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こっちの声はチャンネルのオリジナルで好き
こういう内容をこの声で語られるギャップが面白い
本当に毎回面白いです。有難うございます。
こちらこそ、見て頂き本当にありがとうございます🙇♀️💖
非常に「ためになる」動画でした。「不確定要素」も確かに多いですが、「大学受験」を「日本史」選択した人間にとって「なぜ白村江の戦い」で「いきなり朝鮮を舞台とした戦い」があったのか、その「背景」が分かったような気がしました。どうして「今の日本」の歴者学者は「この年代」の「歴史」考証をしないのか、不思議でしょうがありません。「単に」当時「日本」に「文字」がなかった、「記紀」は「ウソ」しか書いていないという「先入観」で片づけている、「いわば怠慢としか思えない権威主義に胡坐をかいている怠け者」という印象しかありません。ちゃんと丁寧に記紀と中国と韓国の歴史書を解読すれば「失われた○○」という誤魔化しをしないでいいと思いました。
日本という名が、それより西の民によってしか名付けられない、という説明が目から鱗でした
日の下では
いつも寝る前に0.75倍速でゆっくり聞かせて頂いています。毎回、初めて知る事柄ばかりで非常に興味深いです!❤😊
興味深いお話の配信ありがとうございます。「ひのもと」という音を漢字で書くと日の本、肥の本、火の本など書けますが、日の下とも書けます。日下は、「くさか」とも読めます。くさかは草香とも書くことができます。草香之津が神武天皇軍が上陸した所で生駒山を登って行くと長髄彦軍と遭遇とてつもない激戦になりました。「くさか」と「ひのもと」何か関連がありますでしょうか?
大変興味深い内容です。
いつも興味深い話をありがとうございます。今回も分かりやすく楽しめました。次回は日本で何があったのか、という内容なのでますます気になります。楽しみにしてますね。
コメントありがとうございます☺️嬉しいです💖
お疲れ様でございます。戦国時代ですらそうですが、実は飛び地伝いに親和勢力と敵対勢力が入り乱れている、というのはよくある話で、当時なら猶更そうだったでしょうね。同じ父でも、兄弟の母系が新羅寄り、百済寄り、倭国寄り。家臣団もそうだし、祖父の代は逆同士だった、ハブられたから逆に付く!という事も普通にあったと思います。そういう中小勢力が乱立していたのが任那だった、と思っています。その中でも、倭(日本)寄りだった南西部エリアに、前方後円墳があり、倭の五王らが奏上文にも書いた通り、勢力圏に置いた時代には、かなりその影響力があったのでしょう。倭、に関しては、中国(中原=ちゅうげん)から見ると、西蔵の方も倭種と記録されていた模様です。西蔵と日本は、DNA的にはかなりの近縁ですね。
今回も面白かったです!!!
見て頂きありがとうございます☺️💖
えりえなさん!おつかれさまでした😌少し元気がない様に感じました!体調には、お気をつけてくださいね🥺欽明帝&中原氏出自考察には、かなり驚かされました。欽明帝=武寧王説もある為、完全に矛盾するものでも無いのですが❗️かなり鋭いご考察です、謎を解かれ、開かれるかもしれません、インスピを大切にされて下さい、応援しています!次回の配信orライブを楽しみにしています^_^ちなみに、和多志は、ヤマトノミコトモチとタケウチノスクネは、近い内容の行政機関だと考えています。🧐
お疲れさまでした☺️お気遣いありがとうございます🙏💖
素晴らしい動画をありがとうございます色々な学説があるのは承知の上でも、この動画でまとめられた通り、半島南部から北部九州の一体を倭国と捉えて、畿内を別倭=日本だと捉えた方が、1〜4世紀の歴史は辻褄が合いますね倭王武(雄略)が倭国の大王で、葛城に別倭の大王がいた旨のお話には驚きです。そう捉えると、5世紀の神功皇后や応神天皇に始まる河内王朝は倭国の河内への東征で、生駒山地を隔てて奈良盆地の葛城に別倭の王朝が並立していた様に解釈でき、古墳の分布や編年などとも符合しそうですそれが6世紀の継体から統合されて日本になっていくのでしょうが、記紀が倭国の側の歴史を封殺して、別倭の側の神武から万世一系の途中に河内王朝を混ぜ込んだのは、何故なのでしょうか次回以降の動画を楽しみにします
見て頂きありがとうございます☺️💖神武は別倭側ではないと考えております、、🙇♀️
@@-eriena さまえ?、ウガヤフキアエズからニギハヤヒが倭国の側で、タカミムスビからニニギが別倭の側かと思ったのですが、違うようですね。神武=応神かな?次回以降の動画を楽しみにします
声の加工可愛い︎💕︎また色々と難しい問題の話しにチャレンジしてますね。
非常に大事なことをおっしゃってくださっているのに私のスマホではボリューム最大にして耳をそばたてて半分聴こえ半分聴こえないもしくは不鮮明。倭と日本、みまな、金加羅国などもう一度聞きなおすしかないのか。
筑紫国造と大和朝廷は本来上下の関係など無いが、パワーバランス的に従属していた。現実的には日本はアメリカの属国だけど名目上は独立国なのと同じ。
次回が楽しみです!
動画作成お疲れ様です。なかなかよくまとまっていると思います。狗邪韓国は一般的な認識ですが実際は”到其北岸狗邪”で句点が入り、そのあとの韓国七千余里は始度一海を修飾しています。そうすると対馬海流に乗って自然に対馬に渡ることができます。
金官加羅任那が滅び、金官加羅の仇衡王は本国であった九州の豊国に逃れて来たと思います。蘇我氏が仇衡王を担ぎ、継体王朝を滅ぼして仇衡王は欽明天皇となったのではないでしょうか。欽明天皇は任那の復興を生涯の悲願としていたそうです。
コメントありがとうございます💖スッキリです😌
なんでこうも聞きづらい声なんでしょうか?
朝鮮半島に倭国領域を持っていた一族は、物部氏か、宇佐氏(豊国)と思っていました。国が分かれていたのであれば、もっと日本本土に居た各一族が半島の倭国領域を区画していたのかもしれませんね。中氏は、出雲と習合して臣姓(中津臣)になったと私は考えていますが、結局コヤネという謎の神が不気味に横たわったままで何も分からないままですね。中の古語地名は興味深いですね。これが後の那珂郡の元になったのでしょうか?倭国領域の見えなさ故に、ヒボコが倭国領域に行き、再び日本に帰ってきたとし、スサノオや五十猛と同一視する変わった見方をする人もいます。弓前文書では、コヤネから「中津」「弓前」が出たとしており、中氏の昔の名が中津だったことを弓前文書以外に指摘しているのは出雲口伝くらいと記憶しています。ナカツヒコは、中津臣家の豪族が大王に指定してもらった気がしています。記紀編纂時直前は、中臣御饌子、鎌足、田村王(息長家)石川武蔵、タカラ姫が居た時代ですので、中臣に対する配慮があっても不思議ではありません。
名前だけ聞いた事があるぐらいだから、助かるわ~ 感謝(〃ω〃)
コメントありがとうございます💖賛否両論あると思いますので、この動画を鵜呑みにせず古文書開いてみて下さいね☺️✨
志賀島の金印に書いてある、委奴国、は古代中国語で、どう云う発音になるのですか?興味深いです。
コメントありがとうございます💖様々な見解があると思いますが、[奴]そのものに日本語のナの音はなくて[næ]ヌとナの中間音が当時の[奴]でナよりはネに近い音を出します。[委]は[伊]であり[夷]ですよね、委=倭ではないので、金印の委奴国王[わのなの国王]は[いねの国王]とも読めるのではないでしょうか🙂
面白い👍
見て頂きありがとうございます🙇♀️💖
動画、有難う御座います。22分以降の説、私もほぼ同様に思っています。朝鮮半島側での歴史書、三国史記も三国遺事も11~12世紀に書かれた物で、自説展開の根拠資料にはなり難い、補強資料どまりの物でしょう。中国側と日本側の資料、更には金石文と考古学的出土物を加味すれば、広義の倭国は朝鮮半島の南側1/4~1/3を含む九州と其の周辺。近畿のヤマト王権は其れとは別の勢力ですよ。
私は、日本の国名には、日高見国の国が関わっていると考えています。
分かりよく、興味深い内容です。倭と日本は別ですね。任那は、倭の一部ですね。確かに、日の本は、西方から見た名と思えます。アメ タリシホコも、讃珍済興武も、すべて九州にあった倭の大王ですね。
そもそも、倭と呼んだのは中国人であって、列島に住んでいる人が言ったものではありません。大和朝廷が列島を統一する前はバラバラに人が住んでいただけなわけです。統一される前、列島に住んでいる人は自分たちを倭人という集団だとは思っていなかったと思いますよ。
たいへん興味深い「私説」でした。 以外にも核心に近いところもあるようにも思えます。 ①古代大陸の地図では、朝鮮半島に「倭族」と記載されている、広い地域があります。 ②別論に、ヤマトの政治の中心を「半島内」に置く説もあります。 ③「任那」≒「伽耶」≒「加羅」として地域的に重ねられることがあります。「倭族」も連合体、「加羅」も連合体とされることがあります。 ④北九州権力と畿内権力を並べている箇所に惹かれます。 ず~っとの「?」:邪馬臺国=ヤマト=大和=大倭=倭=日本と「いつ」「誰が」「どのように」同定したのか?動画のとおり明示的ではありません。先日「邪馬臺国」の「臺」の「つくり」が「豆」で「トウ」と読むという説をみて、「邪馬臺」=「ヤマト」と読める・ところまでは、一旦納得しました。でも、同じ方法で「大和」~を「ヤマト」と読めるか?は未だ疑義です。 ・・・序でに、東北の果て「青森県南部地方」に「日本中央」と刻まれた石碑があり、これも不自然な存在です。 古本屋さん・がんばってください・
コメントありがとうございます💖勉強になります🙇♀️✨
@@-eriena 拝復後、別の動画に影響され古代日本に没頭しています。 以前の考え方から変わったこと、①邪馬臺国は「漢読み」では「やまたい」とよむ以外にない。で、邪・馬・とあまり好ましくない意味の漢字が当てられていますが、台も「臺隷」という好ましくない意味を以っていることがわかりました。古代中華国からみれば、「邪馬臺」とは婢的文字列です。 ②「邪馬臺」は必ずしも「ヤマト」に引き継がれたとは限らず、別に「ヤマト」を「大和」と表記したことの方がより適切な可能性がある。 (ここで・ヤマト・ってどういう意味?と考えました) ③「倭」という文字に左右されがちですが、(通例:倭国伝・倭人伝 等)のみを引照しますが、其れに先立つ「韓伝 等」にも「倭」の記述があり、それらも一見する必要がある。 ④朝鮮半島(高句麗を含む)の歴史は、「倭(人・族・国)」というように、その時々の文献で多重定義されて用いられる・ などが判りました。(今のところ)「倭」は、大陸南部と北部から(半島や)列島へ移動してきた人種を広く指すところから始まり(沖縄などを伝って)、次いで列島全体の住民を漠と指し、次には西(南)日本の住人を指し、更に九州の住人を指し・と範囲が狭くなっているようです。 なので、夫々の範囲に対して「倭」「倭族」「倭人」「倭国」と表記されているようです。 実際「倭国」という現在の「日本国」のような一団の組織が有ったか?という問には「謎」となります。 「倭奴国王」印のように、「倭の中の奴国」という表現が使われていますから。 こういうふうにとらえると「伊都国」も「奴国」も「邪馬臺国」も大小はあっても、夫々が一国であったと考えることができるでしょう。「翰苑」「山海経」「二十四史」等を参照し、まず大陸(半島)史をおさえ、そこを基準に「和史」を辿りたいと思っています。 記紀等の国史はそれからですね・・・
6:08 伊邪国。。伊邪って伊邪那岐、伊邪那美の?15:40 阿利斯等!!代々の王の名前なのかな?加羅国から来た都怒我阿羅斯等(ツヌガアルシト)は角がある人、角は総角(あげまき)、角髪(みずら)と呼ばれる古代の髪型のことで、古代の日本と同じ習俗を持つ民族だったといえるのか?この髪型がユダヤ教徒のものと似てるという田中英道さんの説もおもしろい。
@知能実験中ゴリラ おもしろいです。天狗は神通力を持つインド人仏教僧がモデルなので、ユダヤ人と関係ないと思うけど。
@@YANAGITAtokinori さんコメントありがとうございます💖ツヌガアルシトそういう事なんですか!?面白いですね😆田中英道さんのUA-camみて勉強します✨
@@-eriena 角がある甲を被った人ではないと思う。戦闘目的で渡来したワケじゃないし。当時「角がある人」と表現したのは朝廷ではもうしていない髪型だったからか?しかし名称はまだ知られていたとか。
アゥー!中原❌中臣ですね! 😂金海金氏=興味深いです!
いつも目から鱗のお話でとても楽しませてもらっています。韓流ドラマ スベクヒャン(手白香)を見て驚きました。武寧王の娘さんで描かれてました。仇衡王も優柔不断な少し情けない王として描かれてました。継体天皇、欽明天皇も果たして列島に居た人なのでしょうか?桓武天皇の焚書を命じた時の言葉が胸に刺さります。
韓国ドラマはただのおとぎ話だよ。韓国ドラマで歴史を学んだ気になる韓国人はめちゃくちゃ多いらしいけど、世界中の人から笑われるよ。そして世界の人が勉強する歴史と韓国人が思いこんでる歴史が違ってしまい、ケンカになる。君のような人が韓国ドラマを見るのは、百害あって一利なしだ。
百済の事を日本って書いてある墓碑が発見されたという記事を見たことありますが。。
もう少し聴き取りやすければなあ〜
どうしてこんなに聞き辛いビビリ音で朗読させるのか。不思議
「君が代」は古代九州王朝から唄い継がれた祝歌で、江戸時代の島津のお殿様も唄われたと聞いています。「君が代」を古代ヘブライ語て読み解くと、すごい意味が出てくるそう。倭人はヘブライ系だったのかも知れませんね!
地名がことごとく和名で付けられているのになぜ「日本」は音読みなのか本当に不自然です。
こんにちは。
内容は素晴らしいのですが機械音のような音声が嫌いです。動画自体が素晴らしいので心地よく聴けるようにしていただきたい。
🗾#大和魂🐉
任那の任の韓国語の訓読はマツみたいです。
原文しっかり見て下さい。漢字間違えてます。
倭人と日本人は別だよ
倭人の一種が日本人かな?倭人というと古代には半島倭人や済州島倭人がいたというし沖縄も日本人になったのは明治からで、それまでは倭人の国琉球だった
@@小沢プロミネンス 日本は多民族だ 大陸から幾つもの民族が渡来した どの民族を指しているかは分からな 日本と言う国号 はいつ出来たか
こっちの声はチャンネルのオリジナルで好き
こういう内容をこの声で語られるギャップが面白い
本当に毎回面白いです。
有難うございます。
こちらこそ、見て頂き本当にありがとうございます🙇♀️💖
非常に「ためになる」動画でした。「不確定要素」も確かに多いですが、「大学受験」を「日本史」選択した人間にとって「なぜ白村江の戦い」で「いきなり朝鮮を舞台とした戦い」があったのか、その「背景」が分かったような気がしました。どうして「今の日本」の歴者学者は「この年代」の「歴史」考証をしないのか、不思議でしょうがありません。「単に」当時「日本」に「文字」がなかった、「記紀」は「ウソ」しか書いていないという「先入観」で片づけている、「いわば怠慢としか思えない権威主義に胡坐をかいている怠け者」という印象しかありません。ちゃんと丁寧に記紀と中国と韓国の歴史書を解読すれば「失われた○○」という誤魔化しをしないでいいと思いました。
日本という名が、それより西の民によってしか名付けられない、という説明が目から鱗でした
日の下では
いつも寝る前に0.75倍速でゆっくり聞かせて頂いています。毎回、初めて知る事柄ばかりで非常に興味深いです!❤😊
興味深いお話の配信ありがとうございます。「ひのもと」という音を漢字で書くと日の本、肥の本、火の本など書けますが、日の下とも書けます。日下は、「くさか」とも読めます。くさかは草香とも書くことができます。草香之津が神武天皇軍が上陸した所で生駒山を登って行くと長髄彦軍と遭遇とてつもない激戦になりました。「くさか」と「ひのもと」何か関連がありますでしょうか?
大変興味深い内容です。
いつも興味深い話をありがとうございます。今回も分かりやすく楽しめました。
次回は日本で何があったのか、という内容なのでますます気になります。楽しみにしてますね。
コメントありがとうございます☺️
嬉しいです💖
お疲れ様でございます。
戦国時代ですらそうですが、実は飛び地伝いに親和勢力と敵対勢力が入り乱れている、というのはよくある話で、当時なら猶更そうだったでしょうね。
同じ父でも、兄弟の母系が新羅寄り、百済寄り、倭国寄り。家臣団もそうだし、祖父の代は逆同士だった、ハブられたから逆に付く!という事も普通にあったと思います。
そういう中小勢力が乱立していたのが任那だった、と思っています。
その中でも、倭(日本)寄りだった南西部エリアに、前方後円墳があり、倭の五王らが奏上文にも書いた通り、勢力圏に置いた時代には、かなりその影響力があったのでしょう。
倭、に関しては、中国(中原=ちゅうげん)から見ると、西蔵の方も倭種と記録されていた模様です。
西蔵と日本は、DNA的にはかなりの近縁ですね。
今回も面白かったです!!!
見て頂きありがとうございます☺️💖
えりえなさん!おつかれさまでした😌
少し元気がない様に感じました!
体調には、お気をつけてくださいね🥺
欽明帝&中原氏出自考察には、かなり驚かされました。欽明帝=武寧王説もある為、完全に矛盾するものでも無いのですが❗️かなり鋭いご考察です、謎を解かれ、開かれるかもしれません、インスピを大切にされて下さい、応援しています!次回の配信orライブを楽しみにしています^_^
ちなみに、和多志は、ヤマトノミコトモチとタケウチノスクネは、近い内容の行政機関だと考えています。
🧐
お疲れさまでした☺️
お気遣いありがとうございます🙏💖
素晴らしい動画をありがとうございます
色々な学説があるのは承知の上でも、この動画でまとめられた通り、半島南部から北部九州の一体を倭国と捉えて、畿内を別倭=日本だと捉えた方が、1〜4世紀の歴史は辻褄が合いますね
倭王武(雄略)が倭国の大王で、葛城に別倭の大王がいた旨のお話には驚きです。そう捉えると、5世紀の神功皇后や応神天皇に始まる河内王朝は倭国の河内への東征で、生駒山地を隔てて奈良盆地の葛城に別倭の王朝が並立していた様に解釈でき、古墳の分布や編年などとも符合しそうです
それが6世紀の継体から統合されて日本になっていくのでしょうが、記紀が倭国の側の歴史を封殺して、別倭の側の神武から万世一系の途中に河内王朝を混ぜ込んだのは、何故なのでしょうか
次回以降の動画を楽しみにします
見て頂きありがとうございます☺️💖
神武は別倭側ではないと考えております、、🙇♀️
@@-eriena さま
え?、ウガヤフキアエズからニギハヤヒが倭国の側で、タカミムスビからニニギが別倭の側かと思ったのですが、違うようですね。神武=応神かな?
次回以降の動画を楽しみにします
声の加工可愛い︎💕︎
また色々と難しい問題の話しにチャレンジしてますね。
非常に大事なことをおっしゃってくださっているのに私のスマホではボリューム最大にして耳をそばたてて半分聴こえ半分聴こえないもしくは不鮮明。
倭と日本、みまな、金加羅国などもう一度聞きなおすしかないのか。
筑紫国造と大和朝廷は本来上下の関係など無いが、パワーバランス的に従属していた。現実的には日本はアメリカの属国だけど名目上は独立国なのと同じ。
次回が楽しみです!
動画作成お疲れ様です。なかなかよくまとまっていると思います。
狗邪韓国は一般的な認識ですが実際は”到其北岸狗邪”で句点が入り、そのあとの韓国七千余里は始度一海を修飾しています。そうすると対馬海流に乗って自然に対馬に渡ることができます。
金官加羅任那が滅び、金官加羅の仇衡王は本国であった九州の豊国に逃れて来たと思います。蘇我氏が仇衡王を担ぎ、継体王朝を滅ぼして仇衡王は欽明天皇となったのではないでしょうか。欽明天皇は任那の復興を生涯の悲願としていたそうです。
コメントありがとうございます💖
スッキリです😌
なんでこうも聞きづらい声なんでしょうか?
朝鮮半島に倭国領域を持っていた一族は、物部氏か、宇佐氏(豊国)と思っていました。国が分かれていたのであれば、もっと日本本土に居た各一族が半島の倭国領域を区画していたのかもしれませんね。中氏は、出雲と習合して臣姓(中津臣)になったと私は考えていますが、結局コヤネという謎の神が不気味に横たわったままで何も分からないままですね。中の古語地名は興味深いですね。これが後の那珂郡の元になったのでしょうか?
倭国領域の見えなさ故に、ヒボコが倭国領域に行き、再び日本に帰ってきたとし、スサノオや五十猛と同一視する変わった見方をする人もいます。
弓前文書では、コヤネから「中津」「弓前」が出たとしており、中氏の昔の名が中津だったことを弓前文書以外に指摘しているのは出雲口伝くらいと記憶しています。
ナカツヒコは、中津臣家の豪族が大王に指定してもらった気がしています。記紀編纂時直前は、中臣御饌子、鎌足、田村王(息長家)石川武蔵、タカラ姫が居た時代ですので、中臣に対する配慮があっても不思議ではありません。
名前だけ聞いた事があるぐらいだから、助かるわ~ 感謝(〃ω〃)
コメントありがとうございます💖
賛否両論あると思いますので、この動画を鵜呑みにせず古文書開いてみて下さいね☺️✨
志賀島の金印に書いてある、委奴国、は古代中国語で、どう云う発音になるのですか?
興味深いです。
コメントありがとうございます💖
様々な見解があると思いますが、[奴]そのものに日本語のナの音はなくて[næ]ヌとナの中間音が当時の[奴]でナよりはネに近い音を出します。[委]は[伊]であり[夷]ですよね、委=倭ではないので、金印の委奴国王[わのなの国王]は[いねの国王]とも読めるのではないでしょうか🙂
面白い👍
見て頂きありがとうございます🙇♀️💖
動画、有難う御座います。22分以降の説、私もほぼ同様に思っています。
朝鮮半島側での歴史書、三国史記も三国遺事も11~12世紀に書かれた物で、
自説展開の根拠資料にはなり難い、補強資料どまりの物でしょう。
中国側と日本側の資料、更には金石文と考古学的出土物を加味すれば、
広義の倭国は朝鮮半島の南側1/4~1/3を含む九州と其の周辺。
近畿のヤマト王権は其れとは別の勢力ですよ。
私は、日本の国名には、日高見国の国が関わっていると考えています。
分かりよく、興味深い内容です。
倭と日本は別ですね。任那は、倭の一部ですね。確かに、日の本は、西方から見た名と思えます。
アメ タリシホコも、讃珍済興武も、すべて九州にあった倭の大王ですね。
そもそも、倭と呼んだのは中国人であって、列島に住んでいる人が言ったものではありません。
大和朝廷が列島を統一する前はバラバラに人が住んでいただけなわけです。
統一される前、列島に住んでいる人は自分たちを倭人という集団だとは思っていなかったと思いますよ。
たいへん興味深い「私説」でした。 以外にも核心に近いところもあるようにも思えます。 ①古代大陸の地図では、朝鮮半島に「倭族」と記載されている、広い地域があります。 ②別論に、ヤマトの政治の中心を「半島内」に置く説もあります。 ③「任那」≒「伽耶」≒「加羅」として地域的に重ねられることがあります。「倭族」も連合体、「加羅」も連合体とされることがあります。 ④北九州権力と畿内権力を並べている箇所に惹かれます。 ず~っとの「?」:邪馬臺国=ヤマト=大和=大倭=倭=日本と「いつ」「誰が」「どのように」同定したのか?動画のとおり明示的ではありません。先日「邪馬臺国」の「臺」の「つくり」が「豆」で「トウ」と読むという説をみて、「邪馬臺」=「ヤマト」と読める・ところまでは、一旦納得しました。でも、同じ方法で「大和」~を「ヤマト」と読めるか?は未だ疑義です。 ・・・序でに、東北の果て「青森県南部地方」に「日本中央」と刻まれた石碑があり、これも不自然な存在です。 古本屋さん・がんばってください・
コメントありがとうございます💖
勉強になります🙇♀️✨
@@-eriena
拝復
後、別の動画に影響され古代日本に没頭しています。 以前の考え方から変わったこと、①邪馬臺国は「漢読み」では「やまたい」とよむ以外にない。
で、邪・馬・とあまり好ましくない意味の漢字が当てられていますが、台も「臺隷」という好ましくない意味を以っていることがわかりました。古代中華国からみれば、「邪馬臺」とは婢的文字列です。 ②「邪馬臺」は必ずしも「ヤマト」に引き継がれたとは限らず、別に「ヤマト」を「大和」と表記したことの方がより適切な可能性がある。 (ここで・ヤマト・ってどういう意味?と考えました) ③「倭」という文字に左右されがちですが、(通例:倭国伝・倭人伝 等)のみを引照しますが、其れに先立つ「韓伝 等」にも「倭」の記述があり、それらも一見する必要がある。 ④朝鮮半島(高句麗を含む)の歴史は、「倭(人・族・国)」というように、その時々の文献で多重定義されて用いられる・ などが判りました。
(今のところ)「倭」は、大陸南部と北部から(半島や)列島へ移動してきた人種を広く指すところから始まり(沖縄などを伝って)、次いで列島全体の住民を漠と指し、次には西(南)日本の住人を指し、更に九州の住人を指し・と範囲が狭くなっているようです。 なので、夫々の範囲に対して「倭」「倭族」「倭人」「倭国」と表記されているようです。 実際「倭国」という現在の「日本国」のような一団の組織が有ったか?という問には「謎」となります。 「倭奴国王」印のように、「倭の中の奴国」という表現が使われていますから。 こういうふうにとらえると「伊都国」も「奴国」も「邪馬臺国」も大小はあっても、夫々が一国であったと考えることができるでしょう。
「翰苑」「山海経」「二十四史」等を参照し、まず大陸(半島)史をおさえ、そこを基準に「和史」を辿りたいと思っています。
記紀等の国史はそれからですね・・・
6:08 伊邪国。。伊邪って伊邪那岐、伊邪那美の?
15:40 阿利斯等!!代々の王の名前なのかな?
加羅国から来た都怒我阿羅斯等(ツヌガアルシト)は角がある人、角は総角(あげまき)、角髪(みずら)と呼ばれる古代の髪型のことで、古代の日本と同じ習俗を持つ民族だったといえるのか?
この髪型がユダヤ教徒のものと似てるという田中英道さんの説もおもしろい。
@知能実験中ゴリラ おもしろいです。天狗は神通力を持つインド人仏教僧がモデルなので、ユダヤ人と関係ないと思うけど。
@@YANAGITAtokinori さん
コメントありがとうございます💖
ツヌガアルシトそういう事なんですか!?
面白いですね😆田中英道さんのUA-camみて勉強します✨
@@-eriena 角がある甲を被った人ではないと思う。戦闘目的で渡来したワケじゃないし。当時「角がある人」と表現したのは朝廷ではもうしていない髪型だったからか?しかし名称はまだ知られていたとか。
アゥー!中原❌中臣ですね!
😂
金海金氏=興味深いです!
いつも目から鱗のお話でとても楽しませてもらっています。
韓流ドラマ スベクヒャン(手白香)を見て驚きました。
武寧王の娘さんで描かれてました。
仇衡王も優柔不断な少し情けない王として描かれてました。
継体天皇、欽明天皇も果たして列島に居た人なのでしょうか?
桓武天皇の焚書を命じた時の言葉が胸に刺さります。
韓国ドラマはただのおとぎ話だよ。
韓国ドラマで歴史を学んだ気になる韓国人はめちゃくちゃ多いらしいけど、世界中の人から笑われるよ。そして世界の人が勉強する歴史と韓国人が思いこんでる歴史が違ってしまい、ケンカになる。
君のような人が韓国ドラマを見るのは、百害あって一利なしだ。
百済の事を日本って書いてある墓碑が発見されたという記事を見たことありますが。。
もう少し聴き取りやすければなあ〜
どうしてこんなに聞き辛いビビリ音で朗読させるのか。不思議
「君が代」は古代九州王朝から唄い継がれた祝歌で、江戸時代の島津のお殿様も唄われたと聞いています。「君が代」を古代ヘブライ語て読み解くと、すごい意味が出てくるそう。倭人はヘブライ系だったのかも知れませんね!
地名がことごとく和名で付けられているのになぜ「日本」は音読みなのか本当に不自然です。
こんにちは。
内容は素晴らしいのですが機械音のような音声が嫌いです。動画自体が素晴らしいので心地よく聴けるようにしていただきたい。
🗾#大和魂🐉
任那の任の韓国語の訓読はマツみたいです。
原文しっかり見て下さい。漢字間違えてます。
倭人と日本人は別だよ
倭人の一種が日本人かな?
倭人というと古代には半島倭人や済州島倭人がいたというし
沖縄も日本人になったのは明治からで、それまでは倭人の国琉球だった
@@小沢プロミネンス 日本は多民族だ 大陸から幾つもの民族が渡来した どの民族を指しているかは分からな 日本と言う国号 はいつ出来たか