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私の母親は若い頃に門司港に住んでたらしく山城屋で働いていたみたいです。
👏トイレの写真なども撮影なさって、昔から凄かったのですね。全ての面で昭和時代が満載ですね、有り難うございます。
先生、早速ご覧頂き、ありがとうございます! 嬉しいです。😺 同行した祖父も昭和初期の面影を残したかったようで、一緒に駅のディテール撮影を楽しみました。🎵 洗面所の一部とトイレの「幸運の手水鉢」は、今現在も保存されてはおりますが、「現役感」が失われてしまいました。撮っていて正解でした。😸twitter.com/DenkaTakeda/status/1436307761160097792
今年の5月に門司港駅近辺に行ってきたばっかりだったので今昔加減が良くわかる貴重な写真、ありがとうございます😊古き良き部分を残し、和モダン的で素敵な駅ですよね✨😊
亀井 孝夫様 ご覧頂き、ありがとうございます。😸 5月にお越しになったんですね。現在は大改修を経て、開業当時の姿が復元されて興味深いですが、30年前の「地域の生活感」が漂う駅の姿も好きでした。私も門司港駅が好きなので、いづれまた『木造駅舎めぐり』で訪問したいと考えております。🎵
山城屋は6階建てで、今思うとその当時でもなかなか古風なデパートでしたが、門司港に唯一のデパートでしたので、子供ながら楽しいひと時を過ごしました。門司港駅はきれいに修復されて、今ではすっかり観光駅になってしまっていますが、当時はなかなかの場末感がありました。今でも残っているものとなくなってしまったものが混在していて面白かったです。バスもこうやって改めて見るとレトロですよね。門司港には当時循環バスがあって、いつも山手通り経由のバス(確か1番)で祖父母の家に行ったものです。2番は海岸通り経由だったはず。まだまだバスを利用している人が多い時代でもありました。
Angel Heart様 ご覧頂き、ありがとうございます。お楽しみ頂けて光栄です。😸 山城屋さんでのランチは毎回楽しみでした。🍴 門司港駅も地元の方々の生活感があふれていて、「現役の歴史的建造物」って感じで素敵でした。もちろん、今の門司港駅も好きですが。🚉循環バスは内回りと外回りがあったようですね。一度だけ門司港駅から田野浦へいった時、行きは山手経由で帰りは海岸経由でした。「海岸」が海の見える道路ではなく、埋立地の道路と判ってビックリしました。😅
山手経由海岸、海岸経由山手の循環は1990年ごろなら、そんなに人は乗っていいころのはずです。
スペースワールド号懐かしい
お~、下関駅行きのサンデンバス!そうそう、駅構内の工事を見て、どんなのができるのか楽しみにしていたら、もと、みかど食堂だった場所を似非レトロのみどりの窓口に改装、もともとあった券売機と長距離窓口をつぶしてできたあの六角形か八角形のような窓口もどき・・・ここが1回も開いたのを見たことがなかった。レストランになったところが待合室でスチームで熱かった記憶がある。待合所のところにうどん屋があった。便所や洗面所は開業当時のものを改修して改修して使用されてきたが、悪臭で毎回息を止めて素早く出てきたものだ。一杯の帰り水はもともと西海岸にあったのだが、このころにはもう移動してきていたのか。和布刈、白野江、下関駅行きのバス、バックに日産汽船ビルと関門汽船ビル。門司郵船ビルは、九州で初めてのエレベーターつきオフィスビルだった。まだ日本郵船門司支店があったころで、この建物に用のない人が入ると注意された。出た出た!いま、門司港駅の正面にベスト電器があったと話をするとほとんどの人が信じてくれないが、これが証拠。現在、門司三井倶楽部があるところ。このころ、国鉄が谷町の門鉄会館と旧物産社宅の全部を維持できないから破壊すると市に伝えてもめていたころ。そしてその場所にマンション計画も出てくる。商船三井も八角塔の支店ビルを維持できない市に伝えてくる。明治屋門司支店は市の門司港レトロ計画にはかかわりたくないと言い出す。そして最後には、旧三菱合資(商事)門司支店の赤レンガ倉庫を破壊して高層マンションを建てる計画が発覚していく。こうした動きを止めるためと門司港エリアの斜陽化、場末感を払しょくするために、門司港レトロ計画が1993年ごろから本格的に動き始めた。桟橋通りにまだJR九州バスの事務所がある時代。これがのちにJR九州のスーパーになるがいつの間にか消える。バックの茶色いマンションはかつて三菱倉庫門司支店のビルがあった場所。山口銀行門司支店は、旧横浜正金銀行門司支店の建物。戦後は東京銀行門司支店。大正時代には一時期、台湾銀行門司支店があった。桟橋通り交差点に路面電車のレールがないのが悲しい。バスのバックに日本通運の事務所(旧内国通運)がまだあるし、左の白い建物は福岡銀行門司支店(現存)だがかつては住友銀行門司支店だった建物。このころは、国鉄がJRになったり、西鉄バスも西鉄バス北九州とかに分離されていった時代で、こんな小さいバスも走っていたなあ。山城屋の屋上から福岡シティ銀行門司支店が見える。旧福岡相互銀行だ。この建物は、戦後、三井銀行門司支店が空襲を受けたので帝国銀行門司支店として建てられ東本町から移動してきた。現在のプレミアホテル門司港の場所に、まだ商船三井の倉庫が見える。門菱港運ビルや職業安定所もある。ピンク電車のころから、ライトの大きさで、でこまる、でめ、こめと区別していたが、でこまる(ライトが大きくて運転台が低いタイプ)は、昭和36年の電化当時の車体でクーラーもなくJR化ですぐに廃車になった記憶がある。原田駅のホームの横に朽ちた車両が置かれてあったと思う。マイタウン電車のヘッドマーク持っていたけど、いつの間にかどこかにいってしまった。50系レッドトレイン。学校からダッシュで門司港駅まで行けば、ぎりぎり柳ヶ浦・田川後藤寺ゆきの13両編成の当時九州一長い客レで帰ることができた。一駅だけの楽しみだった。ロクロクロクナナのあのエンジンのうるささと、突然静かになるギャップが好きだった。この車両はクーラー天国だった。門司港レトロ計画は、まず、門司港駅の老朽化防止工事から始まり、駅舎とその周辺の観光化につなげていくことからスタートしたことを、この動画で思い出しました。
FTYUTE GOURSXSW様 ご覧頂き、ありがとうございます。懐かしんで頂けて嬉しいです。😸 私も画像を振り返ってみると、いろんな記憶が蘇ってきます。「帰り水」は30年前の時点で、既に移設されていたんですね!1993年は私が中学に上がった年ですが、その頃に「レトロ地区整備」が始まったのを何となく覚えています。1991年のGWに門司港へ行った後、2年間訪問する機会が無かったと記憶していますが、93年のGWに行くと門司港駅前に噴水が出来ていて、古いトイレが水洗に改造されていてビックリしたものです。😅山城屋さんは94年の正月明けに行ったのが最後でした。割箸袋に鳥が翔くようなイラストがあって印象的でした。門司郵船ビルは、2000年代後半によく、レストラン「濱司」さんへ通っていました。1927年のエレベータもわざわざ乗っていました。30年前は関係者以外入れなかったとは知りませんでしたが、90~92年頃にローカル番組でレトロ建築として取り上げられ、子ども心に興味は持っていましたが、古いエレベータがあると知ったのは2005年頃です。🏢門司港駅は中のレイアウトが随分変わりましたね。待合室の雰囲気も好きでした。祖父が昇降式の窓の動作について、実際に開け閉めしながら説明してくれて、なぜ上下に開閉するかを知ったものです。今後、少し時間に余裕が出来たら、「みかど食堂」さんへ行ってみたいと思います。🍀50系客車は一度折尾~原田で乗っただけですが、キハ66・67は筑豊本線でよくお世話になりました。キハ40・47だと夏場のクーラーが微妙でしたが、66・67だと「当たり」でしたね。転換式クロスシートも、居眠りできる位心地よかったですし。(笑)
ベスト電器は門司港駅前に移転する前は栄町銀天街の中にありましたね、今は塾が入ってる場所なんですけど、BESTって看板を剥がした後がうっすらと残ってます。
門司港に住んでいたのは45年も前。山城屋の包装紙は今でも大切に保存しています。
芳yoshi様 ご覧頂き、ありがとうございます。😸 45年前にお住まいだったんですね。山城屋さんは何度か利用させて頂きまして、包装紙までは覚えていないですが、食堂の箸袋がカモメみたいな鳥柄だったのは、なんとなく覚えています。🍴 持ち帰っていればよかったです。💦
今の噴水広場の所がバス乗り場でしたねー
ちがいますよ~。駅舎のひさしがあったところがバス乗り場でした。
関門連絡船も埋め立てなくビルの中から直接桟橋で乗っていた。関門橋を渡って下関に行くバスがあった。桟橋通りには路面電車があった。栄町銀天街には人がいて山城屋があった。
look look様 ご覧頂き、ありがとうございます。😺 連絡船乗り場の跡、30年前は緩やかな坂になっていて、船着き場の雰囲気が感じられました。現役当時の名残りだったんでしょうね。🚢 下関駅行の急行バス、乗っていれば良かったと、少し後悔しています。😅 山城屋さんも銀天街も人出があり賑わっていましたね。
この当時はまだ門司港レトロ地区が整備される前で、門司港駅すぐの西海岸もさほど埋立が進んで無かった頃ですね。山城屋は門司の言ってみれば繁栄の象徴みたいな場所。残念ながら無くなりましたが。客車列車は懐かしいですねー。ディーゼルカーで牽引する姿なんか今はまず見ないです。好きだったんですがねー。(T_T)
鐵1963様 ご覧頂き、ありがとうございます。懐かしんで頂けて光栄です。😸 そうですね、まだ「門司港レトロ」という言葉もなかった気がします。山城屋さん、閉店のニュースを聞いた時は残念でした。私は地元民ではないですが、門司港へ行った時は山城屋さんに寄るのが習慣になりつつあったので。😿 客車列車も見なくなって久しいですね。私も画像を振り返っていて、こんなに何編成も門司港にいたんだなぁと、懐かしみつつも驚いている次第です。
@@DenkaTakeda 父が門司育ちなんで、よく門司の話を聞いていたんですが、昔は山城屋だけでなく栄町商店街もめちゃくちゃ活気があったそうです。今となっては残念ながらシャッター通りですが。(泣)門司港駅は最近、特急の乗り入れが少なくなった気がしますね…非常に綺麗にはなりましたが、もはやただの観光地化です。。
@@鐵1963様 シャッター通り、北九州市内各地で聞かれるキーワードですね。私もそれを聞くたび寂しくなります。😿 特急列車の発着が少ないのも残念ですよね。駅はバリアフリーだし、バスも3号線を中心に沢山走っているし、もっと門司港が盛り上がって欲しいです。🐡
西海岸の埋め立ては現在とさほど変化はないです。はね橋付近が若干陸地が増えましたが。1980年代前半ならば、日産汽船ビルのすぐ裏が海でしたけどね。
客車列車見たことがあるだけで乗った事はありません。確か折尾駅の1階ホームの筑豊本線ののりばで見た事があります。
門司港駅近くに美味しい焼きカレー屋があるんすよ。
懐かしい昔の門司港駅👍と昔のサンデン交通当時、高校3年生😅
赤いきつね様 早速ご覧頂き、ありがとうございます。イメージ画像が、可愛らしいキツネさんになりましたね。😸 サンデン交通さんの路線バスが、北九州へ乗り入れていたのが懐かしいです。宇部空港行きも、いつの間にか見かけなくなりました。💦 因みに私は小4でした。郷土史好きの祖父と、乗り物好きの私の思惑が一致し、この門司港行きが実現した次第です。(笑) 因みに祖母は路面電車がまだ門司港まで走っていると思っていたようで、私が電車(=鹿児島本線)で行くと言ったのを路面電車と勘違いしていました。😅
@@DenkaTakeda さん、昔は国鉄のことを汽車、西鉄路面電車を、電車と親は言ってましたよ。
@@タケ-r7s様 「汽車」の表現も懐かしいです。祖母も「汽車=国鉄」、「電車=路面電車」でした。「JR」という言葉が浸透したのか、いつの間にか言わなくなりましたが。😅
でんかさんめかりに美味しいおでん屋があるのご存知ですか?関門トンネル人道口の和布刈向きのバス停留所前に若松屋と言うおでん屋さんそこは美味しいですよ。近くに来た時は是非食べて見て下さい。
黒田靖広様 若松屋さん、ググってみました。💻 今まで知りませんでした。機会があれば、行ってみたいと思います。😸
この頃は門司港駅前にバスロ-タリ-とタクシー待機場があったんだ。知らんかった。
トミカ大好き8270さん様 90年代のはじめまで、駅前のロータリーが残っていました。バスやタクシーが乗り入れて、一般車の駐車場もあって、生活感が溢れていました。駅前ロータリーの跡に噴水が出来て、バスとタクシーの乗り場が現在地へ移動したのを知った時は驚きました。🚉
門司港はバナナの叩き売りの発祥の地。門司地区には競輪場もありました。普通列車の日中運行の博多行きの「サボ」は珍しい。今は早朝、最終の9本のみ。
茨城出身九州在住様 ご覧頂き、ありがとうございます。😸 バナナのたたき売り、名物の一つですよね。🍌 門司競輪場、2002年に廃止になっていたんですね。子どもの頃、門司競輪行きの臨時バスを見た事があります。🚴 昔はサボを付けた列車が沢山走っていましたね。今はキハ40・47系だけですかね?🚊
♪艱難辛苦の暁に ようやく着いたが門司ミナト 文字は九州の大都会♪門司地区ではなく、大理地区です。門司港が本当の門司地区です。
@@ftyutegoursxsw8531 門司のレトロ感…いいですよね❗
私の母親は若い頃に門司港に住んでたらしく山城屋で働いていたみたいです。
👏トイレの写真なども撮影なさって、昔から凄かったのですね。全ての面で昭和時代が満載ですね、有り難うございます。
先生、早速ご覧頂き、ありがとうございます! 嬉しいです。😺 同行した祖父も昭和初期の面影を残したかったようで、一緒に駅のディテール撮影を楽しみました。🎵 洗面所の一部とトイレの「幸運の手水鉢」は、今現在も保存されてはおりますが、「現役感」が失われてしまいました。撮っていて正解でした。😸
twitter.com/DenkaTakeda/status/1436307761160097792
今年の5月に門司港駅近辺に行ってきたばっかりだったので今昔加減が良くわかる貴重な写真、ありがとうございます😊
古き良き部分を残し、和モダン的で素敵な駅ですよね✨😊
亀井 孝夫様 ご覧頂き、ありがとうございます。😸 5月にお越しになったんですね。現在は大改修を経て、開業当時の姿が復元されて興味深いですが、30年前の「地域の生活感」が漂う駅の姿も好きでした。私も門司港駅が好きなので、いづれまた『木造駅舎めぐり』で訪問したいと考えております。🎵
山城屋は6階建てで、今思うとその当時でもなかなか古風なデパートでしたが、門司港に唯一のデパートでしたので、子供ながら楽しいひと時を過ごしました。
門司港駅はきれいに修復されて、今ではすっかり観光駅になってしまっていますが、当時はなかなかの場末感がありました。
今でも残っているものとなくなってしまったものが混在していて面白かったです。
バスもこうやって改めて見るとレトロですよね。門司港には当時循環バスがあって、いつも山手通り経由のバス(確か1番)で祖父母の家に行ったものです。2番は海岸通り経由だったはず。まだまだバスを利用している人が多い時代でもありました。
Angel Heart様 ご覧頂き、ありがとうございます。お楽しみ頂けて光栄です。😸 山城屋さんでのランチは毎回楽しみでした。🍴 門司港駅も地元の方々の生活感があふれていて、「現役の歴史的建造物」って感じで素敵でした。もちろん、今の門司港駅も好きですが。🚉
循環バスは内回りと外回りがあったようですね。一度だけ門司港駅から田野浦へいった時、行きは山手経由で帰りは海岸経由でした。「海岸」が海の見える道路ではなく、埋立地の道路と判ってビックリしました。😅
山手経由海岸、海岸経由山手の循環は1990年ごろなら、そんなに人は乗っていいころのはずです。
スペースワールド号懐かしい
お~、下関駅行きのサンデンバス!
そうそう、駅構内の工事を見て、どんなのができるのか楽しみにしていたら、
もと、みかど食堂だった場所を似非レトロのみどりの窓口に改装、もともとあった券売機と長距離窓口をつぶしてできたあの六角形か八角形のような窓口もどき・・・
ここが1回も開いたのを見たことがなかった。
レストランになったところが待合室でスチームで熱かった記憶がある。
待合所のところにうどん屋があった。
便所や洗面所は開業当時のものを改修して改修して使用されてきたが、悪臭で毎回息を止めて素早く出てきたものだ。
一杯の帰り水はもともと西海岸にあったのだが、このころにはもう移動してきていたのか。
和布刈、白野江、下関駅行きのバス、バックに日産汽船ビルと関門汽船ビル。
門司郵船ビルは、九州で初めてのエレベーターつきオフィスビルだった。
まだ日本郵船門司支店があったころで、この建物に用のない人が入ると注意された。
出た出た!いま、門司港駅の正面にベスト電器があったと話をするとほとんどの人が信じてくれないが、これが証拠。現在、門司三井倶楽部があるところ。
このころ、国鉄が谷町の門鉄会館と旧物産社宅の全部を維持できないから破壊すると市に伝えてもめていたころ。そしてその場所にマンション計画も出てくる。
商船三井も八角塔の支店ビルを維持できない市に伝えてくる。
明治屋門司支店は市の門司港レトロ計画にはかかわりたくないと言い出す。
そして最後には、旧三菱合資(商事)門司支店の赤レンガ倉庫を破壊して高層マンションを建てる計画が発覚していく。
こうした動きを止めるためと門司港エリアの斜陽化、場末感を払しょくするために、門司港レトロ計画が1993年ごろから本格的に動き始めた。
桟橋通りにまだJR九州バスの事務所がある時代。これがのちにJR九州のスーパーになるがいつの間にか消える。
バックの茶色いマンションはかつて三菱倉庫門司支店のビルがあった場所。
山口銀行門司支店は、旧横浜正金銀行門司支店の建物。戦後は東京銀行門司支店。大正時代には一時期、台湾銀行門司支店があった。
桟橋通り交差点に路面電車のレールがないのが悲しい。
バスのバックに日本通運の事務所(旧内国通運)がまだあるし、左の白い建物は福岡銀行門司支店(現存)だがかつては住友銀行門司支店だった建物。
このころは、国鉄がJRになったり、西鉄バスも西鉄バス北九州とかに分離されていった時代で、こんな小さいバスも走っていたなあ。
山城屋の屋上から福岡シティ銀行門司支店が見える。旧福岡相互銀行だ。この建物は、戦後、三井銀行門司支店が空襲を受けたので帝国銀行門司支店として建てられ東本町から移動してきた。
現在のプレミアホテル門司港の場所に、まだ商船三井の倉庫が見える。門菱港運ビルや
職業安定所もある。
ピンク電車のころから、ライトの大きさで、でこまる、でめ、こめと区別していたが、でこまる(ライトが大きくて運転台が低いタイプ)は、昭和36年の電化当時の車体でクーラーもなくJR化ですぐに廃車になった記憶がある。原田駅のホームの横に朽ちた車両が置かれてあったと思う。
マイタウン電車のヘッドマーク持っていたけど、いつの間にかどこかにいってしまった。
50系レッドトレイン。学校からダッシュで門司港駅まで行けば、ぎりぎり柳ヶ浦・田川後藤寺ゆきの13両編成の当時九州一長い客レで帰ることができた。一駅だけの楽しみだった。ロクロクロクナナのあのエンジンのうるささと、突然静かになるギャップが好きだった。この車両はクーラー天国だった。
門司港レトロ計画は、まず、門司港駅の老朽化防止工事から始まり、駅舎とその周辺の観光化につなげていくことからスタートしたことを、この動画で思い出しました。
FTYUTE GOURSXSW様 ご覧頂き、ありがとうございます。懐かしんで頂けて嬉しいです。😸 私も画像を振り返ってみると、いろんな記憶が蘇ってきます。「帰り水」は30年前の時点で、既に移設されていたんですね!
1993年は私が中学に上がった年ですが、その頃に「レトロ地区整備」が始まったのを何となく覚えています。1991年のGWに門司港へ行った後、2年間訪問する機会が無かったと記憶していますが、93年のGWに行くと門司港駅前に噴水が出来ていて、古いトイレが水洗に改造されていてビックリしたものです。😅
山城屋さんは94年の正月明けに行ったのが最後でした。割箸袋に鳥が翔くようなイラストがあって印象的でした。門司郵船ビルは、2000年代後半によく、レストラン「濱司」さんへ通っていました。1927年のエレベータもわざわざ乗っていました。30年前は関係者以外入れなかったとは知りませんでしたが、90~92年頃にローカル番組でレトロ建築として取り上げられ、子ども心に興味は持っていましたが、古いエレベータがあると知ったのは2005年頃です。🏢
門司港駅は中のレイアウトが随分変わりましたね。待合室の雰囲気も好きでした。祖父が昇降式の窓の動作について、実際に開け閉めしながら説明してくれて、なぜ上下に開閉するかを知ったものです。今後、少し時間に余裕が出来たら、「みかど食堂」さんへ行ってみたいと思います。🍀
50系客車は一度折尾~原田で乗っただけですが、キハ66・67は筑豊本線でよくお世話になりました。キハ40・47だと夏場のクーラーが微妙でしたが、66・67だと「当たり」でしたね。転換式クロスシートも、居眠りできる位心地よかったですし。(笑)
ベスト電器は門司港駅前に移転する前は栄町銀天街の中にありましたね、今は塾が入ってる場所なんですけど、BESTって看板を剥がした後がうっすらと残ってます。
門司港に住んでいたのは45年も前。山城屋の包装紙は今でも大切に保存しています。
芳yoshi様 ご覧頂き、ありがとうございます。😸 45年前にお住まいだったんですね。山城屋さんは何度か利用させて頂きまして、包装紙までは覚えていないですが、食堂の箸袋がカモメみたいな鳥柄だったのは、なんとなく覚えています。🍴 持ち帰っていればよかったです。💦
今の噴水広場の所がバス乗り場でしたねー
ちがいますよ~。
駅舎のひさしがあったところがバス乗り場でした。
関門連絡船も埋め立てなくビルの中から直接桟橋で乗っていた。
関門橋を渡って下関に行くバスがあった。
桟橋通りには路面電車があった。
栄町銀天街には人がいて山城屋があった。
look look様 ご覧頂き、ありがとうございます。😺 連絡船乗り場の跡、30年前は緩やかな坂になっていて、船着き場の雰囲気が感じられました。現役当時の名残りだったんでしょうね。🚢 下関駅行の急行バス、乗っていれば良かったと、少し後悔しています。😅 山城屋さんも銀天街も人出があり賑わっていましたね。
この当時はまだ門司港レトロ地区が整備される前で、門司港駅すぐの西海岸もさほど埋立が進んで無かった頃ですね。
山城屋は門司の言ってみれば繁栄の象徴みたいな場所。残念ながら無くなりましたが。
客車列車は懐かしいですねー。
ディーゼルカーで牽引する姿なんか今はまず見ないです。好きだったんですがねー。(T_T)
鐵1963様 ご覧頂き、ありがとうございます。懐かしんで頂けて光栄です。😸 そうですね、まだ「門司港レトロ」という言葉もなかった気がします。山城屋さん、閉店のニュースを聞いた時は残念でした。私は地元民ではないですが、門司港へ行った時は山城屋さんに寄るのが習慣になりつつあったので。😿 客車列車も見なくなって久しいですね。私も画像を振り返っていて、こんなに何編成も門司港にいたんだなぁと、懐かしみつつも驚いている次第です。
@@DenkaTakeda
父が門司育ちなんで、よく門司の話を聞いていたんですが、昔は山城屋だけでなく栄町商店街もめちゃくちゃ活気があったそうです。今となっては残念ながらシャッター通りですが。(泣)
門司港駅は最近、特急の乗り入れが少なくなった気がしますね…
非常に綺麗にはなりましたが、もはやただの観光地化です。。
@@鐵1963様 シャッター通り、北九州市内各地で聞かれるキーワードですね。私もそれを聞くたび寂しくなります。😿 特急列車の発着が少ないのも残念ですよね。駅はバリアフリーだし、バスも3号線を中心に沢山走っているし、もっと門司港が盛り上がって欲しいです。🐡
西海岸の埋め立ては現在とさほど変化はないです。はね橋付近が若干陸地が増えましたが。1980年代前半ならば、日産汽船ビルのすぐ裏が海でしたけどね。
客車列車見たことがあるだけで乗った事はありません。
確か折尾駅の1階ホームの筑豊本線ののりばで見た事があります。
門司港駅近くに美味しい焼きカレー屋があるんすよ。
懐かしい昔の門司港駅👍
と昔のサンデン交通
当時、高校3年生😅
赤いきつね様 早速ご覧頂き、ありがとうございます。イメージ画像が、可愛らしいキツネさんになりましたね。😸 サンデン交通さんの路線バスが、北九州へ乗り入れていたのが懐かしいです。宇部空港行きも、いつの間にか見かけなくなりました。💦 因みに私は小4でした。郷土史好きの祖父と、乗り物好きの私の思惑が一致し、この門司港行きが実現した次第です。(笑) 因みに祖母は路面電車がまだ門司港まで走っていると思っていたようで、私が電車(=鹿児島本線)で行くと言ったのを路面電車と勘違いしていました。😅
@@DenkaTakeda さん、昔は国鉄のことを汽車、西鉄路面電車を、電車と親は言ってましたよ。
@@タケ-r7s様 「汽車」の表現も懐かしいです。祖母も「汽車=国鉄」、「電車=路面電車」でした。「JR」という言葉が浸透したのか、いつの間にか言わなくなりましたが。😅
でんかさん
めかりに美味しいおでん屋があるのご存知ですか?
関門トンネル人道口の和布刈向きのバス停留所前に若松屋と言うおでん屋さんそこは美味しいですよ。
近くに来た時は是非食べて見て下さい。
黒田靖広様 若松屋さん、ググってみました。💻 今まで知りませんでした。機会があれば、行ってみたいと思います。😸
この頃は門司港駅前にバスロ-タリ-とタクシー待機場があったんだ。知らんかった。
トミカ大好き8270さん様 90年代のはじめまで、駅前のロータリーが残っていました。バスやタクシーが乗り入れて、一般車の駐車場もあって、生活感が溢れていました。駅前ロータリーの跡に噴水が出来て、バスとタクシーの乗り場が現在地へ移動したのを知った時は驚きました。🚉
門司港はバナナの叩き売りの
発祥の地。
門司地区には競輪場もありました。
普通列車の日中運行の博多行きの
「サボ」は珍しい。
今は早朝、最終の9本のみ。
茨城出身九州在住様 ご覧頂き、ありがとうございます。😸 バナナのたたき売り、名物の一つですよね。🍌 門司競輪場、2002年に廃止になっていたんですね。子どもの頃、門司競輪行きの臨時バスを見た事があります。🚴 昔はサボを付けた列車が沢山走っていましたね。今はキハ40・47系だけですかね?🚊
♪艱難辛苦の暁に ようやく着いたが門司ミナト 文字は九州の大都会♪
門司地区ではなく、大理地区です。門司港が本当の門司地区です。
@@ftyutegoursxsw8531
門司のレトロ感…いいですよね❗