1910年代 品川駅の横に海があった頃

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  • Опубліковано 18 жов 2024

КОМЕНТАРІ • 20

  • @うだお-r8l
    @うだお-r8l 8 місяців тому +2

    1907年頃の写真には築堤らしきものも写っていますね。
    初めて八ツ山橋に行った時はそこまで歴史ある場所とは知らなかったのですが、独特な雰囲気を感じ、たくさんシャッターを押しました。

  • @fujikokobayashi1100
    @fujikokobayashi1100 Рік тому +7

    子供の頃のお散歩道です☺️
    北品川に生まれ育った私です。
    懐かしいです🌻
    ありがとうございます🙏

  • @user-jg8wl5rc5z
    @user-jg8wl5rc5z Рік тому +9

    貴重な写真の数々をありがとうございました。新幹線駅工事前の品川駅港南口はよく利用しました。最初に港南口改札への通路に降りる階段が塞がれ、これから大工事が始まるのだと実感したのを覚えています。今は高輪口の工事中なんですね。品川駅はどんどん拡大していきますね。

  • @きたさんきたさん
    @きたさんきたさん Рік тому +3

    三田にある大正15年に開校した赤羽小学校に通っていましたが、校歌の3番の歌詞に
    間近く見ゆる品川の
    干潟に遊ぶ浜千鳥……
    がありました。
    昭和40年代に通っていたのですが、当時既に校舎から海など見えず、不思議な歌詞だな?と、思っていました。
    当時は新橋(汐留)から田町、品川にかけて海の上を埋め立てて線路を構築していて、三田からも海岸線がすぐそばにあったんですね。

  • @今日子佐藤-k5l
    @今日子佐藤-k5l Рік тому +6

    Google Mapで俯瞰した映像も良いですね。
    大井町に勤めていた頃隣の駅なのに、何故かあまり行く機会がありませんでした。もっと歩いてれば良かったな

  • @danslejardindecytrus
    @danslejardindecytrus Рік тому +4

    Merci beaucoup pour cette très belle vidéo ! 👍✨

  • @liveluck-mp1kh
    @liveluck-mp1kh Рік тому +8

    鉄道唱歌の三番……窓より近く品川の 台場も見えて波白く 海のあなたにうすがすむ 山は上総(かずさ)か房州か♪
    自分はこの江戸時代から脈々と続く東海道と海岸線がセットになった「品川」が見たくてたまらない!!!🤗🤗🤗

  • @ykunisan4400
    @ykunisan4400 Рік тому +6

    実は港区にあって品川区ではない品川駅。かつては海辺の駅だったのですね。
    八ツ山橋に平行している京浜急行ですが、新馬場駅までの立体交差工事が完了すると、
    ここの踏切は撤去されるそうです。まだまだ変わる品川駅周辺です。

  • @kurorock4087
    @kurorock4087 Рік тому +2

    高校生の時に原付免許が欲しく品川駅から鮫洲の免許センターに向かいました。その後も中型免許、普通自動車免許も。まだ東陽町が無かった時代です。
    その頃は京急への乗り換えが簡単だったと思います。

  • @ehehe123456
    @ehehe123456 Рік тому +2

    仕事で行き始めた数十年前は、駅舎も古く、港南口はまだ開発されてませんでした。今は綺麗になり、港南口等にも高層ビルが立ち、新幹線も停まるようになりました。

  • @blackswan3xx
    @blackswan3xx Рік тому +5

    お疲れさまです。ここ30年くらいで特に港南口側はガラッと変わりましたね。(ソニーが大崎からインターシティへ移転したころと重なるかな)
    港南口に行くには地下通路だった頃、中日新聞社とVANがあったような記憶があります。

  • @upload-sj8wv
    @upload-sj8wv Рік тому +2

    1:04 かつての駅舎が北側にあったということですが、八つ山橋は南側ですよね。

  • @eekitreatment
    @eekitreatment Рік тому +2

    元々東海道とは新道、つまり海岸線には無く、今の高輪台を登る、坂が存在しており、高輪台の一部を削り取り、多分今の品川プリンス辺りを削り取り、品川駅を増設しないと陸地が無かったと言われてます。その品川の海岸はy遠浅で有り、旧東海道の高輪台への坂を、聖坂と言い、慶応大本校の南側の位置する旧街道はツラい坂であった様です。この旧道沿いには多くの寺が存在し約30ほどが在りました、そのうち3つ程は住宅地によって消え失せ、魚藍坂近辺にも多く有り、赤尾浪士で有名な寺がそれです、寺が多い事から、幽霊坂とよばれる坂も有ります。当時、武家屋敷も多く、上屋敷が殆どですがその一つの徳川家出身地の尾張の松平家の殿様が、その上屋敷で乗馬訓練中、誤って落馬され、首を撃ったらしく即死されました。その時死骸を何処かで火葬して即席の葬式を上げなくてはならず、その際選ばれた寺が、海の脇の台地に有る、済海寺で葬式をあげ、墓を設置いたし、その時、江戸屋敷の徳川家より、済海寺は今で言う約1ヘクタール程の領地を授かっております、同時にその落馬事故では側近の2名が監督不届で、切腹をされております。
    その時の初代住職、無限聖、の名を取って、旧東海道の坂道に、聖坂と言われたと、有ります。済海寺の海側崖沿いには戦前迄は、その松平家の建てた檜造りの御祈り社屋が存在しておりました。遠浅の海は当時はアサリや多くの魚が獲れた海岸で有り、そこから馬で魚の樽を運びあげた、 魚藍坂などは、当時の海が直ぐそばに有った名残りでも有ります。なを済海寺の初代と言いますが、御本尊ははるばる平安時代に作製された仏像を牛で引っ張り、今の滋賀から運び入れたと有り、開山は1610年頃で有り、初代住職は滋賀から来られた坊さんで有ります。
    私の前世と深い関係ある、済海寺でも有ります。

  • @sinov6185
    @sinov6185 Рік тому +2

    西郷隆盛らの反対で、新橋-品川間の用地買収が難しく、海の上に線路を敷いたと聞いたことがあります。

    • @るるむ-r6d
      @るるむ-r6d 7 місяців тому

      陸軍省の西郷だけでなく内務省の大久保も反対でした

  • @ロック宮崎
    @ロック宮崎 Рік тому +2

    お疲れ様です、品川駅で違和感を感じるのが、昔の駅舎近くの北品川駅です。
    どう考えても南また東だと感じないと思いますが、なぜ北って感じますが調べたこともありません。
    又もう15年ぐらい前になりますか、品川駅前でものまねの松村さんがマラソンで倒れたって事故もありましたね。
    私的にはプリンスの映画館によく行った記憶がありますねー、今の高輪口から信号渡ってホテルの中を上っていくと映画館って記憶あります、最後見たのはゼブラーマンでした。

    • @ピロン-j1p
      @ピロン-j1p Рік тому +1

      品川区北品川にあるからでしょ。

    • @LIME287
      @LIME287 Рік тому +2

      昔の品川宿の北側だから北品川。品川駅はちなみに港区。

    • @ロック宮崎
      @ロック宮崎 Рік тому +1

      @@LIME287 品川宿があったんですねー、やはり昔からの名称で今の品川駅自体がそれも含めて使われたんですね、よくわかりましたありがとうございます。

  • @ZAN44244
    @ZAN44244 Рік тому +2

    4:21 画面後方に見えるのは駅ではなく新幹線の検修庫。その奥は新幹線12本収容できる車庫。
    映画 新幹線大爆破でも品川の車庫が登場。高倉健が爆弾の場所を電話で教えるシーン。