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私は中国人です。 私はたまたまこのビデオを見ました。 岳飛と中国の歴史上の人物を尊敬してくれた日本人にとても感謝しています。 同時に、私はあなたの学習への愛情で日本人を尊敬しています。 日本の歴史も好きです。 豊臣秀吉と德川家康について読むのが好きです。 また、1905年のロシアに対する勝利を尊重します。両国がお互いについてもっと学ぶことができることを願っています。ありがとう
日本人が、勝手に岳飛のゲームソフト創ったら、怒りますか?
中国史大好きです😊世界に誇る内容と魅力に溢れてます中国で生まれた古い故事が今も日本の中に生きてることとか面白いなーと思います
日本人です。こちらこそありがとうございます。おたがい学ぶことが出来れば素晴らしいですね。
@@山見楽太郎おp :っっっdkぅtぢおえおうおいr
僕は日本人で、日本史が大好きです。同時に中国史も大好きでその歴史深さに敬意を常日頃感じています。あなたのような中国人がいてくれることに安心と嬉しさとあなたへの敬意を感じます。願わくばお互いに尊敬できるような隣国関係でいられればと思います。
岳飛も韓世忠も人生に悲劇があるから愛される。岳飛の死後から半世紀後、仇敵・金をあっさり滅ぼしたモンゴル帝国が南宋に大征伐を起こした時、壊滅に瀕した軍を立て直すと襲い来るモンゴル軍を完膚なきまでに叩きのめし、「守護神」と皇帝臣民から崇拝されながら天寿を全うした男・孟珙のことは語られることが少ない。光武帝と同じで完璧すぎる人生は面白みがないから創作にし難く、知名度を得ないのだろう。
軍閥化しないと戦争に勝てないし、軍閥化すると王朝に対して邪魔になる、難しいね。
中国四千年の、深み。個人の倫理観と組織としての倫理感。国家としては「平和をもたらす」ことが一番の正義だから、個人を見捨てなければならないこともある。それは理解できるが納得したくはない、ということなのかな。
進撃の巨人は、参考になるんでしょうか?
岳飛は名前こそ知っていたけど、どんな戦いを経てきたのか詳しく知らない人も多いと思います。そんな機会をくれる貴チャンネルはありがたいです。
折角の勝利のBGMが流れても最後は斬首。。でもだからこそ中国の人たちにとって英雄として語り継がれたのね。
視聴者がうp主に拝謁いたします。おお…なんと我が最も敬愛する大英雄、岳鄂王回とは…。その上素晴らしいボリュームと内容…うp主の多大なる御高恩、視聴者感涙に咽びまする。非業の最期ではありましたが、その一途にして崇高な志は死後も人々の心に残りました。時が過ぎ時代が移り代わっても中華の人々の心の支え・誇りとして、これまでも、そしてこれからもあり続けるのでしょう…。岳鄂王は紛れもなく英雄、大英雄です。
やはり岳飛の時代は水滸伝に影響を与えていますね。
生前では貧困で死後に評価された画家と、生前では成功して歴史には残らなかった画家とではどちらが幸せかって感じがするな。
岳飛と秦檜、有名な話ですが、とても分かりやすい動画でした。ありがとうございます。
南宋は元々主戦派は少なく和平派がほとんどだったんだろうな。秦檜が何十年も国の中枢にいられたのも、金とガチンコ勝負するより金払ってでも平和な方がいいと思う人間が多かったんだろう。これを情けないと取るか、政治判断で仕方ないと取るかは人によって違うんだろうけど。
高宗にも問題があるんですよね。先帝である兄が存命な為、自身の皇帝としての正当性に疑問符がついているのですが、これが原因で「金王朝ボコって華北を取り戻せやゴラァ‼️」って言えないんです。南宋優位で和平交渉やると、華北とセットで兄が帰ってくるのは間違いない。となると高宗の立場は?となる。時代は降りますが、明王朝中期に「土木の変」が起こった後のゴタゴタを考えると、高宗が金王朝優位でもさっさと和平を結んで、「お兄ちゃんのお世話をお願いね❤️」と金王朝に兄の始末を頼みたかったのは高宗の立場上、致し方なかったかも知れません。
@GF8EWRX 近未来での視野であれば間違いでは無いでしょう。海陵王のしくじりで歳弊も減額出来ていますし。(前述の遼との盟約では、遼は宋から流入した歳弊で惰弱化&財政危機の大問題を抱える羽目に)問題は、結果論ですが国内の防衛戦略(防衛線をどう引くか、徴兵はどうする等)を長期的な視野できちんと整備しなかったことでしょうね。武官を冷遇しても良いのですが、そこはしっかりやらないと。実際、フビライに襄陽を落とされたら打つ手なしになってますし。岳家軍の成功は一つの解答足り得たのに残念です。
@@daikon_yakusha 岳飛の死とほぼ同時期に成立した紹興の和議の際に欽宗の身柄を高宗が要求しても金はそれを拒否したでしょう。なぜならこの和議成立に重要な役割を果たしたとされるウジュは欽宗を南宋に送還する気が全くなかったからです。中国語の歴史サイトを機械翻訳して知った情報ですが、ウジュは南宋と再び戦争した時に戦況が不利になったら欽宗を傀儡の皇帝として擁し、欽宗から正式に譲位されず即位した高宗が君臨している南宋に対抗するよう甥の皇帝に遺言しています。高宗が秦檜による岳飛の処刑を認め、欽宗の帰還を内心望んでいなかった事実は広く知られているのに、ウジュの暗黒面と策謀はほぼ知られていない・スルーされがちのは、それを意識すると歴史のロマンに浸れないからでしょうか。
@@5月7日-t3u 中国語サイトまで調べ、新情報を教えて頂き深く感謝致します。私の中国史への理解がまだまだ浅かったということか(絶句となると、ウジュの策謀を南宋サイドが知っていたか?が疑問点になりますね。秦檜は知っていて高宗は知らなかったか、二人とも知っていたか、それとも知らなかったか。高宗は知っていて秦檜が知らない。は、あり得ないかな。これで二人の暗黒面の深さが変わってしまうので。‼️ というか、そんな欽宗を海陵王は消してしまったの⁉️(呆
@@daikon_yakusha kknews.cc/history/2vqp989.html kknews.cc/history/j4o9orq.htmlこちらがその中国語のサイトです。複数の機械翻訳サイトを使用しましたが、Google翻訳及びDeepL翻訳というサイトが中国語を機械翻訳する場合一番精度が高かったです。高宗と秦檜は情報収集が困難だとしても、ウジュとその甥の熙宗が何を考えているかを推測することは可能でしょう。欽宗は金にとって極めて強力な外交カードであることは高宗と秦檜も認識はしていたはずです。金は徽宗の死もすぐには南宋に通知せず、高宗が父親の死を知ったのは徽宗崩御の二年後です。宋金戦争に関しては日本語で読めるそれ専門のわかりやすい書籍が一冊もないらしいのが本当に残念です。
高宗の勝ち組すぎる老後臨安は中国で最も美しい湖と讃えられている西湖に面する都その臨安一の豪邸として有名だった秦檜の屋敷を徳寿宮と名付けお引越養子の名君に譲位し徳寿宮で悠々自適の老後を満喫南宋第二代皇帝は養父に孝養を尽くしたため孝宗の諡号を送られた乾隆帝が70歳の誕生日を迎えた際に作成した詩「古希の説」では中国の歴史上で古希を迎えられた6名の天子の一人に数えられるなお乾隆帝は「古希の説」で高宗を快楽におぼれた老後を過ごしたと指摘紹興の和議成立で生母韋氏は金から奇跡の生還を果たし、高宗は父の遺骸送還と母の生還を実現させた孝子としては絶賛される二番目の皇后呉氏は側室時代を含めれば中国史上で夫帝との金婚式を迎えた唯一の皇后で高宗より長生きし、その最期を看取る本人・実母・正妻三人ともに80代まで生存し、欧米の歴史学者たちには宋を再興させた名君として評価される彼に強い悪意を持っていたウジュの死と金の皇室の内紛を見届けつつ行政官としても有能だった秦檜を使い倒し目覚ましい復興をとげつつある南宋に君臨していたのが高宗という解釈も可能岳飛と欽宗を見殺しにし、秦檜に岳飛殺害の泥をかぶせた主君でもある高宗が宋金戦争の立役者及び犠牲者たちのファンに不人気なのも納得はできる
韓世忠手柄取られがちだけどめげずに活躍するの好き手柄取られすぎて水滸伝では方臘の乱まで取られてていなかったことになってる不遇さも好き
杭州市の西湖横に在る岳飛廟には四回ほど行きました。人気が有るのが解りますね。多くの観光客が来ています。
異様に細かく描写されていて、明らかに演出過多な史書ですね、岳飛伝
鳥人間さんの最高傑作ですね。これぐらいの長さにして頂けると、岳飛のことがよく理解でき、感動を得られる。
北条時宗公と、藤原隆家公はどう思いますか?
39歳で亡くなるのは惜し過ぎる関羽でさえ58歳まで生きたのに
生きていたら、後の遼との決戦で総司令官として活躍できただろうに・・・
世界史の検定試験の勉強のために、こちらの解説動画を拝見しました。 まさか、解説動画で涙するとは思いませんでした。ありがとうございました。応援してます。
韓世忠と梁紅玉の間に生まれた息子から見た作品を書いた田中芳樹先生の作品を読んで、テムジンが生まれた時のエピソードを金の後の皇帝が知っていたり、岳飛を梁紅玉がどう見ていたかの想像は楽しかったです。北宋最後の皇帝が当時の人にどう伝わったのかも、面白かったです。宋弼をリクエストさせていただきます。
リクエストで遼の初代皇帝の耶律阿保機の紹介もお願いします!
岳飛は名前だけ聞いたことがありましたが中国の英雄なんですね。こういう英傑の紹介をしてくださる鳥人間さんに感謝です。
金軍のこと余り知らなかったけど鉄浮屠カッコいいなw
今回はオープニングから提供まで気合が入ってて笑った
鎮藩などまさにそうですね。鎮藩では無いですが清末の軍閥・李鴻章などは日清戦争というより李鴻章と日本との闘いでしたし。
どういう返信だよw
@@滝の試練 違う世界線と一瞬だけすれ違った結果生まれた返信説。
ナポレオンと違って目標を見失わなかったのが味噌かな
金は重装騎兵(鉄浮屠)で両翼を突破する包囲殲滅戦を好んだ。良馬の産地を持たない南宋は初め、強化した弩でこれを迎え撃とうとした。しかし、連射速度が遅く、騎馬突撃への有効打にはならなかった。結局、南宋は鉄浮屠の突撃に重装歩兵で対抗するしか方法がなかった。南宋の重装歩兵の装甲は、中国歴代王朝の中でも一番厚く重いのは、そのためである。岳飛は重装歩兵に、敵を仰ぎ見ず馬の脚のみを狙えと命じた。その時に使われたのが大斧や麻札刀(まさつとう、31:02の中二心をくすぐるあれw)このような戦術は英雄的である一方、並の練度と忠誠心では成立しない。弱兵の大軍を与えられても、全く役に立たないことは自明だろう。岳飛が少数精鋭主義を採り、末端の兵士と寝食を共にしたのは、合理的な意味があった。また、古代中国の軍人には字も読めない脳筋も多かった。しかし、岳飛は農民の出身でありながら極めて教養程度が高く、名書家としても有名。現存する出師の表は岳飛の書筆である。(成都の武侯祠を訪れた際にその場で書き写した)
もう気合いの入った二人が可愛すぎてもう今回の導入も素敵でした内容も素晴らしかったです
岳飛の解説動画、待ちに待ってました!期待以上に良かったです!岳飛は中国ドラマのDVDを観るくらい好きな英雄です。韓世忠も是非お願いします!
岳飛は北方謙三さんが小説にしていますちなみに岳飛の右腕は義手になっている設定です楊令との戦いで失いましたその代わり楊令に深手をおわせました
SEKIROを思い出すな😊かっこいい
今の時代は日本も諸外国も秦檜がたくさんいますね。
あまり細かくは触れませんが動画を視聴していて同じことを思いました…。いつの時代も場所を問わず同じ事が繰り返されるものですね。
ああ、鳩山に二階ですね!竹中も入れるかな。
秦檜(四階)に似た名前の人がいましたね。一階さん?三階さん? あー忘れちゃった!
麻生なんかもなかなかだと思うな〜
@@grandfatherbill5364 それは誤解だよ
岳飛伝は大好きだった。しかし、当時の友人にも彼女にも、中国人留学生にも全く分からんと言われた。嬉々として貸した本を読んでくれさえしなかった。本当に中国人に人気なのか?
中国では岳飛は漢民族のヒーローですが現在の少数民族統一問題と関わった人物になってしまった、人気がないより人気になれない状況になっていますちなみに、宋代と関わったで一番有名な作品は《水滸伝》なので、宋代という時代に人気が二番目になる上にそして現在の中国民族統一政治に邪魔する事である以上、岳飛は政府にとってあまり人気になりたくない人物になっているだろう…岳飛と関わったネタの一つ「中国では油条(中華揚げパン)という料理がある、それは宋代で岳飛を殺した一般人にとって秦檜の憎しみを含めて作った料理である、料理元の名前は「油炸桧」、その意味は秦檜を揚げて殺したい当時の人の考えを入り込んで作ったも気分です(皆も秦檜を石川的な処刑したい気分含めてその料理を作った料理)、ちなみに、油条は日本の中華料理にも売っていますので、岳飛好きな方、「油条」を食べて見たらどうですか?とは言え、岳飛は中国南方数が少ない英雄の一人です、岳飛という人物があまり分からない中国人は、普通に文化歴史に興味持ってない或は漢族の人ではない可能性が高いと思います(まあ、僕は中国人なので、三国も読んでない中国人もあるし、岳飛分からない中国人あってもおかしくないだろう、そもそも日本一番多くの留学生は基本中国北方人なんですし、宋に興味持ってなくてもおかしくありません)でも岳飛の死にお陰様で、宋の平和も長く続いた、生きても死んでも英雄になる人こそ、真の英雄と思います
@@yaya-qi9ex そうなんですか。確かに岳飛伝より水滸伝の方が有名なイメージですね。中国でもそうなんですね。中国人留学生に北方の人が多いのも初耳でした。豆知識有難う御座います!検索してみたら結構ポピュラーな食べ物みたいですね。とても美味しそうだし、岳飛伝に想いを馳せながら是非食べてみたいと思います(*´﹃`*)
@@xwdd1259 えっと、莫须有(あるかもしれません)じゃないでしょうか?
岳飛都知道的~! 我是中国人
日本の大学は(金のため)留学生にやさしいから、留学生の90%以上は低脳な坊やだからね。エリートは日本と同じアメリカに行く。
通勤時間に全て聞けました。素晴らしい動画感謝します。
俺たちって岳飛や楠木正成、栗林中将のような忠義を尽くしたけど報われなかった英雄好きだよな
面白く勉強になりました。ありがとうございます。
なるほど……こりゃ秦檜さん嫌われますわ………
鳥人間様お疲れ様!!ありがとうございました。岳飛が仮に北伐に成功していたとしても恐らく彼一代で終わってしまった気はします。様々な人が指摘しているように南宋王朝は基本戦を好まなかった事とあまりに文官の力が強過ぎて、軍事に疎くまた軽んじる所も多々あった事がこのような結果になってしまったのかなとは思います。また南宋が統治していた風土も穏やかで水が多く、産物も豊か食うに困らない所が大部分となれば、無理をして攻め込むのではなく現状維持・平和主義で厭戦気分も相当だったのでしょう。
成り上がりからの非業の死。神格化されるのも頷けますね。元より軍事を軽視する傾向があった南宋で名将として国内の声望を集めた岳飛が身内から疎まれて切り捨てられたのはある意味運命だったのかもしれません。
一番の敵は相手ではなく、無能な首脳部と言うのはいつの時代も変わらないのかなぁ
ガンダムで言う、ホワイトベースと、連邦軍首脳、みたいな?
私は岳飛は日本でいうと楠木正成のようなイメージをもちました岳飛は中国史上最高の英雄といわれ楠木正成も日本開闢以来の名将といわれていますし有名な話ではないところで活躍しておりあまり有名ではない(日本人限定)ところも似ているなと感じています
未来の人間から見れば秦檜の戦略は別に大きく間違っていなかったことや岳飛の戦略の無謀さを指摘できるけど当時の民族的感情に基づいて考えれば講和は絶対的に正しくはないというのが選択の難しさよなぁ
こうして見ると南宋って国内で色んなトラブルとか裏切りが多すぎて不遇だけど、歴代中華王朝と比較しても中々軍事が凄いよね。賄賂と女を使ってたとは言え金に滅ぼされる事は無かったし、モンゴル帝国の侵攻にもかなり粘って最後はモンゴルが策略を用いて無血開城とかいいガッツしてる。
言い換えると、誰かがやらかしたヘマを派手に尻拭いしている訳なんですよね。南宋維持のために皆して奮闘するけど、てんでバラバラ、誰かの奮闘が後になってデカい失策に化けて、別の誰かが派手に尻拭いをするイメージ(ただし成功するかは不明)南宋滅亡時、フビライに降った南宋の将校に対してフビライが言った皮肉は、南宋の朝廷が一致団結出来ない現実を正確に表現しているかも知れませんね。
@@daikon_yakusha 南宋滅亡直前って軍部が南宋上層部から嫌われ、本当は南宋上層部がしなきゃいけない軍部に対する国防の感謝とか、労いの言葉を敵の大将フビライから言われて心が折れたとか何とも言えない展開ですよね。
一発でバッチリ分かったぜ!ありがとうございます、感謝します!
リクエストした岳飛をやってくれてありがとうございました
とても勉強になりましたし、ウジュとの決戦にはワクワクしながら解説に聞き入っていました!秦檜よりも私は高宗の方が嫌いてすね。建康まで攻められた時は岳飛に依存しているのに、結局使い捨てにする、最終的に処刑を承認したのも高宗ですし。歴史上の人物にここまで怒りを感じたのは初めてかも(笑)それだけ投稿者さんの動画の質が高いという事でしょうね!😁
岳飛が好かれるのは、日本の判官贔屓にも似てますね。そう考えると日中の文化の底流には似通った部分もあるのかもしれませんね😌さて、北宋の徽宗とか「暗君・悪臣シリーズ」も良いかも⁉️まとめに・なぜ暗君・悪臣になったのか?・どうすれば名君・名臣に近づけたのか?を考察するのも面白いかも、ですね💡
宋王朝は唐王朝の失敗に懲りて武官に権力を握らせない文治主義ということでそれは良かったのだけど、この岳飛のような真の義士・憂国の英雄を軽んじてしまったことが金そしてモンゴルに呑み込まれ滅びる原因ともなってしまった。
岳飛を初めて知ったのは銀英伝の作者の田中芳樹が書いた岳飛伝だった。
確か中国の武将トランプでエース格と聴いた事があるな諸葛亮は七だったとか
中国名将トランプですね。田中芳樹さんが買っておられて、語りおろしのエッセイ「中国武将列伝」で「ジョーカーは岳飛だった」と話しておられましたね。クイーンが花木蘭、穆桂英、梁紅玉、秦良玉だった、とも書いておられましたよ。どのスートまではわかりませんが。
初めてコメントします。この方を全く知りませんでした。勉強になりました。感謝デス!
小さい頃から兵書等を読めるあたり、実家は農家とはいえ貧農ではなく豪農の家だった感じがする
お金を貸す事ができる事からして、裕福でないと無理。
母親が文字を読めること(入れ墨のエピソードだけでなく、文字の読み書きも母に砂地で教えてくれたという)自体で大したことと思います。あの時代では
富農か、地主の家らしい感じはしますよね。能書家という点だけとっても、幼い頃から誰か文人墨客の師についていないと上達しないし。少なくとも子供が全員、労働についていないといけない貧しい家柄ではないですよね。
能書家といっても並の能書家ではありません。有名な諸葛亮の出師の表も現存しているのは、岳飛の書。彼が成都の廟を訪れた際に写書したものです。
見ごたえのある動画でした。岳飛のことを知らない方でも彼の忠義、将軍としての魅力が感じられたと思います。鉄浮屠との戦いはまさしく「夫れ戦いは勇気なり」と言うべきでしょうか。彼の詩「満江紅」「池州翠微亭」な簡素ながら良いと思います。
up主様。お忙しい中の大作、まことに驚きました。岳飛は興味があったので、大変楽しく見させていただきました。 豊かな南部に暮らし、食うに困らない上層部にとって、あえて北伐を行い泥沼の戦争を続けるより、そこそこの条件で講和し、軍は金への抑止力として働いてくれればそれで良かったのでしょうね。 もし、南宋が一丸となって金と戦っていれば岳飛は優秀な将軍として生涯を終えたでしょう、しかし中国を代表する英雄にはならなかったでしょう。英雄には悲劇的要素が不可欠なのですね。 リクエストは武将も良いけど文官もねということで包青をお願いします。今、BSで包青天を放送していたはず。アクションシーンは見てるだけの珍しい主人公です。 それではご自愛くださいませ。
面白かったです。……がちょいと長いですね〜私はお風呂に入りながら、いつも見てマスが、見終わるのに3日かかりました。
素晴らしかった!
秦檜がきたからいずれ来るであろうと思っていたらついに来た。宗沢や韓世忠は南宋の英雄だけど、岳飛は漢民族の英雄という扱いだから、人気の高さが窺える。岳飛伝だとまあお決まりの聖人君子ぶりが見えるけど、あの作品は牛金のトリックスターぶりが面白いから多少はね。なんか全部ひっくるめて美味しいところを持って行った感が半端ない。次が誰の話が来るか。同じ南宋からは来ないはずなので、まさか同じ悲劇の英雄繋がりで袁崇煥が来たりしないだろうな。
岳飛は救国の英雄なのに最後は涙を誘う悲しい😢
北条時宗公や、藤原隆家公はどう思いますか?
@@山見楽太郎 北条時宗公や藤原隆家公は「伊刀の入寇」、「元寇フビライの侵略」を撃退して日本を救った指導者、正に英雄だと思います。
何となくですが、岳飛が好き勝手出来たとしてもやっぱり宋の運命は似たり寄ったりだった気がするんですよね。
@@50per-e2q しかも騎馬民族相手に、ですからね。まあこれは唐ですけど、少なくとも士気だけのイスラーム軍に数で勝ってるのに大敗してる時点であんまり中国軍は強くないかなって。その癖にあえて騎馬民族に喧嘩売るのはなぁって言う。しかも、お金を払って生き永らえるとは言え、それって自前で軍隊雇ってるのと変わらないですからね。金だって農耕民族を定住支配なんかしたく無いし、ただの市場としてだけ使えれば好都合。だから、金は日本で言うアメリカみたいなもんだと思いますね。ただでさえ中国は広いから、君主の権限弱まるとやれ藩鎮だ節度使だってやりたい放題しますから
本当ですよね。秦檜や高宗の方が国内の実力とかを分かってたという可能性もありますし。(もちろん保身の可能性もありますが)現代から見るとこの時代からすでにシビリアンコントロールがある中国はさすがにすごいですね。
いいえ、若死にしてるし、この後、文天祥も出て来るから。
岳飛のドラマ観たけど面白かった名前は岳飛伝だったはづ
英雄って、小者にはめられて、死んでいくパターンが多いですよね。この世で最強なのは卑怯もの。この言葉、ある意味、真理かもしれません。
南宋時期武将,韓世忠,岳飛,楊再興,魏勝,岳雲,劉錡,吳玠,吳璘,畢再遇が一番好きです
宋の時代の身分制度のことはわからないけど、岳家は農家と言っても地主階級的な地位にいたのかな二宮金次郎のようなあるいは日本でいう武士と農民の両方を兼ねてた足軽的な地位にいたのかでなければ、農家でありながら武術や学問に通ずるなんてこと考えられない
宋王朝では一族から科挙で役人を排出すると経済環境が良くなるらしいので、岳家には過去に科挙に合格した人物がいたかも。北宋期は科挙対策で塾が流行った。なんて話があるので、地位は低くても勉学に励みやすい環境だったかも知れませんね。
@@daikon_yakusha なんと……
日本の源義経と同じで……本人の為した業績や才覚も重要だが、「上司や時勢に恵まれず、その結果、悲劇的な最期を迎える。」という展開があったればこその「後の世でも愛される英雄」なんだなと思う。
卑怯な手で戦に勝った挙句三種の神器を水没させて任務に失敗したのみならず命令に背いて徳子を凌辱したとも言われてる義経を岳飛と一緒にしないで
義経は手柄を全部持って行って、手からを立てるために投資していた鎌倉武士団に蛇蝎のごとく嫌われていたんだぜ。
水軍での戦いで船を操る水夫に対しては攻撃してはいけない暗黙のルールが有ったが義経は水夫に対して攻撃をして敵味方の水軍諸将から嫌われた。
どうしてみんな、楠木正成を引き合いに出さないのか...。
@@山見楽太郎 そういや、忠臣という点では楠木正成の方が近いか。
中国の中世?には全く知識が無かったので大変興味深く拝見しました。まず岳飛ですが三国志の時代にすら居なかったようなまさに英雄の中の英雄と呼べる人物が存在していたことに驚きました。次に彼の軍規の敷き方。現代の軍隊の規律にも通じる厳格な理念は岳飛は過去の戦史における教訓を学んでいたのか彼に高い教養が備わっていたことを物語っているように感じます。エン城北での金軍との一大決戦は、壮絶の一言で解説を聞いていて思わずに拳に力が入ってしまうほどでした(笑)そして不遇な展開…。まるで今の日本のように国賊紛いの輩の妨害によって悲願成らず。このような高潔で誠実な人物が、その後も表れかの国を牽引し続けていれば、歴史は大きく変わっていたのかなと思う次第です。
こんばんは~。以前、岳飛をリクエストさせて貰った身としては、興味深く視聴いたしました^^。女将軍編?も楽しみにしておりますw。(秦良玉の紹介が楽しみです)
「真に恐れるべきは有能な敵ではなく無能な味方である」ナポレオンの名言を思い出さずにはいられない話だった華北を守り続けるには南宋の軍事力が弱いのも事実だけど、侵略してきた異民族が約束を守り続ける保証も無いわけで
ウジュは金の国力が回復したら一方的に和約をまた破棄して南宋を可能な限り短期間で滅ぼすつもりだったそうです。ウジュは敵国との和平に反対していた岳飛の処刑を要求する書状を秦檜に送り付けており、岳飛の逮捕と処刑はその書状を秦檜が読んだ後に実行されました。岳飛がいない方が短期間で南宋を滅ぼせるのでウジュは岳飛を消すチャンスを逃さなかったのでしょう。岳飛の非業の最期の最大の責任者は高宗と秦檜ではなくウジュです。
その後20年あまり金からの攻撃はなく、平和は保たれましたよ。1161年に金がまた進攻を企てましたが、50代半ばの高宗はこれを退けると養子の孝宗に譲位します。後継者の孝宗は名君の誉高く、高宗を引き継ぎ和平論を維持。南宋は繁栄を謳歌する時代になります。そして高宗は81歳の天寿をまっとうしました。そもそも岳飛の件って、開封が陥落して北宋が滅ぼされてから10年ちょっとしか経ってません。北宋最後の皇帝欽宗(高宗の兄)も金に拉致されたまま。宮廷には欽宗復位を望む臣下も少なくない。主戦派と和平派の抗争も激しい上に、軍閥化が進んで皇帝直属の兵も少ないのに、金はいつ攻めてくるか分からない。こんな困難な状況で、高宗や秦檜が無能だったら、南宋なんてあっという間に滅んでますよ。
岳飛の部下には黒旋風李逵鉄牛のような豪快な者もいたんだろうな!浪漫や✨
関羽を殺した孫権、岳飛を殺したシンカイ。二人共物語では大抵大悪人にされてるけど、当人の立場からすると大人物だったりするし、ちょっと気の毒だよね。
よく日本は判官贔屓で義経ら悲劇の英雄が好まれると言いますが、岳飛といい、劉備といい、(ほぼ創作されたとはいえ)宋江といい、何だかかんだで中国も悲劇の英雄が人気ですよね(笑)
岳飛はまさしく楠正成の中国版やな。
明でも于謙や袁崇煥といった異民族相手に武勲を挙げながら朝廷に疎まれて悲劇的な最期を迎えた英雄は後世に語り継がれています。
餃子を包みながら拝見しました。おかげで96個包みきりました!
横山光輝先生の岳飛読みたかったなぁ
若手漫画家を信じましょう!!
梁紅玉さん、巴御前みたいな人だな…
梁紅玉さん、凄い人ですよね。唐の節度使、韋皐の秘書役を担った唐の薛濤の例があるから、伎女で学問のできる人って意外に多かったのだろうけど…。もし纏足を施されていたのなら軍の移動もしんどかっただろうと思ってしまいます。纏足をしていたら戦うどころか歩くのにも障害が出てしまいますからね。
岳飛の動画、ありがとうございます。この当時の「抗金の名将」の軍は国に仕えている形でなく、岳飛や韓世忠に仕えている「軍閥」に近い形。その軍閥の長たち、岳飛、韓世忠、呉玠・呉璘の兄弟、張俊。彼らの個性を比べてみるのも興味深いですね。「抗金名将」の代表であり、時代を超えた中華の名将、岳飛。悲劇的な死を遂げたけど、岳飛の財産は韓世忠の息子、韓彦直の手で詳しく調査されて、遺族に一銭も欠けることなく返還されたと聞きます。韓世忠や当時の人々の岳飛に対する友情や様々な想いは息子の彦直にも引き継がれていたんですね。
軍閥を形成し始めていたからこそ、逆に抗金強硬派の岳飛は処分されざるを得なかったんじゃないかなぁ?和平政策を推進していた上層部の意に沿わないとはいえ、失脚じゃなくて処刑しているあたり……
@@coldexp7189様そうですね。要害の地・四川を治めた呉兄弟の場合は軍閥化がかえって彼らの身を守る形になり、岳飛はその軍閥と巨大な功績、国土回復の願いが粛清の原因になった訳ですから、何が身を助けるか、身を滅ぼすかわからないですよね…。
例の像でどうして秦檜「夫妻」の像なのかと以前から不思議に思っていましたが、奥さんが最後のひと押しをしてしまっていたのですね。疑問が解けました。
秦檜の手法って、春秋戦国時代でわりとある話ですよね。そこまで悪く云われるのか。まぁ獄中死はそうそう無いけど。この頃の史書の兵数は現実的な数なのね。中国の歴史ドラマは粒ぞろいだから良いですなぁ
南朝の梁の陳慶之をお願いします!
岳飛の身の振り方は清代の曾国藩や李鴻章にも影響を与えているな
秦檜が中国人に憎まれるのも当然だな。永遠に許されないだろうな…
中国油条 is also called "油炸桧"
かつて司馬遷は史記の中で、伯夷と叔斉が宗家とも言える殷の帝辛が滅んだ後、周の国の食べ物を一切口にしない誓いを守って餓死したことと、大盗賊である盜跖が天寿を全うしたことを引き合いに出し「天道、是が非か(天の示す正しい道なんてこの世に本当にあるのか!)」と嘆いたといいますが、岳飛(と秦檜)の最期にも同じモノを感じますね中華に限らず長い歴史の上では何度もこういうことが繰り返されているのですよな ショッギョムッジョ(突然の忍殺語
秦檜の人生は、天寿を全う出来たけど本人にとって良きものであったのか?という疑問が湧いてしまいます。最期がなかなかに壮絶ですからね。後世の人々から糾弾されるに決まっている上に他人から憎悪の感情しか生まれないことを、自己保身と政権安定と己の生きた意味を否定されたくないが為に、漢民族の激しい憎悪に晒された上で、それを理解しながら死ぬ迄休まずにやり続けるのは、ある種の拷問ではないかと。そこには、束の間の心の平安も魂の休息も一切ありません。しかも他の何モノも、死後の地獄行きを保証するのに、死後の平安を保証しないのですから。同情しませんが、ある種のドMでないと、ああゆう生き方出来ないよな。と思うことがあります。
@@daikon_yakusha ただ、権力の座を手にするために友人を(結果的にかも知れないけど)蹴落とすまではまだいいとしても、正直息子や孫などの近親者を史書に関わる役職において自分の業績に手を加えようとした辺りはいかがなものかと…西門豹が「自分の功罪などずっと後の人間が決めることだ」と、名誉を求めずただ職務を全うしたのとは比較にならないでしょう。秦檜の成した南宋と金の和平に関して、その功績は西門豹とは比較にならないほどでかいことは間違いないでしょう。彼がそう吹き込むまでもなく、高宗が金の撃滅はもとより、旧領の復帰なぞ望んでいなかった事も確かです…しかし、悪名をもみ消そうとしたなんて流石に非難されても仕方ないんじゃないかと思うのです。変に潔さがないというか。
@@autumn_prismfox ド悪人にならないと正気を保てなかったのでしょう。良心が少しでもあれば発狂しそうな気がします。もしかすると岳飛を殺した時点で士大夫(儒者)として狂っていたかも知れません。自身の死後も自身のクリーンさを「確保」して一族の安寧を確保しないと、漢賊認定されて五族皆殺しの上、和平路線を破棄されかねませんし。自身の外交路線に妄執するあまり、一族を駒扱いするなどして政策維持の為に手段を選ばない(歴史の捏造も辞さず)。と考えると、高貴な者が持つべき潔さなどゴミ程度の価値しか見いだせなかったかも。最期は妄執が過ぎて、何故「ソレ」にそこまで拘るのか忘れていそうですが。
何回聞いても、泣ける
岳飛と秦檜って、戦前の日本の軍部の台頭にも深く関与していた。戦前の日本人は今よりも中国の歴史書をよく読んでいたから、政治の腐敗を見て秦檜を思い出し、軍部の台頭に岳飛を発想し、やはり政治家よりも軍人の方がいいと思ってしまった。そして日本は敗北へ向かうことになる。
岳飛は忠心愛国という大義そのもののような存在なんだけど、それ故の傲慢さみたいなのがある。複雑な立場にいた高宗にすれば、ある意味煙ったい存在。
仮に高宗が旧領回復に意欲的だったとしても実現したとは想像しにくいかな。過去に南朝が北朝を征服した事例は明の朱元璋のみだったはず。その時は各地に元朝は弱体化し、各地に反乱がおきている状態でようやく北京を落としている感じ。その後も元は滅亡せず、北元として明を苦しめている。南朝は守りには適しているけど攻めには向いてないと思っている。
一応国民党もそれのはず、すぐやられたけど...
中国ドラマの岳飛伝って見てて切なかったですが、本当にいいドラマでした。ところで中国史の中でも明初を題材にした日本語の読み物って少ない気がします。功臣がほとんど粛清されるので朱元璋以外は題材にしにくいと思いますが、劉基や徐達なんかを扱ってもらえると嬉しいです。
岳飛が死なないと、南宋も金国を滅ぼせない。なぜなら金国の実力が強すぎたからです。そして岳飛も百戦錬磨を経験したわけではなく、彼も負けたことがあります。国力から言えば、当時の南宋朝廷の財政破綻は岳飛の北伐を支えることができませんでした。岳飛が皇帝に殺害された理由は岳飛が政治を知らないからです。岳飛が怒っている人が多すぎて、同僚と文官に怒られました。しかし、岳飛の話はとても励みになりました。彼は庶民から大将軍になりました。
岳飛が黄龍府を攻めて徽宗や欽宗を救出すると高宗が国を返さなければならなくなるので岳飛の頑張りは困ったらしい。それ(政治)を理解出来なかったことが悲劇に繋がったと安能務の中華帝国史にありました。
岳飛が中国で英雄扱いされすぎているんだよね。歴史にifはないというけど、仮に岳飛が邪魔されず徹底抗戦すればそれは宗にとって良い結果をうみだせたのだろうか?といえばなんてもいえないとは思います。どちらかが絶対正しかったとはいいがたいが、現在の中国においてはしんかいが不当に陥れられすぎてはいると思います。
クッソかっこいいけどやっぱり判官贔屓って万国共通なんですよね
岳飛の悲劇性、愛国心、人民を思う心、何よりも勇猛で強い事実が英雄性は生きている間で神にまで高めた…高め過ぎたなぁ…と。軍を率いるモノとしての器や誠実さは歴史的にも稀見みると感じました。ただ、生き方や戦い方…はあまりにも苛烈でかたくな過ぎた気もします。国を平和に永らえたいと思う側。戦をもって国を再び隆盛させたい側。生き方も死に方も死後も正反対ですが、どちらも十分に優れた人に思えますね。
さすが兵書を読んだだけあって岳飛は将軍として理想的。ただ寡黙なのが、仇となってしまいましたね
北方謙三の水滸三部作是非読んで欲しい!
満喫しましたぜふ高宗て弓の名手だったのなら、武将の才もあったかも。それなら、武の限界や負の側面を知っていたかも知れない。
人生自古誰無死 留取丹心照汗青(古来人間死なずものは誰ぞ ただ赤心を留めて歴史を映しのみ)※汗青=竹簡のこと、転じて歴史書を指す
田中芳樹の紅塵を読んで岳飛を知りファンになりました!
「将は外にあっては君命も奉ぜざるあり」とはいかない時代なんだよなぁ。儒教のいう忠や礼などいい部分は沢山あるけど何でもがんじがらめは弊害にしかならない。更に歪な朱子学に繋がるし。その辺、儒教の価値に縛られない春秋・戦国期なんか人が活き活きしてて面白い。
そもそも武官の地位が低い漢民族王朝では、異民族相手じゃ分が悪いんだよなぁ…王安石の改革で保甲法・保馬法とかを取り入れようとしても結局実ることがなかったし…
王安石の改革が長期間に渡り断続的でなく継続的に実施出来れば、北宋は命脈を保てた可能性はありますが、司馬光が(結果的に)超保守反動政治をやってしまい、以後の政治的混乱の原因を作ったが、相当に不味かった。旧法派の大物官僚達でさえ、一部の新法は残そう(旧法と新法をミックスさせて、良い意味で妥協しようとした)と言ったのに、片っ端から新法を廃止した上に前述の官僚のほぼ全員を地方に左遷して死んでしまうのがなぁ。「宋王朝はこのままではヤバい」と皆が思っているから、「政治改革をしましょう」という状況なのに、司馬光だけ「何も変えるな」で終わってしまった(余命8ヶ月で宰相になっても新しい政策なんて実行出来ないだろうが)のが、北宋にとって致命傷になった気がします。
@GF8EWRX 神宗と哲宗が短命なのが悔やまれます。二人とも60才まで生きれれば、、、と思ってしまう(軍事力が問題だが)。二人とも宋王朝の問題を認識して親政を行った節があるので惜しまれます。徽宗は即位前の時点で、君主としての適性に疑問符がついていたのですが、佞臣に振り回されたのが、、、。
宗沢の死の「全軍悉く哭く」は忘れがたいです
むかし偶然杭州に行き、宋朝が終焉に臨んだ離宮と、岳飛の墓を詣でたことがあります。
一日に12回も撤退の命令書が届いたってところに驚きました……いやこれたぶん一生忘れない中国史小ネタです。ありがとうございます。高宗さあ……
国には忠実で異民族には果敢に立ち向かう武将は、やっぱりいつの時代の人でも面白い
北方謙三の岳飛伝は面白かったけど、途中からさながら仮想戦記みたいな展開になるから好き嫌い別れるかも。個人の意見としてはいい作品だった。
16:00 岳飛率いる岳家隊の道徳的行動は、そのまんまキングダムの李信率いる飛信隊みたいだ モデルにしてんのかな?
リクエストで梁山泊お願いします
はじめまして。動画制作が遅くなるとの告知に気落ちしておりましたが、大作の投稿に歓喜しています。この場を借りてリクエストですが、漢王朝の麒麟児霍去病、八王の乱後活躍した匈奴の勇将劉淵、近代も可能なら袁世凱をまとめて頂ければ嬉しい限りです。
でも、結局たらればだよね。追撃を許可した後に惨敗して国を滅ぼす可能性だってあったわけだし。悲劇的な最期が印象的なだけで、秦檜が悪と論ずるのは短絡的過ぎるかと。
私は中国人です。 私はたまたまこのビデオを見ました。 岳飛と中国の歴史上の人物を尊敬してくれた日本人にとても感謝しています。 同時に、私はあなたの学習への愛情で日本人を尊敬しています。 日本の歴史も好きです。 豊臣秀吉と德川家康について読むのが好きです。 また、1905年のロシアに対する勝利を尊重します。両国がお互いについてもっと学ぶことができることを願っています。ありがとう
日本人が、勝手に岳飛のゲームソフト創ったら、怒りますか?
中国史大好きです😊世界に誇る内容と魅力に溢れてます
中国で生まれた古い故事が今も日本の中に生きてることとか面白いなーと思います
日本人です。こちらこそありがとうございます。おたがい学ぶことが出来れば素晴らしいですね。
@@山見楽太郎おp :っっっdkぅtぢおえおうおいr
僕は日本人で、日本史が大好きです。同時に中国史も大好きでその歴史深さに敬意を常日頃感じています。あなたのような中国人がいてくれることに安心と嬉しさとあなたへの敬意を感じます。願わくばお互いに尊敬できるような隣国関係でいられればと思います。
岳飛も韓世忠も人生に悲劇があるから愛される。岳飛の死後から半世紀後、仇敵・金をあっさり滅ぼしたモンゴル帝国が南宋に大征伐を起こした時、壊滅に瀕した軍を立て直すと襲い来るモンゴル軍を完膚なきまでに叩きのめし、「守護神」と皇帝臣民から崇拝されながら天寿を全うした男・孟珙のことは語られることが少ない。光武帝と同じで完璧すぎる人生は面白みがないから創作にし難く、知名度を得ないのだろう。
軍閥化しないと戦争に勝てないし、軍閥化すると王朝に対して邪魔になる、難しいね。
中国四千年の、深み。
個人の倫理観と組織としての倫理感。
国家としては「平和をもたらす」ことが一番の正義だから、
個人を見捨てなければならないこともある。
それは理解できるが納得したくはない、ということなのかな。
進撃の巨人は、参考になるんでしょうか?
岳飛は名前こそ知っていたけど、どんな戦いを経てきたのか詳しく知らない人も多いと思います。
そんな機会をくれる貴チャンネルはありがたいです。
折角の勝利のBGMが流れても最後は斬首。。でもだからこそ中国の人たちにとって英雄として語り継がれたのね。
視聴者がうp主に拝謁いたします。
おお…なんと我が最も敬愛する大英雄、岳鄂王回とは…。その上素晴らしいボリュームと内容…うp主の多大なる御高恩、視聴者感涙に咽びまする。
非業の最期ではありましたが、その一途にして崇高な志は死後も人々の心に残りました。時が過ぎ時代が移り代わっても中華の人々の心の支え・誇りとして、これまでも、そしてこれからもあり続けるのでしょう…。岳鄂王は紛れもなく英雄、大英雄です。
やはり岳飛の時代は水滸伝に影響を与えていますね。
生前では貧困で死後に評価された画家と、生前では成功して歴史には残らなかった画家とではどちらが幸せかって感じがするな。
岳飛と秦檜、有名な話ですが、とても分かりやすい動画でした。
ありがとうございます。
南宋は元々主戦派は少なく和平派がほとんどだったんだろうな。
秦檜が何十年も国の中枢にいられたのも、金とガチンコ勝負するより金払ってでも平和な方がいいと思う人間が多かったんだろう。
これを情けないと取るか、政治判断で仕方ないと取るかは人によって違うんだろうけど。
高宗にも問題があるんですよね。
先帝である兄が存命な為、自身の皇帝としての正当性に疑問符がついているのですが、これが原因で
「金王朝ボコって華北を取り戻せやゴラァ‼️」って言えないんです。
南宋優位で和平交渉やると、華北とセットで兄が帰ってくるのは間違いない。
となると高宗の立場は?となる。
時代は降りますが、明王朝中期に「土木の変」が起こった後のゴタゴタを考えると、高宗が金王朝優位でもさっさと和平を結んで、
「お兄ちゃんのお世話をお願いね❤️」
と金王朝に兄の始末を頼みたかったのは高宗の立場上、致し方なかったかも知れません。
@GF8EWRX 近未来での視野であれば間違いでは無いでしょう。海陵王のしくじりで歳弊も減額出来ていますし。
(前述の遼との盟約では、遼は宋から流入した歳弊で惰弱化&財政危機の大問題を抱える羽目に)
問題は、結果論ですが国内の防衛戦略(防衛線をどう引くか、徴兵はどうする等)を長期的な視野できちんと整備しなかったことでしょうね。
武官を冷遇しても良いのですが、そこはしっかりやらないと。実際、フビライに襄陽を落とされたら打つ手なしになってますし。
岳家軍の成功は一つの解答足り得たのに残念です。
@@daikon_yakusha 岳飛の死とほぼ同時期に成立した紹興の和議の際に欽宗の身柄を高宗が要求しても金はそれを拒否したでしょう。
なぜならこの和議成立に重要な役割を果たしたとされるウジュは欽宗を南宋に送還する気が全くなかったからです。
中国語の歴史サイトを機械翻訳して知った情報ですが、ウジュは南宋と再び戦争した時に戦況が不利になったら欽宗を傀儡の皇帝として擁し、欽宗から正式に譲位されず即位した高宗が君臨している南宋に対抗するよう甥の皇帝に遺言しています。
高宗が秦檜による岳飛の処刑を認め、欽宗の帰還を内心望んでいなかった事実は広く知られているのに、ウジュの暗黒面と策謀はほぼ知られていない・スルーされがちのは、それを意識すると歴史のロマンに浸れないからでしょうか。
@@5月7日-t3u 中国語サイトまで調べ、新情報を教えて頂き深く感謝致します。
私の中国史への理解がまだまだ浅かったということか(絶句
となると、ウジュの策謀を南宋サイドが知っていたか?が疑問点になりますね。
秦檜は知っていて高宗は知らなかったか、二人とも知っていたか、それとも知らなかったか。
高宗は知っていて秦檜が知らない。は、あり得ないかな。
これで二人の暗黒面の深さが変わってしまうので。
‼️ というか、そんな欽宗を海陵王は消してしまったの⁉️(呆
@@daikon_yakusha kknews.cc/history/2vqp989.html
kknews.cc/history/j4o9orq.html
こちらがその中国語のサイトです。複数の機械翻訳サイトを使用しましたが、Google翻訳及びDeepL翻訳というサイトが中国語を機械翻訳する場合一番精度が高かったです。高宗と秦檜は情報収集が困難だとしても、ウジュとその甥の熙宗が何を考えているかを推測することは可能でしょう。欽宗は金にとって極めて強力な外交カードであることは高宗と秦檜も認識はしていたはずです。金は徽宗の死もすぐには南宋に通知せず、高宗が父親の死を知ったのは徽宗崩御の二年後です。宋金戦争に関しては日本語で読めるそれ専門のわかりやすい書籍が一冊もないらしいのが本当に残念です。
高宗の勝ち組すぎる老後
臨安は中国で最も美しい湖と讃えられている西湖に面する都
その臨安一の豪邸として有名だった秦檜の屋敷を徳寿宮と名付けお引越
養子の名君に譲位し徳寿宮で悠々自適の老後を満喫
南宋第二代皇帝は養父に孝養を尽くしたため孝宗の諡号を送られた
乾隆帝が70歳の誕生日を迎えた際に作成した詩「古希の説」では中国の歴史上で古希を迎えられた6名の天子の一人に数えられる
なお乾隆帝は「古希の説」で高宗を快楽におぼれた老後を過ごしたと指摘
紹興の和議成立で生母韋氏は金から奇跡の生還を果たし、高宗は父の遺骸送還と母の生還を実現させた孝子としては絶賛される
二番目の皇后呉氏は側室時代を含めれば中国史上で夫帝との金婚式を迎えた唯一の皇后で高宗より長生きし、その最期を看取る
本人・実母・正妻三人ともに80代まで生存し、欧米の歴史学者たちには宋を再興させた名君として評価される
彼に強い悪意を持っていたウジュの死と金の皇室の内紛を見届けつつ
行政官としても有能だった秦檜を使い倒し
目覚ましい復興をとげつつある南宋に君臨していたのが高宗という解釈も可能
岳飛と欽宗を見殺しにし、秦檜に岳飛殺害の泥をかぶせた主君でもある
高宗が宋金戦争の立役者及び犠牲者たちのファンに不人気なのも納得はできる
韓世忠手柄取られがちだけどめげずに活躍するの好き
手柄取られすぎて水滸伝では方臘の乱まで取られてていなかったことになってる不遇さも好き
杭州市の西湖横に在る岳飛廟には四回ほど行きました。
人気が有るのが解りますね。多くの観光客が来ています。
異様に細かく描写されていて、明らかに演出過多な史書ですね、岳飛伝
鳥人間さんの最高傑作ですね。これぐらいの長さにして頂けると、岳飛のことがよく理解でき、感動を得られる。
北条時宗公と、藤原隆家公はどう思いますか?
39歳で亡くなるのは惜し過ぎる
関羽でさえ58歳まで生きたのに
生きていたら、後の遼との決戦で総司令官として活躍できただろうに・・・
世界史の検定試験の勉強のために、こちらの解説動画を拝見しました。
まさか、解説動画で涙するとは思いませんでした。
ありがとうございました。
応援してます。
韓世忠と梁紅玉の間に生まれた息子から見た作品を書いた田中芳樹先生の作品を読んで、テムジンが生まれた時のエピソードを金の後の皇帝が知っていたり、岳飛を梁紅玉がどう見ていたかの想像は楽しかったです。北宋最後の皇帝が当時の人にどう伝わったのかも、面白かったです。
宋弼をリクエストさせていただきます。
リクエストで遼の初代皇帝の耶律阿保機の紹介もお願いします!
岳飛は名前だけ聞いたことがありましたが中国の英雄なんですね。
こういう英傑の紹介をしてくださる鳥人間さんに感謝です。
金軍のこと余り知らなかったけど鉄浮屠カッコいいなw
今回はオープニングから提供まで気合が入ってて笑った
鎮藩などまさにそうですね。
鎮藩では無いですが清末の軍閥・李鴻章などは日清戦争というより李鴻章と日本との闘いでしたし。
どういう返信だよw
@@滝の試練 違う世界線と一瞬だけすれ違った結果生まれた返信説。
ナポレオンと違って目標を見失わなかったのが味噌かな
金は重装騎兵(鉄浮屠)で両翼を突破する包囲殲滅戦を好んだ。
良馬の産地を持たない南宋は初め、強化した弩でこれを迎え撃とうとした。
しかし、連射速度が遅く、騎馬突撃への有効打にはならなかった。
結局、南宋は鉄浮屠の突撃に重装歩兵で対抗するしか方法がなかった。
南宋の重装歩兵の装甲は、中国歴代王朝の中でも一番厚く重いのは、そのためである。
岳飛は重装歩兵に、敵を仰ぎ見ず馬の脚のみを狙えと命じた。
その時に使われたのが大斧や麻札刀(まさつとう、31:02の中二心をくすぐるあれw)
このような戦術は英雄的である一方、並の練度と忠誠心では成立しない。
弱兵の大軍を与えられても、全く役に立たないことは自明だろう。
岳飛が少数精鋭主義を採り、末端の兵士と寝食を共にしたのは、合理的な意味があった。
また、古代中国の軍人には字も読めない脳筋も多かった。
しかし、岳飛は農民の出身でありながら極めて教養程度が高く、名書家としても有名。
現存する出師の表は岳飛の書筆である。(成都の武侯祠を訪れた際にその場で書き写した)
もう気合いの入った二人が可愛すぎてもう
今回の導入も素敵でした
内容も素晴らしかったです
岳飛の解説動画、待ちに待ってました!
期待以上に良かったです!
岳飛は中国ドラマのDVDを観るくらい好きな英雄です。
韓世忠も是非お願いします!
岳飛は北方謙三さんが小説にしています
ちなみに岳飛の右腕は義手になっている設定です
楊令との戦いで失いましたその代わり楊令に深手をおわせました
SEKIROを思い出すな😊かっこいい
今の時代は日本も諸外国も秦檜がたくさんいますね。
あまり細かくは触れませんが動画を視聴していて同じことを思いました…。
いつの時代も場所を問わず同じ事が繰り返されるものですね。
ああ、鳩山に二階ですね!竹中も入れるかな。
秦檜(四階)に似た名前の人がいましたね。
一階さん?三階さん? あー忘れちゃった!
麻生なんかもなかなかだと思うな〜
@@grandfatherbill5364 それは誤解だよ
岳飛伝は大好きだった。しかし、当時の友人にも彼女にも、中国人留学生にも全く分からんと言われた。嬉々として貸した本を読んでくれさえしなかった。
本当に中国人に人気なのか?
中国では岳飛は漢民族のヒーローですが現在の少数民族統一問題と関わった人物になってしまった、人気がないより人気になれない状況になっています
ちなみに、宋代と関わったで一番有名な作品は《水滸伝》なので、宋代という時代に人気が二番目になる上にそして現在の中国民族統一政治に邪魔する事である以上、岳飛は政府にとってあまり人気になりたくない人物になっているだろう…
岳飛と関わったネタの一つ
「中国では油条(中華揚げパン)という料理がある、それは宋代で岳飛を殺した一般人にとって秦檜の憎しみを含めて作った料理である、料理元の名前は「油炸桧」、その意味は秦檜を揚げて殺したい当時の人の考えを入り込んで作ったも気分です(皆も秦檜を石川的な処刑したい気分含めてその料理を作った料理)、ちなみに、油条は日本の中華料理にも売っていますので、岳飛好きな方、「油条」を食べて見たらどうですか?
とは言え、岳飛は中国南方数が少ない英雄の一人です、岳飛という人物があまり分からない中国人は、普通に文化歴史に興味持ってない或は漢族の人ではない可能性が高いと思います(まあ、僕は中国人なので、三国も読んでない中国人もあるし、岳飛分からない中国人あってもおかしくないだろう、そもそも日本一番多くの留学生は基本中国北方人なんですし、宋に興味持ってなくてもおかしくありません)
でも岳飛の死にお陰様で、宋の平和も長く続いた、生きても死んでも英雄になる人こそ、真の英雄と思います
@@yaya-qi9ex
そうなんですか。確かに岳飛伝より水滸伝の方が有名なイメージですね。中国でもそうなんですね。
中国人留学生に北方の人が多いのも初耳でした。
豆知識有難う御座います!検索してみたら結構ポピュラーな食べ物みたいですね。とても美味しそうだし、岳飛伝に想いを馳せながら是非食べてみたいと思います(*´﹃`*)
@@xwdd1259 えっと、莫须有(あるかもしれません)じゃないでしょうか?
岳飛都知道的~! 我是中国人
日本の大学は(金のため)留学生にやさしいから、留学生の90%以上は低脳な坊やだからね。
エリートは日本と同じアメリカに行く。
通勤時間に全て聞けました。素晴らしい動画感謝します。
俺たちって岳飛や楠木正成、栗林中将のような忠義を尽くしたけど報われなかった英雄好きだよな
面白く勉強になりました。
ありがとうございます。
なるほど……こりゃ秦檜さん嫌われますわ………
鳥人間様お疲れ様!!ありがとうございました。岳飛が仮に北伐に成功していたとしても恐らく彼一代で終わってしまった気はします。
様々な人が指摘しているように南宋王朝は基本戦を好まなかった事とあまりに文官の力が強過ぎて、軍事に疎くまた軽んじる所も多々あった事が
このような結果になってしまったのかなとは思います。
また南宋が統治していた風土も穏やかで水が多く、産物も豊か食うに困らない所が大部分となれば、
無理をして攻め込むのではなく現状維持・平和主義で厭戦気分も相当だったのでしょう。
成り上がりからの非業の死。
神格化されるのも頷けますね。
元より軍事を軽視する傾向があった南宋で
名将として国内の声望を集めた岳飛が
身内から疎まれて切り捨てられたのはある意味運命だったのかもしれません。
一番の敵は相手ではなく、無能な首脳部と言うのはいつの時代も変わらないのかなぁ
ガンダムで言う、ホワイトベースと、連邦軍首脳、みたいな?
私は岳飛は日本でいうと楠木正成のようなイメージをもちました
岳飛は中国史上最高の英雄といわれ
楠木正成も日本開闢以来の名将といわれていますし
有名な話ではないところで
活躍しており
あまり有名ではない(日本人限定)ところも似ているなと感じています
未来の人間から見れば秦檜の戦略は別に大きく間違っていなかったことや岳飛の戦略の無謀さを指摘できるけど当時の民族的感情に基づいて考えれば講和は絶対的に正しくはないというのが選択の難しさよなぁ
こうして見ると南宋って国内で色んなトラブルとか裏切りが多すぎて不遇だけど、歴代中華王朝と比較しても中々軍事が凄いよね。
賄賂と女を使ってたとは言え金に滅ぼされる事は無かったし、モンゴル帝国の侵攻にもかなり粘って
最後はモンゴルが策略を用いて無血開城とかいいガッツしてる。
言い換えると、誰かがやらかしたヘマを派手に尻拭いしている訳なんですよね。
南宋維持のために皆して奮闘するけど、てんでバラバラ、誰かの奮闘が後になってデカい失策に化けて、別の誰かが派手に尻拭いをするイメージ(ただし成功するかは不明)
南宋滅亡時、フビライに降った南宋の将校に対してフビライが言った皮肉は、南宋の朝廷が一致団結出来ない現実を正確に表現しているかも知れませんね。
@@daikon_yakusha 南宋滅亡直前って軍部が南宋上層部から嫌われ、本当は南宋上層部がしなきゃいけない
軍部に対する国防の感謝とか、労いの言葉を敵の大将フビライから言われて心が折れたとか何とも言えない展開ですよね。
一発でバッチリ分かったぜ!ありがとうございます、感謝します!
リクエストした岳飛をやってくれてありがとうございました
とても勉強になりましたし、ウジュとの決戦にはワクワクしながら解説に聞き入っていました!
秦檜よりも私は高宗の方が嫌いてすね。建康まで攻められた時は岳飛に依存しているのに、結局使い捨てにする、最終的に処刑を承認したのも高宗ですし。歴史上の人物にここまで怒りを感じたのは初めてかも(笑)
それだけ投稿者さんの動画の質が高いという事でしょうね!😁
岳飛が好かれるのは、日本の判官贔屓にも似てますね。
そう考えると日中の文化の底流には似通った部分もあるのかもしれませんね😌
さて、北宋の徽宗とか「暗君・悪臣シリーズ」も良いかも⁉️
まとめに
・なぜ暗君・悪臣になったのか?
・どうすれば名君・名臣に近づけたのか?
を考察するのも面白いかも、ですね💡
宋王朝は唐王朝の失敗に懲りて武官に権力を握らせない文治主義ということでそれは良かったのだけど、この岳飛のような真の義士・憂国の英雄を軽んじてしまったことが金そしてモンゴルに呑み込まれ滅びる原因ともなってしまった。
岳飛を初めて知ったのは銀英伝の作者の田中芳樹が書いた岳飛伝だった。
確か中国の武将トランプで
エース格
と聴いた事があるな
諸葛亮は七だったとか
中国名将トランプですね。田中芳樹さんが買っておられて、語りおろしのエッセイ「中国武将列伝」で「ジョーカーは岳飛だった」と話しておられましたね。
クイーンが花木蘭、穆桂英、梁紅玉、秦良玉だった、とも書いておられましたよ。どのスートまではわかりませんが。
初めてコメントします。
この方を全く知りませんでした。
勉強になりました。感謝デス!
小さい頃から兵書等を読めるあたり、実家は農家とはいえ貧農ではなく豪農の家だった感じがする
お金を貸す事ができる事からして、裕福でないと無理。
母親が文字を読めること(入れ墨のエピソードだけでなく、文字の読み書きも母に砂地で教えてくれたという)自体で大したことと思います。あの時代では
富農か、地主の家らしい感じはしますよね。
能書家という点だけとっても、幼い頃から誰か文人墨客の師についていないと上達しないし。
少なくとも子供が全員、労働についていないといけない貧しい家柄ではないですよね。
能書家といっても並の能書家ではありません。
有名な諸葛亮の出師の表も現存しているのは、岳飛の書。
彼が成都の廟を訪れた際に写書したものです。
見ごたえのある動画でした。岳飛のことを知らない方でも彼の忠義、将軍としての魅力が感じられたと思います。鉄浮屠との戦いはまさしく「夫れ戦いは勇気なり」と言うべきでしょうか。
彼の詩「満江紅」「池州翠微亭」な簡素ながら良いと思います。
up主様。お忙しい中の大作、まことに驚きました。岳飛は興味があったので、大変楽しく見させていただきました。
豊かな南部に暮らし、食うに困らない上層部にとって、あえて北伐を行い泥沼の戦争を続けるより、そこそこの条件で講和し、軍は金への抑止力として働いてくれればそれで良かったのでしょうね。
もし、南宋が一丸となって金と戦っていれば岳飛は優秀な将軍として生涯を終えたでしょう、しかし中国を代表する英雄にはならなかったでしょう。英雄には悲劇的要素が不可欠なのですね。
リクエストは武将も良いけど文官もねということで包青をお願いします。今、BSで包青天を放送していたはず。アクションシーンは見てるだけの珍しい主人公です。
それではご自愛くださいませ。
面白かったです。……がちょいと長いですね〜私はお風呂に入りながら、いつも見てマスが、見終わるのに3日かかりました。
素晴らしかった!
秦檜がきたからいずれ来るであろうと思っていたらついに来た。
宗沢や韓世忠は南宋の英雄だけど、岳飛は漢民族の英雄という扱いだから、人気の高さが窺える。
岳飛伝だとまあお決まりの聖人君子ぶりが見えるけど、あの作品は牛金のトリックスターぶりが面白いから多少はね。
なんか全部ひっくるめて美味しいところを持って行った感が半端ない。
次が誰の話が来るか。
同じ南宋からは来ないはずなので、まさか同じ悲劇の英雄繋がりで袁崇煥が来たりしないだろうな。
岳飛は救国の英雄なのに最後は涙を誘う悲しい😢
北条時宗公や、藤原隆家公はどう思いますか?
@@山見楽太郎 北条時宗公や藤原隆家公は「伊刀の入寇」、「元寇フビライの侵略」を撃退して日本を救った指導者、
正に英雄だと思います。
何となくですが、岳飛が好き勝手出来たとしてもやっぱり宋の運命は似たり寄ったりだった気がするんですよね。
@@50per-e2q しかも騎馬民族相手に、ですからね。
まあこれは唐ですけど、少なくとも士気だけのイスラーム軍に数で勝ってるのに大敗してる時点であんまり中国軍は強くないかなって。
その癖にあえて騎馬民族に喧嘩売るのはなぁって言う。
しかも、お金を払って生き永らえるとは言え、それって自前で軍隊雇ってるのと変わらないですからね。
金だって農耕民族を定住支配なんかしたく無いし、ただの市場としてだけ使えれば好都合。
だから、金は日本で言うアメリカみたいなもんだと思いますね。
ただでさえ中国は広いから、君主の権限弱まるとやれ藩鎮だ節度使だってやりたい放題しますから
本当ですよね。秦檜や高宗の方が国内の実力とかを分かってたという可能性もありますし。(もちろん保身の可能性もありますが)現代から見るとこの時代からすでにシビリアンコントロールがある中国はさすがにすごいですね。
いいえ、若死にしてるし、この後、文天祥も出て来るから。
岳飛のドラマ観たけど面白かった名前は岳飛伝だったはづ
英雄って、小者にはめられて、死んでいくパターンが多いですよね。
この世で最強なのは卑怯もの。この言葉、ある意味、真理かもしれません。
南宋時期武将,韓世忠,岳飛,楊再興,魏勝,岳雲,劉錡,吳玠,吳璘,畢再遇が一番好きです
宋の時代の身分制度のことはわからないけど、岳家は農家と言っても地主階級的な地位にいたのかな
二宮金次郎のような
あるいは日本でいう武士と農民の両方を兼ねてた足軽的な地位にいたのか
でなければ、農家でありながら武術や学問に通ずるなんてこと考えられない
宋王朝では一族から科挙で役人を排出すると経済環境が良くなるらしいので、岳家には過去に科挙に合格した人物がいたかも。
北宋期は科挙対策で塾が流行った。なんて話があるので、地位は低くても勉学に励みやすい環境だったかも知れませんね。
@@daikon_yakusha なんと……
日本の源義経と同じで……
本人の為した業績や才覚も重要だが、「上司や時勢に恵まれず、その結果、悲劇的な最期を迎える。」という展開があったればこその「後の世でも愛される英雄」なんだなと思う。
卑怯な手で戦に勝った挙句三種の神器を水没させて任務に失敗したのみならず
命令に背いて徳子を凌辱したとも言われてる義経を岳飛と一緒にしないで
義経は手柄を全部持って行って、手からを立てるために投資していた鎌倉武士団に蛇蝎のごとく嫌われていたんだぜ。
水軍での戦いで船を操る水夫に対しては攻撃してはいけない暗黙のルールが有ったが義経は水夫に対して攻撃をして敵味方の水軍諸将から嫌われた。
どうしてみんな、楠木正成を引き合いに出さないのか...。
@@山見楽太郎 そういや、忠臣という点では楠木正成の方が近いか。
中国の中世?には全く知識が無かったので大変興味深く拝見しました。
まず岳飛ですが三国志の時代にすら居なかったような
まさに英雄の中の英雄と呼べる人物が存在していたことに驚きました。
次に彼の軍規の敷き方。
現代の軍隊の規律にも通じる厳格な理念は岳飛は過去の戦史における教訓を学んでいたのか
彼に高い教養が備わっていたことを物語っているように感じます。
エン城北での金軍との一大決戦は、壮絶の一言で解説を聞いていて思わずに拳に力が入ってしまうほどでした(笑)
そして不遇な展開…。まるで今の日本のように国賊紛いの輩の妨害によって悲願成らず。
このような高潔で誠実な人物が、その後も表れかの国を牽引し続けていれば、歴史は大きく変わっていたのかなと思う次第です。
こんばんは~。
以前、岳飛をリクエストさせて貰った身としては、興味深く視聴いたしました^^。
女将軍編?も楽しみにしておりますw。
(秦良玉の紹介が楽しみです)
「真に恐れるべきは有能な敵ではなく無能な味方である」
ナポレオンの名言を思い出さずにはいられない話だった
華北を守り続けるには南宋の軍事力が弱いのも事実だけど、
侵略してきた異民族が約束を守り続ける保証も無いわけで
ウジュは金の国力が回復したら一方的に和約をまた破棄して南宋を可能な限り短期間で滅ぼすつもりだったそうです。
ウジュは敵国との和平に反対していた岳飛の処刑を要求する書状を秦檜に送り付けており、岳飛の逮捕と処刑はその書状を秦檜が読んだ後に実行されました。
岳飛がいない方が短期間で南宋を滅ぼせるのでウジュは岳飛を消すチャンスを逃さなかったのでしょう。岳飛の非業の最期の最大の責任者は高宗と秦檜ではなくウジュです。
その後20年あまり金からの攻撃はなく、平和は保たれましたよ。
1161年に金がまた進攻を企てましたが、50代半ばの高宗はこれを退けると養子の孝宗に譲位します。
後継者の孝宗は名君の誉高く、高宗を引き継ぎ和平論を維持。南宋は繁栄を謳歌する時代になります。
そして高宗は81歳の天寿をまっとうしました。
そもそも岳飛の件って、開封が陥落して北宋が滅ぼされてから10年ちょっとしか経ってません。
北宋最後の皇帝欽宗(高宗の兄)も金に拉致されたまま。宮廷には欽宗復位を望む臣下も少なくない。
主戦派と和平派の抗争も激しい上に、軍閥化が進んで皇帝直属の兵も少ないのに、金はいつ攻めてくるか分からない。
こんな困難な状況で、高宗や秦檜が無能だったら、南宋なんてあっという間に滅んでますよ。
岳飛の部下には黒旋風李逵鉄牛のような豪快な者もいたんだろうな!浪漫や✨
関羽を殺した孫権、岳飛を殺したシンカイ。二人共物語では大抵大悪人にされてるけど、当人の立場からすると大人物だったりするし、ちょっと気の毒だよね。
よく日本は判官贔屓で義経ら悲劇の英雄が好まれると言いますが、岳飛といい、劉備といい、(ほぼ創作されたとはいえ)宋江といい、何だかかんだで中国も悲劇の英雄が人気ですよね(笑)
岳飛はまさしく楠正成の中国版やな。
明でも于謙や袁崇煥といった異民族相手に武勲を挙げながら朝廷に疎まれて悲劇的な最期を迎えた英雄は後世に語り継がれています。
餃子を包みながら拝見しました。おかげで96個包みきりました!
横山光輝先生の岳飛読みたかったなぁ
若手漫画家を信じましょう!!
梁紅玉さん、巴御前みたいな人だな…
梁紅玉さん、凄い人ですよね。唐の節度使、韋皐の秘書役を担った唐の薛濤の例があるから、伎女で学問のできる人って意外に多かったのだろうけど…。
もし纏足を施されていたのなら軍の移動もしんどかっただろうと思ってしまいます。纏足をしていたら戦うどころか歩くのにも障害が出てしまいますからね。
岳飛の動画、ありがとうございます。
この当時の「抗金の名将」の軍は国に仕えている形でなく、岳飛や韓世忠に仕えている「軍閥」に近い形。その軍閥の長たち、岳飛、韓世忠、呉玠・呉璘の兄弟、張俊。彼らの個性を比べてみるのも興味深いですね。
「抗金名将」の代表であり、時代を超えた中華の名将、岳飛。悲劇的な死を遂げたけど、岳飛の財産は韓世忠の息子、韓彦直の手で詳しく調査されて、遺族に一銭も欠けることなく返還されたと聞きます。
韓世忠や当時の人々の岳飛に対する友情や様々な想いは息子の彦直にも引き継がれていたんですね。
軍閥を形成し始めていたからこそ、逆に抗金強硬派の岳飛は処分されざるを得なかったんじゃないかなぁ?
和平政策を推進していた上層部の意に沿わないとはいえ、失脚じゃなくて処刑しているあたり……
@@coldexp7189様
そうですね。要害の地・四川を治めた呉兄弟の場合は軍閥化がかえって彼らの身を守る形になり、岳飛はその軍閥と巨大な功績、国土回復の願いが粛清の原因になった訳ですから、何が身を助けるか、身を滅ぼすかわからないですよね…。
例の像でどうして秦檜「夫妻」の像なのかと以前から不思議に思っていましたが、
奥さんが最後のひと押しをしてしまっていたのですね。疑問が解けました。
秦檜の手法って、春秋戦国時代でわりとある話ですよね。
そこまで悪く云われるのか。まぁ獄中死はそうそう無いけど。
この頃の史書の兵数は現実的な数なのね。
中国の歴史ドラマは粒ぞろいだから良いですなぁ
南朝の梁の陳慶之をお願いします!
岳飛の身の振り方は清代の曾国藩や李鴻章にも影響を与えているな
秦檜が中国人に憎まれるのも当然だな。
永遠に許されないだろうな…
中国油条 is also called "油炸桧"
かつて司馬遷は史記の中で、伯夷と叔斉が宗家とも言える殷の帝辛が滅んだ後、周の国の食べ物を一切口にしない誓いを守って餓死したことと、大盗賊である盜跖が天寿を全うしたことを引き合いに出し「天道、是が非か(天の示す正しい道なんてこの世に本当にあるのか!)」と嘆いたといいますが、岳飛(と秦檜)の最期にも同じモノを感じますね
中華に限らず長い歴史の上では何度もこういうことが繰り返されているのですよな ショッギョムッジョ(突然の忍殺語
秦檜の人生は、天寿を全う出来たけど本人にとって良きものであったのか?という疑問が湧いてしまいます。
最期がなかなかに壮絶ですからね。
後世の人々から糾弾されるに決まっている上に他人から憎悪の感情しか生まれないことを、自己保身と政権安定と己の生きた意味を否定されたくないが為に、漢民族の激しい憎悪に晒された上で、それを理解しながら死ぬ迄休まずにやり続けるのは、ある種の拷問ではないかと。
そこには、束の間の心の平安も魂の休息も一切ありません。
しかも他の何モノも、死後の地獄行きを保証するのに、死後の平安を保証しないのですから。
同情しませんが、ある種のドMでないと、ああゆう生き方出来ないよな。と思うことがあります。
@@daikon_yakusha ただ、権力の座を手にするために友人を(結果的にかも知れないけど)蹴落とすまではまだいいとしても、正直息子や孫などの近親者を史書に関わる役職において自分の業績に手を加えようとした辺りはいかがなものかと…西門豹が「自分の功罪などずっと後の人間が決めることだ」と、名誉を求めずただ職務を全うしたのとは比較にならないでしょう。
秦檜の成した南宋と金の和平に関して、その功績は西門豹とは比較にならないほどでかいことは間違いないでしょう。
彼がそう吹き込むまでもなく、高宗が金の撃滅はもとより、旧領の復帰なぞ望んでいなかった事も確かです…しかし、悪名をもみ消そうとしたなんて流石に非難されても仕方ないんじゃないかと思うのです。変に潔さがないというか。
@@autumn_prismfox ド悪人にならないと正気を保てなかったのでしょう。良心が少しでもあれば発狂しそうな気がします。
もしかすると岳飛を殺した時点で士大夫(儒者)として狂っていたかも知れません。
自身の死後も自身のクリーンさを「確保」して一族の安寧を確保しないと、漢賊認定されて五族皆殺しの上、和平路線を破棄されかねませんし。
自身の外交路線に妄執するあまり、一族を駒扱いするなどして政策維持の為に手段を選ばない(歴史の捏造も辞さず)。
と考えると、高貴な者が持つべき潔さなどゴミ程度の価値しか見いだせなかったかも。
最期は妄執が過ぎて、何故「ソレ」にそこまで拘るのか忘れていそうですが。
何回聞いても、泣ける
岳飛と秦檜って、戦前の日本の軍部の台頭にも深く関与していた。戦前の日本人は今よりも中国の歴史書をよく読んでいたから、政治の腐敗を見て秦檜を思い出し、軍部の台頭に岳飛を発想し、やはり政治家よりも軍人の方がいいと思ってしまった。そして日本は敗北へ向かうことになる。
岳飛は忠心愛国という大義そのもののような存在なんだけど、それ故の傲慢さみたいなのがある。複雑な立場にいた高宗にすれば、ある意味煙ったい存在。
仮に高宗が旧領回復に意欲的だったとしても実現したとは想像しにくいかな。
過去に南朝が北朝を征服した事例は明の朱元璋のみだったはず。
その時は各地に元朝は弱体化し、各地に反乱がおきている状態でようやく
北京を落としている感じ。
その後も元は滅亡せず、北元として明を苦しめている。
南朝は守りには適しているけど攻めには向いてないと思っている。
一応国民党もそれのはず、すぐやられたけど...
中国ドラマの岳飛伝って見てて切なかったですが、本当にいいドラマでした。
ところで中国史の中でも明初を題材にした日本語の読み物って少ない気がします。功臣がほとんど粛清されるので朱元璋以外は題材にしにくいと思いますが、劉基や徐達なんかを扱ってもらえると嬉しいです。
岳飛が死なないと、南宋も金国を滅ぼせない。なぜなら金国の実力が強すぎたからです。そして岳飛も百戦錬磨を経験したわけではなく、彼も負けたことがあります。国力から言えば、当時の南宋朝廷の財政破綻は岳飛の北伐を支えることができませんでした。岳飛が皇帝に殺害された理由は岳飛が政治を知らないからです。岳飛が怒っている人が多すぎて、同僚と文官に怒られました。しかし、岳飛の話はとても励みになりました。彼は庶民から大将軍になりました。
岳飛が黄龍府を攻めて徽宗や欽宗を救出すると高宗が国を返さなければならなくなるので岳飛の頑張りは困ったらしい。
それ(政治)を理解出来なかったことが悲劇に繋がったと安能務の中華帝国史にありました。
岳飛が中国で英雄扱いされすぎているんだよね。
歴史にifはないというけど、仮に岳飛が邪魔されず徹底抗戦すればそれは宗にとって良い結果をうみだせたのだろうか?といえばなんてもいえないとは思います。
どちらかが絶対正しかったとはいいがたいが、現在の中国においてはしんかいが不当に陥れられすぎてはいると思います。
クッソかっこいいけどやっぱり判官贔屓って万国共通なんですよね
岳飛の悲劇性、愛国心、人民を思う心、何よりも勇猛で強い事実が英雄性は生きている間で神にまで高めた…高め過ぎたなぁ…と。
軍を率いるモノとしての器や誠実さは歴史的にも稀見みると感じました。
ただ、生き方や戦い方…はあまりにも苛烈でかたくな過ぎた気もします。
国を平和に永らえたいと思う側。
戦をもって国を再び隆盛させたい側。
生き方も死に方も死後も正反対ですが、どちらも十分に優れた人に思えますね。
さすが兵書を読んだだけあって岳飛は将軍として理想的。ただ寡黙なのが、仇となってしまいましたね
北方謙三の水滸三部作是非読んで欲しい!
満喫しましたぜふ
高宗て弓の名手だったのなら、武将の才もあったかも。
それなら、武の限界や負の側面を知っていたかも知れない。
人生自古誰無死 留取丹心照汗青
(古来人間死なずものは誰ぞ ただ赤心を留めて歴史を映しのみ)
※汗青=竹簡のこと、転じて歴史書を指す
田中芳樹の紅塵を読んで岳飛を知りファンになりました!
「将は外にあっては君命も奉ぜざるあり」とはいかない時代なんだよなぁ。
儒教のいう忠や礼などいい部分は沢山あるけど何でもがんじがらめは弊害にしかならない。更に歪な朱子学に繋がるし。
その辺、儒教の価値に縛られない春秋・戦国期なんか人が活き活きしてて面白い。
そもそも武官の地位が低い漢民族王朝では、異民族相手じゃ分が悪いんだよなぁ…王安石の改革で保甲法・保馬法とかを取り入れようとしても結局実ることがなかったし…
王安石の改革が長期間に渡り断続的でなく継続的に実施出来れば、北宋は命脈を保てた可能性はありますが、司馬光が(結果的に)超保守反動政治をやってしまい、以後の政治的混乱の原因を作ったが、相当に不味かった。
旧法派の大物官僚達でさえ、一部の新法は残そう(旧法と新法をミックスさせて、良い意味で妥協しようとした)と言ったのに、片っ端から新法を廃止した上に前述の官僚のほぼ全員を地方に左遷して死んでしまうのがなぁ。
「宋王朝はこのままではヤバい」と皆が思っているから、「政治改革をしましょう」という状況なのに、司馬光だけ「何も変えるな」で終わってしまった(余命8ヶ月で宰相になっても新しい政策なんて実行出来ないだろうが)のが、北宋にとって致命傷になった気がします。
@GF8EWRX 神宗と哲宗が短命なのが悔やまれます。
二人とも60才まで生きれれば、、、と思ってしまう(軍事力が問題だが)。
二人とも宋王朝の問題を認識して親政を行った節があるので惜しまれます。
徽宗は即位前の時点で、君主としての適性に疑問符がついていたのですが、佞臣に振り回されたのが、、、。
宗沢の死の「全軍悉く哭く」は忘れがたいです
むかし偶然杭州に行き、宋朝が終焉に臨んだ離宮と、岳飛の墓を詣でたことがあります。
一日に12回も撤退の命令書が届いたってところに驚きました……いやこれたぶん一生忘れない中国史小ネタです。ありがとうございます。高宗さあ……
国には忠実で異民族には果敢に立ち向かう武将は、やっぱりいつの時代の人でも面白い
北方謙三の岳飛伝は面白かったけど、途中からさながら仮想戦記みたいな展開になるから好き嫌い別れるかも。
個人の意見としてはいい作品だった。
16:00 岳飛率いる岳家隊の道徳的行動は、そのまんまキングダムの李信率いる飛信隊みたいだ モデルにしてんのかな?
リクエストで梁山泊お願いします
はじめまして。
動画制作が遅くなるとの告知に気落ちしておりましたが、大作の投稿に歓喜しています。
この場を借りてリクエストですが、漢王朝の麒麟児霍去病、八王の乱後活躍した匈奴の勇将劉淵、近代も可能なら袁世凱をまとめて頂ければ嬉しい限りです。
でも、結局たらればだよね。
追撃を許可した後に惨敗して国を滅ぼす可能性だってあったわけだし。
悲劇的な最期が印象的なだけで、秦檜が悪と論ずるのは短絡的過ぎるかと。