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音楽のテストで100点取って3を付けられたことまだ許してない。授業も真面目に受けてたのに・・・。
おれは音楽が93で3友達は音楽97で3もう一人の友達は34で3
内申点なんか廃止してしまえ!!と言いたいけど、廃止してしまうと生徒を管理することが大変になるという側面もあるのでしょう。千代田区の麹町中学など、一部の超好立地のセレブ公立中などはそれでも問題ないでしょうが、普通の公立中は荒れてしまう可能性も高いですよね。バランスが難しいですね。
内申書を廃止したところで高校入試の透明性につながるのか?結局不合格だった人が点数操作されたとか,お金持ちの家だからとかそういうところで騒ぐと思う。それから生徒ってそんなに内申書意識して生活してるのかな?成績よくない生徒に限って内申なんか意識してないと思うから言うほど管理面で変わらないと思う。内申書なかったらそんなに学校荒れるかね?今と変わらないと思う。
都内で内申地獄で凄い損した私ですが、これはもう大学受験まで平等な競争は望めないと思い諦めました(笑) 都立高校の進学実績が伸び悩む理由には内申が大きな要因に挙げれそうです。
公立の名門中学だと、内申で損をするんんだよね・・・
それめっちゃあるな例えば主要科目オール5安定で無双しまくってるのに、副教科3とか4ばっかりで都立の進学校門前払いになる子めっちゃいると思うで、そういう子が地域2番手ぐらいの都立(≒自称進)に入って、その都立高校の授業レベルが低すぎてその子のポテンシャルを引き出せない、という悪循環に
ヤンキーばかりの都内で5本の指に入る荒れてる中学卒なので内申で苦労はなかったです。下位層はすでに埋まってるので、希望する学校に合わせてわりふってもらえる感じでした。こういうところも内申点の闇だと思います。
東京では東のほうで内申取りやすいイメージ
いっそのこと中学受験した方がいい
学校の先生ウケのいい作品と芸術家が評価する作品って結構違うですよね~。小学生の時に図工で先生に指摘されて書いた絵が学校応募のコンクールで入賞しましたが、自分の絵じゃないみたいで今でも納得いかないです。個人応募の絵画コンクールでは本当の自分で入賞できたので良かったです。
作品を評価してないよ。自分が作りたい作品に仕上げるために必要な知識を理解してそのための技能ができているか,課題に合わせた発想ができているか等を見ている。例えば肖像画を描きましょうという課題ならデッサンの技術が必要になるわけで,そこにピカソのような発想は求めていない。空想画を描けという課題に完璧な風景画は求めていない。課題ごとに何の資質・能力を育てようとしているか狙いが異なり,それを達成していなければ芸術的であろうがなかろうが評価は低い。そもそもね,芸術性を評価したらそれこそ評価者の主観になってしまうではないか。作品に対して好き嫌いだけで評価されることになる。
ゆうても内申書の欄は抽象曖昧な項目もあるから度が過ぎない限りえこひいきしてもバレなさそう。それで、中程度の学力で媚び売る生徒は内申高くなりがち
「内申」は馬鹿な制度と思います。成績は内申点の決定要因の一つであってすべてじゃない、教師の主観的評価によるものが多いです。例えば、オリンピックに出場したからといって数学で5点を取れるわけではありません;幼稚園から歌やピアノを練習してきたからといって、音楽が5点をとれない人も多い。不透明や公正な評価を受けられない内申制度のため、中学受験をして、内申点を重視しないでも費用が高い私立に進学するケースが多い。
まぁ内申みたいなクソ制度に付き合って公立いくよりも中学受験で難関中高一貫いく方が東大受かりやすいしね😊
中学生だった時は評定で3をもらったことはなく全教科4または5だったのに、受験には全く関係のない中三の三学期に家庭科で初めて3をつけられました。悔しかったです。
内申はバカ教師の脅しにしかすぎない
中3の3学期なら、受験終わってるから大丈夫😂
本当に副教科の内申はなくすべき
何故か美術だけ男子は5取れなかったなぁ、、、
中学のではないけど高校で体育の成績運動苦手なりに頑張ってるのにクラスで下から2番目なの納得行かないです女子とか座ってるだけなのに大抵自分より高くてどうやってつけてんだよって思います
君の頑張っているは一般的な頑張っていないと同等なんだろ。そして女子の成績どうやって把握したんだよ?体育が苦手な生徒は女子と話す機会なんかないだろ。
私の卒業した中学は通知表逆に男子にいい点数を付け、女子に悪い点数を付けていました。近くに男子が通える底辺校がなく、女子は近くに2校あったので仕方なかったのかな?先生もこのことを公言していました。
そういう誰得な忖度は間違いなくあるよなぁ
嘘でしょ?公言する馬鹿いる?
「社会経験の少ない教員を騙すのなんて簡単だよ」って生徒さんが言っていました。
所詮教師なんて社会未経験者だからww
@@菅義偉-m5u そんなこと言ったら会社員は自分の会社しか経験していない人が多い。一つの会社だけで社会を経験したと言えるのかね?
確実にある。私が中学校の時あった。特に男性教師はロリコンが多いと思うので、中には(法的に問題ない範囲で)公私混同する人もいる。
公立の先生は公務員だからやめさせる事ができないので、複数の保護者から評価の付け方がおかしいと抗議があっても指導することしかできません。その先生が離任するまで当り障りのないようにするしかないです。
内申点なんて副教科の先生の存在価値の為だけにあるシステムでしょ。これがなくなったら生徒になめられて授業が成り立たなくなるから。
それを言うなら,内申点がないからって実技教科の先生をなめて授業を成立させない生徒の人間性の方が問題。そんなやつがそのまま社会人になる方が問題多すぎ。
内申点があってもいいと思うが。実力だけで入れる枠もしっかり設けてほしい。(神奈川県の第二段階選抜のようなものの枠を増やす感じ)
神奈川の2段階選抜って1段階目で通らなかったボーダー付近のやつらをテストの結果と「学びに向かう力,人間性等」の評価で合否を判断するものだぞ。入試で通らない下位10%がそれの対象。上位90%には行われない。その枠増やしたら実力だけで入れる生徒が今以上に減ることになるのだが?
主要科目で90点の子が4で70点の子が5なのは納得いかない。後教育意識が低い地域では少し頑張ればオール5が取れてしまい、あまり内申に意味を感じない。
女子はいつも先生のまわりに群がってるから男子はよく「内申あげしてんあ」って言ってる
あるあるやなww女子はそこら辺の世渡りが上手い
学力試験に世渡りの力を反映させるのは違うと思います
内申点欲しさに枕営業とかあるかもね。
@@菅義偉-m5u 世渡り下手で力発揮できないなら存在していないのと一緒では?
バカロレア方式もいいですけれども、それを導入するのは時間がかかりそうなのでまずは内申点廃止という事で。僕は体育でひどい目に遭いましたので。もちろん体育教師に嫌われていました。
特に主要5教科の宿題って結局のところ授業した単元の理解を高めるために出しているんだと考えると、やったやってないで成績に反映するのは違う。先生は結局は従順な生徒児童を洗い出すためにやっているだけで、その単元を理解させることは二の次なんだろうと思う。内申の配点はペーパーテスト100%でいいんじゃないかと思う。
「特に主要5教科の宿題って結局のところ授業した単元の理解を高めるために出しているんだと考える」のであれば,普通に考えて宿題やっている生徒の方がやらない生徒よりもテストの成績よくなるでしょ。実質ペーパーテスト100%ってことになるのでは?
言い方悪いけど、主要5教科が学習障害で全然できない生徒の自尊心を保つために実技4教科が存在する側面はあると思う。
いや、勉強めっちゃ出来るけど音痴、運動音痴、不器用で努力しようにも手遅れ(&センスの問題)って子の方が多いと思う
@@あお-x7p3j 勉強できる生徒は実技科目をペーパー能力と提出物でカバーできるから成績が壊滅的になりにくい
思うのだが吹奏楽部は除いてテストできない奴ほどリコーダー吹けないの何なん?頭悪いのが原因としか思えん。練習法にも工夫がないからずっと下手なまま。そら評定上がらんわなってずっと思ってた。
私は中学時代に100m11秒台でしたが体育3でしたよ美術の先生よりも絵上手かったですが、やはり3もらいましたw自慢じゃないですがどちらも努力していません、生まれつきです
100m走だけで成績つけるわけないからそれだけじゃ何とも言えない。絵が上手くても課題に沿った発想や技能を習得しているかで評価されるので,それだけでは何とも言えない。小論文で論理的であっても問われた内容に答えていないなら点数上がらないのと同じ。
佐野くんはどうして推薦で頼まなかったのかな、と雑誌に書いてる鮫島元総理補佐官に脱力しわらってしまった。
内申点のエコ贔屓、めちゃくちゃありますよ。副教科など、例えば定期試験いつも満点で合唱会でピアノ伴奏弾かされてもずっと3でしたね。職員室に苦情いいに言ったこともあります。学年トップの万能生徒に平気で3を付ける教師とか、悪い意味で勇気あるなと思いました。結局、高校受験は偏差値がとても高かったので、内申点ギリギリで都立トップ校特攻プラン組みつつ私立最難関と国立最難関を出願し、都立受験前に高校受験終了しましたが。子供は絶対公立中で内申稼ぎをさせたくなかったので、公立中回避で中高一貫校に進ませました。
ピアノ伴奏したんだから4か5にしろって苦情言いに行ったの?評定の仕組み分かっていないからできることですよね。自分が無知であったことを恨んだ方がいいです。
@@fukushimaben.sansantakasan さん確かに、一般公立中では内申点は不公平に、また学力と無関係につけることが当然のこととして運用されてますね。そんな教育をして、内申点で高校進学を決めざるを得ない仕組みの公立中に行ったことを恨んでいます。まあ、教育にかけるお金と手間を節約して公立中に入れるか、良い教育を受けさせるために中学受験させるか、これは家庭の方針ですので、親の方針が間違えていたわけですね。自分は教育に手を抜く親になりたくなかったので、子供は鉄板の準備で私立中高一貫校に進ませました。なお、面白い話として、高校受験がある国立大学附属中では、きちんと生徒の学力の結果に応じて成績評価をしていて、某中学などオール5だらけだそうです。一般公立中と違って質の高い教師がいる国立中では内申点も本来の成績評価になっているのですね。
まぁ、僕みたいに遊んでて中2から学校行かなくなり、中3は修学旅行だけ行ってまた行かなくなって文化祭から行きはじめ、5ヶ月くらい学校行ったらトップ校受かっちゃった身からすると内申点恨んでるのって頭悪いとしか思えないです。高校でも定期テストだけ勉強して高三の夏まで部活。そこから受験勉強して目黒にキャンパスある国立大に合格した。頭悪い人は中学受験した方がいいかもね。教えて貰わないと勉強分からないんだろうから。僕みたいな人は普通に公立の方で十分だわ。
@@fukushimaben.sansantakasan さん東京だと、そういうタイプは、学年トップでも、偏差値75でも、成績はせいぜい4、下手をすると3が多くの科目でついて、上位層が行けてマーチ程度の中堅都立高しか行けないです。賢い子を大切にする地方の公立中でよかったですね。あと、公立高校受験での内申点のインパクトは東京都はかなり高いです。東京でトップ層の子にとっては、都立高は、内申点でトップ校以外に行けと言われたら、かなり絶望感があります。かといって、国立私立の超難関校は、定員が異常に少なく、本郷の大学より難しいと言われていて、まあ受かる気がしないのです。
@@gotarokita3435 でも東京は内申点の割合3割しかないでしょ?偏差値75なら9割以上は入試で取れるだろうから普通に受かるのでは?しかも日比谷高とかは独自の難しい問題を入試で出す。内申点だけのバカは突破できないから頭いい人の方が有利。
男女の年子を育てています。人たらしで空気読める妹の方が成績はいいですが、圧倒的に兄の方が学力が高いです。明るく素直そうな女子の偏差値60 と偏屈な天才肌の男子の偏差値70なら多分、明るく素直な女子の方が有利でしょうね。公立のテストだとそんなに点数に差が出ませんしね。
ただ大学受験だと後者の方が結果はよさそう
@@菅義偉-m5u 大学受験は推薦を除き結局テストですからね。天才かどうかは高校で分かる。ほんとに天才ならトップ校に行けなくても全受験生の中で偏差値の高いグループにい続けて結果を出す。それができないならそれまでの才能。アインシュタインは微分学・積分学は独学で習得したと言われている。
これはマジ。塾で働いていたけど、女子の方が圧倒的に内申は高かった。これは女子の方が比較的真面目で、ノートやレポートが丁寧だからだと思う。ちなみにテレビ局採用担当の友人は、エントリーシートも総じて女子の方が丁寧で、好印象とのこと。。
枕やってる子はえこひいきしてくれるかもな。内申点を餌に教え子とにゃんにゃんしてる先生とかいるだろうな。
そもそも、完璧に点数化するというのは無理がありますから、難しいところですね。
日本における教育の目標は「人格の完成」と「社会の形成者を育てる」ことですからね。それを目標として掲げる以上,知識以外の思考力や人間性も評価の対象にしないと何のために評価しているのか?という話になってしまいます。教育の達成具合を見取るために評価しているのであって受験のために評価しているのではないですから,受験に用いているのが問題と言えば問題なのかもしれません。教科の評定は用いず,在学中に成し遂げた成果の事実(英検や生徒会,部活,その他数学オリンピックなど学習に関する競技会等)と個人面接と集団討論,試験日の志望校内での言動の観察,入試だけでよいのかもしれません。
成績良い人は先生の態度がいいです
ならみんなそうしたら上がるのに何でそうしないんでしょ。
田舎の公立中でしたが、4か5かを争うようなレベルの生徒らにはしっかりと正当な評価が下ってた記憶がありますね。2~4を彷徨うくらいの力だと、人数も多いですし若干のバイアスはかかってしまうのかも。
後は生徒数が少ない公立中だと正当に評価してくれるけど、生徒数が多い公立中は教師から目立たない生徒の場合は適当に3とかつけられることもある。
@@3910-u6s 単に目立たないから3というより学習に対して目立つほどの成果がないから3と言った方が正しいかも。
田舎の公立中は、地域から人材を輩出しようという意識が強いので、出来る子の内申を理不尽に下げる様なことは少ないそうです。でも、東京は、出来る子はほとんど私立中高一貫校に行ってしまったという前提なのか、公立中ではかなり出来る子も教師から内申点で遊ばれてしまうことはよくあります。母校の都心部の公立中では、数年に1人ぐらい、定期試験で学年トップなのに成績が下げられた結果、不登校になるなどして、高校進学をやめてしまうような子がいました。東京と地方でかなり事情が違うようですが、東京では、公立中は内申点のせいで、出来る子には向かないです。
@@gotarokita3435 いや、僕中学の通知表中2年の2学期から3年1学期まで「評定できません」って判子押されてた。中3の2学期までの総合点が内申点になるのね。欠席日数も3年間でざっと300日くらいは休んでたから内申点は最悪なはず。先生から「お前はトップ校しか受からない。私立はまず無理」と言われたよ。案の定私立は全部落ちた。ま、地方の私立なんか受かっても行かないけどさ。入試で地元のトップクラスなら普通に合格できる。内申点なんか関係無い。大体さ、トップ校なら内申点高いだけの人と僕みたいな人どっちに来てほしいって話だよ。
@@fukushimaben.sansantakasan 頑張って理不尽に打ち勝ったことは立派ですが、そんな理不尽で損をした有意な人材も多いと思うます。やはりシステムとして、内申点はおかしいし、そんなシステムに固執する公立中はダメですね。
去年まで国語科と芸術科(書道)の教員をしていました。芸術科は字が上手な子が高い評定が取れると思われがちですが、それだと意味がないので、私は字の巧拙で評定をつけるということはしていませんでした。字が下手な子でも5が取れるような評価方法で、もともとのポテンシャルは加味せず評定をつけていました。芸術科って依怙贔屓と思われても仕方ないと思いますが、そう思われないように、評定方法を工夫している教員もたくさんいます。ただ、依怙贔屓などと言った主観でつける教員がいるのは事実です。芸術科は難しい問題ですよね😅💦
都会ならまだ内申が関係ない私立があるからチャンスがある 俺の地元はどこの高校に行くのも内申点がまとわりつくからどうしようもなかったな 女子は頭悪くてもそれなりの高校にいける
地方は私立カスなとこ多いからな俺の県なんか宗教系の私立高校ばっかりで、公立落ちたら定時行くしかなかったわ
それなりの高校いっても大学受験でかなり苦労するからな
@@菅義偉-m5u それなりの高校行っても頭がよければ高校入学時点では同学年の大学受験組の中では偏差値高いはずだから塾や予備校行けば苦労はしないはず。ほんとに頭良ければ独学でいける。なぜ苦労するかと言えばそれほど優秀ではないから。
友達が自分のレポート丸写しして、自分がBで友達がAだったことあったな~
レポート以外の面で評価が分かれただけでは?不思議でも何でもないが…それにレポートの丸写しに気づいたとしてもどっちがどっちのを写したのか分からんし。普通は丸写しのレポートがあったら生徒に問いただすけどね。問題集なら気付かないだろうけど。なんか嘘くさい話だな。
@@fukushimaben.sansantakasanレポートでレポート以外のところ評価されたら問題だろ
@@寺田下心-y7t 総合評価はレポート以外の評価もしているでしょって話ですよ。レポートの評価がBとかAとか分かれたって言う話なら嘘くさい話ですねってことです。
内申点は諦めてます。四谷偏差値60超えてる算数理科でも公立小学校3段階評価の一番下です。まったくノートを取りません。だから納得しています。
三段階の一番下は確かにアレですが、四谷大塚60程度なら真ん中評価でも全く違和感無いですよ。
@@パパゴゴ 上の子も似たような偏差値だったのに全ての科目、項目で上の評価だったのでその差に驚いています。テストの点数はあまり関係ないのかと。
まぁ小学校はテストの点数より授業態度のが問われるから仕方ない問題は中学よ中学でペーパーテスト90点以上取ってて授業態度も良いのに成績5段階中3を付けられることが問題なわけで
それを思えば、内申書がいかにして悪しきものかがよーーーーーーーーくわかりますね。まあ、文部科学省を頂点とした教育行政のご都合主義によるものですから。
三年間9回、音楽だけずっと4、これは闇がある
俺なんか定期テスト90点前後取ってて音楽ほぼ3だったよ俺が音痴だってのもあるけど、男って中学で変声期迎えるから高い音が出しづらいんだよなちなみにアルトリコーダーのテストだった時は当然のようn5もらえた音楽の歌のテストはガチで音痴と変声期の男子には辛い
俺の学校の美術の先生、定期テストの評価項目が鑑賞の技能だけだから俺2回中2回満点取ったのに絵が下手だから4だったw
一発勝負の入試だけで評価するのは駄目だとの意見が多く教育改革に影響してきました。良い意味で媚びる能力が高い事が内申を高くするには必要です。どちらかと言うと積極性やる気が評価されます。運動能力低くても楽器ができない歌が下手でもやる気ある感じが出せる人は成績良いです。大人になってこの目上の人に媚びる能力、目上の人に好かれる能力は非常に大事です。そこは、評価できますが、とは言え、今の評価制度は、あまりに教師個人の評価がそのまま反映する恐ろしい制度です。本来評価は、非常に難しいものです。人事部で人事考課やシステム構築では、不可能な事を扱っていると感じました。社内の別の地域の同じ職種でも比較は難しい。さらに別の職種の人も同じ土俵で評価しなければなりません。加えてシステムを適用する評価者の教育は非常に困難でした。同じ人を別の人が評価すると別の結果になるというのは本来あってはいけません。人を評価するのは本当に難しい。本来同じ学区の中学校全ては、同じ基準で評価しないとおかしいですが、全くそんな調整は、する努力すらされていません。中学3年の内申と言いますが、それ以前のイメージで、テスト成績バク上がりでも成績反映させない学校もあります。他方で凄く順応して上げ下げする学校もあります。当にコバショーさんの言われたとおり第三者委員による客観的評価が必要とされます。都立西高、日比谷とか、受験にあたって、能力あっても内申で断念している人多いですからね。
上野千鶴子は「がんばってもそれが公正に报われない社会があなたたちを待っています」と言いました、内申点は一つ不公平なことです
「今の評価制度は、あまりに教師個人の評価がそのまま反映する恐ろしい制度」教科や学年の教師によって複数の目で評価に対しては妥当かどうか判断しているので教師「個人」の評価がそのまま反映するということはないです。「本来同じ学区の中学校全ては、同じ基準で評価しないとおかしいですが、全くそんな調整は、する努力すらされていません」どの中学校でも学習内容は全て同じであり,できるようにならなければならないことも全て同じ。学習指導要領によって定められている。同じ学区なら同じ教科書を採択している。それならば教科書会社が設定している評価基準は同じである。つまり,同じ教科書を使っているので地域内の評価基準は同じものを使っていると言える。とはいえ,それだけでは疑いは晴れないだろうから詳しく言うが,教科書では授業ごとに生徒にできるようになってほしい評価項目が設定されている。毎時間の評価はABCの3段階に分かれている。知識・技能であれば,数学で言うと授業の最後に練習問題を解くことが多いと思うが,授業内容を理解してその問題を正確に解けるかどうかで判断している。問題を解く過程も授業中にチェックしている。例えば5分という時間設定をしたならば,1分以内に正確に解き解法も論理的矛盾がなければ当然Aとなる。それよりは遅いが5分以内に正確に解けたならB。時間内に解けないならC。そのABCの積み重ねで単元の評価が決まる。Aの割合が8~9割あればA。それ以下ならB。Cの割合が半分を超えていたらCというように。Bの範囲がとても広いので,一般的なクラスであればBの生徒数が当然多くなる。単元ごとにそのようにして評価を出し,学期末に蓄積していた単元ごとの評価を総合する。学期中に4単元行ったならば蓄積されている知識・技能の評価も4つある。単元によって時数も内容も異なるので,どの単元がAかBかで総合的評価も変わる。例えば,展開公式を理解する単元と二次関数を理解する単元とでは後者の方がAの価値は大きい。二次関数がAということは展開公式を理解しているということにつながる。4月に行った展開公式はBだったが,7月に行った二次関数がAであるなら,その3か月の間に展開公式の理解も進んでいるので,7月時点では展開公式の単元もAだと考える方が自然だからである。当然その逆もありうる。故に定期テストを行う。テスト時点での知識・理解を確認し,これまでの単元の評価と併せて評価を決める。それを思考力・表現力・判断力と学びに向かう力,人間性等の観点の3本柱でも同様に評価している。裏事情を言ってしまえば,1授業の間でやたら問題演習が多い時間は専ら知識の評価を,話し合い活動が多ければ思考力や学びに向かう力を主に評価する授業だと考えていいと思う。話し合い活動がなくても,提示された問題に対する試行錯誤の時間が長かったり,ノートに感想を書かせたり分かったことを整理させたり振り返りシート的なものを書かせたりする場合は思考力等を評価されているものだと思ってよい。皆の前で意見を言うのが苦手な生徒をそこで救う意図である。そのような授業展開も教科書によって決まっている。例外は校内研究,指導訪問等で学校中の教員や「お客さん」が授業参観をする授業のときである。この時は教科書のような一般的な授業ではなく,目の前の生徒や地域の実態,各校・各教師の研究テーマに合わせた授業をしなければならないので教科書の評価項目から少し離れることがある。とはいえ,指導内容が変わるわけではないので教科書から大きく逸脱するものではない上に年に数回しかなく,総合的な評価に影響するものではない。長くなってしまったが,要は学校間で調整するまでもなく教科書によって指導内容とその評価基準は統一されている。第三者委員を入れても客観的な評価にはつながらないだろう。これまでの評価に第三者の主観的な評価が加わるだけだからだ。教師はえこひいきをするという疑念があるのかもしれないが,第三者がえこひいきをしないと言い切れるのか?賄賂だのなんだのややこしい話に発展するだけではないのか?結局は税金を使って無駄なことをするようになるだけである。
評価制度についてであるが,相対評価の時代は5の人数が決まっていたために本来同程度の評価の生徒を人数の都合上どうしても違う評価に割り振る場合があったと思う。だが,今は絶対評価である。評価項目をクリアできたかどうかで評価されているので昔に比べればはるかに平等だ。地域ごと,学校ごと,学年ごとの差はそれで生まれているだけと言える。教師の側で差を付けようとしているのではなく,生徒の実態によって差がついているだけである。港区や千代田区など都心の内申点が他より高くなりがちなのは当然である。親の学歴は高く,収入も高い。子どもに自分と同程度の学歴を求めるのは自然であり,そのために塾や家庭教師にお金を惜しまず使う親が多い。子どもも親を見ているため学習に力を入れるようになる。しかも難関中学受験のために小学校から塾に通った挙句不合格で公立中に来る生徒もいる。点数が高くなる環境が整っているのだ。反対に都心から離れれば離れるほどそのような親は減る。親の学歴が下がれば下がるほど受験への意識は親子ともに下がっていく。難関中学を受験しようと小学校の内から塾に通う子どもも減る。さらに言えば塾も減る。塾講師をしているアルバイトの通っている大学も変わる。同じ学習内容を指導して同一の評価基準で評価しているならば,都心で競争してもまれている生徒と田舎でのんびりしている生徒とでは差がついて当たり前である。それは決して不平等ではなく,むしろ平等なのだ。平等だからこそ差がつくと言える。制度の欠陥ではなく環境の差異が生み出す結果にすぎない。
それに,教員はテストの点数だけで評価はしていない。考えてみてほしい。テストを20分で終え,残りの時間は寝ている生徒,同じように20分で終えたが見直し,解き直しをして確実に100点取ることを目指している生徒,じっくり解いて45分かかったが100点の生徒。知識面では同等かもしれないが「学びに向かう力,人間性等」の観点で見た場合,同等の能力であるとは言えないだろう。美術の授業で言えば素晴らしい作品を仕上げたが「もう終わりました」と言って残りの時間があり,教師が「より良く」なるように助言したにもかかわらず「終わったので」と何もしないで過ごす生徒と,下手かもしれないが教師や友だちに教えを乞うたり,友だちの作品から良い点を見出して自分の作品に取り入れようとするなど最後まで「より良い」作品を仕上げようと努力し続ける生徒とでは「思考力・判断力・表現力」や「学びに向かう力,人間性等」は異なる評価となる。前者は「知識・技能」が高評価なだけだ。それはテストでも被る観点であり,上限がある。それ以外の観点でも評価を高めなければならない。だからそのような学習への取り組み方ではテストがよくても総合的な評価は上がりにくい。そして,入試のテストがない技能教科はこういう事態が発生しやすい。テストの点数ばかり考えて無駄を省こうとする生徒の評価が上がりにくいのはこのためだ。学校は「生徒の人格の完成」と「社会の形成者の育成」が目標である。受験のために教育しているわけではないし,知識・技能だけを育てているのでもないので評価もテストのみでは行えないのである。それを認めないならば教育の目標を定めている教育基本法を改定するしかない。細かいところまで教師は生徒を見ている。全員見れるのかと疑問に思うかもしれないが,全員を”同時”に見る必要はないのだ。席順ごとに時間差で見ている。しかも全員バラバラの進度ということはない。平均的な生徒が最も多く,それらの生徒はまとめて把握することができる。能力の高い生徒,低い生徒は平均の生徒とは明らかに問題が解けるスピードが異なるので分かりやすい。平均的な生徒が覚醒した場合など,いつもと異なる動きがあれば余計に目立つので把握しやすい。だから全員を把握できる。絶対評価の今だからこそ,生徒は各授業での評価基準を高い基準でクリアし続ければおのずと高評価になるはずである。3つの観点で高評価なら単元でも高評価となる。高評価を積み重ねていけばおのずと内申点は上がる。内申点を上げたいならテストだけではなく,普段の一時間の授業を大切にしていくことだ。
平方メートルではなくて平方根でした。
自分は中学の音楽の授業の歌のテストに苦しめられてたな1学期中 歌のテスト1回の時5、2回の時4か3だった笑これは自分じゃないけど美術の授業で筆記テストで95点ぐらい取ってまじめに作品作ってた子が3だったのは可哀想だったし
確かにどなたかいっていますが生物的に女性の方が精神的にも早熟であればやはり女子に有利なんだと思います。あと欧米では体を動かすのが好きな男子にとってじっとしてないといけない学校環境は幼稚園から不利で自信をなくし大学まであとを引くとだと結論が出ています、今アメリカでは学卒も院卒も女性が大きく上回りmale crisisとも言われはじめてます。深い問題ですね。
意味のない制度だよ。
確かに。内申書は中学時代の部活や生徒会,委員会活動,その他検定等の実績を記入する飲みにして,それ以外の人間性や思考力を入試で判断したいなら面接や集団討論,小論文や高校の側で求める受験生のレベルに応じて独自に問題を作成するなどした方がよいと思う。さらに言えば中学校では面接や集団討論の対策は行わない。高校の側で,中学校の授業をしっかり受けることで育まれる資質・能力でしか対応できない面接や集団討論のやり方を編み出せばよい。とすれば公教育の施設としては平等になる。それ用の塾が誕生して教育格差は広がると思うけど。
まあ高校受験はでは女子が不e利なので、内申で下駄を履かせても良いね。基本は定期テスト・小テストなので、マジメに授業・提出物は丁寧にすれば問題ない。多少は不利になっても、5⇒4になるぐらいです。⇒公立トップ高校を目指す子だと、それが痛いんだけど・・・
高校受験で女子が不利って具体的にどういう意味で?英数国理社、文理バランス良く問われる5教科の試験において、男女間で有利不利が発生する要素なんて皆無調査書に影響を与える生徒会役員や学級委員、部長等の役職はほぼ1:1、部活や課外活動も男女平等に誰でも可能だと思うが
全てのテスト、提出物、授業丁寧にすれば問題ない???どこがだよw全部完璧にしても5取れない学校なんてザラにあるぞ5→4の差もかなりでかいぞ
学力トップ層には、5から4みたいなのが本当にきついですね。
実社会に出れば、このとおりに評価されますよ。
社会の上手くいってない会社の評価システムを真似る必要はないと思いますがね。
でも5はとれるからな
内申は大事だと思う。めちゃくちゃ勉強出来る子いたけど、普段の授業態度はめちゃくちゃ悪くて周りに迷惑かけまくってて、内申で2を付けられてたのは本当にスッキリした。ちなみに点数は取れるからトップクラスの進学校へ行ったけど。でも、ちゃんと授業態度とか反映してもらえるのは良いよね。
いや、ここでは授業態度は良い前提での話じゃないか?真面目に取り組んでいても、何らかの原因で先生が誤認したり、好き嫌いで無意識のうちにバイアスがかかるのが問題なんだよそもそも、内申点欲しいなら周りに迷惑かけるほど授業態度悪くなんて絶対しないからね
あれ、矛盾してね?内申点あるのに授業態度めちゃくちゃ悪いやついたってことは内申点なくてもいいよね?w
いい人に気をつけよう。詐欺師はいい人を演じてますから。
@@あお-x7p3j 思うんだが,無意識のうちにバイアスかかるならそれを利用すれば簡単に内申点上げられるじゃん。教師に好かれるような生徒像を演じればいいだけでしょ。頭がいい生徒なら普段の学習に加えてそれもやると思うんだよね。内申制度に文句言うより制度は賢く生かした方がお得じゃない?
副教科の成績取れないから廃止しろとか言ってる人は自分が成績取れないことを根に持ってるだけ。本当に優秀な人はなんとも思わない。
音楽のテストで100点取って3を付けられたことまだ許してない。
授業も真面目に受けてたのに・・・。
おれは音楽が93で3
友達は音楽97で3
もう一人の友達は34で3
内申点なんか廃止してしまえ!!
と言いたいけど、廃止してしまうと生徒を管理することが大変になるという側面もあるのでしょう。千代田区の麹町中学など、一部の超好立地のセレブ公立中などはそれでも問題ないでしょうが、普通の公立中は荒れてしまう可能性も高いですよね。
バランスが難しいですね。
内申書を廃止したところで高校入試の透明性につながるのか?結局不合格だった人が点数操作されたとか,お金持ちの家だからとかそういうところで騒ぐと思う。
それから生徒ってそんなに内申書意識して生活してるのかな?成績よくない生徒に限って内申なんか意識してないと思うから言うほど管理面で変わらないと思う。
内申書なかったらそんなに学校荒れるかね?今と変わらないと思う。
都内で内申地獄で凄い損した私ですが、これはもう大学受験まで平等な競争は望めないと思い諦めました(笑)
都立高校の進学実績が伸び悩む理由には内申が大きな要因に挙げれそうです。
公立の名門中学だと、内申で損をするんんだよね・・・
それめっちゃあるな
例えば主要科目オール5安定で無双しまくってるのに、副教科3とか4ばっかりで都立の進学校門前払いになる子めっちゃいると思う
で、そういう子が地域2番手ぐらいの都立(≒自称進)に入って、その都立高校の授業レベルが低すぎてその子のポテンシャルを引き出せない、という悪循環に
ヤンキーばかりの都内で5本の指に入る荒れてる中学卒なので内申で苦労はなかったです。下位層はすでに埋まってるので、希望する学校に合わせてわりふってもらえる感じでした。こういうところも内申点の闇だと思います。
東京では東のほうで内申取りやすいイメージ
いっそのこと中学受験した方がいい
学校の先生ウケのいい作品と芸術家が評価する作品って結構違うですよね~。小学生の時に図工で先生に指摘されて書いた絵が学校応募のコンクールで入賞しましたが、自分の絵じゃないみたいで今でも納得いかないです。
個人応募の絵画コンクールでは本当の自分で入賞できたので良かったです。
作品を評価してないよ。自分が作りたい作品に仕上げるために必要な知識を理解してそのための技能ができているか,課題に合わせた発想ができているか等を見ている。例えば肖像画を描きましょうという課題ならデッサンの技術が必要になるわけで,そこにピカソのような発想は求めていない。空想画を描けという課題に完璧な風景画は求めていない。課題ごとに何の資質・能力を育てようとしているか狙いが異なり,それを達成していなければ芸術的であろうがなかろうが評価は低い。
そもそもね,芸術性を評価したらそれこそ評価者の主観になってしまうではないか。作品に対して好き嫌いだけで評価されることになる。
ゆうても内申書の欄は抽象曖昧な項目もあるから度が過ぎない限りえこひいきしてもバレなさそう。それで、中程度の学力で媚び売る生徒は内申高くなりがち
「内申」は馬鹿な制度と思います。成績は内申点の決定要因の一つであってすべてじゃない、教師の主観的評価によるものが多いです。例えば、オリンピックに出場したからといって数学で5点を取れるわけではありません;幼稚園から歌やピアノを練習してきたからといって、音楽が5点をとれない人も多い。不透明や公正な評価を受けられない内申制度のため、中学受験をして、内申点を重視しないでも費用が高い私立に進学するケースが多い。
まぁ内申みたいなクソ制度に付き合って公立いくよりも中学受験で難関中高一貫いく方が東大受かりやすいしね😊
中学生だった時は評定で3をもらったことはなく全教科4または5だったのに、受験には全く関係のない中三の三学期に家庭科で初めて3をつけられました。悔しかったです。
内申はバカ教師の脅しにしかすぎない
中3の3学期なら、受験終わってるから大丈夫😂
本当に副教科の内申はなくすべき
何故か美術だけ男子は5取れなかったなぁ、、、
中学のではないけど高校で体育の成績運動苦手なりに頑張ってるのにクラスで下から2番目なの納得行かないです
女子とか座ってるだけなのに大抵自分より高くてどうやってつけてんだよって思います
君の頑張っているは一般的な頑張っていないと同等なんだろ。そして女子の成績どうやって把握したんだよ?体育が苦手な生徒は女子と話す機会なんかないだろ。
私の卒業した中学は通知表逆に男子にいい点数を付け、女子に悪い点数を付けていました。近くに男子が通える底辺校がなく、女子は近くに2校あったので仕方なかったのかな?
先生もこのことを公言していました。
そういう誰得な忖度は間違いなくあるよなぁ
嘘でしょ?公言する馬鹿いる?
「社会経験の少ない教員を騙すのなんて簡単だよ」って生徒さんが言っていました。
所詮教師なんて社会未経験者だからww
@@菅義偉-m5u そんなこと言ったら会社員は自分の会社しか経験していない人が多い。一つの会社だけで社会を経験したと言えるのかね?
確実にある。私が中学校の時あった。特に男性教師はロリコンが多いと思うので、中には(法的に問題ない範囲で)公私混同する人もいる。
公立の先生は公務員だからやめさせる事ができないので、複数の保護者から評価の付け方がおかしいと抗議があっても指導することしかできません。その先生が離任するまで当り障りのないようにするしかないです。
内申点なんて副教科の先生の存在価値の為だけにあるシステムでしょ。これがなくなったら生徒になめられて授業が成り立たなくなるから。
それを言うなら,内申点がないからって実技教科の先生をなめて授業を成立させない生徒の人間性の方が問題。そんなやつがそのまま社会人になる方が問題多すぎ。
内申点があってもいいと思うが。
実力だけで入れる枠もしっかり設けてほしい。(神奈川県の第二段階選抜のようなものの枠を増やす感じ)
神奈川の2段階選抜って1段階目で通らなかったボーダー付近のやつらをテストの結果と「学びに向かう力,人間性等」の評価で合否を判断するものだぞ。入試で通らない下位10%がそれの対象。上位90%には行われない。その枠増やしたら実力だけで入れる生徒が今以上に減ることになるのだが?
主要科目で90点の子が4で70点の子が5なのは納得いかない。後教育意識が低い地域では少し頑張ればオール5が取れてしまい、あまり内申に意味を感じない。
女子はいつも先生のまわりに群がってるから男子はよく「内申あげしてんあ」って言ってる
あるあるやなww
女子はそこら辺の世渡りが上手い
学力試験に世渡りの力を反映させるのは違うと思います
内申点欲しさに枕営業とかあるかもね。
@@菅義偉-m5u 世渡り下手で力発揮できないなら存在していないのと一緒では?
バカロレア方式もいいですけれども、それを導入するのは時間がかかりそうなのでまずは内申点廃止という事で。僕は体育でひどい目に遭いましたので。もちろん体育教師に嫌われていました。
特に主要5教科の宿題って結局のところ授業した単元の理解を高めるために出しているんだと考えると、やったやってないで成績に反映するのは違う。
先生は結局は従順な生徒児童を洗い出すためにやっているだけで、その単元を理解させることは二の次なんだろうと思う。
内申の配点はペーパーテスト100%でいいんじゃないかと思う。
「特に主要5教科の宿題って結局のところ授業した単元の理解を高めるために出しているんだと考える」のであれば,普通に考えて宿題やっている生徒の方がやらない生徒よりもテストの成績よくなるでしょ。実質ペーパーテスト100%ってことになるのでは?
言い方悪いけど、主要5教科が学習障害で全然できない生徒の自尊心を保つために実技4教科が存在する側面はあると思う。
いや、勉強めっちゃ出来るけど音痴、運動音痴、不器用で努力しようにも手遅れ(&センスの問題)って子の方が多いと思う
@@あお-x7p3j
勉強できる生徒は実技科目をペーパー能力と提出物でカバーできるから成績が壊滅的になりにくい
思うのだが吹奏楽部は除いてテストできない奴ほどリコーダー吹けないの何なん?頭悪いのが原因としか思えん。練習法にも工夫がないからずっと下手なまま。そら評定上がらんわなってずっと思ってた。
私は中学時代に100m11秒台でしたが体育3でしたよ
美術の先生よりも絵上手かったですが、やはり3もらいましたw
自慢じゃないですがどちらも努力していません、生まれつきです
100m走だけで成績つけるわけないからそれだけじゃ何とも言えない。
絵が上手くても課題に沿った発想や技能を習得しているかで評価されるので,それだけでは何とも言えない。小論文で論理的であっても問われた内容に答えていないなら点数上がらないのと同じ。
佐野くんはどうして推薦で頼まなかったのかな、と雑誌に書いてる鮫島元総理補佐官に脱力しわらってしまった。
内申点のエコ贔屓、めちゃくちゃありますよ。副教科など、例えば定期試験いつも満点で合唱会でピアノ伴奏弾かされてもずっと3でしたね。職員室に苦情いいに言ったこともあります。学年トップの万能生徒に平気で3を付ける教師とか、悪い意味で勇気あるなと思いました。結局、高校受験は偏差値がとても高かったので、内申点ギリギリで都立トップ校特攻プラン組みつつ私立最難関と国立最難関を出願し、都立受験前に高校受験終了しましたが。子供は絶対公立中で内申稼ぎをさせたくなかったので、公立中回避で中高一貫校に進ませました。
ピアノ伴奏したんだから4か5にしろって苦情言いに行ったの?評定の仕組み分かっていないからできることですよね。自分が無知であったことを恨んだ方がいいです。
@@fukushimaben.sansantakasan さん
確かに、一般公立中では内申点は不公平に、また学力と無関係につけることが当然のこととして運用されてますね。そんな教育をして、内申点で高校進学を決めざるを得ない仕組みの公立中に行ったことを恨んでいます。まあ、教育にかけるお金と手間を節約して公立中に入れるか、良い教育を受けさせるために中学受験させるか、これは家庭の方針ですので、親の方針が間違えていたわけですね。自分は教育に手を抜く親になりたくなかったので、子供は鉄板の準備で私立中高一貫校に進ませました。なお、面白い話として、高校受験がある国立大学附属中では、きちんと生徒の学力の結果に応じて成績評価をしていて、某中学などオール5だらけだそうです。一般公立中と違って質の高い教師がいる国立中では内申点も本来の成績評価になっているのですね。
まぁ、僕みたいに遊んでて中2から学校行かなくなり、中3は修学旅行だけ行ってまた行かなくなって文化祭から行きはじめ、5ヶ月くらい学校行ったらトップ校受かっちゃった身からすると内申点恨んでるのって頭悪いとしか思えないです。高校でも定期テストだけ勉強して高三の夏まで部活。そこから受験勉強して目黒にキャンパスある国立大に合格した。
頭悪い人は中学受験した方がいいかもね。教えて貰わないと勉強分からないんだろうから。僕みたいな人は普通に公立の方で十分だわ。
@@fukushimaben.sansantakasan さん
東京だと、そういうタイプは、学年トップでも、偏差値75でも、成績はせいぜい4、下手をすると3が多くの科目でついて、上位層が行けてマーチ程度の中堅都立高しか行けないです。賢い子を大切にする地方の公立中でよかったですね。あと、公立高校受験での内申点のインパクトは東京都はかなり高いです。東京でトップ層の子にとっては、都立高は、内申点でトップ校以外に行けと言われたら、かなり絶望感があります。かといって、国立私立の超難関校は、定員が異常に少なく、本郷の大学より難しいと言われていて、まあ受かる気がしないのです。
@@gotarokita3435 でも東京は内申点の割合3割しかないでしょ?偏差値75なら9割以上は入試で取れるだろうから普通に受かるのでは?しかも日比谷高とかは独自の難しい問題を入試で出す。内申点だけのバカは突破できないから頭いい人の方が有利。
男女の年子を育てています。人たらしで空気読める妹の方が成績はいいですが、圧倒的に兄の方が学力が高いです。明るく素直そうな女子の偏差値60 と偏屈な天才肌の男子の偏差値70なら多分、明るく素直な女子の方が有利でしょうね。公立のテストだとそんなに点数に差が出ませんしね。
ただ大学受験だと後者の方が結果はよさそう
@@菅義偉-m5u 大学受験は推薦を除き結局テストですからね。天才かどうかは高校で分かる。ほんとに天才ならトップ校に行けなくても全受験生の中で偏差値の高いグループにい続けて結果を出す。それができないならそれまでの才能。アインシュタインは微分学・積分学は独学で習得したと言われている。
これはマジ。塾で働いていたけど、女子の方が圧倒的に内申は高かった。これは女子の方が比較的真面目で、ノートやレポートが丁寧だからだと思う。
ちなみにテレビ局採用担当の友人は、エントリーシートも総じて女子の方が丁寧で、好印象とのこと。。
枕やってる子はえこひいきしてくれるかもな。
内申点を餌に教え子とにゃんにゃんしてる先生とかいるだろうな。
そもそも、完璧に点数化するというのは無理がありますから、難しいところですね。
日本における教育の目標は「人格の完成」と「社会の形成者を育てる」ことですからね。それを目標として掲げる以上,知識以外の思考力や人間性も評価の対象にしないと何のために評価しているのか?という話になってしまいます。教育の達成具合を見取るために評価しているのであって受験のために評価しているのではないですから,受験に用いているのが問題と言えば問題なのかもしれません。教科の評定は用いず,在学中に成し遂げた成果の事実(英検や生徒会,部活,その他数学オリンピックなど学習に関する競技会等)と個人面接と集団討論,試験日の志望校内での言動の観察,入試だけでよいのかもしれません。
成績良い人は先生の態度がいいです
ならみんなそうしたら上がるのに何でそうしないんでしょ。
田舎の公立中でしたが、4か5かを争うようなレベルの生徒らにはしっかりと正当な評価が下ってた記憶がありますね。2~4を彷徨うくらいの力だと、人数も多いですし若干のバイアスはかかってしまうのかも。
後は生徒数が少ない公立中だと正当に評価してくれるけど、生徒数が多い公立中は教師から目立たない生徒の場合は適当に3とかつけられることもある。
@@3910-u6s 単に目立たないから3というより学習に対して目立つほどの成果がないから3と言った方が正しいかも。
田舎の公立中は、地域から人材を輩出しようという意識が強いので、出来る子の内申を理不尽に下げる様なことは少ないそうです。でも、東京は、出来る子はほとんど私立中高一貫校に行ってしまったという前提なのか、公立中ではかなり出来る子も教師から内申点で遊ばれてしまうことはよくあります。母校の都心部の公立中では、数年に1人ぐらい、定期試験で学年トップなのに成績が下げられた結果、不登校になるなどして、高校進学をやめてしまうような子がいました。東京と地方でかなり事情が違うようですが、東京では、公立中は内申点のせいで、出来る子には向かないです。
@@gotarokita3435 いや、僕中学の通知表中2年の2学期から3年1学期まで「評定できません」って判子押されてた。中3の2学期までの総合点が内申点になるのね。欠席日数も3年間でざっと300日くらいは休んでたから内申点は最悪なはず。先生から「お前はトップ校しか受からない。私立はまず無理」と言われたよ。案の定私立は全部落ちた。ま、地方の私立なんか受かっても行かないけどさ。
入試で地元のトップクラスなら普通に合格できる。内申点なんか関係無い。大体さ、トップ校なら内申点高いだけの人と僕みたいな人どっちに来てほしいって話だよ。
@@fukushimaben.sansantakasan 頑張って理不尽に打ち勝ったことは立派ですが、そんな理不尽で損をした有意な人材も多いと思うます。やはりシステムとして、内申点はおかしいし、そんなシステムに固執する公立中はダメですね。
去年まで国語科と芸術科(書道)の教員をしていました。
芸術科は字が上手な子が高い評定が取れると思われがちですが、それだと意味がないので、私は字の巧拙で評定をつけるということはしていませんでした。
字が下手な子でも5が取れるような評価方法で、もともとのポテンシャルは加味せず評定をつけていました。
芸術科って依怙贔屓と思われても仕方ないと思いますが、そう思われないように、評定方法を工夫している教員もたくさんいます。
ただ、依怙贔屓などと言った主観でつける教員がいるのは事実です。
芸術科は難しい問題ですよね😅💦
都会ならまだ内申が関係ない私立があるからチャンスがある 俺の地元はどこの高校に行くのも内申点がまとわりつくからどうしようもなかったな 女子は頭悪くてもそれなりの高校にいける
地方は私立カスなとこ多いからな
俺の県なんか宗教系の私立高校ばっかりで、公立落ちたら定時行くしかなかったわ
それなりの高校いっても大学受験でかなり苦労するからな
@@菅義偉-m5u それなりの高校行っても頭がよければ高校入学時点では同学年の大学受験組の中では偏差値高いはずだから塾や予備校行けば苦労はしないはず。ほんとに頭良ければ独学でいける。なぜ苦労するかと言えばそれほど優秀ではないから。
友達が自分のレポート丸写しして、自分がBで友達がAだったことあったな~
レポート以外の面で評価が分かれただけでは?不思議でも何でもないが…
それにレポートの丸写しに気づいたとしてもどっちがどっちのを写したのか分からんし。普通は丸写しのレポートがあったら生徒に問いただすけどね。問題集なら気付かないだろうけど。なんか嘘くさい話だな。
@@fukushimaben.sansantakasanレポートでレポート以外のところ評価されたら問題だろ
@@寺田下心-y7t 総合評価はレポート以外の評価もしているでしょって話ですよ。レポートの評価がBとかAとか分かれたって言う話なら嘘くさい話ですねってことです。
内申点は諦めてます。
四谷偏差値60超えてる算数理科でも
公立小学校3段階評価の一番下です。
まったくノートを取りません。だから納得しています。
三段階の一番下は確かにアレですが、四谷大塚60程度なら真ん中評価でも全く違和感無いですよ。
@@パパゴゴ 上の子も似たような偏差値だったのに全ての科目、項目で上の評価だったのでその差に驚いています。テストの点数はあまり関係ないのかと。
まぁ小学校はテストの点数より授業態度のが問われるから仕方ない
問題は中学よ
中学でペーパーテスト90点以上取ってて授業態度も良いのに成績5段階中3を付けられることが問題なわけで
それを思えば、内申書がいかにして悪しきものかがよーーーーーーーーくわかりますね。
まあ、文部科学省を頂点とした教育行政のご都合主義によるものですから。
三年間9回、音楽だけずっと4、これは闇がある
俺なんか定期テスト90点前後取ってて音楽ほぼ3だったよ
俺が音痴だってのもあるけど、男って中学で変声期迎えるから高い音が出しづらいんだよな
ちなみにアルトリコーダーのテストだった時は当然のようn5もらえた
音楽の歌のテストはガチで音痴と変声期の男子には辛い
俺の学校の美術の先生、定期テストの評価項目が鑑賞の技能だけだから俺2回中2回満点取ったのに絵が下手だから4だったw
一発勝負の入試だけで評価するのは駄目だとの意見が多く教育改革に影響してきました。
良い意味で媚びる能力が高い事が内申を高くするには必要です。
どちらかと言うと積極性やる気が評価されます。
運動能力低くても楽器ができない歌が下手でもやる気ある感じが出せる人は成績良いです。
大人になってこの目上の人に媚びる能力、目上の人に好かれる能力は非常に大事です。
そこは、評価できますが、
とは言え、今の評価制度は、あまりに教師個人の評価がそのまま反映する恐ろしい制度です。
本来評価は、非常に難しいものです。人事部で人事考課やシステム構築では、不可能な事を扱っていると感じました。社内の別の地域の同じ職種でも比較は難しい。さらに別の職種の人も同じ土俵で評価しなければなりません。
加えてシステムを適用する評価者の教育は非常に困難でした。同じ人を別の人が評価すると別の結果になるというのは本来あってはいけません。
人を評価するのは本当に難しい。
本来同じ学区の中学校全ては、同じ基準で評価しないとおかしいですが、全くそんな調整は、する努力すらされていません。
中学3年の内申と言いますが、それ以前のイメージで、テスト成績バク上がりでも
成績反映させない学校もあります。他方で凄く順応して上げ下げする学校もあります。
当にコバショーさんの言われたとおり第三者委員による客観的評価が必要とされます。
都立西高、日比谷とか、受験にあたって、能力あっても内申で断念している人多いですからね。
上野千鶴子は「がんばってもそれが公正に报われない社会があなたたちを待っています」と言いました、内申点は一つ不公平なことです
「今の評価制度は、あまりに教師個人の評価がそのまま反映する恐ろしい制度」教科や学年の教師によって複数の目で評価に対しては妥当かどうか判断しているので教師「個人」の評価がそのまま反映するということはないです。
「本来同じ学区の中学校全ては、同じ基準で評価しないとおかしいですが、全くそんな調整は、する努力すらされていません」どの中学校でも学習内容は全て同じであり,できるようにならなければならないことも全て同じ。学習指導要領によって定められている。同じ学区なら同じ教科書を採択している。それならば教科書会社が設定している評価基準は同じである。つまり,同じ教科書を使っているので地域内の評価基準は同じものを使っていると言える。
とはいえ,それだけでは疑いは晴れないだろうから詳しく言うが,教科書では授業ごとに生徒にできるようになってほしい評価項目が設定されている。毎時間の評価はABCの3段階に分かれている。知識・技能であれば,数学で言うと授業の最後に練習問題を解くことが多いと思うが,授業内容を理解してその問題を正確に解けるかどうかで判断している。問題を解く過程も授業中にチェックしている。例えば5分という時間設定をしたならば,1分以内に正確に解き解法も論理的矛盾がなければ当然Aとなる。それよりは遅いが5分以内に正確に解けたならB。時間内に解けないならC。そのABCの積み重ねで単元の評価が決まる。Aの割合が8~9割あればA。それ以下ならB。Cの割合が半分を超えていたらCというように。Bの範囲がとても広いので,一般的なクラスであればBの生徒数が当然多くなる。単元ごとにそのようにして評価を出し,学期末に蓄積していた単元ごとの評価を総合する。学期中に4単元行ったならば蓄積されている知識・技能の評価も4つある。単元によって時数も内容も異なるので,どの単元がAかBかで総合的評価も変わる。例えば,展開公式を理解する単元と二次関数を理解する単元とでは後者の方がAの価値は大きい。二次関数がAということは展開公式を理解しているということにつながる。4月に行った展開公式はBだったが,7月に行った二次関数がAであるなら,その3か月の間に展開公式の理解も進んでいるので,7月時点では展開公式の単元もAだと考える方が自然だからである。当然その逆もありうる。故に定期テストを行う。テスト時点での知識・理解を確認し,これまでの単元の評価と併せて評価を決める。それを思考力・表現力・判断力と学びに向かう力,人間性等の観点の3本柱でも同様に評価している。裏事情を言ってしまえば,1授業の間でやたら問題演習が多い時間は専ら知識の評価を,話し合い活動が多ければ思考力や学びに向かう力を主に評価する授業だと考えていいと思う。話し合い活動がなくても,提示された問題に対する試行錯誤の時間が長かったり,ノートに感想を書かせたり分かったことを整理させたり振り返りシート的なものを書かせたりする場合は思考力等を評価されているものだと思ってよい。皆の前で意見を言うのが苦手な生徒をそこで救う意図である。そのような授業展開も教科書によって決まっている。例外は校内研究,指導訪問等で学校中の教員や「お客さん」が授業参観をする授業のときである。この時は教科書のような一般的な授業ではなく,目の前の生徒や地域の実態,各校・各教師の研究テーマに合わせた授業をしなければならないので教科書の評価項目から少し離れることがある。とはいえ,指導内容が変わるわけではないので教科書から大きく逸脱するものではない上に年に数回しかなく,総合的な評価に影響するものではない。長くなってしまったが,要は学校間で調整するまでもなく教科書によって指導内容とその評価基準は統一されている。
第三者委員を入れても客観的な評価にはつながらないだろう。これまでの評価に第三者の主観的な評価が加わるだけだからだ。教師はえこひいきをするという疑念があるのかもしれないが,第三者がえこひいきをしないと言い切れるのか?賄賂だのなんだのややこしい話に発展するだけではないのか?結局は税金を使って無駄なことをするようになるだけである。
評価制度についてであるが,相対評価の時代は5の人数が決まっていたために本来同程度の評価の生徒を人数の都合上どうしても違う評価に割り振る場合があったと思う。だが,今は絶対評価である。評価項目をクリアできたかどうかで評価されているので昔に比べればはるかに平等だ。地域ごと,学校ごと,学年ごとの差はそれで生まれているだけと言える。教師の側で差を付けようとしているのではなく,生徒の実態によって差がついているだけである。港区や千代田区など都心の内申点が他より高くなりがちなのは当然である。親の学歴は高く,収入も高い。子どもに自分と同程度の学歴を求めるのは自然であり,そのために塾や家庭教師にお金を惜しまず使う親が多い。子どもも親を見ているため学習に力を入れるようになる。しかも難関中学受験のために小学校から塾に通った挙句不合格で公立中に来る生徒もいる。点数が高くなる環境が整っているのだ。
反対に都心から離れれば離れるほどそのような親は減る。親の学歴が下がれば下がるほど受験への意識は親子ともに下がっていく。難関中学を受験しようと小学校の内から塾に通う子どもも減る。さらに言えば塾も減る。塾講師をしているアルバイトの通っている大学も変わる。同じ学習内容を指導して同一の評価基準で評価しているならば,都心で競争してもまれている生徒と田舎でのんびりしている生徒とでは差がついて当たり前である。それは決して不平等ではなく,むしろ平等なのだ。平等だからこそ差がつくと言える。制度の欠陥ではなく環境の差異が生み出す結果にすぎない。
それに,教員はテストの点数だけで評価はしていない。考えてみてほしい。テストを20分で終え,残りの時間は寝ている生徒,同じように20分で終えたが見直し,解き直しをして確実に100点取ることを目指している生徒,じっくり解いて45分かかったが100点の生徒。知識面では同等かもしれないが「学びに向かう力,人間性等」の観点で見た場合,同等の能力であるとは言えないだろう。
美術の授業で言えば素晴らしい作品を仕上げたが「もう終わりました」と言って残りの時間があり,教師が「より良く」なるように助言したにもかかわらず「終わったので」と何もしないで過ごす生徒と,下手かもしれないが教師や友だちに教えを乞うたり,友だちの作品から良い点を見出して自分の作品に取り入れようとするなど最後まで「より良い」作品を仕上げようと努力し続ける生徒とでは「思考力・判断力・表現力」や「学びに向かう力,人間性等」は異なる評価となる。前者は「知識・技能」が高評価なだけだ。それはテストでも被る観点であり,上限がある。それ以外の観点でも評価を高めなければならない。だからそのような学習への取り組み方ではテストがよくても総合的な評価は上がりにくい。そして,入試のテストがない技能教科はこういう事態が発生しやすい。テストの点数ばかり考えて無駄を省こうとする生徒の評価が上がりにくいのはこのためだ。学校は「生徒の人格の完成」と「社会の形成者の育成」が目標である。受験のために教育しているわけではないし,知識・技能だけを育てているのでもないので評価もテストのみでは行えないのである。それを認めないならば教育の目標を定めている教育基本法を改定するしかない。
細かいところまで教師は生徒を見ている。全員見れるのかと疑問に思うかもしれないが,全員を”同時”に見る必要はないのだ。席順ごとに時間差で見ている。しかも全員バラバラの進度ということはない。平均的な生徒が最も多く,それらの生徒はまとめて把握することができる。能力の高い生徒,低い生徒は平均の生徒とは明らかに問題が解けるスピードが異なるので分かりやすい。平均的な生徒が覚醒した場合など,いつもと異なる動きがあれば余計に目立つので把握しやすい。だから全員を把握できる。
絶対評価の今だからこそ,生徒は各授業での評価基準を高い基準でクリアし続ければおのずと高評価になるはずである。3つの観点で高評価なら単元でも高評価となる。高評価を積み重ねていけばおのずと内申点は上がる。内申点を上げたいならテストだけではなく,普段の一時間の授業を大切にしていくことだ。
平方メートルではなくて平方根でした。
自分は中学の音楽の授業の歌のテストに苦しめられてたな
1学期中 歌のテスト1回の時5、2回の時4か3だった笑
これは自分じゃないけど美術の授業で筆記テストで95点ぐらい取ってまじめに作品作ってた子が3だったのは可哀想だったし
確かにどなたかいっていますが生物的に女性の方が精神的にも早熟であればやはり女子に有利なんだと思います。あと欧米では体を動かすのが好きな男子にとってじっとしてないといけない学校環境は幼稚園から不利で自信をなくし大学まであとを引くとだと結論が出ています、今アメリカでは学卒も院卒も女性が大きく上回りmale crisisとも言われはじめてます。深い問題ですね。
意味のない制度だよ。
確かに。内申書は中学時代の部活や生徒会,委員会活動,その他検定等の実績を記入する飲みにして,それ以外の人間性や思考力を入試で判断したいなら面接や集団討論,小論文や高校の側で求める受験生のレベルに応じて独自に問題を作成するなどした方がよいと思う。さらに言えば中学校では面接や集団討論の対策は行わない。高校の側で,中学校の授業をしっかり受けることで育まれる資質・能力でしか対応できない面接や集団討論のやり方を編み出せばよい。とすれば公教育の施設としては平等になる。それ用の塾が誕生して教育格差は広がると思うけど。
まあ高校受験はでは女子が不e利なので、内申で下駄を履かせても良いね。
基本は定期テスト・小テストなので、マジメに授業・提出物は丁寧にすれば問題ない。
多少は不利になっても、5⇒4になるぐらいです。
⇒公立トップ高校を目指す子だと、それが痛いんだけど・・・
高校受験で女子が不利って具体的にどういう意味で?
英数国理社、文理バランス良く問われる5教科の試験において、男女間で有利不利が発生する要素なんて皆無
調査書に影響を与える生徒会役員や学級委員、部長等の役職はほぼ1:1、部活や課外活動も男女平等に誰でも可能だと思うが
全てのテスト、提出物、授業丁寧にすれば問題ない???どこがだよw全部完璧にしても5取れない学校なんてザラにあるぞ
5→4の差もかなりでかいぞ
学力トップ層には、5から4みたいなのが本当にきついですね。
実社会に出れば、このとおりに評価されますよ。
社会の上手くいってない会社の評価システムを真似る必要はないと思いますがね。
でも5はとれるからな
内申は大事だと思う。めちゃくちゃ勉強出来る子いたけど、普段の授業態度はめちゃくちゃ悪くて周りに迷惑かけまくってて、内申で2を付けられてたのは本当にスッキリした。ちなみに点数は取れるからトップクラスの進学校へ行ったけど。
でも、ちゃんと授業態度とか反映してもらえるのは良いよね。
いや、ここでは授業態度は良い前提での話じゃないか?
真面目に取り組んでいても、何らかの原因で先生が誤認したり、好き嫌いで無意識のうちにバイアスがかかるのが問題なんだよ
そもそも、内申点欲しいなら周りに迷惑かけるほど授業態度悪くなんて絶対しないからね
あれ、矛盾してね?内申点あるのに授業態度めちゃくちゃ悪いやついたってことは内申点なくてもいいよね?w
いい人に気をつけよう。詐欺師はいい人を演じてますから。
@@あお-x7p3j 思うんだが,無意識のうちにバイアスかかるならそれを利用すれば簡単に内申点上げられるじゃん。教師に好かれるような生徒像を演じればいいだけでしょ。頭がいい生徒なら普段の学習に加えてそれもやると思うんだよね。内申制度に文句言うより制度は賢く生かした方がお得じゃない?
副教科の成績取れないから廃止しろとか言ってる人は自分が成績取れないことを根に持ってるだけ。本当に優秀な人はなんとも思わない。