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いつもにも増して、興味深いテーマと分かりやすい解説に感服いたしました。ご両人、いつもありがとうございます。
コメントありがとうございました。あまり受けないのでは?と心配してましたが、興味を持ってくださる方がおられて嬉しいです。
たった10kmくらいしか離れていなかった京都~大津間には、当時の輸送力増強計画によって長大トンネルが掘られ、現在でも便利に使われているんですね。
有難いことですね。
近くにこんな秘密があったとは!湖西線で毎日通勤していましたが7本目のトンネルは知りませんでした長等山を徒歩越え散歩する際の楽しみが増えました(感謝😸)
コメントありがとうございました。7本目のトンネル、前面展望してみたい。
トンネル内の合流地点ライトアップしてほしい。曜日、時間限定でいいので。
1946年生まれです。子供の頃近江八幡から京都トンネル近ずくと汽笛合図で窓締めてタオル等口鼻押さえていました。
コメントありがとうございました。クーラーも無いし煙に燻されて、夏は大変だったと思います。
長等山トンネルの特急貨物用トンネル(動画の7番のトンネル)は湖西線下り(6番トンネル)より山科駅側から見てはるか先から勾配が始まるのに何故下り線より勾配が緩いかというと、下り線がトンネル手前から下り勾配になっているからだそうです。7番と6番の線はトンネル入ってから結構すぐに合流しますが、この合流地点は6番トンネルの入口より標高が(鉄道的に見て)かなり低いようですね。ずっと疑問だったのですが、JR貨物運転士の知人に教えていただいてスッキリしました。
コメントありがとうございました。6本目が7本目を迎えに行く、という感じですね。
昭和13年生まれの父によると、京都に出る時顔が煤で汚れてしまう滋賀県民は、恥ずかしいから早く電化してくれ、と思っていたそうです。
昔の人は大変な苦労をしているのですね。
なるほど、東山トンネルと新逢坂山トンネルの成り立ちがよくわかりました。もしかすると、3本目のトンネルは、電化で一時使われなくなったものの、複々線化前に古いトンネルの改修をするときにかわりの本線としてて使われていたかもしれませんね。ところで、新逢坂山トンネルの上り線出口付近が緩急一緒になっているところに新たな疑問が出てきました。さりげなく新逢坂山に突っ込んでいく貨物列車が福山レールエクスプレス……
新逢坂山トンネルの下り出口が内外合体しているのは、出口にスペースがなかったかららしいですね。
お疲れ様です。興味深く拝見しました。長等山トンネルの坑口の話は勾配に起因したンですね。外側線から湖西線に入る配線のためと思ってました。
コメントありがとうございました。配線の問題もあると思います。山科駅では外側線から湖西線に転線出来ないようですね。というか、外側線からは急勾配回避が前提で、配線されているのかもしれません。
東海道本線の京都駅を出ると草津駅まで内外両線の転線設備はありませんが、最近のプレスリリースで特急『はるか』の山科駅発着とするため山科駅の改造工事をする予定です。www.westjr.co.jp/press/article/items/241122_00_press_yamashinaeki_2.pdfプレスリリースでは上下内側線の内側に引き上げ線を設ける予定ですが、湖西線の高架を避けて引き上げ線をどう作るか楽しみです。
@@hcageno さん山科駅の4番のりばには東海道本線上り出発信号機のほか、湖西線の出発信号機もあります。冒進による異線侵入を防ぐため停止定位となっており、草津線直通列車はノロノロと4番のりばに入ります。一方で内側線から湖西線への出発はできる仕組みで、琵琶湖線新快速・普通列車と線路を共用できます。
京都は西にも東にも しんおおさか??いや、この動画でのは しんおうさか か。
何度タイプミスしたことかw
山科育ち 草津在住者には非常に興味深い内容でしたありがとうございます。北びわこ号で結構最近まで 時たまSLは走っていましたね 梅小路に回送するのにはるかが山科駅まで延伸となり近い将来、山科駅も変貌していきます。その時はまた動画をお願い申し上げます。
コメントありがとうございました。楽しんでいただけて嬉しいです。
サンダバと貨物列車が違う抗口から入るのは知らなかったです今度京都行ったら見てみます!
例の歩道橋へは京阪の四宮駅が最寄りです。
トンネルの歴史って面白いですね。解説ありがとうございました。勾配を避けるための7つ目のトンネルはとても興味深く見てました。サンダーバード号でも勾配はきついんですね。
コメントありがとうございました。サンダーバードは電車なので、18‰くらいの勾配は登れると思うのですが、山科駅の配線が、外側線は7つ目のトンネルを通って湖西線に抜ける前提になっているので、そうしているのだと思われます。サンダーバードの前身の雷鳥の485系だと、辛かったのかも知れませんね。
主さんって京都出身かな?滋賀出身なので興味深い面白い動画でした。坊主めくりの蝉丸は確かにラスボス(笑)。
はい。生まれと育ちは京都で、神戸、大阪にも住んでいたことがあります。現在は京都在住です。
山科のトンネル通りもある意味坊主がラスボスなんだな…湖西線や湖西バイパス通すとき、どれだけ三井寺に泣かされたことか…トンネル通すときもダイナマイト使うと寺や仏像がぶっ壊れるとクレーム受けて火薬の量を減らしたらしいぞ。しかも寺がトンネルの天井から僅か数メートルしかなかったらしい。
@@hcageno 私も現在山科の101歳母介護の為に近江八幡市から泊まり込んでいます。子供の頃木製のED10 C10 EF58 EH100 等又夏休み工作にキハ20等作りました。O HOゲージもやっています。山科から大阪鉄道高校迄京阪で通学し鉄道研究部で楽しく過ごしました。JA3sx.で日本橋も隅から隅までうろついていました。3億円事件当時バイクモービル職務質問
長柄山トンネルの下り列車線ワープトンネルつい最近まで気づかなかった
ワープトンネルwww
東山トンネルといえば、西側出口に新駅構想がありますね。実現した場合、周辺に学校が多いのと、清水寺まで徒歩圏内となるため、昨今のバス混雑緩和に一定の効果が見込まれる
一部がワーワー言っているだけで実現の見込みがありません。しかも徒歩で清水寺に行ける距離ではありません。
清水五条と大差ないので、歩こうと思えば歩けるで。四条河原町から清水寺まで徒歩で行くという韓国人観光客に道聞かれたことあるし。
コメントありがとうございました。用地確保が難しそうですね。
@@hcageno 設置案には、隣接する府道143号線の今熊野跨線橋を東に拡大する案もあるので、その場合だとロータリーや駅設備は跨線橋の上に設置されれるため、新規の用地取得は必要ないそうです
清水坂まで20分かからないですよ。普通に歩いて行けます。最寄りの京都博物館~清水坂を歩いて行き来する観光客も多いので、歩いていけないという根拠がよくわからないそもそも東山トンネル近くは高級ホテル街なので、徒歩観光客は非常に多いです現地に行ってみてください
お京阪大好きチャンネルさんのことだから、てっきり新逢坂山トンネルと京阪大津線直結した世界の話かと妄想してしまいました
その妄想、突飛ですが、面白いですね。
滋賀に住んでおり、逢坂山トンネルと長等山トンネルの件を取り上げて戴きありがとうございました。(^_^)/
コメントありがとうございました。
11;24 この付近、JR東大路駅(仮称)が地元から?要望されていた場所のようにみえますもし実現すればバスとの連絡もでき京都駅の混雑緩和にはうってつけの立地条件におもえます真ん中あたりにホームが敷けそうな空間がありますが東大路通りに直結できたとしてもホーム長が足りずまた1面しか場所がないので停まれる電車も限られてきそうです先日関空特急の山科延長がぶち上げられたのはこういう事情もあってのことなのでしょう
4本目の線路も、法面の下を洞門にしたりして、無理矢理敷いてるような感じですし、ここに駅を造るのはかなり難しそうですね。
重箱の隅を楊枝でほじくる話で申し訳ないが、国鉄の発足は1949年(昭和24年)なので旧日本軍が存在した時は鉄道省です。※恐らくうp主はわかっているとは思いますが・・・。
省線という言い方があるようですが、あまりピンと来ないので、国鉄にしました。
メタンの「テレポ~テイ、ション」☺️ ダサくないのだ!ダサいとかいうずんだもんはまだまだなのだ😳
異能の力を発動させたときの、お決まりの台詞なのだ。悪く思わないでほしいのだ。(ずんだもん)
例の歩道橋から眺めていて、7本のトンネルの謎は気になっていました。7本目のトンネルが湖西線へと繋がっているのは、しばらく眺めていたのでサンダーバードの通過で理解できていました。google earth での鉄道線表示にて分かってたんだけど、頭の上に???。お陰で、今回その理由が明確になりました。7本目のトンネルを山科駅で湖西線の乗客扱いをしないで済む特急と貨物列車がびわこ線ホームの線路から湖西線へ進入できますもんね。この近くに琵琶湖疎水が通ってまして、蹴上から疎水を追っかけて来ての発見でした。
コメントありがとうございました。7本目のトンネルといい、山科駅の配線といい、よく考えられてますね。今回調べていて感心しました。
9:06 拙宅から歩いて5分とかからない場所ですが画面の線路をくぐった向こう側には戦前に一世を風靡した鉄道関係の鳥瞰図を数多く描かれた大正の広重こと吉田初三郎氏の墓所があったりしますまた当地は立憲民主党などで活躍している前原元国交大臣が中高生時代にSL写真を撮りに訪れること頻回であったと聞きますここから南にゆきますとNHK大河「光る君へ」で紹介された花山天皇出家の地・元慶寺がありますなにげにこのあたりも意外といろいろなトリビアがあるものですね
コメントありがとうございます。撮影に行って思いましたが、このあたり、いいところですね。
長等山トンネルの合流部、時々目をこらして見ているのですが気付かず過ぎてしまいます(°▽°)山科駅もはるかを発着させるためにホームを増設するようですが、どうなるのか興味深いです。
コメントありがとうございました。私も、合流部を通過する動画を撮ろうとしましたが、暗くてうまく映らなかったので諦めました。ぴえん
勾配のための別線と聞いて、同じ東海道本線の垂井線を思い出した。京都盆地に降りてくる下り列車なら煙があまり出ないというのは、なるほどと思った。
垂井線も面白いですね。下り線は、最悪、惰性走行も可能と聞きます。
いつも楽しく拝見させていただいています。鉄道は勾配に弱いこと。またトンネルの掘削などなど。当時の持てる技術で、いかにして克服してきたかを、今回も面白おかしく勉強させていただきました。本当は、いつも宗麟と雪の喧嘩を楽しみにしているのだ。また、次回に期待するのだ。ほんと、機関のエージェント、かげのひなた最高。
そう言えば、宗麟と雪の痴話喧嘩、最近やってないのだ。またやるのだ。(ずんだもん)
@@hcageno ありがとうなのだ。楽しみに待つのだ。
ここまでやったのなら蝉丸神社近くの旧逢坂山トンネルもやってほしかった 勿論トンネル内部は不可能でしょうが……
旧逢坂山隧道についてはua-cam.com/video/rstgSyhN7hs/v-deo.htmlで、少し扱ってます。宜しかったらご覧ください。
湖西線開業の当初、この動画の「6」だけはまだ完成してなかったように思う。普通電車も「7」を使っていたはず。幼少のころ普段の「5」を利用する際の車窓で「6」につながる高架線が徐々に完成されていく様子を記憶している。湖西線開業当時は京都駅2番のりばが湖西線方面行き、3番のりばが琵琶湖(東海道)線方面行きだったので「6」が仮にこの時運用されていればその重要性は比較的少なかったように今では思う。ところがこれが2番のりば琵琶湖(東海道)線方面行き、3番のりば湖西線方面行きに変更されると「6」の重要度が劇的に高まった。当時新快速は山科駅を通過していたので、湖西線方面行き列車が琵琶湖線方面行の新快速を支障することが「6」によって防ぐことができたので絶大な効果を発揮した。もしかしたら「6」の運用開始と、京都駅の琵琶湖線、湖西線のりば変更は同時期だったのかもしれない。これと新快速山科の通過→停車の時期がいつだったかの時系列は残念ながらはっきり覚えていない。
コメントありがとうございました。詳しい情報、感謝いたします。「6」は「4」の上を越えたあと、若干下り勾配となり、勾配制限のある「7」を迎えに行ってるような感じなのと、「7」と「6」のトンネル内合流地点は、「7」のほうが速度制限がかかっているらしい、ということで、初めからこのような設計になっていたような気がします。
@@user-shibayan さん特急『はるか』の山科駅折り返しの暁には、湖西線列車が外側線に再び帰りそうな気がします。東海道線上り通過線の北には京都保線区山科保線管理室がありますが、12両編成を停められる長さは取れなさそうですから、駅入線の速度低下には目を瞑って現行の4番のりばを琵琶湖線に使い、湖西線の快速・各駅停車を新設ホームに停めるような感じになりそうです。
@@hcageno 確かにサンダーバードは琵琶湖線外側線分岐とトンネル内合流で2度の速度制限がかかりノロノロ運転です。もしかしたら「6」はトンネルは開業と同時に完成していたのかもしれませんが、その先(手前)の高架部分が未完成でのある意味暫定開業のような状態だったのかもしれません。逆に現在では新快速が山科に止まるようになって湖西3番出発と琵琶湖線4番出発が支障するようになったため、「6」の存在意義がかなり薄れてしまいました。たまーに外側線を貨物が通過していくのと同時に湖西線が出発していくときにしか・・・。遠い昔、湖西山科出発の車内で、爆速で新快速が通過線を走り去っていく様子をしょっちゅう見かけたものです。
地元に住んでいてこのあたりの風景は良く目にします旧東海道線の話は知っていましたけど、現行の琵琶湖線、湖西線にもいろいろな逸話があったんですね。興味深く拝見いたしました。そういや先日東山トンネル東側坑口付近で何か撮影されている方を目撃しましたけどもしや?(笑)
コメントありがとうございました。それ、私かも💦ところで、あそこって、なかなかいい撮影ポイントありませんね。通行止めになってる朽ちかけた歩道橋が通れればいいのに、とおもいました。
あんなところで撮影する人も珍しいなと思って印象に残ってました(笑)西側坑口の方は結構見晴らしがよいと思うんですけどねえ
@ 今熊野の跨線橋が工事中🚧なのが痛かった。
あそこの南側の土手の桜がきれいなのでまた機会があったらチャレンジしてください
大津京〜山科間を走る湖西線乗ってて線形の割に速度が出てないなと思いましたが、動画をみていて勾配が原因な気がしました。サンダーバード乗ってて滋賀→京都府へ入るトンネル付近で減速するので、、少し謎が解けた気がします。改良して欲しい気もしましたが、今更弄るのも大変なので、北陸新幹線の京都・大阪方面への延伸を強く望みます。
北陸新幹線、いつ出来るのやら・・
細かい指摘ですが、国鉄(日本国有鉄道)は1949年に発足ですので、その頃は陸軍省は存在しませんね。よって8:48国鉄では無く鉄道省ですね。
まあ地理的条件も有ろうが、金や寺の問題があったからな。特に山科のトンネル通りは湖西線の場合、三井寺に接近していたから、相当苦戦してたらしい。寺自体や仏像に被害与えないため掘削工事は相当気を使ったそうだ。しかもトンネルの天井から僅か数メートルしかなかったから相当な難工事だったのが予想されよう。
知りませんでした。中学・高校と6年間、東海道線の真横(南側)の学校に通ったのになあ。
コメントありがとうございました。知らないのが普通なので、安心してください。
湖西線の下りトンネルを掘る際は上を通る道との高さが足りなかったので周囲を土盛り(上を通る道を数メートル嵩上げ)して地形を変えたそうです。
そうでしたか!貴重な情報ありがとうございます。
むかしながらの山ざくらにほふところや志賀の里都のあとは知らねども逢坂山はそのまゝに大石良雄が山科のその隠家はあともなし赤き鳥居の神さびて立つは伏見の稲荷山(『鉄道唱歌』第一集「東海道篇」の四十四番・四十五番)
機関のエージェントなのか?かげのひなた最高
いつもありがとうございます
このトンネルの上にある法面の材料運んだな
つくった人?
運送屋やから運んだ人
いつもにも増して、興味深いテーマと分かりやすい解説に感服いたしました。ご両人、いつもありがとうございます。
コメントありがとうございました。
あまり受けないのでは?と心配してましたが、興味を持ってくださる方がおられて嬉しいです。
たった10kmくらいしか離れていなかった京都~大津間には、当時の輸送力増強計画によって長大トンネルが掘られ、現在でも便利に使われているんですね。
有難いことですね。
近くにこんな秘密があったとは!
湖西線で毎日通勤していましたが7本目のトンネルは知りませんでした
長等山を徒歩越え散歩する際の楽しみが増えました(感謝😸)
コメントありがとうございました。
7本目のトンネル、前面展望してみたい。
トンネル内の合流地点ライトアップしてほしい。曜日、時間限定でいいので。
1946年生まれです。子供の頃近江八幡から京都トンネル近ずくと汽笛合図で窓締めてタオル等口鼻押さえていました。
コメントありがとうございました。
クーラーも無いし煙に燻されて、夏は大変だったと思います。
長等山トンネルの特急貨物用トンネル(動画の7番のトンネル)は湖西線下り(6番トンネル)より山科駅側から見てはるか先から勾配が始まるのに何故下り線より勾配が緩いかというと、下り線がトンネル手前から下り勾配になっているからだそうです。
7番と6番の線はトンネル入ってから結構すぐに合流しますが、この合流地点は6番トンネルの入口より標高が(鉄道的に見て)かなり低いようですね。
ずっと疑問だったのですが、JR貨物運転士の知人に教えていただいてスッキリしました。
コメントありがとうございました。
6本目が7本目を迎えに行く、という感じですね。
昭和13年生まれの父によると、京都に出る時顔が煤で汚れてしまう滋賀県民は、恥ずかしいから早く電化してくれ、と思っていたそうです。
昔の人は大変な苦労をしているのですね。
なるほど、東山トンネルと新逢坂山トンネルの成り立ちがよくわかりました。もしかすると、3本目のトンネルは、電化で一時使われなくなったものの、複々線化前に古いトンネルの改修をするときにかわりの本線としてて使われていたかもしれませんね。
ところで、新逢坂山トンネルの上り線出口付近が緩急一緒になっているところに新たな疑問が出てきました。
さりげなく新逢坂山に突っ込んでいく貨物列車が福山レールエクスプレス……
新逢坂山トンネルの下り出口が内外合体しているのは、出口にスペースがなかったかららしいですね。
お疲れ様です。興味深く拝見しました。長等山トンネルの坑口の話は勾配に起因したンですね。外側線から湖西線に入る配線のためと思ってました。
コメントありがとうございました。
配線の問題もあると思います。山科駅では外側線から湖西線に転線出来ないようですね。というか、外側線からは急勾配回避が前提で、配線されているのかもしれません。
東海道本線の京都駅を出ると草津駅まで内外両線の転線設備はありませんが、最近のプレスリリースで特急『はるか』の山科駅発着とするため山科駅の改造工事をする予定です。
www.westjr.co.jp/press/article/items/241122_00_press_yamashinaeki_2.pdf
プレスリリースでは上下内側線の内側に引き上げ線を設ける予定ですが、湖西線の高架を避けて引き上げ線をどう作るか楽しみです。
@@hcageno さん
山科駅の4番のりばには東海道本線上り出発信号機のほか、湖西線の出発信号機もあります。冒進による異線侵入を防ぐため停止定位となっており、草津線直通列車はノロノロと4番のりばに入ります。
一方で内側線から湖西線への出発はできる仕組みで、琵琶湖線新快速・普通列車と線路を共用できます。
京都は西にも東にも しんおおさか??
いや、この動画でのは しんおうさか か。
何度タイプミスしたことかw
山科育ち 草津在住者には
非常に興味深い内容でした
ありがとうございます。
北びわこ号で結構最近まで 時たまSLは走っていましたね 梅小路に回送するのに
はるかが山科駅まで延伸となり
近い将来、山科駅も変貌していきます。
その時はまた動画をお願い申し上げます。
コメントありがとうございました。
楽しんでいただけて嬉しいです。
サンダバと貨物列車が違う抗口から入るのは知らなかったです
今度京都行ったら見てみます!
例の歩道橋へは京阪の四宮駅が最寄りです。
トンネルの歴史って面白いですね。解説ありがとうございました。勾配を避けるための7つ目のトンネルはとても興味深く見てました。サンダーバード号でも勾配はきついんですね。
コメントありがとうございました。
サンダーバードは電車なので、18‰くらいの勾配は登れると思うのですが、山科駅の配線が、外側線は7つ目のトンネルを通って湖西線に抜ける前提になっているので、そうしているのだと思われます。サンダーバードの前身の雷鳥の485系だと、辛かったのかも知れませんね。
主さんって京都出身かな?
滋賀出身なので興味深い面白い動画でした。
坊主めくりの蝉丸は確かにラスボス(笑)。
はい。生まれと育ちは京都で、神戸、大阪にも住んでいたことがあります。現在は京都在住です。
山科のトンネル通りもある意味坊主がラスボスなんだな…
湖西線や湖西バイパス通すとき、どれだけ三井寺に泣かされたことか…
トンネル通すときもダイナマイト使うと寺や仏像がぶっ壊れるとクレーム受けて火薬の量を減らしたらしいぞ。しかも寺がトンネルの天井から僅か数メートルしかなかったらしい。
@@hcageno 私も現在山科の101歳母介護の為に近江八幡市から泊まり込んでいます。子供の頃木製のED10 C10 EF58 EH100 等又夏休み工作にキハ20等作りました。O HOゲージもやっています。山科から大阪鉄道高校迄京阪で通学し鉄道研究部で楽しく過ごしました。JA3sx.で日本橋も隅から隅までうろついていました。3億円事件当時バイクモービル職務質問
長柄山トンネルの下り列車線ワープトンネル
つい最近まで気づかなかった
ワープトンネルwww
東山トンネルといえば、西側出口に新駅構想がありますね。
実現した場合、周辺に学校が多いのと、清水寺まで徒歩圏内となるため、
昨今のバス混雑緩和に一定の効果が見込まれる
一部がワーワー言っているだけで実現の見込みがありません。しかも徒歩で清水寺に行ける距離ではありません。
清水五条と大差ないので、歩こうと思えば歩けるで。四条河原町から清水寺まで徒歩で行くという韓国人観光客に道聞かれたことあるし。
コメントありがとうございました。
用地確保が難しそうですね。
@@hcageno 設置案には、隣接する府道143号線の今熊野跨線橋を東に拡大する案もあるので、
その場合だとロータリーや駅設備は跨線橋の上に設置されれるため、新規の用地取得は必要ないそうです
清水坂まで20分かからないですよ。普通に歩いて行けます。
最寄りの京都博物館~清水坂を歩いて行き来する観光客も多いので、歩いていけないという根拠がよくわからない
そもそも東山トンネル近くは高級ホテル街なので、徒歩観光客は非常に多いです
現地に行ってみてください
お京阪大好きチャンネルさんのことだから、
てっきり新逢坂山トンネルと京阪大津線直結した世界の話かと妄想してしまいました
その妄想、突飛ですが、面白いですね。
滋賀に住んでおり、逢坂山トンネルと長等山トンネルの件を取り上げて戴きありがとうございました。(^_^)/
コメントありがとうございました。
11;24 この付近、JR東大路駅(仮称)が地元から?要望されていた場所のようにみえます
もし実現すればバスとの連絡もでき京都駅の混雑緩和にはうってつけの立地条件におもえます
真ん中あたりにホームが敷けそうな空間がありますが東大路通りに直結できたとしてもホーム長が足りず
また1面しか場所がないので停まれる電車も限られてきそうです
先日関空特急の山科延長がぶち上げられたのはこういう事情もあってのことなのでしょう
4本目の線路も、法面の下を洞門にしたりして、無理矢理敷いてるような感じですし、ここに駅を造るのはかなり難しそうですね。
重箱の隅を楊枝でほじくる話で申し訳ないが、国鉄の発足は1949年(昭和24年)なので旧日本軍が存在した時は鉄道省です。
※恐らくうp主はわかっているとは思いますが・・・。
省線という言い方があるようですが、あまりピンと来ないので、国鉄にしました。
メタンの「テレポ~テイ、ション」☺️ ダサくないのだ!ダサいとかいうずんだもんはまだまだなのだ😳
異能の力を発動させたときの、お決まりの台詞なのだ。悪く思わないでほしいのだ。(ずんだもん)
例の歩道橋から眺めていて、7本のトンネルの謎は気になっていました。7本目のトンネルが湖西線へと繋がっているのは、しばらく眺めていたのでサンダーバードの通過で理解できていました。google earth での鉄道線表示にて分かってたんだけど、頭の上に???。
お陰で、今回その理由が明確になりました。
7本目のトンネルを山科駅で湖西線の乗客扱いをしないで済む特急と貨物列車がびわこ線ホームの線路から湖西線へ進入できますもんね。
この近くに琵琶湖疎水が通ってまして、蹴上から疎水を追っかけて来ての発見でした。
コメントありがとうございました。
7本目のトンネルといい、山科駅の配線といい、よく考えられてますね。今回調べていて感心しました。
9:06 拙宅から歩いて5分とかからない場所ですが
画面の線路をくぐった向こう側には戦前に一世を風靡した鉄道関係の鳥瞰図を数多く描かれた大正の広重こと吉田初三郎氏の墓所があったりします
また当地は立憲民主党などで活躍している前原元国交大臣が中高生時代にSL写真を撮りに訪れること頻回であったと聞きます
ここから南にゆきますとNHK大河「光る君へ」で紹介された花山天皇出家の地・元慶寺があります
なにげにこのあたりも意外といろいろなトリビアがあるものですね
コメントありがとうございます。
撮影に行って思いましたが、このあたり、いいところですね。
長等山トンネルの合流部、時々目をこらして見ているのですが気付かず過ぎてしまいます(°▽°)
山科駅もはるかを発着させるためにホームを増設するようですが、どうなるのか興味深いです。
コメントありがとうございました。
私も、合流部を通過する動画を撮ろうとしましたが、暗くてうまく映らなかったので諦めました。ぴえん
勾配のための別線と聞いて、同じ東海道本線の垂井線を思い出した。京都盆地に降りてくる下り列車なら煙があまり出ないというのは、なるほどと思った。
垂井線も面白いですね。
下り線は、最悪、惰性走行も可能と聞きます。
いつも楽しく拝見させていただいています。
鉄道は勾配に弱いこと。またトンネルの掘削などなど。当時の持てる技術で、いかにして克服してきたかを、今回も面白おかしく勉強させていただきました。
本当は、いつも宗麟と雪の喧嘩を楽しみにしているのだ。また、次回に期待するのだ。
ほんと、機関のエージェント、かげのひなた最高。
そう言えば、宗麟と雪の痴話喧嘩、最近やってないのだ。またやるのだ。(ずんだもん)
@@hcageno ありがとうなのだ。楽しみに待つのだ。
ここまでやったのなら蝉丸神社近くの旧逢坂山トンネルもやってほしかった 勿論トンネル内部は不可能でしょうが……
旧逢坂山隧道については
ua-cam.com/video/rstgSyhN7hs/v-deo.html
で、少し扱ってます。宜しかったらご覧ください。
湖西線開業の当初、この動画の「6」だけはまだ完成してなかったように思う。普通電車も「7」を使っていたはず。幼少のころ普段の「5」を利用する際の車窓で「6」につながる高架線が徐々に完成されていく様子を記憶している。湖西線開業当時は京都駅2番のりばが湖西線方面行き、3番のりばが琵琶湖(東海道)線方面行きだったので「6」が仮にこの時運用されていればその重要性は比較的少なかったように今では思う。ところがこれが2番のりば琵琶湖(東海道)線方面行き、3番のりば湖西線方面行きに変更されると「6」の重要度が劇的に高まった。当時新快速は山科駅を通過していたので、湖西線方面行き列車が琵琶湖線方面行の新快速を支障することが「6」によって防ぐことができたので絶大な効果を発揮した。もしかしたら「6」の運用開始と、京都駅の琵琶湖線、湖西線のりば変更は同時期だったのかもしれない。これと新快速山科の通過→停車の時期がいつだったかの時系列は残念ながらはっきり覚えていない。
コメントありがとうございました。
詳しい情報、感謝いたします。
「6」は「4」の上を越えたあと、若干下り勾配となり、勾配制限のある「7」を迎えに行ってるような感じなのと、「7」と「6」のトンネル内合流地点は、「7」のほうが速度制限がかかっているらしい、ということで、初めからこのような設計になっていたような気がします。
@@user-shibayan さん
特急『はるか』の山科駅折り返しの暁には、湖西線列車が外側線に再び帰りそうな気がします。東海道線上り通過線の北には京都保線区山科保線管理室がありますが、12両編成を停められる長さは取れなさそうですから、駅入線の速度低下には目を瞑って現行の4番のりばを琵琶湖線に使い、湖西線の快速・各駅停車を新設ホームに停めるような感じになりそうです。
@@hcageno 確かにサンダーバードは琵琶湖線外側線分岐とトンネル内合流で2度の速度制限がかかりノロノロ運転です。もしかしたら「6」はトンネルは開業と同時に完成していたのかもしれませんが、その先(手前)の高架部分が未完成でのある意味暫定開業のような状態だったのかもしれません。逆に現在では新快速が山科に止まるようになって湖西3番出発と琵琶湖線4番出発が支障するようになったため、「6」の存在意義がかなり薄れてしまいました。たまーに外側線を貨物が通過していくのと同時に湖西線が出発していくときにしか・・・。遠い昔、湖西山科出発の車内で、爆速で新快速が通過線を走り去っていく様子をしょっちゅう見かけたものです。
地元に住んでいてこのあたりの風景は良く目にします
旧東海道線の話は知っていましたけど、現行の琵琶湖線、湖西線にもいろいろな逸話があったんですね。興味深く拝見いたしました。
そういや先日東山トンネル東側坑口付近で何か撮影されている方を目撃しましたけどもしや?(笑)
コメントありがとうございました。
それ、私かも💦
ところで、あそこって、なかなかいい撮影ポイントありませんね。通行止めになってる朽ちかけた歩道橋が通れればいいのに、とおもいました。
あんなところで撮影する人も珍しいなと思って印象に残ってました(笑)
西側坑口の方は結構見晴らしがよいと思うんですけどねえ
@ 今熊野の跨線橋が工事中🚧なのが痛かった。
あそこの南側の土手の桜がきれいなのでまた機会があったらチャレンジしてください
大津京〜山科間を走る湖西線乗ってて線形の割に速度が出てないなと思いましたが、動画をみていて勾配が原因な気がしました。
サンダーバード乗ってて滋賀→京都府へ入るトンネル付近で減速するので、、少し謎が解けた気がします。
改良して欲しい気もしましたが、今更弄るのも大変なので、
北陸新幹線の京都・大阪方面への延伸を強く望みます。
北陸新幹線、いつ出来るのやら・・
細かい指摘ですが、国鉄(日本国有鉄道)は1949年に発足ですので、その頃は陸軍省は存在しませんね。
よって8:48国鉄では無く鉄道省ですね。
省線という言い方があるようですが、あまりピンと来ないので、国鉄にしました。
まあ地理的条件も有ろうが、金や寺の問題があったからな。特に山科のトンネル通りは湖西線の場合、三井寺に接近していたから、相当苦戦してたらしい。寺自体や仏像に被害与えないため掘削工事は相当気を使ったそうだ。しかもトンネルの天井から僅か数メートルしかなかったから相当な難工事だったのが予想されよう。
コメントありがとうございました。
知りませんでした。中学・高校と6年間、東海道線の真横(南側)の学校に通ったのになあ。
コメントありがとうございました。
知らないのが普通なので、安心してください。
湖西線の下りトンネルを掘る際は上を通る道との高さが足りなかったので周囲を土盛り(上を通る道を数メートル嵩上げ)して地形を変えたそうです。
そうでしたか!貴重な情報ありがとうございます。
むかしながらの山ざくら
にほふところや志賀の里
都のあとは知らねども
逢坂山はそのまゝに
大石良雄が山科の
その隠家はあともなし
赤き鳥居の神さびて
立つは伏見の稲荷山
(『鉄道唱歌』第一集「東海道篇」の四十四番・四十五番)
コメントありがとうございました。
機関のエージェントなのか?
かげのひなた最高
いつもありがとうございます
このトンネルの上にある法面の材料運んだな
つくった人?
運送屋やから
運んだ人