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向坂さんの実況、力士に対して温かくて優しいなあいつも。
まさかこれが大乃国最後の優勝になるとは思わなかったよなあ。
千秋楽、優勝決定戦の向坂さんの実況はエモい‼️
二番ともまともに組まない保志ペースの相撲。よく落ち着いて勝った。まさに逆転優勝だ。大乃国は千代と保志、二枚と戦っていたから優勝が少なくても仕方ない。内臓悪くしなければ大横綱だったはず!
この時中学1年生で、父親と正面桟敷席から見ていました。正面ですからテレビには映っていませんが、土俵がテレビで見るより小さく感じたのを覚えています。ファンだった千代の富士が休場だったのは残念でしたが、横綱同士の決定戦が見れたのはいい思い出です。大乃国の気合が充実して、北勝海に勝っているのが、生で見ているとよく分かりました。
土俵がテレビより小さく感じるのは私も同感です。
( ´,_ゝ`)
同い年ですね
自分は高校1年生でした😅大乃国はこの逆転優勝を含めて幕内優勝は2回、決して大横綱ではありませんが、どっしりとしておおらかな感じが好きでした😅
さすがガチンコ横綱👍相撲内容は…だけど、結果はスッキリしましたネ❤優勝争いにいくまでに取りこぼすのは、正にガチンコの誇りに思う。ただそういう意味では、同じガチンコ横綱として北の湖と貴乃花の優勝回数は偉大過ぎる‼️
昭和46年初場所の大鵬ー玉の海戦も、手に汗握る大熱戦でしたね。大鵬、本割り、決定戦で、玉の海を倒して執念での、現役最後の優勝でした。😊
素晴らしい昭和‼️😄
この頃のシンプルな字幕、好きだなあ。今は色もそうだけど情報が多すぎる。
疲れますよね。
大乃国自身を含め、これが最後の優勝になるとは誰も思ってなかっただろうな。
大変だったのは翌日。両者同じ新幹線で(まさに呉越同舟)帰京。著名人の集まりに呼ばれるも、大乃国は「昨日は見事な逆転優勝でしたね」に対し、北勝海は「惜しかったですね」(と言われたところで、何かの賞が出るわけでもなく) 勝負の厳しさを痛感したと思う。翌場所終盤に腰痛を発症し、半年も土俵に上がれず、この借りを返さんとばかり、翌年の初場所の大乃国戦と、同じく秋場所、千秋楽に給金相撲の懸かる大乃国を倒した北勝海に、「この日の屈辱をいつか晴らしてやる」が結実した気がする。
大乃国は優勝回数が少なく脆いところがあり下位の力士にとりこぼしも多いから弱いと言われていたが、旭富士や北勝海にはめっぽう強かったし、北の湖にも強かった。弱くはないです。
北勝海には北勝海の横綱昇進後は分が悪くなりましたけどね
小錦には負け越し、朝潮には18勝13敗、若嶋津に12勝10敗
残念なのは北大時代にならなかったことが悔やまれる。
北勝海関と大乃国関は同郷(ほぼ隣町)なんですよね。「張出横綱」という番付も懐かしいです。それにしても、横綱同士の千秋楽結びの一番ってここんところ、実現していませんね。もし、霧島関が横綱になったら、その段階で照ノ富士関は引退するだろうけど、出来得れば、久々に横綱同士の千秋楽結びを見たいですね。
大乃国はいかにもあんこ型のお相撲さんって感じが好きでしたね。
優勝回数は僅か😢だがこの時代唯一のガチンコ横綱🖐
この時点で北勝海24歳、大乃国25歳。今の日本人力士でこの若さで横綱になれる人材が皆無なことを考えると、隔世の感がある。
若者も少ないし他のスポーツの方が人気だからね相撲が好きな若者なんてほとんどいないから仕方ない
大乃国が最後の優勝になるというのも信じがたいような感じです。
しかも北勝海と同い年の双羽黒は先に横綱になってる。
この二人に関しては、北天祐や若島津よりは強かったから横綱になれたんだろうけどという評価でしかないな。一時代後の貴乃花の時代にいたら横綱に多分なれてない。魁皇より弱いと思う。
@@真田安房守-r4p だから何だ?別の時代と比べたらきりがないだろうが。江戸や明治の横綱なんか今よりはるかに体が小さいんだし。
張り出し横綱。当時は、まだこの設定がありました。張り出し大関、張り出し関脇。三役のそれぞれの地位が3人以上存在すると、この表現が使われたのです。いつのまにか無くなりましたね。
たまに張出前頭○枚目とかもありましたね
三役以上が絡む優勝決定戦、この頃は「かたや、こなた、」を入れての行司さんの触れだったのですね。今年11月場所の決定戦では「(大関)貴景勝に〜(小結)照ノ富士〜」でした。さて、大乃国関の逆転優勝、お見事でした。向正面解説の常盤山親方(若秩父)は放駒部屋所属で横綱の苦悩を近くで見ていただけあり、声を詰まらせていましたね。大乃国関はこれから1年少々は、優勝こそありませんでしたがほぼ優勝戦線に絡んでいました。一方の北勝海関は、後に「大乃国関に2番続けて負け、ショックと同時に疲れが出た」と仰ったように、この翌場所14日目に腰を痛め、昭和63年の後半3場所を棒に振りました。この時点では、大乃国関がこの後優勝できずに引退し、北勝海関が5回優勝を重ねるとは考えにも及びませんでした。
両者の対戦は、この決定戦のように北勝海が攻めても最後に逆転って1番が多かったような。でも平成元年の初場所の対戦は、北勝海の相撲人生でも1番の相撲だったと思う。
素晴らしいめいしょうぶ
昭和時代最後(昭和63年11月場所千秋楽)の取組、横綱千代の富士-横綱大乃国戦の場内アナウンスを担当したのも、当時十両格の木村城之介、のちの35代庄之助でした。私は今でも現在・過去の行司の中でも、場内アナウンスに関しては群を抜いてピカイチだと思っています。
私もそう思います!
その人と同じ時期にアナウンスしてた人の方がもっと昔の江戸風情?があったような気がする
本名内田順一さん。1988年の本場所の場内アナウンスはこの35代木村庄之助さんが担当されていた気がします。同時代に、伊藤勝治さん(34代木村庄之助)という名手がいましたね。
@@貯金額が1億200万円の者 木村信孝(のち玉光)だと思う。おいらも好き。
@wurry77 ちょっと声が高くて澄んだ声色の人です。風情があって侘び寂びがありました。「東方、横綱千代の富士〜、北海道松前郡福島町出身九重部屋」「西方、大関小錦〜ハワイオアフ島出身高砂部屋」とか今でも耳に残ってます
対戦成績は大乃国20勝北勝海16勝
20-14ですね
千代の富士時代から曙貴時代になってしまった。
当時子供だった自分は大乃国が一番好きだった。この時の優勝を目の当たりにして物凄く喜んだのを覚えてる。同じ年に千代の富士の連勝を止めたりと、弱い横綱のイメージがあるけど要所要所で大活躍するのがたまらない。しかしアナウンサーも言ってるけど北海道は横綱産みすぎ(笑)
同世代の双羽黒は廃棄、北勝海も大乃国も28歳での引退した。旭富士も横綱在位9場所での引退した。千代の富士が引退してから相次いで、横綱が引退したために横綱不在となった。翌年の1993年平成5年の1月初場所後に曙が横綱昇進するまで。
27代木村庄之助の所作諸々の動作は今の木村玉治郎に受け継がれている。
決定戦は立ち合いで「二本入った」との実況だが、もろ差しを大乃国に阻まれて苦しくなったから蹴返しにいっている。昇進してからの攻めの圧力に加え、二度の三横綱総なめを成し遂げた時期の腰の重さ、土俵の使い方の上手さを味わえる貴重な二番を観られて嬉しい。直接対決ではもう一番、北勝海の指が土俵の砂を払っているとしか見えなかったものがあり、あの結果が変わっていれば優勝回数1回だけでも違っていたのにと思う。
両横綱ともに、北海道十勝の出身❗
それが自民党の内輪もめに利用された。大乃国が中川家の御抱えだったのに対抗して昭一さんへの世襲に納得がいかず中選挙区時代に中川家に逆らって出馬したのが昭一さんの父一郎さんの秘書だった宗男さんで保志に目を付けた。宗男さんと理事長の関係の始まり。
さすがに魁傑関の弟子だけあって大乃国関はクリーンな力士です。
高1だったかな、この当時の実況と解説はホント好き。行事の声も素晴らしい。今と何が変わってしまったんだろ…
大乃国の相撲は安心して観れますね。最強のガチンコ横綱です!
昭和49年名古屋場所の輪島対北の湖戦、ちょっと、力の差がありましたね。😅同じように、投げられてました。勝負の厳しさを垣間見た一番でしたね。😢
理事長vs広報部長
千代の富士時代の脇役やのちの曙貴時代の引き立て役で終わったのが残念。
北大時代を期待したが。
優勝決定戦は木村庄之助に替わって式守伊之助が行事を務めるんですね。
さすが、広報部長強い✨でも、理事長の相撲も素晴らしい✨
伊之助さんは草履が脱げても冷静に履き直し、しっかり裁いています。後に平成の名行司と呼ばれる28代庄之助さんですね。
間違いありません❗️😊
この場所が東正横綱の北勝海と相星だったがために、優勝した大乃国は最後まで東正横綱になれず引退してしまった。好成績の場所も結局千代の富士や北勝海に優勝を攫われ、つくづく番付運のない横綱だったと思う。
貴乃花親方退職の騒動時、花田虎上氏は芝田山親方のことを「どういう方かよく存じています」とフォローしていたな。ガチンコだというのは、板井関が言い出したんだっけ!?現役時代は確かにそういうイメージの相撲だった。一方で師匠としては、部屋を持ったのが遅かったこともあるが同世代の八角親方や伊勢ケ浜親方の実績には及ばずといった感じ…。弟子と訴訟もあったし…(しかしそれは貴乃花も同じ(^^; )いずれにせよ、(誤解を考慮しても)いわゆる「善良な、いいひと」というイメージ(^^)九重勢全盛時代、この人にもっと九重勢を倒して欲しかった(でないと、土俵が面白くないかったから(^^; )
この優勝決定戦を裁いた、25代式守伊之助(のち28代木村庄之助)は二声で呼び上げてますね。確か決定戦の時の呼び上げは一声のはずですが?呼び出しの寛吉さんの呼び上げのところがカットになっていますが、呼び出しも一声のはず。
確かにそうですよね本割りではない取り組みですから一声のはず
北勝海はこの屈辱的な敗戦を胸に秘め平成元年秋に7勝7敗の窮地に立たされた大乃国に星をゆずらず千秋楽に勝ったことを優勝パーティの時に本人に「相当悔しかったんでしょう」と聞いたら「俺のこと俺より知ってる、あれは親方にもほめられたよ」と笑ってました。
どっちに聞いたのかわからん
九重部屋は、この北勝海と頂点の千代の富士の両横綱がいたから最強だった。
2回目で最後の優勝でしたが大乃国は立派な横綱でしたよ!
気迫溢れていますね。
この場所は大乃国が苦手にしていた千代の富士が休場していて、チャンスではあった。千代の富士戦があったらどうなっていたのかな?
ここ一番になると緊張のあまり、敗戦が多かった大乃国。この千秋楽は終始落ち着いていた。気の優しい誠実な人なんだろうが、勝負師向きではなかったんだろう、と思う。
なんてったって好きな食べ物が、うぐいすパンの横綱ですからね☺️
@@ladybird90210 自分が持ってた名鑑にもそれ書かれてたw なおうぐいすパン自体未だにわからない模様w
@@ladybird90210私の91年度名鑑では、うぐいすパン、あんみつ、焼肉と書いていました
大乃国はやっぱ弱い部分もあって評価を落としていますけど、相当強い力士で過小評価されていると思います。好きだったなぁ!
横綱である。横綱になることの大変さを知っていれば、評価を落とすもなにもない。しかも当時数少ないガチンコ相撲を貫いた人。
大乃国は太りすぎてパッとしなかった。
今の時代にいたら大横綱だろうね
北勝海は千代の富士との対戦がないというアドバンテージがあったことを考慮したら、この二人は実力的にほぼ互角だったと思います。
大乃国は2回の優勝ともに北勝海相手に決めている。この2人がいまは八角理事長と芝田山事業部長として、協会のツートップである。
決定戦、右かかとを浮かせながら回り込んで(しかも北勝海に渡し込まれそうになった左足も浮かせている)ギリギリのところで逆転するなんて、すごい技術だと思います。この時の大乃国は、本割も含めて、表情がとても良いですね。
北勝海、突き押しの相撲で、8回優勝は立派ですね。😊
成績では大きな足跡を残せなかった大乃国の数少ないの輝きの時。千秋楽逆転優勝は相撲史に残るもの。この時点では、若乃花、大鵬、輪島しか居ませんでしたし。城之助さん(後の35代庄之助)の場内アナウンスも惚れ惚れするなぁ😙。
同時期にこの人ともう1人いたでしょ🤔
@@貯金額が1億200万円の者 誰ですかね?
@@山田市之助-q8l もう少し声の高いアナウンスの人が居たと思います✨むしろその人の方がメインだったような🤔城の助さん?はその人が居なくなってからメインになったような感じがします💦
@@貯金額が1億200万円の者 ああ、場内アナウンスの件ですね。マニアックになりますが、自分が相撲を見始めの頃(1972年位)の幕ノ内後半の場内アナウンスは城之助さんがメインだった感じで、ずっと続いていたが、1979年初場所辺りから幕ノ内後半の場内アナウンスは貴方の言う声の高い人に変わりましたね。自分は城之助さんの場内アナウンスに馴染んでいたので少しばかり寂しさみたいの有りましたが、1988年の春場所位から再び城之助さんが幕ノ内後半のアナウンスを担当するようになりました。
北勝海が禿げあがるとは世の中わからんね
これは大相撲史上伝説の大逆転優勝でした!!
確か、本割りで取っ捕まえて、決定戦で勝ったんだよな。序盤で一勝二敗だった時は大騒ぎしたけど。
+佐々木栄一郎 様二日目と三日目に栃司と板井に負けてどうなるかと思いましたが、まさかの大逆転優勝でしたね。
この時点では千秋楽逆転優勝は若乃花、大鵬 、輪島しか居ませんでしたしね。
旭富士が八十吉を本割り、決定戦と撃破したのが一番印象にある
十勝勢対決!!
この二人は小錦が分が悪く、この二人にカモにされていた旭富士は小錦に強かった。相性という言葉がしっくり来る関係だと思う。
K1なんかもそうだけど、大きさとか取り口でモロに相性ってありますよね😃旭富士と言えば当時随一の相撲巧者ですけども、千代の富士を大変苦手にしてましたよね😃たぶん千代の富士にとっては旭富士の身長・体重・体格がちょうど良く、かつ右の相寄っつだったから料理しやすかったのかも知れませんね😃千代の富士は旭富士以上の相撲巧者でもあったのだと思いますが、昭和の大横綱って称号が前面に出てたから、わざわざ相撲巧者って言い方はされなかっただけかもですね😃
morico1119 で、その旭富士に分がよかった千代の富士は小錦のパワーに度々苦杯を舐めさせられてる
北勝海は特別小錦に相性悪いわけでは無かったよおおのくには確かに小錦に弱かった。対戦成績よりも内容が。
大乃国は北勝海、旭富士に強く、小錦霧島に弱い。
前に隆の里が千代の富士に非常に強くその千代の富士が琴風に滅法分が良かった。しかし琴風は隆の里を得意にしていた。三すくみでした😅。
八角親方VS芝田山親方ですね。
理事長と広報部長。今の相撲協会を支える重要な二人!
大乃国さんは優しいよ!
北勝海も大乃国も力士の模範になる横綱でしたよ。そもそも横綱昇進するだけでも凄い事。72人しかいないわけだし。
八角さんは千代の富士さんの弟弟子。関脇まではガチンコだったが・・何を言いたいかはお分かりでしょうが。千代の富士さん同様、力士の模範になるとは言いがたいと思います。
@@potetosenpai そうですよね。そんな奴が今や理事長ですよ?八百の富士の子分のくせに
ガチ感満載
私は北勝海の大ファンでしたがこの屈辱的な敗戦はのちに平成元年の9月場所大乃国7勝7敗で迎えた千秋楽に当たった時に晴らすことになりました。知人の紹介で北勝海関と話す機会があり7勝7敗の苦境の大乃国に手を抜くどころか快勝し負け越しに追い込んだのはこの敗戦が頭にあったからですよねと横綱に聞いたら「あんた、オレよりオレのこと詳しいよ。」と笑いながら言って下さいました。
KOH YAMANAGI 草なお、今や理事長の座を追われかねない模様
89年秋の7勝7敗の時の対戦よりも、同年初場所の1番の方が雪辱としては印象深い。あの一気の押しはすごかった
現理事長(北勝海)のお返しという言葉はよく覚えてます。二人とも中卒叩き上げで綱を張りました。今の力士の何倍も稽古してたと思います。今は叩き上げの力士探す大変ですね。時代の流れだからしょうがないですけど。
北勝海なんて、今では昇進が難しい低成績で横綱に昇進。当時は双羽黒もそうだった。大乃国も全勝優勝の後は12勝、13勝で昇進。それ以降の横綱昇進者は、双羽黒事件や大乃国の不振により、煽りを受けたのは事実。その中でも一番不運だったのは旭富士だった。
北勝海がけたぐりや足取りしたイメージ無かったのでビックリ。北の富士さんはそういうの得意だったらしいので直伝かな?
大乃国は芽室 北勝海は広尾 どちらも十勝
大野国はガチンコでした
相撲王国北海道も今は昔
2人とも横綱になってすぐですね
「庄之助は1番しか裁かない」は誤りですね。実際には決定戦は交代で裁いているんですよね。
優勝決定戦は「それぞれの地位に対応した行司が裁く」とあるので、庄之助が決定戦を裁くかは力士の地位次第である。だから、「庄之助は1番しか裁かない」が誤りとは言いきれない。まして、本割は言うまでもない。
横綱どうしの決定戦では庄之助なんでしょうかね。北の湖と千代の富士の伝説の決定戦は伊之助でしたよね。実はリアルタイムの時、自分は決定戦を何故庄之助が裁くのか気になりながら観てました。
かつてはそうだったが、熊谷後藤の立行司の時代は、2人で交代で裁こうと内内で取り決めしていたようだ。
場内アナウンスは後の35代木村庄之助となる内田順一氏ですね?
スイーツ親方の底力。
最近は本割、優勝決定戦と連勝しての逆転優勝が多くなった。12回ある。2024年令和6年11月九州場所終了時点
ホクトウミ、こんな人がまた理事長か。
張出横綱・張出大関の復活を希望します。子供心にも、張出横綱よりも張出がつかない横綱の方が強くて偉いと認識でした。これは後で知ったけど、張出大関はもうちょいで引退するのかなと言う感じで認識してましたね。もう張出制度は復活しないんですかね、
のぼりは13本実況は向坂松彦アナ、解説者の名前忘れたな・・・・出羽の海部屋出身の方だったと思うでも絶対見てるはずです千代の富士は休場してたんかな?
そうです。脱臼で全休です。
若瀬川さんですね。解説は。
確か、休場してました。
ありがとうございます
本割が熊谷庄之助で決定戦がのちの後藤庄之助。捌く行司が史上最強なのもいい。
大乃国は旭富士と北勝海より強かったですね。
対戦成績で勝ち越している。
この逆転優勝は見事だった。この時点では初代若乃花、大鵬、輪島しかいなかった。
座布団があちこち飛んでいます。
曙や若貴兄弟がデビューした場所ですね
魁皇も。
3:40あたりに若かりし拓郎さんが!
確かに拓郎さん、若いですね。
大乃国の方が通算でも大きくリードしてるし
20~14
向坂さんは同点決勝だったんだな。優勝決定戦というアナが多いが。
解説は若瀬川泰二氏。
張出横綱とか、なんか懐かしい😅今やったら、張出横綱、張出大関ばっかやのに🤣
北勝海は千代の富士との対戦がなかったアドバンテージを差し引けば、この2人の実力はほぼ互角だったと考えていいのでは?
大乃国のほうが強かった
今は協会を支える2人です
この時代から若貴時代迄、大関が陥落する事珍しかったし、強かった。又、横綱に昇進した力士は大関から勢い落とす事無く駆け上がった。その後はモンゴル人横綱時代、稀勢の里は中卒入門横綱。その後は大関迄、横綱昇進どころか下手すると陥落と云う時代になった。学生相撲出身が多数を占める時代、生活環境、意識、考えが変わったからではないか?と思う。稽古量も。日本人横綱誕生願うが、昔人間の自分としてはかつての横綱、大関は強かった。
いたいと対戦したらおおのくには勝てません(笑)(笑)
2:24
時代の順から言うと、魁皇は、朝青龍の前に横綱にしなかったのが、痛かった。
条件を満たしてない。優勝した次の場所は負け越しか休場
@@貴博リンダ そうでしたかなぁ。
最後の優勝の翌場所だけは頑張って優勝次点まで行ったけど、12日目までに3敗で脱落してたから昇進できなかったね。一応千秋楽に朝青龍に勝って次点なら・・・って含みは持たせて、朝青龍には勝ったんだけど。稀勢の里の場合は大関時代に休場ほぼなしだったから、あんなに短命のなるというのはあの時は予想できなかったけど、魁皇の場合は、仮にあの時次点で昇進していたとしても、既にケガでちょくちょく休場してたしどのみち長持ちしなかったとは思う。
花の63組初土俵の場所
若乃花勝、貴乃花光司、曙太郎、魁皇博之など。
張出横綱、張出大関今はある⁉️
張出というのは番付上東西の枠に入りきらない力士を、番付の枠外左右に出っ張るように「張り出して」書かれることからそう呼ばれます。従って、横綱・大関がそれぞれ3人以上になれば、必ず張出は発生するわけです。まれに、関脇・小結でも3人以上になれば張出は発生します。
大乃国が天敵の北勝海を勝ったのは珍しかったね
天敵ではありません。大乃国の方が対戦成績有利です。
大乃国の天敵は板井では?
保志
決定戦は式守伊之助でないと
2009年の初場所、秋場所は木村庄之助が優勝決定戦もさばいてたけど?
実際にそう言うアナウンサーもいましたが、実際は庄之助親方と伊之助親方が交互に優勝決定戦を裁き、両者の停年などが関わると例外があるという感じだったかと。決定戦に関脇以下の力士のみ出場の際は、三役格の行司さんが裁いていますね。
@@NK-pt8qp そうでしたか‼️😄
東村山音頭
志村け
この優勝で、波に乗るかと思ったが。
やぱりガチンコ大乃国いいですね!この逆転優勝はファンは嬉しかったでしょうねua-cam.com/video/cqrUvLwt7O0/v-deo.html
この毛量でも禿げるのか…
ぶつかり稽古やりまくったかららしいね
擦り切れた…のか!? (^^;
決定戦は伊之助なんだな
木村庄之助は一日一番しか裁かないからだそうです。
この動画だけでなく、千代の富士見たさにコメントして、その返信をいただいてます。。皆さん千代の富士合掌の意味でご覧になってますね
向坂さんの実況、力士に対して温かくて優しいなあいつも。
まさかこれが大乃国最後の優勝になるとは思わなかったよなあ。
千秋楽、優勝決定戦の向坂さんの実況はエモい‼️
二番ともまともに組まない保志ペースの相撲。よく落ち着いて勝った。まさに逆転優勝だ。大乃国は千代と保志、二枚と戦っていたから優勝が少なくても仕方ない。内臓悪くしなければ大横綱だったはず!
この時中学1年生で、父親と正面桟敷席から見ていました。正面ですからテレビには映っていませんが、土俵がテレビで見るより小さく感じたのを覚えています。ファンだった千代の富士が休場だったのは残念でしたが、横綱同士の決定戦が見れたのはいい思い出です。大乃国の気合が充実して、北勝海に勝っているのが、生で見ているとよく分かりました。
土俵がテレビより小さく感じるのは私も同感です。
( ´,_ゝ`)
同い年ですね
自分は高校1年生でした😅大乃国はこの逆転優勝を含めて幕内優勝は2回、決して大横綱ではありませんが、どっしりとしておおらかな感じが好きでした😅
さすがガチンコ横綱👍相撲内容は…だけど、結果はスッキリしましたネ❤優勝争いにいくまでに取りこぼすのは、正にガチンコの誇りに思う。
ただそういう意味では、同じガチンコ横綱として北の湖と貴乃花の優勝回数は偉大過ぎる‼️
昭和46年初場所の大鵬ー玉の海戦も、手に汗握る大熱戦でしたね。大鵬、本割り、決定戦で、玉の海を倒して執念での、現役最後の優勝でした。😊
素晴らしい昭和‼️😄
この頃のシンプルな字幕、好きだなあ。
今は色もそうだけど情報が多すぎる。
疲れますよね。
大乃国自身を含め、これが最後の優勝になるとは誰も思ってなかっただろうな。
大変だったのは翌日。両者同じ新幹線で(まさに呉越同舟)帰京。
著名人の集まりに呼ばれるも、大乃国は「昨日は見事な逆転優勝でしたね」に対し、北勝海は「惜しかったですね」(と言われたところで、何かの賞が出るわけでもなく) 勝負の厳しさを痛感したと思う。
翌場所終盤に腰痛を発症し、半年も土俵に上がれず、この借りを返さんとばかり、翌年の初場所の大乃国戦と、同じく秋場所、千秋楽に給金相撲の懸かる大乃国を倒した北勝海に、「この日の屈辱をいつか晴らしてやる」が結実した気がする。
大乃国は優勝回数が少なく脆いところがあり下位の力士にとりこぼしも多いから弱いと言われていたが、旭富士や北勝海にはめっぽう強かったし、北の湖にも強かった。弱くはないです。
北勝海には北勝海の横綱昇進後は分が悪くなりましたけどね
小錦には負け越し、朝潮には18勝13敗、若嶋津に12勝10敗
残念なのは北大時代にならなかったことが悔やまれる。
北勝海関と大乃国関は同郷(ほぼ隣町)なんですよね。
「張出横綱」という番付も懐かしいです。
それにしても、横綱同士の千秋楽結びの一番ってここんところ、実現していませんね。
もし、霧島関が横綱になったら、その段階で照ノ富士関は引退するだろうけど、出来得れば、
久々に横綱同士の千秋楽結びを見たいですね。
大乃国はいかにもあんこ型のお相撲さんって感じが好きでしたね。
優勝回数は僅か😢だが
この時代唯一のガチンコ横綱🖐
この時点で北勝海24歳、大乃国25歳。今の日本人力士でこの若さで横綱になれる人材が皆無なことを考えると、隔世の感がある。
若者も少ないし他のスポーツの方が人気だからね
相撲が好きな若者なんてほとんどいないから仕方ない
大乃国が最後の優勝になるというのも信じがたいような感じです。
しかも北勝海と同い年の双羽黒は先に横綱になってる。
この二人に関しては、北天祐や若島津よりは強かったから横綱になれたんだろうけどという評価でしかないな。
一時代後の貴乃花の時代にいたら横綱に多分なれてない。
魁皇より弱いと思う。
@@真田安房守-r4p だから何だ?別の時代と比べたらきりがないだろうが。
江戸や明治の横綱なんか今よりはるかに体が小さいんだし。
張り出し横綱。
当時は、まだこの設定がありました。張り出し大関、張り出し関脇。
三役のそれぞれの地位が3人以上存在すると、この表現が使われたのです。
いつのまにか無くなりましたね。
たまに張出前頭○枚目とかもありましたね
三役以上が絡む優勝決定戦、この頃は「かたや、こなた、」を入れての行司さんの触れだったのですね。今年11月場所の決定戦では「(大関)貴景勝に〜(小結)照ノ富士〜」でした。
さて、大乃国関の逆転優勝、お見事でした。向正面解説の常盤山親方(若秩父)は放駒部屋所属で横綱の苦悩を近くで見ていただけあり、声を詰まらせていましたね。
大乃国関はこれから1年少々は、優勝こそありませんでしたがほぼ優勝戦線に絡んでいました。一方の北勝海関は、後に「大乃国関に2番続けて負け、ショックと同時に疲れが出た」と仰ったように、この翌場所14日目に腰を痛め、昭和63年の後半3場所を棒に振りました。
この時点では、大乃国関がこの後優勝できずに引退し、北勝海関が5回優勝を重ねるとは考えにも及びませんでした。
両者の対戦は、この決定戦のように北勝海が攻めても最後に逆転って1番が多かったような。
でも平成元年の初場所の対戦は、北勝海の相撲人生でも1番の相撲だったと思う。
素晴らしいめいしょうぶ
昭和時代最後(昭和63年11月場所千秋楽)の取組、横綱千代の富士-横綱大乃国戦の場内アナウンスを担当したのも、当時十両格の木村城之介、のちの35代庄之助でした。私は今でも現在・過去の行司の中でも、場内アナウンスに関しては群を抜いてピカイチだと思っています。
私もそう思います!
その人と同じ時期にアナウンスしてた人の方がもっと昔の江戸風情?があったような気がする
本名内田順一さん。1988年の本場所の場内アナウンスはこの35代木村庄之助さんが担当されていた気がします。
同時代に、伊藤勝治さん(34代木村庄之助)という名手がいましたね。
@@貯金額が1億200万円の者 木村信孝(のち玉光)だと思う。おいらも好き。
@wurry77 ちょっと声が高くて澄んだ声色の人です。風情があって侘び寂びがありました。「東方、横綱千代の富士〜、北海道松前郡福島町出身九重部屋」「西方、大関小錦〜ハワイオアフ島出身高砂部屋」とか今でも耳に残ってます
対戦成績は大乃国20勝北勝海16勝
20-14ですね
千代の富士時代から曙貴時代になってしまった。
当時子供だった自分は大乃国が一番好きだった。この時の優勝を目の当たりにして物凄く喜んだのを覚えてる。
同じ年に千代の富士の連勝を止めたりと、弱い横綱のイメージがあるけど要所要所で大活躍するのがたまらない。
しかしアナウンサーも言ってるけど北海道は横綱産みすぎ(笑)
同世代の双羽黒は廃棄、北勝海も大乃国も28歳での引退した。旭富士も横綱在位9場所での引退した。千代の富士が引退してから相次いで、横綱が引退したために横綱不在となった。翌年の1993年平成5年の1月初場所後に曙が横綱昇進するまで。
27代木村庄之助の所作諸々の動作は今の木村玉治郎に受け継がれている。
決定戦は立ち合いで「二本入った」との実況だが、もろ差しを大乃国に阻まれて苦しくなったから蹴返しにいっている。昇進してからの攻めの圧力に加え、二度の三横綱総なめを成し遂げた時期の腰の重さ、土俵の使い方の上手さを味わえる貴重な二番を観られて嬉しい。
直接対決ではもう一番、北勝海の指が土俵の砂を払っているとしか見えなかったものがあり、あの結果が変わっていれば優勝回数1回だけでも違っていたのにと思う。
両横綱ともに、北海道十勝の出身❗
それが自民党の内輪もめに利用された。
大乃国が中川家の御抱えだったのに対抗して昭一さんへの世襲に納得がいかず中選挙区時代に中川家に逆らって出馬したのが昭一さんの父一郎さんの秘書だった宗男さんで保志に目を付けた。
宗男さんと理事長の関係の始まり。
さすがに魁傑関の弟子だけあって
大乃国関はクリーンな力士です。
高1だったかな、この当時の実況と解説はホント好き。行事の声も素晴らしい。今と何が変わってしまったんだろ…
大乃国の相撲は安心して観れますね。最強のガチンコ横綱です!
昭和49年名古屋場所の輪島対北の湖戦、ちょっと、力の差がありましたね。😅同じように、投げられてました。勝負の厳しさを垣間見た一番でしたね。😢
理事長vs広報部長
千代の富士時代の脇役やのちの曙貴時代の引き立て役で終わったのが残念。
北大時代を期待したが。
優勝決定戦は木村庄之助に替わって式守伊之助が行事を務めるんですね。
さすが、広報部長強い✨でも、理事長の相撲も素晴らしい✨
伊之助さんは草履が脱げても冷静に履き直し、しっかり裁いています。後に平成の名行司と呼ばれる28代庄之助さんですね。
間違いありません❗️😊
この場所が東正横綱の北勝海と相星だったがために、優勝した大乃国は最後まで東正横綱になれず引退してしまった。
好成績の場所も結局千代の富士や北勝海に優勝を攫われ、つくづく番付運のない横綱だったと思う。
貴乃花親方退職の騒動時、花田虎上氏は芝田山親方のことを「どういう方かよく存じています」とフォローしていたな。ガチンコだというのは、板井関が言い出したんだっけ!?現役時代は確かにそういうイメージの相撲だった。
一方で師匠としては、部屋を持ったのが遅かったこともあるが同世代の八角親方や伊勢ケ浜親方の実績には及ばずといった感じ…。弟子と訴訟もあったし…(しかしそれは貴乃花も同じ(^^; )
いずれにせよ、(誤解を考慮しても)いわゆる「善良な、いいひと」というイメージ(^^)
九重勢全盛時代、この人にもっと九重勢を倒して欲しかった(でないと、土俵が面白くないかったから(^^; )
この優勝決定戦を裁いた、25代式守伊之助(のち28代木村庄之助)は二声で呼び上げてますね。確か決定戦の時の呼び上げは一声のはずですが?呼び出しの寛吉さんの呼び上げのところがカットになっていますが、呼び出しも一声のはず。
確かにそうですよね
本割りではない取り組みですから
一声のはず
北勝海はこの屈辱的な敗戦を胸に秘め平成元年秋に7勝7敗の窮地に立たされた大乃国に星をゆずらず千秋楽に勝ったことを優勝パーティの時に本人に「相当悔しかったんでしょう」と聞いたら「俺のこと俺より知ってる、あれは親方にもほめられたよ」と笑ってました。
どっちに聞いたのかわからん
九重部屋は、この北勝海と頂点の千代の富士の両横綱がいたから最強だった。
2回目で最後の優勝でしたが大乃国は立派な横綱でしたよ!
気迫溢れていますね。
この場所は大乃国が苦手にしていた千代の富士が休場していて、チャンスではあった。千代の富士戦があったらどうなっていたのかな?
ここ一番になると緊張のあまり、敗戦が多かった大乃国。この千秋楽は終始落ち着いていた。
気の優しい誠実な人なんだろうが、勝負師向きではなかったんだろう、と思う。
なんてったって好きな食べ物が、うぐいすパンの横綱ですからね☺️
@@ladybird90210 自分が持ってた名鑑にもそれ書かれてたw なおうぐいすパン自体未だにわからない模様w
@@ladybird90210私の91年度名鑑では、うぐいすパン、あんみつ、焼肉と書いていました
大乃国はやっぱ弱い部分もあって評価を落としていますけど、相当強い力士で過小評価されていると思います。好きだったなぁ!
横綱である。
横綱になることの大変さを知っていれば、評価を落とすもなにもない。
しかも当時数少ないガチンコ相撲を貫いた人。
大乃国は太りすぎてパッとしなかった。
今の時代にいたら大横綱だろうね
北勝海は千代の富士との対戦がないというアドバンテージがあったことを考慮したら、この二人は実力的にほぼ互角だったと思います。
大乃国は2回の優勝ともに北勝海相手に決めている。この2人がいまは八角理事長と芝田山事業部長として、協会のツートップである。
決定戦、右かかとを浮かせながら回り込んで(しかも北勝海に渡し込まれそうになった左足も浮かせている)ギリギリのところで逆転するなんて、すごい技術だと思います。
この時の大乃国は、本割も含めて、表情がとても良いですね。
北勝海、突き押しの相撲で、8回優勝は立派ですね。😊
成績では大きな足跡を残せなかった大乃国の数少ないの輝きの時。千秋楽逆転優勝は相撲史に残るもの。この時点では、若乃花、大鵬、輪島しか居ませんでしたし。城之助さん(後の35代庄之助)の場内アナウンスも惚れ惚れするなぁ😙。
同時期にこの人ともう1人いたでしょ🤔
@@貯金額が1億200万円の者 誰ですかね?
@@山田市之助-q8l もう少し声の高いアナウンスの人が居たと思います✨
むしろその人の方がメインだったような🤔
城の助さん?はその人が居なくなってからメインになったような感じがします💦
@@貯金額が1億200万円の者 ああ、場内アナウンスの件ですね。マニアックになりますが、自分が相撲を見始めの頃(1972年位)の幕ノ内後半の場内アナウンスは城之助さんがメインだった感じで、ずっと続いていたが、1979年初場所辺りから幕ノ内後半の場内アナウンスは貴方の言う声の高い人に変わりましたね。自分は城之助さんの場内アナウンスに馴染んでいたので少しばかり寂しさみたいの有りましたが、1988年の春場所位から再び城之助さんが幕ノ内後半のアナウンスを担当するようになりました。
北勝海が禿げあがるとは世の中わからんね
これは大相撲史上伝説の大逆転優勝でした!!
確か、本割りで取っ捕まえて、決定戦で勝ったんだよな。序盤で一勝二敗だった時は大騒ぎしたけど。
+佐々木栄一郎 様
二日目と三日目に栃司と板井に負けてどうなるかと思いましたが、まさかの大逆転優勝でしたね。
この時点では千秋楽逆転優勝は若乃花、大鵬 、輪島しか居ませんでしたしね。
旭富士が八十吉を本割り、決定戦と撃破したのが一番印象にある
十勝勢対決!!
この二人は小錦が分が悪く、この二人にカモにされていた旭富士は小錦に強かった。相性という言葉がしっくり来る関係だと思う。
K1なんかもそうだけど、大きさとか取り口でモロに相性ってありますよね😃旭富士と言えば当時随一の相撲巧者ですけども、千代の富士を大変苦手にしてましたよね😃たぶん千代の富士にとっては旭富士の身長・体重・体格がちょうど良く、かつ右の相寄っつだったから料理しやすかったのかも知れませんね😃千代の富士は旭富士以上の相撲巧者でもあったのだと思いますが、昭和の大横綱って称号が前面に出てたから、わざわざ相撲巧者って言い方はされなかっただけかもですね😃
morico1119
で、その旭富士に分がよかった千代の富士は小錦のパワーに度々苦杯を舐めさせられてる
北勝海は特別小錦に相性悪いわけでは無かったよ
おおのくには確かに小錦に弱かった。対戦成績よりも内容が。
大乃国は北勝海、旭富士に強く、小錦霧島に弱い。
前に隆の里が千代の富士に非常に強くその千代の富士が琴風に滅法分が良かった。しかし琴風は隆の里を得意にしていた。三すくみでした😅。
八角親方VS芝田山親方ですね。
理事長と広報部長。今の相撲協会を支える重要な二人!
大乃国さんは優しいよ!
北勝海も大乃国も力士の模範になる横綱でしたよ。そもそも横綱昇進するだけでも凄い事。72人しかいないわけだし。
八角さんは千代の富士さんの弟弟子。関脇まではガチンコだったが・・何を言いたいかはお分かりでしょうが。
千代の富士さん同様、力士の模範になるとは言いがたいと思います。
@@potetosenpai そうですよね。
そんな奴が今や理事長ですよ?
八百の富士の子分のくせに
ガチ感満載
私は北勝海の大ファンでしたがこの屈辱的な敗戦はのちに平成元年の9月場所大乃国7勝7敗で迎えた千秋楽に当たった時に晴らすことになりました。知人の紹介で北勝海関と話す機会があり7勝7敗の苦境の大乃国に手を抜くどころか快勝し負け越しに追い込んだのはこの敗戦が頭にあったからですよねと横綱に聞いたら「あんた、オレよりオレのこと詳しいよ。」と笑いながら言って下さいました。
KOH YAMANAGI
草
なお、今や理事長の座を追われかねない模様
89年秋の7勝7敗の時の対戦よりも、同年初場所の1番の方が雪辱としては印象深い。あの一気の押しはすごかった
現理事長(北勝海)のお返しという言葉はよく覚えてます。二人とも中卒叩き上げで綱を張りました。今の力士の何倍も稽古してたと思います。今は叩き上げの力士探す大変ですね。時代の流れだからしょうがないですけど。
北勝海なんて、今では昇進が難しい低成績で横綱に昇進。当時は双羽黒もそうだった。大乃国も全勝優勝の後は12勝、13勝で昇進。
それ以降の横綱昇進者は、双羽黒事件や大乃国の不振により、煽りを受けたのは事実。その中でも一番不運だったのは旭富士だった。
北勝海がけたぐりや足取りしたイメージ無かったのでビックリ。北の富士さんはそういうの得意だったらしいので直伝かな?
大乃国は芽室 北勝海は広尾 どちらも十勝
大野国はガチンコでした
相撲王国北海道も今は昔
2人とも横綱になってすぐですね
「庄之助は1番しか裁かない」は誤りですね。
実際には決定戦は交代で裁いているんですよね。
優勝決定戦は「それぞれの地位に対応した行司が裁く」とあるので、庄之助が決定戦を裁くかは力士の地位次第である。だから、「庄之助は1番しか裁かない」が誤りとは言いきれない。まして、本割は言うまでもない。
横綱どうしの決定戦では庄之助なんでしょうかね。北の湖と千代の富士の伝説の決定戦は伊之助でしたよね。実はリアルタイムの時、自分は決定戦を何故庄之助が裁くのか気になりながら観てました。
かつてはそうだったが、熊谷後藤の立行司の時代は、2人で交代で裁こうと内内で取り決めしていたようだ。
場内アナウンスは後の35代木村庄之助となる内田順一氏ですね?
スイーツ親方の底力。
最近は本割、優勝決定戦と連勝しての逆転優勝が多くなった。12回ある。2024年令和6年11月九州場所終了時点
ホクトウミ、こんな人がまた理事長か。
張出横綱・張出大関の復活を希望します。
子供心にも、張出横綱よりも張出がつかない横綱の方が強くて偉いと認識でした。
これは後で知ったけど、張出大関はもうちょいで引退するのかなと言う感じで認識してましたね。
もう張出制度は復活しないんですかね、
のぼりは13本
実況は向坂松彦アナ、解説者の名前忘れたな・・・・出羽の海部屋出身の方だったと思う
でも絶対見てるはずです
千代の富士は休場してたんかな?
そうです。
脱臼で全休です。
若瀬川さんですね。解説は。
確か、休場してました。
ありがとうございます
本割が熊谷庄之助で決定戦がのちの後藤庄之助。
捌く行司が史上最強なのもいい。
大乃国は旭富士と北勝海より強かったですね。
対戦成績で勝ち越している。
この逆転優勝は見事だった。この時点では初代若乃花、大鵬、輪島しかいなかった。
座布団があちこち飛んでいます。
曙や若貴兄弟がデビューした場所ですね
魁皇も。
3:40あたりに若かりし拓郎さんが!
確かに拓郎さん、若いですね。
大乃国の方が通算でも大きくリードしてるし
20~14
向坂さんは同点決勝だったんだな。優勝決定戦というアナが多いが。
解説は若瀬川泰二氏。
張出横綱とか、なんか懐かしい😅
今やったら、張出横綱、張出大関ばっかやのに🤣
北勝海は千代の富士との対戦がなかったアドバンテージを差し引けば、この2人の実力はほぼ互角だったと考えていいのでは?
大乃国のほうが強かった
今は協会を支える2人です
この時代から若貴時代迄、大関が陥落する事珍しかったし、強かった。又、横綱に昇進した力士は大関から勢い落とす事無く駆け上がった。その後はモンゴル人横綱時代、稀勢の里は中卒入門横綱。その後は大関迄、横綱昇進どころか下手すると陥落と云う時代になった。学生相撲出身が多数を占める時代、生活環境、意識、考えが変わったからではないか?と思う。稽古量も。日本人横綱誕生願うが、昔人間の自分としてはかつての横綱、大関は強かった。
いたいと対戦したら
おおのくには勝てません(笑)(笑)
2:24
時代の順から言うと、魁皇は、朝青龍の前に横綱にしなかったのが、痛かった。
条件を満たしてない。優勝した次の場所は負け越しか休場
@@貴博リンダ そうでしたかなぁ。
最後の優勝の翌場所だけは頑張って優勝次点まで行ったけど、12日目までに3敗で脱落してたから昇進できなかったね。
一応千秋楽に朝青龍に勝って次点なら・・・って含みは持たせて、朝青龍には勝ったんだけど。
稀勢の里の場合は大関時代に休場ほぼなしだったから、あんなに短命のなるというのはあの時は予想できなかったけど、
魁皇の場合は、仮にあの時次点で昇進していたとしても、既にケガでちょくちょく休場してたしどのみち長持ちしなかったとは思う。
花の63組初土俵の場所
若乃花勝、貴乃花光司、曙太郎、魁皇博之など。
張出横綱、張出大関今はある⁉️
張出というのは番付上東西の枠に入りきらない力士を、番付の枠外左右に出っ張るように「張り出して」書かれることからそう呼ばれます。従って、横綱・大関がそれぞれ3人以上になれば、必ず張出は発生するわけです。
まれに、関脇・小結でも3人以上になれば張出は発生します。
大乃国が天敵の北勝海を勝ったのは珍しかったね
天敵ではありません。大乃国の方が対戦成績有利です。
大乃国の天敵は板井では?
保志
決定戦は式守伊之助でないと
2009年の初場所、秋場所は木村庄之助が優勝決定戦もさばいてたけど?
実際にそう言うアナウンサーもいましたが、実際は庄之助親方と伊之助親方が交互に優勝決定戦を裁き、両者の停年などが関わると例外があるという感じだったかと。
決定戦に関脇以下の力士のみ出場の際は、三役格の行司さんが裁いていますね。
@@NK-pt8qp そうでしたか‼️😄
東村山音頭
志村け
この優勝で、波に乗るかと思ったが。
やぱりガチンコ大乃国いいですね!この逆転優勝はファンは嬉しかったでしょうね
ua-cam.com/video/cqrUvLwt7O0/v-deo.html
この毛量でも禿げるのか…
ぶつかり稽古やりまくったかららしいね
擦り切れた…のか!? (^^;
決定戦は伊之助なんだな
木村庄之助は一日一番しか裁かないからだそうです。
この動画だけでなく、千代の富士見たさにコメントして、その返信をいただいてます。。皆さん千代の富士合掌の意味でご覧になってますね