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まだ西洋音楽にこなれていない不器用さがある。また、ドイツ古典派〜ロマン派の影響(師匠の呉の影響?)が強く、やや大仰な箇所もある。これらの点は、1930年代の東京の若手作曲家の作品と共通する印象です。(たとえば貴志康一の管弦楽作品や、山田一雄の初期の交響詩や、江文也の台湾舞曲など。)(※ただし金井のもう少し後の時期の作品は「こなれて」いますし、ドイツ色も露骨ではないです)それにもかかわらず、魅力のある楽しい曲。金井には才能があった。何度も聴きたくなる。貴重な沖縄ローカルの民族学派、人々に愛されるべき曲。なおこの英国のコンサートの曲目はマイノリティや多様性がテーマであったようです。たしかに片山杜秀が記した通り、当時は日本本土から軽んじられた沖縄本島‥からも軽んじられた宮古島出身の作曲家でした。そして「女は作曲家になれない」と公言された時代を生きた女性作曲家でした。しかしそれに憐憫して(ろくに曲を聞かずに)持ち上げる人たちが愚かに見えるくらい、健全で健康な、けろりとした明るい曲なのです。
まだ西洋音楽にこなれていない不器用さがある。また、ドイツ古典派〜ロマン派の影響(師匠の呉の影響?)が強く、やや大仰な箇所もある。これらの点は、1930年代の東京の若手作曲家の作品と共通する印象です。(たとえば貴志康一の管弦楽作品や、山田一雄の初期の交響詩や、江文也の台湾舞曲など。)
(※ただし金井のもう少し後の時期の作品は「こなれて」いますし、ドイツ色も露骨ではないです)
それにもかかわらず、魅力のある楽しい曲。金井には才能があった。何度も聴きたくなる。貴重な沖縄ローカルの民族学派、人々に愛されるべき曲。
なおこの英国のコンサートの曲目はマイノリティや多様性がテーマであったようです。たしかに片山杜秀が記した通り、当時は日本本土から軽んじられた沖縄本島‥からも軽んじられた宮古島出身の作曲家でした。そして「女は作曲家になれない」と公言された時代を生きた女性作曲家でした。
しかしそれに憐憫して(ろくに曲を聞かずに)持ち上げる人たちが愚かに見えるくらい、健全で健康な、けろりとした明るい曲なのです。