【ゆっくり解説】島津四兄弟九州統一戦その9ー現実化する秀吉の九州出兵と方針が紛糾する島津
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- Опубліковано 4 січ 2024
- 今回は豊後出兵をめぐる末弟家久の再度の大暴走から始まり、秀吉が命じた大友との停戦命令や九州国分け案を巡る対応の中で、当主義久が徹底的に避戦を模索するも結局豊後進攻が決定して秀吉の九州出兵の大義名分を与えてしまう展開を解説していきます。
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家久って上司が義久、家康みたいな真人間だったら鬱陶しがられそうだけど
信長みたいな変人だったら可愛がられそう
一番!まってましたー!
ありがとうございます!
家久って関が原くらいまで生きてたら伊集院忠棟よりヤバい存在になってたんじゃないかと思うくらいの自由人。秀長が毒殺したみたいな話が多いけど。実際、家久早世したことで、義久も内心ホッとしたのではないかと邪推しちゃいました。
コメントありがとうございます!厄介払いができたと考えていたかもですね。
島津家が潰されないように義久は動いてるけど、家臣団は自分たちの領土のことを考えて動くからねー。そう考えると、島津家当主は義久じゃないと無理だし、その潤滑油は義弘以外無理だわ。
コメントありがとうございます!基本的に下の人間は目先のことしか考えませんしね。
史実の歳久は武闘派な印象。
孤立した兄貴たちを難なく救ってることもあったみたいだし
家久のイメージがガラガラと崩れていく。
コメントありがとうございます!合戦の戦闘力はガチです😆😆
家久の話は後で話されすぎてて顔出てくるだけで面白い
関ヶ原での家久の発言は今まで理由がわからなかったけど、これを怨と恩として忘れられなかったのかなと思う
高千穂(たかちほ)には高知尾(たかちお)ってところがあったのね、初めて知った
ここまでほとんど歳久出番なし
歳久さんは全力で義久兄貴のパシリやってるから(笑)
コメントありがとうございます!史実でも影が薄い歳久😥😥
この時期の歳久って中風の病(脳卒中)でほとんど寝たきりだったはず。
歳久がマトモに活動しててもどっかのバーサーカーのおかけでほとんど出番無いだろうから一緒だと思う
歳久って若い頃は前線で戦って負傷してたりするから軍師タイプと言うよりもオールラウンダーって印象。
冷静に大局を俯瞰して見ているが家臣からの信頼は低い義久と
義理人情と皆が望んでいる事を進んでやる義弘の関係は
現代の上層部と現場監督の関係に近しいものを感じます
仮にですがもし義弘が義久より先に産まれて家督を相続していたら滞りなく九州進攻が進んだと思う半面
九州征伐では島津は滅亡まで追いやられて生き残れなかった様な気がします
随分前にあるコンサルタントの話である会社を訪問した時
社長が社員と混ざって仕事しているのを見て
「この会社の士気は高いけど成長は余り出来ないだろう」と語っていたのを思い出します
コメントありがとうございます!リーダーと部下との距離感って難しいですよね。上が強すぎても現場が強すぎても良くないですしね。
信長の野望シリーズで、史実では影の薄すぎる歳久があれだけ贔屓されているのは島津四兄弟の1人だからってことなんですかね😅
見ている感じだと上井とか伊集院の方が遥かに優秀そう…
この人は最後の最期で島津にとって一番重要な役割を演じることになるから
コメントありがとうございます!初期の信長の野望だと中の上くらいの能力値だった記憶がありますね。
@@user-ii9wu7fn7p 天下創世だと統率と知略が66で政治が45でした。日新斎が「始終の利害を察するの智計並びなく」とか言ってしまったために最近は軍師タイプの能力になってしまったのかも知れません🤦
@@MUSASI40 九州征伐くらいから存在感が出てきますよね。秀吉との交戦前に和平を唱えるなど冷静でした。最期は島津家のために一揆の責任をとって自害するなど、地味ながら家のために生きた人なのかも知れません…
@@user-ep4hl2rw7e 他の兄弟みたいなカラフルな個性はなくても縁の下の力持ち的でなくてはならない存在だったのかもですね。
二番槍!
ありがとうございます😄😄
九州国分について。肥前は龍造寺が完全に島津に支配下にいたわけではないので除外して肥後北部と筑後は、秀吉からすると豊薩和平を島津が遵守しているならその両国を所有しているのはおかしいので、支配を認めるわけには行かないという理屈でしょう。つまり国分案を受け入れずにその両国を支配するという事は、島津が先に手を出したということを島津自身が認めたということになります。言い換えると、肥後北部と筑後が島津側からの先制攻撃の動かぬ証拠になるという。
コメントありがとうございます!豊薩和平に対する秀吉・島津双方の認識がズレていた感はありますよね。あと九州国分は島津の根本領国三か国と直轄領化を半ば達成している南肥後は安堵されるので、不拡大派の義久個人にとってはむしろ望ましい形だったという気もします。
@@user-ii9wu7fn7p信長の和平勧告を受け入れた時点を基準とすると国分案にそれほど違和感はありませんし、秀吉からするとそれに肥後と豊前を半国づつサービスしたのだから島津が受け入れないはずがないと思ったでしょう。個人的には秀吉に島津を挑発する意図は無かったと思っています。
@@user-mq5gx3rh6y 今回は挑発説に従ったですが正直モヤっとした部分が残ってまして、ご意見を聞いて改めて自分の思考を整理することができました。ありがとうございます!
4番槍!
ありがとうございます😆😆
島津四兄弟!義久!義弘!(ここ、ちょっと消えてますね)!家久!
九州の釣り師を釣る中央のお猿さん🙊
😢😢歳久をそんなにいじめないでください笑
佐賀も島津領だったの😅
厳密に言うと従属国だから島津の勢力圏では有るが島津領とは違う(織徳同盟の徳川と似たような立場)
コメントありがとうございます!他の方のご返信にもありますが龍造寺は従属国扱いなので佐賀は直轄地ではないんですよね。
正直九州国分けの島津にとっての理不尽さを見た後だと、義弘や家久の自由にさせてもっと素早く侵攻開始して大友を屈服させていれば、秀吉とも有利に交渉出来たんじゃないかと思わなくもない。
この動画だと家久はどうしようもない男みたいな扱いだけど、対外積極策論者なのに関しては正しかったと思う。
考え方としては一理あるが
豊臣秀吉に積極的に臣従する姿勢を見せていた大友をもし倒していたら
秀吉も面目を潰されたと感じて徹底的な島津の撃滅をしていたかもしれない
徳川家康を臣従させ目の上のたんこぶだった長曽我部を降伏させた時点で九州を制覇した島津とすんなり交渉するとは思えないし
交渉に失敗した北条氏の二の舞に成りかねない(順番的にはこっちが後だが)
秀吉が島津の存続を許した理由は大友も龍造寺も残っていたからというのも大きな理由だと思う
色々考えてみてもやっぱり義久路線か現実のほうが残ったものは多かったと思えます。貿易の利を期待できるのですから秀吉が一大名に九州全部を任せることはありえない以上九州全部を占領したところで出兵は避けようがなかったでしょうし、あとで大友が滅亡してしまったので見えにくくなっていますが、秀吉が島津の存続を許したのは大友が残っていたことあってのことでしょうし。
島津家久、信長の野望だと政治は平均位だけど、武勇や知略は優れている…。
さすが島津四兄弟だな‼️
…からの衝撃‼️🤣
島津歳久も違う意味で衝撃‼️😂
コメントありがとうございます!史実の家久はいろんな意味でぶっ飛んでますね😨😨
中央政権という嵐
コメントありがとうございます!ラスボス登場ですね😨😨
落ち目の大友を攻めきれず時間切れ、センゴクがやらかした戸次川以外は(そこでも長宗我部信親にちょっと苦戦してる)基本連戦連敗。イメージほど強くない島津軍。