【鳥羽城】鉄甲船を操る戦国最強水軍「九鬼嘉隆」が最後を遂げた島を望む

Поділитися
Вставка
  • Опубліковано 12 січ 2024
  • 歴史studioKURUWA(クルワ)はこちら studio-kuruwa.com/
    1578年11月。当時最強と呼ばれていた毛利水軍はとんでもないものを目にします。それは海に浮かぶ巨大な船。織田軍の鉄甲船です。それまでの船とは比べ物にならない大きさ。表面に張られた鉄の板。飛び移って攻撃することもできず、投げ焙烙(なげほうろく)も効かず、六隻の鉄甲船の前に毛利水軍は粉砕されます。有名な(第二次)木津川口の戦いです。
    この鉄甲船を建造し戦った武将が九鬼嘉隆。今回のお話の中心となる人物です。九鬼嘉隆は志摩の国、現在の三重県の出身です。織田信長の伊勢攻めに加わり、その後家臣となったようです。海をよく知り水軍を率いての戦いが得意。織田家の勢力拡大に貢献。(伊勢長島の一向一揆鎮圧や木津川口の戦いで活躍し)し、志摩国の領有を認められます(兄の子・澄隆より当主の座を譲られる?)。信長の死後は豊臣秀吉の配下に。ここでも水軍を率いて九州平定、小田原征伐などに参陣。朝鮮出兵(文禄の役)では水軍の総大将を務めます(船大将 慶長の役は出陣していない)。戦国一の水軍の将として後に「海賊大名」と呼ばれた九鬼嘉隆。その居城を鳥羽に定めたのは1594年頃と言われています。「鳥羽城」とは一体どのような城だったのでしょうか。

КОМЕНТАРІ • 4

  • @user-fh4wh7gx7s
    @user-fh4wh7gx7s 10 днів тому

    信長の野望で鉄甲船をつくったら九鬼嘉隆に持たせました

  • @TAIRA_TAKAMORI
    @TAIRA_TAKAMORI 6 місяців тому +1

    UPお疲れ様です!
    村上武吉とならぶ水軍大将の城ですね。
    残念なことにここも学校施設になっていたとか。でも日本一眺めの良い学校だったかもしれませんねw
    鳥羽は伊勢湾の出入り口の要所。また今でも渥美半島の伊良湖との間にフェリー便(乗ったことあります)があり、縦の航路と横の航路の交差点でもあったのでしょう。九鬼家は石高は少ないですが水運の利益が莫大だったでしょうね。
    「世界のミキモト」も鳥羽の目玉でしょうが、九鬼水軍と鳥羽城ももっと認知されて欲しいですw
    次回も楽しみにしています!

    • @kainosuke-rekishi
      @kainosuke-rekishi  6 місяців тому

      私も伊良湖から鳥羽までのフェリーに乗ったことがあります。今思えば鳥羽城に海から近づくルートを体験できたわけで、もっとあちこち見ておけばよかったなと思います。

    • @TAIRA_TAKAMORI
      @TAIRA_TAKAMORI 6 місяців тому

      @@kainosuke-rekishi
      >鳥羽城に海から近づくルートを体験
      あ~、それは私も気づかなかった!鉄張安宅船の雰囲気を味わえたかもしれませんねw