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ピッチはバラバラな箇所もあるし今全く同じ演奏でコンクール出たら全国へは行けないかもしれませんが、当時の中学生たちの苦労、今では考えられない指導方法でやってきたと思いますし技術ではなく心で聴ける素晴らしい演奏の1つです。今の時代にはない音の豊かさを感じます。なぜか涙の出るとても素晴らしい演奏であることは間違いないです。
酒井先生、十中のメンバーたちに会いたかったなあ。八田先生には当時御世話に成りました。もう50年も経ってしまいした。
ああ、懐かし過ぎます。中学校で吹奏楽をやっていた頃、正に憧れの演奏でした。
こんなに昔から吹奏楽は親しまれていたんですね...そしてこの曲は私の高校でよく演奏されている曲。きっと色んな人がこの曲を演奏されてきたんでしょうね。部活を辞めたいと何度も思いましたが、こういう曲を聞いていると吹奏楽を辞めたくないという気持ちが強まって、、涙が溢れます。いつも私を救ってくれてありがとう。。
この十年後に出雲一中の満点ダフニスですが、ここの十年間でもピッチの良さなど技量が大幅に良くなっているのを感じます。60年代はまだまだ大変な時代であったことが分かります。
今でもコレを始めて聴いた時の事賢明に覚えてるもう、30年以上前だけど当時自分と同じ中学生で自分が産まれる遥か前にこんな凄い演奏をしてる人達がいたのかと…トローンボーン、チューバ、ユーホで中高と何回か演奏したけど1番好きな曲だし、色んな人達がプロも含めてやってるけど自分の中ではコレを超えるエルザはありません…卒業する時このレコード頂いて何回も自宅で聴いたのは遠い思い出です…私の中でエルザは間違い無く豊島十中のコレです。
私が中1の時部室にある全日本のレコードを顧問の先生から聴かされ、同じ年がやってるとは信じられず!感動しました。
不滅の名演
中学生の頃、豊島十中先輩方のこの演奏に憧れてました!今でもエルザは思い出が深い曲です。
この時代当然小学生から管楽器をやっている生徒はいません。中学生になって初めて楽器を持った生徒だけでこれだけの演奏ですよ。かつて豊島十中といえば全国大会3位以内の常連名門校でした。今津中や、出雲と毎年1位を競うあう名門中の名門です。現在は金賞でくくっていますが、かつては順位付けをしっかりしていました。
赤三でやってた者ですが、本当に名曲ですね。 今だにしみじみと感じます。
私がエルザと出会ったのがこの演奏でした♪衝撃的でした。
八田先生の練習風景音声とか聞いてみたいです(^ ^)
素晴らしい…ではないやれる最大のこと、、できたことが最高
チューバの響きがすごい....
当時、酒井先生より良く聴かされていたのは、ミシガン州立大学ウインド・オーケストラの演奏でした。今聴いてもしっくりきます。
現代の中学生にこのすごい演奏がそれだけ響くかな。。。ピッチはあってないし、録音もベタだし。でも自分はこの演奏の数年後に生を受けたおじさんだけど、敗戦後20年の苦労あとここまで心豊かな演奏をしたこの先輩たちに拍手だわ・・・
歴史を感じる映像と、ベタな音質がすごく心に沁みます^ ^
前の年(長崎市公会堂で開催)の課題曲が「ティアラ」で、優勝した今津の演奏(音盤に収録されているのは2位のこの学校の演奏)をきいたことがあるけど、優勝と2位との差がこんなに開くものなのかと思うようなものだった。「エルザ」といえば、お馴染みのルシアン・カイリエ版。木管楽器の強みというのか、持ち味がよく生きた演奏となっている。長崎の仇を仙台で取ったというか、リベンジを果たしたという印象。当時は順位制だったから、コンクールも今以上の緊張感があふれるものだったのかもしれない。ギャルドを驚かしたという記事のタイトルは凄い。ギャルドは酒井先生をはじめ、当時の吹奏楽関係者の憧れの存在だったのだから(ちなみに私はフェネル&EWEですけどね)。特筆すべきは生徒さんたちが本当にいきいきしていること。酒井先生がいかに人徳者であったことの証左でしょう。今は古希に近い年齢になっていることでしょうか。アップに感謝です。
この時の採点が、一人の審査員がひっくり返してしまったと、金銀銅への移行の原因ともなった大会でした。更には今津が以後の演奏を変えてくるきっかけともなった大会でした。
酒井先生と八田先生でしたね。この時の練習に立ち会わせていただきました。感動でした。
これで、トクツ、トクツ、バカ、バカを倒した訳ですか。
ピッチはバラバラな箇所もあるし今全く同じ演奏でコンクール出たら全国へは行けないかもしれませんが、当時の中学生たちの苦労、今では考えられない指導方法でやってきたと思いますし技術ではなく心で聴ける素晴らしい演奏の1つです。今の時代にはない音の豊かさを感じます。なぜか涙の出るとても素晴らしい演奏であることは間違いないです。
酒井先生、十中のメンバーたちに会いたかったなあ。八田先生には当時御世話に成りました。もう50年も経ってしまいした。
ああ、懐かし過ぎます。中学校で吹奏楽をやっていた頃、正に憧れの演奏でした。
こんなに昔から吹奏楽は親しまれていたんですね...そしてこの曲は私の高校でよく演奏されている曲。きっと色んな人がこの曲を演奏されてきたんでしょうね。
部活を辞めたいと何度も思いましたが、
こういう曲を聞いていると
吹奏楽を辞めたくないという気持ちが強まって、、涙が溢れます。
いつも私を救ってくれてありがとう。。
この十年後に出雲一中の満点ダフニスですが、ここの十年間でもピッチの良さなど技量が大幅に良くなっているのを感じます。60年代はまだまだ大変な時代であったことが分かります。
今でもコレを始めて聴いた時の事賢明に覚えてるもう、30年以上前だけど当時自分と同じ中学生で自分が産まれる遥か前にこんな凄い演奏をしてる人達がいたのかと…トローンボーン、チューバ、ユーホで中高と何回か演奏したけど1番好きな曲だし、色んな人達がプロも含めてやってるけど自分の中ではコレを超えるエルザはありません…卒業する時このレコード頂いて何回も自宅で聴いたのは遠い思い出です…私の中でエルザは間違い無く豊島十中のコレです。
私が中1の時部室にある全日本のレコードを顧問の先生から聴かされ、同じ年がやってるとは信じられず!感動しました。
不滅の名演
中学生の頃、豊島十中先輩方のこの演奏に憧れてました!
今でもエルザは思い出が深い曲です。
この時代当然小学生から管楽器をやっている生徒はいません。中学生になって初めて楽器を持った生徒だけでこれだけの演奏ですよ。かつて豊島十中といえば全国大会3位以内の常連名門校でした。今津中や、出雲と毎年1位を競うあう名門中の名門です。現在は金賞でくくっていますが、かつては順位付けをしっかりしていました。
赤三でやってた者ですが、本当に名曲ですね。 今だにしみじみと感じます。
私がエルザと出会ったのがこの演奏でした♪
衝撃的でした。
八田先生の練習風景音声とか聞いてみたいです(^ ^)
素晴らしい…ではない
やれる最大のこと、、できたことが
最高
チューバの響きがすごい....
当時、酒井先生より良く聴かされていたのは、ミシガン州立大学ウインド・オーケストラの演奏でした。今聴いてもしっくりきます。
現代の中学生にこのすごい演奏がそれだけ響くかな。。。ピッチはあってないし、録音もベタだし。でも自分はこの演奏の数年後に生を受けたおじさんだけど、敗戦後20年の苦労あとここまで心豊かな演奏をしたこの先輩たちに拍手だわ・・・
歴史を感じる映像と、ベタな音質がすごく心に沁みます^ ^
前の年(長崎市公会堂で開催)の課題曲が「ティアラ」で、優勝した今津の演奏(音盤に収録されているのは2位のこの学校の演奏)をきいたことがあるけど、優勝と2位との差がこんなに開くものなのかと思うようなものだった。「エルザ」といえば、お馴染みのルシアン・カイリエ版。木管楽器の強みというのか、持ち味がよく生きた演奏となっている。長崎の仇を仙台で取ったというか、リベンジを果たしたという印象。当時は順位制だったから、コンクールも今以上の緊張感があふれるものだったのかもしれない。ギャルドを驚かしたという記事のタイトルは凄い。ギャルドは酒井先生をはじめ、当時の吹奏楽関係者の憧れの存在だったのだから(ちなみに私はフェネル&EWEですけどね)。特筆すべきは生徒さんたちが本当にいきいきしていること。酒井先生がいかに人徳者であったことの証左でしょう。今は古希に近い年齢になっていることでしょうか。アップに感謝です。
この時の採点が、一人の審査員がひっくり返してしまったと、金銀銅への移行の原因ともなった大会でした。更には今津が以後の演奏を変えてくるきっかけともなった大会でした。
酒井先生と八田先生でしたね。この時の練習に立ち会わせていただきました。感動でした。
これで、トクツ、トクツ、バカ、バカを倒した訳ですか。