#09 家広が先祖家康を語る 04
Вставка
- Опубліковано 29 січ 2022
- 公益財団法人徳川記念財団
理事長 徳川宗家19代德川家広がお届けする徳川記念財団公式チャンネルです。
徳川記念財団HP
www.tokugawa.ne.jp
財団公式Instagram
/ tokugawa.memorial
■賛助会員募集
当財団は、徳川宗家に伝来する歴史的資料を保存・公開すると共に、日本近世史への正しい認識を研究を通じて深めつつ、国内外にその内容を紹介して行く事に努力して参ります。その趣旨にご賛同の皆様のご理解とご支援をお願いいたしたく、賛助会員としてご加入いただき、安定した運営を確保し、財団の目的を達成することにご参画くださいますようお願い申し上げます。
会員様特典・申込方法等につきましては財団HPへ
www.tokugawa.ne.jp/support
豊臣方は破産に近い状態だったけれど、かといってあまりにも豊臣の名前が強すぎたので、
決定打として象徴性をもった戦としての関ヶ原という禊というか儀式的な戦争が徳川の政権交代には必要だったということですね。
関ヶ原は資料見れば見るほど東軍が勝つことが明確で、さらに西軍も1日で負けて諦めるために戦をやるというのは不思議に思っていましたが
政権交代の象徴的な儀式として最終決戦としての戦がないと武家として決まりが悪いというのは盲点でした。
まるでたった1日の戦の功名で江戸260年の身分関係を固定して定着させるスナップショットのように最終決戦の歴史絵図を描きあげるというのは、後世に歴史解釈における権力闘争の余地もなくすと言う意味で画期的発明だったと思います。
そこで大谷がもしその絵を描いていたのだとしたらさらに面白いと思います。
素晴らしい説を当主みずからお話になっているのを聞けて光栄です。
あのう、続きまだでしょうか?
秀吉が征夷大将軍ではなく関白になったのはなぜでしょうか?