田安家のその後 一橋に乗っ取られるも、徳川宗家を継承し一族の中心に!【べらぼう】

Поділитися
Вставка
  • Опубліковано 29 січ 2025

КОМЕНТАРІ • 13

  • @rekishock
    @rekishock  8 годин тому +3

    13:08 真ん中の田安慶頼は勝海舟の誤りです。

  • @vianeplus
    @vianeplus 9 годин тому +7

    尾張家の慶勝が新政府寄りなのは
    散々江戸から藩主を押し付けられてきたからって説があったなぁ。

  • @あーきー-u2n
    @あーきー-u2n 8 годин тому +3

    慶頼氏の徳川家への貢献が大きいのに加えて、よく幕臣達を抑えれたなって思いますね…

  • @直己-g5v
    @直己-g5v 8 годин тому +4

    15:41 恒孝氏の母は家正の娘の豊子であるため恒孝氏は女系で治済の血筋である。ちなみに容保の父は松平義建でありその祖先は水戸徳川家に繋がる。

  • @kumosukeponsuke
    @kumosukeponsuke 7 годин тому +2

    廃嫡された匡時の流れは歴史に消えたかな… 慶頼の右目は何かあったのかな? 家広氏がなんだかなぁと個人的には思ってるので、この田安流はどうにか嫡流継承をしていってほしい。
    レキショックさんのマニアックな動画は大好き。この流れで三翁を徹底解説してほしい。

  • @cancan5892
    @cancan5892 8 годин тому +3

    いやー、かなりの情報量で何度か見直しました。治済の5男斉匡の子が、養子として福井藩主となった松平春嶽なのですね。斉匡の嫡男廃嫡で、田安当主として家斉の14男を養子入りさせるも(斉荘)、すぐに彼が尾張徳川家へ再び養子入りし、やっと実子慶頼が5代田安当主となる経緯もかなり複雑です。この慶頼が慶喜謹慎後の徳川家代表として、新政府との交渉や江戸城の引き渡しなどにあたったのですね。慶喜と共に、この頃から写真が出てくるのも面白く感じられます。彼が後に8代当主として引退後復帰するのが、自身の子亀之助(徳川家達)が徳川宗家を継ぐためだったこと、田安達孝が三田の屋敷を慶應義塾に売却したことなど、とても興味深く知りました。徳川家達が、こういう経緯で徳川宗家を継いだこと、彼は田安亀之助だったこと、よく分かりました。
    13:08 真ん中のイケメンの人物は、田安慶頼ではなく勝海舟ですよね?

    • @rekishock
      @rekishock  7 годин тому +2

      ご指摘ありがとうございます。コメント欄で修正させていただきました。

  • @ふなっしー姫
    @ふなっしー姫 9 годин тому +5

    治斉の陰謀を誰も見抜けなかったのは何故😱
    田沼意次だけは見抜いていたらしいが🤔

  • @pouf7478
    @pouf7478 2 години тому

    昨年は藤原一族の流れ、今年は国内に広がる徳川一族の流れを学べ受験日本史に肉付けしてくれる大河ドラマと深堀解説してくださるUA-camrさんに感謝です。江戸城開城に御三卿の田安家が重要な役目を果たし、その子孫が現在の徳川宗家になっていたとは驚きました。しかもご先祖様は御三卿でも格下だった一橋治済!吉宗以降、傍流の一族が宗家なっていく様は昨今の敏腕脚本家のシナリオみたいで面白いです🖋

  • @asjioafshosda
    @asjioafshosda 7 годин тому +2

    田安将軍ならず

  • @wa33785
    @wa33785 5 годин тому

    (田安家としてでなく)田安家初代德川宗武の血統は、松平定信の長男が松代藩へ養子の眞田幸貫(佐久間象山登用)が老中に、次男定永の子が備中松山藩へ養子の板倉勝静(山田方谷登用)も老中に。同じく定永の子に上野沼田藩養子土岐頼之が居り現代まで続いている宗武の唯一の血統と思われます。

  • @こんばんこ-j5l
    @こんばんこ-j5l 7 годин тому

    まぁ松平と名乗る半端な家格が増えて御三卿(新御三家)生んだんだな