命で終わってしまった可哀想な機関車、とはならずに済んだでしょうね
キャブフォワード時代の運転台の様子、初めて見ることができました❗ありがとうございました🙏
早速、青梅鉄道公園行ってきました!!
矢岳越えの肥薩線からの撤退は動輪の空転や脱輪が多々あったと鉄道ジャーナルの別冊SLの資料で読んだ事があります。もう一度見てみよう
E10一番好きなSL。
昔から思ってけど前から見た感じが角の丸い大きなボイラーと相まって豚の様なしまりが無いなと思ってたけどやっぱりデフ板有る方がカッコ良いな。後から見た感じはC11の兄貴分みたいw
はじめまして。北海道民で美唄鉄道2号機関車(4110ベース)を見に行くのが好きなので楽しく見せていただきました。五軸動輪迫力ありますし「フランジがなかった動輪」や「逆向いて運転したかキャブフォワード」等特殊な部分も面白かったですm(__)m
こんにちは美唄鉄道の4110形ベース機は本当に残っていてよかったですね。E10形も5軸の機関車としてはよく知られているかもしれませんが、キャブフォワード式というのはあまり知られていなかったのかもしれませんねキャブフォワード式は前回詳しく解説してしまったので、今回説明を省いた部分が多いですが、キャブフォワードの歴史・究極形など興味がありましたら、前回動画を見ていただくとより理解がしやすいかと思います
車体の幅に対して太いボイラーを持つ蒸気機関車(例、D51、C62等)は除煙板が似合う、無いと違和感がある。逆に、車体に対して細いボイラーを持つ蒸気機関車(例、C50、C12等)は除煙板が無くても、違ったカッコよさを持つ。個人的にはこんな感じがします。おそらく、太いボイラーで厚ぼったくなった見た目を除煙板が引き締め、力強い感じがより強く出るのだと思います。
この機関車は加減弁の操作が普通の機関車とは逆になっており弁をしめるつもりが逆に開けてしまい機関車を暴走させた人がいたそうです。(この時は他の機関車にぶつかって止まったそうです。)
他の機関車にぶつかったって、普通に衝突事故なんじゃね?
何それ怖い…
除煙板つけたイメージ、完全に大型機関車のそれですね。かっこいい。
元金沢機関区にお勤めだった人が、待機線に五両つなげておいてあったのを覚えているという話を聞きました。
除煙板つけたほうが、カッコいい
確かE10って、Nゲージで製品化されてましたよね。もちろん所有してます()
@@古澤修-b1m ホントそうですよね()4110形をお持ちとは羨ましい限りです...w
せめてもう一両、梅小路機関区にて動態保存されていればとも思った。
確かにそれは言えますね。そうなってればE10もスチーム号に抜擢されてたはずです。そして2軸機で小型の「B20」と5軸で大型の「E10」の『対照的コンビ』の並びも実現可能だったはずです。ってか青梅のE10を梅小路に持っていって復元してくれれば感動なだけですが。
それを言うならC12とC50も梅小路に1両保存して欲しかった。どちらも比較的関西にも縁のあった機関車なのに、なぜ梅小路では保存しなかったのだろう。
@@鉄道模型大好きおじさん C50は岡山駅周辺での入れ替えぐらいしか残っていなかったため早々に置き換えられていたはずです。
ニコニコ動画の某動画だと・第5動輪に遊動を与えていない為、固定軸距が長すぎて横圧過大・動輪間隔が動輪径+200mmもあり、4110となぜか同等にしていて軸距短縮がされてない・先台車、従台車の復元機構が重力利用のコロ式で曲線通過時に動輪軸重が減少してけん引力が減少する・キャブフォーワードで後進常用なのにリターンクランク設定が前進正位で加減リンクに力が掛かって摩耗しやすいなどなど、「原理原則を理解せずに不適切な設計流用を行った典型的な昭和製蒸気」って散々な謂われようでしたね…
よくわからない専門用語を並べて欠点を批判するに近いパターンは腐るほどありますね私はそういうスタイルは嫌いなのであまり専門用語を出さないよう、出しても説明を丁寧に入れるようにしていますが、もっと根幹に「考えるのは難しい、批判は簡単」というのがあるので、E10にしても、そのように批判するような内容で作りたくはないですね
うぽつです儚いのぉ…
そして 30年の月日が 流れた…。
もしE10型が門デフを装備していたら 似合うかなと想像してみました。
恐れながら申し上げます!門デフはC55 C57辺りのライトパシフィック機が一番似合うかと思う次第であります!C11やD51も意外に似合っておりましたが…
ドイツやフランスの大型蒸気機関車にも、門デフタイプの機が有るけど、なかなか格好良いと思います。
E10形❌(機関区を)移住形⭕️
I really like the classical music in the background!
E10は篠ノ井線や土讃線にも転用出来るよう設計されており(久保田博氏著『追憶の蒸気機関車』より)、当時のファンの間ではE10が姨捨越えに投入されるのではないか?とまことしやかに囁かれたそうです。当該区間は板谷峠と同様トンネルが連続し煙害に難儀していた為、もし投入が叶ったならE10のキャブフォワード方式は多くの恩恵を乗務員たちに与えられたことでしょう。E10はやはりその牽引力を活かして、重幹線の峠区間で補機仕業に徹する(瀬野機関区や一戸機関区のD型機ような)という運用がぴったりだったのでは無いでしょうか。もっとも瀬野や一戸のような機関区にはD52やD51といった信頼と実績ある機関車が既にいたので、後発のE10には付け入る隙が中々見出だせ無かったかも知れません。それでも当時の重幹線の列車密度が非常に高かったことを考えると、次々来る貨物列車を効率良く捌く為の機動性という点に於いては、機廻しの要らないE10に軍配が一つ上げられた気がします。峠の麓の機関区で普段はEF63やEF67よろしく貨物列車を押し上げる仕事をこなしつつ、間合い運用として朝夕ラッシュ時間に区間列車や、臨時列車等で度々客車の先頭に立つ事もあった…なんて言う妄想設定を頭の中で繰り広げるのが楽しい型式です☆
エリエイの形式シリ-ズに巨大蒸機特集としてD52,D62 に並んでE10も掲載されていますが、写真は少なかったですね。幸い、昭和30年代と言うことで米原~田村間の活躍を写した写真は比較的多かったようですね。1両の保存があったとはいえ、1両の保存も無いD62同様、悲運の機関車であったでしょうね。
電車にスポーク動輪なんですよね、参ります。国鉄って、各工場で部品の自家製造もしていたけど流石にこれはしてなかったんですね。
素晴らしい解説でした!
我が日本の機関車、中でも近代蒸気の歴史を見ていると、余りの不遇さに泣けてくる。そして、それでもめげずに走り続けた健気な姿にも。現在動態保存されている個体だけでも、少しでも長く走り続けてほしい。
素晴らしい!
ボギーなしで、しかも狭軌で出力アップできる方法があったとは…独自の進化を遂げた車両はせっかくニーズに応えてるのに戦争やら電化やらで居場所がなくなるパターンばっかり動画は面白いんですが見終えると毎回さみしい気持ちになります 今回は保存されてるのでまだマシですが
E10型 かっこいいから好きなんだよぁ〜 あまり活躍出来なかったのが残念だけど😅 キャブフォワード式で動体保存してほしかったw
キャブフォワードでなくても、もし動態保存なら大変な人気の機関車だったと思いますね。現役時を彷彿とさせる北びわこ号や人吉号の牽引を担当していたかもしれません
4110も美唄東明駅で相当朽ち果てています。美唄炭坑跡地周辺はほぼ無人地帯なので保存する人もいないからかな。
父がE10のプラモを買って組立ててました。確か新幹線開業前の米原駅のドキュメンタリーで、下り急行「立山」を牽引する本機が出ていたような。
こういった大出力で小型の機関車が本気で求められるのは日本くらい
This is not a cab forward. Cab forwards would not have the coal bunker in front of the cab. This is a 2-10-4T commuter locomotive than is multi-directional but not a cab forward.
除煙板は高速走行かつボイラー先頭でないと効果がないため山男かつ逆行定位のE10では必要なかったんでしょう。元々付いていた機関車でも操車場の中で働く重入換用のD51で取り外しちゃった機関車も存在しました。
キャブフォワード解除後ボイラー先頭で走るときは、たとえ40km/hほどの低速でも効果はあったと思いますが、やはり「つける手間」が原因でしょうかね効果が少ないから付けない理論でいくと、今の保存蒸気機関車の半分以上は 高速走行なし・維持が面倒 で撤去でしょう
お金と手間の問題もさることながら視界の悪化という欠点もありますからね。後補機運用だとそもそも速度関係ないですし。かといって列車の先頭に立つ米原時代になれば機関車自体の先が見えてる。逆に高速走行の機会が少ないのに装備されたC56形、原型ではデフなしのC12形に装着されたC12199、新車時からデフ装備の島原鉄道C121や台湾のCK120形などの例もあり興味深いところです。保存蒸機の場合は機能よりもどっちかっていうと見た目重視でしょう。D51498、C57180、C58363、C11190はオプションで後藤デフ、門デフを持っていて普段の標準デフとは変わった表情を楽しめるのがいいですね。(^_^)
除煙板は小工式(門鉄)に限る
ドイツのBR65やBR85と酷似してたから勝手に親和性感じてたが運用方式も運転台構造もまるで違うんだな。
キャブフォワード…要はバックの状態で走るてことか。
米原ではE10の重連編成もあったやぜ。回送やけどやぜ
オオタキ模型の蒸機プラモデルではE10はちゃんとキャブから描かれている、「9600もD51もE10もちゃんと前面から描いてます!」という主張があったな。
「やたけ」の字体の力強さとE10の運命のはかなさに胸がつまります
肥薩線の吉松〜人吉間は、実際に行ってみると蒸気機関車が爆煙をあげて走っていた頃の情景が見えるようで、とても楽しかったですね。駅も全て、歴史と風格を感じる佇まいで凄かったです。ただ、E10 が活躍していたという情報はあまり大々的に紹介されていなかったような気がします
E10鉄道模型にもってるw
肥薩線はD51すら初めは嫌われていました。急カーブから来る横圧がありすぎて線路を壊すからで。元々鹿児島本線を名乗った時期もあったのに、本線や幹線とは言えない線路だった。だから4100型や4110型が最後まで使用出来た。肥薩線でのE10型は横圧がありすぎて線路を壊すだけでなく、空挺がひどすぎでろくな牽引も出来なかったようです。板谷峠と矢岳のトンネルの数では矢岳は少ないですが、矢岳第一トンネルは赤岩と板谷の間にある環金トンネルとほぼ同じ長さ2096mなので、矢岳も板谷に並ぶ地獄の登坂では変わらなかったようです。後に軌道を強化することでD51型が使えるようになり、人吉駅にある70号機みたいな重装備型にとって代えられました。北陸線以外だと後は山陽線のセノハチのプッシュしか用途はなかったはず。セノハチはトンネルは少なく、長いトンネルもないですが、駅間が長いしカーブが多いだけ。
E10形は、帯に短し襷に長し、といった感。戦争がなければ粗悪な部品が用いられることもなかったが、大型のタンク式蒸気は使いつらかったのであろう。
「帯に短し襷に長し」というより、「汎用性を切り捨てて、板谷峠のためだけに最適化した」でしょうね。
@@FAnneMarry 様どぉもです。 板谷峠用に特化した機関車はE10形のみならず、EF71形もしかりでした。EF71形は全長18.4m、定格出力2700kwと、交流電機最大の車体長と出力を誇りました。なお一般的は交流電機の出力は1900kwでした。またEF71を補佐する目的でED78形(車体長17.9m)という交流電機もありました。EF71形の車体はED76形500番台(北海道仕様)及び551号機(青函トンネル仕様)に充当されましたが、ED76形500番台及び551号機の出力は1900kwと標準機(九州仕様の0番台および1000番台)と同じでした。E形の5軸蒸気が存在したならば、C62形よりも大きく迫力があったことでしょうね!(笑)
コミック乱に機関車の漫画がありましたなあ
ヤバイ!私、今朝夢の中でこのE10形蒸気機関車が復活した夢を見てしまった!大宮総合車両センターで試験運転してたり、貨車を連結して牽引力試験をやってたりと凄かった…。( ͡° ͜ʖ ͡°)
c62を無理やりタンク化したみたいな形
E10が肥薩線で活躍できなかったのは空転がひどかったからという話があります。
Nice video.
かなり前のRJ誌に「急勾配用機関車なら、戦時輸送終了で余ったD51を改造すればよいのでは?」「設計部門が最強タンク機関車に意欲的だ」という話が載っていました。
目的や効果は度外視して、なにやら最強のタンク式機関車を作りたかった、という意図が見えますね^^;
@@64denden そのRJ誌の記事の後半では「D52と同じボイラーと5動輪」を成立させた姿を賞賛しています。設計としては間違っていなかったけれど、汎用性切り捨てで成立した機関車だったのですね。
E10自体謎めいた機関車で、経歴が解らなくて、とてもわかり易いです。確か、昔のレイルかだったと思いますが、E10の先輩の4110型の記事がありましたが、鉄道省の4110型は、後ろ向きの逆向きが正規と記載されていた気がします。美唄の4110は前向きか正規ですが。
日本のすごいところは、いろんな鉄道が良い状態で保存されてるとこやな(なお負担
イギリスとかは動態保存して定期的にイベント開いてたり実際に通勤通学に使われてたり……海外は行動力(と資金力)が凄い
@@hobakura 海外が別にすごいわけではない。イギリスが妙に熱心なだけだ。
いつかお金に余裕ができたら青梅鉄道公園まで行ってE10を見に行きたい。
フランジが無い鉄道車両とか初めて知った。
昭和30年代中頃、鉄道ファン誌の発刊初期に、E10の記事が載り、米原駅迄撮影にいったが、既に休車になっていて、機関庫の隅に留置されていて残念だった。しかし、当時の米原には、他に、D50、D51、DD50、ED30、EF15、EF58、EH10、EF60更に、電車にディーゼルと、正に車輌の展覧会状態、夢の世界だった。
あってもかっこいいが無くてもかっこいい、(むしろ無いからかっこいいのか…)あったとしたら切り詰めも似合いそう。
4100、4110は奥羽線のような幹線級、肥薩線のような亜幹線の連続急勾配がしつこく続く区間で絶大な信頼を得ていましたね。4100系列では全軸動輪、横動許容がカーブに比較して柔軟に応じていたためしっかり粘着してたけど、E10は従輪があったことで荷重抜けが頻発したことから勾配線区用の機関車としては失格の烙印を押されてしまいましたね。最強を望まなければ優秀な4100系列のバージョンアップ版で新造していれば、こんなに扱いも悲惨ではなかっただろうなて思われますね。4100系列でも後進で運用が多かったみたいなので、E10で用いられた後進定位のコンセプトが転籍先の矢岳越えでも遺憾なく発揮されたでしょうね。あっ、そうすると矢岳越え名物の重油併燃と鹿工式バカでかい集煙装置で武装した日本最強のチューンドD51である重装備D51プッシュプルで駆け上がる姿が見れなかったかもですね。
4100形 全部動輪とかカオスすぎ
うぽつです除煙板推しがすごい電化早すぎる…国鉄やるやん!戦時規格に技術力不足、生産体制の貧弱さか命取りとなってしまわれた…悲しいのぉ(´・ω・)私の地元山口県柳井市にも機関車公園と称される、機関車の展示がなされている公園がございまして…何だったかな、C571だったかな…?それは左側に運転席があったので右側は驚きました。公園、荒れてはおりますが街中にポツンとある蒸気機関車はなかなか素敵なので機会ありましたら触ってみてくださいませ…。
そんなに除煙板推してるつもりはありませんが、S2、E10と、結果的には推してる感じになりますね山口県はまだまだ訪問回数も少ないので、その柳井市の機関車もまだ見たことはありませんが、ぜひ見てみたいですね
64 denden お早い返信ありがとうございます。これだけ推しておいてなんですが、保存というよりは形だけをとったもの…中身がないレプリカの可能性もありまして(素人目で見た感じではありますが)どうにもご期待に添えるか自信がないのが現実です。柳井市は、戦時中米軍より爆撃を受けるほどの規模の操車場があり、それの名残として保管されているそうです。ドラゴンクエスト、おすきなのです?
柳井市にあるのはC50 125号機ですね。全国に6両しかなく有名な博物館等には一切保存されてない貴重な機関車なのでどうか大切にしてやってください。自分は焼津の96号機と小山の123号機を撮りに行きました
久しぶりに大成功した機関車の話か.....( ̄^ ̄゜)と思ったら結局廃止されてしまうのはやっぱ時代の流れのせいなのかな
実はE10、除煙板と言っていいかわかりませんが、煙誘導板が着いていた時期があります。動画の9:05あたりの煙突周りについている、足付きのちっこい板がそれです。この大きさで効果があったのかは謎ですが…。
除煙板ってあるとやっぱり引き締まってかっこいいなー。直接は関係ないけどJR西の転落防止幌も似たような感じで好きだな。(あまり評判良くないけど…)
同じ機関車でも、除煙板があると、しまって見えてカッコいいですね。私は西の転落防止幌は好きじゃない派ですが^^;
北陸本線が改良された後別の峠で後ろから押したりするのには使えなかったのかな他の路線では動輪3つ4つで足りるからいらない子に?1956年には1年間ニートやってたのかな
他の余剰車があったというのがE10が短命であった原因でしょうね
E10のボイラーは模型でC62かD52のボイラーと思ってました。NゲージでE10 3持ってますが連結石炭側 ライト点灯はボイラー側のみと融通が利きません…
聞く限りキャブフォワード形であったということを完全無視した模型ですね^^;メーカーにはぜひE10のキャブフォワード式を取った歴史を重んじて、忠実に再現してほしいものです
K社のC11と12見習ってくれよと思いつつ改造しようと計画中です。かれこれ手付かずに1年くらい経ちました。
私の地元鉄道真岡鉄道SLの重連じゃないですかww
登場時から「つなぎ」だったのが悲運・・・
E10復活したらおもしろいかも。
軸配置は炭庫側から1E2とした方が運用的には良さそうですが、見た目は実物通りの2E1の方がカッコ良いですね(前者は主連棒がエラい長さになりそうで…💧)台車は当時の電気機関車の先台車と共通だったと聞いたことがあります電機と共通部品が使われている辺り、蒸機の斜陽期を感じさせる機関車ですね…
しかし、あの時代でよく保存できたな
身の守り+1 ww😂
確かに日本の蒸気機関車には除煙版が似合う気がする
E型を名乗るSL自体が珍しいのに、キャブフォワードも国産でも珍しいのにさらにデフレクターまでも取り付けられなかったという徹底的に珍しいづくしだったとは…。
こう考えると、大正時代に量産されて最後の方まで使われた9600や8620は本当に幸せな機関車だったな。
青梅鉄道公園、最近屋外保存の車両に屋根をかける工事が行われています。E10とC11は未だ屋根が付いていませんが、先週行った時には隣のクモハ40が屋根の設置工事を行っていたので、近いうちにE10も屋根付き展示になりそうですね。逆に屋根なしの状態で写真を撮りたい方は早めに撮っておいたほうが良いかも。
青梅鉄道公園まで拝見しに伺いました。
小ぶりな施設ではありましたが
あんなお安い値段で、貴重な車両たちが見られて最高ですねあそこは
青梅交通公園に昔行った時なんでこれだけ左じゃなくて右なんだろうねとか親と話していたがこういう経緯があったとは・・・激動の時代の激動の機関車ドラマいいですね。
E10を初めて見たときの感想。
『車輪多いっ!!』
『車輪ちっちゃ!(C57とかと比べて)』
『ずんぐりむっくり!!』
今となってはすげぇ機関車やな。
e10を初めて見た時
「ボイラーでっか!」
「ナンバーちっちゃ!」
E10ってタンク式ながらもデカイから他の機関車にはないかっこよさがあるな。
動輪が5つの機関車が日本にあったことを初めて知りました。やっぱり動輪が多いとロマンを感じますね😍😍😍
E10型は設計上の問題で先輩の4100型や4110型の方が重宝されたと聞きました。実際各地を転々としたのはどこの車両区でも扱いづらくて追い出しが激しかったからだと言われておりますし。
E10けっこう見た目好き
E10、つくづく不遇な形式だった。国鉄最後の新製蒸気機関車だったのに…(名車C62は改造名目で登場した)。この蒸気機関車の流転の生涯を自分の人生に重ね合わせている者も少なくないのでは?(苦笑)
4:19から私の自作曲を使用して頂き、ありがとうございました! やはり他の方の動画で自作曲が流れると感動します…!
鉄道については全くの素人ですが、分かりやすい解説とロマンを感じる濃密な内容で、とても楽しく視聴させて頂きました。それぞれの時代や環境に応じての構造の変遷などは、とても面白そうですね!
また使えそうな曲がありましたら、ぜひお声がけください♪
ありがとうございました!
青梅でこのE10を見ると
小山のような巨大さに圧倒されます。
同じタンク機でもC12などとは対極ですね。
ただ、特殊な機関車がその用途を喪失したり
少数派であることの悲哀さを
この機関車は見事に表現してしまってます。
こんな薄幸な形式も珍しいですが、
皮肉な事に、より車齢の古い4110の方が
後年まで活躍した辺りは
8620とC50の関係にも通ずるものを感じます。
それを言うなら9600とC58も。
まさか後ろ向きに進むとは思わなかった・・・ そういえばC12やC56なんかも後進運転想定して見やすくしてるみたいですけどあれらはキャブフォワードにはならないんですね
新作投稿谢谢茄子!
キャブフォワード解除後は、珍しい右運転台になったってのがカッコイイ
昔炭鉱で働いていたおじいちゃんが
4110型の話をしてくれたなー。
マイクロエースが、以前、E10や4110のNゲージモデルをだしてた。E10は持ってるが、4110とか、また生産して欲しいと思ってる人も多いのではないかな。
矢岳峠越えの為に転属した時は、D51と比べて空転が多く乗務員に嫌われた事も転属の一因であったようですね。パワーで勝るD52や軸重軽減型のD62も東海道本線、山陽本線が電化されると使用出来る線区が限られ、配置がしにくかったようです。特にD62は東北本線での使用が終了すると、転属先が無く廃車となってしまいました。種車となったD52より確か7年ほど早く全機廃車となった記憶が。
懐かしい青梅鉄道公園、この地域の幼稚園や保育園児や小学生は機会があれば行き学校行事でも行く所です
また見に行きたくなりました、ありがとう
チャンネル登録しました。
資料も豊富で編集も丁寧で音声も聞きやすいので、頭に入ってきます。とても勉強になります。
E10型機関車の存在は知ってたけどキャブフォワード式だったのは知らなかったw
同じくwww
@@nyakurin-xu3kz ですよねw E10のキャブフォワード式が余り知られていない事がこの動画のコメント欄でわかりますねw
俺もwww
昭和19年に、仮称E10という設計が既にされていたそうですが、その時の設計にはデフが付いていたんですよね。戦後実際に作る際にはキャブフォワードで走るからデフ不要と判断されたみたいですが……。また、ボックス動輪とスポーク動輪、走行性能上はあまり変わらなかったようですが、C51やD50などではスポークの強度が不足していて折れたり車輪が変形したりというトラブルがあったため、それ以降の機関車はみんなボックスになったようです。
日本の鉄道は海沿いに敷設されているので、地盤が軟弱なのが機関車の大型化を疎外した様です!複式のマレーが開発され無かったのが証しですね!外国は多数有ります。重油炊きも遅れてしまったのも要因です。C53が唯一の3シリンダーです!アメリカの物流は貨車Wコンテナで50両編成ですからね。規模が違います!
宇佐美光男 それのおかげで電化したとも言えるから、一概にそれが悪いとも言えない。
峠区間の煙害の話は『エンジニール』って漫画で知ったけど、日本の場合、蒸気機関車でどうこうするより、電化した方が良いという方針だったのかね
国産ディーゼル機関車DD50形の本格的な導入は、昭和28(1953)年だから既存動力の蒸気機関に依存せざるを得なかった。
DD54形の西独マイバッハ社製のエンジンは不調が多く、DF50形の電機式エンジンもまた不調が多く、1200psと低出力・・・。
昭和37(1962)年ようやくDD51形が登場(出力2200ps)。
昭和30年代前半までの地方は、ディーゼル機関車よりも蒸気機関車がまだ重用されていた時代・・・。
でしょうね。仙山線:作並~山寺、上越線:水上~石打は開業時から電化だし。
E10型機関車を初めて知った時こんな機関車いるのかと思っていた
またまたとても勉強になりました。ありがとうございます! 峠のプロ! 5軸動輪SL 惹かれます!
青梅のE10がキャブ・フォワードでない理由がわかりました
キャブ・フォワードのまま保存されてほしかったなぁ
ドラクエのBGM聞いて鳥肌立ちました。
小さい頃、青梅鉄道公園に行った時E10がいた記憶があります。最初C12と同じような物だと思っていたけど、良く見たら動輪の数とかいろいろ違ってびっくりした記憶があります。そもそも大きさが違いすぎるのに一番びっくりしましたww
鉄道模型でも、C12とE10を比較すると、大きさが全然違って笑えるレベルです
面白かったです!肥薩線にも少しの間ではあるけど来ていたとは初めて知りました。ありがとうございます。
肥薩線というと、重油燃焼の補助装置がついたD51があまりに有名ですからね。1年という短さも原因だったのかもしれません
今はかつてE10がいた人吉機関区に、もっと古い8620形が現役で来ているというのも興味深いですね
貴方様のこの動画に影響されて、E10を見に行きました。
サスペンションに板ばねが多くあり現代の列車と違うんだなぁと思いましたし、
キャブフォワード式の名残か、後ろの窓にも雨除けがついているのがとても印象的でした。
青梅鉄道公園は他にも沢山の車輛がいて、とても興味深かったです。
東京で保存されていることもあって、比較的アクセスしやすいかもしれませんね。この動画がきっかけであったり、予習に役立っていたら嬉しいです
@@64denden こちらこそ、すばらしい動画をありがとうございます。これからもがんばってください!
Wikipediaを見ると日本の蒸気機関車は煙突が前にあるのが規定になっているそうでこれは単なる逆行運転らしくキャブフォワード式ではないそうです
E10がキャブ・フォワードだと初めて知りました。
ボイラーの縁がC62みたいに丸く綺麗に仕上げられている所が意外でした。
もし電化が10年後だったらもっと量産もされて峠を駆け巡っていたのかもしれません。
E10のキャブフォワード時代の運転室の写真を発見した時は鳥肌が立ちましたね。そうですね。量産されていなくても、短命で終わってしまった可哀想な機関車、とはならずに済んだでしょうね
キャブフォワード時代の運転台の様子、初めて見ることができました❗ありがとうございました🙏
早速、青梅鉄道公園行ってきました!!
矢岳越えの肥薩線からの撤退は動輪の空転や脱輪が多々あったと鉄道ジャーナルの別冊SLの資料で読んだ事があります。もう一度見てみよう
E10一番好きなSL。
昔から思ってけど前から見た感じが角の丸い大きなボイラーと相まって豚の様なしまりが無いなと思ってたけどやっぱりデフ板有る方がカッコ良いな。後から見た感じはC11の兄貴分みたいw
はじめまして。
北海道民で美唄鉄道2号機関車(4110ベース)を見に行くのが好きなので楽しく見せていただきました。
五軸動輪迫力ありますし「フランジがなかった動輪」や「逆向いて運転したかキャブフォワード」等特殊な部分も面白かったですm(__)m
こんにちは
美唄鉄道の4110形ベース機は本当に残っていてよかったですね。E10形も5軸の機関車としてはよく知られているかもしれませんが、キャブフォワード式というのはあまり知られていなかったのかもしれませんね
キャブフォワード式は前回詳しく解説してしまったので、今回説明を省いた部分が多いですが、キャブフォワードの歴史・究極形など興味がありましたら、前回動画を見ていただくとより理解がしやすいかと思います
車体の幅に対して太いボイラーを持つ蒸気機関車(例、D51、C62等)は除煙板が似合う、無いと違和感がある。
逆に、車体に対して細いボイラーを持つ蒸気機関車(例、C50、C12等)は除煙板が無くても、違ったカッコよさを持つ。
個人的にはこんな感じがします。
おそらく、太いボイラーで厚ぼったくなった見た目を除煙板が引き締め、力強い感じがより強く出るのだと思います。
この機関車は加減弁の操作が普通の機関車とは逆になっており弁をしめるつもりが逆に開けてしまい機関車を暴走させた人がいたそうです。(この時は他の機関車にぶつかって止まったそうです。)
他の機関車にぶつかったって、普通に衝突事故なんじゃね?
何それ怖い…
除煙板つけたイメージ、完全に大型機関車のそれですね。かっこいい。
元金沢機関区にお勤めだった人が、待機線に五両つなげておいてあったのを覚えているという話を聞きました。
除煙板つけたほうが、カッコいい
確かE10って、Nゲージで製品化されてましたよね。
もちろん所有してます()
@@古澤修-b1m ホントそうですよね()
4110形をお持ちとは羨ましい限りです...w
せめてもう一両、梅小路機関区にて動態保存されていればとも思った。
確かにそれは言えますね。
そうなってればE10もスチーム号に抜擢されてたはずです。
そして2軸機で小型の「B20」と5軸で大型の「E10」の『対照的コンビ』の並びも実現可能だったはずです。
ってか青梅のE10を梅小路に持っていって復元してくれれば感動なだけですが。
それを言うならC12とC50も梅小路に1両保存して欲しかった。
どちらも比較的関西にも縁のあった機関車なのに、なぜ梅小路では保存しなかったのだろう。
@@鉄道模型大好きおじさん C50は岡山駅周辺での入れ替えぐらいしか残っていなかったため早々に置き換えられていたはずです。
ニコニコ動画の某動画だと
・第5動輪に遊動を与えていない為、固定軸距が長すぎて横圧過大
・動輪間隔が動輪径+200mmもあり、4110となぜか同等にしていて軸距短縮がされてない
・先台車、従台車の復元機構が重力利用のコロ式で曲線通過時に動輪軸重が減少してけん引力が減少する
・キャブフォーワードで後進常用なのにリターンクランク設定が前進正位で加減リンクに力が掛かって摩耗しやすい
などなど、「原理原則を理解せずに不適切な設計流用を行った典型的な昭和製蒸気」って散々な謂われようでしたね…
よくわからない専門用語を並べて欠点を批判するに近いパターンは腐るほどありますね
私はそういうスタイルは嫌いなのであまり専門用語を出さないよう、出しても説明を丁寧に入れるようにしていますが、もっと根幹に「考えるのは難しい、批判は簡単」というのがあるので、E10にしても、そのように批判するような内容で作りたくはないですね
うぽつです
儚いのぉ…
そして 30年の月日が 流れた…。
もしE10型が門デフを装備していたら 似合うかなと想像してみました。
恐れながら申し上げます!
門デフはC55 C57辺りの
ライトパシフィック機が
一番似合うかと思う次第
であります!
C11やD51も意外に似合
っておりましたが…
ドイツやフランスの大型蒸気機関車にも、門デフタイプの機が有るけど、なかなか格好良いと思います。
E10形❌
(機関区を)移住形⭕️
I really like the classical music in the background!
E10は篠ノ井線や土讃線にも転用出来るよう設計されており(久保田博氏著『追憶の蒸気機関車』より)、当時のファンの間ではE10が姨捨越えに投入されるのではないか?とまことしやかに囁かれたそうです。当該区間は板谷峠と同様トンネルが連続し煙害に難儀していた為、もし投入が叶ったならE10のキャブフォワード方式は多くの恩恵を乗務員たちに与えられたことでしょう。
E10はやはりその牽引力を活かして、重幹線の峠区間で補機仕業に徹する(瀬野機関区や一戸機関区のD型機ような)という運用がぴったりだったのでは無いでしょうか。もっとも瀬野や一戸のような機関区にはD52やD51といった信頼と実績ある機関車が既にいたので、後発のE10には付け入る隙が中々見出だせ無かったかも知れません。それでも当時の重幹線の列車密度が非常に高かったことを考えると、次々来る貨物列車を効率良く捌く為の機動性という点に於いては、機廻しの要らないE10に軍配が一つ上げられた気がします。
峠の麓の機関区で普段はEF63やEF67よろしく貨物列車を押し上げる仕事をこなしつつ、間合い運用として朝夕ラッシュ時間に区間列車や、臨時列車等で度々客車の先頭に立つ事もあった…なんて言う妄想設定を頭の中で繰り広げるのが楽しい型式です☆
エリエイの形式シリ-ズに巨大蒸機特集としてD52,D62 に並んでE10も掲載されていますが、写真は少なかったですね。幸い、昭和30年代と言うことで米原~田村間の活躍を写した写真は比較的多かったようですね。1両の保存があったとはいえ、1両の保存も無いD62同様、悲運の機関車であったでしょうね。
電車にスポーク動輪なんですよね、参ります。
国鉄って、各工場で部品の自家製造もしていたけど流石にこれはしてなかったんですね。
素晴らしい解説でした!
我が日本の機関車、中でも近代蒸気の歴史を見ていると、余りの不遇さに泣けてくる。
そして、それでもめげずに走り続けた健気な姿にも。
現在動態保存されている個体だけでも、少しでも長く走り続けてほしい。
素晴らしい!
ボギーなしで、しかも狭軌で出力アップできる方法があったとは…
独自の進化を遂げた車両はせっかくニーズに応えてるのに戦争やら電化やらで居場所がなくなるパターンばっかり
動画は面白いんですが見終えると毎回さみしい気持ちになります 今回は保存されてるのでまだマシですが
E10型 かっこいいから好きなんだよぁ〜 あまり活躍出来なかったのが残念だけど😅 キャブフォワード式で動体保存してほしかったw
キャブフォワードでなくても、もし動態保存なら大変な人気の機関車だったと思いますね。現役時を彷彿とさせる北びわこ号や人吉号の牽引を担当していたかもしれません
4110も美唄東明駅で相当朽ち果てています。美唄炭坑跡地周辺はほぼ無人地帯なので保存する人もいないからかな。
父がE10のプラモを買って組立ててました。
確か新幹線開業前の米原駅のドキュメンタリーで、下り急行「立山」を牽引する本機が出ていたような。
こういった大出力で小型の機関車が本気で求められるのは日本くらい
This is not a cab forward. Cab forwards would not have the coal bunker in front of the cab. This is a 2-10-4T commuter locomotive than is multi-directional but not a cab forward.
除煙板は高速走行かつボイラー先頭でないと効果がないため山男かつ逆行定位のE10では必要なかったんでしょう。
元々付いていた機関車でも操車場の中で働く重入換用のD51で取り外しちゃった機関車も存在しました。
キャブフォワード解除後ボイラー先頭で走るときは、たとえ40km/hほどの低速でも効果はあったと思いますが、やはり「つける手間」が原因でしょうかね
効果が少ないから付けない理論でいくと、今の保存蒸気機関車の半分以上は 高速走行なし・維持が面倒 で撤去でしょう
お金と手間の問題もさることながら視界の悪化という欠点もありますからね。後補機運用だとそもそも速度関係ないですし。
かといって列車の先頭に立つ米原時代になれば機関車自体の先が見えてる。逆に高速走行の機会が少ないのに装備されたC56形、
原型ではデフなしのC12形に装着されたC12199、新車時からデフ装備の島原鉄道C121や台湾のCK120形などの例もあり
興味深いところです。
保存蒸機の場合は機能よりもどっちかっていうと見た目重視でしょう。D51498、C57180、C58363、C11190はオプションで
後藤デフ、門デフを持っていて普段の標準デフとは変わった表情を楽しめるのがいいですね。(^_^)
除煙板は小工式(門鉄)に限る
ドイツのBR65やBR85と酷似してたから勝手に親和性感じてたが運用方式も運転台構造もまるで違うんだな。
キャブフォワード…要はバックの状態で走るてことか。
米原ではE10の重連編成もあったやぜ。回送やけどやぜ
オオタキ模型の蒸機プラモデルではE10はちゃんとキャブから描かれている、「9600もD51もE10もちゃんと前面から描いてます!」という主張があったな。
「やたけ」の字体の力強さとE10の運命のはかなさに胸がつまります
肥薩線の吉松〜人吉間は、実際に行ってみると蒸気機関車が爆煙をあげて走っていた頃の情景が見えるようで、とても楽しかったですね。駅も全て、歴史と風格を感じる佇まいで凄かったです。ただ、E10 が活躍していたという情報はあまり大々的に紹介されていなかったような気がします
E10鉄道模型にもってるw
肥薩線はD51すら初めは嫌われていました。急カーブから来る横圧がありすぎて線路を壊すからで。元々鹿児島本線を名乗った時期もあったのに、本線や幹線とは言えない線路だった。
だから4100型や4110型が最後まで使用出来た。肥薩線でのE10型は横圧がありすぎて線路を壊すだけでなく、空挺がひどすぎでろくな牽引も出来なかったようです。板谷峠と矢岳のトンネルの数では矢岳は少ないですが、矢岳第一トンネルは赤岩と板谷の間にある環金トンネルとほぼ同じ長さ2096mなので、矢岳も板谷に並ぶ地獄の登坂では変わらなかったようです。
後に軌道を強化することでD51型が使えるようになり、人吉駅にある70号機みたいな重装備型にとって代えられました。
北陸線以外だと後は山陽線のセノハチのプッシュしか用途はなかったはず。セノハチはトンネルは少なく、長いトンネルもないですが、駅間が長いしカーブが多いだけ。
E10形は、帯に短し襷に長し、といった感。
戦争がなければ粗悪な部品が用いられることもなかったが、大型のタンク式蒸気は使いつらかったのであろう。
「帯に短し襷に長し」というより、「汎用性を切り捨てて、板谷峠のためだけに最適化した」でしょうね。
@@FAnneMarry 様
どぉもです。 板谷峠用に特化した機関車はE10形のみならず、EF71形もしかりでした。
EF71形は全長18.4m、定格出力2700kwと、交流電機最大の車体長と出力を誇りました。
なお一般的は交流電機の出力は1900kwでした。
またEF71を補佐する目的でED78形(車体長17.9m)という交流電機もありました。
EF71形の車体はED76形500番台(北海道仕様)及び551号機(青函トンネル仕様)に充当されましたが、ED76形500番台及び551号機の出力は1900kwと標準機(九州仕様の0番台および1000番台)と同じでした。
E形の5軸蒸気が存在したならば、C62形よりも大きく迫力があったことでしょうね!(笑)
コミック乱に機関車の漫画がありましたなあ
ヤバイ!私、今朝夢の中でこのE10形蒸気機関車が復活した夢を見てしまった!大宮総合車両センターで試験運転してたり、貨車を連結して牽引力試験をやってたりと凄かった…。( ͡° ͜ʖ ͡°)
c62を無理やりタンク化したみたいな形
E10が肥薩線で活躍できなかったのは空転がひどかったからという話があります。
Nice video.
かなり前のRJ誌に「急勾配用機関車なら、戦時輸送終了で余ったD51を改造すればよいのでは?」「設計部門が最強タンク機関車に意欲的だ」という話が載っていました。
目的や効果は度外視して、なにやら最強のタンク式機関車を作りたかった、という意図が見えますね^^;
@@64denden そのRJ誌の記事の後半では「D52と同じボイラーと5動輪」を成立させた姿を賞賛しています。設計としては間違っていなかったけれど、汎用性切り捨てで成立した機関車だったのですね。
E10自体謎めいた機関車で、経歴が解らなくて、とてもわかり易いです。
確か、昔のレイルかだったと思いますが、E10の先輩の4110型の記事がありましたが、鉄道省の4110型は、後ろ向きの逆向きが正規と記載されていた気がします。
美唄の4110は前向きか正規ですが。
日本のすごいところは、いろんな鉄道が良い状態で保存されてるとこやな(なお負担
イギリスとかは動態保存して定期的にイベント開いてたり実際に通勤通学に使われてたり……
海外は行動力(と資金力)が凄い
@@hobakura 海外が別にすごいわけではない。イギリスが妙に熱心なだけだ。
いつかお金に余裕ができたら青梅鉄道公園まで行ってE10を見に行きたい。
フランジが無い鉄道車両とか初めて知った。
昭和30年代中頃、鉄道ファン誌の発刊初期に、E10の記事が載り、米原駅迄撮影にいったが、既に休車になっていて、機関庫の隅に留置されていて残念だった。しかし、当時の米原には、他に、D50、D51、DD50、ED30、EF15、EF58、EH10、EF60更に、電車にディーゼルと、正に車輌の展覧会状態、夢の世界だった。
あってもかっこいいが無くてもかっこいい、(むしろ無いからかっこいいのか…)あったとしたら切り詰めも似合いそう。
4100、4110は奥羽線のような幹線級、肥薩線のような亜幹線の連続急勾配がしつこく続く区間で絶大な信頼を得ていましたね。4100系列では全軸動輪、横動許容がカーブに比較して柔軟に応じていたためしっかり粘着してたけど、E10は従輪があったことで荷重抜けが頻発したことから勾配線区用の機関車としては失格の烙印を押されてしまいましたね。最強を望まなければ優秀な4100系列のバージョンアップ版で新造していれば、こんなに扱いも悲惨ではなかっただろうなて思われますね。
4100系列でも後進で運用が多かったみたいなので、E10で用いられた後進定位のコンセプトが転籍先の矢岳越えでも遺憾なく発揮されたでしょうね。
あっ、そうすると矢岳越え名物の重油併燃と鹿工式バカでかい集煙装置で武装した日本最強のチューンドD51である重装備D51プッシュプルで駆け上がる姿が見れなかったかもですね。
4100形 全部動輪とかカオスすぎ
うぽつです
除煙板推しがすごい
電化早すぎる…国鉄やるやん!
戦時規格に技術力不足、生産体制の貧弱さか命取りとなってしまわれた…悲しいのぉ
(´・ω・)私の地元山口県柳井市にも機関車公園と称される、機関車の展示がなされている公園がございまして…何だったかな、C571だったかな…?それは左側に運転席があったので右側は驚きました。公園、荒れてはおりますが街中にポツンとある蒸気機関車はなかなか素敵なので機会ありましたら触ってみてくださいませ…。
そんなに除煙板推してるつもりはありませんが、S2、E10と、結果的には推してる感じになりますね
山口県はまだまだ訪問回数も少ないので、その柳井市の機関車もまだ見たことはありませんが、ぜひ見てみたいですね
64 denden お早い返信ありがとうございます。これだけ推しておいてなんですが、保存というよりは形だけをとったもの…中身がないレプリカの可能性もありまして(素人目で見た感じではありますが)どうにもご期待に添えるか自信がないのが現実です。
柳井市は、戦時中米軍より爆撃を受けるほどの規模の操車場があり、それの名残として保管されているそうです。
ドラゴンクエスト、おすきなのです?
柳井市にあるのはC50 125号機ですね。
全国に6両しかなく有名な博物館等には一切
保存されてない貴重な機関車なのでどうか
大切にしてやってください。自分は焼津の
96号機と小山の123号機を撮りに行きました
久しぶりに大成功した機関車の話か.....( ̄^ ̄゜)
と思ったら結局廃止されてしまうのはやっぱ時代の流れのせいなのかな
実はE10、除煙板と言っていいかわかりませんが、煙誘導板が着いていた時期があります。動画の9:05あたりの煙突周りについている、足付きのちっこい板がそれです。
この大きさで効果があったのかは謎ですが…。
除煙板ってあるとやっぱり引き締まってかっこいいなー。
直接は関係ないけどJR西の転落防止幌も似たような感じで好きだな。(あまり評判良くないけど…)
同じ機関車でも、除煙板があると、しまって見えてカッコいいですね。私は西の転落防止幌は好きじゃない派ですが^^;
北陸本線が改良された後別の峠で後ろから押したりするのには使えなかったのかな
他の路線では動輪3つ4つで足りるからいらない子に?
1956年には1年間ニートやってたのかな
他の余剰車があったというのがE10が短命であった原因でしょうね
E10のボイラーは模型でC62かD52のボイラーと思ってました。NゲージでE10 3持ってますが連結石炭側 ライト点灯はボイラー側のみと融通が利きません…
聞く限りキャブフォワード形であったということを完全無視した模型ですね^^;
メーカーにはぜひE10のキャブフォワード式を取った歴史を重んじて、忠実に再現してほしいものです
K社のC11と12見習ってくれよと思いつつ改造しようと計画中です。かれこれ手付かずに1年くらい経ちました。
私の地元鉄道真岡鉄道SLの重連じゃないですかww
登場時から「つなぎ」だったのが悲運・・・
E10復活したらおもしろいかも。
軸配置は炭庫側から1E2とした方が運用的には良さそうですが、見た目は実物通りの2E1の方がカッコ良いですね(前者は主連棒がエラい長さになりそうで…💧)
台車は当時の電気機関車の先台車と共通だったと聞いたことがあります
電機と共通部品が使われている辺り、蒸機の斜陽期を感じさせる機関車ですね…
しかし、あの時代でよく保存できたな
身の守り+1 ww😂