スライドショーになぜ音楽をつけるのか?

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КОМЕНТАРІ • 25

  • @mtg0409
    @mtg0409 2 роки тому +3

    小説が実写化される時などに同じ事を感じていたので外国人の写真家さん達の言う事普通に分かります。自分の想像の余地がないのは苦しいです。

  • @ObscuraProject
    @ObscuraProject Рік тому +1

    「他人に自分の感情をコントロールされたくない」ということ、写真や芸術としての表現に限らず音楽というものに対して常に感じているので完全に同意します。

  • @hmr.t9506
    @hmr.t9506 Рік тому +1

    いつもたくさん学ばせていただいています。ありがとうございます。見る側の主張があくまで感情を`コントロールされたくない`、とすると、表現する側、渡部さんの表現、主張に何ら見る側をコントロールしようという意図はもちろん見えませんでした。あくまで写真表現、主張の中に複合的に音楽を重ねる事でコントロールされたくないに対して、コントロールするつもりが微塵ももちろん無かったのだと思いました。他方、フランス人のお知り合いの感想、特に`コントロールされたくない`は欧米的、主体、客体の境界線のような、日本的感覚ではもしかすると分かり得ないようなもの?、が、歴然と存在するような気もします。私も少なからず様々な外国の友人、様々な方々と学生時代から付き合いがあるので、なんとなくニュアンス、感覚でうまく言えませんが、どんなことが起きたか、については少し想像ができました。メロディアスな音楽にのせてのスライドも、sinking into the blueのような音楽にのせても両方の良さがあるのでは無いか?と個人的には思います。

  • @Walker.sakamoto
    @Walker.sakamoto 2 роки тому +4

    いつも素晴らしい動画を上げて頂いてありがとうございます。
    私事になりますが、私のチャンネルで上げている動画について、フランス人の方から「音楽がない方が好き」というコメントを頂いたことがあります。
    その時は単純にその方の好みの問題だと思っていたのですが、こちらの動画を拝見して「あれはこういうことだったのかもしれない」となりました。
    自分のチャンネルを宣伝するようなコメントで恐縮ですが、本当に勉強になりました。ありがとうございます。

  • @popphoto8799
    @popphoto8799 2 роки тому +2

    私の場合は、「Sinking into Blue 2020」の方が、写真の見せ方に、非常に強い演出性を逆に感じました。
    無機質な音楽と、スライドショーのテンポの速さが、その印象を非常に強くしたような気がします。
    そのために、最初は、「なぜこのような見せ方をしているのか?」と言う方向に意識が引っ張られてしまい、個々の写真には、とても集中できませんでした。
    途中からは、個々の写真の方に集中できるようにはなったのですが、スライドショーを見終わった後では、全ての写真が、「何か不穏な、不気味な人間の内面を表現している」かのような心象を持ちました。
    それは、無機質な音楽と次々と映像(写真)が切り替えられていく演出によって、しかも映像が夜の映像が多いことも相まって、ホラー映画を見ている時のような気持に誘導されてしまった結果のように思われます。
    結局、私にとっては、「Sinking into Blue 2020」の方が、感情をコントロールされてしまったように感じました。

  • @ozisan88
    @ozisan88 2 роки тому +4

    付帯音楽が感情の押し付けってのはまあそうだよねと思いますが、それがノイジーであれアンリズミカルであれ感情を醸成するのは同じな気もしますが。

  • @bebedaily
    @bebedaily Рік тому

    🥰🥰😘

  • @MIintJams
    @MIintJams 2 роки тому +1

    大変興味深いお話をありがとうございます。
    「雪の日」はナレーションに引っ張られ、ドキュメント映像を見ている感じ。
    Sinking~は音と写真の組み合わせは良いと思いましたが、目と耳が拝聴している間に疲れ、
    どちらも純粋に写真を「見る」と言う事からは離れていたと思います。
    自分も展示の時はステートメント、ストーリーありきと言われ(コンテストなどはステートメントが無いと審査対象にもならない)、
    初めは、鑑賞者がどのように作品を受け取るかは自由であり、作家の考えを書く事はタダの押し付け、自己満足では?と
    違和感を抱いていましたが、そんなモノかと思うようになっていました。
    この動画を拝見し、違和感の内容が良く理解できました。ありがとうございます。

  • @masatophotography7292
    @masatophotography7292 2 роки тому +1

    世界中で絶賛されていた映画「ドライブマイカー」においても、オープニングからノイズ音と抑揚を消した台詞で始まり、全編通してロードノイズが占めていました。音楽は2つの場面だけです。
    長い映画ですが、何度見ても飽きない理由がそこにあると考えられます。

  • @user-bo1mn4bx3n
    @user-bo1mn4bx3n 2 роки тому +1

    私は写真にしても絵画にしても、その情景、状況の中を観て感じます。想像します。写真が表現している以上のこと、光だけでは無く音や匂い、切り取られた空間と時間とその前後など。展示会や写真集を観る時は自分の勝手な想像で広げて観てしまいます。スライドショーに音楽が付くと正直邪魔と感じてしまう事が多かったです。特にUA-camで作例を流す時なんかも。一枚一枚違ったモノを感じているのに、音楽はそれをさせないがために流れたいる様に感じる事があります。今回の動画を観てちょっと安心しました。

  • @kt6sambar4WD
    @kt6sambar4WD 2 роки тому +2

    興味深いお話ありがとうございます。
    当方は,日本的なスライドショに音楽を付ける事は物凄く違和感と嫌悪感を抱く為,”雪の日”は数秒で止めてしまいました。
    ”Sinking into Blue 2020”は,中間までは見入るのですが,途中から音に規則性のようなものを感じてしまいました。
    しかし,エンディング付近は見入る事ができましたので,この音ならばもう少し短いと良かったのかもしれません。
    不躾にて失礼しました。

  • @ceni4468
    @ceni4468 Рік тому +1

    逆に、「自分の感情を他人にコントロールされたい」という感覚こそが、大衆的な「エンターテイメント」だと思います。
    使い方次第で写真(視覚情報)も音楽以上に、鑑賞者の感情をコントロールするものですよね。
    たとえば繊細なピアノ曲がかかっている背景に、写真が一枚貼られていたら、音楽の印象もその写真の意図の方に引っ張られると思います。
    その演奏会をアートだと思って訪れたひとは「あの写真が邪魔だった。感情をコントロールされたくない」と言うかもしれませんし、
    エンタメだと思って訪れたひとは「写真のおかげでテーマが分かりやすくておもしろかった」と評するかもしれませんね。

  • @takebresson9708
    @takebresson9708 2 роки тому +3

    含蓄のある話、大変興味深く拝聴しました。私は趣味で動画を撮っている年寄りですが、このアマチュア映像という世界では ”分かり易い”という事がとても大切にされていて、BGM、ナレーション、テロップなどで事細かく説明します。作品としては丁寧に作るだけで出来上がるので楽ですが結果が見え見えになって面白味がありません。私は最近ではこの風潮が?と感じて、”分かり易く” 即ち作者の意図を視聴者に押し付けるのはどうかなと思うようになりました。写真にはテロップもBGMもナレーションも無く、あるのはタイトルだけです(スライドショーになると別でしょうが)。動画も「見て感じるのは視聴者の感性に委ねる」という風な作り方で、ナレーションやテロップ無しで、BGMも極力イメージを誘導させないような無機質なもので作ってみたらどうなるか考えてみたくなりました。

  • @user-yi9dv9kr5j
    @user-yi9dv9kr5j 2 роки тому +1

    感情を他人からコントロールされる。そういえばセレモニーホールの葬式、結婚式場の結婚披露宴など日本の文化に多いですね。「俺が死んでも葬式はやるな」と言っていた人の気持ちが分かった気がしました。

  • @user-et7uu5ts5k
    @user-et7uu5ts5k Рік тому

    情報を補完しすぎると、鑑賞者が自身の想いを作品に投じる余白が無くなってしまうのでしょうね。演劇や映画の演出なんかだと音楽を利用して観客の感情をコントロールしようとすることはよくあると思います。それに比べると、絵画や写真は、相互補完的というか、見る人のそれまでの記憶や考え方が最後のピースとなって作品が完成するっていう感じがしますね。だからその外国人が言っていることよくわかります。話は変わりますが、私は先日近代美術館の「ゲルハルト・リヒター展」に、本日、東京都写真美術館の「メメント・モリと写真展」に行ってきました。ぜひ渡部先生の解説をお聞きしたいです。

  • @k2oiso
    @k2oiso 2 роки тому +2

    所謂ななめ読みに近い見方をしましたのでコメントは失礼かもしれませんが、「雪の日」も「Thinking・・・」も映像だけの方がよかったと思います。その方が、やっぱり考えながらあるいは感情移入して鑑賞することが出来るように思いました。写真だけの方が力があるし、音楽もナレーションも「ミルクの水割り」の「水」の役割をしてしまっているような気がします。また、確かに感情をコントロールされているようで「自己防御」してしまい、それもまた作品の力を減じることになってはいないしょうか。

  • @hajimetsuji4982
    @hajimetsuji4982 2 роки тому +1

    初めまして。sinking into blueがアップされた時、最後まで見れました。同じイメージが何度か出ても気になりませんでした。次の画像を予見できないこと、タイトルから連想される「画像を見ている」という意識があったと思います。da・gasitaがアップされた時、57秒で終わっていました。これは私の場合、冒頭の音楽と言葉が主と感じ、スライドの画像は補足的なものと思いました。このため写真だけを見た場合、捉え方は全く違っていたと思います。

  • @shimmam4963
    @shimmam4963 2 роки тому +1

    写真より
    音楽、が強いように思います

  • @user-kw1oj5dk6c
    @user-kw1oj5dk6c 2 роки тому

    興味深いお話でした。2020の方が写真集をバラバラめくってる感じに近いので写真っぽい表現かなぁと思いました。映像って油断するとすぐ物語性を帯びてしまうモノなんですねぇ。趣味としては映画8割、写真集1割、ぐらいのシロートの感想です。

  • @hiroakiohno8025
    @hiroakiohno8025 2 роки тому +1

    写真と音楽は相性が良いと思ってました。
    ただのマスターベーションになってしまうんですね。
    ショックですね。

  • @user-vr7wc7il6c
    @user-vr7wc7il6c Рік тому

    両方ともTVの影響でこのような形になったのでしょうか。
    「雪の日」は、TVドキュメンタリーで、昔の場面で資料が写真という場合このようなものになります。
    確かに、怒り、悲しみを煽るような場面で使われる印象です。
    「Sinking into Blue 2020」は80年代後半のNHKの若者向けの番組のイントロを思い出しました。もっとゆっくりでしたけど。
    こちらは音楽と写真の切り替わりが絶妙で、それは面白いのですが目まぐるしく、集中できなくなり感心はするけど印象が残らないです。
    ノイズも感情のコントロールではと思います。 映画ではデヴィット・リンチの「イレイザー・ヘッド」が印象的でした。
    ところで映画、ドラマ、アニメなどの動画系は、登場人物の心情をセリフで説明するものが多く、山場では長々と引っ張る、
    気持ちが冷めてしまう。

  • @takashishinozaki6894
    @takashishinozaki6894 2 роки тому +1

    初めまして。渡邉さんの写真集1冊「午後の最後の日射(アジアの島へ)」を冬青社で大分前に購入して持っています。
    最近、比較的よく2B Channelを拝見して楽しませていただいていて、たまたま、「スライドショーになぜ音楽をつけるのか?」を拝見してショックを受けました。早速、da.gasitaとSinking into Blue 2020を鑑賞しました。da.gasitaはあたかも渡辺監督の映画作品を鑑賞している感じ、Sinking into Blue 2020は中に同じ写真が何度も繰り返されている感じで目の記憶として強く焼きつきましたが作品としてゆっくり写真集を眺める感じとは程遠いものでした。多分、da.gasitaは渡辺さんの作品として記憶に残りますが、Sinkingの方は然程つよい記憶に残らない感じを受けています。
    スライドショーになぜ音楽をつけるのか?でとても印象に残った点は、鑑賞者の気持ちをコントロールしないということと写真をリズム、流れで見せないという点でした。写真集は見開きで何らかの対比でもってリズムをつくり見せていくという自分の考えに大きな揺さぶりを与えてくれました。

  • @shigenobukuroki
    @shigenobukuroki 2 роки тому +2

    欧米人って自意識過剰なくらい我が強いのだなぁと思いました。逆に音楽に左右されやすい脆弱な我なのかもしれませんが。

  • @oskedormindo
    @oskedormindo 2 роки тому +1

    個人的には「Sinking into Blue」の方がかなりしっくりきました。不規則なリズムですがパーカッションのリズムにあわせて写真が軽快に変化してました。それにミステリアスな写真が音とマッチしていたと思います。「雪の日」は曲もそうなんですが写真の変化がずっと同じリズムなので単調な印象を受けました。ナレーションを入れた試みは面白いと思いましたが、テキストの内容に集中しながら映像に集中することは困難でした。もし写真の移り変わりがもう少しゆっくりしていたらどちらも頭に入ったかもしれません。
    ドキュメンタリー系の「雪の日」はナレーションが入ってるし写真の内容から作者が伝えたいものがはっきりしていると思うのでフランス人の「自分の感情が支配される」のが嫌だという言い訳は理解できません。一方「Sinking into Blue」は写真の内容から人それぞれに幅広い感情を伝えられる作品だと思うのでより自由さを感じることができると思います。

  • @eibon2010
    @eibon2010 2 роки тому +1

    とすれば、日本人は何十年も作者にコントロールされている。これは、良くも悪くも? いや、難しい。