【悲劇は不幸のリハーサル】共感力に芸術がもたらす効用とは シラーの「美的教育書簡」中野信子×石津智大

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  • Опубліковано 24 лис 2024

КОМЕНТАРІ • 4

  • @YouT4501
    @YouT4501 5 місяців тому

    「トレードオフではなく、両方追求していくのが知性」というのはその通りだと思います。
    私も学生の頃からそう思っていましたが、ほとんどの人は(水戸黄門の影響でしょうか?)思考停止して「苦あれば楽あり」と考えていますね。

  • @YouT4501
    @YouT4501 5 місяців тому

    勝ち組ギバーは、競争においてはじめから有利な立ち位置にいる人達ではないでしょうか?
    もともと有利な立ち位置にいるのであれば、他人に多少与えてもあまり影響がありませんし、むしろ与えることで、より有利な立ち位置を確保できます。

  • @user-hs6oz7dn2g
    @user-hs6oz7dn2g 5 місяців тому

    しかしそういう研究こそ、その個人単体を見ていても仕方ないですよね。悲しみが予行演習を必要としていて、誰かに仕込まれている可能性があるのだとしても、善意で仕込まれていると断定できるのかどうか、伝わるのかどうか、仕込みに何かの矛盾や因果的なずれがあるのかどうかは厳密には観測のしようがないはずで、逆に言えば仕込んでいるのに気が付かないということは、そもそも仕込まなければならないという理由となった何かの構図が、仕込みを行っている人々の考えているものとは違うものである可能性もあるわけで、それらについて悲しみの原因や対策がどのように打たれているのかを正確に認識する為には、個人の本心はもちろんのこと、社会状況や関係性の構図が正確に把握されている必要があるわけですので、逆にその構図がズレている場合、違う経験を与えることになるということですよね。私の経験上でさらに言うのであtれば、そうした仕込みを行う組織なりへの反発心から行われているさらなる仕込みが明らかで、そうした仕込みの工作合戦に陥っているようなので、話し合いなり精査をするべきだと私は考えているのですが、犯罪者心理、つまり不純な動機が明らかな権力の乱用が原因で、それすらもできずにいる権力があるようで、反吐が出ます。悲しみの原因を生んでいる巨悪の根源だからです。さらに付け加えると、そもそも観測者たちが特異な社会状況に身を置いている人々で構成されている場合は、精査しても理解ができないという状況すらも考えられるわけで、そうした可能性を排除した仕込みなんてものが行われているのだとしたら、変態かカルトか本物の馬鹿、記憶力が良かろうと情報量が膨大であろうと物事の違いが判らないという意味での馬鹿だと、定義上、断定されることになります。それを、馬鹿だというからです。もちろん生贄という意味での予行演習、不穏分子の抑制の為の生贄を必要とするような権力構造というものもありますが、その生贄を捧げている人々が掲げる正義が、その生贄の存在自体がいることで揺らぐことになるのであれば、さらに大きな問題を抱えることになるというだけのことであって、権力構造としてまったく機能ができるとは言えない、やはり馬鹿が考えた理論だということになりますよね。まもちろん、たまったま、天文学的な確率で、奇跡的に殺しそこなったということなんかも考える必要があるでしょうが、まぁそんなことではなくただの構造的な欠陥が明らかなわけでしょうから、結局はやはりそうした観点からも考えてみて馬鹿みたいなことなわけですし、構図というものを精査するべきでしょうね。つまり、予行演習が本番になっていたり、本番と思ったら予行演習とかだったり、予行演習の予行演習だったり、本番の本番の本番だったりする可能性を考慮する必要があるという意味です。永遠に。(伝わるかなぁ。)