【全篇】『日本アルプス縱走 烏帽子嶽より燒嶽へ』1925年|「フィルムは記録する」より ‘Film IS a Document: NFAJ Historic Film Portal’

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  • Опубліковано 29 вер 2024
  • 本作品は、国立映画アーカイブが所蔵する文化・記録映画など映画作品を配信するWEBサイト「フィルムは記録する ―国立映画アーカイブ歴史映像ポータル―」filmisadocumen...(制作:国立映画アーカイブ、国立情報学研究所)の公開作品です。
    『日本アルプス縱走 烏帽子嶽より燒嶽へ』 (ニホンアルプスジュウソウ エボシダケヨリヤケダケヘ、1925年)
    文部省
    30分, 白黒, サイレント
    文部省製作の山岳関係映画としては最初の作品。烏帽子岳から焼岳に至る北アルプス(飛騨山脈)中部一帯の山々とともに、雷鳥や地衣類、ハクサンイチゲ、キバナシャクナゲ、キヌガサソウ、サンカエフ、シナノキンバイ、オオサクラソウ、タカネザクラ、ミヤマツマキチョウなどの動植物が映し出される。踏破ルートは、青木湖と木崎湖の湖水めぐりに始まり、大町から高瀬川に沿って進み山脈へ入り、烏帽子、鷲羽岳、蓮華岳、双六岳、槍ヶ岳から下って穂高山麓の上高地牧場から焼岳、大正池に至る。撮影補導の小泉秀雄は長野県松本女子師範学校教諭で、「文部省活動寫眞斑」の実質は製作を委託された東京シネマ商会。
    「フィルムは記録する ―国立映画アーカイブ歴史映像ポータル―」では、1921年から1938年までの間に製作された作品を中心に52作品を新たに公開いたします。今回の公開では、社会的話題から市民生活までをテーマとした多様な作品に加え、重要文化財フィルム『史劇 楠公訣別』を公開しています。国立映画アーカイブでは、今後も随時公開作品を増やしていく予定です。ぜひサイトをお訪ねください。
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    This is one of the films featured on the website “Film IS a Document: NFAJ Historic Film Portal” (a joint project of the National Film Archive of Japan and the National Institute of Informatics) which streams a selection of titles from the NFAJ film collection with initial focus on cultural and documentary films.
    Nihon Arupusu juso Eboshidake yori Yakedake e (1925)
    Produced by the Ministry of Education.
    30minutes, b/w, silent.
    The fourth edition of this site presents 43 additional titles covering mainly the years from 1921 to 1947. The selection includes a variety of works on topics ranging from social issues to everyday life, while the film designated as Important Cultural Property "Shigeki Nanko Ketsubetsu". NFAJ plans to keep adding new titles to the site regularly. Please visit the site at filmisadocumen....

КОМЕНТАРІ • 29

  • @D_Dream_ch
    @D_Dream_ch 2 дні тому +5

    100年前の裏銀座+焼岳の映像。登山装備は今と全く違うが、山の姿は全く変わらないね。
    釜トンネルが出来て観光地化される前の上高地一帯が牧場だったって聞いたことあったけど、映像で見たのは初めてだ。

  • @hiroshimatsuzawa7937
    @hiroshimatsuzawa7937 3 дні тому +7

    100年の時を超えた素晴らしい映像に感謝。

  • @dorolyncyo
    @dorolyncyo 2 дні тому +5

    "る" の字甚だ読みづらし。100年まへのキャプション読破せしこの達成感たるや。あゝ只落涙す。
    鉄梯子のない槍をどうやって登ったのか? まさに "あの" 《点の記》さながらの苦労があったはずの記録映画だと感心しました。
    いいの撮れましたねぇ~🏔

  • @yq8965
    @yq8965 2 дні тому +3

    21:56 「富士に次ぐ高峰槍」という字幕も興味深い。

  • @aRVeesBlog
    @aRVeesBlog 2 дні тому +5

    nice content, new friend here from the philippines

  • @harahara111
    @harahara111 2 дні тому +2

    貴重な映像ありがとうございました。今よりもやはり雪多いですね

  • @まぐろちゃん-c9w
    @まぐろちゃん-c9w 2 дні тому +2

    植生と雷鳥と森に放牧された馬と普通に凄い映像だった

  • @sakura-qz9nt
    @sakura-qz9nt 2 дні тому +4

    上高地に馬がいたのか…💦

  • @junkers721
    @junkers721 4 дні тому +4

    貴重映像。この調子で当時の尾瀬の映像もお願い致します。浮島に乗って遊ぶ女性たちの動画が見たいです。

  • @ああ-g7m7x
    @ああ-g7m7x 2 дні тому +2

    雷鳥はひなも親鳥もかわいい💕

  • @fdrrotamat5885
    @fdrrotamat5885 День тому +1

    強力さん方々の苦労が偲ばれます。地形図も怪しいお金持ち?でないと登山できなかった時代。貴重な映像です。

  • @kingmasa1144
    @kingmasa1144 3 дні тому +7

    これは貴重だわ ザックの大きさも見ても、今とは考えられない山行されたんでしょうね
    今風の浮き石のヤラセなど良いですね

    • @noritakahiro
      @noritakahiro День тому +1

      撮影機材も相当重い時代ですし

  • @gunzezz655
    @gunzezz655 2 дні тому +4

    100年前で音もなく白黒だけど普通に興味深く見れる。国立公園内で普通に火を焚いて食事を作っているのも時代を感じる。

    • @増田正明-h6n
      @増田正明-h6n День тому

      1931年に国立公園法が制定、1934年に瀬戸内海・雲仙・霧島が最初の国立公園に指定となっているので1925年では国立公園は日本にはまだないですね。
      それから当時の登山幕営の食料は味噌醤油等調味料や米以外は現地調達が一般的で雷鳥など狩られ具材としていて古い山岳本には調理の仕方とかレシピが紹介されているそうですのであの鍋は雷鳥鍋かもね。

  • @takashi7931
    @takashi7931 2 дні тому +1

    ロープ無しで小槍に登ってるんですね…。

  • @fyufgqt4125tyoiu
    @fyufgqt4125tyoiu День тому +1

    テントはどんな生地なんだろう

  • @theadventuresofy5845
    @theadventuresofy5845 2 дні тому +3

    つい先日、水晶岳に登りましたが色がないとあの辺りの光景の美しさは半分も伝わらないですね。
    山によって岩の色が赤っぽかったり白っぽかったり黒っぽかったりカラフルですから。
    あと出来立てほやほやの大正池すごい

    • @みるふぃーゆ-z2p
      @みるふぃーゆ-z2p День тому +1

      今より当時の方が自然に人の手が入っていなくて、山の景色も違っていますよね

  • @nob2mt
    @nob2mt День тому

    ua-cam.com/video/e4cUryidAU4/v-deo.html の牧場は、現在の徳沢園周辺ですね。
    道中の幕営での直火には「おいおい..やりたい放題か」と、嫌悪を感じながらも、現代にも繋がれた動植物の命にも目を向けている映像は貴重ですね。なにより、圧倒的に積雪量が多い。
    100年後の未来人にも見てもらいたいアーカイブでした。

  • @時雨-u8h
    @時雨-u8h 5 годин тому

    この時代でこの装備だとしたら
    今のギアに置き換えたらとんでもなく軽くできそうやな

  • @whitetown3956
    @whitetown3956 36 хвилин тому

    何月の映像だろ?

  • @くiikoneko
    @くiikoneko День тому

    蓮華とは白馬岳のことですね
    この呼び名は越後側からの呼び名で、ウェストンはオオレンゲと表記したとのこと
    今は信州の呼び名で白馬岳シロウマダケって呼ぶ
    地元の人は信州も越後もハクバってずっと呼んでいたけれど今はハクバって呼ぶ人も少なくなったかな
    半世紀前に山を始めた家族は、この背負子スタイルだったけれどアルミの背負子やっと処分したけれど、ピッケルだけは家にある
    青木湖辺りで荷物を背負っていた人たちは歩荷さんたちでしょう
    塩の道で最後に荷物を運んでいた人たちかな
    申し訳ありません
    三俣蓮華岳のことでした🙇‍♀️

    • @みるふぃーゆ-z2p
      @みるふぃーゆ-z2p День тому +2

      位置的に三俣蓮華岳のことだと思いますよ。

    • @くiikoneko
      @くiikoneko День тому

      @@みるふぃーゆ-z2p
      蓮華喰いの岳と呼ばれたそうなのでそうですね
      明治初期は鷲羽岳だそうですね
      60年間の間に名前が変わったのですね

    • @みるふぃーゆ-z2p
      @みるふぃーゆ-z2p День тому +1

      @@くiikoneko 鷲羽岳が鷲羽山って言われるのすごいよくわかります。三俣山荘から見た鷲羽岳が高原にある数百mの山であるかのように思いました。

    • @くiikoneko
      @くiikoneko День тому

      @@みるふぃーゆ-z2p
      ごめんなさい🙇‍♀️
      三俣蓮華岳が鷲羽岳と呼ばれたので、現在の鷲羽岳は東鷲羽岳とか呼ばれていたようです
      越中の前田藩はここら辺が三国境と思っていたようです
      まあ、国境は結構変わりましたから

    • @みるふぃーゆ-z2p
      @みるふぃーゆ-z2p День тому +1

      @@くiikoneko 面白いですね!ありがとうございます😀