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BFからBGに変わるちょっと前に マツダのメカになって BFも整備してたな。BGがでてすぐに社員割引で GT-Ae(競技用のベース車 エアコンもパワーウインドウも無かった)買って 乗り回してました。新車からのクロスミッションが1年ほどで2速が入らなくなり クレームで新しい強化されたクロスミッションに交換した。FFベースの4WDは時間がかったな。ギア比が少し変わってたような気がしたが 気になるレベルでも無かった。若いころの良い思い出が詰まった車でした
自分もBG8Z乗ってジムカーナやってました。
知人に勧められて中古だけどBFMR乗ってました、フルタイム4WDって正直よく分かってなかったんだけど実際運転してみるとコーナーを4輪で掻きむしりながら走る感覚が面白くて当時夢中になりましたね、初期型乗ってたけどライトが4灯で夜道が明るくて助かりました。
初めて買った自動車がこれでした!曲がらないし、ミッションがオーバーヒートして入らなくなるし、センターデフロックがなかなか入らないし、トーコンがぐにゃぐにゃな足でしたが、壊れずよく走りました。ファミリアありがとう(°∀°)
うぷ主さん、「若年層に日和らない」いいですねぇ~1.5や1.6のハッチバックブームも一段落、マツダは新型RX7出して、スリーローター4WDのMX-03のプロトモデルを見せておいて、マツダが突然ラリーにこれを出して来たのは驚きましたね。そんな裏があったんですね。色々と、当時のことを思い出す良いきっかけになる動画をありがとうございます。
知り合いのチューニング工場の社長さんが某パーツメーカーに在籍していた平成初期頃に首都高ランナーで走っていてこのファミリアに乗っていてました。R32GT-Rをチギるカナリ速いファミリアで有名だったみたい。パワー上げるとミッションが保たなくてヤタラと壊れたんだよ〜と聞きましたねぇ
80年代現役ラリーストだった方がTA64セリカを入手して「これで勝てる」と思っていたらコイツが出てきて膝から崩れた。と語っていたのが印象的。マツダのモータースポーツはワークスのフットワークに本社がついていけなくて足を引っ張る形になるイメージ…マツダ一丸で戦う姿を見てみたい。
ファミリア4WDのおかげで同一内容に近いジェミニJT191Sがタッチの差で1600㏄DOHC+TURBO+4WD 遊星ギヤセンターデフ(トルク配分がR寄り)組合せ車両の国内販売が2番目になった。(JT191発表直前にファミリア4WDが販売される)JT191Sに比べてファミリアは軽かった・・・今では販売できないような軽い車体と4WD 遊星ギヤセンターデフの組合せはネオヒストリックとして大事にしてもらいたい車両ですね。
このファミリア乗っていました。FFもあったけど無理して4WD買った。思いっきりアクセルを踏み込んでもスピン無しでスート加速しターボが聞き出すとGを感じるくらいでした。速かったな・・・
なつかしい!免許取ったらファミリアGT-R買おうと思ってたんだよな。あのごっついエアロバンパーはかっこよかった。
この頃オートラマの兄弟車のレーザーフルタイム乗ってたよ。ディーラーチューニングで速い車にしてもらったのを思い出します。パーツが少なくて足回りは、ワンオフだし、強化クラッチをマツダスピードからテスト的に入れたけど、ガーガーうるさくて返却なんて事もまぁ、普通に230k巡航出来たし首都や峠なんかも楽しめましたよ。
最初に買った車です。燃費悪かった、でも楽しかったね。クラッチ半年に一回交換してたよ。50代
24の時に免許取って初めて買ったのがファミリアのGT-Aテンロクターボ四駆中古車でコミコミ140万くらいで買える物を探して貰って辿り着いた知り合いに探して貰ったから2800のソアラも同じ値段で買えるって言われたけど未舗装の山道走るの好きで此にしたジムカーナも少しだけやったけどハイグリップタイヤ入れて横転しかけたけど良い思い出です、次の車も1800のファミリア四駆(セダン)に乗ってた良く走る面白い車だった。
ティモサロネン(元プジョー205T16使い)とハンヌミッコラ(元アウディクワトロA2〜スポーツクワトロS2使い)という当時としたら最高のラインナップ。凄く驚いた事を思い出した
マキネンも乗ったしね
BGのGT-X 乗ってました東京福島間を、夜中ターボ効かさず止まらず走ってたら、リッター17km走ってビビった踏むとリッター5km当時、パワーウエイトレシオがポルシより上らしく楽しかった今でも、GT-R か GT-Ae メチャ欲しい‼️
中古で、ロールバー組んでエアコン無しで若い頃近くの峠はしってましたが運転技術がおいつかず何回がクラッシュしてました懐かしいです😭
323懐かしいですね。今でこそマツダの4WDはCX5やらで注目されるようになったけど、遡るとこのあたりの時代の技術がひっそり生き残っている感じですね。ちなみにGr.Aホモロゲーションは1992年までは連続した12ヶ月に5000台の生産というレギュレーションですよ。
日本初のフルタイム4WDそのメリットを生かすためにエンジンもDOHCターボでパワーアップまさにラリーで勝つために作られたモデルだな。
ファミリアGT-Rに乗っていました。ドアより高価なフロントエアロバンパー。高速では厳つい顔なので、後ろに付くとあっさり車線を開けてくれました。ただ後ろから見ると、ファミリアなので猛然と追撃されます。
フルタイム4WD 1600ccDOHCターボのこのファミリア、本気に欲しかった1台です。ボーイズレーサー全盛、各メーカーからおもしろい車が沢山あって本当に楽しい時代でした。他ではなかなかファミリアを見る事が無かったのに、ここで見つけて大歓迎です。
う~む…やはりファミリアはこの世代に限ります🎵性能的には次世代に譲りますが、直線基調のデザインが堪らんただ、モーターショーに出展してた「スポーツ(スポルト?)4」は知らんかった…これはBG系?めちゃくちゃカッコいいわ~🎵
丁度ラリーに興味を持った時期がBF全盛でした。後々MAZDAのディーラーに入社しましたが、GTAeは中古ででてこず、同形の1300に渋々乗ってました。
まず、323を取り上げてくれてありがとうございます。私のツレが乗っててかなり早かったですよ。あっラリーじゃないですよ。峠ですよ~🙂
年次モデルを出すなど改良が続いていたらランチア・デルタの独走を止めたのはセリカではなく323だったかもしれない
もし排気量を2Lにした所で、パルサーと同じ様にコンパクトボディから来るエンジンの熱問題やタイヤの制限に苦しんだかもしれないですねもし本気で取り組んでたら、ランティスに4WDターボを載せて参戦してたかもしれないですね
サイズや横置きエンジン由来のウィークポイントはデルタも同じでしたね。結局はWRCにどのように取り組むかメーカーの首脳部次第ですね。マツダ本社はモータースポーツ全般に冷淡な対応で深く関与する気が無いのは感じられました。デルタを改良し続けて王座を死守し続けたデルタにはランチアというか親会社であるフィアットの意地とイタリア自動車工業の底力を見せつけられた気がします。
@@金澤華 ランチアデルタはとにかくモデルチェンジが資金面で中々モデルチェンジ出来なかったのもありインテグラーレ、16V、エヴォルツィオーネと矢継ぎ早にエボモデルを出してきましたねランチアは日本車の2L の4WDターボが月に5000台も売れるとは思っておらず舐めて掛かってた面はありますね。ランチア救済の為にFIAがグループAの規定生産台数を1993年以降は年2500台に緩和してしまいましたし。友人でエヴォルツィオーネとテーマ8.32をそれぞれ買ったのが居てどちらも運転させてもらいましたが官能的な音とは裏腹にどちらも燃料ポンプの故障やホースからの燃料漏れ、冷却水漏れと熱から来る故障が多かったですね。二人ともマツダ系のオートザムで購入してましたが。
四駆特有のプッシュアンダーが強くてコーナー手前で向きを変えて進入しないと真っ直ぐ行ってしまう車だった。
多分、霊夢と魔里紗は1965年~1970年産まれだろ?😅
マツダの4WDは当時マツダに存在したスキー場にオープンカーで行きたい派(後にRX-7カブリオレやロードスター作る一派)と、すぐにスキー場に着きたいんじゃ派(ファミリア4WD作る一派)が存在してて後者の人たちがとにかく雪道で飛ばしたいんじゃ!とレベルリングサス(積もった悪雪路で必要)とワンセットで作ったと実しやかに語る営業に回されたシャーシ開発の人が言ってたなぁ(;´∀`)。ちな、スノモ積みたい派(マービー作る)や、みんなでいったろ派(後にMPV作る)等も居た模様。広島に居てどうしてソコまでスキーに熱いこだわりあったのよ?っていうね…。(当時のモーファンのインタビューにも度々スキーネタ出るんだよねマツダは
スキー場が広島から非常に近いところにあるのが大きいですね。おまけに雪道の試験も簡単ですし....
初代ロードスターにも純正オプションのスキーキャリアがありました
MAZDAは、323がラリーで要望されていた事を知らなかった。本気になるのが、遅すぎた。もしかしたら、91年ル・マンより前にヨーロッパで「"MAZDA"」名前を売れた。
1987年、1985年にプジョーでチャンピオンを獲ったティモ・サロネンが加入、その時点で「これはマツダの優勝だ!」と思ったものでした
BFMR乗ってた・・・冬場にスタッドレス履いてゲレンデまで行くのに便利してた。高速も快適に飛ばせるし、ハイトコントロールがあって車高を上げれるので少々の轍なら問題なく走れるし・・・
マツダの力と言うよりはサロネンの力量が大きいと思う。小排気量、ハイブースト、ノーマルミッションではキツイ状況。Xトラックの件は当時セリカ、ギャランが開発依頼をしていたと聞きました。マツダへの開発は謂わゆるテストベッド。日本のメーカーは欧州のサプライヤーとの付き合い方が下手なのでTTE、MSE、RAE等の現地法人が窓口になってメーカーへの技術フィードバックをしていたらしいが、田舎の国のメーカーさんは色々「仁義」に欠く行為をいていたみたい。マツダにはサロネン以外に有名ドライバーと契約してもっと資金を注ぎ込めばワンチャンあったと思います。マツダよComeback Rally!
GrAで一番最初に、ランチアに勝ったメーカーなのに、ルマンに全部持って行かなければねぇ❓と思う。
@@takashishimazu3597 そのランチアだってWRC撤退後はスタッフごっそりDTMのアルファのワークスチームに移籍させて155で大暴れしてたじゃないですかー。デルタにしろ155にしろマシンは問題だらけだったけどチーム運営がずば抜けて素晴らしかったから優勝出来たってのは良く言われてる事。
@@ochachaocha ジョルジオピアンタでしたっけ❓カッコ良かったなぁ~。
@@ochachaocha その通り。BGのファミリアや8Vのデルタに乗ってたけど、デルタは内容的には「出来の悪いチューニングカー」だった・・・WRCのチャンピオンは車の性能もだけど「チーム力」によるものだと思った20ン年前。
ほんとファミリアには色々と驚かされましたね
その前にRX7グループBでラリー参戦しちゃったマツダ恐るべし!😁
確かトミ・マキネンが1991年にワークスマツダヨーロッパから323GTX?でラリー参戦していたはず。
この車が市販され始めたころ、当時の陸運支局の検査ラインでは前例のないフルタイム4WDに対応できずに(前後に駆動力があり片方をキャンセルできない)のでリヤのドラシャを切り離すという「改造」のもとで検査を実施していたという話は整備業界では有名ですね。
BF-BG時代は一番輝いてたなぁ高出力戦争に置いてけぼりw
免許取って初めての車がBG8Z GT-Rでした。存在知らなかったのに店頭で見て即決めてしまいました。私をラリーベース車大好きにした根源。
ダートトライアルでは2WD AE86から4WD BFMR ファミリアに変わっていった!当然前後リミテッドスリップデフ装置・センターデフロック❗
ファミリアは、回頭性が良くないのにフロント側のスペースが足りず、LSDは入れられません。ビスカスで、辛うじて4WDと言ってます。ノーマルのサスは、ヘニョヘニョです。でも、乗ってて最高に楽しい車でしたよ!ロードスターと似てます
ツインカムにターボにフルタイム四駆と当時は盆と正月とクリスマスが一度に来たような車でした2WD版の∞もお忘れ無く
リアルタイム世代です。欲しかったけど訳ありで買えませんでした (´;ω;`)この頃のMAZDAは欧州の流行と要求を国内仕様にも導入していて、肩幅まであり固めのシート。高い剛性のボディ。シャープなハンドリング。で、当時はさらなる高速直進安定性能の向上のためにはフルタイム4WDは必須という車業界の認識があっての、国内初のフルタイム4WDでした道産子としましてはスパイクタイヤ禁止となりスタッドレスタイヤのみとなり良い傾向だなと思っていましたよFRの大型乗車では平地でも発進できないくらいでしたからね
社会人になって同期が中古のBFMR買って、よく乗せてもらったな。。ラリー好きだったので私も欲しかったけど、新車はムリだし良いタマが無かったので ライバル車 VR-4の安目のに落ち着いた。事情はともかく各社のワークス日本車が世界で戦っていたよき時代だわ。
最初から最後まで『排気量差』に泣かされた名車。そもそも、最初は『ホモロゲ』関係無い、一『四駆ターボ』だったから仕方ないのかな…競技の為だけにファミリアに2Lエンジン積むのは、活動をほぼMRTEに任せてたマツダ的には『無し』だったんだろうなー。
当時はスポーツエンジンはロータリー 実用エンジンはレシプロだったから2000CCクラスの使えるエンジンが無かったと予想実際市販車で良いエンジン無かったマツダ
コメント失礼致します。免許取得後 の初愛機でした。昭和63年式後期HB1600ツインターボフルタイム四駆GT-X 歳の近い親戚が新車で購入。その頃から乗り換えの際は回してちょうだいとしつこく言ってました。🤪🤪だって、カッコいいんだもん。🤗🤗ただ、ライトチューンを施した車輌(ブーストアップ、車高調、マフラー) にて、初心者🔰にはなかなか手強い一台でした。結局一年乗り、タービンブローにて、終了したのですが、速かった‼️あと当時、広島県内豪雪地帯(ウチの本家)に住んでおり、学校までの足(片道約70キロ)として、特に冬季の移動には安心感たっぷりでした。改めて四駆の良さを痛感しました。🤗また、新車より、レカロシート、モモのハンドル、サンルーフ、ハイトコントロールに、外装は、フルエアロ武装と文句無し。でした。
B Fの頃は一時期同じようなタイプのライバルが出てきていなかったから国内ラリーでは強かったBGは1 800にしてしまったためライバルが2 000なのに中途半端で国内も海外も勝負にならなかった本気で全力でやるか全く何もしないかはっきりさせるべきだった
BFMRのGT-Aeを新車で購入、はじめは、4ドアセダンのGTを購入するつもりでしたが、価格が安いのと高性能をセールスに勧められ購入、当時まだスパイクタイヤが使えたので、雪道は楽勝でしたね。
1600CCで2000CCのランチャ、トヨタ、三菱のワークス勢を追い回す1000湖ラリーでのマツダ323 4WDの雄姿はカッコよかったな。ドライバーはティモサロネン、ハンヌミッコラ、イングバーカールソン、ロッドミレンだったかな。
一時商用車としてFFのを使ってたけどギヤ抜けとトルクステアが凄かった。サブフレームとその取り付け部位が本当に弱かったんだと思うがアレをどんなに補強してもラリーじゃ厳しいだろうな。
当時、デーラーの担当が、リミッター外すと、230キロ出る、と、カタログ持ちながら親父が言ってた、323のカタログと、何故か削岩機(東洋工業は削岩機メーカー)のカタログをデーラーから持って来てたw。
懐かしい。自分もBFに乗ってました。妹が2代目レガシーに乗り換えて車検切れになってたのをゆずってもらいました。乗っていて楽しかったけど最後は通勤中、ワダチを乗り越えたときにショックで左前のドライブシャフトが破損。修理に20万コース言われて泣く泣く廃車。楽しく乗ってました。燃費は悪かったけど。
4WDといえばスバルを連想しますが、個人的にはマツダのイメージが強いです。
フルタイム4WDは、マツダのほうが早かったからですね。慌ててスバルもフルタイムを開発するも、時既に遅し。旧態依然とした出力のエンジンでは、WRCでは勝てないクルマになりました。
ホントにマツダは、面白いメーカでした。私の中でのBFMRは、当時の日本ラリー界を席巻した名車です。(^_-)☆
超懐かしい!初めて買った車でコスパ最高でした。1600ccDOHC16バルブインタークーラーターボ 良い響きだ
1987年式4WD DOHCターボGTXを中古で購入して乗っていました。ターボ、インタークラー交換EFIチューニングで約250PSにパワーアップ+クラッチも強化、ブレーキパッドはエンドレス、サスペンションはカヤバ、タワーバー フォグランプはシビエでしたね。 ドノーマルのスカイラインGTRについていけるくらいのポテンシャルはあるとショップの人が太鼓判をおしてくれましたが、山口にあった西日本サーキットのラップタイムはドノーマルのGTRやセリカGT4より早いタイムを叩き出しました。運転したのはマツダスピードのエンジニアの人で私ではありません,トラブルも無くすごいく良い車だったと思います。また当時HONDAーCB750Fにのっていました、ファミリアの加速はCBの加速に近い感覚ですごく早かったのは分かりました。私が1991年 仕事でアメリカに赴任したため家族に管理をお願いしましたが1992年に兵庫県のショップが買い取ってくれたと聞いています。家内に聞くとかなり高額だったそうで教えてくれません。
今のMAZDAに求めるのは酷。787B優勝した時に垂れ幕だけだった事を考えると、モータースポーツ=商売直結を考えてない。つまり販売戦略が下手に見受けられる。今の日本メーカー全体に言えるけど。環境対策で高コストになりすぎよね。
ファミリアを再評価中でしたので、この動画の存在がタイムリーでうれしかったです。ちなみに当時にラリーに興味と知識なく、WRCで活躍してたのを知りませんでした(恥
BFMRのTVCM、BGMがグロリアエステファンの「123」だったの覚えてる。CMの映像も印象的でした。
雪の女王は好きwrcは本社が乗り気じゃなかったのがなあ…
ファミリアが来たら次はパルサーですよね?(威圧)
当時、「プレイドライブ」誌なんかを読みあさっていて、この車が発表された時は驚いた。センターデフロックとフリーどちらが速いかなんて記事もあったな
エアサス デフロック 良いクルマだった
M2 1023 がカッコ良くてベースモデルも好きになったなー。あのエアロバンパーが良いM2シリーズを今のマツダにもう一度
あの頃の業界自体が、世界初とか○○初とか初物競争がすごくて、マツダも結構いろんな初物入れてるんだよね。なので開発経緯は別に謎でもなんでもないんだよ。
そんな緩い参戦体制に巻き込まれて割喰ったのが、ロードスターのB6エンジンのヘッド開発だった。ってのは知る人ぞ知る話
RX-7はWRC前に北米でIMSAだけでなく SCCA で活躍していた。グループBはその延長線上で始まっただけの事。また欧州ではアクロポリス、アイボリーコーストと共にサファリの3つが耐久ラリーと区分けされていた。サファリだけが特別ではないんだけど、日本的にはサファリしか報じられなかったから特別視されてるだけなんだけどね。
デビュー翌年、1986年の全日本ラリーCクラスに大挙してエントリーしたファミリア4WDターボだったが・・チャンピオンはスバルレオーネ4WDターボRXでしたね。ドライバーの綾部美津雄氏が「レオーネの方がホイールベースが長いから有利だと思った」(グラベルでのトラクション?)とコメントしてたのを記憶しています。
ぐはぁ!ファミリアロータリークーペ懐かしい〜⤴⤴⤴
ピエヒが開発した、アウディクワトロの技術は、世界中の自動車エンジニアに影響を与えた。
この当時のマツダも変態だったな、俺の知ってる変態ユーザーは4駆ファミリアのセンターとリヤのデフをノンスリにして峠を爆チギリしてた猛者が御座ったな、34年前だった。
今乗ってるBG8ZのGT-Rは変態車で乗り換える気がしないわ(褒めてる)。維持するのは部品無くて大変だけど(笑)コレの前はBFMRを2台続けて乗ってたけど、軽くて振り回すには良い車でした。あの手の車はもう出ないんだろうなぁ・・・
徹底的な磨き込みで進化した2代目のベストセラーFF
BKアクセラを323ラリーカーのカラーに塗って読者にプレゼントしていた雑誌がありましたね。もう廃刊になっちゃいましたが…
BFファミリアですかぁ!隠れた名車(迷車)です!…wwwBFファミリアからBGファミリア(最強)につながるんですよ…
当時はまだバブルの残り香で、HFばっか見てました・・・
なんか、少年期の頃の夢がボロボロ崩れ落ちていく(笑)。でもあの頃、腕に覚えのある人達の間では結構人気の車だったな。
懐かしいなぁ自分は姉妹車のフォード レーザーにのってたわ
私は広島県民ですがmazudaの斜め上を行くずれっぷりは世界に認知されていたのですね。。。周りとの価値観の不一致がネガでなくポジに出て一躍世界に躍り出たけど周りが理解できない原因で落ちていくと言う。。。(ネタなのか?
ランチアデルタHFは同じ程度の車格に2リッターエンジン、これに1.6リッターエンジンで挑んだんだよな。ランチアデルタの大パワーに軽さとアンダーステアの少なさで健闘してたよな…本当に惜しかった。
31年前に一番最初に買ったクルマがBFMR。中古で買ってすぐにクラッチが滑るわ、シフトワイヤーが切れるわで大変だったけど楽しかったwまぁ、今考えれば曲がらなかったなぁ。デフロックして、コーナーでドカンとブレーキ踏んでフロント荷重にしてなんとか曲げるみたいなクルマでしたなw
何故MAZDAはWRCで323を猛プッシュしなかったのか?未だに謎w。
これのセダンのフルタイム4WD 4ATに乗っていました。1600でしたが、燃費が悪かったです。
モデルチェンジして最後の最期にたしかスポルト4っての出したような記憶あります。かなりゴッツいリヤスポイラーついてたなぁ
4輪駆動RE車出て来て欲しかった!その意味ではgroup・Bの消滅は惜しかったですね!
懐かしいなぁ 初めて買った車🚗
フランスかスイスのヒルクライムに出てました。kp61も元気にクラッシュしてました。ユウチューブですが。
マツダがグループS車両を開発していた話は多分知っていたはずですが忘れてました。なんだかエクステリアデザインが出来損ないのフォードRS200みたいですねwさて果たして戦闘力はいかほどだったのか?ちょっと気になりますね。
てっきりラリーを意識して開発したのかとw
この世代の赤ファミリアは特撮番組超人機メタルダーに出ていたことと小学校の出入りの寿司屋で使われていたことが印象深い。
肝心のスゥエディッシュラリーが未記載だな
そう、このマツダはスキーに行くのに良かったんだよ。バブルだったなあ。
免許取得して最初の車がMAZDA ファミリアだった懐かしいな
BFファミリアといえばメタルチャージャーですよ超重力エネルギーで変形してマッハ2.5で空も飛べてさいきょうだと思います!
国内のダートラではC3クラスで大活躍してたぞ!地元では区間タイムであのDクラスのツインエンジンカルタスより速かったこともある!
田嶋サンより速いの?ヤバい
@@ウナギネコ-k5z そうなんですよ!アナウンスがあった時はそりゃもう盛り上がりましたけどその後ひっくり返っちゃいましたけどね^ ^ドライバーは梶岡さん。当時は本当凄い人でした^ ^
同じターボエンジンでffも選べたちうね…あとメタルチャージャー!
若年層の10代前半でございます
こちらは昨シーズンのWRCにてラリー・フィンランド開催70周年を祝して制作された映像です。ua-cam.com/video/m0h8FGn6ccM/v-deo.html歴代フィンランド人ドライバーにゆかりのあるマシンの数々が登場しますが、323も少しだけ映ります。
なんか、スノーの道がコースのWRCで雪の女王とか言われてた気ガスwWRCに出場する目的じゃないのに開発されたって、はあ?
BFMR懐かしいぃ~~~♬♬スキーにハマっていた当時、チェーンを巻いてもがいてるFR・FFを尻目に、スタッドレスでガンガン雪道登れたなぁ~♡♡♡関越道の赤城の登りも、余裕でスピードメーター振り切れました^^あ、マフラー&エアクリ交換+EVCでブーストUP、CPは現車合わせリセッティングで、ノーマルFC3Sはブッチ出来る仕様でした♬♬でも、ボディーのペラペラ感?は、安っぽさを演出し、、、雑音みたいなエンジンサウンドは・・・><友人のVTECインテグラ(Rが出る前のターバン顔の型)に乗らせてもらった時は、速さはともかく、そのサウンドにビックリした記憶が^^;
Mazda 323 GTR は、ついこの前 (2/10 だったかな?) Forza Horizon 5 に実装されましたね~
BFMRファミリア 暫く綱島の小山自動車が使ってたなぁ 懐かしい
ファミリア1800GT-Rのヨーロッパワークス撤退マシンが日本の個人エントラントに放出され、ダートラで活躍した。
驚く事に、セダンにも同型エンジン搭フルタイム4WDが、あったそうです。
BFからBGに変わるちょっと前に マツダのメカになって BFも整備してたな。
BGがでてすぐに社員割引で GT-Ae(競技用のベース車 エアコンもパワーウインドウも無かった)買って 乗り回してました。
新車からのクロスミッションが1年ほどで2速が入らなくなり クレームで新しい強化されたクロスミッションに交換した。FFベースの4WDは時間がかったな。ギア比が少し変わってたような気がしたが 気になるレベルでも無かった。若いころの良い思い出が詰まった車でした
自分もBG8Z乗ってジムカーナやってました。
知人に勧められて中古だけどBFMR乗ってました、フルタイム4WDって
正直よく分かってなかったんだけど実際運転してみるとコーナーを4輪で掻きむしりながら走る感覚が面白くて当時夢中になりましたね、初期型乗ってたけどライトが4灯で
夜道が明るくて助かりました。
初めて買った自動車がこれでした!曲がらないし、ミッションがオーバーヒートして入らなくなるし、センターデフロックがなかなか入らないし、トーコンがぐにゃぐにゃな足でしたが、壊れずよく走りました。ファミリアありがとう(°∀°)
うぷ主さん、「若年層に日和らない」いいですねぇ~
1.5や1.6のハッチバックブームも一段落、マツダは新型RX7出して、スリーローター4WDのMX-03のプロトモデルを見せておいて、マツダが突然ラリーにこれを出して来たのは驚きましたね。そんな裏があったんですね。
色々と、当時のことを思い出す良いきっかけになる動画をありがとうございます。
知り合いのチューニング工場の社長さんが某パーツメーカーに在籍していた平成初期頃に首都高ランナーで走っていて
このファミリアに乗っていてました。
R32GT-Rをチギるカナリ速いファミリアで有名だったみたい。
パワー上げるとミッションが保たなくてヤタラと壊れたんだよ〜
と聞きましたねぇ
80年代現役ラリーストだった方がTA64セリカを入手して「これで勝てる」と思っていたらコイツが出てきて膝から崩れた。と語っていたのが印象的。
マツダのモータースポーツはワークスのフットワークに本社がついていけなくて足を引っ張る形になるイメージ…マツダ一丸で戦う姿を見てみたい。
ファミリア4WDのおかげで同一内容に近いジェミニJT191Sがタッチの差で
1600㏄DOHC+TURBO+4WD 遊星ギヤセンターデフ(トルク配分がR寄り)組合せ車両の国内販売が2番目になった。(JT191発表直前にファミリア4WDが販売される)
JT191Sに比べてファミリアは軽かった・・・
今では販売できないような軽い車体と4WD 遊星ギヤセンターデフの組合せは
ネオヒストリックとして大事にしてもらいたい車両ですね。
このファミリア乗っていました。FFもあったけど無理して4WD買った。
思いっきりアクセルを踏み込んでもスピン無しでスート加速しターボが聞き出すとGを感じるくらいでした。
速かったな・・・
なつかしい!免許取ったらファミリアGT-R買おうと思ってたんだよな。
あのごっついエアロバンパーはかっこよかった。
この頃オートラマの兄弟車のレーザーフルタイム乗ってたよ。ディーラーチューニングで速い車にしてもらったのを思い出します。パーツが少なくて足回りは、ワンオフだし、強化クラッチをマツダスピードからテスト的に入れたけど、ガーガーうるさくて返却なんて事も
まぁ、普通に230k巡航出来たし首都や峠なんかも楽しめましたよ。
最初に買った車です。
燃費悪かった、でも楽しかったね。
クラッチ半年に一回交換してたよ。
50代
24の時に免許取って初めて買ったのがファミリアのGT-Aテンロクターボ四駆中古車でコミコミ140万くらいで買える物を探して貰って辿り着いた知り合いに探して貰ったから2800のソアラも同じ値段で買えるって言われたけど
未舗装の山道走るの好きで此にしたジムカーナも少しだけやったけどハイグリップタイヤ入れて横転しかけたけど良い思い出です、次の車も1800のファミリア四駆(セダン)に乗ってた良く走る面白い車だった。
ティモサロネン(元プジョー205T16使い)とハンヌミッコラ(元アウディクワトロA2〜スポーツクワトロS2使い)という当時としたら最高のラインナップ。凄く驚いた事を思い出した
マキネンも乗ったしね
BGのGT-X 乗ってました
東京福島間を、夜中ターボ効かさず止まらず走ってたら、リッター17km走ってビビった
踏むとリッター5km
当時、パワーウエイトレシオがポルシより上らしく楽しかった
今でも、GT-R か GT-Ae メチャ欲しい‼️
中古で、ロールバー組んで
エアコン無しで
若い頃近くの峠はしってましたが
運転技術がおいつかず
何回がクラッシュしてました
懐かしいです😭
323懐かしいですね。今でこそマツダの4WDはCX5やらで注目されるようになったけど、
遡るとこのあたりの時代の技術がひっそり生き残っている感じですね。
ちなみにGr.Aホモロゲーションは1992年までは連続した12ヶ月に5000台の生産という
レギュレーションですよ。
日本初のフルタイム4WD
そのメリットを生かすためにエンジンもDOHCターボでパワーアップ
まさにラリーで勝つために作られたモデルだな。
ファミリアGT-Rに乗っていました。ドアより高価なフロントエアロバンパー。
高速では厳つい顔なので、後ろに付くとあっさり車線を開けてくれました。
ただ後ろから見ると、ファミリアなので猛然と追撃されます。
フルタイム4WD 1600ccDOHCターボのこのファミリア、本気に欲しかった1台です。
ボーイズレーサー全盛、各メーカーからおもしろい車が沢山あって本当に楽しい時代でした。
他ではなかなかファミリアを見る事が無かったのに、ここで見つけて大歓迎です。
う~む…やはりファミリアはこの世代に限ります🎵
性能的には次世代に譲りますが、直線基調のデザインが堪らん
ただ、モーターショーに出展してた「スポーツ(スポルト?)4」は知らんかった…これはBG系?
めちゃくちゃカッコいいわ~🎵
丁度ラリーに興味を持った時期がBF全盛でした。後々MAZDAのディーラーに入社しましたが、GTAeは中古ででてこず、同形の1300に渋々乗ってました。
まず、323を取り上げてくれてありがとうございます。私のツレが乗っててかなり早かったですよ。あっラリーじゃないですよ。峠ですよ~🙂
年次モデルを出すなど改良が続いていたらランチア・デルタの独走を止めたのはセリカではなく323だったかもしれない
もし排気量を2Lにした所で、パルサーと同じ様にコンパクトボディから来る
エンジンの熱問題やタイヤの制限に苦しんだかもしれないですね
もし本気で取り組んでたら、ランティスに4WDターボを載せて参戦してたかもしれないですね
サイズや横置きエンジン由来のウィークポイントはデルタも同じでしたね。
結局はWRCにどのように取り組むかメーカーの首脳部次第ですね。
マツダ本社はモータースポーツ全般に冷淡な対応で深く関与する気が無いのは感じられました。
デルタを改良し続けて王座を死守し続けたデルタにはランチアというか親会社であるフィアットの意地とイタリア自動車工業の底力を見せつけられた気がします。
@@金澤華 ランチアデルタはとにかくモデルチェンジが資金面で中々モデルチェンジ出来なかったのもあり
インテグラーレ、16V、エヴォルツィオーネと矢継ぎ早にエボモデルを出してきましたね
ランチアは日本車の2L の4WDターボが月に5000台も売れるとは思っておらず
舐めて掛かってた面はありますね。ランチア救済の為にFIAがグループAの規定生産台数を
1993年以降は年2500台に緩和してしまいましたし。
友人でエヴォルツィオーネとテーマ8.32をそれぞれ買ったのが居て
どちらも運転させてもらいましたが官能的な音とは裏腹にどちらも燃料ポンプの故障や
ホースからの燃料漏れ、冷却水漏れと熱から来る故障が多かったですね。
二人ともマツダ系のオートザムで購入してましたが。
四駆特有のプッシュアンダーが強くてコーナー手前で向きを変えて進入しないと真っ直ぐ行ってしまう車だった。
多分、霊夢と魔里紗は1965年~1970年産まれだろ?😅
マツダの4WDは当時マツダに存在したスキー場にオープンカーで行きたい派(後にRX-7カブリオレやロードスター作る一派)と、すぐにスキー場に着きたいんじゃ派(ファミリア4WD作る一派)が存在してて後者の人たちがとにかく雪道で飛ばしたいんじゃ!とレベルリングサス(積もった悪雪路で必要)とワンセットで作ったと実しやかに語る営業に回されたシャーシ開発の人が言ってたなぁ(;´∀`)。
ちな、スノモ積みたい派(マービー作る)や、みんなでいったろ派(後にMPV作る)等も居た模様。広島に居てどうしてソコまでスキーに熱いこだわりあったのよ?っていうね…。(当時のモーファンのインタビューにも度々スキーネタ出るんだよねマツダは
スキー場が広島から非常に近いところにあるのが大きいですね。
おまけに雪道の試験も簡単ですし....
初代ロードスターにも純正オプションのスキーキャリアがありました
MAZDAは、323がラリーで要望されていた事を知らなかった。本気になるのが、遅すぎた。もしかしたら、91年ル・マンより前にヨーロッパで「"MAZDA"」名前を売れた。
1987年、1985年にプジョーでチャンピオンを獲ったティモ・サロネンが加入、
その時点で「これはマツダの優勝だ!」と思ったものでした
BFMR乗ってた・・・冬場にスタッドレス履いてゲレンデまで行くのに便利してた。
高速も快適に飛ばせるし、ハイトコントロールがあって車高を上げれるので少々の轍なら問題なく走れるし・・・
マツダの力と言うよりはサロネンの力量が大きいと思う。小排気量、ハイブースト、ノーマルミッションではキツイ状況。Xトラックの件は当時セリカ、ギャランが開発依頼をしていたと聞きました。マツダへの開発は謂わゆるテストベッド。日本のメーカーは欧州のサプライヤーとの付き合い方が下手なのでTTE、MSE、RAE等の現地法人が窓口になってメーカーへの技術フィードバックをしていたらしいが、田舎の国のメーカーさんは色々「仁義」に欠く行為をいていたみたい。マツダにはサロネン以外に有名ドライバーと契約してもっと資金を注ぎ込めばワンチャンあったと思います。マツダよComeback Rally!
GrAで一番最初に、ランチアに勝ったメーカーなのに、ルマンに全部持って行かなければねぇ❓と思う。
@@takashishimazu3597 そのランチアだってWRC撤退後はスタッフごっそりDTMのアルファのワークスチームに移籍させて155で大暴れしてたじゃないですかー。
デルタにしろ155にしろマシンは問題だらけだったけどチーム運営がずば抜けて素晴らしかったから優勝出来たってのは良く言われてる事。
@@ochachaocha ジョルジオピアンタでしたっけ❓カッコ良かったなぁ~。
@@ochachaocha その通り。BGのファミリアや8Vのデルタに乗ってたけど、デルタは内容的には「出来の悪いチューニングカー」だった・・・WRCのチャンピオンは車の性能もだけど「チーム力」によるものだと思った20ン年前。
ほんと
ファミリアには色々と
驚かされましたね
その前にRX7グループBでラリー参戦しちゃったマツダ恐るべし!😁
確かトミ・マキネンが1991年にワークスマツダヨーロッパから323GTX?でラリー参戦していたはず。
この車が市販され始めたころ、当時の陸運支局の検査ラインでは前例のない
フルタイム4WDに対応できずに(前後に駆動力があり片方をキャンセルできない)
のでリヤのドラシャを切り離すという「改造」のもとで検査を実施していたという
話は整備業界では有名ですね。
BF-BG時代は一番輝いてたなぁ
高出力戦争に置いてけぼりw
免許取って初めての車がBG8Z GT-Rでした。存在知らなかったのに店頭で見て即決めてしまいました。私をラリーベース車大好きにした根源。
ダートトライアルでは2WD AE86から4WD BFMR ファミリアに変わっていった!
当然前後リミテッドスリップデフ装置・センターデフロック❗
ファミリアは、回頭性が良くないのにフロント側のスペースが足りず、LSDは入れられません。
ビスカスで、辛うじて4WDと言ってます。
ノーマルのサスは、ヘニョヘニョです。
でも、乗ってて最高に楽しい車でしたよ!
ロードスターと似てます
ツインカムにターボにフルタイム四駆と当時は盆と正月とクリスマスが一度に来たような車でした
2WD版の∞もお忘れ無く
リアルタイム世代です。欲しかったけど訳ありで買えませんでした (´;ω;`)
この頃のMAZDAは欧州の流行と要求を国内仕様にも導入していて、肩幅まであり固めのシート。高い剛性のボディ。シャープなハンドリング。
で、当時はさらなる高速直進安定性能の向上のためにはフルタイム4WDは必須という車業界の認識があっての、国内初のフルタイム4WDでした
道産子としましてはスパイクタイヤ禁止となりスタッドレスタイヤのみとなり良い傾向だなと思っていましたよ
FRの大型乗車では平地でも発進できないくらいでしたからね
社会人になって同期が中古のBFMR買って、よく乗せてもらったな。。ラリー好きだったので私も欲しかったけど、新車はムリだし良いタマが無かったので ライバル車 VR-4の安目のに落ち着いた。事情はともかく各社のワークス日本車が世界で戦っていたよき時代だわ。
最初から最後まで『排気量差』に泣かされた名車。
そもそも、最初は『ホモロゲ』関係無い、一『四駆ターボ』だったから仕方ないのかな…
競技の為だけにファミリアに2Lエンジン積むのは、活動をほぼMRTEに任せてたマツダ的には『無し』だったんだろうなー。
当時はスポーツエンジンはロータリー 実用エンジンはレシプロだったから2000CCクラスの使えるエンジンが無かったと予想
実際市販車で良いエンジン無かったマツダ
コメント失礼致します。
免許取得後 の初愛機でした。
昭和63年式後期HB1600ツインターボフルタイム四駆GT-X
歳の近い親戚が新車で購入。その頃から乗り換えの際は回してちょうだいとしつこく言ってました。🤪🤪
だって、カッコいいんだもん。🤗🤗
ただ、ライトチューンを施した車輌(ブーストアップ、車高調、マフラー) にて、初心者🔰にはなかなか手強い一台でした。
結局一年乗り、タービンブローにて、終了したのですが、
速かった‼️
あと当時、広島県内豪雪地帯(ウチの本家)に住んでおり、学校までの足(片道約70キロ)として、特に冬季の移動には安心感たっぷりでした。
改めて四駆の良さを痛感しました。🤗
また、新車より、レカロシート、モモのハンドル、サンルーフ、ハイトコントロールに、外装は、フルエアロ武装と文句無し。でした。
B Fの頃は一時期同じようなタイプのライバルが出てきていなかったから国内ラリーでは強かった
BGは1 800にしてしまったためライバルが2 000なのに中途半端で国内も海外も勝負にならなかった
本気で全力でやるか全く何もしないかはっきりさせるべきだった
BFMRのGT-Aeを新車で購入、はじめは、4ドアセダンのGTを購入するつもりでしたが、価格が安いのと
高性能をセールスに勧められ購入、当時まだスパイクタイヤが使えたので、雪道は楽勝でしたね。
1600CCで2000CCのランチャ、トヨタ、三菱のワークス勢を追い回す1000湖ラリーでの
マツダ323 4WDの雄姿はカッコよかったな。
ドライバーはティモサロネン、ハンヌミッコラ、イングバーカールソン、ロッドミレンだったかな。
一時商用車としてFFのを使ってたけどギヤ抜けとトルクステアが凄かった。
サブフレームとその取り付け部位が本当に弱かったんだと思うがアレをどんなに補強してもラリーじゃ厳しいだろうな。
当時、デーラーの担当が、リミッター外すと、230キロ出る、と、カタログ持ちながら親父が言ってた、323のカタログと、
何故か削岩機(東洋工業は削岩機メーカー)のカタログをデーラーから持って来てたw。
懐かしい。
自分もBFに乗ってました。
妹が2代目レガシーに乗り換えて車検切れになってたのをゆずってもらいました。
乗っていて楽しかったけど最後は通勤中、ワダチを乗り越えたときにショックで左前のドライブシャフトが破損。修理に20万コース言われて泣く泣く廃車。
楽しく乗ってました。燃費は悪かったけど。
4WDといえばスバルを連想しますが、個人的にはマツダのイメージが強いです。
フルタイム4WDは、マツダのほうが早かったからですね。
慌ててスバルもフルタイムを開発するも、時既に遅し。
旧態依然とした出力のエンジンでは、WRCでは勝てないクルマになりました。
ホントにマツダは、面白いメーカでした。
私の中でのBFMRは、当時の日本ラリー界を席巻した名車です。(^_-)☆
超懐かしい!初めて買った車でコスパ最高でした。1600ccDOHC16バルブインタークーラーターボ 良い響きだ
1987年式4WD DOHCターボGTXを中古で購入して乗っていました。ターボ、インタークラー交換EFIチューニングで約250PSにパワーアップ+クラッチも強化、ブレーキパッドはエンドレス、サスペンションはカヤバ、タワーバー フォグランプはシビエでしたね。 ドノーマルのスカイラインGTRについていけるくらいのポテンシャルはあるとショップの人が太鼓判をおしてくれましたが、山口にあった西日本サーキットのラップタイムはドノーマルのGTRやセリカGT4より早いタイムを叩き出しました。運転したのはマツダスピードのエンジニアの人で私ではありません,トラブルも無くすごいく良い車だったと思います。また当時HONDAーCB750Fにのっていました、ファミリアの加速はCBの加速に近い感覚ですごく早かったのは分かりました。私が1991年 仕事でアメリカに赴任したため家族に管理をお願いしましたが1992年に兵庫県のショップが買い取ってくれたと聞いています。家内に聞くとかなり高額だったそうで教えてくれません。
今のMAZDAに求めるのは酷。787B優勝した時に垂れ幕だけだった事を考えると、モータースポーツ=商売直結を考えてない。つまり販売戦略が下手に見受けられる。今の日本メーカー全体に言えるけど。環境対策で高コストになりすぎよね。
ファミリアを再評価中でしたので、この動画の存在がタイムリーでうれしかったです。
ちなみに当時にラリーに興味と知識なく、WRCで活躍してたのを知りませんでした(恥
BFMRのTVCM、BGMがグロリアエステファンの「123」だったの覚えてる。CMの映像も印象的でした。
雪の女王は好き
wrcは本社が乗り気じゃなかったのがなあ…
ファミリアが来たら次はパルサーですよね?(威圧)
当時、「プレイドライブ」誌なんかを読みあさっていて、この車が発表された時は驚いた。センターデフロックとフリーどちらが速いかなんて記事もあったな
エアサス デフロック 良いクルマだった
M2 1023 がカッコ良くてベースモデルも好きになったなー。あのエアロバンパーが良い
M2シリーズを今のマツダにもう一度
あの頃の業界自体が、世界初とか○○初とか初物競争がすごくて、マツダも結構いろんな初物入れてるんだよね。なので開発経緯は別に謎でもなんでもないんだよ。
そんな緩い参戦体制に巻き込まれて割喰ったのが、ロードスターのB6エンジンのヘッド開発だった。
ってのは知る人ぞ知る話
RX-7はWRC前に北米でIMSAだけでなく SCCA で活躍していた。
グループBはその延長線上で始まっただけの事。
また欧州ではアクロポリス、アイボリーコーストと共にサファリの3つが耐久ラリーと区分けされていた。
サファリだけが特別ではないんだけど、日本的にはサファリしか報じられなかったから特別視されてるだけなんだけどね。
デビュー翌年、1986年の全日本ラリーCクラスに大挙してエントリーしたファミリア4WDターボだったが・・
チャンピオンはスバルレオーネ4WDターボRXでしたね。
ドライバーの綾部美津雄氏が「レオーネの方がホイールベースが長いから有利だと思った」(グラベルでのトラクション?)とコメントしてたのを記憶しています。
ぐはぁ!ファミリアロータリークーペ懐かしい〜⤴⤴⤴
ピエヒが開発した、アウディクワトロの技術は、世界中の自動車エンジニアに影響を与えた。
この当時のマツダも変態だったな、
俺の知ってる変態ユーザーは4駆ファミリアのセンターとリヤのデフをノンスリにして峠を爆チギリしてた猛者が御座ったな、
34年前だった。
今乗ってるBG8ZのGT-Rは変態車で乗り換える気がしないわ(褒めてる)。維持するのは部品無くて大変だけど(笑)
コレの前はBFMRを2台続けて乗ってたけど、軽くて振り回すには良い車でした。あの手の車はもう出ないんだろうなぁ・・・
徹底的な磨き込みで進化した2代目のベストセラーFF
BKアクセラを323ラリーカーのカラーに塗って読者にプレゼントしていた雑誌がありましたね。もう廃刊になっちゃいましたが…
BFファミリアですかぁ!隠れた名車(迷車)です!…www
BFファミリアからBGファミリア(最強)につながるんですよ…
当時はまだバブルの残り香で、HFばっか見てました・・・
なんか、少年期の頃の夢がボロボロ崩れ落ちていく(笑)。
でもあの頃、腕に覚えのある人達の間では結構人気の車だったな。
懐かしいなぁ
自分は姉妹車のフォード レーザーにのってたわ
私は広島県民ですがmazudaの斜め上を行くずれっぷりは世界に認知されていたのですね。。。周りとの価値観の不一致がネガでなくポジに出て一躍世界に躍り出たけど周りが理解できない原因で落ちていくと言う。。。(ネタなのか?
ランチアデルタHFは同じ程度の車格に2リッターエンジン、これに1.6リッターエンジンで挑んだんだよな。ランチアデルタの大パワーに軽さとアンダーステアの少なさで健闘してたよな…本当に惜しかった。
31年前に一番最初に買ったクルマがBFMR。中古で買ってすぐにクラッチが滑るわ、シフトワイヤーが切れるわで大変だったけど楽しかったw
まぁ、今考えれば曲がらなかったなぁ。デフロックして、コーナーでドカンとブレーキ踏んでフロント荷重にしてなんとか曲げるみたいなクルマでしたなw
何故MAZDAはWRCで323を猛プッシュしなかったのか?未だに謎w。
これのセダンのフルタイム4WD 4ATに乗っていました。
1600でしたが、燃費が悪かったです。
モデルチェンジして
最後の最期にたしかスポルト4っての出したような記憶あります。
かなりゴッツいリヤスポイラーついてたなぁ
4輪駆動RE車出て
来て欲しかった!
その意味ではgroup・Bの
消滅は惜しかったですね!
懐かしいなぁ 初めて買った車🚗
フランスかスイスのヒルクライムに出てました。kp61も元気にクラッシュしてました。ユウチューブですが。
マツダがグループS車両を開発していた話は多分知っていたはずですが忘れてました。
なんだかエクステリアデザインが出来損ないのフォードRS200みたいですねwさて果たして戦闘力はいかほどだったのか?ちょっと気になりますね。
てっきりラリーを意識して開発したのかとw
この世代の赤ファミリアは特撮番組超人機メタルダーに出ていたことと小学校の出入りの寿司屋で使われていたことが印象深い。
肝心のスゥエディッシュラリーが未記載だな
そう、このマツダはスキーに行くのに良かったんだよ。バブルだったなあ。
免許取得して最初の車がMAZDA ファミリアだった懐かしいな
BFファミリアといえばメタルチャージャーですよ
超重力エネルギーで変形してマッハ2.5で空も飛べてさいきょうだと思います!
国内のダートラではC3クラスで大活躍してたぞ!地元では区間タイムであのDクラスのツインエンジンカルタスより速かったこともある!
田嶋サンより速いの?
ヤバい
@@ウナギネコ-k5z
そうなんですよ!アナウンスがあった時はそりゃもう盛り上がりましたけどその後ひっくり返っちゃいましたけどね^ ^
ドライバーは梶岡さん。
当時は本当凄い人でした^ ^
同じターボエンジンでffも選べたちうね…あとメタルチャージャー!
若年層の10代前半でございます
こちらは昨シーズンのWRCにてラリー・フィンランド開催70周年を祝して制作された映像です。
ua-cam.com/video/m0h8FGn6ccM/v-deo.html
歴代フィンランド人ドライバーにゆかりのあるマシンの数々が登場しますが、323も少しだけ映ります。
なんか、スノーの道がコースのWRCで雪の女王とか言われてた気ガスw
WRCに出場する目的じゃないのに開発されたって、はあ?
BFMR懐かしいぃ~~~♬♬
スキーにハマっていた当時、チェーンを巻いてもがいてるFR・FFを尻目に、スタッドレスでガンガン雪道登れたなぁ~♡♡♡
関越道の赤城の登りも、余裕でスピードメーター振り切れました^^
あ、マフラー&エアクリ交換+EVCでブーストUP、CPは現車合わせリセッティングで、ノーマルFC3Sはブッチ出来る仕様でした♬♬
でも、ボディーのペラペラ感?は、安っぽさを演出し、、、雑音みたいなエンジンサウンドは・・・><
友人のVTECインテグラ(Rが出る前のターバン顔の型)に乗らせてもらった時は、速さはともかく、
そのサウンドにビックリした記憶が^^;
Mazda 323 GTR は、ついこの前 (2/10 だったかな?) Forza Horizon 5 に実装されましたね~
BFMRファミリア 暫く綱島の小山自動車が使ってたなぁ 懐かしい
ファミリア1800GT-Rのヨーロッパワークス撤退マシンが日本の個人エントラントに放出され、ダートラで活躍した。
驚く事に、セダンにも同型エンジン搭フルタイム4WDが、あったそうです。