【KTN】世界文化遺産 第2回「潜伏のきっかけ~島原の乱~」
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- Опубліковано 3 вер 2019
- 世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」
Ⅱ潜伏のきっかけ~島原の乱~
1637年(寛永14年)、かつてキリシタン大名が統治していた島原と天草で、大規模な宗教一揆が起こった。島原の乱と呼ばれている。
キリシタン禁制が続く中、いったんは棄教していた農民達が一斉にキリシタンに立ち返り、キリスト教信仰の容認を幕府に求めて武装蜂起したのだった。
三ヶ月に亘る攻防戦の後、「原城」に立て籠もった数万人の一揆勢は全滅した。
そして乱に参加しなかったキリシタン達は、表向きは仏教徒を装いながら秘かに信仰を続けていくこととなった。
研究者へのインタビューをを交えながら、キリシタン潜伏のきっかけとなった島原の乱について紹介する。
第1回...プロローグ
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第2回…島原の乱(潜伏のきっかけ)
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第3回…潜伏(どのような信仰だったのか)
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第4回…新天地(五島へ渡ったキリシタン)
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第5回…終焉(信徒発見)
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第6回…変容(カトリックに復帰)
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第7回…エピローグ(潜伏キリシタンの歴史的意味)
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実際は宗教一揆というより過酷な税の一揆ですよね。多くの日本人が死んだ地。本当に可愛そうだ。合掌
私も原城を訪れました.
広い本丸跡に天草四郎時貞像とお墓があり, お墓は花や十字架が沢山お供えしてありました.
そこから海を眺めると, 一揆衆は儚くもポルトガル•スペインの援軍を期待していたのかも, と当時を想い感慨深くなりました.
勉強になりました!
ひょうたん…豊臣…
一神教の危険さを早く理解していた豊臣秀吉は凄いですね。
秀吉がいなければ日本は南米化していました。
神道の方が危険だよ!昭和年代の時、日本の天皇は神道を使って数々の国を侵略する、多くの人は殺された!
本当に凄いのは織田信長.
当時戦国の一因になっていた堕落し横暴で政治に口だす仏教勢力を弾圧し "宗教戦争" を国内から無くした.
そのお陰で秀吉,家康の天下統一,静謐は容易になった.
信長が居なければ 日本の戦国時代はもっと長期化したに違いない.
ここ歩きましたね。
広すぎて疲れ果てましたけど。何度も行きました。あまり知りたくないことではありますね。だから日本人は愛を知らないままでここまで来たのかも知れませんね。
島原でそうめんが作られるきっかけも、島原の乱が関係している。
逆に言うと、島原の乱がなければ、俺(達)はこの世に存在していない。