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藤堂高虎は母親も大きかったそうですし、藩の記録に遺体の様子が書かれてるので真実でしょうね
最後の2人は伝説に尾ひれがついたのは確かだろうな。ただ、当時の侍でも身分が上がれば栄養状態は良く、肉食や海産物を沢山食べていたので、たんぱく質やミネラルは十分接種してたらしい。当時の遺構からも焼かれたイノシシ、山鳥、兎、サザエやアワビなどが出土しているので、特別な日以外でも手に入れば食していたとか。一分には戦国武将渡来人説などを唱える人もいるので、氷河期よりもだいぶ後に渡来したか、大陸との交易で流れ着いた欧州人や中央アジア人の末裔ではないかなんて説もあるな。
情報が疑わしいほど面白い
信じるとか信じないとかじゃなくて、ロマンだろ〜!
沢村栄治投手の速球は時速160キロを超えていた、みたいな。
昔の人で体がでかかったという話は一概に否定できません。いつの時代にも一定比率で巨人病の人や、染色体「YYX」の人がいたはずですから。そういう大きな人は目立つので、ペットのような感じで身分の高い人に取り立てられ、体力もあるので武功も立てる可能性が高いです。
真柄直隆きたー
真柄さん辺りから既に人間じゃない
尺と寸のサイズは時代、地域によって全く違っている。現代の尺換算するととんでもないサイズになります
栄養状態が良ければこの時代でもでかい人居たんだな
いかに栄養バランスが大事か良くわかるな
肥後 田中城 和仁氏当主 和仁親宗七尺六寸(230センチ)を超える超弩級の武将だったそうです。まさに人鬼と言われる容姿、体は赤く、赤毛と蒼い目が輝き剛力猛将で親である親続からも疎まれていたとか。というのもこの人は大友宗麟より貰い受けた南蛮(オランダ)人とのハーフだったそうです。敗戦濃厚になった和仁氏の中で唯一行方不明とされる親宗は、早くに亡くなった母マリアの眠る南蛮毛にて自害したとか。。
甲冑も残ってない人は嘘だな。大きさで有名は立花宗茂、前田利家膂力のある武将が多い
前田慶次郎も180㎝超え。
前田慶次の背が高いのは創作での話実際に大きかったかどうかはわかってない。甲冑は残ってるけど、当時の中で特に大きいものではない
加藤清正や前田慶次は残っている甲冑から推測すると160センチ程度の身長になります。前田利家、直江兼続、立花宗茂などは残された着物や甲冑から180以上だった事がほぼ確定的です。織田信長も等身大の像や甲冑から推測される身長は170程度で、当時の日本人としては高身長でした。若い頃は部隊の先頭に立って戦う事も多く、一騎討ちで敵の大将を討ち取ったという話も有り、武勇には自信があったようです。
@@すけたま-k3p 加藤清正は150㎝だったみたいですね。
@@forkman2000 調べた限りでは161だとか甲冑からの推測で155〜160という事だったので160程度だと推測しましたが、鎧だと誤差もあるので150の可能性もあるとは思います。
180センチあった宮本武蔵が出るだろうと思ったら5位からいきなり190オーバーとかw
武蔵ってそんなデカかったんだ(☉。☉)!150〜160ぐらいだと思ってた。そういえば直江兼続も180ぐらいあったんだって(◔‿◔)
しじじぢぶむよ「
当時は170で大きい方だから2メートル近くとか化け物やん
語り口が楽しいですね。面白く視聴させていただきました。
特に江戸時代に入ってからの軍記物には誇張が多いですからね。実際には話半分程度がちょうど良いのかも。でもめっちゃ面白く見させて頂きました。ありがとうございます。
当時の雷電、谷風なんかの力士紹介が大流行だったからその乗りではないですか。あと中国の三国志演義とかの影響
こういうのって中世的誇張があるんちゃうかな。天海が108歳まで生きたというのと同じでヒジョーに疑わしい
まぁ一栗放牛とかも97~8ぐらいまで生きてたらしいし稀に100歳オーバーの人が居ても不思議ではない
昔でも日野原重明先生のような人がいてもおかしくないと思う。
遺骨や鎧から男性の平均身長は仏教伝来前162cmだったのが仏教のベジタリアン思想により153cmにまで下がってしまったそうな信長等は獣の乳を飲む○チガイなどと言われ相撲や筋トレを好み身長は170cmほどで当時の日本人から見たらガチムチの大男あったそうな
真田昌幸の長男信之は93歳で死んだらしいし、運よく長寿だった人はいたと思うけどね。まあ天海の108歳は信用できないけど、実年齢90歳台で死んだくらいなら信用できなくもない。年齢詐称してて108歳まで生きたって事になったんじゃないかね。
奥州藤原氏の秀衡公は御遺体から2メートル近い身長と判別されてるので、高身長の侍は充分存在していたはずだけど、物的証拠がないと信憑性に欠けるよね…一番良いのは鎧だけど、徳川家康の熊毛に覆われた巨大な角の生えた鎧は2メートル近くあり、後世の人たちが神君神話に肉付けするために製作されたものもあるので、一概には言い切れないけどね。
上野東照宮、徳川御三家宝物展等の甲冑を見ても、せいぜい160センチ位だったよ。多分、神君の偉大さを示す為のパフォーマンスの一種じゃ無い?😊
@@ツカちゃん-e6w そうですね。10年以上前の『大徳川展』で見た関ヶ原の戦いで着用していた『歯朶具足』はかなり小柄でしたね。
とても面白かったです。逆に「低身長の戦国武将」も見たくなりましたwww チャンネル登録いたしました。
山県昌景は身長が140cmで豊臣秀吉と同じ身長で小男だった。
@@73moto 実際に甲冑が残されていて、129~134cmほどらしいです。兎唇で胴体が異様に短く足が長く、怪異な見た目だったようです。人物は勇猛果敢で優れた人だったそうです。
面白かった!
紀伝体で書かれた歴史書は、人物を権力の大きさのイメージで描くので大男にされることが多いようです。実際にその当時の人々は、力に対する恐れから、皇帝・武将などの支配者は身長が2mぐらいあると思っていても不思議ではないですし、共感されていた被支配感からは、それも史書としては正しい歴史の解釈、ということになると思います。
項羽もでかかったことになっていますね。
2m超えは流石に…とは思う。大柄な真柄と小柄な本多の一騎討ち説は、ダヴィデ対ゴリアテに代表される、古今からある対巨人のマンガみたいな設定で胸熱だなぁ。
山県昌景の135cmには驚かされる。誇張があるとは思えないし実際それに近い身長だったんでしょうね。(±5cmくらい?)
@@dindon1969さん時代がズレてしまいすみませんが、徳川家継(江戸幕府7代将軍)は僅か7歳で薨去してしまいましたが、身長130cmくらいあったというデータが残っているようです。
@@権太坂46-u8i それがどうした
tamuramaro gakenoueno 7歳ならそんなもんやろ、何の参考になるんだ
墓所の発掘調査で遺骨などからの研究ならわかりますけどね。それ以外は本人の物とされる甲冑や衣装、後世の文献からですからあくまでも推測ですよね。
甲冑から大体身長は分かりますが、やはり決定的なのは遺骨ですよね。ただ、遺骨はどうしても晩年の物になってしまうので、素人からしたら少し縮んでるのでは?とも思ってしまいますが。
@@subuya428 そうですよね。私もそこまで詳しくはないのですが多少の誤差はあると思いますよね。伊達政宗や徳川秀忠のように遺骨の調査で2人ともほぼ160㎝くらいと言われてますよね。当時物差しも地域によっては数㎝単位の誤差があったらしいですよ。
畳に京間と江戸間が有るように同じ1尺でも時代と地方によって差があるそうなので2m超えは流石に怪しい。
高虎・義龍迄は“現実的”ばってん。
2メートル超えは、驚くね、190センチだって、現代でも大きいよね。
高虎公が偉丈夫やった事は聞いております。風貌はやゝ佐分利信氏似ですか。
当時の身長190センチは、現代の感覚では 205センチ❗️
高虎の息子の2代目高次殿様は、もっとデカかったそう。2メートル位あったのでは?
藤堂高虎様大好き!三浦義意様は、いわくつき!貴重な解説動画を、ありがとうございました。投稿日= 2021/07/07.
是非、江戸時代の低身長ランキングもお願いします!
風魔小太郎も確か190近くあったはず
真柄直隆は、信じられないくらい大きな岩を思いきり上に投げて将軍も含めて周りが引いたらしい
俺の好きな武将前田利家は確か182cmだったから出てるかなーって思って見てみたら初っ端からバケモン(褒め)が出てきて笑ったw
先祖が真柄十郎の一族なんだけどいたってわたしは小柄です。真柄のお秀さんが講談になっている。三浦さんも伊勢氏に追われて房州に移って正木さんになります。そこから正木大膳が出る、大膳と引き分けたのが若き日の御子神典膳のちの小野忠明。
信長のお気に入りだった黒人小姓「彌介」は、身長が「六尺二分(188cm)」だったと『家忠日記』に記録されている。黒人以上の体格は驚きだが、動画内の何名かは多分に誇張が混じっているような気がする。
ベスト1とベスト2ですよね?明らかに軍記物をベースにしてるので確かめようがないですが、それもまた一興。
日本人でないしね。
彌介さんの最後は本能寺の変でしたか…………😓😢🙏
@@西田哲也-t1m 彌介は本能寺の変では死んでいません。本能寺を出た彼は信忠と合流、二条新御所で奮戦しています。最後は明智軍に刀を渡して投降、光秀の命令で、南蛮寺の宣教師カリオンに預けられました。その後の彼の消息は不明です。
@@Okuhiro.Ochiki 様 そうでしたか。有り難う御座います。あのまま本能寺で亡くなっていたとしたら故郷から遠く離れた異国の地で………と考えますと、とてもつらかったのですよ。その後にも日本に住んで最終的には日本で亡くなったとしても、少なくとも本能寺での戦死では無かった事が判っただけでも私の心は晴れました。御教示有り難う御座いました。感謝合掌
1位のエピがもはや身長以前の信憑性じゃない化物になっててワロタ
江戸時代や戦前昭和の力士にも2m超えているのがいたから戦国時代にも大きい人はいたでしょうね。当時は今と違って巨人症の治療薬もないから伸びるに伸びたんじゃないかな。
じっくり紀行から来ました。三浦義意の生首伝説は平将門に似ていますね。昔の日本人は今より精神が強いでしょうから、恨みも強いのでしょうね、今の日本人は切腹とか絶対できないと思います。
八村塁くん203センチを指標にするとわかりやすいよね
地味に千利休もでかい180㎝
茶室の入り口小さいのにな(笑)
ちっちゃい秀吉は、見下ろされて圧迫されて嫌やったんやろな。あんな狭小な茶室空間やったら、そら嫌味やわ。秀吉の組立て式の黄金茶室は、大っきい空間意識しとるで。
義意凄すぎる
真柄直隆はクレヨンしんちゃんの戦国アッパレ大合戦に出てくる真柄太郎左衛門直高に名前が酷似してるからモデルになったのかな。
江戸時代の横綱とかは普通に2m超えてるから有り得そう
宇喜多秀家も高身長でしたーこれからも歴史に埋もれた人・物…等発信して欲しい❗日本の歴史は本当に凄い!!明治迄の日本と・日本人は尊敬し素晴らしと自負する、がー戦後の日本の教育又日本人は大切な日本史も知らない中途半端…この様な日本人で良いのかと熟々思う❗
そう言えば長宗我部元親も当時高身長で有名だったそうだが。
時の武将が大男なら兵を鼓舞するには都合がいい。小男ならちょろちょろと小回りが利く。山城攻めにはもってこいだ。己の個性を十二分活かしたものだけが戦国には生き残れたのであろう。
淀殿は、信長とお市の間に出来た娘という説もあります。
近親相姦...
ねーよw
当時、異母兄妹であれば婚姻も可能で、その証拠に天皇皇后が兄妹という例が少なくありません。ましてや愛人関係など珍しくなかったのです。
お市は妹ではなく側室だったのでは…という説もあります
いきなり藤堂高虎から始まったからびっくりした(笑)
漫画の影響で、前田慶次がランキング入りかと思っていました
漫画では2メートル
前田慶次の身長は使用したと言われている甲冑から割り出すと、当時の日本人の平均身長(160㎝弱)と変わらなかったそうですね。私もすっかり大男だと思っていましたよ。
しかも利家より年上って言われてて関ヶ原の頃は70歳ぐらいのじいちゃんだっけ
@@yoshii871 漫画では、関ヶ原の時は出羽で戦っていて、30代だったよ?
1547年生まれが最もらしい。
有名な武将たちの巨体に驚きました!歴史をイメージする時に役立ちます。👏
良い企画
◇柳生兵庫の腕周りが60Cmと言うのも異常。体操の金メダリスト森末が(太いと言われていたが)48Cmくらいだったか。
現代でも40cm以上で太い、50cm以上は神の領域って言われとるもんな!
コレは流石に怪しいネ。幕末の剣豪榊原健?吉の上腕は、一升瓶の太さはユウにあったそう。
@@ツカちゃん-e6w 幕末から明治初期に外人が撮影した写真集を観ましたが、力士など「今の力士より鋼の肉体」で驚いた。そりゃ隣町に行くにも「自分の足」しかなかったから現在の筋トレで作った身体とは筋肉の付き方が違うのですよ
@@シュガー麗-q1u さん。そうやね。自衛隊の最高幹部の人の本に、一般の出稼ぎやお百姓の女性の、米俵やら売り物担ぐ写真出てたケド、尋常や無かったわ。先の戦争、そういう化物みたいな人達が普通で、戦ってはったんやからね。弾無し食いもん無し補給無し降伏無し。アメちゃんが、徹底的にWGIPで、去勢劣化政策やったのも判るわ。 幕末の剣豪の榊原健吉は、身長150センチ程。しかし、撃剣の打ち込みで、明珍兜に一寸の切れ込みを入れたとか。化物やね。 ガキの頃、南方やらアチコチから復員して来た方々や親戚の爺さん達の一人に、(捕虜の)首切り役してた人居て、あまりにも見事なので(首の皮1枚残すねン)、内地に帰して貰た人いたわ。今の最劣化した我々とは違う。他にも、伝説になってる人にも幾人にも会ってるので、言うてる事よ〜分かります。なごなったな。御免。
戦記物を読んでいたら、「いずれも大男で8尺を下る者なし、中でも◯◯は1丈◯尺」という記述があった。1尺が30センチじゃなかったのかな?と思った。
時代、地方によって一尺の単位が違います。信長は171センチだと、ルイス・フロイスが書き残しています。
深芳野と斎藤道三、30センチの身長差が、あったのか!!豊臣秀頼は、誰に似たんだ?
多分少し違うだろうな当時使われていたのは、大宝律令の小尺 というもので尺=296mmだと思うよ。尺=303mmは江戸時代になってからのようだよそうすると、三浦義意の身長は、198cmとなるまあ、妥当な数値だよなまあ,大した違いではないが(笑い)
あ〜成る程、勉強になります。家の間取リも、西と東で違うしね。空間の感じで、こんなに違うのと思った事有ります。身長も、もっと総合的に研究が必要ですよね。医学博士の肩書の人の、歴史上の人物の身長に関する著書に、違和感と大いなる疑問を抱いた事有ります。
立花宗茂の強さは異次元だからな。
豊臣秀頼意外でした。二条城会見で家康この身長で落着き払い18歳じゃあ…。焦るわ…。藤堂高虎も意外…どうしても葵三代田村亮さんのイメージが…。ドラマの観過ぎか…。
これは凄い!
アンドレザジャイアントが甲冑着て暴れまわってたと考えるとスゴイですね
こんな人物の外国人の遺伝する体形ですね~真柄兄弟は…日本人でしょ❔❔…そのモテルが、千代の富士に近い体形です~凄い筋肉質💪の真柄兄弟です。😑
織田信長の身長は165cmで長身と言われていたから、現代の感覚で言えば180cm位。戦国時代で2メートル越えはバケモノか長い烏帽子を被っていたのでは?
徳川家康も筋肉がすごいらしいですよ!
@@ギブソン-g2r 家康は一見チビデブに見えるけど、お相撲さんと同じように脂肪もあるが筋肉もすごかったんでしょうね。じゃないと武将としてやっていけませんし。
巨人症
「金砕棒の一振りで、10人が吹き飛んだと言われています。」原哲夫様の「島左近」では、左近の一薙ぎで100人ほどが吹き飛びます。真っ二つにされて「あらばま!」と言う断末魔のデブも居ます。
花の慶次で似た様なシーンがあった気がします。新井城を出て1人敵に立ち向かうところはまさに『一騎駆け』
実際に着用していた甲冑が残っていれば本当だろうな
飾るために敢えてサイズを五回りくらい大きくしたって可能性もあるけど!
@@ぼーちゃん-y6i 着る時不便そうww
このCHに紹介されてる人物使用のの大(ダイ)刀、神社の宝物館だかに残っていて展示されてたな?本当に使ったのかな?それだったら刀身は、血吸って黒い筈だけどね。
身長は一部本当だったとしてもあの時代で100キロ超えは食習慣的にあり得ないでしょ。ほとんどが武士の見栄や周囲の忖度だろう。
200キロ超えはありえないけど、身長が本当なら100キロはあったろ。じゃなきゃバランス悪すぎてヒョロヒョロ
@@uglmduup マヌート・ボル 231cm 100kgこの身長じゃ100kgでもヒョロヒョロ。
身長は結構盛りがちだからなんとも言えないけど夢があるね!平均身長程度の僕でも古い建造物は頭が怖いから尚更暮らしづらかったろう
末端肥大症(巨人症)は当時は全く治療法がないから、現代の少中学生位の年齢でも軽く2mは越えていたでしょうね。あながち、嘘ではないと思います。原因は脳下垂体に出来た腫瘍なので、外科的手術で摘出しないと個人差はありますが死ぬまで身長が伸びます。但し、腫瘍が成長ホルモンを出し続ける為、副作用で、糖尿になったり、足の関節特に膝が身体を支えられなくなり、歩けなくなり寝たきりになり短命になる事がほとんどです。ジャイアント馬場も脳下垂体腫瘍摘出してやっと、身長が止まったのは有名なはなしです。それこそ、大昔、戦国時代より前にも2m 30cm位の人が存在していたかもしれませんね。元バスケットボール選手の岡山氏が、現在日本人最長身230cmですね。
昔の時代に高身長(2m)前後だと住む家やトイレや風呂や小さ過ぎて狭すぎて…生活しにくかったのでは?
観光地の昔の旧家を訪れると、平均身長程度の僕でさえ歩く時頭をぶつけないか怖いですよ。
歴史的な人物の伝承の話って面白いですね。本当でも嘘でも創造出来る点は素晴らしい。でも聖徳太子っていなかったのかなぁ?教科書にも載って無いの?35~6年前の小学校の教科書にもテストで出てたのに
元々日本人ってそんなに背が低く無い民族らしいですね、小氷河期の影響で飢饉になったという理由で江戸時代の江戸は栄養状態が悪く江戸時代の江戸が最も平均身長が低かった以外は、実はその前なんかは今とそう変わらないみたいですよ。武家は長身の方が多かったそうですし。
そうかなぁ?倭人て、背が低くて醜くいって意味やて、聞いたで。
@@ツカちゃん-e6w 和人と呼んでいた中国は案外背の高い人から日本より小柄な人までいますよ。私は女性で168cmありますが、親戚だけでなく全員背が高いですが縄文系で縄文時代から日本にいますし、関西や江戸時代の江戸や沖縄が割と小柄なイメージです。天皇家なんかも小柄ですが京都でお日様にあたらず白米だからと言われていますね。後から小柄になったらしいですよ。
@@nanaminz2007 は?中国の事じゃなくて日本の事言うてますよ。失礼ですけど、文章オカシイわ。悪しからず。
流石にファンタジー
織田家はみんな大きいみたいですね お市の方含めあと北条家といえば風魔小太郎 忍べないんじゃないかなぁ
織田信長は約170cmぐらいみたいですね。それでも当時では大きい部類に入るかと思いますが、190cm武将が割と居たと思うと驚きですよね。
浅井三姉妹も165前後あったと言われていますね。
はみ出てしまう風魔小太郎!目立ってしまう風魔小太郎!ダメじゃん😓トホホホ
西郷さん、大久保利通は、180cmくらいあったらしいから、その地域の食生活によるものが大きいと思う。猪、鳥など動物の肉を良くを食べていたんじゃないの?
西郷さんはタマキンが人の頭くらいあったらしい。
義意、鬼だ鬼!
まあ中にはお化けみたいな武将もいたでしょうね。真柄直隆の太郎太刀を熱田で拝見しましたが刃長は175cmではなく221cmとのこと、とにかく長大でびっくりしました。逆に重さは4.5kgとのことで、アンドレザジャイアントなら振り回せるとは思いますが、そもそもあんな刀どうやって打ち鍛えたのか謎です。
このような場合真柄兄弟の愛刀の、刀も分かってる✨真柄直隆 父 子 の刀は…… 石川県に眠でいます。😑
大太刀は実は南北朝時代に流行して、いろんな武士が使用していた。その大きさは誇張されているだろうけど、大太刀という武器が使用されていたのは間違いないと思う
とすると、真柄兄弟が巨漢だったことは間違いないですね。当時の普通の体格の人間にそんなものが振り回せるとは思えない。2mは見ていないと。
UpoIrav 加えて、寒い地域に住む人は背が高くなりやすいというデータもあります。そして見事に、北陸地域の人々は平均身長が高い傾向にあります。わかりやすいサイトがありました→graphic-data.com/page/sport/004世界的に見ても、北欧地域などに住む人々は高身長なのに対し、温暖な東南アジアに住む人々は背が低い傾向にあります。このように見ると、真柄直隆が当時では異例の高身長だとしても、決してありえない話ではないと考えています。ただ、当時の地域別の平均身長など知る由もありませんので、憶測の域は出ませんが…
勝手に前田慶次が入るものだとおもいこんでました
身長盛ってるってコメもあるけど昔の人は背が低い人が多かった❗てだけで今と一緒やで❗だから身長色々
むしろ山県昌景の135cmのほうが驚異でしょう。現代女性のミクロ系と言われる人たちのレベルですよ。
まぁ時代と共にゆるゆると平均身長は伸びていくのでもしかしたら当時の女性なら同じくらい、、、無いか💦
シンプルに昌景好き
ドワーフタイプなのかも
線虫にやられて、成長出来なかったらしい、
@@全治11年 なんだか伊達政宗の疱瘡に掛かった話みたいですね。
大河ドラマの春日局で太っていた頃の渡辺徹が豊臣秀頼役を演じたがある意味リアル再現で秀吉は小男と成って居るので秀頼は淀君の浮気した子かも知れない。
本命は、淀殿の乳兄弟にして幼馴染の大野治長あたりかな
秀吉の生母(大政所)と清正の生母が従姉妹になるらしいから、浅井の血筋と合わされば大きい子が出るのはむしろ普通だと思うが
巨漢・巨躯は、威圧感もスゴイし、パワーもスゴイのですが、いいことばかりでもないのです。まず、巨体は動かすのにエネルギーが大量に必要で、バテてしまってからは、自重で動けなくなります。馬の消耗も酷いですから、あまり馬に頼った戦闘は出来ません。戦法としては、最後の三浦某のような戦い方がベストでしょうね。
バテて動けなくなるのは体の大小は関係ないと思うけどね。自重で動けないってのも大型車輛じゃないんだから…(^ ^)
五代目風魔小太郎がいない(216cm)
忍者として216???嘘くさ
4:35 ZIPの斉藤堂さん に聞こえた
茶室とかムリですよね💦
三浦市民です。地元の武将、三浦荒次郎が取り上げられるのは嬉しいです。来年の大河は鎌倉殿の十三人がやるので三浦一族の和田義盛を取り上げて欲しいです。
高身長って言っても現代の身長にしたら小さいんだろと思ったらでっけえな
真柄直隆220cmって、30年位前、武生にそのくらいの人が居たって聞いたけど、福井にはデカくなる何かがあるんかな。
メガネかね?
ロシアやら大陸から流れて来た人々やら交易で、居着いた人々もういたからネ。鬼伝説とかヤッパリ、突然子孫や血引いた人にDNAが目覚める事有るんやない ?
三浦義おき、真意は別として物語的には面白いおきが変換できなかったww
因果関係が全く逆。戦国武将が大男だったのでは無い。戦場で生き残り武将までなれるのが、レスラーやラガーマンのような大男。生存競争だから、弱い男は容赦無く殺される。戦国末期はその生存競争の頂点の連中が集まってんのだから、その一番上が小男の秀吉だった凄さがより際立つ。
6尺以上あった、宮本武蔵や佐々木小次郎が小さいとは・・・幾ら剣豪でも150で刀を持ったのと、180や190が刀を持ったのでは勝てませんね
甲冑とかが残ってれば証拠があるがこのランキングは証拠なし尺の大きさも地方によっては違うし微妙
話題性狙ってることぐらいわかるだろ
ラスト二名は完全に人外
藤堂高虎、前田利家は、浮かぶ。利家が倒した人もでかかったはず。鎧からわかるんだよね。後、誰だっけ?黒田長政も、母に似て大きかったと思うけど。
井伊直政もよろしく!
櫛橋光さんデカかったんやな
@@Gyaos_torgoy 婚礼の際に極厚座布団三枚、新郎にかましたそうですよ。
男性155は江戸時代の平均で、戦国は160を越えてたんでは?
江戸時代は寒くて食糧事情が悪かったそうですね。
江戸時代は気候的にも寒期で食料事情が悪いのに人口爆発でさらに悪くなってるんですよね。鎌倉室町期は暖期で食料事情が良く平均身長も現代並みだとか聞いたことがあります。
日本の在来馬は300キロ前後、その馬に250キロの武将が鎧を着たら体重が馬と変わらないな
龍造寺孝信よりも高い俺というかそんな低かったのね意外だった…
龍造寺隆信です。動画でも間違ってましたね。150㎝くらいって意外と低かった。
知られてないけど、豊臣秀頼は190センチぐらいあったようです。
14:57リアル戦国無双
昔は巨人症は放置だからいても当然!!!
ただの巨人症ならバランスが悪いのでは
やはり九州などの地方にいる武将の方が、獣肉をたくさん食べたりしていて体格が大きくなりやすかった……なんてことはあるのでしょうか?薩摩の人達なんか、肉ばっかり食べてそうなイメージが(
三浦義意は戦国時代の半妖の先駆けとして、次の仁王シリーズで登場希望。したら、金棒の寸からして酒呑の立場なくなるけど。そう言った具合に、現代の常識の立場で見れば全く現実的でない。
秀頼が高身長だったかどうかは知る由もありませんが、一人では立てない程に肥満体だったのは割と知られています。
何年か前の新聞記事で大阪の陣で裏切って秀頼を討取ろうとした謀反人を城内からだったかから落としたって話がありましたね。
三姉妹のうち淀君だけが異父説あるのが不自然すぎてですね・・・
秀頼肥満体だったの!?
豊臣秀吉は145cmなのに秀頼は193cm130kgの巨漢。秀吉は子供ができなかったから代わりの男性に子作りしてできた息子である。
太っていてもおじいちゃんである浅井長政みたいな勇ましさがあったらなあ。
龍造寺【隆信】。【孝信】ではありません。
高いか低いかハッキリし過ぎだなぁ。
これは人間山脈ですね
一人と言うには大きすぎる、しかし二人では人口の辻褄が合わない!
肖像画からみると、という判断は少々無理があるかな? 偉い方を描く時には忖度するだろうしそもそもオンタイムで描かれたかも疑問
一定割合で巨人症発症者は居ただろうから誇張と一蹴してしまうのはつまらないよね。
神武天皇は3メートル以上て聞いたよ
「先代旧事本紀大成経」のヨタ記述でんな。マァ異星人関連で見たら、それなりに…チュウか。😅
藤堂高虎は母親も大きかったそうですし、藩の記録に遺体の様子が書かれてるので真実でしょうね
最後の2人は伝説に尾ひれがついたのは確かだろうな。
ただ、当時の侍でも身分が上がれば栄養状態は良く、肉食や海産物を沢山食べていたので、たんぱく質やミネラルは十分接種してたらしい。当時の遺構からも焼かれたイノシシ、山鳥、兎、サザエやアワビなどが出土しているので、特別な日以外でも手に入れば食していたとか。
一分には戦国武将渡来人説などを唱える人もいるので、氷河期よりもだいぶ後に渡来したか、大陸との交易で流れ着いた欧州人や中央アジア人の末裔ではないかなんて説もあるな。
情報が疑わしいほど面白い
信じるとか信じないとかじゃなくて、ロマンだろ〜!
沢村栄治投手の速球は時速160キロを超えていた、みたいな。
昔の人で体がでかかったという話は一概に否定できません。いつの時代にも一定比率で巨人病の人や、染色体「YYX」の人がいたはずですから。
そういう大きな人は目立つので、ペットのような感じで身分の高い人に取り立てられ、体力もあるので武功も立てる可能性が高いです。
真柄直隆きたー
真柄さん辺りから既に人間じゃない
尺と寸のサイズは時代、地域によって全く違っている。現代の尺換算するととんでもないサイズになります
栄養状態が良ければこの時代でもでかい人居たんだな
いかに栄養バランスが大事か良くわかるな
肥後 田中城 和仁氏当主 和仁親宗七尺六寸(230センチ)を超える超弩級の武将だったそうです。
まさに人鬼と言われる容姿、体は赤く、赤毛と蒼い目が輝き剛力猛将で親である親続からも疎まれていたとか。
というのもこの人は大友宗麟より貰い受けた南蛮(オランダ)人とのハーフだったそうです。
敗戦濃厚になった和仁氏の中で唯一行方不明とされる親宗は、早くに亡くなった母マリアの眠る南蛮毛にて自害したとか。。
甲冑も残ってない人は嘘だな。
大きさで有名は立花宗茂、前田利家
膂力のある武将が多い
前田慶次郎も180㎝超え。
前田慶次の背が高いのは創作での話
実際に大きかったかどうかはわかってない。甲冑は残ってるけど、当時の中で特に大きいものではない
加藤清正や前田慶次は残っている甲冑から推測すると160センチ程度の身長になります。
前田利家、直江兼続、立花宗茂などは残された着物や甲冑から180以上だった事がほぼ確定的です。
織田信長も等身大の像や甲冑から推測される身長は170程度で、当時の日本人としては高身長でした。若い頃は部隊の先頭に立って戦う事も多く、一騎討ちで敵の大将を討ち取ったという話も有り、武勇には自信があったようです。
@@すけたま-k3p
加藤清正は150㎝だったみたいですね。
@@forkman2000
調べた限りでは161だとか甲冑からの推測で155〜160という事だったので160程度だと推測しましたが、鎧だと誤差もあるので150の可能性もあるとは思います。
180センチあった宮本武蔵が出るだろうと思ったら5位からいきなり190オーバーとかw
武蔵ってそんなデカかったんだ(☉。☉)!150〜160ぐらいだと思ってた。そういえば直江兼続も180ぐらいあったんだって(◔‿◔)
しじじぢぶむよ「
当時は170で大きい方だから2メートル近くとか化け物やん
語り口が楽しいですね。
面白く視聴させていただきました。
特に江戸時代に入ってからの軍記物には誇張が多いですからね。
実際には話半分程度がちょうど良いのかも。
でもめっちゃ面白く見させて頂きました。ありがとうございます。
当時の雷電、谷風なんかの力士紹介が大流行だったからその乗りではないですか。あと中国の三国志演義とかの影響
こういうのって中世的誇張があるんちゃうかな。
天海が108歳まで生きたというのと同じでヒジョーに疑わしい
まぁ一栗放牛とかも97~8ぐらいまで生きてたらしいし
稀に100歳オーバーの人が居ても不思議ではない
昔でも日野原重明先生のような人がいてもおかしくないと思う。
遺骨や鎧から男性の平均身長は仏教伝来前162cmだったのが
仏教のベジタリアン思想により153cmにまで下がってしまったそうな
信長等は獣の乳を飲む○チガイなどと言われ相撲や筋トレを好み身長は170cmほどで
当時の日本人から見たらガチムチの大男あったそうな
真田昌幸の長男信之は93歳で死んだらしいし、運よく長寿だった人はいたと思うけどね。
まあ天海の108歳は信用できないけど、実年齢90歳台で死んだくらいなら信用できなくもない。
年齢詐称してて108歳まで生きたって事になったんじゃないかね。
奥州藤原氏の秀衡公は御遺体から2メートル近い身長と判別されてるので、高身長の侍は充分存在していたはずだけど、物的証拠がないと信憑性に欠けるよね…一番良いのは鎧だけど、徳川家康の熊毛に覆われた巨大な角の生えた鎧は2メートル近くあり、後世の人たちが神君神話に肉付けするために製作されたものもあるので、一概には言い切れないけどね。
上野東照宮、徳川御三家宝物展等の甲冑を見ても、せいぜい160センチ位だったよ。多分、神君の偉大さを示す為のパフォーマンスの一種じゃ無い?😊
@@ツカちゃん-e6w
そうですね。10年以上前の『大徳川展』で見た関ヶ原の戦いで着用していた『歯朶具足』はかなり小柄でしたね。
とても面白かったです。逆に「低身長の戦国武将」も見たくなりましたwww チャンネル登録いたしました。
山県昌景は身長が140cmで豊臣秀吉と同じ身長で小男だった。
@@73moto 実際に甲冑が残されていて、129~134cmほどらしいです。
兎唇で胴体が異様に短く足が長く、怪異な見た目だったようです。
人物は勇猛果敢で優れた人だったそうです。
面白かった!
紀伝体で書かれた歴史書は、人物を権力の大きさのイメージで描くので
大男にされることが多いようです。
実際にその当時の人々は、力に対する恐れから、皇帝・武将などの支配者は
身長が2mぐらいあると思っていても不思議ではないですし、
共感されていた被支配感からは、それも史書としては正しい歴史の解釈、
ということになると思います。
項羽もでかかったことになっていますね。
2m超えは流石に…とは思う。
大柄な真柄と小柄な本多の一騎討ち説は、ダヴィデ対ゴリアテに代表される、古今からある対巨人のマンガみたいな設定で胸熱だなぁ。
山県昌景の135cmには驚かされる。
誇張があるとは思えないし
実際それに近い身長だったんでしょうね。
(±5cmくらい?)
@@dindon1969さん
時代がズレてしまいすみませんが、徳川家継(江戸幕府7代将軍)は僅か7歳で薨去してしまいましたが、身長130cmくらいあったというデータが残っているようです。
@@権太坂46-u8i それがどうした
tamuramaro gakenoueno
7歳ならそんなもんやろ、何の参考になるんだ
墓所の発掘調査で遺骨などからの研究ならわかりますけどね。
それ以外は本人の物とされる甲冑や衣装、後世の文献からですからあくまでも推測ですよね。
甲冑から大体身長は分かりますが、やはり決定的なのは遺骨ですよね。ただ、遺骨はどうしても晩年の物になってしまうので、素人からしたら少し縮んでるのでは?とも思ってしまいますが。
@@subuya428
そうですよね。私もそこまで詳しくはないのですが多少の誤差はあると思いますよね。伊達政宗や徳川秀忠のように遺骨の調査で2人ともほぼ160㎝くらいと言われてますよね。当時物差しも地域によっては数㎝単位の誤差があったらしいですよ。
畳に京間と江戸間が有るように同じ1尺でも時代と地方によって差があるそうなので2m超えは流石に怪しい。
高虎・義龍迄は“現実的”ばってん。
2メートル超えは、驚くね、190センチだって、現代でも大きいよね。
高虎公が偉丈夫やった事は聞いております。
風貌はやゝ佐分利信氏似ですか。
当時の身長190センチは、現代の感覚では 205センチ❗️
高虎の息子の2代目高次殿様は、もっとデカかったそう。2メートル位あったのでは?
藤堂高虎様大好き!三浦義意様は、いわくつき!貴重な解説動画を、ありがとうございました。投稿日= 2021/07/07.
是非、江戸時代の低身長ランキングもお願いします!
風魔小太郎も確か190近くあったはず
真柄直隆は、信じられないくらい大きな岩を思いきり上に投げて将軍も含めて周りが引いたらしい
俺の好きな武将前田利家は確か182cmだったから出てるかなーって思って見てみたら初っ端からバケモン(褒め)が出てきて笑ったw
先祖が真柄十郎の一族なんだけどいたってわたしは小柄です。真柄のお秀さんが講談になっている。
三浦さんも伊勢氏に追われて房州に移って正木さんになります。そこから正木大膳が出る、大膳と引き分けたのが若き日の御子神典膳のちの小野忠明。
信長のお気に入りだった黒人小姓「彌介」は、身長が「六尺二分(188cm)」だったと『家忠日記』に記録されている。黒人以上の体格は驚きだが、動画内の何名かは多分に誇張が混じっているような気がする。
ベスト1とベスト2ですよね?
明らかに軍記物をベースにしてるので確かめようがないですが、それもまた一興。
日本人でないしね。
彌介さんの最後は本能寺の変でしたか…………😓😢🙏
@@西田哲也-t1m 彌介は本能寺の変では死んでいません。本能寺を出た彼は信忠と合流、二条新御所で奮戦しています。最後は明智軍に刀を渡して投降、光秀の命令で、南蛮寺の宣教師カリオンに預けられました。その後の彼の消息は不明です。
@@Okuhiro.Ochiki 様 そうでしたか。有り難う御座います。あのまま本能寺で亡くなっていたとしたら故郷から遠く離れた異国の地で………と考えますと、とてもつらかったのですよ。その後にも日本に住んで最終的には日本で亡くなったとしても、少なくとも本能寺での戦死では無かった事が判っただけでも私の心は晴れました。御教示有り難う御座いました。感謝合掌
1位のエピがもはや身長以前の信憑性じゃない化物になっててワロタ
江戸時代や戦前昭和の力士にも2m超えているのがいたから戦国時代にも大きい人はいたでしょうね。
当時は今と違って巨人症の治療薬もないから伸びるに伸びたんじゃないかな。
じっくり紀行から来ました。
三浦義意の生首伝説は平将門に似ていますね。
昔の日本人は今より精神が強いでしょうから、恨みも強いのでしょうね、今の日本人は切腹とか絶対できないと思います。
八村塁くん203センチ
を指標にするとわかりやすいよね
地味に千利休もでかい180㎝
茶室の入り口小さいのにな(笑)
ちっちゃい秀吉は、見下ろされて圧迫されて嫌やったんやろな。あんな狭小な茶室空間やったら、そら嫌味やわ。秀吉の組立て式の黄金茶室は、大っきい空間意識しとるで。
義意凄すぎる
真柄直隆はクレヨンしんちゃんの戦国アッパレ大合戦に出てくる真柄太郎左衛門直高に名前が酷似してるからモデルになったのかな。
江戸時代の横綱とかは普通に2m超えてるから有り得そう
宇喜多秀家も高身長でしたーこれからも歴史に埋もれた人・物…等発信して欲しい❗日本の歴史は本当に凄い!!明治迄の日本と・日本人は尊敬し素晴らしと自負する、がー戦後の日本の教育又日本人は大切な日本史も知らない中途半端…この様な日本人で良いのかと熟々思う❗
そう言えば長宗我部元親も当時高身長で有名だったそうだが。
時の武将が大男なら兵を鼓舞するには都合がいい。
小男ならちょろちょろと小回りが利く。山城攻めにはもってこいだ。
己の個性を十二分活かしたものだけが戦国には生き残れたのであろう。
淀殿は、信長とお市の間に出来た娘という説もあります。
近親相姦...
ねーよw
当時、異母兄妹であれば婚姻も可能で、その証拠に天皇皇后が兄妹という例が少なくありません。ましてや愛人関係など珍しくなかったのです。
お市は妹ではなく側室だったのでは…という説もあります
いきなり藤堂高虎から始まったからびっくりした(笑)
漫画の影響で、前田慶次がランキング入りかと思っていました
漫画では2メートル
前田慶次の身長は使用したと言われている甲冑から割り出すと、当時の日本人の平均身長(160㎝弱)と変わらなかったそうですね。私もすっかり大男だと思っていましたよ。
しかも利家より年上って言われてて関ヶ原の頃は70歳ぐらいのじいちゃんだっけ
@@yoshii871 漫画では、関ヶ原の時は出羽で戦っていて、30代だったよ?
1547年生まれが最もらしい。
有名な武将たちの巨体に驚きました!歴史をイメージする時に役立ちます。👏
良い企画
◇柳生兵庫の腕周りが60Cmと言うのも異常。体操の金メダリスト森末が(太いと言われていたが)48Cmくらいだったか。
現代でも40cm以上で太い、50cm以上は神の領域って言われとるもんな!
コレは流石に怪しいネ。幕末の剣豪榊原健?吉の上腕は、一升瓶の太さはユウにあったそう。
@@ツカちゃん-e6w 幕末から明治初期に外人が撮影した写真集を観ましたが、力士など「今の力士より鋼の肉体」で驚いた。そりゃ隣町に行くにも「自分の足」しかなかったから現在の筋トレで作った身体とは筋肉の付き方が違うのですよ
@@シュガー麗-q1u さん。そうやね。自衛隊の最高幹部の人の本に、一般の出稼ぎやお百姓の女性の、米俵やら売り物担ぐ写真出てたケド、尋常や無かったわ。先の戦争、そういう化物みたいな人達が普通で、戦ってはったんやからね。弾無し食いもん無し補給無し降伏無し。アメちゃんが、徹底的にWGIPで、去勢劣化政策やったのも判るわ。 幕末の剣豪の榊原健吉は、身長150センチ程。しかし、撃剣の打ち込みで、明珍兜に一寸の切れ込みを入れたとか。化物やね。 ガキの頃、南方やらアチコチから復員して来た方々や親戚の爺さん達の一人に、(捕虜の)首切り役してた人居て、あまりにも見事なので(首の皮1枚残すねン)、内地に帰して貰た人いたわ。今の最劣化した我々とは違う。他にも、伝説になってる人にも幾人にも会ってるので、言うてる事よ〜分かります。なごなったな。御免。
戦記物を読んでいたら、「いずれも大男で8尺を下る者なし、中でも◯◯は1丈◯尺」という記述があった。1尺が30センチじゃなかったのかな?と思った。
時代、地方によって一尺の単位が違います。信長は171センチだと、ルイス・フロイスが書き残しています。
深芳野と斎藤道三、30センチの身長差が、あったのか!!
豊臣秀頼は、誰に似たんだ?
多分少し違うだろうな
当時使われていたのは、大宝律令の小尺 というもので
尺=296mmだと思うよ。尺=303mmは江戸時代になってからのようだよ
そうすると、三浦義意の身長は、198cmとなる
まあ、妥当な数値だよな
まあ,大した違いではないが(笑い)
あ〜成る程、勉強になります。家の間取リも、西と東で違うしね。空間の感じで、こんなに違うのと思った事有ります。身長も、もっと総合的に研究が必要ですよね。医学博士の肩書の人の、歴史上の人物の身長に関する著書に、違和感と大いなる疑問を抱いた事有ります。
立花宗茂の強さは異次元だからな。
豊臣秀頼意外でした。二条城会見で家康この身長で落着き払い18歳じゃあ…。
焦るわ…。藤堂高虎も意外…どうしても葵三代田村亮さんのイメージが…。
ドラマの観過ぎか…。
これは凄い!
アンドレザジャイアントが甲冑着て暴れまわってたと考えるとスゴイですね
こんな人物の外国人の遺伝する体形ですね~真柄兄弟は…日本人でしょ❔❔…そのモテルが、千代の富士に近い体形です~凄い筋肉質💪の真柄兄弟です。😑
織田信長の身長は165cmで長身と言われていたから、現代の感覚で言えば180cm位。戦国時代で2メートル越えはバケモノか長い烏帽子を被っていたのでは?
徳川家康も筋肉がすごいらしいですよ!
@@ギブソン-g2r 家康は一見チビデブに見えるけど、お相撲さんと同じように脂肪もあるが筋肉もすごかったんでしょうね。じゃないと武将としてやっていけませんし。
巨人症
「金砕棒の一振りで、10人が吹き飛んだと言われています。」
原哲夫様の「島左近」では、左近の一薙ぎで100人ほどが吹き飛びます。
真っ二つにされて「あらばま!」と言う断末魔のデブも居ます。
花の慶次で似た様なシーンがあった気がします。
新井城を出て1人敵に立ち向かうところはまさに『一騎駆け』
実際に着用していた甲冑が残っていれば本当だろうな
飾るために敢えてサイズを五回りくらい
大きくしたって可能性もあるけど!
@@ぼーちゃん-y6i 着る時不便そうww
このCHに紹介されてる人物使用のの大(ダイ)刀、神社の宝物館だかに残っていて展示されてたな?本当に使ったのかな?それだったら刀身は、血吸って黒い筈だけどね。
身長は一部本当だったとしてもあの時代で100キロ超えは食習慣的にあり得ないでしょ。
ほとんどが武士の見栄や周囲の忖度だろう。
200キロ超えはありえないけど、
身長が本当なら100キロはあったろ。じゃなきゃバランス悪すぎてヒョロヒョロ
@@uglmduup
マヌート・ボル 231cm 100kg
この身長じゃ100kgでもヒョロヒョロ。
身長は結構盛りがちだからなんとも言えないけど夢があるね!
平均身長程度の僕でも古い建造物は頭が怖いから尚更暮らしづらかったろう
末端肥大症(巨人症)は当時は全く治療法がないから、現代の少中学生位の年齢でも軽く2mは越えていたでしょうね。あながち、嘘ではないと思います。原因は脳下垂体に出来た腫瘍なので、外科的手術で摘出しないと個人差はありますが死ぬまで身長が伸びます。但し、腫瘍が成長ホルモンを出し続ける為、副作用で、糖尿になったり、足の関節特に膝が身体を支えられなくなり、歩けなくなり寝たきりになり短命になる事がほとんどです。
ジャイアント馬場も脳下垂体腫瘍摘出してやっと、身長が止まったのは有名なはなしです。それこそ、大昔、戦国時代より前にも2m 30cm位の人が存在していたかもしれませんね。元バスケットボール選手の岡山氏が、現在日本人最長身230cmですね。
昔の時代に高身長(2m)前後だと住む家やトイレや風呂や小さ過ぎて狭すぎて…生活しにくかったのでは?
観光地の昔の旧家を訪れると、平均身長程度の僕でさえ歩く時頭をぶつけないか怖いですよ。
歴史的な人物の伝承の話って面白いですね。本当でも嘘でも創造出来る点は
素晴らしい。でも聖徳太子っていなかったのかなぁ?
教科書にも載って無いの?35~6年前の小学校の教科書にもテストで出てたのに
元々日本人ってそんなに背が低く無い民族らしいですね、
小氷河期の影響で飢饉になったという理由で江戸時代の江戸は栄養状態が悪く江戸時代の江戸が最も平均身長が低かった以外は、
実はその前なんかは今とそう変わらないみたいですよ。
武家は長身の方が多かったそうですし。
そうかなぁ?倭人て、背が低くて醜くいって意味やて、聞いたで。
@@ツカちゃん-e6w
和人と呼んでいた中国は案外背の高い人から日本より小柄な人までいますよ。
私は女性で168cmありますが、親戚だけでなく全員背が高いですが縄文系で縄文時代から日本にいますし、関西や江戸時代の江戸や沖縄が割と小柄なイメージです。
天皇家なんかも小柄ですが京都でお日様にあたらず白米だからと言われていますね。
後から小柄になったらしいですよ。
@@nanaminz2007 は?中国の事じゃなくて日本の事言うてますよ。失礼ですけど、文章オカシイわ。悪しからず。
流石にファンタジー
織田家はみんな大きいみたいですね お市の方含め
あと北条家といえば風魔小太郎 忍べないんじゃないかなぁ
織田信長は約170cmぐらいみたいですね。それでも当時では大きい部類に入るかと思いますが、190cm武将が割と居たと思うと驚きですよね。
浅井三姉妹も165前後あったと言われていますね。
はみ出てしまう風魔小太郎!
目立ってしまう風魔小太郎!
ダメじゃん😓トホホホ
西郷さん、大久保利通は、180cmくらいあったらしいから、その地域の食生活によるものが大きいと思う。
猪、鳥など動物の肉を良くを食べていたんじゃないの?
西郷さんはタマキンが人の頭くらいあったらしい。
義意、鬼だ鬼!
まあ中にはお化けみたいな武将もいたでしょうね。
真柄直隆の太郎太刀を熱田で拝見しましたが刃長は175cmではなく221cmとのこと、とにかく長大でびっくりしました。
逆に重さは4.5kgとのことで、アンドレザジャイアントなら振り回せるとは思いますが、そもそもあんな刀どうやって打ち鍛えたのか謎です。
このような場合真柄兄弟の愛刀の、刀も分かってる✨
真柄直隆 父 子 の刀は…… 石川県に眠でいます。😑
大太刀は実は南北朝時代に流行して、いろんな武士が使用していた。その大きさは誇張されているだろうけど、大太刀という武器が使用されていたのは間違いないと思う
とすると、真柄兄弟が巨漢だったことは間違いないですね。当時の普通の体格の人間にそんなものが振り回せるとは思えない。2mは見ていないと。
UpoIrav
加えて、寒い地域に住む人は背が高くなりやすいというデータもあります。そして見事に、北陸地域の人々は平均身長が高い傾向にあります。
わかりやすいサイトがありました
→graphic-data.com/page/sport/004
世界的に見ても、北欧地域などに住む人々は高身長なのに対し、温暖な東南アジアに住む人々は背が低い傾向にあります。
このように見ると、真柄直隆が当時では異例の高身長だとしても、決してありえない話ではないと考えています。ただ、当時の地域別の平均身長など知る由もありませんので、憶測の域は出ませんが…
勝手に前田慶次が入るものだとおもいこんでました
身長盛ってるってコメもあるけど
昔の人は背が低い人が多かった❗てだけで
今と一緒やで❗
だから身長色々
むしろ山県昌景の135cmのほうが驚異でしょう。
現代女性のミクロ系と言われる人たちのレベルですよ。
まぁ時代と共にゆるゆると平均身長は伸びていくのでもしかしたら当時の女性なら同じくらい、、、無いか💦
シンプルに昌景好き
ドワーフタイプなのかも
線虫にやられて、成長出来なかったらしい、
@@全治11年
なんだか伊達政宗の疱瘡に掛かった話みたいですね。
大河ドラマの春日局で太っていた頃の渡辺徹が豊臣秀頼役を演じたがある意味リアル再現で秀吉は小男と成って居るので秀頼は淀君の浮気した子かも知れない。
本命は、淀殿の乳兄弟にして幼馴染の大野治長あたりかな
秀吉の生母(大政所)と清正の生母が従姉妹になるらしいから、浅井の血筋と合わされば大きい子が出るのはむしろ普通だと思うが
巨漢・巨躯は、威圧感もスゴイし、パワーもスゴイのですが、いいことばかりでもないのです。
まず、巨体は動かすのにエネルギーが大量に必要で、バテてしまってからは、自重で動けなくなります。
馬の消耗も酷いですから、あまり馬に頼った戦闘は出来ません。
戦法としては、最後の三浦某のような戦い方がベストでしょうね。
バテて動けなくなるのは体の大小は関係ないと思うけどね。
自重で動けないってのも大型車輛じゃないんだから…(^ ^)
五代目風魔小太郎がいない(216cm)
忍者として216???嘘くさ
4:35 ZIPの斉藤堂さん に聞こえた
茶室とかムリですよね💦
三浦市民です。
地元の武将、三浦荒次郎が取り上げられるのは嬉しいです。
来年の大河は鎌倉殿の十三人がやるので三浦一族の和田義盛を取り上げて欲しいです。
高身長って言っても現代の身長にしたら小さいんだろと思ったらでっけえな
真柄直隆220cmって、30年位前、武生にそのくらいの人が居たって聞いたけど、福井にはデカくなる何かがあるんかな。
メガネかね?
ロシアやら大陸から流れて来た人々やら交易で、居着いた人々もういたからネ。鬼伝説とかヤッパリ、突然子孫や血引いた人にDNAが目覚める事有るんやない ?
三浦義おき、真意は別として物語的には面白い
おきが変換できなかったww
因果関係が全く逆。
戦国武将が大男だったのでは無い。
戦場で生き残り武将までなれるのが、レスラーやラガーマンのような大男。生存競争だから、弱い男は容赦無く殺される。
戦国末期はその生存競争の頂点の連中が集まってんのだから、その一番上が小男の秀吉だった凄さがより際立つ。
6尺以上あった、宮本武蔵や佐々木小次郎が小さいとは・・・
幾ら剣豪でも150で刀を持ったのと、180や190が刀を持ったのでは勝てませんね
甲冑とかが残ってれば証拠があるが
このランキングは証拠なし
尺の大きさも地方によっては違うし微妙
話題性狙ってることぐらいわかるだろ
ラスト二名は完全に人外
藤堂高虎、前田利家は、浮かぶ。
利家が倒した人もでかかったはず。
鎧からわかるんだよね。
後、誰だっけ?
黒田長政も、母に似て大きかったと思うけど。
井伊直政もよろしく!
櫛橋光さんデカかったんやな
@@Gyaos_torgoy 婚礼の際に極厚座布団三枚、新郎にかましたそうですよ。
男性155は江戸時代の平均で、戦国は160を越えてたんでは?
江戸時代は寒くて食糧事情が悪かったそうですね。
江戸時代は気候的にも寒期で食料事情が悪いのに人口爆発でさらに悪くなってるんですよね。鎌倉室町期は暖期で食料事情が良く平均身長も現代並みだとか聞いたことがあります。
日本の在来馬は300キロ前後、その馬に250キロの武将が鎧を着たら体重が馬と変わらないな
龍造寺孝信よりも高い俺
というかそんな低かったのね意外だった…
龍造寺隆信です。動画でも間違ってましたね。150㎝くらいって意外と低かった。
知られてないけど、豊臣秀頼は190センチぐらいあったようです。
14:57リアル戦国無双
昔は巨人症は放置だからいても当然!!!
ただの巨人症ならバランスが悪いのでは
やはり九州などの地方にいる武将の方が、獣肉をたくさん食べたりしていて体格が大きくなりやすかった……なんてことはあるのでしょうか?
薩摩の人達なんか、肉ばっかり食べてそうなイメージが(
三浦義意は戦国時代の半妖の先駆けとして、次の仁王シリーズで登場希望。
したら、金棒の寸からして酒呑の立場なくなるけど。
そう言った具合に、現代の常識の立場で見れば全く現実的でない。
秀頼が高身長だったかどうかは知る由もありませんが、一人では立てない程に肥満体だったのは割と知られています。
何年か前の新聞記事で大阪の陣で裏切って秀頼を討取ろうとした謀反人を城内からだったかから落としたって話がありましたね。
三姉妹のうち淀君だけが異父説あるのが不自然すぎてですね・・・
秀頼肥満体だったの!?
豊臣秀吉は145cmなのに秀頼は193cm130kgの巨漢。
秀吉は子供ができなかったから代わりの男性に子作りしてできた息子である。
太っていてもおじいちゃんである浅井長政みたいな勇ましさがあったらなあ。
龍造寺【隆信】。
【孝信】ではありません。
高いか低いかハッキリし過ぎだなぁ。
これは人間山脈ですね
一人と言うには大きすぎる、しかし二人では人口の辻褄が合わない!
肖像画からみると、という判断は少々無理があるかな? 偉い方を描く時には忖度するだろうしそもそもオンタイムで描かれたかも疑問
一定割合で巨人症発症者は居ただろうから誇張と一蹴してしまうのはつまらないよね。
神武天皇は3メートル以上て聞いたよ
「先代旧事本紀大成経」のヨタ記述でんな。マァ異星人関連で見たら、それなりに…チュウか。😅