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鉄じいじの鉄の想い出🚃
Japan
Приєднався 10 вер 2021
鉄じいじが若いころ撮った、懐かしい鉄道の想い出をyoutubeで綴ります。
東海道本線草津駅・米原駅
東海道本線 草津駅・米原駅。1972年~1982年にに撮影した画像をスライドショーでお届けします。
VOICEVOX:ずんだもん
VOICEVOX:白上虎太郎
#草津駅
#米原駅
VOICEVOX:ずんだもん
VOICEVOX:白上虎太郎
#草津駅
#米原駅
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Відео
小坂鉄道1994年
Переглядів 35112 годин тому
奥羽本線大舘駅から小坂駅を結んでいた小坂鉄道。 1994年に訪ねた記録をスライドショーでお届けします。 VOICEVOX:ずんだもん VOICEVOX:白上虎太郎 #大舘駅 #小坂駅 #小坂鉄道
国鉄キハ20形気動車
Переглядів 1,7 тис.16 годин тому
ローカル線の普通気動車の「顔」とでも言うべきキハ20形気動車。SLファンの冷たい視線を浴びながらローカル線の輸送改善に貢献しました。 地味で、いまいち人気がないキハ20の姿をスライドショーでお届けします。 VOICEVOX:ずんだもん VOICEVOX:白上虎太郎 #キハ20
阪急電鉄の臨時列車・副標付き列車
Переглядів 1,5 тис.День тому
1971年頃から2024年までに阪急電鉄で運行された臨時列車・副票がついた定期列車を、動画とスライドショーでお届けします。 VOICEVOX:ずんだもん VOICEVOX:白上虎太郎 #阪急電鉄
山陽本線上郡駅・和気駅
Переглядів 8 тис.14 днів тому
山陽本線姫路-岡山間に位置する、上郡駅・和気駅。 1972年~2016年に撮影した画像をスライドショーでお届けします。 VOICEVOX:ずんだもん VOICEVOX:白上虎太郎 #上郡駅 #和気駅 #片上鉄道
【リメイク版】阪神甲子園臨時特急
Переглядів 78514 днів тому
スライドショー「阪神甲子園臨時特急」のリメイク版です。 写真はそのまま、BGMを差し替え、ナレーションを追加しました。 阪神タイガースの本拠地であり高校野球の開催地でもある阪神甲子園球場。 およそ5万人を収容できるスタジアムの足となる阪神電車は、試合開催日には臨時列車を増発して客をさばきます。 2008年頃には臨時特急に特製のヘッドマークが取り付けられ、ファンの目を楽しませてくれました。 VOICEVOX:ずんだもん VOICEVOX:白上虎太郎 #甲子園球場 #阪神電車
阪急電鉄700系・710系
Переглядів 4,5 тис.21 день тому
★お詫びと訂正 0:52の画像に「モハ63形」と説明がついていますが、「クモハ73形」の誤りです。お詫びして訂正します。 戦後の混乱期、京都線に登場した700系と710系。阪急らしさをめぐってのせめぎあいがありました。京都線・嵐山線を走る700系と710系の画像をスライドショーと動画でお届けします。 VOICEVOX:ずんだもん VOICEVOX:白上虎太郎 #阪急電鉄 #700系 #710系
山陽本線姫路駅1970年~1974年
Переглядів 10 тис.21 день тому
美しいお城の町の代表駅、姫路駅。2008年に高架駅に生まれ変わりました。 山陽本線を行き交う80系・113系・153系、播但線・姫新線のC11,C57,C58など、地上駅時代の情景をスライドショーでお届けします。 VOICEVOX:ずんだもん VOICEVOX:白上虎太郎 #姫路駅
阪神電鉄青胴車
Переглядів 90721 день тому
1950年代の終わりころ登場し、2024年には最後の1編成が活躍している阪神電鉄「青胴車」。日本一の起動加速度を誇り、ジェットカーと呼ばれて阪神本線を駆け抜けた青胴車の姿を、動画とスライドショーでお届けします。 VOICEVOX:ずんだもん VOICEVOX:白上虎太郎 #青胴車
関西本線柘植駅1972年頃
Переглядів 6 тис.Місяць тому
関西本線柘植駅。かつては関西鉄道の幹線で、国鉄と競い合った歴史がありますが、だんだん衰退していまは鄙びたローカル駅になってしまいました。 1972年に訪れた柘植駅の情景をスライドショーでお届けします。 VOICEVOX:ずんだもん VOICEVOX:白上虎太郎 #柘植駅
特急まつかぜ・やくも・あさしお
Переглядів 3,7 тис.Місяць тому
1970年代、山陰本線・福知山線を駆け抜けたディーゼル特急「まつかぜ」「やくも」「あさしお」の姿ををスライドショーでお届けします。 VOICEVOX:ずんだもん VOICEVOX:白上虎太郎 #山陰本線
【リメイク版】1971年の大阪駅
Переглядів 16 тис.Місяць тому
大阪駅に入ってくる列車を記録したスライドショー「1971年の大阪駅」のリメイク版です。 写真を一部差し換え、BGMとナレーションを追加しました。 1971年の写真を主として、1973年・1974年の写真も含みます。 VOICEVOX:ずんだもん VOICEVOX:白上虎太郎 #大阪駅
和歌山の小さな旅1982年・1984年
Переглядів 3 тис.Місяць тому
天王寺駅から113系快速で紀勢本線南部駅へ、少し戻って紀三井寺駅。EF58の牽く普通列車で和歌山へ。和歌山線をぶらり途中下車の旅して橋本駅から南海高野線でなんば駅に戻った小さな旅をスライドショーでお届けします。 VOICEVOX:ずんだもん VOICEVOX:白上虎太郎 #紀勢本線 #和歌山線
岳南鉄道1984年
Переглядів 600Місяць тому
東海道本線吉原駅から岳南江尾駅まで9.2キロを結んでいる岳南鉄道。沿線には工場が建ち並び、引込線も多く貨物メインの私鉄でした。 1984年頃に訪ねた岳南鉄道をスライドショーでお届けします。 VOICEVOX:ずんだもん VOICEVOX:白上虎太郎 #岳南鉄道
国鉄時代、米原は名鉄局所属で、金鉄局、大鉄局との接続駅で大阪から北陸方面の優等列車は全て米原に停まり、東京方面からの乗換客で賑わっていた。1974年に湖西線が開通すると、大阪から北陸方面を結ぶ特急列車は湖西線経由になり、やや寂しくなりました。 草津は、今は様変わりする程発展している。草津線も柘植迄電化され、柘植駅が三重県最初の電化駅になった。柘植から網干迄電車が直通する様になり、時代の移り変わりを感じる。 ここに登場した車両は皆鬼籍に入ってしまいました。
1972年には草津駅の隣、草津線手原駅では蒸気機関車がタブレット交換して走っていました。いまでは信じられないですね! ua-cam.com/users/postUgkxc69rWLGjZksDwf-og6xpRm0W8umsjxDh
当時153系[新快速]は草津が終点.117系&221系の登場で滋賀県が大阪の通勤圏になるのはもう少し後ですね(🏡🏡)
1982年頃は新快速の本数も少なく、通勤時間帯に使いにくいダイヤだったので、沿線の活性化に寄与するには力不足でした。
米原駅の思い出は、特急加越と弁当売りのおっちゃんがいたこと。
弁当売りは絶滅危惧種、というより既に絶滅したかも。 兵庫の篠山口駅にも個性豊かな弁当売りの爺さんがいましたね。
弁当に付きもののお茶の入れ物は、最近はプラ容器ですが、昔は信楽焼のものが使われていました。たしか信楽高原鐵道信楽駅構内にお茶容器の展示スペースがありました。なおおとなりは正面衝突事故の展示です。
@@tetsu-jiiji さま。弁当ではないですが、奥羽本線峠駅の『峠の力餅』はいまでも駅売りされているらしいのですが、峠の下を通過するトンネルが計画されているために今後どうなるかはわからないと言われていた記事を、最近読んだことがあります。
北野沿線の和花な風景!今は開発で幻化しようとしている😢
最近はあまり出かけていませんが、開発進んでいるのでしょうね。
草津駅と草津線手原駅は私の最寄り駅なんです😊とても懐かしいです🎉 映像は今も眼に焼きついてます😌 草津から手原は両脇共に開発されのどかな雰囲気は有りません 貨物輸送も無くなりました😢 草津駅のEF65は500番台ですね😊 今はすっかり見なく成りましたね😢 米原駅も本当に懐かしいです😃
手原駅は当時大変いいムードで、行きやすさもあって何度か撮影に行きました。D51の貨物列車が結構設定されていて、楽しかったです。
@tetsu-jiiji さま そのD51は近くの手原神社にて大切に保管されていますよ☺️
米原~長岡の普通列車があっただけではないけど、昔はけっこうホームに洗面台があって洗顔した記憶がありました。
幹線の主要駅には必ずありましたね。朝、夜行列車が長時間停車する時を見計らって、朝の支度を整えました。
キハ20、私奴は関西では、片町線の長尾~木津、関東では八高線で乗りました。 片運転台中心で中間車まで在った10系と違い、20系は両運転台が中心でしたね。 当時の片町線、素人考えですが、木津止まりではなく、奈良までは直通して欲しかった。流石国鉄、融通が効かないというか。
片町線の木津-長尾間は国鉄のやる気の無さの象徴のようでした。木津-奈良間も大概のものでしたが・・・
普通列車長岡行!?北陸本線で終点直江津駅まで行き、そこから信越本線に乗り入れるんでしょうけど、途中で運転系統を分割しないのが国鉄らしいと言うか何と言うか・・・。 1982年の時点でも、草津駅周辺はずいぶんのんびりしてますね。本当に、国鉄分割民営化以降激変したんでしょうね。
1982年だと、新快速も草津まで来ていましたが多分1時間に1本でしたから、現在のように通勤至便ということにはならなかったのでしょうね。
長距離鈍行や153系が懐かしいですね。
今回写真を整理していて、長岡行きであることに気付きました。何となく福井くらいと思っていました。
米原駅は、大阪から東京へ向かうときに、いつも大垣夜行だったので、たまには嗜好の変わったことをしようということになって、昼間東海道線を移動しているときに、ここで1時間ほど乗り継ぎ列車の待ち合わせをしたことを思い出します。 待ちくたびれたところに、乗り継ぎ列車がやって来たので乗車したところ、今度は大垣駅で3時間ほど待ち合わせをくらい、膝から崩れ落ちましたね😮 お陰で、駅前の商店街を満喫させていただきました。怪我の功名?1980年代の話なので、すでに急行列車は『東海』だけになっていて、のこりは快速か各駅停車のみの時代でした🫡
私は結構ミニ周遊券を使っていましたので、急行東海などを利用して快適に東京入りをしていました。臨時銀河(12系座席車)も使ったことがあります。20系になってからの銀河は、素晴らしい乗り心地だったのが忘れられません。
@@tetsu-jiiji さま。自分も周遊券の世代です。1980年代の『東京(ゾーン)周遊券』が、学割使ってたしか10,000円前後だった記憶が🫡 最初期の綴り券だった『青春のびのび18きっぷ』も、1回利用したことがあります。 目的ですか・・・コミック・マーケット参加です。第31回まで3回ほど参加経験があります。会場に人数制限で入れない他のメンバーは、イベント開催時間帯に荒川線梶原の銘菓明美まで都電もなかを買いに行ってましたね。数十箱単位で🙃
自分も、大学生時代の東京ゆきは『東京ミニ周遊券』でした。。1980年代で学割で約10,000円ぐらいだったかな。『青春18のびのび切符』も初回だけ経験あります。 目的ですか・・・コミック・マーケット(通称コミケ)参加です。第31回まで、都合5回参加経験があります。コミケも今年でもう105回目になるらしいです😮
コミケですか!私は参加したことはありませんが、存在は知っています。 私の上京の目的は実に馬鹿馬鹿しいもので、都電に乗って居酒屋で肉じゃがを食べたり、意味もなく総武線に長時間乗車したり、勿体ないことにカメラなしの乗り鉄でした。そうそう、一度松田聖子のコンサートに横浜アリーナへ行ったことがあります。
DD50は廃車されてからも、長いあいだターンテーブルのところに放置されていましたね。
私が見たのは1974年ですので、まだ米原-田村間の任務に就いていた頃です。Wikipediaによると、1975年3月ダイヤ改正のころよりDD50は休車が発生しているようです。
小学生の時、熊本県の田舎から福岡県に嫁ぎ、八尋県営住宅に住む姉に会うため佐敷駅から八代そして急行しろやまで博多までは初の急行体験だった。 遠賀川駅~八尋駅の蒸気機関車は忘れない。 帰りは急行ひまわりに乗った。
急行しろやま号、大阪行きですね!屋久島号になるまで、しろやま号でした。九州にあこがれていましたので、大阪駅にしろやま号が停まっていると乗っていきたいと思いました。
鉄じいじさんも、色々と教えて頂いているんですね。 鉄道が本当に好きな人に、良い人も必ず寄って来られるかもです。
そうですね。大変助かってます。
通称は同和興業小坂線と言ってましたね。体験ブルトレは宿泊の翌朝に構内運転するので、貴重な走行シーンを味わえます。
24系の乗り心地を令和時代に味わえるとは、是非乗って(宿泊して)見なければいけませんね。
小坂には鉱山の人も楽しんだ明治から残る芝居小屋、康楽館もありますね。
康楽館、見てきました。興行はしていなかったですが、格調のある建物がよいですね。(いまでもあるそうです)
旅客列車はそこまで遅くなかったようですが、途中駅にこれといった集落がなく、小坂町も人口が多いわけではないのが旅客営業を諦めた理由なのでしょうね。小坂町からだと、花輪線の十和田南駅までバスに乗った方が楽そうですし。
貨物輸送にしても十和田南から分岐したほうが自社路線は短くなりますし勾配もありません。何故なんでしょう。
貨物が無くなって採算がとれるとは思えないですね。硫酸はトラック輸送では危険を伴うので、鉄道輸送が必要でした、(神岡鉄道も同じ理由で残っていました)
鉄道建設開始以前(明治時代後半)にあった小坂鉱山〜白沢駅を結ぶ鉱石運搬用索道が、すでに奥羽本線を利用した鉱石輸送ルートの一部として確立していたために、わざわざ新しく別ルートを開拓する必要がなかったことが起因していませんか?そもそもがこれの輸送力増強するのが建設の目的でしたし。 あと大館駅〜小坂駅までの鉱山鉄道の免許を受けたときには、すでに茂内までは何らかの形で鉄道敷が確保されていた(無許可の私設鉄道か、後述する森林鉄道か?)とありましたので、すでに鉄道敷設の基盤ができていたのではと推測できるのと、茂内駅までの小坂線沿線と廃線になった茂内駅〜長木沢駅の支線の沿線にあった、いくつかの森林鉄道は木材積み出しに小坂鉄道を利用したようです。あと岱野(たいの)駅(ひょっとすると茂内駅?)までが普通に農村田園地帯を走っていますので、沿線の米や炭などの農産物の出荷等に利用したのではないかと思いますね。まだ自動車が普及していない時期に、大館駅まで人力か荷車で運ぶことを思うと、たとえ国鉄と積み替えする手間があるにしても、労働生産性が低くて人件費が安い当時としては格段に輸送力が上がったのでは?
あと今はともかく小坂鉄道(大館駅〜小坂駅)が開通した1908年には、1899年開通の奥羽本線(白沢・大館駅)しか鉄道はありませんでした。ちなみに花輪線(毛馬内▷十和田南駅)は1920年開業です。
@@tetsu-jiiji さま。出荷する製品が濃硫酸から石膏に変わったため、あえて鉄道を使用する必要がなくなったのが廃線の理由でしたね。 いまは、廃棄された電子基板などから、金などの貴金属を取り出す、さしずめ『都市鉱山』となってますね。 話によると、約43トンの電子基板から延べ棒1本ができる計算らしいです。スゴイ🫢
小坂鉄道は初めて聞く鉄道ですねぇ
なにしろ、硫酸を運搬していた地味な鉄道ですものね。
小坂鉄道は書籍などでしか知りませんでしたが、パナソニックの『ボルタチャレンジ2014』で一躍有名に😅 小坂駅には、ブルートレインを利用した宿泊施設があり疑似ブルートレインなどをやっていますね。コロナ禍を過ぎて現在はどうなっているかと思ったら、普通に営業してくれていてひと安心😄 それからこの保存車両にブルートレインを再現するのに絶対必要だけど見落とされがちな電源車(カニ)を選んでくれた関係者の叡断にほんと感謝したい🫡
小坂レールパークは行ってみたいと思っていますが、なにしろ大阪から遠い(北陸線の直通列車が無くなって一層遠く感じます)ので、簡単にはいけないですね。もっとも、新幹線を使えば昔よりはるかに速く到達できるのですが・・・ あけぼのの寝台車で宿泊するのも素敵ですね。
そやそや、キハ35の巣やった奈良線でたまーにキハ20が連結されてたら みんなクロスシートに突進してたなぁ 学校の遠足でたまたま連結されてたキハ20のクロスシートの窓を全開にして 木津の駅でみんなの写真撮ったり楽しい思い出の詰まった好きなクルマですわ キハ20とキハ35が混結されてても、そない違和感なかったけどキユニ19なんか異様に小さく感じたしw
乗り鉄に行ってキハ35ばかりだとがっかりですね。 1両でもキハ20が連結されていたら、それは突進します! せめてキハ17でもいいから、ボックスシートに座りたいですね。
阪神競馬場で阪急杯が開催される時は今津北線に特別なヘッドマークが付きますね
阪急杯というのがあるんですか。 いまでもヘッドマークが付くのですか?
首都圏では、通勤型のキハ35系や東北・常磐急行のキハ58系しか見る事がなかったので、キハ20系は東北方面へ行かないと会えなかったです。北海道へ移住したら、キハ22ばかりでしたけど。 配信、ありがとうございました。
八高線に乗りに行きましたがキハ35でした。 関西だと片町線や加古川線でキハ20に乗れて、旅行気分を味わえましたね。
私の脳内は①キハ80系[特急]高嶺の花②キハ58系[急行]ミニ周遊券③キハ20系ローカル線と整理されている▼👦の頃加古川⇔鍛冶屋は🚂でした.
②はよくわかります!(①はもちろん) ミニ周遊券はリーズナブルで2日程度の旅行にはぴったりでしたね。
最初のイントロは片町線は長尾〜大住ではないでしょうか? 0:25 は福知山線は中山寺駅から宝塚駅方向の現在のダイエー中山店の横ですね。 0:45 は同じく阪急宝塚線に近い旧176号線の並走区間ですね。 有難うございます。
サムネイルとイントロの写真は加古川線日岡駅付近です。0:25,0:45はご指摘の通り福知山線の川西池田-宝塚間です。1:53も同じくです。
年に何回か期間限定で茨城県の一部JR駅で発売する「ときわ路パス」を使って、先日ひたちなか海浜鉄道に乗ってキハ20を留置している那珂湊駅に行きました。一応何かのイベントのときは当分の間動くそうです。
動態保存は嬉しいですね。その他全国に静態保存車がたくさんあります(キハ22も含め) 現役時代はあまり人気がなかったキハ20ですが、国鉄ローカル線のイメージそのものですよね。
キハ17形はさすがに乗りたくないと思ってしまいますが(笑)、キハ20形はシンプルにまとまっていて、いい意味で「国鉄型」という感じがしますね。
キハ17+キハ20なんて列車はよくありましたね。当然キハ20の方に乗りました。
0:45本題よりも道路の『松楓閣』の看板に懐かしさを覚えてしまいました。撮影場所は売布神社付近ですね🥹。奥に写っているのは歩道橋か中国道か。 おそらく関西在住の同年代の人には夏場のプール中継でおなじみ、売布神社駅の北側の池の対岸にあった『政府登録国際観光旅館 ホテル松楓閣』。 じつはもともとが、総理大臣『松方正義』の邸宅で、小津安二郎も訪れたことがあることは、今回調べて初めて知りました🫢 現在跡地はマンションになっています。
0:45の写真をトリミングする際、左隅の電柱はカットしてしまうところですが、松楓閣の広告が懐かしくて画面に残しました。奥に走っているのは中国道です。ねらいを汲んで頂けて嬉しいです・・・
@@tetsu-jiiji さま。みみっちい話ですが、この電柱看板、1枚の広告料が月額5,000円程と聞いたことがありますよ🤫
キハ205がひたちなか海浜鉄道で最後の活躍をしていますね。この205号も加古川線を走った事があるようです。
ひたちなか海浜鉄道は常磐線の車窓から見ただけで、乗ったことがありません。北関東へ行く機会があれば一度乗ってみたいと思っています。
いやいや、加古川気動車区に、バス窓あんなにいてたっけ?
バス窓のキハ20は懐かしいですね。
自分の持っている、キハ20系の車歴表で初期型バス窓(1〜103)の加古川配属は、1960年の段階で25(東急・1981年に奈良へ)・77〜88(帝国・終始転属なし)の13両確認できました。のちに42(東急)・57(東急)・74(帝車)が1981年に配属されてきて、最終的に14両がここを終焉の地にしたようです。
西日本の急行電車は乗ったことがありません。東日本ならあります。 急行伊豆⚪号(川崎~熱海) 急行ごてんば3号(東京~国府津) 「東海3号」と併結 国府津駅での切り離し作業中に183系1000番台の踊り子号に抜かれる。 急行東海1号(東京~大船) 急行ざおう1号(上野~小山) 「まつしま3号と併結」 臨時急行信州⚪号(高崎~上野) 臨時急行くろいそ号(上野~黒磯) 全て昭和時代 それからは今現在まで乗ったことはありません。
いいですねぇ! 私は大阪在住なので、急行東海号で横浜まで乗ったくらいです。ただ大船に長期出張していたときは、東海号間合いの普通電車に朝夕乗っていました。そのうち185系に代り、ゴージャスな通勤を楽しめました。
EF14がとても、貴重な写真ですね。
ありがとうございます。 大阪駅だからいつでも撮影できたのに、結局1回撮影したきりでした。
小学生の頃 片上鉄道へ乗ろうと起点駅の片上駅に行ったら赤穂線との接続が悪く何時間も待つので「何時でも乗れるから」と帰って何年もほっといたら廃線になってしまいました。 「何時までもあると思うなよ」と、いう教訓を身に染みた経験でしたね。
家から近いところだと、いつでも行けるという気で後回しにして後悔することしきりです。尼崎港線の車内から金楽寺駅の情景を見て、いずれこの駅を目当てに撮影に来るぞと考えているうち、廃線になってしまいました。
自分の生まれる33年前の映像をありがとうございます。
コメントありがとうございます。
165は補充ではなく元々のメンバー
ありがとうございます。
1973年正月の初詣特急は宝塚線初の特急運転だったと記憶します🎍🎌
確かな記憶はありませんが、それくらいだと思います。
懐かしい副標と云えば、西宮で試合がある時に特急にはブレーブスが飾ってましたね😊
ブレーブスの副標、覚えています。子供が西洋風の兜をかぶっている図柄でしたね。
@ さん そうです、ファイターズより先に元祖兜を被ったキャラです。 家にピンバッジがまだあります(笑)
70年代の山陽線の80系はボロだったなあ。トイレにはうんこが山盛りになっていて一気に尿意が失せたなあ。
姫路から西へ行く80系の普通はボロかったですが、車内販売が乗っていて嬉しかった記憶があります。いまや新幹線でもできない贅沢を、普通電車で味わえたのですね。
@@tetsu-jiiji 普通列車に車販があったとは初耳ですねえ。お弁当にはお茶が付きものでしたね。ちゃんと温かかった。夏は冷凍ミカン。私の頃はプラスチックに代わっていましたがもう少し前は陶器だったようです。
お弁当とお茶を積んでいたかどうかは覚えてないですが、お菓子と飲み物は買いました。山陽線に乗ったらまた買おうと思っていたら、いつか115系に替わり車販も見かけなくなりました。
某出版社から「C62を作る」から始まってD51とC57も登場した。C12なら50巻くらいで終わるし大きさも半分くらいで済みそうだけど
C62やD51はかなりのボリュームになったのでしょうね。(・・・を作る シリーズは見たことないもので) C12なら入門機としていいですね。あ、でも人気のあるC11かC56が先かな?
大阪梅田〜嵐山直通急行は4号表と呼ばれる専用ダイヤで運行され、春はさくら、秋はもみじのデザインになった運行標識を掲げてましたね。 ちなみに阪急社内では平日ダイヤは1号、土休日ダイヤは2号と呼ばれてます。
標示板の下半分に書かれた黒字の行先の部分が、白色でさくらの形に抜かれたものと、白色でもみじの形に抜かれたものでしたっけ? 標示板自体の地色が何色かだったかは忘れましたが。
@JobChanged--UEKISYOKUNIN さん 嵐山直通急行の標識 さくらはピンク もみじはオレンジ色でした。
いいですねー また嵐山線直通の臨時急行(臨時特急でもいい)が復活することを祈ります。
@@tetsu-jiiji さま。これにむかし運転されていた、河原町〜嵐山間の各駅停車が加われば、京都観光に一層便利になるのではないかと思います。
『ロボット学園』は、角標・丸標両方あって、すべての列車に掲げていた記憶があります。当時の大プールの上にあった企画展示会場の出口で、プラスチック射出機からでてきた手帳型の入館証明証をもらいました。 『サイボーグ号』の時の展示は『変身サイボーグ』がタイアップだったかな。展示会の物販で売っていたような・・・。 そういえばある時期、沿線(山本〜中山間)で眺めていると、臨時急行がやたらと走っていた時期も覚えています。急行よりも多かったですね。 最近児童書は読んでいないのですが、絵本『くまのがっこう』は、旧1000系を話のモチーフにしていたと思います🤔 『トムとジェリー』は、トムが電車にぶつかって風圧で押しつぶされているような感じがします😅
よくご存じですね!勉強になります。 サーボーグのことも、くまのがっこうのお話も、勉強になりました。 トムとジェリーの次は何かな?
@@tetsu-jiiji さま。この流れでいって、思いつくものはあっても、ほとんどが他の企業のイメージキャラクターになっているものがほとんどなので・・・ 『バックスバニー』(ワーナー・ブラザース)とか『ロードランナー(正式にはワイリー・コヨーテとロードランナー)』(車関係のCMでみたような)とか『フィリックス』(三菱石油ですがどうしても10円チョコのイメージが)とか・・・となると、行き着く先はやっぱり『トーマス』? (個人的には『パワーパフ・ガールズ』と『マイリトルポニー』ですが・・・いまいち知名度がね?)
パワーパフ・ガールズなら見たことがあります。それにしてもよくご存じですね!
@@tetsu-jiiji さま。まあそもそもが年季の入った還暦すぎたアニメオタクでもありますので😅
毎年7月になると 京都線特急に掲げられるのが祇園祭の副標 目にすると夏が来たなと感じます。
祇園祭の副標もよく見ました。Privace連結列車が増えると、特急の祇園祭マークが見られなくなりますね。
宝塚線でも2000系が走ってたんですね。
1500V昇圧後は神戸線と差し替えられたりして、特に昇圧対応の2021~が宝塚線に入ってきました。なんでも神戸線の高速走行に耐えられず、低速の宝塚線に入ってきたようです。
2000系は当時でもレアなイメージ。 むしろ1000系、3000系がメインで、5000系が出始めた感じでした。 その後、1000系が箕面線に移り、宝塚線には6000系のトップナンバーが導入されましたね。 当時、曽根駅付近在住のおっさんより。
ダブルサボは2800系の京都線特急のイメージ。 臨時の嵐山急行や箕面準急のサボも懐かしい思い出。 構内の売店でミニサボ売ってましたね。
鉄じいじの鉄の思い出さん、こんばんは😃🌃。阪急電車🚃の臨時列車は、僕が幼稚園📛から小学校3年(1975年~1979年)まで兵庫県宝塚市に住んでいた頃、逆瀬川駅から阪急豊中駅まで家族で母方の祖母の家🏠に初詣🎍臨時特急に乗ったのを覚えています。阪急の臨時列車の運行標識板で、「春🌸の臨時特急 大阪~宝塚」と「桜🌸の臨時急行 大阪~嵐山」と「紅葉🍁の臨時急行 大阪~嵐山」と「ブレーブス坊や 西宮球場」の運行標識板を持っていました。
丸型の臨時急行標識は、外周に赤線が入っていましたね。
いいものをお持ちでしたね! ブレーブス坊やもよく見tました。残念なことに写真は1枚も撮っていません。
『ブレーブス坊や』の標示板は、記憶では西宮球場で定期試合のあるときに掲げられたものと、日本シリーズと書かれたもの、初優勝のときに掲げられたとっても豪奢なものとがあったと思います。 あと赤の縁取りの臨時急行は、行先の書いていないものもあって、頭の中で『???』だった覚えがあります。
ロボット学園。宝塚ファミリーランドの営業中は、阪急宝塚本線の列車にはこういうのがよく掲載されてたんでしょうね。
納涼シーズンは、『納涼お化け』とか『ゲゲゲの鬼太郎』とかありましたね。 プール上の企画展示会場や旧小林一三邸横の竹林で開催されていましたが、通路を外側から見るとなんだか興ざめした思い出が・・・ あと『ポートピア81』のときも、掲示がありましたね。『宝塚歌劇創立100周年記念』か『手塚治虫』の時が車体ラッピングの最初だった記憶があるのですが、車体のマルーン地はとくに映えて見えますね。あれはいい作品だったと思います。 特殊なところで、沿線で爆弾処理(大阪空港のある蛍池付近)があって一部運休(石橋〜豊中間)したときも、特殊な区間標示(宝塚〜石橋・蛍池)で表示板を掲げていました。
ロボット学園も含めて、遊園地の企画絡みの副標は一段軽く見られがち(撮り鉄の守備範囲でないような感じ)ですが、何年もたってから見ると面白いものです。毎年変わった企画で副標がついていたので、もっと写真を撮っておけばよかったと思います。
3000系板サボは平成10年以降だと今津線の阪神競馬絡みくらいしかダブル表示は思いつきません。
3000系方向幕未装備車の梅田行き利臨時急行が出たら、これこそ大本命!是非見てみたかったです。
@tetsu-jiiji 様、しかし今津線も3000系運用がなくなったので遠い思い出です。
むかしむかし仁川行の臨時急行(赤線の縁取り付き)で『急』の字の上に馬に絵が書いてあるのを、見た覚えがありますね。(たまたまそれを確認するために見た書籍に載っていたのは、神戸線から旧8号線に進入する仁川行臨時急行のめずらしい写真でした。ちなみにむかしは神戸線から9号線側からは進入できませんでした。) あらためて見たのは電車館だったかな?二階の回廊部分にかなり掲示してあったのを覚えてます。 今は運行していませんが、ハイキングシーズンに運転していた梅田〜六甲の急行は下三分の一が六甲山の山並みが描いてあるのもありました。
片上の保存車両には乗ったことがあります。 現役時代に乗りたかった・・ 1:00これは下り電車ですね。
和気駅を出てすぐの無人駅で、ホームから自宅へ入れる家があって羨ましく思いました。 1:00 上りだと思いますが、自身はありません。
三番線から撮影し智頭急行ホームが見えますので、これは上郡駅を発車した、岡山方面行の下り電車です。
片上鉄道か…、たしか運営が末期の頃は、同和鉱業で秋田の小坂鉄道と同じ会社だったんですが…、案外旧型気動車が多く残っていたので、わたしは好きな会社のひとつでした❤。
古いガソリンカー改造の気動車など、貴重な車両が運用されていましたね。吉ヶ原駅跡にはキハ303・キハ312・キハ702が保存されていますね。
『同和鉱業片上鉄道線』は、国鉄のモノによく似たDD13-550が牽引するトラ37両の鉱石輸送列車が有名でした。私は、父親の実家が柵原町だったので帰省の度に柵原鉱山まで見に行きました(祖父が鉱山の部長、叔父は、片上鉄道の車両を点検する『同和工営』の課長でした)。『59-2改正』で片上鉄道の車扱貨物がなくなり、トラ列車もいつしかトラック輸送に取って替わられ、遂には鉱山と鉄道がもろともに閉山・廃止と寂しい限りです。
トラ(コトラかな?)37両編成とは壮大です。それだけ産出量が多い鉱山だったのですね。まだ採掘が可能である鉱石を1000万トン残して閉山になったことは、さぞ無念であったことでしょう。
はい、コトラですね。他には『オトキ』もいましたが、運用に入るのはまれだったようです。
サムネのは鷲羽ですか
そうです。急行鷲羽です。
この時代以前にも、能登半島にて羽咋〜三明にも走っていました。
三明鉄道ですね。父の社員旅行の写真の中に、赤いデッキ付きの気動車が写っていました。