【震災から11年】一度は誰も住めなくなった大熊町…“復興拠点”に戻る住民と 戻れない“白地地区”

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  • Опубліковано 9 бер 2022
  • 東日本大震災、そして原発事故から11年。事故後、住民がただの一人として住むことができなくなった「帰還困難区域」は、今も、福島県内7市町村に残っています。「特定復興再生拠点」いわゆる「復興拠点」では順次除染を完了し、この春を目標に住民が寝泊まりできるようになります。
     一方、「復興拠点」に含まれていない“白地地区”と呼ばれる地区もあります。“白地地区”では、11年が経つ現在も、住民が戻る前提となる除染のメドすら立っていません。政府は、2029年末には、住民の希望に応じて“白地地区”の解除も目指すとしていますが、避難先での生活が長期化する中、故郷の将来は全く見通せない状況に―。
     “「復興拠点」に戻る決断をした人”と“白地地区の地元に戻れない人”の現実を描きます。
    (情報ライブ ミヤネ屋 2022年3月10日放送)

КОМЕНТАРІ • 10

  • @user-wz2hl9vn4u
    @user-wz2hl9vn4u 2 роки тому +8

    原発事故により住民が出ていくことを強制させられた商店街は、震災から11年経過して解体工事が進んでいます。
    双葉駅や大野駅の橋上駅舎から見た廃墟は、日々形を失いつつあります。
    そのうちに更地だらけになり、新しい公共施設が建てられる日を待つことになります。
    当時建てられていた建物は、一部はそのまま住むことができるけど、大半は解体されています。

  • @raisupo109
    @raisupo109 2 роки тому +11

    福島第一原発で、汚染された地域、全て解錠して、また震災前みたいな賑わいの街に戻って欲しいです。大熊町頑張れ!!福島県頑張れ!東北頑張れ!日本頑張れ!世界頑張れ!!

  • @user-fc5ji6si6j
    @user-fc5ji6si6j 9 місяців тому +2

    大熊町大好きだよ。皆と遊んだ事、忘れていません。マツコウとはとなりマツコウだよ。きょう子だよん。会いたくても会えない。ヨシボウ

  • @rob.jpn35
    @rob.jpn35 Рік тому +4

    大熊町ほど原発立地の恩恵を受け、東京電力と二人三脚で歩んでいた町はなく、大熊町長は県知事を凌ぐ影響力を持つと言われていました。
    町民にしても、楢葉、富岡、双葉と原発立地前提の豊かさ競い合っていました。
    各家庭は子供達が東電又は東電子会社に就職できたら大成功、将来安泰と考えていましたね。正に東電様々
    町や県の対原子力・対東電への定期的査察などは儀礼的なものでしかなく、意見や指摘・疑問提示などあり得ないぐらいの崇拝ぶりでした。
    県の原子力センターなど、正に見かけだけのまやかしだったので、事故・被害にどう対処できたのかの検証や、当時の関係者の証言(無能であった謝罪)すらまとも出てきません。
    マスコミのその辺りへの踏み込んだ追求が見られない不思議もあります。

  • @user-kp2se1jt4f
    @user-kp2se1jt4f Рік тому +1

    大熊町田んぼや田んぼの耕地草刈り農業再開が不可帰還出来ない町米作りしたい

  • @user-qt4gz4ck8j
    @user-qt4gz4ck8j 2 роки тому +1

    ⚛️原子力発電の後遺症は恐ろしいですね

  • @user-zc1sh7cn4w
    @user-zc1sh7cn4w 2 роки тому +5

    アホくさ❕土地建物は東電お買い上げで安全な地域に住めば良い😆🤗
    しがみつく必要は無い🥲

    • @factory3921
      @factory3921 2 роки тому +13

      と、災害で物を失った事無い奴が申しております

    • @user-kp2se1jt4f
      @user-kp2se1jt4f Рік тому

      😅😢

    • @user-gr6hw9gm6m
      @user-gr6hw9gm6m Рік тому +3

      まあ自分の故郷に帰りたいって理屈じゃないと思うよ。不便でも、何もなくても安心する場所なんだろう。