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関心をもって何度も拝見しました、ありがとうございます
この時代の徹底解説は非常に大切で重要だからありがたい。日本人の価値観を根底から再構成する為にとても必要な時代。世界最古代にして世界最先端でもある、最も豊かで平和な時代。
何だかんだ言って「ゆっくり解説」毎日見てる自分。
漢字伝来より前、本当に文字に当たるものはなかったのか。隋書には 文字はなくただ木を刻び縄を結ぶ(無文字唯刻木結繩)とありますね。漢字はないが象形文字のようなもので伝えていた、この真偽です。記号のような文字、私はあったと思っています。根拠は「書く」という言葉です。カク。伝わった漢字は筆と墨、つまり動物の毛と墨があればいいわけですから道具の作成に技術的困難はありません。これで字を記すわけですから、相応しい動詞としては、墨を「付ける」「塗る」あるいは「なでる」などの動詞が考えられますが、しかし日本人は文字は「カク」ものだと表現した。カクという言葉は痒い所を爪で掻いたり鋭い物で何かを引っ掻く時に使う言葉です。漢字は木や紙に筆で墨を付けたり塗ったり撫でたり這わせたりして記す文字なのに日本人は「カク」と表現した。 つまり、筆を使う漢字が伝わる以前に、原始的ではあるが木を引っ掻いて現わす記号文字のようなものが存在していたと考えられるわけです。隋書はこれを記録していたのだと思います。
墨は膠(にかわ)、俗にいうコラーゲンで固めます。これがあったのなら食生活ではゼラチン(純度の違いだけで同じもの)を使ったはずです。この痕跡を土器の底に見つければいい。縄文時代、ゼリーを食べていたかどうかです。なければ考古学とは無縁です。今のところ日本列島では見つかっていませんねえ。もちろん、妄想として楽しいですけど、動物の皮と墨といった組み合わせ(中世ヨーロッパの羊皮紙のような文化)はなかったと思いますよ。なにより、羊皮紙は麻紙(麻の繊維で漉かれた不織布)の代替品ですからね。アジアでは紀元前、夏華時代の紙がモンゴルでみつかっているそうですし、麻紙の方が製造も保存も簡単だったので時代が逆行します。
神代文字とかカタカムナありますね。
凄い推論。スクリーンショットします。😊
@@marcoeast 補足しますと、漢字の伝来の時に出来た新しい動詞は「記す」だと思います。墨の汁で、する=汁す(記す)。しかし書くの方が馴染み深かったので書くと言う言葉のほうが一般的に使われたのだと思います。 「縄を結ぶ」も現代での祝儀袋や香典袋に使われている水引「紅白や黒白の紐」と関連付けることが出来ます。縄の色や結び方で意味を表していた可能性が強いです。「刻木結繩」は米や織物を運ぶ時の荷札のようなものに使われていたのだと思います。
@@samosamo777 紙は接着剤がわりに楮(こうぞ)を使うのですが、その伝来には諸説あって江戸初期だったというのが通説です。ここで一気に印刷文化が華開いた(※1)からです。それ以前の代替品には三叉(みつまた)、葵(あおい)をつかいました。関西では木通(あけび)を使っていたという伝承があります。こうした理由から和紙は高級品だったので、文字は木片に書かれたと考えられてきました。木簡が荷札だった説も有力でした。しかし、紙は輸入品ではありません国産でした。庶民も広く麻紙(不縫布)をつかっています。この麻紙の伝来が通説では飛鳥時代とされています。ただ、紀元前から東南アジアには麻紙が広く使われた形跡があります。船の荷を運ぶのに必要だったからです。日本への伝来も弥生時代だったはずとわたしは考えます。(東京北区には紙の歴史資料館があったおけげですね)それ以前の文字があったかなかったか、わたしはなかったと考えますが、もちろん妄想も楽しいですよね。なにより、ゼーリーを食べていたなら極上です
長編の力作動画。遠い祖先に思いを馳せています。1:35:25 田向原 ⇒ 田名向原
54:00 旧石器時代から縄文時代の食事の違いを述べてるが、外洋航海できる造船技術・航海技術を持った人々がこれらの技術・知識を棄てて、大型哺乳動物の狩猟中心の生活・食文化になり、氷河期の終わりと共に小型哺乳動物の狩猟と漁撈を営む生活・食文化になったというのは無理があろう。旧石器時代から縄文時代に至るまで狩猟と漁撈を営む生活・食文化、土器の発明により煮炊き技術が高度化し更に食糧とできるものが増え、定住も可能となり、炭の発明により火力を上げることに成功し、土器が陶器へ進化、金属器の使用、農耕の発展へとつながっていったと考える方が無理がないのでは。キーポイントは氷河期の海水面高さによる当時の海岸線がどこにあったかであり、現在は海中深くに沈んでいる場所。このような場所の旧石器時代の遺跡の発見・発掘ができれば、科学的根拠が得られるのだと思う。一方で、日本人は他の民族に比べ、海藻を胃や腸で分解することができる酵素を多く持っていることが分かっており、海藻を食べ続け、このような酵素を集団で獲得するのにどれだけの世代を重ねる必要があるのか、という議論でもあろうかと思う。
氷河期で海が少ない時に造船、航海技術があっても意味ないし、当時は圧倒的に大型動物が多かったから大型動物中心の食事になって当たり前。氷河期が終わればそうした大型動物が大幅に減って小型の動物が増えたり海の面積が増えたんだからそれら中心の食事になるのは当たり前じゃないでしょうか。
古代象形文字と言われるペトログラフは、国内で百数十か所見つかっていて漢字象形文字よりも遥かに古いモノでメソポタミヤ文明のクサビ文字と共通するものもあり年代はメソポタミヤ文明よりも古い時代のものです。
対馬海峡は陸続きにならなかったというより、アムール川の河口部に位置する巨大な日本湖から絶えず流れ出す川の水流(リマン海流)によって、常に川底が削られて、陸続きにはならなかったような状態だったのかもしれない。
それは水位的に無理があって、瀬戸内の方へ水が流れないかな。樺太が陸続きなら日本海流はなかったわけだしね
@@MedakaNoBoo氷河期の一番寒い時に、津軽海峡と対馬海峡は一番狭く浅くなって、だんだん温暖化すると共に、日本海の水位がだんだん上がった。つまり大陸側からも日本海側からも、陸の氷がどんどん解けて日本海に流れ込んだわけで、その時に、狭く浅い状態から、だんだん広がる対馬海峡から、日本海の水が東シナ海に向けて流れ出ていた可能性はあるのかも?ですね。
この分野は新しい研究が出てきたり思い込みも激しかったりして、なかなか難しいよな…
家の亡くなった祖父は、縄文時代から続く筑波山麓の豪族の出身で、とても血筋を大切にしていたそうです。
一説には、日高見の国は千葉や茨城の辺りだったのではないかと言われていますから、お祖父様は世が世ならば統治者だったかもしれないですね!ぜひ、ご先祖様を敬ってください😊
そういう人の一族の遺伝子解析したら、新たな事実の発見や伝承の証拠が見つかったりするかもしれませんね。
@@user-sg6ec8pn5iY染色体調べたらO系統だったらウケるよね🤣
数万年前に森林限界より200m上で黒曜石を採り、さらにその石を半径数100㌔で交易してたかもしれないと考えると胸熱すぎる。
森林限界より上ってことは、その都度登ったでなく住んでいたって事なので唆るよねえ
@@MedakaNoBoo あと群馬は岩塩取れないはずなので、黒曜石と塩(塩分が含まれるもの含む)と交易してたと考えると余計にロマンが膨れますよね🙈
北京原人のような旧人類が日本列島を含むアジア広範にいた可能性もある。
丸木舟も海上で4艘くらい繋ぎ合わせれば、高さ10mくらいの簡易的な物見櫓が作れると思う。そういうので遠くの島の位置を確認したりしてたんじゃないなーと、子供の頃は想像してた。
もし、富士山が噴火しなかったら何年前の遺跡が発掘されたんだろ?
今日は仙台には旧石器時代の森と炉の跡石器を埋めた穴がそのまま保存してます。地底の森資料館です。また隣町の名取市からも旧石器が見つかってます。
いつも楽しく勉強させて頂いてす。何回か気になっていたことがあって、すいません。小さな島国ではないとゆうことです😢日本人がよく言っているのが、前から気になっていました。島としてはむしろ大きいほうです。大陸と比べるとおかしなことになります。国の広さとしても、世界の真ん中ぐらいのサイズですよ。ゴメンナサイ。これからも応援しています。
日本を欧州と比較したら決して小さな国ではないと言う話はネットで何度も見るようになりました。日本を小さな島国と表現するのもいわゆる戦後自虐史観というヤツなのかもしれません。私の個人的な感想ですみませんが、やはり日中戦争と太平洋戦争という大陸国家との戦争のあとに小さな島国日本という概念が定着したとしか思えない気がします。ネットで自虐史観を再考する考え方が広まったように欧州諸国と比較したら決して小さいわけではないって考え方も同様に思えました。
メルカトル図法の世界地図の影響も否めませんね。
確かに小さな島ではないけどさ、日本列島が国家だったわけでもないよ。弥生時代に国を構成していたのが九州だけとすればね。
西にロシア・中国、東にアメリカ・カナダじゃ頭バグるのもしゃーない。
神代文字 アヒル草文字 カタカムナ 龍体文字 ホツマ文字 あわ歌フトマニ ホメミ文字 ひふみ祝詞
日本の旧石器時代が余りに古過ぎると世界的歴史文明の発祥地に問題が出るからでしょうね 日本の旧石器時代に早くから磨製石器が見つかって居り、世界的には新石器時代に相当しますし、 1番新しい旧石器時代と縄文時代の接点でも4万5千年前と云う古さに、既に高度な土器が造られて居た訳ですから、これからの研究と発掘が楽しみにですよね!
漢字の前は、カタカムナがあったんじゃないかな
スピリチアル的には縄文時代はもっともっと以前からあったらしいのだが、それは途方もない話なので徐々に解明されていくと思う。
新石器時代が抜けて旧石器時代から縄文時代に飛んでますね!
それは、新石器時代の定義ですかね。縄文時代の様式を比較するとわかります。
サムネの画なんか好き
旧石器時代は不思議な時代です。主に中部山岳地帯から北海道にかけて、今は寒冷地と呼ばれる所に遺跡や痕跡があります。しかし、稀に九州にもありますから、大陸からの移動がからんでいるのか?気候が温暖だったのか?ちなみに黒曜石の産地は長野県の山にあります。
ギャートルズまた放送してほしいな
石を焼いて調理すると 遠赤外線が出ますまさに 石焼き芋状態。 我々の先祖は私達より おいしくて健康な食事をしていたかも知れませんね。 家族で楽しく食べる姿が 想像されます。 o(^o^)o
完全無添加で旬の採れたて食材ですからね
今でもサバキ包丁は関西型と関東型って分かれていますが、そんな昔から分かれていたとは😅
旧石器時代のヒトが見晴らしの良い場所にテントを張った理由はヒトが獲物を探すためというより、森の王者であるオオカミやクマの狩りの対象にならないためじゃないか?
Y染色体を調べた結果を調べて教えて下さい。
西から東に移動するとして、最先端技術を持った持った集団がより良い土地を求めて東へ東へ求めて、東の果てにたどり着いて、文化が花開いて西に戻ったら、伝説になりやすいよね
地球のダイナミズムには人類活動の温暖化なぞ微差にしかならないなー
バカばかしい。平均気温が2°あがるってことは、最高、最低気温は±9°ほど歪むことになる。それが地球のダイナミズムってものだよ。それに人類が耐えられるかどうか、そこが問題ってだけだからね
逆に地球のダイナミズムが、人類の進化、人種の存亡、文明の変化などに大きく影響してるらしいですね。人類発生の遥か以前にも生物の繁栄や大絶滅などの原因になっているとか…
なんだか凄すぎて、恐るべし神国日本
石器を作って食料等と交換する職人みたいな人達もいたかも
セム系は黒髪だが顔立ちは白人やハム系のアラブ人と同じコーカソイドであることを明示することで、より具体的に理解できると思います。なお、肌が浅黒いのは日焼けじゃないですか?
そもそも旧石器時代にそんなに移動するものなんだろうか?よく日本に人類がやってきたというけれど遺伝学的にも日本人と同じ遺伝子が周辺国からは見つからないことから大いに疑問である。そして日本人と同じ遺伝子を持つ人たちはかなり離れたところでその痕跡がある
地図がなくても、沿岸で魚が取れなくなって、舟で沖に出て漁をするうちに、流されて島に流れ着いて定住したんでしょうね。前にもコメントあったかもしれないけど重複してたらごめんね。
人類アフリカ起源説っていつかまたひっくり返りそうな予感…
2万年も続いたとかその間にここ100年間て発明したものを2万年の間に発明出来なかったのかと素人の俺の素朴な疑問
逆に、ここ100年の発明に至るためには、人種的にはほぼ同じホモサピエンスであっても、2万年もの蓄積による「文明の基礎」を必要としたんだと思います。
収穫加速の法則で調べると面白いかも
文字を発明できていれば、凄いことになっていたかも
ヤバい文明があったかもしれないよ
文明は人類が電気を使えるようになってから急速に発展した。電気というものがこの世にあるのは数千年前から知られていたが、どうすれば使えるのか?が誰にも分からなかったらしい。
写真の青森県の石器は、磨製石器に見えるがそれは新石器では?
草束船でも草を編んで穂を付ければ黒潮を渡れたのでわ?アシで草束船でアシを編んだ穂を付けるのには石器があれば充分。
葦舟では再現して試したが黒潮に流され失敗した、とNHKで放送していたですよ。
@@user-wz3vk7ip5o さん。その再現だけど古代の人を見くびって、ちゃんと柱を立てある程度の規模で作り確りと風を受けて操れる帆を張ったかは些か疑問に思う。帆を張らないと無理だから。
@@NHK-Scramble さんたしかにあの映像では帆が見えていなかった。何人かが必死で漕ぎまくっていた。一部は寝ずに漕ぎまくっていたように思う。
再現実験あるあるですよね。当時の人だっていざ大きな航海するにあたっては、普段しない工夫をしたはずなんですよ。帆の発想はそんなに難しいのかな。
縄文時代に比べると旧石器時代は人気ないよね、昔過ぎるからか、あとすごく寒かったのも親近感が湧きにくいのかな?
ゴッドハンド藤村から尻の穴まで無茶苦茶にされた旧石器時代学界。😂いくら怪しくても大声上げて立ち向かわずに『俺には関係ない』と漫然として眺めていると世間から「嘘つき馬鹿」と書かれた紙を背中に張られる。
???「ここに石器をひとつまみっと」
ヒントは鳥だと思うけどね島は見えなくても鳥が向かう方向には何かあると考えて大海に乗り出したのでは?
こうゆう動画のコメ欄に現れる有識者って何者なんや……
D2系統は関西では、55%にもなると伺った事が在りましたぞ⤴❗。
動画2時間はやりすぎでしょと思ったけど4万年に比べたら塵みたいな時間だったわ
三内丸山遺跡に行きました。私のご先祖様が生活していたかも?
はじめ人間ギャートルズ世代。
男ってのはなゴン、マンモスを倒せてはじめて一人前なんだぞ。
マンモスを倒すのは大人数での共同狩猟作戦でしょうか?だとしたら共同作戦のカシラを任されるオトコになれって意味でしょうか?それとも共同作戦に参加を許されるくらいのオトコになれ参加もさせてもらえない半人前じゃだめだぞみたいな感じでしょうか?漫画をネタに妄想膨らませ過ぎですみません。
@@user-gu3eu2gd7i かか😅つ
でも父ちゃんのはマンモスじゃないからなぁ
くだらねえ、面白いけどね。相手は大型哺乳類なので仲間と協力して役目を果たせと教えるところだが。でも、人間ってそんなに変わってはいなくて、そういう、なにか男っぽいこと言っちゃう人もいたんだろうなあ。
なんでHUNTER × HUNTER出てくんだよwそれジンのセリフか?
石器時代から定住型(大規模集落)だった⁈しかし、本当に肉(大型哺乳類)が主流だったのかな?今の日本人腸が長いとも聞きます。(腸内免疫力も強いとも)海苔を消化出来るのも少数なのでしょう⁈これは穀物主流だったのじゃないかと思ってますけど?(穀物主流になったのは縄文からとか?、、、解説もそうなってるね!)日本の黒曜石がサハリンなどで使用されたってどう言う経緯でそうなったんだろ?製造者個人が持って行ったってのは考え難いだろうし、集落同士での貿易なんて無いんだろうし物々交換で点々と渡って行ったのかな?(思考が貧困?)
一万年後の未来人が、今の時代を、SiやGaを使った「超石器時代」と呼ぶかも知れないね。
青森県辺りにも!?縄文人が住んで居ましたが!?当時は青森県辺りも暖かな地域だったからなのですが!?、どの様に?!北上したのか❓又は?ユーラシア大陸から直接青森県辺りにも移入して来たのか?!。教えてくださいな⤴❓❕⭕。
集団での狩りがあったとすると、日本列島では旧石器時代でも【空気を読む】文化があったんじゃないかな!?今日は『寒いな~』と誰かが言ったら、誰かが『焚き火』を起こしていたかもね!
アフリカから ユーラシア大陸の 東の端の日本に たどり着くまでに洗練され 忍耐と知恵と協調性を身に付け 今日の日本を作ったのが我々日本人だと思います。 日本人であることに 誇りを 持てますね。 (^o^)
その考え方だとそこから北方ロシアを経由してアメリカ大陸を渡り、南下して行き着いたインディアンは最強ですな!(DNA上 インディアンは古モンゴロイド。大和人とはかなり接点があって同系統という説がある為。因みにイヌイットもアイヌも同種系統。)
縄文人なら陸路ではなく海路だと思いますね。特性として海流を現代の高速道路のような感覚で丸木舟を使用していたからですね、食性も海産物が多い。最終氷期が始まり6.5万年程前に中央アジアへ到達した最初の一人がDハプログループですね。4回の亜氷期がありますが何れかで南下しチベット族などと分かれて気温が上昇したタイミングで米やカボチャと共に東南アジア経由で北上開始したのかもしれないと想像しています。(米は一旦長江下流域で根付いたか古代米が同時並行でそのまま持ち込まれて変異したか長江から持ちこんだか時期が不明)黄河流域は北限なので半島経由は厳しいので黒潮使い長江→沖縄陸稲栽培→日向コースか
カボチャ→中米原産で大航海時代にヨーロッパ人によって東南アジアに伝来
@@kaigon6181 それもあるが、冬至に南瓜を食べる風習と結びつかない。もっと具体的に言えば大航海時代より前から知っていたとしてもおかしくない。或いは縄文人なら既に中米まで行けたかですね。エクアドルに縄文土器に似た話ならありますが。
ペルーへはポリネシアからペルー海流に乗り赤道に戻る海流がありますが、その場合でも、ラピタ人の方が航続距離が長く丸木舟よりも横波に強いアウトトリガーカヌーがありますから先にラピタ人が到達し交易で手に入れた可能性はあり得ます。あくまで推論です。丸木舟だと縄文海進前でもニュージーランドから南米までかなり距離がありますからね。ベーリング海については南米のミイラからズビニ鈎虫(寄生虫)の卵が見つかっていますが、5℃以下では死滅しますので、ベーリング海以外からも渡米してくるルートが有るのでは無いかと思われます。勿論、ベーリング海を経由した他の部族もいたようですが、それで全てでも無い様です。なので可能性の一つだと思います。しかしカンボジア原産と申し上げたのは、やはりスンダランド、遅くとも縄文海進前にはまだ陸だった可能性は有り。縄文人ならこちらのルートが確保しやすいと思われます。ポリネシアが持ち込んだ可能もありえますね。
日本に沢山マンモスが渡ってきたって言う割には日本にマンモスの化石?遺骨?少ないと重んだけどほとんど灰になっちゃったのかな
弥生→オホーツク人→アイヌ
縄文とは別で:すよ。@@semou1756
北海道は弥生時代がなく別の年表になります。
大学の講義が2時間だった。
弓の弦は何製❓❕。又‥排泄法は⁉どの様にしてたのかな❓❕。寿命が平均年齢40才未満だった訳ですが!?、分娩時はどの様にして居たのだろう❓と想います❗。教えてくださいな⤴❓❕⭕。
旧石器時代に獣の肉オンリーと何故わかる??今まで痕跡が見当たらないからなかったということにはならない悪魔の証明に同じ思い込みで決めつけはナンセンス
20年以上前に歴史を学んだ人は70万年前には日本に人類はいたんじゃないかと思われたけど、藤村新一氏のせいで訳がわからなくなったんですよね😅 あと、地層や放射性炭素年代測定法だけじゃなく石器そのものを打製石器か偽石器を判定できる方法を大学で教えてるのかな? 考古学専攻してる学生さん、コメントお願いします。
ホモサピエンスというか現生人類、石器時代になるのか..........
しかし、簡単な石器や、コーティングしていない土器を見ると、遅れていると感じてしまうけど、核戦争で自然の中に放り出されたら、簡単な土器すら作れないから、旧石器時代の人が偉大に思えます。(^◇^;)
はい間違い。日本からは12万年前の打製石器が見つかっています。
出雲の12万年前だったら大陸と陸続きの時代だから人類は無理なく移動してこれたのではないかと思う。
氷河期に氷原で覆われた大陸を通って人間が移動してきたとは考えにくいです。まず氷河期の間に南方から海伝いに移動した人がいて氷河期が終わる頃大陸からも移動してきたと考えるのが自然です。海彦山彦の神話は海彦=漁労農耕を生業とする平和的な南方系民族の土地に山彦=狩猟採集の好戦的な北方系民族が侵入し、南方系民族を武力で制圧した歴史を物語っているのだと考えると納得がいきます。
しかしながら氷河期にベーリング海峡を渡ったモンゴロイドが南北アメリカ大陸先住民になったって話もきいたような・・・
シベリアから極東は草原ー森林ですよ。だから、マンモスが生きてられる。そして、東中国海の大陸棚は広大な平原。列島もほとんど陸続き。氷床が発達したのはヨーロッパ、北米。日本付近は、高山地帯以外は氷河はなかった
海幸彦山幸彦はさておいて、イヌイットの狩猟生活はひと冬で数百km移動するものでした。北からの方が移動は容易だと考えることもできますよね
なん編かのものを寄せ集めたため長くなっているんですね。後土器時代に使った黒曜石が日本製のものがバイカル湖周辺で発見ではなくバイカル湖周辺と日本列島がくっついていたと推測したほうが自然では?ましてや火山大爆発が少なくとも2回あり寒冷期が続いた大変動時代だったということであれば陸続きであった日本列島が分離する時ではなかったかと思う。大きな湖というより大陸に横にへばりつくようにくっついていたのでは?現在の海岸線を大陸の海岸線と見比べても矛盾はないのではと思う。マンモスが北方北海道のほうだけでなくバイカル湖周辺から福井の近辺でもいてそれを集団で狩りして大量の食物としてしばらく集団の生きていく糧として存在した。
その頃この地に居住してたってだけでしょ日本人の祖先とは思え無いんだけど卑弥呼見たいな特殊人が祖先とした方がロマンがあるわな。
ゴッドハーンド!!😊
「わ」の発想はおもしろいけど、「お盆」は中国の先祖信仰とインドの仏教が結びついた「盂蘭盆」が元だとする説が結構強いですし、東アジア圏だと盆って結構盛んなので「日本語を話す人達だけがおこなっている」ってその辺はちょっと違うかなと思いました。本筋からはずれてるかもですが、なんかむずむずしたので。「盆踊り」はまぁ・・・日本なのかなぁ?
中国の民族にも輪になって踊る人たちいた気がする
一万〜二万年前は日本海は日本湖
同時代の古代中国では文字があって歴史が残されているの羨ましいな😢
残ってないよw
石器時代は記録残ってないですよね😅
マヤ語 ヘブライ語が日本語 大火山の噴火後日本の大君は世界に広がって日本文明が世界の文明を 作るそれぞれの大君が マイ文字を 作った
欧州のキリスト紀元の歴史は浅すぎるやはり日本の歴史を明確にしてほしい
ドラえもんのび太の日本誕生
カタカムナの文字があったのでは?
皆無では無いだろうが、太古の時代に何万何十万もの人間が、海を渡って日本列島に渡って来たと言う事は考えにくい。アイヌは北方民族であり、縄文人が変化したものでは無い。
大陸から大挙して押し寄せたんじゃなくて、少数の移民が日本で稲作して子孫を爆発的に増やしまくって縄文人を圧倒したんでしょ
物的証拠はなくても、文化の伝播の正確性、物資の流通の度合いから、なんらかの文字情報はあったと考えるのが自然らしいですよ。口伝じゃ、伝言ゲームみたいにめちゃくちゃになってしまい、そんな正確に伝えられないんだって。口伝だけじゃ無理なんだって。日本の考古学畑の人あるあるだけど、あった証拠がないとなかったと簡単に言ってしまいがち。なかったと言うためには、ないというための根拠が必要。文字については、今のところ、あった証拠は発見されていないということだけ。
大型動物の狩りは落とし穴じゃ?
のび太君がよく知ってるよそれ
喋りは自然なのがぃい
大東亜戦争終戦時フイリピンから日本までイカダで帰国した軍人もいた
海野十三作品ですね。あれは作り話でしょう
いつかタイムマシンで見れるかね
未来人来ないね。
習ったり情報として入ったモノの延長線としての総編集なんだなと納得がいくけどが少し疑問も残るあまりにも教科書的な情報だと感じる。
その通りだと思います。日本には岩窟文字遺跡(ここではないことになっている、日本の古代史の一部否定)がたくさんあるそうです(とびぬけて多いらしい。他の遺跡も然り)。 ちなみに、世界の岩窟文字はほとんど日本の古代文字(神代文字)で解読できるらしい。 これが何を意味するかというとつまり世界の文明の元はほとんどが日本が起源だということだと思います。 今の世界の表向きの潮流は、そのことを戦争に負けた日本人には教えないということになっているようです。 つまり、日本以外の国の人はそのことを理解している人が多いということだと思います(知らぬは本人だけということ)。古代ヘブライ語なんてもろ日本の古代言語のひとつ(日本の太古の王朝では1千年近く続く代が変わると言葉も再編された時代もあったようです。)のようです。にほんがんばれ!!!個人の勝手な意見でした。間違っていたらごめんなさい。
列島内の遺跡1万箇所と言うのも岩宿もそうだけど石器時代から縄文末期まで恐ろしく長い間集落を営んでたりしてて正確にカウントしてないままの遺跡も想像以上に多いと聞いた。
田名向原遺跡ね。
BGMでかい
肉ばっか食べてたら血液どろどろになったりしなかったのかな。
大昔の人は狩猟民族だったから移動してエネルギーを常に消費しながら生活してたから肉でエネルギーチャージするのが丁度よかった
あなたの動画よく見るの…いったい 何者?不思議…
いまの日本人と当時の日本人は人種のルーツ的にも違うんだろうな
人類は全地球的に広く分布して各地で進化した。確率的にアフリカだけで誕生したというのはおかしい。日本人はやってきたのではない。アボリジニも海を渡ったというのかね。
太古の人たちはデニソワ人達が原始的にあちこちで居住していたのだと考えます。全体的に人口が少ない時代が続いていって、徐々にユ−ラシア大陸各地から古代の戦乱に破れたり、居られなくなった大陸の人達が各地から難民みたいに渡ってきて、同化したりしてきて現代にまでなってきたのではないのかと考えるようになりました。
輪→和→倭つまりこういうこと!?
ん?イズモノクニだろ出雲人は72000年前からすんでたけど
年表が対数グラフのようになってて分かりにくい。
古代に文字がなかったというのは誤りだし、文字が中国から渡ってきたというのも間違い。文字はどの言語であっても物や想いなどを顕すための音を形(象形文字)から始まり独自に進化している。動画では漢字からかなとカナができたと紹介しているが順番が違っていて日本では一番初めに象形文字からカタカナがきちんと意思疎通できる文字となった。少し遅れてその後に漢字ができて万葉仮名になりひらがなとなった。いきなり漢字からというのは無理がある。この辺りは常用漢字ではなく旧書体の漢字を見ないとわからない。例えるなら「気」は太陽の光、雲、風の作用で米ができるから旧書体では「氣」となる。こういうのを想うときにいつも「おのれGHQ」っておもうよ・・・ホント・・・
日本列島に人類が移住してきたと杓子定規に考えると、それで思考停止になってしまいませんか?今は、アフリカ中央部から人類が散らばっていったと言う説も、絶対ではなくなってきています。最近では、日本に住む人類こそ、日本列島で誕生したと言う説もあるようです。僕も素人なので詳細なことは知りませんが、まずはそこから疑問に思う姿勢こそが大事なのではないかと思います。
今の人類もまだおらんわなあ。
わ、倭、和、大和
確実に言えるのは、俺の年齢ではすでにこの時代の寿命をとっくに過ぎて骨になっているということだ。この時代の人間本来の寿命などたかだか40歳前後だろう。その代わり、老衰、痴呆症などない。ガン、心臓病すらないかもしれない。ほとんど栄養失調、ウイルスその他の感染症や怪我の悪化だろう。乳幼児の生存率はどれくらいだったのだろう。極論ワクチンのおかげで人間の寿命が80年とか言えると思う。反ワクチン原理主義者はどう思うのだろうか。
アイヌは12-13世紀にモンゴルに圧迫されて南下してきた縄文人とは全く異なるゲノムをもった種族とされてますが?
アイヌの大半はY染色体ハプログループDなのおかしくない?縄文人由来の遺伝子だよ
日本だけ言語体系が違っている、これだけを見ても大陸から移動してきたとか、他民族に占領されたことが無いと分かる。 他国と類似点が見つかると、その影響を日本が受けた・・・と言われるが、誰も日本が他国に影響を与えたとは言わない。 どうしてだろう
暗記したからじゃないですか? 温暖で水や食料が豊かな日本では、不労人口が2割ほどと多くて、日本人にとってはただ遊びの延長ですが、必要なことはすべて丸暗記ができる人類は限られますからね
関心をもって何度も拝見しました、ありがとうございます
この時代の徹底解説は非常に大切で重要だからありがたい。
日本人の価値観を根底から再構成する為にとても必要な時代。
世界最古代にして世界最先端でもある、
最も豊かで平和な時代。
何だかんだ言って「ゆっくり解説」毎日見てる自分。
漢字伝来より前、本当に文字に当たるものはなかったのか。隋書には 文字はなくただ木を刻び縄を結ぶ(無文字唯刻木結繩)とありますね。漢字はないが象形文字のようなもので伝えていた、この真偽です。
記号のような文字、私はあったと思っています。根拠は「書く」という言葉です。カク。
伝わった漢字は筆と墨、つまり動物の毛と墨があればいいわけですから道具の作成に技術的困難はありません。これで字を記すわけですから、相応しい動詞としては、墨を「付ける」「塗る」あるいは「なでる」などの動詞が考えられますが、しかし日本人は文字は「カク」ものだと表現した。カクという言葉は痒い所を爪で掻いたり鋭い物で何かを引っ掻く時に使う言葉です。漢字は木や紙に筆で墨を付けたり塗ったり撫でたり這わせたりして記す文字なのに日本人は「カク」と表現した。
つまり、筆を使う漢字が伝わる以前に、原始的ではあるが木を引っ掻いて現わす記号文字のようなものが存在していたと考えられるわけです。隋書はこれを記録していたのだと思います。
墨は膠(にかわ)、俗にいうコラーゲンで固めます。これがあったのなら食生活ではゼラチン(純度の違いだけで同じもの)を使ったはずです。この痕跡を土器の底に見つければいい。
縄文時代、ゼリーを食べていたかどうかです。なければ考古学とは無縁です。今のところ日本列島では見つかっていませんねえ。もちろん、妄想として楽しいですけど、動物の皮と墨といった組み合わせ(中世ヨーロッパの羊皮紙のような文化)はなかったと思いますよ。なにより、羊皮紙は麻紙(麻の繊維で漉かれた不織布)の代替品ですからね。アジアでは紀元前、夏華時代の紙がモンゴルでみつかっているそうですし、麻紙の方が製造も保存も簡単だったので時代が逆行します。
神代文字とかカタカムナありますね。
凄い推論。
スクリーンショットします。😊
@@marcoeast 補足しますと、漢字の伝来の時に出来た新しい動詞は「記す」だと思います。墨の汁で、する=汁す(記す)。しかし書くの方が馴染み深かったので書くと言う言葉のほうが一般的に使われたのだと思います。
「縄を結ぶ」も現代での祝儀袋や香典袋に使われている水引「紅白や黒白の紐」と関連付けることが出来ます。縄の色や結び方で意味を表していた可能性が強いです。
「刻木結繩」は米や織物を運ぶ時の荷札のようなものに使われていたのだと思います。
@@samosamo777
紙は接着剤がわりに楮(こうぞ)を使うのですが、その伝来には諸説あって江戸初期だったというのが通説です。ここで一気に印刷文化が華開いた(※1)からです。それ以前の代替品には三叉(みつまた)、葵(あおい)をつかいました。関西では木通(あけび)を使っていたという伝承があります。
こうした理由から和紙は高級品だったので、文字は木片に書かれたと考えられてきました。木簡が荷札だった説も有力でした。しかし、紙は輸入品ではありません国産でした。庶民も広く麻紙(不縫布)をつかっています。この麻紙の伝来が通説では飛鳥時代とされています。ただ、紀元前から東南アジアには麻紙が広く使われた形跡があります。船の荷を運ぶのに必要だったからです。日本への伝来も弥生時代だったはずとわたしは考えます。(東京北区には紙の歴史資料館があったおけげですね)
それ以前の文字があったかなかったか、わたしはなかったと考えますが、もちろん妄想も楽しいですよね。なにより、ゼーリーを食べていたなら極上です
長編の力作動画。遠い祖先に思いを馳せています。1:35:25 田向原 ⇒ 田名向原
54:00 旧石器時代から縄文時代の食事の違いを述べてるが、外洋航海できる造船技術・航海技術を持った人々がこれらの技術・知識を棄てて、
大型哺乳動物の狩猟中心の生活・食文化になり、氷河期の終わりと共に小型哺乳動物の狩猟と漁撈を営む生活・食文化になったというのは無理があろう。
旧石器時代から縄文時代に至るまで狩猟と漁撈を営む生活・食文化、土器の発明により煮炊き技術が高度化し更に食糧とできるものが増え、定住も可能となり、
炭の発明により火力を上げることに成功し、土器が陶器へ進化、金属器の使用、農耕の発展へとつながっていったと考える方が無理がないのでは。
キーポイントは氷河期の海水面高さによる当時の海岸線がどこにあったかであり、現在は海中深くに沈んでいる場所。
このような場所の旧石器時代の遺跡の発見・発掘ができれば、科学的根拠が得られるのだと思う。
一方で、日本人は他の民族に比べ、海藻を胃や腸で分解することができる酵素を多く持っていることが分かっており、
海藻を食べ続け、このような酵素を集団で獲得するのにどれだけの世代を重ねる必要があるのか、という議論でもあろうかと思う。
氷河期で海が少ない時に造船、航海技術があっても意味ないし、当時は圧倒的に大型動物が多かったから大型動物中心の食事になって当たり前。氷河期が終わればそうした大型動物が大幅に減って小型の動物が増えたり海の面積が増えたんだからそれら中心の食事になるのは当たり前じゃないでしょうか。
古代象形文字と言われるペトログラフは、国内で百数十か所見つかっていて漢字象形文字よりも遥かに古いモノでメソポタミヤ文明のクサビ文字と共通するものもあり年代はメソポタミヤ文明よりも古い時代のものです。
対馬海峡は陸続きにならなかったというより、アムール川の河口部に位置する巨大な日本湖から絶えず流れ出す川の水流(リマン海流)によって、常に川底が削られて、陸続きにはならなかったような状態だったのかもしれない。
それは水位的に無理があって、瀬戸内の方へ水が流れないかな。樺太が陸続きなら日本海流はなかったわけだしね
@@MedakaNoBoo氷河期の一番寒い時に、津軽海峡と対馬海峡は一番狭く浅くなって、
だんだん温暖化すると共に、日本海の水位がだんだん上がった。
つまり大陸側からも日本海側からも、陸の氷がどんどん解けて日本海に流れ込んだわけで、
その時に、狭く浅い状態から、だんだん広がる対馬海峡から、日本海の水が東シナ海に向けて流れ出ていた可能性はあるのかも?ですね。
この分野は新しい研究が出てきたり思い込みも激しかったりして、なかなか難しいよな…
家の亡くなった祖父は、縄文時代から続く筑波山麓の豪族の出身で、とても血筋を大切にしていたそうです。
一説には、日高見の国は千葉や茨城の辺りだったのではないかと言われていますから、お祖父様は世が世ならば統治者だったかもしれないですね!
ぜひ、ご先祖様を敬ってください😊
そういう人の一族の遺伝子解析したら、新たな事実の発見や伝承の証拠が見つかったりするかもしれませんね。
@@user-sg6ec8pn5i
Y染色体調べたらO系統だったらウケるよね🤣
数万年前に森林限界より200m上で黒曜石を採り、さらにその石を半径数100㌔で交易してたかもしれないと考えると胸熱すぎる。
森林限界より上ってことは、その都度登ったでなく住んでいたって事なので唆るよねえ
@@MedakaNoBoo
あと群馬は岩塩取れないはずなので、黒曜石と塩(塩分が含まれるもの含む)と交易してたと考えると余計にロマンが膨れますよね🙈
北京原人のような旧人類が日本列島を含むアジア広範にいた可能性もある。
丸木舟も海上で4艘くらい繋ぎ合わせれば、高さ10mくらいの簡易的な物見櫓が作れると思う。
そういうので遠くの島の位置を確認したりしてたんじゃないなーと、子供の頃は想像してた。
もし、富士山が噴火しなかったら何年前の遺跡が発掘されたんだろ?
今日は仙台には旧石器時代の森と炉の跡石器を埋めた穴がそのまま保存してます。地底の森資料館です。また隣町の名取市からも旧石器が見つかってます。
いつも楽しく勉強させて頂いてす。何回か気になっていたことがあって、すいません。
小さな島国ではないとゆうことです😢日本人がよく言っているのが、前から気になっていました。
島としてはむしろ大きいほうです。
大陸と比べるとおかしなことになります。
国の広さとしても、世界の真ん中ぐらいのサイズですよ。
ゴメンナサイ。これからも応援しています。
日本を欧州と比較したら決して小さな国ではないと言う話はネットで何度も見るようになりました。日本を小さな島国と表現するのもいわゆる戦後自虐史観というヤツなのかもしれません。私の個人的な感想ですみませんが、やはり日中戦争と太平洋戦争という大陸国家との戦争のあとに小さな島国日本という概念が定着したとしか思えない気がします。
ネットで自虐史観を再考する考え方が広まったように欧州諸国と比較したら決して小さいわけではないって考え方も同様に思えました。
メルカトル図法の世界地図の影響も否めませんね。
確かに小さな島ではないけどさ、日本列島が国家だったわけでもないよ。弥生時代に国を構成していたのが九州だけとすればね。
西にロシア・中国、東にアメリカ・カナダじゃ頭バグるのもしゃーない。
神代文字 アヒル草文字 カタカムナ 龍体文字 ホツマ文字 あわ歌
フトマニ ホメミ文字 ひふみ祝詞
日本の旧石器時代が余りに古過ぎると世界的歴史文明の発祥地に問題が出るからでしょうね
日本の旧石器時代に早くから磨製石器が見つかって居り、世界的には新石器時代に相当しますし、
1番新しい旧石器時代と縄文時代の接点でも4万5千年前と云う古さに、既に高度な土器が造られて居た訳ですから、これからの研究と発掘が楽しみにですよね!
漢字の前は、カタカムナがあったんじゃないかな
スピリチアル的には縄文時代はもっともっと以前からあったらしいのだが、それは途方もない話なので徐々に解明されていくと思う。
新石器時代が抜けて旧石器時代から縄文時代に飛んでますね!
それは、新石器時代の定義ですかね。縄文時代の様式を比較するとわかります。
サムネの画なんか好き
旧石器時代は不思議な時代です。主に中部山岳地帯から北海道にかけて、今は寒冷地と呼ばれる所に遺跡や痕跡があります。しかし、稀に九州にもありますから、大陸からの移動がからんでいるのか?気候が温暖だったのか?ちなみに黒曜石の産地は長野県の山にあります。
ギャートルズまた放送してほしいな
石を焼いて調理すると 遠赤外線が出ます
まさに 石焼き芋状態。 我々の先祖は
私達より おいしくて健康な食事を
していたかも知れませんね。
家族で楽しく食べる姿が
想像されます。 o(^o^)o
完全無添加で旬の採れたて食材ですからね
今でもサバキ包丁は関西型と関東型って分かれていますが、そんな昔から分かれていたとは😅
旧石器時代のヒトが見晴らしの良い場所にテントを張った理由はヒトが獲物を探すためというより、森の王者であるオオカミやクマの狩りの対象にならないためじゃないか?
Y染色体を調べた結果を調べて教えて下さい。
西から東に移動するとして、最先端技術を持った持った集団がより良い土地を求めて
東へ東へ求めて、東の果てにたどり着いて、文化が花開いて
西に戻ったら、伝説になりやすいよね
地球のダイナミズムには人類活動の温暖化なぞ微差にしかならないなー
バカばかしい。平均気温が2°あがるってことは、最高、最低気温は±9°ほど歪むことになる。それが地球のダイナミズムってものだよ。それに人類が耐えられるかどうか、そこが問題ってだけだからね
逆に地球のダイナミズムが、人類の進化、人種の存亡、文明の変化などに大きく影響してるらしいですね。
人類発生の遥か以前にも生物の繁栄や大絶滅などの原因になっているとか…
なんだか凄すぎて、恐るべし神国日本
石器を作って食料等と交換する職人みたいな人達もいたかも
セム系は黒髪だが顔立ちは白人やハム系のアラブ人と同じコーカソイドであることを明示することで、より具体的に理解できると思います。なお、肌が浅黒いのは
日焼けじゃないですか?
そもそも旧石器時代にそんなに移動するものなんだろうか?よく日本に人類がやってきたというけれど遺伝学的にも日本人と同じ遺伝子が周辺国からは見つからないことから大いに疑問である。そして日本人と同じ遺伝子を持つ人たちはかなり離れたところでその痕跡がある
地図がなくても、沿岸で魚が取れなくなって、舟で沖に出て漁をするうちに、流されて島に流れ着いて定住したんでしょうね。前にもコメントあったかもしれないけど重複してたらごめんね。
人類アフリカ起源説っていつかまたひっくり返りそうな予感…
2万年も続いたとかその間にここ100年間て発明したものを2万年の間に発明出来なかったのかと素人の俺の素朴な疑問
逆に、ここ100年の発明に至るためには、人種的にはほぼ同じホモサピエンスであっても、2万年もの蓄積による「文明の基礎」を必要としたんだと思います。
収穫加速の法則で調べると面白いかも
文字を発明できていれば、凄いことになっていたかも
ヤバい文明があったかもしれないよ
文明は人類が電気を使えるようになってから急速に発展した。
電気というものがこの世にあるのは数千年前から知られていたが、どうすれば使えるのか?が誰にも分からなかったらしい。
写真の青森県の石器は、磨製石器に見えるがそれは新石器では?
草束船でも草を編んで穂を付ければ黒潮を渡れたのでわ?
アシで草束船でアシを編んだ穂を付けるのには石器があれば充分。
葦舟では再現して試したが
黒潮に流され失敗した、とNHKで放送していたですよ。
@@user-wz3vk7ip5o さん。
その再現だけど古代の人を見くびって、ちゃんと柱を立てある程度の規模で作り確りと風を受けて操れる帆を張ったかは些か疑問に思う。
帆を張らないと無理だから。
@@NHK-Scramble さん
たしかにあの映像では
帆が見えていなかった。
何人かが必死で漕ぎまくっていた。一部は寝ずに漕ぎまくっていたように思う。
再現実験あるあるですよね。
当時の人だっていざ大きな航海するにあたっては、普段しない工夫をしたはずなんですよ。
帆の発想はそんなに難しいのかな。
縄文時代に比べると旧石器時代は人気ないよね、昔過ぎるからか、あとすごく寒かったのも親近感が湧きにくいのかな?
ゴッドハンド藤村から尻の穴まで無茶苦茶にされた旧石器時代学界。😂
いくら怪しくても大声上げて立ち向かわずに『俺には関係ない』と漫然として眺めていると世間から「嘘つき馬鹿」と書かれた紙を背中に張られる。
???「ここに石器をひとつまみっと」
ヒントは鳥だと思うけどね
島は見えなくても鳥が向かう方向には何かあると考えて大海に乗り出したのでは?
こうゆう動画のコメ欄に現れる有識者って何者なんや……
D2系統は関西では、55%にもなると伺った事が在りましたぞ⤴❗。
動画2時間はやりすぎでしょ
と思ったけど4万年に比べたら塵みたいな時間だったわ
三内丸山遺跡に行きました。私のご先祖様が生活していたかも?
はじめ人間ギャートルズ世代。
男ってのはなゴン、マンモスを倒せてはじめて一人前なんだぞ。
マンモスを倒すのは大人数での共同狩猟作戦でしょうか?だとしたら共同作戦のカシラを任されるオトコになれって意味でしょうか?それとも共同作戦に参加を許されるくらいのオトコになれ参加もさせてもらえない半人前じゃだめだぞみたいな感じでしょうか?漫画をネタに妄想膨らませ過ぎですみません。
@@user-gu3eu2gd7i かか😅つ
でも父ちゃんのはマンモスじゃないからなぁ
くだらねえ、面白いけどね。
相手は大型哺乳類なので仲間と協力して役目を果たせと教えるところだが。でも、人間ってそんなに変わってはいなくて、そういう、なにか男っぽいこと言っちゃう人もいたんだろうなあ。
なんでHUNTER × HUNTER出てくんだよw
それジンのセリフか?
石器時代から定住型(大規模集落)だった⁈
しかし、本当に肉(大型哺乳類)が主流だったのかな?
今の日本人腸が長いとも聞きます。(腸内免疫力も強いとも)
海苔を消化出来るのも少数なのでしょう⁈
これは穀物主流だったのじゃないかと思ってますけど?
(穀物主流になったのは縄文からとか?、、、解説もそうなってるね!)
日本の黒曜石がサハリンなどで使用されたってどう言う経緯でそうなったんだろ?
製造者個人が持って行ったってのは考え難いだろうし、集落同士での貿易なんて無いんだろうし物々交換で点々と渡って行ったのかな?(思考が貧困?)
一万年後の未来人が、今の時代を、SiやGaを使った「超石器時代」と呼ぶかも知れないね。
青森県辺りにも!?縄文人が住んで居ましたが!?当時は青森県辺りも暖かな地域だったからなのですが!?、どの様に?!北上したのか❓又は?ユーラシア大陸から直接青森県辺りにも移入して来たのか?!。教えてくださいな⤴❓❕⭕。
集団での狩りがあったとすると、日本列島では旧石器時代でも【空気を読む】文化があったんじゃないかな!?
今日は『寒いな~』と誰かが言ったら、誰かが『焚き火』を起こしていたかもね!
アフリカから ユーラシア大陸の
東の端の日本に たどり着くまでに
洗練され 忍耐と知恵と協調性を
身に付け 今日の日本を作ったのが
我々日本人だと思います。
日本人であることに 誇りを
持てますね。 (^o^)
その考え方だとそこから北方ロシアを経由してアメリカ大陸を渡り、南下して行き着いたインディアンは最強ですな!
(DNA上 インディアンは古モンゴロイド。大和人とはかなり接点があって同系統という説がある為。因みにイヌイットもアイヌも同種系統。)
縄文人なら陸路ではなく海路だと思いますね。特性として海流を現代の高速道路のような感覚で丸木舟を使用していたからですね、食性も海産物が多い。最終氷期が始まり6.5万年程前に中央アジアへ到達した最初の一人がDハプログループですね。4回の亜氷期がありますが何れかで南下しチベット族などと分かれて気温が上昇したタイミングで米やカボチャと共に東南アジア経由で北上開始したのかもしれないと想像しています。(米は一旦長江下流域で根付いたか古代米が同時並行でそのまま持ち込まれて変異したか長江から持ちこんだか時期が不明)黄河流域は北限なので半島経由は厳しいので黒潮使い長江→沖縄陸稲栽培→日向コースか
カボチャ→中米原産で大航海時代にヨーロッパ人によって東南アジアに伝来
@@kaigon6181 それもあるが、冬至に南瓜を食べる風習と結びつかない。もっと具体的に言えば大航海時代より前から知っていたとしてもおかしくない。或いは縄文人なら既に中米まで行けたかですね。エクアドルに縄文土器に似た話ならありますが。
ペルーへはポリネシアからペルー海流に乗り赤道に戻る海流がありますが、その場合でも、ラピタ人の方が航続距離が長く丸木舟よりも横波に強いアウトトリガーカヌーがありますから先にラピタ人が到達し交易で手に入れた可能性はあり得ます。あくまで推論です。丸木舟だと縄文海進前でもニュージーランドから南米までかなり距離がありますからね。ベーリング海については南米のミイラからズビニ鈎虫(寄生虫)の卵が見つかっていますが、5℃以下では死滅しますので、ベーリング海以外からも渡米してくるルートが有るのでは無いかと思われます。勿論、ベーリング海を経由した他の部族もいたようですが、それで全てでも無い様です。なので可能性の一つだと思います。しかしカンボジア原産と申し上げたのは、やはりスンダランド、遅くとも縄文海進前にはまだ陸だった可能性は有り。縄文人ならこちらのルートが確保しやすいと思われます。ポリネシアが持ち込んだ可能もありえますね。
日本に沢山マンモスが渡ってきたって言う割には日本にマンモスの化石?遺骨?少ないと重んだけどほとんど灰になっちゃったのかな
弥生→オホーツク人→アイヌ
縄文とは別で:すよ。@@semou1756
北海道は弥生時代がなく別の年表になります。
大学の講義が2時間だった。
弓の弦は何製❓❕。又‥排泄法は⁉どの様にしてたのかな❓❕。寿命が平均年齢40才未満だった訳ですが!?、分娩時はどの様にして居たのだろう❓と想います❗。教えてくださいな⤴❓❕⭕。
旧石器時代に獣の肉オンリーと何故わかる??
今まで痕跡が見当たらないからなかったということにはならない
悪魔の証明に同じ
思い込みで決めつけはナンセンス
20年以上前に歴史を学んだ人は70万年前には日本に人類はいたんじゃないかと思われたけど、藤村新一氏のせいで訳がわからなくなったんですよね😅
あと、地層や放射性炭素年代測定法だけじゃなく石器そのものを打製石器か偽石器を判定できる方法を大学で教えてるのかな? 考古学専攻してる学生さん、コメントお願いします。
ホモサピエンスというか現生人類、石器時代になるのか..........
しかし、簡単な石器や、コーティングしていない土器を見ると、遅れていると感じてしまうけど、核戦争で自然の中に放り出されたら、簡単な土器すら作れないから、旧石器時代の人が偉大に思えます。(^◇^;)
はい間違い。
日本からは12万年前の打製石器が見つかっています。
出雲の12万年前だったら大陸と陸続きの時代だから人類は無理なく移動してこれたのではないかと思う。
氷河期に氷原で覆われた大陸を通って人間が移動してきたとは考えにくいです。
まず氷河期の間に南方から海伝いに移動した人がいて氷河期が終わる頃大陸からも移動してきたと考えるのが自然です。
海彦山彦の神話は海彦=漁労農耕を生業とする平和的な南方系民族の土地に山彦=狩猟採集の好戦的な北方系民族が侵入し、
南方系民族を武力で制圧した歴史を物語っているのだと考えると納得がいきます。
しかしながら氷河期にベーリング海峡を渡ったモンゴロイドが南北アメリカ大陸先住民になったって話もきいたような・・・
シベリアから極東は草原ー森林ですよ。だから、マンモスが生きてられる。そして、東中国海の大陸棚は広大な平原。列島もほとんど陸続き。
氷床が発達したのはヨーロッパ、北米。日本付近は、高山地帯以外は氷河はなかった
海幸彦山幸彦はさておいて、イヌイットの狩猟生活はひと冬で数百km移動するものでした。北からの方が移動は容易だと考えることもできますよね
なん編かのものを寄せ集めたため長くなっているんですね。
後土器時代に使った黒曜石が日本製のものがバイカル湖周辺で発見ではなくバイカル湖周辺と日本列島がくっついていたと推測したほうが自然では?
ましてや火山大爆発が少なくとも2回あり寒冷期が続いた大変動時代だったということであれば陸続きであった日本列島が
分離する時ではなかったかと思う。
大きな湖というより
大陸に横にへばりつくように
くっついていたのでは?
現在の海岸線を大陸の海岸線と見比べても矛盾はないのでは
と思う。
マンモスが北方北海道のほうだけでなくバイカル湖周辺から福井の近辺でもいてそれを集団で狩りして大量の食物としてしばらく
集団の生きていく糧として存在した。
その頃この地に居住してたってだけでしょ日本人の祖先とは思え無いんだけど卑弥呼見たいな特殊人が祖先とした方がロマンがあるわな。
ゴッドハーンド!!
😊
「わ」の発想はおもしろいけど、「お盆」は中国の先祖信仰とインドの仏教が結びついた「盂蘭盆」が元だとする説が結構強いですし、東アジア圏だと盆って結構盛んなので「日本語を話す人達だけがおこなっている」ってその辺はちょっと違うかなと思いました。本筋からはずれてるかもですが、なんかむずむずしたので。「盆踊り」はまぁ・・・日本なのかなぁ?
中国の民族にも輪になって踊る人たちいた気がする
一万〜二万年前は日本海は日本湖
同時代の古代中国では文字があって歴史が残されているの羨ましいな😢
残ってないよw
石器時代は記録残ってないですよね😅
マヤ語 ヘブライ語が日本語
大火山の噴火後
日本の大君は
世界に広がって日本文明が世界の文明を 作る
それぞれの大君が マイ文字を 作った
欧州のキリスト紀元の歴史は浅すぎるやはり日本の歴史を明確にしてほしい
ドラえもんのび太の日本誕生
カタカムナの文字があったのでは?
皆無では無いだろうが、太古の時代に何万何十万もの人間が、海を渡って日本列島に渡って来たと言う事は考えにくい。
アイヌは北方民族であり、縄文人が変化したものでは無い。
大陸から大挙して押し寄せたんじゃなくて、少数の移民が日本で稲作して子孫を爆発的に増やしまくって縄文人を圧倒したんでしょ
物的証拠はなくても、文化の伝播の正確性、物資の流通の度合いから、なんらかの文字情報はあったと考えるのが自然らしいですよ。
口伝じゃ、伝言ゲームみたいにめちゃくちゃになってしまい、そんな正確に伝えられないんだって。
口伝だけじゃ無理なんだって。
日本の考古学畑の人あるあるだけど、あった証拠がないとなかったと簡単に言ってしまいがち。
なかったと言うためには、ないというための根拠が必要。
文字については、今のところ、あった証拠は発見されていないということだけ。
大型動物の狩りは落とし穴じゃ?
のび太君がよく知ってるよそれ
喋りは自然なのがぃい
大東亜戦争終戦時フイリピンから日本までイカダで帰国した軍人もいた
海野十三作品ですね。あれは作り話でしょう
いつかタイムマシンで見れるかね
未来人来ないね。
習ったり情報として入ったモノの延長線としての総編集なんだなと納得がいくけどが少し疑問も残る
あまりにも教科書的な情報だと感じる。
その通りだと思います。
日本には岩窟文字遺跡(ここではないことになっている、日本の古代史の一部否定)がたくさんあるそうです(とびぬけて多いらしい。他の遺跡も然り)。
ちなみに、世界の岩窟文字はほとんど日本の古代文字(神代文字)で解読できるらしい。
これが何を意味するかというとつまり世界の文明の元はほとんどが日本が起源だということだと思います。
今の世界の表向きの潮流は、そのことを戦争に負けた日本人には教えないということになっているようです。
つまり、日本以外の国の人はそのことを理解している人が多いということだと思います(知らぬは本人だけということ)。
古代ヘブライ語なんてもろ日本の古代言語のひとつ(日本の太古の王朝では1千年近く続く代が変わると言葉も再編された時代もあったようです。)のようです。
にほんがんばれ!!!
個人の勝手な意見でした。間違っていたらごめんなさい。
列島内の遺跡1万箇所と言うのも岩宿もそうだけど石器時代から縄文末期まで恐ろしく長い間集落を営んでたりしてて正確にカウントしてないままの遺跡も想像以上に多いと聞いた。
田名向原遺跡ね。
BGMでかい
肉ばっか食べてたら血液どろどろになったりしなかったのかな。
大昔の人は狩猟民族だったから移動してエネルギーを常に消費しながら生活してたから肉でエネルギーチャージするのが丁度よかった
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よく見るの…
いったい 何者?
不思議…
いまの日本人と当時の日本人は人種のルーツ的にも違うんだろうな
人類は全地球的に広く分布して各地で進化した。確率的にアフリカだけで誕生したというのはおかしい。日本人はやってきたのではない。アボリジニも海を渡ったというのかね。
太古の人たちはデニソワ人達が原始的にあちこちで居住していたのだと考えます。
全体的に人口が少ない時代が続いていって、徐々にユ−ラシア大陸各地から古代の戦乱に破れたり、居られなくなった大陸の人達が各地から難民みたいに渡ってきて、同化したりしてきて現代にまでなってきたのではないのかと考えるようになりました。
輪→和→倭
つまりこういうこと!?
ん?
イズモノクニだろ
出雲人は72000年前からすんでたけど
年表が対数グラフのようになってて分かりにくい。
古代に文字がなかったというのは誤りだし、文字が中国から渡ってきたというのも間違い。文字はどの言語であっても物や想いなどを顕すための音を形(象形文字)から始まり独自に進化している。動画では漢字からかなとカナができたと紹介しているが順番が違っていて日本では一番初めに象形文字からカタカナがきちんと意思疎通できる文字となった。少し遅れてその後に漢字ができて万葉仮名になりひらがなとなった。いきなり漢字からというのは無理がある。この辺りは常用漢字ではなく旧書体の漢字を見ないとわからない。
例えるなら「気」は太陽の光、雲、風の作用で米ができるから旧書体では「氣」となる。
こういうのを想うときにいつも「おのれGHQ」っておもうよ・・・ホント・・・
日本列島に人類が移住してきたと杓子定規に考えると、それで思考停止になってしまいませんか?今は、アフリカ中央部から人類が散らばっていったと言う説も、絶対ではなくなってきています。最近では、日本に住む人類こそ、日本列島で誕生したと言う説もあるようです。僕も素人なので詳細なことは知りませんが、まずはそこから疑問に思う姿勢こそが大事なのではないかと思います。
今の人類もまだおらんわなあ。
わ、倭、和、大和
確実に言えるのは、俺の年齢ではすでにこの時代の寿命をとっくに過ぎて骨になっているということだ。
この時代の人間本来の寿命などたかだか40歳前後だろう。
その代わり、老衰、痴呆症などない。ガン、心臓病すらないかもしれない。ほとんど栄養失調、ウイルスその他の感染症や怪我の悪化だろう。
乳幼児の生存率はどれくらいだったのだろう。
極論ワクチンのおかげで人間の寿命が80年とか言えると思う。反ワクチン原理主義者はどう思うのだろうか。
アイヌは12-13世紀にモンゴルに圧迫されて南下してきた縄文人とは全く異なるゲノムをもった種族とされてますが?
アイヌの大半はY染色体ハプログループDなのおかしくない?縄文人由来の遺伝子だよ
日本だけ言語体系が違っている、これだけを見ても大陸から移動してきたとか、他民族に占領されたことが無いと分かる。 他国と類似点が見つかると、その影響を日本が受けた・・・と言われるが、誰も日本が他国に影響を与えたとは言わない。 どうしてだろう
暗記したからじゃないですか? 温暖で水や食料が豊かな日本では、不労人口が2割ほどと多くて、日本人にとってはただ遊びの延長ですが、必要なことはすべて丸暗記ができる人類は限られますからね