【お城紹介】「石垣山城」山中に眠る秀吉が小田原城攻略のため築いた城の跡
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- Опубліковано 10 лют 2025
- 戦国時代の終わり、天下統一を目前にした豊臣秀吉は、関東に勢力を張る北条家の本拠「小田原城」を大軍で包囲します。しかし城と城下町をそっくり囲む「惣構え」を持つ小田原城は、この包囲にびくともしません。そこで秀吉は小田原城を見下ろす山の上に密かに城を築きます。森の中に塀や櫓の骨組みを造り、紙を貼って壁のように見せかける。そしてある夜、周囲の樹木を一斉に切り倒したのです。山の上に突如巨大な城が現れたのを見た小田原城の兵たちはビックリ。「豊臣軍は一晩であんな大きな城を造ってしまった」と驚愕し、たちまち降伏したと言われています。
この「太閤一夜城伝説」の舞台石垣山には、このとき秀吉が築いた城の跡が残っています。小田原城からちょうど見上げたところにある山、そして城を囲む大きな木々。まさに「伝説の舞台はここなのだ」と思える場所なのですが、実際に城跡を見てみるとたくさんの曲輪の跡やそれを囲む石垣があり、この城が紙の壁をはっただけの見せかけのモノではないことがわかります。石垣を積み上げその上に建物を建てる、なんと5層の天守も上がっていたといわれ、大坂城や聚楽第にも劣らない豪華な城がこの山にあったのです。
当時北条氏が治めていた関東では、城と言えば土づくりのもの。小田原城の城兵たちは城が一夜で出現したことではなく、これまでに見たこともない高い石垣と豪華な高層建築を見て驚愕したのかもしれませんね。
小田原合戦での豊臣軍は、北条氏の本拠小田原城を大軍で包囲すると同時に別動隊が各地の支城を次々と落とし、小田原城を孤立無援の状態に追い込んでいました。そう遠くないうちに落城するであろう小田原城。そのようななかで石垣山城は築かれたのですが、ここまで本格的な城じゃなくてもいいのではと、ちょっと不思議に思えますよね。今回は、箱根の山すそに築かれた豊臣秀吉の城、石垣山城を紹介します。