ベルグソン「時間と自由」16 等質的時間と具体的持続

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  • Опубліковано 28 січ 2025
  • 「第2章『等質的時間と具体的持続』」
    ベルクソンの「時間と自由」における第2章「等質的時間と具体的持続」では、「等質的時間」と「具体的持続」という対立する概念を中心に議論が展開されています。等質的時間とは、空間的に展開されたものであり、私たちが日常的に認識する時間感覚を指します。一方、具体的持続は、個別の体験として捉えられる純粋な時間の流れを意味します。
    まず、等質的時間については、イギリス学派の触覚における連続性の議論や、直線の概念が例として挙げられています。これらは、いずれも空間的に展開される性質を持つため、具体的持続とは異なるものとされています。触覚の連続性は表面をなぞるような動きに基づき、感覚が空間的に連鎖することで成立します。しかし、この動きそのものは可逆的であり、一見具体的持続のように思えても、過去の感覚に没入しているに過ぎません。このような感覚の連鎖は、空間的に展開されるため、具体的持続の範疇からは外れると論じられます。
    一方、具体的持続の例として挙げられるのがメロディーです。メロディーのフレーズは、各音が互いに溶け合い、外在化することなく純粋な相互浸透を示しています。この特性により、メロディーは具体的持続の性質を持つと考えられます。しかし、音の高さや長さを変えることで全体の印象が変わる点から、メロディーにおいても純粋な具体的持続とは異なる側面があることが指摘されます。これにより、具体的持続は時間的体験の中でも特に特異な性質を持つとされます。
    また、等質的時間に属するもう一つの例として直線が挙げられます。直線は幾何学的には2次元のものであっても、その認識には3次元的な空間の展開が必要とされるため、具体的持続には含まれません。こうした空間的な要素が加わることで、等質的時間は純粋な体験から離れていくのです。
    純粋持続とは、互いに解き合い浸透し合うもので、明確な輪郭を持たず外在化しない性質を持ちます。それは、測定不可能であり、空間的な概念から解放された存在です。この議論を通じてベルクソンは、時間が空間的に展開されると、その持続性を失い、等質的時間として捉えられるようになる点を強調しています。
    「等質的時間」と「具体的持続」の対立を軸としたこの章は、時間の本質と、それを捉える私たちの認識の限界を深く掘り下げています。そして、純粋持続の概念を通じて、空間的展開に縛られない新たな時間の理解を提示していると言えるでしょう。

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