ひとつの意識

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КОМЕНТАРІ • 64

  • @toki5765
    @toki5765 19 годин тому +9

    もぎもぎのアウトプットは自分の認識整理にもなって好き😊

    • @ごっち-p5f
      @ごっち-p5f 6 годин тому

      それを目的に新たな発見を探しに来ているのですが今のところは得れたことはないですかね。私も、もっと、つかみ取れるようになりたいです。

  • @dharma9382
    @dharma9382 12 годин тому +3

    とても面白かったです。ぜひ、論文にしてください。これは茂木先生にしかできないことだと思うので、楽しみにしています。

  • @sleepybear2525
    @sleepybear2525 12 годин тому +2

    前回に続き、大変興味深いお話でした。赤ちゃん(子供)の頃の自己意識と現在の自己意識が同じという事、やや別のようにも感じてしまうのが不思議です。同じ自分自身なのに…。ぜひまた聞かせて下さい。

  • @huyu9108
    @huyu9108 17 годин тому +6

    ただ共感していましたが、あなたは私だったかも知れないと言い換える事が出来る考え方、その通りだな~と思いました。

    • @JOE-mm3dr
      @JOE-mm3dr 16 годин тому +2

      多くの人に こういう考え方が隅っこによぎった場合 世界が何事も他人事…から少し薄れるんですよね。 真剣に捉えなくても たまに思考の片すみでも良いから…

    • @huyu9108
      @huyu9108 15 годин тому

      @@JOE-mm3dr 共感は、悲しみ苦しみも伴いますが、それにより世界全体は痛み悲しみが減るのかも知れません。

  • @kenmogi
    @kenmogi  8 годин тому +3

    いいですね。ー>
    意識の分断は自他に限らず今と昔でも起こっていると思う様になりました。

  • @ごっち-p5f
    @ごっち-p5f 10 годин тому +4


    誰かを評価をする時の視野の角度で芯があるか否かを捉えようとすると確かにそのように人の性を掴むこともできるように思いました。同時に、誠実な人を目指していることを表現することが目的であり中心で言動するのも、人に一貫性を求めるのも求められるのも、自然の一部の不自然的な行為に思える。人間は矛盾あるところに価値や美しさを見出す面があることも確か。だから偽りを許すのが美化されるのか。何を善とするかは、自分で決める他ないね。自分の意見を示すのと誇示して流布するのも違いはあるような。人という皮が大事か中身なのか。そんなことを思いつつも、言動が一致していないことに気がつくと、どれだけ良いことを言っていても落胆してしまうのも事実。持続的に観測できないことは、おまわせぶりってだけで芯だとは思えない。本音と言って本音を隠すってことは、しばしばあって、感情を持ってることは仕方ない。そんな時は「人」と「内容」を切り離して、その人は信用してないが内容には1点の妥当性があるかと考えてみる。逆に魅力があっても開くと内容がない場合もあると思うことについてどう考えますか。抽象的な幻想にぬくぬくと浸っているだけでも具体性が見劣りする。本という形をとっていても、それこそ中身に違いはあまりないし、創造性とか言ってもやってんのは運動かも知れない。言葉を新たに見出すことや無かったものを作ったなら創造性が高いと言えるか。形に囚われていたなら本質的な人間の営みとはズレる気もする。自分の苦手な人がいた時に、やろうとしていることを先に言われたりすると、逆に向かいたくなるが、いやいや待てよと。他人の言動に惑わされずに、自分がやりたいのかどうかで決めることが良かったりする時もある。その辺りの細やかさって器用さが必要で感情ありきでは難しかったりしますが、昔の人は簡単にやっていたようです。今の人もできる方は沢山いるようで現代人が大雑把とも言えないし。自分に負荷や負担が少なくやれるなら人が喜ぶことをやってみてもいいと思うし。もちろん見返りを求めてやる商売とは分けた方が良くて、やっていることを積極的に自身からアピールすると綺麗事や偽善って言われる場面もある。政治に関して言えば自身が積極的に取り組めていないからと言って、日々、生活をより良くしようとしている人が、政治の話をしてはならんとは言えない訳で。寛容さがあれば科学を考える必要がないってのは自由の剥奪ではないか。自分のことを棚に上げているのではなく、最善を尽くしての結果なのだと思うのです。進んでいる最中に否定されると若者も大人も潰れし、綺麗事を暴力として扱うことに対して美しさを感じないね。人から素直に出た違和感を「すれ違い」って言葉で、本質を掴ませないように捉え方を誘導したり置き換えさせる。一度、染まれば全てを善とさせるのって、カルト宗教の動画の教材みたいに思えたり。一辺倒にポジティブにってのも危うさがある訳ですが、私の言動も暴力になるのでしょうか。現実のことに興味がないと言って高みに登っていれば、美しさとしての醜さの偽りと極差ない騙しとしての偽りの違いに気づけなくなるかも知れない。信念の幹が1つや2つだと、人に捨てさせられそうになったり奪われそうになった時、精神的な振れを修正することが困難になる。言動を起こす思想が1だと、他人に簡単に読まれて危険ですしね。自己防衛として考えるといくつかの思想を持つことで、その行き来を可能にして自己破滅を避けれるようにする事もやり方の1つ。注意をすべきは、混ぜ合わせは良くない事がある。なぜなら、本質としての根源が違っていると、内情で掛け合わせたときに自己矛盾の状態になるから。よって、自分の矛盾について考えてはいけないし、それを避けるように感情が機能する。

  • @橋本理-c5l
    @橋本理-c5l 16 годин тому +2

    私も茂木さんの世界に共感します。私は唯心論という考え方が好きです。自分の心のみが存在が確実であるという考え方です。ただし私達はほぼ同じ時代の社会に生まれて先人が創った共通の理論を理解でき共通の倫理観を持っていると私は思います。また悟性は共通にあります。そこに他者の存在を仮定せざるを得ないと私は思います。

  • @riku.9911
    @riku.9911 19 годин тому +5

    猫は動きやそのタイミングがみんなほぼ全く同じ。
    猫は何かを極めてるからだと思う、進化的に完璧ってよく言われてるし。
    ひとつの意識っていうのはそれと何かしらの関係がありそうなんだよね、猫は色々学べる。

  • @パーペチュアル-p8s
    @パーペチュアル-p8s 11 годин тому +4

    育った環境が良く幼少期から豊かな経験があると知性というパターン学習と判断と選択という経験が磨かれ、扁桃体も豊かになる。そして司令を出す前頭葉も優れたものになる。
    前頭葉の優劣が人生を分けると言えるかもしれない。セントラルドグマが怪しいというのは逆転写酵素が発見された事だと思う。セントラルドグマの考え方に大きな変化を加えた。又、紫外線や放射線、化学物質によってDNAが傷つき突然変異が生じる事もある。サヴァン症候群、ハイパーサイメシアなど解明できていない特異な例もある。
    つまり先生は、前頭葉の優れた人は今のままで充分だと仰っしゃりたいのか。分かりやすくいうと鳩山由紀夫氏は鳩山由紀夫さんのままでいい。(可成りの飛躍ですが)
    いつか死ぬのは今ここに 座っている私とは全く違っ た誰かで、その逆も然り、かつて私だっ た人物、例えば2年前の私は とっくに死んでいる訳で記 憶はあっても時間の経過が 入ると面白いですね。
    先生の優しさに感謝です

  • @ごっち-p5f
    @ごっち-p5f 10 годин тому +4


    役割だとか言ってるのも結局は自分のやりたいことを選択するための言葉に過ぎないし、多様性と言って多様性を受け入れないのと類似する。なので多様性をとかって広めるのとかも本気で無意味に思っているし、文化とかも幻想を見るしかないからってだけですし。政治が駄目なら文化でルールを縛って同調圧力をってならなけらばいいけど。アートでもなんでも広めていくと、外側に行くほど、大元の発信者の意図は薄れてしまって、概念が一人でに形を変えてしまう。楽しさや希望がなければ生きられないってことで、合う合わないが出てくるのだから、制限の中で生きるも生きないも勝手にすればいいとなっていく、そして争い。発信者とコメント欄でのやり取りは、その表しに思える。希望がなかったなら希望に価値を見出せないっていう個人にとっての解になったり。優しい人とか誠実な人とか、その状態だけを目指すと、過程には中身も何もないってことで、ただ、つまらない人って思うだけです。自分の魅力って人が決めるもので、わざわざ気づいてくださいってアピールするのってなんか浅いよね。誰かや何か物事の魅力を自分とは切り離して伝えれる人こそ魅力を感じる。大衆の集団心理として不都合なものは追い出しをする。他では敵であっても心理が同じように動き1つ利があっているかのように束を成して、言葉を交わさずとも別の形をとってまとまる。人生の終盤になると、何か自分が達成した事があるかと本質的な生きた意味を考えると思われます。達成したかった事が成せなかったとき、後悔をしたり、そんなもんかと諦めて考えなくなったりする。誠実かどうかとか他人がこうあるべきって理想を言うよりも自分の理想を追う道の方がきっといい人生になるか。面倒なことに「私」を広げようとしていくことに本質さを見られます。意識として「私」が認められなくても、この身が私を感じさせます。その意味で人間を超えられない以上は、私が存在するってことを思うことで十分な気がします。自分の人生の意味は全体で見ればないかも知れないが、意義を持つのは人生の本質に近いように思いました。共して、やはり優しさを目標にすることより人生には大切な事があると私は思います。個人主義って私が大事って思っている訳で、一人一人の存在には意味がないと見れば、意識の解明ってのもスピリチュアル的な取り組みって捉えれも可能でしょうからね。私がいない「未来」と呼ばれる先々の人たちのことを現実を離れて考えるなら、意識の解明??めっちゃスピってることを昔の人はしていたんだなと思われる可能性がある。スピリチュアルとは違って理があることだってのは、まだ、今だから言えるだけかも知れない。抽象的に概念を大きく掴んだなら真実は明らかなものではないかも知れないが、虫の目になったときの小さな物事としての真実は、また別で、一定は捉えられる。計算論とか統計的に言えるといってんだからね。故に科学だけを芯に持たないといけない訳でもないし、魂の成長とか言ってるのに人が何かを信じることについての捉え方や対処法を意見してみるのも人間の持つ矛盾の現れな気がしますね。この動画はアルデンテで言えば芯に相当しないと言いたいのか。感情って現実を見れなくするし先見性を失わせるんだなとも思いました。真実のありかは一体どこですかと言われて答えれるなら悩みませんよね。寿命があるから真実なんてどうでも良くなるのか。それでもお金や物や人脈よりも知の探究という欲にかられてしまうのはなぜか。おそらく幸福とは離れていくことなのに。宙に浮いている状態でも不安や怖さを感じないのは病気なのか。人並みの生活をしているから両立できることなのかも。孤独じゃ赤ん坊は〇きられないが意識の統制は精神を保つことにも関係しているか。存在意義を否定され続けると自我を保てない。自分はやられていると言って主張しても、あなたも同じように行なっていることに気づいていますか。お互い様なら許しが必要です。隠したり誤魔化そうとする人は、ほっておくのがいいのか。いい内容の動画を乱暴に扱うことに恥ずかしさはありませんかね。文法や一貫性を整えられた本そのものに真なる創造性はあるか。

  • @Jade15888
    @Jade15888 16 годин тому +2

    今日、子供と話してたら、AIが話す必要がないと、言い切りました。目から鱗でした。😅

  • @user-mgH1dgtbgm
    @user-mgH1dgtbgm 18 годин тому +4

    宇宙創生から自律した存在である生命が生まれるという進化の成り立ちを考えた時、その裏で働く意識の進化の先を考えたら身体という物を捨てた存在に発展する事なのかなぁと個人的には思っています。
    ここからぶっ飛ぶと、その意識が時間や3次元にとらわれない、情報としての存在になった場合、過去にも未来にも存在出来るのでそれが一つの意識に繋がるのかなと。
    集合意識的な集合でもあり個である存在。それが私であり物質的な身体と結びつく事で個になるのかもしれないと思ってます。
    進化を考えた時それ以外に究極的なものの在り方以外に無いような気はしてます。
    卵が先か鶏が先かのように意識が先か身体が先かみたいなってしまいますが、始まりこそは身体だけど、それが過ぎ去って一周して最初からあったように見える。宇宙にも似た存在な気はします。情報の拡大に合わせて広がっていく宇宙むしろそのものかもしれないですね。
    寝ぼけた頭でここまで考えると自分の頭も宇宙になりそうですが好きなテーマです笑
    この世界観を科学的にも論理的にも詰められるかは分からないですが少しでもお役に立てたら幸いです

    • @華音-h7f
      @華音-h7f 17 годин тому

      こんにちは。
      情報の拡大には、新たな認識が必要となると思います。
      又、あと数年でllmは限界を迎えるとも言われます。
      故に、宇宙は拡大せず、収束に向かう。
      llmのカオスと人間達のカオスを通過した後に、新たな認識に出遭えるかもしれないと思います。

  • @naikan9363
    @naikan9363 17 годин тому +3

    僕自身は意識はひとつだと感じている。意識をべつのシステムに移動させる試みは馬鹿げている。意識が個別に分かれていないことで何が起こるのか。小さいころ百貨店に行って、迷子になって、お母さんとはぐれたときの、あのさみしさと不安な気持ちとは逆の、お母さんと再会できたときの安心感。あの安心感が、お母さんがいなくても、いつも感じることができるようになった。意識がひとつだとハッキリしたところで、金持ちになったり、何か特別な才能があふれたり、善人になったり、モテたりするわけではない。ただ、安心できるだけ。けれど、世界の中で迷子になった私は、また世界そのものとなった。

  • @今井智-q5i
    @今井智-q5i 4 години тому

    茂木先生のクオリアエッセイは好きです。特に、最近の抽象的な課題は難しいですが、少しずつでも理解できるようがんばります。

  • @unibaasu
    @unibaasu 12 годин тому +4

    意識の分断は自他に限らず今と昔でも起こっていると思う様になりました。昔の年賀状や日記を見ると「誰だよお前」ってなる。
    時間と空間を一つにした光の存在の様なものが、意識についても見出だせれば何かの役に立つかも知れませんね…?

    • @kenmogi
      @kenmogi  8 годин тому +3

      いいですね。ー>
      意識の分断は自他に限らず今と昔でも起こっていると思う様になりました。

  • @tapetsys
    @tapetsys 19 годин тому +3

    それ要点ですね、そうかあ、先生は理論にしないとダメですもんね。。
    主観の観測ができないとなると、論理のよりも、再現性の手段、確かに手探りになりますね。
    19分前の @toki5765 さんのコメントが私は参考になりました。

  • @泰雅63
    @泰雅63 18 годин тому +3

    全ての生き物は潜在意識で繋がっているのでしょうか?

  • @mayo23932
    @mayo23932 19 годин тому +3

    自分の容姿や外見や身体的属性や脳の記憶や情報をもとにしたコピー人間ができたとして、それは必ずしも自分の主体とは同一ではないとして、一方で自分が例えば夢の中にいるとか自分がゲームの何かのプレイヤーとなって別の属性を持って動いているというその主体は自分という主体が継続しているように感じられるわけだから仮に自分が亡くなり亡くなった後もそのような主体としての意識は継続されるんじゃないか?それは生まれそして消えたとしてもそこの同一性というのはあるんじゃないかという風な仮説を持っています。そのような意味での自分という意識の生まれ変わりを支持したい。

  • @hiroabe7046
    @hiroabe7046 19 годин тому +3

    難しいです。全ての意識は物事の関連性によってでしか認識できないように思えます。無自性というか。縁起というか。

  • @ippo-d-_-b-
    @ippo-d-_-b- 16 годин тому +4

    昨日のお話からの続きで思うのは、何が意識を成立させているのかといえば、今という過去の時間の連続性の集約された一点の瞬間なのかなと思います。なので意識と時間は切り離せないように思います。
    「今」という瞬間こそが、過去の歴史をすべて共有する世界という一つの意識そのものなのかな?とか。
    ただの妄想です、はい。

    • @ippo-d-_-b-
      @ippo-d-_-b- 16 годин тому +1

      そして、自我というのは、過去の情報が今の一点に集約されてた場所にあり、その連続で世界の中に点として成立しているのかなとか。

    • @ippo-d-_-b-
      @ippo-d-_-b- 13 годин тому +1

      今の世界という空間と時間の流れは宇宙全体の記憶という情報を寄せ集めてできた一つの意識が成立せしめていて、逆にいえばその意識そのものが世界の今であり、個々の自我はその中に点として存在するというイメージです。

    • @ippo-d-_-b-
      @ippo-d-_-b- 9 годин тому

      私などの知力では到底その理論そのものにはたどり着けませんし、曲解になってるかもしれませんが、調べてみると「ミンコフスキー時空」の図式にだいぶ近いようです。観測者の意識。

  • @Summerbee68
    @Summerbee68 15 годин тому +3

    コピー人間と言って一卵性双生児としてはどう感じるのかな...とふと思いました。我々はエンパシー(empathy)があるからこそ他人の身になれて優しさがあるけれど、単純にエンパシーのない人はどうなのでしょう。

  • @mingxuan-vx3ec
    @mingxuan-vx3ec 9 годин тому +2

    (いつになれば刺身食えるんだ)

  • @ivan-kovchanay-h6h
    @ivan-kovchanay-h6h 16 годин тому +2

    裏があったら表がある。世界と意識は裏表。世界はひとつ。ならば意識はひとつ

  • @ノーマンサカイ
    @ノーマンサカイ 19 годин тому +4

    私 = 和 多 志 そのものですね。

  • @ハルキ-q7f
    @ハルキ-q7f 18 годин тому +2

    そうそう、そんなかんじ!
    僕もそんな気がする!!

  • @t.komaro8040
    @t.komaro8040 18 годин тому +2

    虫ケラだって、そう言えば植物だって野菜だって良い音楽を聴かせると良く育つこともあるしそれはビッグバーンにも通じることなのかなぁ。難しいけど、思考と言うよりは生きている生命と言うくくりになるのかなぁ❤❤❤

  • @Qtemp
    @Qtemp 15 годин тому +3

    ひとつの意識、そうかもしれないという気もします。それをサイエンスしたいと求めるのは、知を愛しているなあと思いました。わかりたい、かつ、わからなくてもいいよ、じゅうぶんだよ、そういうありよう、いいなと思います。わかりたいというのは、なんだか人間らしいですね。
    人間の意識は脳が見ているものとしたら、脳という身体性を持たない存在は意識を見ないような気もします。ですが、例えば脳腸相関、腸内細菌にとっての人間のように、人間にとっての世界のような何かが意識のような何かを持たないなどと、どうして、しかも人間に、知りよう分かりようという気もします。
    世界、全てを包含する存在をそう呼ぶのでしょうか。いくらか前に、人工知能の話の時か、数学の自己包含のパラドックスを挙げていましたね。わかるとか、ただしさとか、人間の頭の中にしかないかもしれないという気もしますが、人間は世界をわかりたい本能的な欲求がある気もします。

  • @ちゃわんおわん
    @ちゃわんおわん 14 годин тому +2

    この宇宙誕生の時としばらくの内に今の私たちを圧倒的に超える生命の意識が誕生していたって可能性ですかね、しかも無数程にの過程があったりして。私たちより複雑なエネルギーの混ざりは豊富に実在している一瞬のような長さはその意識によっては私たちと同じ一瞬とは限らないしなど次元の問題も発生するのか?わからないですが。この限られた条件下の地球上にでさえ人間を遥かに超える運動能力を有している生物は多いし、有り難い環境ではあるが四苦八苦な環境という側面もあります、我々は宇宙の中の地球で別の形からの生き物である進化の問題も発生しています。我々の一年が一日(一秒がいいかな)の能力に育つ環境を通り過ぎた生物の可能性とかも出てくるのかは、さぁわかりませんですが。

  • @ごっち-p5f
    @ごっち-p5f 10 годин тому +4


    形にするときや、それに触れるときや、そのときに先に何かが見えることに創造性が生まれるのであって、媒介自体が創造性を意味するかと言えば疑問。著者に出会ったときに創造性は消えて忘れられる。幻想だったとわかりつつも魅力を感じて、もう一度、それに触れたいと思うのは欲望で知性とは反する。そのときに感じたものが大事であって、格納、保管、保存、保持などを続けることに創造性がないから価値観や芯を持つというのは、創造性の制限や制約をすることになりませんか。物でも言葉でも人を前にして使えるものを扱って共有したり共感を得ようとしたりして、分かろうとするところに協力が生まれたり。幼少の子が何事にも囚われずに思いのままに自分の感じたままに従って絵を描いたりすることに創造性の本質が見えたような気がしたり。声が出なくても身振り手振りや使えるものを手にして何かの表現をして伝えようとする姿に創造性が見えることもあったり。理がなかったり形として見えないからといって創造性がないとは限らないとするなら、頭の中で起こっていることだけが重要である。ならば、一人一人が感じたものが否定されることは違うように思ったり。それを黙って聞いておきましょうと言うのは、目にする人にとっては突き放しの暴力に思えたり。だからこそ、人から切り離して文や本で必要な人にだけマナーを携えたり。それを優しさと思えるか、攻撃と捉えるか、人によって変わる。端的に答えろと言われても、言葉を尽くさないと伝わらないこともあるし。尽くしても、伝わなないと諦めた姿が「馬鹿の壁」という仕方なしを含む言い合わし。命一つじゃ難かしいから仕方なし。命も何も尽くしてないのに言えたものじゃない。通りすがりの道端で普通の人がギャングの言葉の意味を理解せずに使っている姿との大差はない。あるのは文化の違いなどや価値観だけで、極めしものにしか備わらない感覚があること。それを見下しの目としてだけで扱う不届きものがいる。バカと見下す姿が馬鹿である。賢い方に疑問を投げるのと、単なる否定とは別ものな気がするが、私のこれはどちらに当たるのか。やはり判断するのは大衆の目であって、視聴者は自己都合に合うように、前にする者の意識に介入しようとする。なぜなら、意識が1つであり違っていれば自分が困る。意識の元に動けば、目の前の人との矛盾は生まれるし、その矛盾を自分に向けたなら、個別の人間として自我の精神統制が崩れる。よって不都合を人に向ける。それならば宗教上の神なる幻想とか運の問題にして、人に押し付けない方がよっぽどマシ。それらを信じないといっておきながら、不都合の解消を自分では行えずに結果的に他人へ押し付ける。お金で解消できないとそうなる社会。本に記すのとでは事の意味が違うことを知らないものが乱暴に言葉を扱う。伝わらないないら仕方がなしとする他に最終的にはないも知れないけど、感じることは悲しさなど様々。薄い言葉に集約しようとすることは文字の扱いとして程度の低いこと。私はまだ修行の身。そうすると、今しか無いってのも本質的かも知れない。自己の矛盾を偽らない姿に人間としての受け入れを感じるが現実で行うのは容易ではない。自転車の上達過程が楽しかったと思える人もいれば、思えない人もいる。大人になっても自転車で競うことを楽しめる人がいないように。ロードレースは別物だと聞くが、多少の違いがあっても自転車といった要素は変わらない。意味づけは様々あるから見る角度が違うと言っても、目の前に見えるそれに違いがあるか。色が違って見えても自転車は自転車。自転車を飛行機だと認識しないでしょ。無であることが有を生み出すための条件として制約をかけないことになりますよね。ならば芯を持つこと、いかに。ユニフォームを変えたなら同じとはしないというズル賢さに逃げるか。身は1つ。どう思うも思わないも、するもしないも、勝手です。人が人の矛盾をつくのは自己が矛盾を何かしら抱えていることから考えれば矛盾する行為だが、精神のことを考えたらなら当然のことだと言えるのではないでしょうか。それを偽って美しさとするのと、矛盾を持ちつつも意識に従うのでは、どちらが己を人間であると認めて受け入れていることになりますか。そういった角度で話せば皆が己に神を宿しているという不可解で奇妙な話になってしまうのではないのでしょうか。芯を持つことは、宿す神を選択しているようなことでしょ。身の外に神を見出すのと身の内に神を見出しているのとの違いだけで、神と呼ぶか性格とか信念とかって呼んでいるだけの差でしかないように思えてしまう。神を信じてないのではなくて、己を神と思い始めているだけなのではないか。それが私は私といった特別感や他者とで優位性を自分に保とうとする理由なのではないでしょうか。意識を理解しても技術的には関与できないとおっしゃていることから、現時点においては、宗教も科学も信じているものがあれば、大差ないことだと言えるといった感じですかね。博士課程を得てようが一般市民だろうが、科学的に論文でまとめていないならアプローチの仕方の違いだけであって、その辺のユーチューブ動画で解説されている事との本質的な差は認められないような気がします。論文という権威的な位置付けにさえ意味を持たない社会が到来しつつある。やっても無駄になるとわかることをやるのは、人間であることが重要だからですか。論文が出て、多くに認められる内容と知れたなら、この動画にも何かの意味を持つかも知れないが、それまでは価値にはなり得ない。UA-cam動画なんで情報の墓場って言えるから、畑を耕しているのと同義で、楽しいからやっているという事を上回る理由がない。その中でもやるのは孤独を孤独と思わない危うさを持っていなけらば、続けることは難しいのかもね。それって、人間の身でありつつ機械によっていくってことのような気がするしね。それならAIでよくなっていくらしので、AIをAIが統制したり制御し合うAGIなるものが確立したなら、人間は欲望のために生きる他なくなる。そう考えたら、科学をやるのも宗教のようなものですね。カトリックを信じているのと区別する先見的なお話をお願いします。

    • @なむさん-e2h
      @なむさん-e2h 6 годин тому

      勉強になります。お考えにも共鳴する部分が多々ありました。
      特に私のチャネルの作品2(月を友とする自由)が共鳴しました。
      もしお時間がございましたら、覗いていただけると幸いです。

  • @feelingood-ec5qd
    @feelingood-ec5qd 19 годин тому +2

    冷蔵庫内の皆様、おはようございます😆ブルッ🌄❄✨
    (´▽`)(´V`)♪

  • @thomasaqinas2000
    @thomasaqinas2000 17 годин тому +3

    「能動主体」としてアトム=不可分であることを考察すべきだと思います。
     分離脳手術で、人格の二重性が現れる様に、主観意識の作用を顕現し得る「能動主体」としてのポテンシャル・エネルギーは、要素的には分割可能性を持つと思います。脳の部位、一個の脳細胞というようなレイヤーでも、作用を認められるからです。他の生物で、ミミズでもその能動作用があることは、認められると思います。
     問題は、そうした能動主体としてのエネルギーの発動に還元して眺めるのではなく、アトム=不可分になるレイヤーを特定することだと思います。この場合、何が不可分になるとするか、それの特定です。
     古来、個人はまさに不可分とされアトムであり、分割されればその人ではなくなる、その人の作用を顕現出来なくなる、というのが「不可分なるシステム層」として認められてきました。中世のトマス・アクィナスは、それを「個霊」としました。
     その考えのもとに、「一つの意識」とも言うべき、シュレーディンガーも賛同するアラビアの「単一知性説」に反駁を与えたのでした。個霊のシステム層を、集合集積する情報プールの様な作用に拡散してしまう思考法に、反論したのでした。言うなればブラフマン‐アートマン・モデルに対する、「個霊の救済」の立場表明でした。
     脳研究の観点から、以上のことを、是非、科学的に分析してください!お願いします。

  • @たましぃ-l6r
    @たましぃ-l6r 9 годин тому +2

    植物にも意識はあるのかなあ。あるといいな。

  • @中古プレイヤーのテストチャンネル

    自己意識のシリアルナンバー探し頑張って下さい!私は茂木先生がパラダイムシフトを起こせる可能性を持っていると割と思っていますので。
    動画内容に関してはセントラルドグマと言うかグランドデザイン的に、時間が1次元で存在と紐付けされる座標軸の概念が無い以上難しいと思いましたね。
    1次元のスカラー時間ではベクトルが出た時点で非平衡の説明は難しいですし、私達の宇宙は3次元以上らしいので時間を反映させるには3次元以上必要ですし、粒子と波動の二重性が出て来ても今だに時間を1次元の概念でいるのは割と原始的だと思いますね。

  • @久保田太郎
    @久保田太郎 10 годин тому +2

    物理ではそう。ただ物理は強い、モノの理だからね、賛成でゲス。

  • @臼倉文明
    @臼倉文明 18 годин тому +2

    ミミズに意識があるかどうかは別として、意識だけだったら取り留めがなくなってしまう。だから、肉体があるのではないかと。
     意識=エネルギーと捉えるとE=mc2なのだから質量がどこかにあるはず。でも見つからない。
     世の中、わからないことだらけ。

  • @鈴木宏樹-c6s
    @鈴木宏樹-c6s 5 годин тому

    甲斐さやか監督の映画『徒花』の問題提起に通じるテーマだと思いました。ただ、意識については、いろいろ分かりすぎてしまうと、正気を保っていられるかな、という心配もあります。

  • @華音-h7f
    @華音-h7f 17 годин тому +2

    おはよう御座います。
    ニコラ・テスラ
    「森羅万象宇宙の全てを解く鍵は369にある」
    ≒弥勒菩薩です。
    ※第9感スペックホルダー

  • @森森club
    @森森club 18 годин тому +2

    私 = 和多志 なのでしょうか?
    意識は魂に近い存在だと思っています。ノンレム睡眠のとき、意識はどこに飛んでいるのでしょうか。身体と切り離されているようにも感じますが、それが本当にどうなっているのかは分かりませんね。
    また、死後の世界は存在するのでしょうか、別の次元に存在するかもしれませんね。🤔

  • @GenjiKomezu
    @GenjiKomezu 14 годин тому +2

    4:24 私の意見としては、『意識』だけでは、なく『感情』を合わせた方が、クオリアの範囲が広がり複数の考え方が生まれると思います。
    ①大人と赤ちゃんが一緒にいるときの大人の感情と赤ちゃんの感情の変化による意識。
    ②人間が動物(犬や猫)と一緒にいるとき又は、遊んでいるときの人間の意識と犬や猫の意識。
    ③犬を散歩しているときの喜んでる雰囲気とこれは、#感情と意識として 人間が喜ぶから犬を散歩に連れて行くと思う意識
    続く…

  • @うらっちおきちゃん-w8m
    @うらっちおきちゃん-w8m 11 годин тому +2

    生まれる前の意識、死んでからの意識は、今の感覚の自我とは違うんだろな。なんせ生まれる前の意識なんて全くわからんし😅

  • @ufo_mystery
    @ufo_mystery 6 годин тому

    ひとつの意識というのは理解できます。我の自己意識は、誰でも同じということなのだと思います。そうなると常に我は誰かとして永遠に生きているという事も考えてもいいのかもしれません。我の自己意識以外のもの、身体とか記憶とか性格とかは別のものと考えるとしっくりと来ます。我の自己意識はひとつの意識、それは常に生まれ変わっても同じなのではないでしょうか。

  • @SUMIRElovely
    @SUMIRElovely 8 годин тому

    自分の意識というものは、自然なものであり、もしかしたら神聖なものかもしれないと思います。精神的な話は置いておいて、それを運ぶ器としての身体を大切にする責任があるようにも思います。上手くいかないことが多い現実ですけども、脳と心身を大切にする生活を送りたいです。頭の中に浮かぶ内容や今何を感じているのか等を日常に於いて注視しています。
    意識というものが何処から来て何処へゆくのか…これを科学的に論じることが出来たら(昔から色んな人がやってると思うけど…)面白そうです。

  • @ちゃわんおわん
    @ちゃわんおわん 19 годин тому +3

    時間のスープの美味しさ、しかし何者も飲まないが有るような、しかし美味しいのかな、苦しいのかな、私はこの朝美味しいんです、オペラに表現して欲しい感じです、陽にしっとりと震える朝🌅、冷を残し…の部分が。要素の中に途切れや断絶を感じ孤独や未知を感じました。あっ、億の桁の後に意識は進化するかもですね、物理になるのでしょうかね。宇宙の変化。神があるのならが少々、臆病なので危うさを感じ失礼します。

  • @廉太郎-s9n
    @廉太郎-s9n 16 годин тому +1

    ダスマン?ぜひ一般人向けの解説本も併せてお願いします。

  • @burning8983
    @burning8983 6 годин тому

    ワンネスですか。悟りの境地に達すると、それを実感出来ます。ヒンドゥー教の真我がそれですね。

  • @yompan2505
    @yompan2505 2 години тому

    意識は脳の拡大による病かと思います。エネルギーは存在しないと思います。そして夢を見ている物でしかない気がして来ました。私はよく、すっかりポゼッションされるので誰でもないです。欲望を欲望しつづける共通概念かもしれないです。

  • @なむさん-e2h
    @なむさん-e2h 5 годин тому

    これを論理的に記述できたひとはいない。何故なら有限で無限は記述できないからです。ただし光を当てる事はできる。多くの偉人は、「でないもの」からそれを試みてきました。わからないことは科学ではない。ではどうするか?あー、たぶんまたできてもうた。

  • @片上泰助
    @片上泰助 Годину тому

    (自己Xポストコピペ)ーーーー
    アインシュタインのE=mc2をm=E/c2と、ある意味、私たちの体を含む物質はビックバンの光のエネルギーと考えれば、量子もつれはそんなに感覚的に不思議ではないとも?。ー
    ーーーーー
    たまたま、自分の考えたり思ったりしたことは自分が一番感じているとも?。

  • @marypoppins8302
    @marypoppins8302 6 годин тому

    Onenessですか…理論的に言葉で説明(証明?)できる日が来るのでしょうか。「体験する」ことでしか「知る」ことができないのではないかと感じているこの頃です🍀

  • @ごっち-p5f
    @ごっち-p5f 2 години тому

    脳の機能的なベースが同じでも、生まれてきてから得ているものが違うから、それによって脳の働き方とか性質に広がりとしての余地があるってのはどうでしょうか。反射的に動くしかない虫と知性を合わせている人間の意識が同じと言えるのは、科学でわかるとなればおもしろい。単に脳の機能が得ていく情報によって発達していって、環境に合わせて状況を掴み取る鮮明度が増しているだけな気がします。脳の活動によって検知しているものを知性も成長するので、後付けで「意識」と概念を貼り付けているだけではないでしょうか。そうか、脳が生み出して五感などを通して感じとっているものを意識とするなら、意識は同じものと言えるのかも知れない。言葉のあるなしで言えば、鳥も話すようですし。コミュニケーションをとるかどうかってことかな。その必要性に応じて生き物の脳の成長にかかる時間が変わるって感じかな。そうすると、私ってのは無いのか。言葉に変換しようとするから、私なんてのはないってなるのか。やはり、いま、ここにいてる感じがあるだけか。そうなると、抽象的な位置付けとするのも言葉のなす技と言えるので、統合的な1つの意識ってないように思うけど。どうなのかな。共感を含めて、抽象的に物事を捉えるってところで曖昧性を持ちつつも情報として何かの伝達が可能であって、概念や状況などの受け渡しが間接的にできる。そこに言語や物が含まれる。言語で生み出した抽象化するというイメージ的な新たな伝達の手段としての箱のようなバイパスを作り出した。ただ集団の規模が大きくなると、正確には伝わらない。細かな違いを捨てて、抽象化することで広く伝達することが選択される。抽象化されているところで伝達のレールのところは同じでも、受け取って具体性を見出すのは、受け取った側の持つ情報や役割や位置で変化する。抽象化された情報の伝達に使われる概念という箱が同じなのは、ほとんどが概念という箱を理解できているから可能なこと。月を見たときに月だと思うのとmoonだと思うのと、身体的に掴んだ概念に違いはないし感じているものも変わらない。体の機能が同じなら、「月」と言葉を知らなくても感じるものは同じ。記憶やエピソードとして思い出のようなものが個別に加わる。その時、個々の意識は共有されていない。生まれた時から情報が取り揃っている環境なので、同じことを感じているように思う。システムが整っているから全体として概念が機能して、意識が同一かのように感じさせているのかな。概念とか抽象化とか、物理空間に情報を置く感覚で言えば、情報とイメージで、あの人も同じことを思ったのか?みたいな共有されている感じを思わせる。それで言うと、自己意識そのものは1つって言えないようなって思う。虫でさえ個体差がありまくりですしね。顔が違うのは生まれた親が違うからだしね。エピソードや記憶が違うのは、経験とか得ている情報が違うからですし。結局は、脳の発達の仕方と持ってる感覚的な記憶などの情報とかも全く同じとはならないので、揃っている現代であっても微妙に差がある。個と個の差が近づいているほど意識的に感じることも近くなるってことかなと思います。個としても脳の能力が劣ると、細かな差を無視して考え始めるってことなんじゃないでしょうか。神経科学で考えれば動物なので年齢で脳の使われ方が変わるってことも聞きます。歳を重ねるにつれて情報を次に繋げることが重要なので、抽象的な取りまとめが助長するってことかな。プロセス的には、意識的な物事の捉え方が始めにあるが、情報を得ることで記憶などの具体性を軸において考えるようになる的な。情報によって脳の性質に違いが出てくるだけなら、意識そのものは本質的には同じと言えるのかな。ただ脳の性質に関わるところで遺伝があるけど、それも情報ですしね。自己確立した後の個々の意識は同じなのかな。脳が同じって位置するところも同じなわけでしょ。宇宙の中なのか外なのか知らないが、地球と見れば、同じで等しいかもだけど。今のところ地球と人間を切り離しては考えられないしな。生命体として1つとも言える。では、自然を解明しないといけないような。ああ、それで量子コンピューターなのかな?。はて、地球は我々のように何かを感じることはあるのか。そのように考えては意識の位置付けが低いか。宇宙の原理が解明されたなら、逆説的なアプローチとして意識が解明できるか。それって小さな個として働く人間が感じている意識のそれと同じと通づるか。私が、今ここでスクワットを1000回やったとして、筋肉の痛みは共有されるのか。人間が捉えられる世界で社会を成して生きているのであって、解明されてない意識を使って、記録さているだけの動画で同じですねと言われても、同じですとは思いませんよね。本心は、記録されているだけの動画とコミュニケーションを取ろうとするコメントの書き方も好きではないですけども仕方がない。意識の話から私という個がないと言われても、身体性を通して、私を感じていますので、私は私でいいのじゃない。意識だけ同じでも意味がないでしょ。記憶やエピソードが引き継げないなら、今の私は今しかないって思うね。結局、死を恐れないための栄養剤ってだけで、今をしっかり生きることをやれていたら必要のない考えだよ。路上ライブにおじいちゃんが踊りにきているのを見て、それでいいじゃんって思うもの。書き終わった時に、私の目的は済んでいる。

  • @cottonpuff-s4f
    @cottonpuff-s4f Годину тому

    思考いがいのもの?