【VW サンタナ】日本製ドイツ車を深掘る【激レア注意報】VW SANTANA Xi5 AUTOBAHN DOHC 1988y
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- Опубліковано 4 жов 2024
- 日産製フォルクスワーゲン!超希少なサンタナについて、オーナーの遠藤 イヅルさんにお話を伺いました。いや〜実にカッコいいですね〜
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#vwsantana #vw #nissan
当時ディーラー整備士でした。定番修理は数知れず、お客さんから引き取りに行く度に散々罵声を浴びせられるほど壊れまくりな車でした。
でも、これじゃなきゃダメなんだって人も少なからず存て、後継のパサートも買って乗られていましたね。
おかげで輸入車の整備も躊躇なく出来るようになりました(笑
サンタナ、2台乗り継ぎました。当時は、ヤナセで購入しました。最初はまさにこのアウトバーン。2代目は5速マニュアル車でした。2リッターの5気筒で、アウディのエンジンと同じ。走りは、出足もっさりで100キロ超えると俄然走り出す、そんな車でした。雨の高速を、160キロで安定した走りを見せつけました。薄っぺらく見えるセダン、今では懐かしいです。
40年前小学生の時にサンタナ大好きで登下校時に見かけたらめっちゃ嬉しかったなぁ。
この車種もまた、日本仕様に勝手にいじれない車でしたね。ですが後のプリメーラに続く車作りの勉強になった車ですね。端正でカッコイイくるまではあります。
人生最初の車がこれでした。同じガンメタのxi5アウトバーン DOHCではない5MTで2年間乗ってました。 SOHCでも結構トルクがあって2~3~4速でキビキビと走ってくれました。クラッチが異常に重かった(クラッチペダルになぜかバネがついていて踏み込む瞬間が重い)と、終始ドアンダーだった(当時は曲がらない感覚を含めてこれがドイツ車のオンザレール感覚だと勝手に思ってました)のを覚えています。あとラジオのアンテナが助手席側のAピラー根元から垂直にでるので鬱陶しい+AMは原付のノイズを拾って聞こえない、5速に入れるとゆっくりと針が動くインパネ内の燃費計と、動画を見るとどんどん当時の記憶が蘇ってきます。このクルマを紹介していただいて本当にありがとうございました
中国じゃこれをベースに『紅旗🚩』を造ったんですよね。
確かに あの当時(80年代)どの 国産車よりも 造りが丈夫なのがわかりました。
ドアの開閉音ひとつ取っても 違いました。
当時の日産の開発主査の話では、日産側で手直ししようと提案したところ、自分達の開発した製品に絶対的な自信を持っていたVWの開発陣にことごとく却下されたそうです。反面、高速域の操安性の高さは桁違いのレベルだったらしく、そのノウハウを吸収した日産は初代プリメーラ開発時に反映したそうです。
スポット溶接の打点が多く、これでなくても十分剛性が出せる。→却下。
とはいえ、見事な再現性に驚き、VWの技術陣は惜しみない賞賛を送ったそうです。
小学生の時に今は無き座間工場でサニー(B12)の製造ラインを見学した時、同じツアーに居たおじさんが、サンタナのプレス部品を作っている協力会社の人でした。
84年に中国の上海VWで最初に生産したのもこのサンタナで、つい10年ぐらい前まではタクシーでよく見かけましたね。
日本にはほとんどないが中国やブラジルにはサンタナ沢山あります
乗ってました。当時のVW社の最高級車です。国産車とは違う各部のデザインや各種の味付けがとてもいいと思ってました。お金と駐車場所が確保できれば再び入手したいです。クルーズ機能もあって高速道路もらくちんでした。5気筒エンジンもスムーズでした。馬力は少ないですけど「強くて鈍い」という感覚です。ノックダウン生産なので、エンジン・トランスミッション・ステアリングギアなどは輸入されてます。なので日産でシフトショックまでコピーした、というのは間違いです。因みに日産ディーラーに車検や整備に持って行くとあからさまに嫌な顔をされました。販売先なのに何で?と憤りを感じました。私は一生日産の車は買わない、と誓いました。日産のショックアブソーバーはすぐにダメになります。毎日乗っていると気付かないので、チェックした方がいいです。取扱説明書は今でも所有しています。
当時カタログの印刷に携わっていました。これでもかってほどに再校の連続で何校目か区別するための印が足りなくなり、手書きで〇校といれていました。宣伝部、デザイナーの並々ならぬこだわりに、工場側(日産の子会社ですが)とは常に戦闘状態であるかのように感じていました。Aカタログは紙ケースに一枚物と中綴じのセットアップという、当時珍しい豪華なものでした。
そのAカタログを40年持ってます。
1枚ものが6枚、中綴じ1部、半透明の紙が1枚。
贅沢かつ大いに拘りを感じさせるカタログを学生にまでくれたサニー店のセールス氏、tsuru sanさんや日産の関係者の皆様に感謝しています。
当時は読んでいて行ったことの無い西ドイツに思いを馳せてました。
@@微笑み黒魔術 さん、ありがとうございます。当時サンタナ関連は見るのも嫌になるほどでしたが、まだ若造で意味が理解できていなかったんです。ちなみに印刷機はドイツハイデルベルグでした。
発売当時、日産プリンス系販売店で整備士してました。スタイルはカッコイイと思いましだか、新車時から不具合が多かった記憶があります。
数年前に中国に行った際、タクシー🚕で
このサンタナ多く走っていましたネ。
他の日産車のように「M30」と形式を与えられているんですよね。
新車当時の純正のタイヤも日独共同だったらしく東洋ゴム製コンチネンタルタイヤだったそうです。
当時のVWはコンチネンタル製タイヤがイチオシでしたね。ちなみに、このアルミホイールは二代目ゴルフではオプションで装着できました。
@@ムー連邦の兵士.エル 確かにコンチネンタルでした。(スポーツコンタクトだったような)中古で買った時あまりにもツルツルだったのでBSのコンセルファ(今のplayzかecopia相当?)に変えたらグリップが一気に増してアンダーが更に悪化した記憶があります
@@パチーノアル-t3p アロイホイール171(6J×14)38年前の価格は1本3万円
ヤナセ物のゴルフⅡは大抵バンパーにContinentalのデカールが貼ってありました。
一部ピレリP5装着車をショールームで見ましたが。
GTIはピレリP6が標準装備。
ホイールがP型デザインでしたし。
@@パチーノアル-t3pさん
そうです。
1985年時点で1本32000円。
バルブ、センターキャップは750円でした。
このクルマ、ニッサンとVWとの折衝で鉄板の厚さ、溶接箇所やらかなり揉めたらしいす。
おかげでニッサンがボディ剛性に目覚めたとかでトラッドサニーは生まれたそうです‼️
10年くらい前まで中国の地方ではこのタクシーばかりのイメージでした。新型も多かったです。VWの中国進出を支えた名車のようですね。日産が日本向けに生産もしていたんですか。
Thanks for the new video. The VW Santana was available in Germany with a 5-cylinder engine. Very special sound😮
1998年、小学2年のときファミリーに父親のVWの車検頼んだら代車でコレの前期が。角張ったデザイン、6ライトウィンドウ、走行中に点滅しているメーター内の赤ランプ、 内装も茶色1色でどこか当時の日産車感満載で渋かったですが、最後にトランクを開けたら閉まらなくなりガムテープで固定して返した思い出がありますww
サンタナ私は好きでした。❤😊
チラ見していたサンタナ様!
ドイツ車本来の渋さを感じます。最近のチャラいデザインとは違いますね。
当時はなんやねんって感じやったけど、今見たらカッコええな。
若かりし頃、日産ディーラーにアルバイト行ってた時に良く乗ってました。
15年くらい前に上海へ行った時にタクシーで走っているの見て驚きました‼️
おっお~~懐かしい
免許を取得したばかりの頃、親戚のおじさんに借りて山下公園にナンパしに行ったなぁ~~~
港北インターのYANASEで購入した車輛で
エンジン音か、キャリキャリキャリって感じだった記憶が残ってる!
すげーエアコンがキンキンに冷えたんじゃ―無かったかな?
もう35年前位になるのかな?
サンタナは、小学生の頃に同級生のお宅で所有していました。紺色の初期型Xi5でしたが、凄く高級車なイメージがありました。
これのXi-5に15年も乗ってましたよ、私は。15年も乗ったのは、何しろ故障の多さからです。
1つ高額な部品を直すと1か月後に別の部品が壊れ、また直し・・・みたいな
ヤナセで買うも修理は名古屋の日産・昭和橋店さん、徳重店さんで、当時は大変にお世話になりました。
今から20年も前の事です。
最後はエアコンが動かなくなり、日産としては部品が無いとの事で、やむを得ず手放しました。
総走行距離、16万3000キロ!!
( 今思うと故障の多さからバイクも乗り、この車は年1万キロ程度ですよね )
で、その時に日産ローレルを買ったら、今まで故障で苦労していたのがウソに思えました。
もう一言書かしてください。
この動画の中盤にバッテリーの事が出て来ますが、夏は思いっ切り沸騰で泡がブクブクと。。。
でバッテリーの熱対策にあったアクリル製の遮閉板?の遮閉板も新車から 3年後には割れてベニヤで遮閉板作って乗ってました。
今では考えられない事ですが、AT車の急発進(誤発進ではない)による事故が数十例発生しました。調査の結果NとDの間にエラー部分があり、意図せぬ急発進はこの部分によって引き起こされたのだと結論付けられました。事故の責任問題を争い、裁判でも争われていましたね。この為に当時は購入を見送った記憶が有ります。質感が国産車とは違う所が魅力的でしたが……。
う〜ん。フォルクスワーゲンのサンタナねぇ〜
すごくいい車ね〜☺️私自身が乗りたい車やったよ〜🥺
イベントで聞いた話ですが、あまりにも売れなかったのでディーラーにまだ部品が残っているらしいです。
なんなら日本製の部品が枯渇しても中国からいくらでも部品出て来ますからある意味維持はしやすい方なのかも
懐かしい
バリバリ71軍団には勝てなかった。素晴らしい車だったゲドいかんせん3速オートマが難点
M30系サンタナは後期一新で2リッターDOHCを搭載する2000Xi5アウトバーンDOHCがラインナップされましたが、ATの4速化が実現せずどうやら予算上の関係で3速が継続されます。しかしそのサンタナも89年3月に終了し後継車・パサートに譲る事になります。
日産の整備やってた人が「サンタナが点検に入ったら余計な部品は触るな、壊れるから」と先輩から注意されてたらしいです、子供の頃はよく見かけましたが、、ちなみに親父は姉妹車のB2型アウディ80乗ってました!
懐かしい ハンドルの位置とシートの位置がズレてて座ると確かハンドルが左よりになっていた記憶 当時としては今で言うとこの意識高い系の人が乗ってた印象 俺は違いがわかるんだぜ みたいなw
確かに左にオフセットしてましたね。
あと少し立ち気味に感じました。
はじめまして!!かつて日産座間工場で生産されていたフォルクスワーゲンサンタナの後期型は直列5気筒エンジンがDOHCになってこのグレードに5MTモデルも選べたのを覚えています!!高校時代日産チェリー店にこのモデルが展示されていてドアの開閉音やシフト感がドイツ車らしさを感じました!!懐かしいですね!!😊👍
この次のパサートセダンもごく少数作ったけど残っていたら超レア車
生産合意には至りましたが、昭和65年(1990年)末までの予定が1991年夏の予定に伸び、結局ご破算に。
その間にヤナセが輸入して日産とヤナセが販売してました。
懐かしい車ですね。
会社の同僚が所有してました。オーバーハングがデザインになってます。
懐かしいクルマですね。
当時は和製アウディかと思いました。
質実剛健でかっこいいと思います。
子供の頃サニーの見た目でフォルクルワーゲンのエンブレム付いてる不思議な車。これだったのかー
フォグランプとヘッドライトが分割しているのは北米輸出を考慮したのかなと想像してます。
例えばベンツEクラス(W124)、初代レクサスLS400の北米仕様もフォグランプと分割。
たぶんヘッドライトの光軸調整の際に一体型ではフォグランプまで動くので北米ではNGではないかなと。
自分が小学生の時親戚のおじさんがのっていました。家に来た時ハンドルを少し触らせてもらった記憶があります。パワステアリングという物が初めてだったです。
トラッドサニーに乗ってたことがありますが、確かに取説にあのお兄さんとお姉さんが居ました( *^艸^)
日産車の取説の伝統ですね!お手入れや注意書きとかの車を擬人化したマンガ風イラストが好きでした。
アウトバーン乗ってましたーアクセルがもどらなくリコールあったなぁ
当時AT車の急発進暴走事故が多発してましたからね。サンタナは急発進事故多かった。アイドルコントロールユニットに不具合ありました。
以前乗ってた87ジェッタを思い出すわ フロントライト周り
当たり前の事かも知れませんが、
椅子が素晴らしかった!
見た目が地味(☜落ち着いてる、とか 品がある、って言って上げれば良かったのに…) 時はバブル期でしたのでね、極一部では『5気筒 = ご祈祷 →日産ディーラーの幹部からすれば、割り当て台数がライバル店より1台でも少なくなります様に!の''お祈り対象車(笑)''だった
いわゆる''厄介者の、お荷物車''だったと 時の日産サニー店のセールスマンから聞いた事があります。
もっとも恐ろしかったのは、
半分ダマしたみたいに在庫車を年寄りに売ったところ
丸一年で下取りに出して来て、
その時の値落ちが120万だった!って事。6ヶ月点検にディーラー往復して、近所のスーパーに数回くらい行っただけって聞いたので、確か65km位だと聞きました。
…何んでソコまで詳しいのって?
バブル当時 外車メインの車屋に勤めてまして、通勤でタテ目のベンツのロングでして、通勤ならコレ位が妥当じゃなーい?と''強く''推して来るセールスマンがいましてねぇ…
その人こそが先述の幹部の事や年寄りに在庫車を売りつけた本人サンで…
元々サンタナ、嫌いじゃないんですよーわざわざカタログ貰いに行った位ですから…
でも 親から''あの5気筒の振動と騒音だけは好きにはなれん!''と
『NG光線が乱発されてましたんで』
個人的には中華生産型に切り替わってからのデザインは好きになれませんが、この後期型にしろ前期型にしろ、VWのオリジナル品なら
鼻筋通った シュッとしたデザインで好きですね!
ただ、同グループのAudi 80/90辺りと比べると、塗装が薄くて スグ艶が引くイメージでしたね。
ボンネットの舳先やトランクの曲げの裏辺りの錆るのがやたらと早かったり…穴が空かない代わりに、錆水の跡がタラ〜ァだったり…
何かとバフの乗りが悪い車でしたね。プレスラインが多いし、黒いモールもあちこちで磨きにくい車のひとつでもありましたね。
そして、放映回数は少なかったのですが CMのセンスの良さはピカイチでした。キャッチコピーを考えた人は天才だと思う。
わざわざヨーロッパロケにまで行って制作されているCM…
今じゃ絶対にあり得ない贅沢さ!
…とにかく日産ってオースチン時代からライセンス生産や他所様の車を売ってあげるの大好きですね!A50ケンブリッジから Ford クエスト、そしてVWサンタナ…ザガート・ガビア→中身がレパードだから仕方ないか…まで。
素晴らしい、歴史の生き証人ですね。これからも大事にして下さい。
我々一族も150プレジデントやタテ目のグロリアを数台乗り継いで降りてしまったクチですから…。
『持っていられる環境/経済/周りの理解/が揃っている事が羨ましい限りです』
反応するのは、50歳以上かな。
ATが3速しかなくて選択肢から外れました。
30年以上前に白のサンタナに乗ってたなー
この当時は71軍団には勝てないし、日産から西ドイツ車を買おうとかあの頃は無かった
それに3速オートマはアダに
良い車だった
懐かしい車ですね😂日産サニーデイラーのステッカーか時代を感じます
質実剛健のザ、ドイツ車って感じの車でしたね。前期と後期でフロントは変わってますがリアも変わった部分有るんですか?
リアバンパーが変更されています。
前期は横一文字バンパーで、バンパー下のエプロンはスチール製でボディ色。
後期は一体型でバンパーから下は基本的に黒。
限定車マイスターベルクはカラードバンパー(一部未塗装)です。
友達がエッティンガーのエアロ付けてローダウンしてホイール変えてドレスアップして乗ってましたね。
アルファロメオアルナと同じような出自ですね
両車とも販売は不振でしたが日産、アルファロメオとも車造りという点では学びは多かったようで
子供のころ母親が乗ってたAudi 80 とよく似た車だけど何だろうって思ってたのがサンタナでした。
当時はライバルのアウディ100の方が売れてましたね
日本国内向け国産車初のメーカー純正ドアミラー装備でしたね
日本初はパルサーEXA。
次にE80系カローラ、スプリンターに装着されました。
@@微笑み黒魔術 様
失礼致しました 訂正ありがとうございました
日産製造のサンタナね…サンタナは中国でも製造され長い間売れた車ですよね。UA-camでドイツ製と中国製のサンタナ走行比較動画見たことあります。
違ったらすみません。
この個体のバンパーはパサート用が付いてますか?
サンタナは前期後期共に上下に薄いバンパーだったような気がしたので。
当時同級生のお父さんがヤナセに勤めていたのでそこのお宅はサンタナを前期後期乗り継いでいました!
サンタナを選んだ理由は「ヤナセで1番安く買えるセダン」だったからだそうです😅
この日産サンタナの開発責任者の津田さんって方はこのサンタナでドイツ風味の車を勉強し、オースターの後期型や後に大ヒットしたプリメーラの生みの親になったんですよね。
パサートのマイナーチェンジと同じバンパーがサンタナのマイナーチェンジで装着してます。
大昔 サンタナで、信号停車中 おもいっきり 追突を
受けました。
相手は、ダメージすごかったですが、サンタナは、つよかった❗ですよ。
これ欲しい1台です。
ホントに出て来ない
これは・・欲しい!格好いいですね~
スタイルも良くドイツ思想で高速走行は抜群、頑丈な車でしたがとにかく電気関係はxでしたね
特にボッシュ製のインジェクションシステムは始動性が悪く何度修理に出しても駄目でしたね!
約40年前の車ですね、アウディ80と共に角張ったデザインが流行った時代。トヨタのカムリに影響与えてますね。
当初「セリカ カムリ」でした、5年ほど乗っていました。後席が狭かったですが、よく走りました。
👌hermoso vehículo!
ブラジルから純正パーツとアクセサリーまだ手軽にありますよ
This one called passat in germany. It was 2nd gen. model.
ドイツでもサンタナです。
パサート(B2)はハッチバックとステーションワゴン。
パサートのセダンバージョンがサンタナ。
@@微笑み黒魔術誤報ありがとうございます
この頃はアウディばかり乗ってましたね!知人がサンタナを買いましたね・・・理由は本当はアウディが
欲しかったけどヤナセの敷居が高くてと・・・現役のサンタナは全く見かけません!
エアコンのスイッチを入れるとアイドリング回転数が急上昇するなど
トラブルが発生するので要注意です
夏にバッテリーが上がるのさ
この当時貧乏学生でアメリカでセントラ(サニー)にのっていたのですが、側面のデザインにおもかげがあります。内装はその当時のマキシマに似ているように思いました。アメリカでこの車みたことないのですが売ったのでしょうか?
販売していたようです。
Volkswagen Quantumで検索してみてください。
あの 三浦和○氏の奥様も 乗ってました。
奥さんって、良恵さんでしたっけ?
@@fufumen74 さま
字は違いますが 読みは合ってます。
当時ローレル見に行ったらセールスマンにサンタナゴリ押しされたなー?当時33ローレル出たばかりでとサンタナと比べたら話しにならない程旧車にしか見えなかった。この年になると流石に引かれる物があるねー!
マフラー落ちたことありますね。
ディーゼルグレードがありましたよね?
初期型のみ1600㏄のターボディーゼル(CY型・72馬力)で豪華版グレードがGtで廉価版がLtで、ミッションは5速フロアシフトのみで後期型はディーゼル車設定ありませんでした。
GOLFと同じ値段でSANTANA を売ってたんですよね。
不思議な時代でした。
エンジンやミッションなどは輸入ですが、日本で製造して日本のディーラーで販売するとこんなに安くなるのかと思いました。
15年くらい前中国じゃ中国組立の車がゴロゴロしてたな
ザ セダンって感じ
ヘッドライトウォッシャーはXi5アウトバーン系に装備。
既に210スカイライン等、主にスポーティグレードやRV車に装着されていました。
モデル途中からメーター内のウインカーインジケーターを左右別々に設置。
運転席側ワンタッチパワーウインドゥ。
後席パワーウインドゥスイッチの位置変更。
燃費計がL/100kmからkm/L表示に変更など、日本車に慣れたユーザーにも配慮した変更がされています。
2.0L 5気筒 DOHCエンジンは本家アウディには搭載されていないエンジンで、一足早くDOHCヘッドを採用しました。
灯火器類でサンタナが貢献(?)したのが、ポジションランプ内蔵ヘッドライト。
日産車ではその後N13パルサーやB12後期サニーなどに採用。
前期型のフロントクリア(ホワイト)ウインカーレンズ。
確かに中にアンバー色の板が内蔵されているので少しアンバー色に見えますが、それまでの例えばTE47スプリンターはアンバーのレンズ+透明のレンズよりは白く見えるものでした。
特に前者は輸入車はOKでも国産車には中々採用されませんでしたね。
車は違うのですが、フォード、フェスティバ、キャンバストップを思い出しましたw高校時代ですが、当時絶対欲しいと思っていました。あれはどこ設計のどこ製造だったのでしょうか?😂
フォードフェスティバはマツダが設計、製造ですね。
フェスティバ懐かしいねー!結構流行って台数もかなり走ってた記憶あるがどこに行ってしまったのか?見ないなー?
そうですよね~、カーセンサー見ても1台もなかったですw
@@BIKE819 様
*基本的に覚えておいて損はない事。
⚫︎あの当時のフォード/GM は
アメリカ資本のアメリカン•ビッグ•スリー
こと 自分トコの国民向けのデカい''アメ車''と呼ばれたイカツイ車を作って売る部門と、
⚫︎ヨーロッパ フォード/GM ヨーロッパ と言われる''ドイツで設計、コストの安い国で作って、アメリカ本土『以外の』国で売りまくる 欧州人が好むスタイルや走行性能を備えた車を作る部門''と、
⚫︎国土が広くてパワフルでデカい車体じゃないと見向きもしてくれないけど、お国の成り立ちがイギリスの植民地からの独立のせいで右ハンドルしか売れないから''仕方がないから、その国には(最初)アメリカ本土で右ハンドル仕様車を作って送ってやるかぁ〜''で細々やってたのを''えぇい!面倒くさいから、現地生産に切り替えちゃえ〰''で晴れて自前で作る様になったのが オーストラリア•フォード/GM オーストラリア。→まっ、コレは''特別枠''って感じです。
⚫︎そして 本題に入りますが、
昔 よく''世界戦略車''って名前をよく聞きませんでしたか?
⚫︎大量生産して、安すぃ値段で売り、認知度を上げる為だけにバラ撒いていた様な車たち…ちょうど、その中心にいたのが『フォード•フェスティバ』でした。
⚫︎アメリカ本土でも フェスティバ名で、
⚫︎日本ではMAZDAがバブル期の5チャンネル販売網を作る元ネタであったAuto rama店と言うMAZDA車のバッヂエンジニアリング = 顔面/テール/名前/イメージカラーをMAZDA車とは全くカブらない様にする!…とか涙ぐましい努力をして、MAZDAが提携先のフォードの車をわざわざ''フォード オートラマ店 専売ですよ〰''と売っていたけど、大して売れなかったから、''売れないアメ車は 最初から輸入せずに、広島でフォードのバッヂをつけたの 作ってあげるから、それ、売りな!で デミオと同時に売り出したのが フェスティバ•ミニワゴンだった訳です!
⚫︎この販売方式を''人気車をウチにも回してよ〰で訴えて来たのが韓国。
…だったら、と言う事でライセンス先をKIA(後に現代自動車に吸収されましたが…/キア モーターカンパニーと呼びます/割と有名どころのかーデザイナーに丸投げすることで有名だった…)からも キア•フェスティバ、後に キア•ミニワゴン と言う名前で フォードのブルーオーバルを外した所に KIA のバッヂを貼って売っていたはずです。(この頃までが韓国メーカーの成長期で、他の大宇(ダイウー)と共により大きく 立派に見える車作りを進めていたせいで 丸々自前で小型車を設計→生産出来る状況じゃなかったのもあり、世界資本のアメリカン•フォードに頼った、と言うのが実情です)
【こうして 巨大資本のフォード家は
地球規模でブルーオーバルをバラ撒いて来たのですが、日本からは撤退してしまいましたね!明治時代にT型ホード(地方紙により フオーオド、フォードの複数表記アリ)及び リンコン號(リンコンごう = リンカーン号)の二本立てで輸入が始まり、華族、貴族の紳士淑女に!と上流階級層をくすぐる広告を載せて浸透して行きました】
省エネ時代にピッタリだったからでしょう、MAZDAデミオ(初代)にありつけなかった人は、ワラワラとフェスティバ•ミニワゴンに群がって来ました!
(そして、ソレが アメリカ資本による物!とハッキリしてオーナーさんが驚くのが 電球の球が切れて交換してもらおうと 自動後退や黄色い帽子のお店屋さんに行ったとて 球の根本の突起が国産車と全く違う形なので 店には在庫がなく、取り替えられない事が多発したんですよ!)
⚫︎国産は突起が左右平行で
デミオはフルサイズアメ車と同じ
ハの字になっているんですよー。
⚫︎いろいろな事がありました…。
でも、リーマンショックの前には
あの巨大帝国のフォードですら
倒産寸前にまで追い込まれてるんですからねー''フェスティバの名前には、感謝しても仕切れ無かったでしょうね''
⚫︎そして、次世代のフォード•フォーカスに繋いで行けた事も大きいと思いますね!
これが、明治から大正、昭和、平成、令和にかけてのフォードの全てです。
友達が乗ってたがアイドリング中車体が左右に揺れてなんだこりゃと
最初なんて言ってます?「前田です」「前園です」「毎度です」?
@@user-kdakbgqu7g ありがとうございます!毎度です!です
運転中に爆音が聞こえ、うるせーなどこの暴走族だよと思ったら自分のサンタナのエキパイが腐って落ちたのでした。新車で買ったし海の近くに住んでるわけでもなかったのに。
衝突実験したら…🫢
絶対買わない😔
中国のタクシー、パトカーがつい最近までコレでしたね〜
中国の公安車両ww
これ確かジウジなんですよね。
残念ながらサンタナはジウジアーロデザインではありませんね。
ベースになった同世代のアウディ80や初代パサートはジウジアーロデザインでした。
@@微笑み黒魔術 パサードがジウジなんだ。
@@macau_live
まあ初代は。
サンタナと同世代のパサートは2代目になります。
色はこれしかなかったんでしたっけ?見たことないですが。淡い緑、青、赤などアウディはあったですね。
サンタナ初期・後期共カラーバリエーションは7色ですね。淡い緑(#104オリーブグリーンメタリック)青(初期は#229フィジーブルーメタリックと#245マリアナブルーメタリック・後期は#576ダークブルー)赤(初期は#219ガーネットレッドメタリック・後期は#526スーパーレッド)ちなみに銀(初期・後期共#248コメットシルバーメタリック)白(初期は#002ユングフラウホワイト・後期は#531クリスタルホワイト)黒(後期のみ#578ブラックメタリック)動画に出てくるグレー(初期は#247サテライトグレー・後期は#463グレーメタリック)
前期はシャンパンゴールドメタリック
焦げ茶のメタリック
薄いグリーンメタリック
紺メタリック
シルバーメタリック
ホワイト、レッドでした。
後期の限定車マイスターベルクは専用色の緑掛かったグレーのグレイッシュグリーンメタリック(#DG1)がありました。
@@sumicou お詳しいですね。その淡いグリーンの色が曲者でカタログ印刷時になかなかOK出なかったんです。確か、ボディー塗装見本の鉄板やシート地の現物などを宣伝部は校正時に持ち込んでました。
@@tsurusan5807 カタログ裏表紙にはボディカラーおよび内装色は印刷インクや撮影条件などから、実際の色と異なって見えることがあります。と注意書きありますが、難しいですよね?初期はVWの色を使ったのでしょうが、後期は他の日産車に使われてる色使ってるのを見ると、tsurusan5807のご苦労が忍ばれます。秘話ありがとうございました。
懐かしい~。
中学生の頃に一緒に通学してた同級生がサンタナ見る毎に「暴走車サンタナ」って言っていた。
何やらAT車が不具合で暴走したとか聞いた事事が有る。
社会人になって勤務先のオッチャンが乗っていた。
エンジンの音が当時独特だった。