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この時代屈指の英雄、冒頓単于その後千年以上に渡る遊牧帝国の型を作った功績は秦始皇、漢高祖に匹敵する大偉業と思います。
こりゃまた超メジャーで超マイナーな人物馬や妃の話は有名ですよね
ありがとうございます!
ありがとうございます!お心遣い、痛み入ります!!
鮮卑にも拓跋部とか慕容部とかあるように、匈奴にもいくつも部衆があったんだろうね。赫連氏の鉄弗部のように。とにかくあれだけ巨大な勢力を誇ったのに、よくわかっていない民族。
恐るべしユーラシアステップ。魔窟の指導者ってよく知らないから嬉しい。
なんか人質の立場で殺されそうな状態から逃げられるやつ大体英雄になるな。それだけ難しいことなんだろうな。
冒頓単于から始まる匈奴と前漢の関係といえば、八王の乱での劉淵の活躍の伏線ですね。解説楽しみにしています。(えっ、違うって!?
冒頓単于はまさに傑物でしたね。匈奴のイメージそのものな感じです。万里の長城に一回行ったことありますが、匈奴対策の1つでしたよね。弟分として貢物を送り国の安定を優先した劉邦も流石に英雄!。戦いのお手本のような話、良かったです。匈奴はその後どうなったのか知りたいです、吐蕃とかはまた別部族なんでしょうね!?。。
何度聞いても「劉邦乙wwwよぅ、俺で良ければ抱いてやんよwww」の部分が畜生過ぎて草
覇王の気質を持つ者はいつも一つのこだわりと冷酷さと寛容さとそれを瞬時に切り替える事ができる
馬と后と土地の話は凄く好きだな。図に乗ってはいけない好例やね。
最近の発掘調査で匈奴にも竪穴式住居や城郭があったことや高度な製鉄技術をもっていたことがわかってきましたね。長年議論になっている匈奴とフン族の関係も進展があるかもしれませんね。
夏華族(漢民族)自体が中央アジアを通って黄河流域に先着していた南方系の苗族を追い立てて農耕を始めた遊牧民族。それゆえ夏・匈奴どちらも祖先が同じという形では。
すると言語は農耕先住民のものを自分達の訛りを込めて使うように成ったんかね
@@間抜作アーニャ同一人物説 例えば北京語と広東語で全く発音が異なるように中国の北側は特に遊牧民の影響を受けてるかもしれませんね
「Y染色体ハプログループの分布 (東アジア)」で検索してみるとなんとなくわかるのでは
大和民族も最初に日本に来た蝦夷人を北に追いやって自分で畑を作っています。wwww
匈奴の王墓にはペルシャなどの影響を受けた遺物もあるらしいスキタイなどとのつながりが気になるまた、一説では、紀元前4世紀頃からともいわれるが、いつ頃から彼らは草原を支配し始めたのかも気になる点である。考古学的研究が進むのを期待したい
スキタイへのつながりが確かにきになりますな。
鏑矢や東胡のエピは横山先生の作品で読んで強く記憶に残ってるなぁ
遊牧民は土地に執着しないというけど、この話を聞く限り本当なのだろうか
中国(中原の民)的な価値観で土地=耕作地、という意味では一切執着しないけど、土地=牧草地という意味では、死に物狂いで奪い返そうとするとか。土地に関する遊牧民と農耕民の見方の問題ではないだろうか。
定住民族が戦争をする理由は、奴隷を確保して、それらの農業に投入させるためである。しかし匈奴帝国、契丹帝国、遼帝国、突厥帝国, 金帝国など遊牧民は、農業をしない。彼らは世界を冒険する。そして、世界を征服するために力を注ぐ。民族自体が一つの軍隊。だからこそ彼らにとって最も重要なことは、騎兵の中核的な馬が食べることができる牧草地を確保するものである。したがって遊牧民は、国を征服したときに、できるだけ多くの虐殺し、都市と国を破壊させて牧草地にしておく。中世の時代とき、世界最強の帝国だったチンギス・カンのモンゴル軍がペルシャを侵略してペルシャの都市を虐殺して破壊した。破壊されたその都市は廃墟になって、21世紀の今日に至るまで、誰も住んでいないゴーストタウンになってしまった。だから、このような強力な軍事力と残忍さを持つ遊牧民が近世時代までに全世界で最も恐ろしい恐怖の対象だったのだ。
冒頓単于の苛烈な訓練法は、根本では「敵兵をペーパーターゲットみたく見えたら即座に撃てる」ようにする現代軍の訓練にも通じる部分がある…
残罪✖ 斬罪◯横山光輝も短編で書いてましたね。遊牧民は、出会いが少ないので近親婚も多かったとか。
BGMいいね
冒頓単于から逃れることのできた劉邦すげえw って逆に思ったwww
とてもわかりやすく最高です。 適格な絵や地図が、これこそ解説動画だ~と感心させられます
バカツールはバートルの語源になり「エスゲイバートル」「ウランバートル」が生まれました。
鳥バート
冒頓単于以降、優秀な北方の民族の英雄の出現に中国は恐れていたでしょうね。
いやあ、田母神さんがこんなこと言ってたね「二十年ほど前までは、中華人民共和国は軍事力において自由主義諸国の敵ではなく、なにかできるものならしてみろ、という程度のものに過ぎなかったが、米国の施策のあやまりで今や世界の平和を脅かす一大脅威のならず者国家となるまで増長してしまった。」とね。漢のころの中国にとっての冒頓が、いまの日本にとっての中国の習近平だ。
遊牧民は巨大なリーダーの元で異常とも言える勢いを発揮するが、そのリーダーがなくなるとすぐに没落するイメージがある。
横山光輝漫画ではチンギスハーンの逸話になってたな。
バガトルがバハードゥルになったり(ウラン)バートルになるの、まさしく歴史のロマンって感じ
この人と項羽が戦ったらどうなるかIfストーリーとして多いに興味をそそられる。
本当にそう思う。IFだけど、冒頓単于対項羽、あるいは韓信の戦がどんなものになるのか歴史のロマンですよね。ただ、劉邦もさるもの、戦死せずに帰ってきたことは流石と思う。
@@かんのま 項羽との戦いの賜物で、逃げることに関しては当時の中原一の男、劉邦ですから。項羽に包囲された時も、陳平の策を容れて脱出してるし、ある意味黄金パターンですね。
この頃の遊牧民の平原国家って凄いのに文字とか記録を残す文化が無かったから、色んな事が謎なロマンに溢れてるんだよね。一説によると日本に製鉄とか青銅の文化も、この神秘の平原を経由して越えて伝わって来た説もあるしホント面白い。
冒頓單于かぁ冒頓はバガトル=勇者という意味とする説もあるみたい。当時の匈奴は、李牧のように対策を立てるか、蒙恬のように優位を得て戦って勝てる相手だったようだけど、冒頓單于の登場でパワーバランスが崩れたんだよなー中華と同程度の兵数を要するようになっては兵科の差が出てしまう。高祖でなくとも例えば、項羽や韓信であっても万を越す弓騎兵を封じなければ冒頓には敵うまい。
晩年の劉邦の猜疑心モードがなく、韓信(国士無双のほう)が斉王のままやったらこの活躍はなかったかもしれないし、その上でも暴れまわっていたかもしれない。ちょっと見てみたいifルート。
冒頓単于「ボク…突然ウッってなって…」
当時の北方騎馬民族の残酷さではノブちゃんでも真っ青…
現役高校生だが、世界史で匈奴やって興味出てきたから匈奴の略系図23代まで覚えたったw
話し方は好きではないが冒頓単于の表現がわかりやすくて良いです。
冒頓単于が放った最強のギャグ・・まさかあの呂后に・・、いや、冗談でも止めてくれ(笑)
呂后は冒頓単于に対して丁重な返信を贈り「こんなおばあちゃんでは貴方さまを満足させられないでしょう(笑)」とユーモアにしてる。単なる嫉妬深いキチガイ女などでは決してなく優れた政治家だった事がそこでも裏付けられてる。
呂后は間違い無く有能な人だったでしょうね。ただその非人道的な嫉妬心にはただただ恐怖ですが…😓。
澶淵の盟は大陸国家がはじめて結んだ対等条約だーっていってる諸先生方に見てもらいたいものですな漢の時代から土下座外交してるっての
冒頓は、強力なリーダーシップを発揮し瞬く間に周囲の諸部族を統合して強大な遊牧帝国を築き上げる英雄の嚆矢となってる。嚆矢=かぶらや矢だけにww記録を残さないので実際は冒頓以前に北狄と呼ばれてた連中のなかにも冒頓みたいな英雄がいたかもしれないが、秦漢帝国以前と以後で中華王朝の性質が異なるように冒頓により遊牧国家の在り方が大きくかわった。欧米や東アジア諸国と日本の文化的な違いを感じる時、その根っこの部分は遊牧文化の濃淡に由来してると思う。遊牧民が副業のように行うのが略奪だけど、長らく平気で略奪を行える感覚が理解できなかったが、狩りの延長に戦争があるように狩りの獲物の延長に農耕民の穀物や織物があると考えたら、我々が魚釣りや山菜取りに行く感覚に近いのかもしれないと思った。農耕民からは野蛮人と蔑視されてきたが、遊牧民からは馬上から見下ろす存在で「馬にも乗れない下等生物」くらいに思われてた。※馬具発明以前は農耕民が乗馬するのはほぼ無理遊牧民同士でも家畜や女の奪い合いがあるのので、見下してる農耕民から奪う事になんの躊躇もなかったんだろうね。
人権という思想的発明が浸透している現代でさえ、肌の色や人種の違いで他者を人間扱いしない人はザラですからね。人権なんていう概念が毛筋ほどもない時代、かつ弱肉強食の厳しい自然のなかで生きる遊牧民にとって、「奪う」ことは当然の自然淘汰であり、自分の身を自分で守れず、他者(王朝の軍隊)に守られることを前提に生きている中華の農民は、理解できない生き物だったのかもしれませんね。
@@スリーリングス まったく貴殿のおっしゃるとおりであるが、いまは、中華の農民が、無学なままに中国共産党に洗脳されて匈奴に早変わりしている。あたかも、大量発生して黒変した飛蝗のようなものだ。中国主席の習近平、北朝鮮の金王朝、露助帝国のプーチン大帝、などまさに現在の単于以外のなにものでもない。
現代日本の深夜アニメでも中央アジアにエイリアンかなにかが根付いちゃって主に日米英が海の向こうから反撃の機会を伺う。。。って展開多いけど、話の通じない連中がユーラシア中で奪い、破壊し尽くすという世界観に中華東欧みある
匈奴ってこんなに領土有ったんだ。
す、すごい所を解説しますね!!!名前しか知りませんでした!!!
偽装退却を用いた包囲殲滅作戦は後のモンゴル帝国も得意とした戦法ですね。本当の名将しか成功させられないといわれる難易度の高い戦術ですから、冒頓単于の非凡な将才が透けて見える様です。
名将って、勝てば官軍でなんとでもいえるかしらんが、老兵を餌食にして敵を誘い込む作戦は、周りで味方も見ているからのう。勝利のあとの恩賞で一時は若年者を沈黙させ得たとしても、若年者もいずれは老いるからのう。目の当たりにした光景は脳裏に焼きついて、いずれは滅亡の火口(ほくち)となるものよ。人身御供を強要する民族や国家は後には必ず衰退、滅亡する。命令者が、国家国民のためにやむをえなかったのだと詫びて自決すれば話しは全く別だがのう。
@@NV124KX660 匈奴は老人を軽視し、父が亡くなったらその妾は子どもの妾となる文化なので。ただの文化的な違いでは?儒教が絶対正しいと言いきれないでしょ。
@@anaheimmechatronics564 文化的な違いで済ませれば世話ないわな。儒教が正しいか正しくないかしらんが、蛮人のすることよりは少しは人間性があるわな。
@@NV124KX660 その人間性とやらも儒教やキリスト教等の宗教の影響受けてるの分かる?仮に老兵を最精鋭であるべき両翼にして、それで負けたらどうするの?負けたら全員奴隷になるのに?それに老兵ならベテランだから「逃げながら戦う」といったことも得意だよ?それに父の妾を娶るのも、妾達にとりあえず生活の糧を与える意味も有るんだよ。
@@anaheimmechatronics564 わからん方やな。われら日本人の感覚では、名将というのは勝てが良いというのではなかろうと言っておるのです。名将と呼ばれるには、ただ強いだけではだめで、智、仁、勇の三要素を兼ね備えた武将でなければならず、冒頓単于の振る舞いには、仁がないと言っているのです。 夕日と拳銃(馬賊 伊達準之助)の主題歌1.黒竜江に水飼いて 馬は荒野のつむじ風 ひずめはアジア 揺さぶりて ムチに風切る ウサ晴らし 赤い夕日を 身に浴びて 夢は歴史を駆け巡る。2鞍に百花の散り来たり 我は万里の野の覇王 仁あり、智あり、力あり 悲歌慷慨の友多し 赤い夕日を 身に浴びて 夢は歴史を駆け巡る。3.虚飾偽善の世を憎み 馬賊、世俗のあぶれもの たてがみ強く握り締め 我ら千古の道」をゆく 赤い夕日を 身に浴びて 夢は歴史を駆け巡る。
動画の中で言っていたのが、「物資を上納」ではなく下賜なのでは?その名誉対面を守るための支出だったのかと思います。中国史の中でも特に注目される事が少ない人物だと思うのですが、このようにまとめていただいて楽しかったです。
初めまして!冒頓単于を取り上げた動画は珍しいですね。楽しく拝見させていただきました。リクエストです。北宋の徽宗帝はいかがでしょうか。太祖趙匡胤を取り上げていますし、水滸伝でも有名。遼・北宋の滅亡・金の蹂躙など話題が多いと思います。
冒頓さん、もうちょっと早く暴れ出してくれたら劉邦兄いが走狗を煮なかったのにー
うわっははは、旨いことをおっしゃる。これは秀逸日本も、モウちょっとで、共産や、立民の売国奴どもの甘言に乗って自衛隊を縮小してしまうところであったわい。習近平のバカヤローが、うまい具合に待ちきれんで正体をあらわしてしもうたから、よかったが
匈奴が中原に進出しても馬の飼い葉になる牧草地が無いし中華勢力が匈奴に進出しても荒れ地ばかりで耕作出来ないなぜ得るものもないのにお互いに戦っていたのでしょうかと思ってた時期が私にもありました
貴チャンネルの動画を見ていて、やっぱり古代中国の歴史に北方異民族は欠かせないと感じ、他チャンネルで北方異民族の歴史動画を探して見ていました。ただ、やはり記録が中国の物に頼るので歴史年表みたいなものになってしまっていたので残念です。もっと出自や各民族(?)の関係などについて知りたくなりましたが、記録がない以上難しいんでしょうね。
昔習った頃は考えもしなかったけど「冒頓」ってどう読んでも「ぼうとん」としか読めず、一瞬脳内でゲシュタルト崩壊しそうになりました。ちなみに現代中国語でも「Modu」になるはずであり(この読み方自体、中国語のセオリーからすればかなーり例外的なのですが…)、現代広東語から類推される唐代の長安音(日本語で言うところの漢音)でも「ボクトツ」にはならないはず…。なぜ「ボクトツ」と呼ばれるのか非常に謎ですねぇ。
中央アジアの歴史は凄い可能性を秘めている…
北方騎馬民族でレビラト婚つまり寡婦が夫の死後、夫の兄弟と結婚する風習があったと聞きます(女真族)。匈奴もそうだったかはわかりませんが、冒頓単于が呂后に結婚を持ち掛けたのも、むしろこの風習を通じて漢との関係を深めたかった、というのは考えすぎでしょうか?
禿髪樹機能の乱とかもだけど、王朝の衰退って遊牧民が一因になる事が多いね
匈奴の首都ドラゴンシティらしき所を今なお調査してるってTwitterでみたなー
楚漢戦争の勝者劉邦を何気に簡単に打ち破っている匈奴。しかしその匈奴を北伐して勝利していた秦の始皇帝。話は単純じゃないけど単純に比べると始皇帝の凄さがわかるような・・・。
まあ、始皇帝のころは、動画前半の東胡の土地を併合してないし、冒頓の軍制強化もしてない頃ですからね。中原風に言うなら、冒頓がいない匈奴は、項羽がいない楚軍みたいなものかと。
劉邦が負けて逃げるのはいつものことですけどね。この状況でも死なないのが劉邦の凄さです。
確かに。劉邦が王朝創業メンバーである韓信や張良とかをもっと大事にしていたら、匈奴相手でも負けなかったかもしれませんね。
最近のゆっくり街道では中国史といえば鳥人間先生、日本史といえば樽之介先生と、日々、令名が高まっているお二方ですが、両先生とも、それぞれのご専門のみならず世界全体の歴史にも、ことごとく通じているのには、毎回感服のほかありません。ところで、今回の匈奴の話に、中島敦の小説の主人公「李陵」が登場しませんでしたが、たしか、あの小説は「漢の武帝のてんかん3年、秋9月、きとい李陵は」という書き出しでございましたから、今回のおはなしよりさらに後代のことなのでしょうか?
何故文字を持たなかったのでしょね。はるか後年のモンゴルの時もモンゴル側の記録はありません
なんかとっけつ文字なんて仮名より古くなかったか
ハコモノを作らなかったり自賛した歴史書を残さなかったりするところが定住民族との違いという感じで好きだ。自然の凄さの前では人間は取るに足らないという思想でもあったのかな。
農産物が沢山無いと、文字や数字を使う役人が養えないため遊牧だと皆兵ではあるが、役人はあまり要らん→文字は要らんまた、仮に文字を作っても、部族がバラバラな場所にいるので文字の統一は難しい。紙の原料や竹も高原にはあまり無いし
@dsa 確かに羊の毛で羊皮紙を作ることは出来るよ?でも羊の毛では、ゲルや衣服の原料にする必要があるから羊皮紙はとても需要も優先順位も低いよね。優先順位が低いから作り方知らない人が多かったんじゃないかな。
あの劉邦が頭下げっぱなしだったんだから、レジェンド。
蒙恬きた。蒙恬の一族の解説とか面白そう
宥和政策は相手をつけ上がらせるだけ。はっきりわかんだね。
動画の最後に後の遊牧民族への影響は計り知れません中華帝国の外交政策も、冒頓単于のような人物が輩出しないよう分断政策を取ります妃と馬の話、油断させて奇襲のエピソードは彼自身の忍耐力や狡猾さがよく分かりますね
この頃はまだ「鳥人間の提供」だったのですね 笑
事あるごとに謎かけみたいなことされて、意に沿わなかったら斬られる。家臣はたまったもんじゃないな
相手を油断させてから叩く。……相当の策士だぜ。
元寇の時に日本側が鏑矢を使ったらモンゴル側は嗤ったというけど、この時はもうモンゴルでは鏑矢は廃れていたのかな?もしくは高麗人ばかりだったからなのか?
フビライが漢字とか中華文化に感銘を受けて弓もモンゴル式から、威力は下がるけどより戦術の幅が広い中華式に切り替えたり色々文化変動があったのも影響してたかもしれないですね。一応元寇前の刀伊の入寇時は日本の鏑矢に、攻めてきた高麗人と女真族がビビってそれが切っ掛けで日本側が反撃したらしいけど。
陳平さん…ここでも出てくるんか
中国でいう「夏王朝の末裔」って、日本でいう「平家の落人」みたいなもんかねぇ(眉唾)
今までで一番生きてて一番シッコリした例えだ
劉邦よっぽど恐かったんやろなあ
中国の王朝は半分は遊牧民にルーツあるしな。遊牧民がわかれば世界史がわかる。
ぼ、僕はおにぎりが好きなんだな…
匈奴つよ。
白頭山の陳平の策は陳平が死ぬまで沈黙守って詳細不明の秘策なのでは?
資治通鑑に注があります
ユーラシア大陸全体規模での民族の角逐があり、チャイナ史はその東の端の一部に過ぎない。日本人には、古来その東の端の一部ばかりが見えたので、その部分を過大評価してきたと言えるだろう。
劉邦「匈奴をぶっこわーす‼️」なお、結果(ry何で、「百敗将軍」なんて言われた程の戦下手がノコノコ出陣したんですかねぇ。国士無双の韓信や英布達を燕王や趙王にして迎撃させて、負けたら責任とらせて失脚させれば良いのに。と思ったことが何度かある。勝ったら手がつけられないから出来なかったんだろうけど。
いえ、劉邦は戦下手ではないですよ。むしろ、あの項羽相手に負けつつも軍としての抵抗を数年続けていただけでも、大したものです。5度に渡るかの諸葛亮の北伐は一度も成功せず、それゆえに孔明は戦が下手だった、という評価もありますが、むしろあの短期間で5回も遠征を続けられたこと自体が異常なのです。「常勝将軍」項羽に対し、抵抗続けられた劉邦は、やはり大した武将ではあったのです。日本では徳川家康は後年の政治家的な動きの方が有名ですが、彼はかつて「東海一の弓取り」と言われた武将でした。劉邦も根っこのところは武将であり、皇帝という似合わない地位に就いたことが、晩年の彼の評価を下げることになってしまったのでしょうね。冒頓と戦う時の劉邦は、かつて項羽と戦っていたときの「らしさ」が戻ってきてるような感があります。
5ヶ国と一緒に秦と戦ったんですか?!
顔が都市伝説テラーの関に似てるw
匈奴に「国家」と言う意識はあったんだろうか?それを言い出すと中華王朝はいつから「国家」と言う意識を持ったのか?と言う話にもなるんだけど。周かなぁ?
確かに。[殷]の時代まで都市単位でしたからね。🤔大きな国家は周からかな?
マジキチのサイコパスだったんだなあ
妻を踏み絵として射殺したり隣国を油断させるためにくれてやったりと、自分が捨て駒にされたことについて天道に復讐しているようにも見えますね。
冒頓単于がフン族の王だったら全ヨーロッパを統合して今でも1つの国になってたかも
僕、突然・・・ウッ!
プーチンとイメージが被るんだよね。。。
未亡人になった呂后に、ラブレター❤️✉️を送った男だな。「我はやもめにして、汝も寡婦。願わくは、我の一物を以て汝の穴を慰めん」
良馬は彼らにとって第一の宝なんだよね?だったら冒頓が頭曼単于の良馬を殺した時点ですでに叛意は明らかなのに、なんでその後一緒に狩りに出かけてるの?頭曼単于って鹿なの?
単于が漢を破った事で満足せずに、中原の生産力を自国に組み込もうと考えたなら東西を繋ぐ世界国家がいち早く生まれていたと考えるのは早計でしょうか。
私で良ければ慰めてやろうwwww
劉邦は戦弱かったからなあ。更に、韓信もいなくなり、余計に弱くなっている。劉邦得意の買収とか引き抜きは異民族には通じないみたいだ。これが項羽だったらどんな戦になったのか。歴史にIFはないが、想像してしまう。
ボクトツとしてるな
理不尽な命令をわざと出して忠誠を試した蛮族の名君ですね。
結構なマキャベリスト
んでもって現在周辺の遊牧民にご先祖様の復讐をしている訳ですか。どうなるか分かりませんが。
他の方も指摘しているように、冒頓さん、貴方程なら美女は選り取り見取りなのに、何故よりによってあの「呂太后」にラブレターを送った?私が冒頓さんなら、「漢の美女100人寄越せ!不細工寄越したら軍事進行して国中蹂躙してやんぞ、クラァ!」って恫喝します(笑)
軍事「進行」ではなく、軍事「侵攻」でした。書き間違えてすみません。
基本劉邦は戦下手ですからね。
条件反射を最初に理解した人だね。
知らんかった単宇の方が名前なのか!確か、日本軍の満蒙工作時にモンゴルの長が日本軍と結託して、国民党やソ連の圧力を跳ね返す為に「単宇」を名乗っていたから、単宇自体が草原の民の長の意味があるのかと思ったわ。
冒頓単于?あの孫子に敗退した奴か?
この時代屈指の英雄、冒頓単于
その後千年以上に渡る遊牧帝国の型を作った功績は秦始皇、漢高祖に匹敵する大偉業と思います。
こりゃまた超メジャーで超マイナーな人物
馬や妃の話は有名ですよね
ありがとうございます!
ありがとうございます!
お心遣い、痛み入ります!!
鮮卑にも拓跋部とか慕容部とかあるように、匈奴にもいくつも部衆があったんだろうね。赫連氏の鉄弗部のように。とにかくあれだけ巨大な勢力を誇ったのに、よくわかっていない民族。
恐るべしユーラシアステップ。魔窟の指導者ってよく知らないから嬉しい。
なんか人質の立場で殺されそうな状態から逃げられるやつ大体英雄になるな。それだけ難しいことなんだろうな。
冒頓単于から始まる匈奴と前漢の関係といえば、八王の乱での劉淵の活躍の伏線ですね。解説楽しみにしています。(えっ、違うって!?
冒頓単于はまさに傑物でしたね。匈奴のイメージそのものな感じです。万里の長城に一回行ったことありますが、匈奴対策の1つでしたよね。弟分として貢物を送り国の安定を優先した劉邦も流石に英雄!。戦いのお手本のような話、良かったです。匈奴はその後どうなったのか知りたいです、吐蕃とかはまた別部族なんでしょうね!?。。
何度聞いても「劉邦乙wwwよぅ、俺で良ければ抱いてやんよwww」の部分が畜生過ぎて草
覇王の気質を持つ者はいつも一つのこだわりと冷酷さと寛容さとそれを瞬時に切り替える事ができる
馬と后と土地の話は凄く好きだな。図に乗ってはいけない好例やね。
最近の発掘調査で匈奴にも竪穴式住居や城郭があったことや高度な製鉄技術をもっていたことがわかってきましたね。
長年議論になっている匈奴とフン族の関係も進展があるかもしれませんね。
夏華族(漢民族)自体が中央アジアを通って黄河流域に先着していた南方系の苗族を追い立てて農耕を始めた遊牧民族。それゆえ夏・匈奴どちらも祖先が同じという形では。
すると
言語は農耕先住民のものを
自分達の訛りを込めて
使うように成ったんかね
@@間抜作アーニャ同一人物説 例えば北京語と広東語で全く発音が異なるように中国の北側は特に遊牧民の影響を受けてるかもしれませんね
「Y染色体ハプログループの分布 (東アジア)」で検索してみるとなんとなくわかるのでは
大和民族も最初に日本に来た蝦夷人を北に追いやって自分で畑を作っています。wwww
匈奴の王墓にはペルシャなどの影響を受けた遺物もあるらしい
スキタイなどとのつながりが気になる
また、一説では、紀元前4世紀頃からともいわれるが、いつ頃から彼らは草原を支配し始めたのかも気になる点である。
考古学的研究が進むのを期待したい
スキタイへのつながりが確かにきになりますな。
鏑矢や東胡のエピは横山先生の作品で読んで強く記憶に残ってるなぁ
遊牧民は土地に執着しないというけど、この話を聞く限り本当なのだろうか
中国(中原の民)的な価値観で土地=耕作地、という意味では一切執着しないけど、土地=牧草地という意味では、死に物狂いで奪い返そうとするとか。
土地に関する遊牧民と農耕民の見方の問題ではないだろうか。
定住民族が戦争をする理由は、奴隷を確保して、それらの農業に投入させるためである。
しかし匈奴帝国、契丹帝国、遼帝国、突厥帝国, 金帝国など遊牧民は、農業をしない。彼らは世界を冒険する。そして、世界を征服するために力を注ぐ。民族自体が一つの軍隊。だからこそ彼らにとって最も重要なことは、騎兵の中核的な馬が食べることができる牧草地を確保するものである。したがって遊牧民は、国を征服したときに、できるだけ多くの虐殺し、都市と国を破壊させて牧草地にしておく。
中世の時代とき、世界最強の帝国だったチンギス・カンのモンゴル軍がペルシャを侵略してペルシャの都市を虐殺して破壊した。破壊されたその都市は廃墟になって、21世紀の今日に至るまで、誰も住んでいないゴーストタウンになってしまった。
だから、このような強力な軍事力と残忍さを持つ遊牧民が近世時代までに全世界で最も恐ろしい恐怖の対象だったのだ。
冒頓単于の苛烈な訓練法は、根本では「敵兵をペーパーターゲットみたく見えたら即座に撃てる」ようにする現代軍の訓練にも通じる部分がある…
残罪✖ 斬罪◯
横山光輝も短編で書いてましたね。遊牧民は、出会いが少ないので近親婚も多かったとか。
BGMいいね
冒頓単于から逃れることのできた劉邦すげえw って逆に思ったwww
とてもわかりやすく最高です。 適格な絵や地図が、これこそ解説動画だ~と感心させられます
バカツールはバートルの語源になり「エスゲイバートル」「ウランバートル」が生まれました。
鳥バート
冒頓単于以降、優秀な北方の民族の英雄の出現に中国は恐れていたでしょうね。
いやあ、田母神さんがこんなこと言ってたね「二十年ほど前までは、中華人民共和国は軍事力において自由主義諸国の敵ではなく、なにかできるものならしてみろ、という程度のものに過ぎなかったが、米国の施策のあやまりで今や世界の平和を脅かす一大脅威のならず者国家となるまで増長してしまった。」とね。漢のころの中国にとっての冒頓が、いまの日本にとっての中国の習近平だ。
遊牧民は巨大なリーダーの元で異常とも言える勢いを発揮するが、そのリーダーがなくなるとすぐに没落するイメージがある。
横山光輝漫画ではチンギスハーンの逸話になってたな。
バガトルがバハードゥルになったり(ウラン)バートルになるの、まさしく歴史のロマンって感じ
この人と項羽が戦ったらどうなるかIfストーリーとして多いに興味をそそられる。
本当にそう思う。IFだけど、冒頓単于対項羽、あるいは韓信の戦がどんなものになるのか歴史のロマンですよね。ただ、劉邦もさるもの、戦死せずに帰ってきたことは流石と思う。
@@かんのま
項羽との戦いの賜物で、逃げることに関しては当時の中原一の男、劉邦ですから。項羽に包囲された時も、陳平の策を容れて脱出してるし、ある意味黄金パターンですね。
この頃の遊牧民の平原国家って凄いのに文字とか記録を残す文化が無かったから、色んな事が謎なロマンに溢れてるんだよね。
一説によると日本に製鉄とか青銅の文化も、この神秘の平原を経由して越えて伝わって来た説もあるしホント面白い。
冒頓單于かぁ
冒頓はバガトル=勇者という意味とする説もあるみたい。
当時の匈奴は、李牧のように対策を立てるか、蒙恬のように優位を得て戦って勝てる相手だったようだけど、冒頓單于の登場でパワーバランスが崩れたんだよなー
中華と同程度の兵数を要するようになっては兵科の差が出てしまう。高祖でなくとも例えば、項羽や韓信であっても万を越す弓騎兵を封じなければ冒頓には敵うまい。
晩年の劉邦の猜疑心モードがなく、韓信(国士無双のほう)が斉王のままやったらこの活躍はなかったかもしれないし、その上でも暴れまわっていたかもしれない。ちょっと見てみたいifルート。
冒頓単于「ボク…突然ウッってなって…」
当時の北方騎馬民族の残酷さではノブちゃんでも真っ青…
現役高校生だが、世界史で匈奴やって興味出てきたから匈奴の略系図23代まで覚えたったw
話し方は好きではないが冒頓単于の表現がわかりやすくて良いです。
冒頓単于が放った最強のギャグ
・・まさかあの呂后に・・、いや、冗談でも止めてくれ(笑)
呂后は冒頓単于に対して丁重な返信を贈り「こんなおばあちゃんでは貴方さまを満足させられないでしょう(笑)」とユーモアにしてる。単なる嫉妬深いキチガイ女などでは決してなく優れた政治家だった事がそこでも裏付けられてる。
呂后は間違い無く有能な人だったでしょうね。ただその非人道的な嫉妬心にはただただ恐怖ですが…😓。
澶淵の盟は大陸国家がはじめて結んだ対等条約だーっていってる諸先生方に見てもらいたいものですな
漢の時代から土下座外交してるっての
冒頓は、強力なリーダーシップを発揮し瞬く間に周囲の諸部族を統合して強大な遊牧帝国を築き上げる英雄の嚆矢となってる。嚆矢=かぶらや矢だけにww
記録を残さないので実際は冒頓以前に北狄と呼ばれてた連中のなかにも冒頓みたいな英雄がいたかもしれないが、秦漢帝国以前と以後で中華王朝の性質が異なるように冒頓により遊牧国家の在り方が大きくかわった。
欧米や東アジア諸国と日本の文化的な違いを感じる時、その根っこの部分は遊牧文化の濃淡に由来してると思う。
遊牧民が副業のように行うのが略奪だけど、長らく平気で略奪を行える感覚が理解できなかったが、狩りの延長に戦争があるように狩りの獲物の延長に農耕民の穀物や織物があると考えたら、我々が魚釣りや山菜取りに行く感覚に近いのかもしれないと思った。
農耕民からは野蛮人と蔑視されてきたが、遊牧民からは馬上から見下ろす存在で「馬にも乗れない下等生物」くらいに思われてた。※馬具発明以前は農耕民が乗馬するのはほぼ無理
遊牧民同士でも家畜や女の奪い合いがあるのので、見下してる農耕民から奪う事になんの躊躇もなかったんだろうね。
人権という思想的発明が浸透している現代でさえ、肌の色や人種の違いで他者を人間扱いしない人はザラですからね。
人権なんていう概念が毛筋ほどもない時代、かつ弱肉強食の厳しい自然のなかで生きる遊牧民にとって、「奪う」ことは当然の自然淘汰であり、自分の身を自分で守れず、他者(王朝の軍隊)に守られることを前提に生きている中華の農民は、理解できない生き物だったのかもしれませんね。
@@スリーリングス まったく貴殿のおっしゃるとおりであるが、いまは、中華の農民が、無学なままに中国共産党に洗脳されて匈奴に早変わりしている。あたかも、大量発生して黒変した飛蝗のようなものだ。
中国主席の習近平、北朝鮮の金王朝、露助帝国のプーチン大帝、などまさに現在の単于以外のなにものでもない。
現代日本の深夜アニメでも中央アジアにエイリアンかなにかが根付いちゃって主に日米英が海の向こうから反撃の機会を伺う。。。って展開多いけど、話の通じない連中がユーラシア中で奪い、破壊し尽くすという世界観に中華東欧みある
匈奴ってこんなに領土有ったんだ。
す、すごい所を解説しますね!!!
名前しか知りませんでした!!!
偽装退却を用いた包囲殲滅作戦は後のモンゴル帝国も得意とした戦法ですね。本当の名将しか成功させられないといわれる難易度の高い戦術ですから、冒頓単于の非凡な将才が透けて見える様です。
名将って、勝てば官軍でなんとでもいえるかしらんが、老兵を餌食にして敵を誘い込む作戦は、周りで味方も見ているからのう。勝利のあとの恩賞で一時は若年者を沈黙させ得たとしても、若年者もいずれは老いるからのう。目の当たりにした光景は脳裏に焼きついて、いずれは滅亡の火口(ほくち)となるものよ。人身御供を強要する民族や国家は後には必ず衰退、滅亡する。
命令者が、国家国民のためにやむをえなかったのだと詫びて自決すれば話しは全く別だがのう。
@@NV124KX660 匈奴は老人を軽視し、父が亡くなったらその妾は子どもの妾となる文化なので。
ただの文化的な違いでは?儒教が絶対正しいと言いきれないでしょ。
@@anaheimmechatronics564 文化的な違いで済ませれば世話ないわな。儒教が正しいか正しくないかしらんが、蛮人のすることよりは少しは人間性があるわな。
@@NV124KX660
その人間性とやらも儒教やキリスト教等の宗教の影響受けてるの分かる?
仮に老兵を最精鋭であるべき両翼にして、それで負けたらどうするの?負けたら全員奴隷になるのに?
それに老兵ならベテランだから「逃げながら戦う」といったことも得意だよ?
それに父の妾を娶るのも、妾達にとりあえず生活の糧を与える意味も有るんだよ。
@@anaheimmechatronics564 わからん方やな。われら日本人の感覚では、名将というのは勝てが良いというのではなかろうと言っておるのです。名将と呼ばれるには、ただ強いだけではだめで、智、仁、勇の三要素を兼ね備えた武将でなければならず、冒頓単于の振る舞いには、仁がないと言っているのです。
夕日と拳銃(馬賊 伊達準之助)の主題歌
1.黒竜江に水飼いて 馬は荒野のつむじ風
ひずめはアジア 揺さぶりて ムチに風切る ウサ晴らし
赤い夕日を 身に浴びて 夢は歴史を駆け巡る。
2鞍に百花の散り来たり 我は万里の野の覇王
仁あり、智あり、力あり 悲歌慷慨の友多し
赤い夕日を 身に浴びて 夢は歴史を駆け巡る。
3.虚飾偽善の世を憎み 馬賊、世俗のあぶれもの
たてがみ強く握り締め 我ら千古の道」をゆく
赤い夕日を 身に浴びて 夢は歴史を駆け巡る。
動画の中で言っていたのが、「物資を上納」ではなく下賜なのでは?
その名誉対面を守るための支出だったのかと思います。
中国史の中でも特に注目される事が少ない人物だと思うのですが、このようにまとめていただいて楽しかったです。
初めまして!
冒頓単于を取り上げた動画は珍しいですね。
楽しく拝見させていただきました。
リクエストです。
北宋の徽宗帝はいかがでしょうか。
太祖趙匡胤を取り上げていますし、水滸伝でも有名。
遼・北宋の滅亡・金の蹂躙など話題が多いと思います。
冒頓さん、もうちょっと早く暴れ出してくれたら劉邦兄いが走狗を煮なかったのにー
うわっははは、旨いことをおっしゃる。これは秀逸
日本も、モウちょっとで、共産や、立民の売国奴どもの甘言に乗って自衛隊を縮小してしまうところであったわい。習近平のバカヤローが、うまい具合に待ちきれんで正体をあらわしてしもうたから、よかったが
匈奴が中原に進出しても馬の飼い葉になる牧草地が無いし
中華勢力が匈奴に進出しても荒れ地ばかりで耕作出来ない
なぜ得るものもないのにお互いに戦っていたのでしょうか
と思ってた時期が私にもありました
貴チャンネルの動画を見ていて、やっぱり古代中国の歴史に北方異民族は欠かせないと感じ、他チャンネルで北方異民族の歴史動画を探して見ていました。
ただ、やはり記録が中国の物に頼るので歴史年表みたいなものになってしまっていたので残念です。
もっと出自や各民族(?)の関係などについて知りたくなりましたが、記録がない以上難しいんでしょうね。
昔習った頃は考えもしなかったけど「冒頓」ってどう読んでも「ぼうとん」としか読めず、一瞬脳内でゲシュタルト崩壊しそうになりました。ちなみに現代中国語でも「Modu」になるはずであり(この読み方自体、中国語のセオリーからすればかなーり例外的なのですが…)、現代広東語から類推される唐代の長安音(日本語で言うところの漢音)でも「ボクトツ」にはならないはず…。なぜ「ボクトツ」と呼ばれるのか非常に謎ですねぇ。
中央アジアの歴史は凄い可能性を秘めている…
北方騎馬民族でレビラト婚つまり寡婦が夫の死後、夫の兄弟と結婚する風習があったと聞きます(女真族)。匈奴もそうだったかはわかりませんが、冒頓単于が呂后に結婚を持ち掛けたのも、むしろこの風習を通じて漢との関係を深めたかった、というのは考えすぎでしょうか?
禿髪樹機能の乱とかもだけど、王朝の衰退って遊牧民が一因になる事が多いね
匈奴の首都ドラゴンシティらしき所を今なお調査してるってTwitterでみたなー
楚漢戦争の勝者劉邦を何気に簡単に打ち破っている匈奴。しかしその匈奴を北伐して勝利していた秦の始皇帝。話は単純じゃないけど単純に比べると始皇帝の凄さがわかるような・・・。
まあ、始皇帝のころは、動画前半の東胡の土地を併合してないし、冒頓の軍制強化もしてない頃ですからね。中原風に言うなら、冒頓がいない匈奴は、項羽がいない楚軍みたいなものかと。
劉邦が負けて逃げるのはいつものことですけどね。この状況でも死なないのが劉邦の凄さです。
確かに。劉邦が王朝創業メンバーである韓信や張良とかをもっと大事にしていたら、匈奴相手でも負けなかったかもしれませんね。
最近のゆっくり街道では中国史といえば鳥人間先生、日本史といえば樽之介先生と、日々、令名が高まっているお二方ですが、両先生とも、それぞれのご専門のみならず世界全体の歴史にも、ことごとく通じているのには、毎回感服のほかありません。
ところで、今回の匈奴の話に、中島敦の小説の主人公「李陵」が登場しませんでしたが、たしか、あの小説は「漢の武帝のてんかん3年、秋9月、きとい李陵は」という書き出しでございましたから、今回のおはなしよりさらに後代のことなのでしょうか?
何故文字を持たなかったのでしょね。
はるか後年のモンゴルの時もモンゴル側の記録はありません
なんかとっけつ文字なんて仮名より古くなかったか
ハコモノを作らなかったり自賛した歴史書を残さなかったりするところが定住民族との違いという感じで好きだ。自然の凄さの前では人間は取るに足らないという思想でもあったのかな。
農産物が沢山無いと、文字や数字を使う役人が養えないため
遊牧だと皆兵ではあるが、役人はあまり要らん→文字は要らん
また、仮に文字を作っても、部族がバラバラな場所にいるので文字の統一は難しい。
紙の原料や竹も高原にはあまり無いし
@dsa 確かに羊の毛で羊皮紙を作ることは出来るよ?
でも羊の毛では、ゲルや衣服の原料にする必要があるから羊皮紙はとても需要も優先順位も低いよね。
優先順位が低いから作り方知らない人が多かったんじゃないかな。
あの劉邦が頭下げっぱなしだったんだから、レジェンド。
蒙恬きた。蒙恬の一族の解説とか面白そう
宥和政策は相手をつけ上がらせるだけ。はっきりわかんだね。
動画の最後に後の遊牧民族への影響は計り知れません
中華帝国の外交政策も、冒頓単于のような人物が輩出しないよう分断政策を取ります
妃と馬の話、油断させて奇襲のエピソードは彼自身の忍耐力や狡猾さがよく分かりますね
この頃はまだ「鳥人間の提供」だったのですね 笑
事あるごとに謎かけみたいなことされて、意に沿わなかったら斬られる。
家臣はたまったもんじゃないな
相手を油断させてから叩く。……相当の策士だぜ。
元寇の時に日本側が鏑矢を使ったらモンゴル側は嗤ったというけど、この時はもうモンゴルでは鏑矢は廃れていたのかな?もしくは高麗人ばかりだったからなのか?
フビライが漢字とか中華文化に感銘を受けて弓もモンゴル式から、威力は下がるけどより戦術の幅が広い中華式に切り替えたり色々文化変動があったのも影響してたかもしれないですね。
一応元寇前の刀伊の入寇時は日本の鏑矢に、攻めてきた高麗人と女真族がビビってそれが切っ掛けで
日本側が反撃したらしいけど。
陳平さん…ここでも出てくるんか
中国でいう「夏王朝の末裔」って、日本でいう「平家の落人」みたいなもんかねぇ(眉唾)
今までで一番生きてて一番シッコリした例えだ
劉邦よっぽど恐かったんやろなあ
中国の王朝は半分は遊牧民にルーツあるしな。遊牧民がわかれば世界史がわかる。
ぼ、僕はおにぎりが好きなんだな…
匈奴つよ。
白頭山の陳平の策は陳平が死ぬまで沈黙守って詳細不明の秘策なのでは?
資治通鑑に注があります
ユーラシア大陸全体規模での民族の角逐があり、チャイナ史はその東の端の一部に過ぎない。日本人には、古来その東の端の一部ばかりが見えたので、その部分を過大評価してきたと言えるだろう。
劉邦「匈奴をぶっこわーす‼️」なお、結果(ry
何で、「百敗将軍」なんて言われた程の戦下手がノコノコ出陣したんですかねぇ。
国士無双の韓信や英布達を燕王や趙王にして迎撃させて、負けたら責任とらせて失脚させれば良いのに。
と思ったことが何度かある。勝ったら手がつけられないから出来なかったんだろうけど。
いえ、劉邦は戦下手ではないですよ。むしろ、あの項羽相手に負けつつも軍としての抵抗を数年続けていただけでも、大したものです。
5度に渡るかの諸葛亮の北伐は一度も成功せず、それゆえに孔明は戦が下手だった、という評価もありますが、むしろあの短期間で5回も遠征を続けられたこと自体が異常なのです。
「常勝将軍」項羽に対し、抵抗続けられた劉邦は、やはり大した武将ではあったのです。日本では徳川家康は後年の政治家的な動きの方が有名ですが、彼はかつて「東海一の弓取り」と言われた武将でした。劉邦も根っこのところは武将であり、皇帝という似合わない地位に就いたことが、晩年の彼の評価を下げることになってしまったのでしょうね。冒頓と戦う時の劉邦は、かつて項羽と戦っていたときの「らしさ」が戻ってきてるような感があります。
5ヶ国と一緒に秦と戦ったんですか?!
顔が都市伝説テラーの関に似てるw
匈奴に「国家」と言う意識はあったんだろうか?
それを言い出すと中華王朝はいつから「国家」と言う意識を持ったのか?と言う話にもなるんだけど。周かなぁ?
確かに。[殷]の時代まで都市単位でしたからね。🤔
大きな国家は周からかな?
マジキチのサイコパスだったんだなあ
妻を踏み絵として射殺したり隣国を油断させるためにくれてやったりと、自分が捨て駒にされたことについて天道に復讐しているようにも見えますね。
冒頓単于がフン族の王だったら全ヨーロッパを統合して今でも1つの国になってたかも
僕、突然・・・ウッ!
プーチンとイメージが被るんだよね。。。
未亡人になった呂后に、ラブレター❤️✉️を送った男だな。
「我はやもめにして、汝も寡婦。願わくは、我の一物を以て汝の穴を慰めん」
良馬は彼らにとって第一の宝なんだよね?だったら冒頓が頭曼単于の良馬を殺した時点ですでに叛意は明らかなのに、なんでその後一緒に狩りに出かけてるの?
頭曼単于って鹿なの?
単于が漢を破った事で満足せずに、中原の生産力を自国に組み込もうと考えたなら東西を繋ぐ世界国家がいち早く生まれていたと考えるのは早計でしょうか。
私で良ければ慰めてやろうwwww
劉邦は戦弱かったからなあ。
更に、韓信もいなくなり、余計に弱くなっている。
劉邦得意の買収とか引き抜きは
異民族には通じないみたいだ。
これが項羽だったらどんな戦になったのか。
歴史にIFはないが、想像してしまう。
ボクトツとしてるな
理不尽な命令をわざと出して忠誠を試した蛮族の名君ですね。
結構なマキャベリスト
んでもって現在周辺の遊牧民にご先祖様の復讐をしている訳ですか。どうなるか分かりませんが。
他の方も指摘しているように、冒頓さん、貴方程なら美女は選り取り見取りなのに、何故よりによってあの「呂太后」にラブレターを送った?私が冒頓さんなら、「漢の美女100人寄越せ!不細工寄越したら軍事進行して国中蹂躙してやんぞ、クラァ!」って恫喝します(笑)
軍事「進行」ではなく、軍事「侵攻」でした。書き間違えてすみません。
基本劉邦は戦下手ですからね。
条件反射を最初に理解した人だね。
知らんかった
単宇の方が名前なのか!
確か、日本軍の満蒙工作時にモンゴルの長が日本軍と結託して、国民党やソ連の圧力を跳ね返す為に「単宇」を名乗っていたから、
単宇自体が草原の民の長の意味があるのかと思ったわ。
冒頓単于?あの孫子に敗退した奴か?