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ポップスではよくやってるんだろうなぁと思ってたのですが、クラシックでも切り貼りしてたことに驚きました😲録音のそういう部分があるからこそ、生の演奏の価値は一生失われないんだろうなと思いました☺️貴重なお話ありがとうございます✨
😊😊😊
教会やコンサートホールのオルガンの生演奏の音は、空気の振動が直に体に伝わってくるような迫力があって感動します。レコードやCDでは再現できない音ですが、レコードやCDは自宅で好きな時に好きな曲を手軽に聴けるという便利さがあります。生演奏も録音もそれぞれいいところがあるので、私は両方楽しみたいですね。
オルガンの振動だけは、どんなに録音が優れていても再現できない部分ですね😊
以前、ライブ録音と銘打たれたCDを買ってきて聴いたら、既に所有していたスタジオ録音の演奏に、聴衆の拍手や演奏中の「ゴホゴホ」という咳まで後から入れたという“偽ライブ録音"だったことがあります。ここまでやるかとw これぞ録音の嘘ですね。
それはひどい😂
クラッシック音楽が大好きで、最近はUA-camで毎日のように聴いています。録音と生演奏ついて、車田さんの考えを聞いて、考えさせらることが多かったです。録音が作られたものであることは知っていましたが、ここまで作り込まれたものだとは知りませんでした。録音と生演奏の聴き方というか聞く姿勢について、車田さんの深い見識に感銘しました。今後も車田さんの配信を楽しみにしております。
どうもありがとうございます😊😊
年末年始にたくさんの演奏会のチケットを取りました。このお話を聞いて、生の演奏に触れる持つ機会の大切さと、ライブで感じた自分の感情を大切に言語化してメモしてみようと思いました。ありがとうございました!
こちらこそありがとうございます😊😊
録音の嘘で自分が聞いたエピソード (真偽の程は…)1 カラヤンは迫力を出すために金管の数を増やしていた2 ストコフスキーは録音の本番を副指揮者にまかせて自分はミキシングコンソールをいじっていた、事もある・・・
🤣🤣🤣
イイ為になるお話うかがいました、89歳ですが全くの同感です。ご指摘の「なま」と「録音」の事はうすうす聞いてました。たしか「吉田秀和さん」が「ヘッドフォンの世界は第三の世界である」っておっしゃってたと思います。古くは「小林秀雄さん」もそのことで「新聞投稿に評論文」書くのに骨折られていたとかです。僕のこと言わせてもらうと、今は「現実にはない世界もなかなか」で満足してますよ。僕の音楽との接点は「ラジヲ」ですね。昭和22年頃「堀内敬三さん」のラジヲ放送解説でクラシック音楽に目覚めました、懐かしい想い出を誘って頂いて嬉しかったです。一方で、どんな芸術も「つぎはぎ」「書き直し」で出来てると思いたいです。48歳のときベルリンで「カラヤン指揮」のBPOの演奏で「ダフニススとクロウエ」をナマで聴いたことありますが、金管楽器の見事さに仰天しました。僕個人的には「50歳まで位のカラヤン」の録音が好きですね、息づいてる情緒と優美が素敵です。「フルトヴェングラー」のライブでBeethovenNo.5 Symphony第一楽章「オーボエのソロ」が間違えてるの聴いてますけど、あれはあれで「ナマの実感100%」ですよね。世界中で「エジソン以来の文明の恩恵」が永遠に地球上に残ることになりましたAlleluia ! 余談:オーディオ機器のお店で「あのねお客さん!ナマは録音出来ないんですよ、出来ても再生する機器がないです、再生するとすると直径15メートルくらいのスピーカーが要ります」ってコメント40年前くらい聞きましたアッチャ~でした。進んでる現在はどうなんでしょうか?
ありがとうございます!やっぱり今でも本物に近く録音するのは難しいですね!特に歌は録音が難しいです!
勉強になった😌。ポップスなどでは昔から、収録されたものを切って繋いで差し替える事はよく聞いていましたが、私はクラッシックではそれは無いと思い込んでいました。今まで聴いた中で、ピアノの独奏で一部だけ音質が変わるものがあって気になっていたのですが、あれはもしやそういう事かもですね。
そうかもしれないです😊😊
一番顕著なのはちょっと低次元かも知れないがAKBグループとかですね。編集を相当やっているからなんとか聴けるものになっている。それがライブだと馬脚が現れる。
フルトヴェングラーの切り貼りどころか、シュワルツコップの代役の話は初めて聞きました。いつも興味深いお話ありがとうございます。
テープの継ぎ接ぎや、お話に有ったようにフラグスタートの出せなかった高音をシュワルツコップが代役で歌っていたというのは極端ですが、オペラの録音と生の違いは、歌手の声量です。生演奏でフィッシャー=ディスカウのような歌手が出てきて歌うと、他の歌手が霞んでしまうほど声量があって表現力も抜群だったと、生を聴いた事の有る先輩が言っていました。声量の無い歌手でも、録音ならば個別に歌手の音量を調整できるので、フィッシャー=ディスカウのような存在感のある歌手と同じような音量に調節して録音出来ます。また、長大なオペラ1曲通して歌う事が出来ないスタミナの無い歌手でも、録音時に休憩を挟みながら細切れに歌えば、スタミナの点も誤魔化しがききます。良い録音作品に仕上げるという意味では悪いことではないと思います。ヴァイオリン協奏曲は実演だとヴァイオリンの音量はさほど大きくないのですが、録音だと独奏ヴァイオリンをクローズアップするようにやや大きめの音で録ってあるものも多いです。アナログ録音時代のものには特に多い。つまり、録音物と生演奏は根本的に別物です。ミスが無く何回でも繰り返し聴くに耐える編集されている録音は、ライヴに比べると感情の盛り上がりに欠けるように思います。でも、繰り返して聴ける録音物があるからこそ、あまり上演されないオペラも私のような素人が演奏に触れる事が出来ます。現代の録音はかなり優れていて、マーラーなどの大編成の曲だと生演奏で指揮者のすぐ後ろの最前列で聴いても聴き取りにくい楽器のパートが明瞭に聴き取れたりして、実演よりもオーケストラが何をやっているのかがよりわかるような録音もあります。我々クラシック・リスナーはこれらの事柄を理解した上で、どちらも楽しめば良いという事ですね。
歌手の場合だと、声量の小さい歌手程録音の恩恵を受けやすいですね。逆に声量の大きな歌手は録音するのがかなり難しいです。歌は録音と生の差が最も大きなものの一つですね。
スタジオ録音は素晴らしく、私もかなりの年数騙されてきた人間です。しかし、フルトヴェングラーやケンプなどの演奏を聴くようになりライヴはライヴ、スタジオ録音はスタジオ録音として聴き分けられるようになりました。やっぱり良いものは良いですよね。ずっと横に置いてあったカラヤンの「ニーベルングの指環」。大変すばらしいですよね。あれはスタジオ録音だからこそできる最高のワーグナーだと思います。
そこに気付いて頂けて嬉しいです!まさにおっしゃる通りスタジオ録音だからこそ達成できるものですね!やっぱり良いものはライブ、スタジオに関係なく良いです!
私は、レコードを否定はしません。ブルックナーを理解するのに、毎日聴き続け10ヶ月も掛かりました。レコードが無ければ、今もちんぷんかんぷんだったでしょうね。でも、生演奏の方が凄い。ミスなんか関係ない。最高の演奏会へ、行きたいな(*^o^*)~。。
😊😊
とても面白いおはなしでした。確かに録音すると音楽の本質からは遠ざかるのかもしれませんが、音を楽譜に残すことを編み出した西洋文明の音楽のあり方からすると、皮肉にも録音で完璧なものを作って残すことこそが究極的には理想の姿なのかもしれないと思いました。
また録音は「エンジニアの作品」という側面もあります。腕のいいエンジニアにかかれば音質もバランスもなんとでも作れてしまいます。録音がはたしてアーティストが真に望んだ姿なのか、という点も重要だと思います。
面白いです。ミスのない完璧な演奏を追いかけすぎていたかもしれません。参考になりました。
いつも楽しい動画ありがとうございます。アメリカ在住のオーボエ奏者です。先日ヴィオラ・ダ・ガンバとオーボエ・ダモーレがオブリガートを務めるバッハのカンタータを録音する機会がありました。完成品を聞いて驚いたのは、ダ・ガンバのボリュームをかなり上げ、ダモーレとソロ・ボーカルに釣り合う音量に加工してあったのです。バッハのスコア見る限りそれなりに納得の行く解釈ですが、実際演奏会でそんなバランスは絶対考えられません。やはり録音と生演奏はそれぞれ全く違った媒体であることを、しみじみと考えさせられました。
今はYou tubeやCDがあるからいくらでも音楽が聴ける。CDはともかくYou tubeは聞こえない音があり、ライブで聴いたときにこんな音があったんだと思ったことがあった。便利な時代でもやはりライブが一番いい。クライバーンはコンクールの優勝者に「今はCDでいくらでもいい演奏が聴けるようになったがクラシックはライブが醍醐味、クラシックを知らない人をコンサートホールに足を向けさせるようなピアニスト、人間になりなさい」と言ったそうな。私は見事に嵌まってコンサートホールに行くようになった。でも、時々作り込んだCDも聴きたくなる。
オペラの華やかな舞台、サロン・コンサートの優雅な雰囲気、綿密に設計されたホールでの素晴らしい響き、大聖堂で聴く典礼音楽の荘厳さ、そういう「ライブならでは」の要素は録音で再現することはできません。けれど、録音技術が無ければ、音楽がもっとずっと手の届かないところに留まってしまっていたであろうこともまた事実ですね。
おっしゃる通り録音が果たした役割は大変大きいですね😊!
私も何回か合唱曲の録音に参加したことがあります(今でもCDになって売られているものもあるようで、恥ずかしい限りです)。何回も何回も録って、いつになったら終わるんだろうという感じでした。何回録っても不満が残るので、もう一度となるんですね。録音とはどこであきらめるかの問題だと思いました。演奏会ならどんなミスがおころうが、全曲歌い終わったら終わるわけで、その方が楽だとつくづく思ったものでした。ちなみに、合唱はオケと違い、音程が甘く、途中で微妙に上がり下がりするので、良い所だけを切り貼りしてというわけにはいかないようです。
いやぁ、フラグスタートとシュワルツコフのすり替えのお話は、ある意味ショックでした。本当にスタジオ録音に支配されてはいけませんね。これからもLIVEに行きたいと、強く思いました。そろそろコロナも下火になりそうな秋、コンサートホールに足を運びたいです。どうもありがとうございました。
貴重なお話しありがとうございました❤毎回、感謝🎉感動🎉しています❤
音楽とは、終われば消えてしまうもの。あとに残るのはその音を聞いていた時の記憶と感情…。そういえば、写真や映像もそうでしたよね。その場限りのものであったからこそ、見る人は必死にそのかたちを記憶にとどめようとしてきたと思います。しかし、映像や音声が記録されたことにより、受け手は自身の記憶力を駆使しなくても楽しめるようになりました。でもやっぱりナマの人間が目の前で動いて、また触れることが出来る感動は格別です。音楽も、高いクオリティのものがいつまでも保てて、気軽に楽しめる録音盤と、その場の空気や臨場感、時には予期せぬハブラングまでが一期一会の生演奏と、どちらもそれぞれの醍醐味があるということですね。
消えてしまうからころ美しい、というのは自然界には沢山ありますね😊!
初めてお聴きしました。車田さんの人間性が感じられて素晴らしい❤
有名なオケのゴンサートに行かなくとも、中学生のコンクールですら生演奏の感動は感じられます。たとえ中学生であっても、良い演奏・合唱を聞いたときの、あの鳥肌が立つような感覚は、オーディオの試聴会で聞く一千万を超えるスピーカーでも味わったことはありません。私の知り合いのプロのピアニストやフルートの奏者は、自分の楽器は一千万超えであるにもかかわらず、10万ほどのあまり高くないステレオしか持ちません。理由を聞いたことはありませんが、たぶん必要ないのだと思います。同じプロとしての動画主さんはどうかわかりませんが、彼らは他者がどう演奏しているか確認するぐらいで、オーデイオでは「音楽」を楽しんでいないのだと思います。(まあJ-POPとかは別として(笑) そういえばBTSいいね!、って言ってましたw 来るたびにうちのステレオで聞かせろとうるさいw)しかし実際、いくら高級なシステムでもピアノの音すら正確には出せません。でもクラシック好きとしては、このご時世、オーディオで楽しむしかないんですよね~。田舎なのでもう2年近くコンサートが近くでありません。蕎麦好きがカップ麺ばかりを食べざるをえないような感じです。(いやオーディオファン(マニア?(笑)なのでオーディオの良さも十分わかってるんですけどね。)カラヤンは感動したことないですw でもLP、CDいっぱいもってますし、良さはわかります。これ、好きな人いるよなあ、という感じですね(笑) それにつけてもコンサート行きたいですねえ。長文・駄文失礼しました。蛇足 フルートの人にたまにうちで吹いてって言ってるんですが「うん」といってくれるんですが、実際には吹いてくれない(^_^;)
確かに言われてみればステレオにこだわる音楽家はそう多くはないかもしれないですね😊!
日本に生まれた場合、例えば私の好きなバッハのカンタータに関しては録音なしに考えることは出来ません。BCJが創設されて早々に定期会員になりました。そうしてようやく生の音楽に触れられるようになりました。その後ドイツに住み始め、CDやレコードを聴く時間とコンサートやモテッテを聴く時間が逆転しました。再生音楽を聴くときに一つの利点は集中できることにあります。コンサートだと、なかなかピアニッシモを楽しむことは出来ません。特に教会音楽の場合、観光シーズンだと音楽に興味のない人々が紛れ込むため、鑑賞することからはかなり離れてしまいます。教会だと子供の泣き声もしたりして、日本だと考えられない環境で聴く事になるのですが、ようやくそんな環境にも慣れました。
カラヤンはたくさん録音することによって、多くの人が音楽に親しめることを願っていたようですね。私の持っているカラヤン/ベルリンフィルの悲愴交響曲(1971)には継ぎ接ぎによって響きが途切れる箇所があります^^ヘッドホンで聴いているとはっきりわかります。
テープの頃だとそういうのが分る場合もありますね😊。デジタルだとほとんど分からなくなりました!
・20代の頃、ズビン・メータ指揮ロス・フィルのレコードを買い漁っていました。その中の一枚のレコードジャケットの解説に、こんなことが書かれていました。・「レコーディングの時、メータは、オーケストラの低音部には極力音量を抑える様に。それに反して、バイオリンをはじめとする高音部は誇張して響かせる様に指示をした。それによって、スタジオ内に響くオーケストラの音質は、低音がカットされ高音が強調された " きわめて不自然な響き " になった。ところが、録音されたものを聴くと、低音から高音まで非常にバランスの取れた自然な音質で再生されていたので驚いた」というものです。・今回の動画とは、少し違ったアプローチですが、私たちは、「録音の嘘」というトリックに引っかかっているのですね。・ところで、高校生の時、メータ指揮ロスフィルの公演が、地元(車田さんのお隣の越後の国)で行われ聴きに行きました。レコードで聴いていたのと同じ響きがして「懐かしさを覚えました」?・・・なんか変な表現!・・・エヘッ!。・「ブラームスの交響曲4番」は、予習で聴いていた廉価版レコード(ケンペ指揮ロイヤルフィル)では晩秋の趣がありましたが、メータ指揮ロスフィルの演奏は、どちらかと言うと「春一番」のような温かみさが感じられたのを今でも覚えています。プロコフィエフの「ロメオとジュリエット組曲」はその後、バラエティー番組で効果音代わりに使われてなんか変!?でも、生演奏!最高!!!
初めて知ったことばかりで勉強になりました。生演奏だとやはり演奏者との結びつきを感じます。あの演奏家のコンサートには行ったのだというふうに。歩き方や演出、聴衆の反応も含めて印象に残ります。生演奏には多少のエラーがあることもあるし、はやり多少のムラもあるのに録音では完璧なのはなぜなのか、不思議に思っていましたが理由がわかって腑に落ちました。
私の師の一人は,収録された音楽とはカタログのようなものだと言っておりました.私は,写真館で撮った家族写真のようなものだと感じます.生演奏とは全く別質の鑑賞体である,という前提の元では,録音もまた音楽ですね.
そうですね、私はライブ以外の演奏は簡単に言うと脳内変換ないしは体内変換だと割り切ってます。ライブを聞いた後でも思いかえした時点で脳内変換ですしね。ライブはうまい下手は関係なしに音の響きのシャワーを浴びに行くと思ってます。生演奏は受動的に体に浸みこみますね。
音の響きのシャワーというのは素敵な表現ですね😊😊😊
遅まきながら、こちらも大変参考になりました。自宅スタジオを運営しているので尚更、です。録音技術の発達とジャズの隆盛も見逃せないなぁ、と色々と思いました。また、某放送局で仕事している同僚の話ですが、クラシック音楽でもパンチイン・パンチアウト(テープの切り貼りなど)とクロスフェード(デジタルオーディオワークステーションで切れ目が分からないようにする方法)が当たり前のように行われています。僕も音楽大学出身(トランペット)で演奏家の端くれとして、スタジオオーナーとして、ヒオウに感慨深いものがありました。
“When you hear music, after it's over, it's gone in the air. You can never capture it again.“Eric Dolphy
last dateの最後に入っているセリフですね。あのアルバムではyou don't know what love isのフルートの演奏が一番好きですね。バスクラの演奏等は私ごときではまだまだ良さへの理解が追いつかないです。
トスカニーニ指揮のベートーヴェンの第四交響曲のレコードもっていますが、演奏中に、何かものを床に落としたような バタン という音が入っています。愛聴していたので、のちに 他の指揮者の同じ音楽を聞くとき、その個所に なると 聞こえないはずの雑音を覚悟してしまいます。 そして、入っていなくて ほっとします。
今回もためになるお話をありがとうございました。生卵と人の手が加えられたゆで卵、どちらも美味しいですが、たまには卵掛けごはんを頬張るととてもおいしいです。ゆで卵ばかりでは飽きてしまいます。
大変勉強になりました。まさに私です。クラシックに限らず、何度も何度も繰り返し愛聴したCD音源の演奏こそが私の中ではスタンダードになっていて、ライブコンサートがCD音源と比べて下手だったり音作りがショボかったりするとガッカリし、金返せーとまでは言わないけれど、ライブ中も、その帰り道も、その後日も、ずーっと不満が残ってしまうタイプです。偶然にもこの動画を視聴し、生演奏に対する考え方が変わりました。プロでもライブ本番中のミスは当たり前にあるんだなーと。そして、ライブとCD音源は全く別物の商品だという事を。私はいつの間にか、ライブにクオリティーを厳しく求めすぎる聴衆になっていたようです。ライブを聴く時の気持ちが、とても楽になりました。
「商品」と書いてしまいましたが、「音楽」と書くべきでした。読み替えていただければと思います。
演奏家が間違えるのを待ち望むかの様な聴衆やミスを許さない風潮が、グレングールドをステージから引退させたと聞きます。「聴衆のレベルが低い。彼らにはたった一度の演奏会では音楽を伝えることがができない(グールド談)」と。この動画で語られている「音楽の本質」を忘れた聴衆のために録音に専念する様になってしまったのですね。「プロでもライブはミスは当たり前」「ライブにクオリティを求めすぎてた」という言葉に少し引っかかりを覚えたので返信させていただきました。それは演奏家に対して失礼ではありませんか?もちろんプロにもミスはあります。しかし、ほとんどのプロ演奏家は「CDの完全再現」を目指してライブをしているわけではないのです(ドリームシアターというバンドは別ですが)。プロアマ問わず、演奏家が目指すのは「いいライブ(演奏会)にしたい」これに尽きると思います。だから、お客の反応を見ていつもと違うアレンジを入れてみたり、ミストーンを出してまで感情の昂りを表現しようとするのです。そんなの自己満じゃん、ちゃんと弾けよ金返せと言われればそれまでですが、CDと音が違ったのでライブが面白くなかったと嘆く方々よりかは、プロになってしまうほどの音楽好きは遥かに高次元での音楽の楽しみ方を知っているが故、なのです。偉そうなことを語ってすみません。ただもっともっと音楽を広く深く聴き続ければ、ミスやハプニングそのものが一期一会のライブの醍醐味ということを実感してくると思います。完全無欠のテクニシャンがうまく弾けなかったときに見せる、申し訳なさそうな苦笑いを見た時は会場全体がほっこりした空気になったりしますよ。
生の音楽は録音よりはるかにすばらしい。その場での音のゆらぎの深さこそ音楽の本質だと感じます。「生を再現しようとするだけ」なら、どんな録音も生の音にかなうことはないと思います。絵画だって、どんなすばらしい印刷物でも、本物とはまったく違うことに驚くことがしばしばです。ただ生でない芸術もありますね。スタジオで作り上げた新しい音楽はもとより、なんといっても「映像」ですね。そのデータ上で作り上げた創作物を、生で聞いたり見たりするのも醍醐味ですね。
やはり、録音とライブは、同じくらいの価値があると思います。 それは聴き手が、音楽のどこに視点を置いてそれを求めているかで決まってきます。 ベームのブルックナーの七番のスタジオ録音(ムジークフェラインザール)は、各種の楽器の音が細部に至るまではっきりと聴こえ、それでいてバランスよく統一された仕上がりになっています。(ドイチェグラモフォン) 一方、同じ曲のライブ録音(ザルツブルク)は、ステレオですが少し音がくすんでいて、オケとの距離が感じられます。しかし、生の臨場感は、ヒシヒシ伝わります。(Link). (ベームの演奏は気迫が勝負です。) どちらも僕の宝物です。
ブルックナーとかヴァーグナーは楽器の音色が多彩なので、スタジオ録音だと本当にその辺が良く分かりますよね😊
@@erikasono565 貴重なご意見ありがとう御座いました。 ベームは、それについて知ってか知らずか、なかなか一層の気合いを入れて振っているみたいです。(笑)
《トリスタンとイゾルデ》のフラグスタートの高音は、どうやらつぎはぎではなく、マイクの後ろにシュヴァルツコプフが控えていて、瞬間的に入れ替わって録音したようです。サム・H・白川『フルトヴェングラー 悪魔の楽匠』によります。
録音に否定的だったフルトヴェングラーが残した録音が後生の鑑賞者によって聖典のように崇められるというのが皮肉というか。フルトヴェングラー未亡人が、「夫の録音を聴いても感激しないでください。」みたいなことを言ってたのを何かの本で読んだ記憶。僕が若い頃は、著名な評論家がこぞって「ベートーヴェンはフルトヴェングラーが最高だ!」とか褒め称えるものだからそういうものなのかと思ってしまってたけど。
フルトヴェングラーは自分が聴いた録音を聴いて、自分の意図した演奏と違うので愕然としていたそうですね。なので録音を自分ではあまり聴きたがらなかったそうです(フィッシャー・ディースカウ談)。そう考えると今のフルトヴェングラー現象は興味深いですね😊😊😊
例えば、オーケストラコンサートで【微風】が吹く体験は、ステージから1・2席で体験出来る生演奏ならではの現象体験ですね。
巨匠達の録音が好きで聴いているんですが、やはりセッション録音ではなくライブ演奏の方が何倍も良いですね〜ライブ演奏は現在も非正規のものや未発売・未録音のものが多いんですが、もちろん日時によって演奏が違うので音楽をより楽しめますし、仰る通り、迫力・勢いなどが桁違いです。ですので、私も人工的に作られたセッション録音よりは、生のライブの方が好みです!(セッション録音の方が良い場合もたまにありますが……)
興味深いテーマでした。価値ある動画だと思いました。本当の音楽がライブでないと出現しないこと、即ち音楽の本質が即興であることをさらに掘り下げてほしいとも思いました。
JAZZの高名なエリック・ドルフィーも「演奏は終わったら消えゆく」と名言を遺してますね。フルトヴェングラーはライブ録音よりスタジオ録音は指揮の求心力がちょっと弱いかな。カラヤンはライブ録音もスタジオ録音もそんなに変わらないな。奏者のミスが有るか無いかの違い位かな。ライブ録音とスタジオ録音なのか、頭に入れて置いて聴けば良いかと。
おっしゃる通りだと思います!😊😊
When you hear music, after it's over, it's gone in the air, you can never capture it again. Eric Dolphy.
人間が書いて演奏する手作りの音楽に対して、今では電子的に作られ、再現される音楽というのがありますよね。コンピューターで作った音楽で、演奏(再現)するのもコンピューターです。演奏者や使用する楽器によって、解釈が違うとか、響が違うとか、そういう変異要素も全くありませんし、第一、電子的に作られた音なので、人間が楽器を持って演奏するということ自体そもそもできないものですよね。今の時代において、それはそれで需要もあるし、それなりの役割もあるのだろうと思いますが、個人的には、それはもう本来の音楽というものとは別物だと感じます。芸術として捉え、演奏者が一つ一つの音に耳を澄ませながら練習を重ね、どういう風に演奏したいか悩み、迷い、研究や試行錯誤を重ねたり、その曲に対して色んな思いを抱いたり、時とともに感じ方も演奏の仕方も変わっていったり、そういったことも全くありません。そもそも「生」というものは、消えてなくなるもの、同じ時、同じ日は一日としてないし、同じ人間も一人としていない、死んでしまったら二度と戻ってこない、再現できない、そういうものです。その繰り返しで人類が継続しているのと同じように、クラシック音楽も、消えては現れ、現れては消える、同じものは2度とない、そんな事を繰り返しているから、今の時代に引き継がれて愛されているのではないでしょうか。
僕は音楽を聞き始めた時は録音でしか聞いてきませんでした。なんせ田舎ですもの。ですから、生のオーケストラを聞けるようになっても、録音のようにきいてしまっていました。あるとき、トランペットがものの見事にひっくり返った事がありました。この時は、これは生なんだ、録音ではないのだ、とかえって感動した覚えがあります。
録音について。仮に録音という技術がなかったら忘れられていく作曲家がたくさん出てきたと思います。メンデルスゾーンがマタイ受難曲を蘇演しなくて、人類が録音というテクノロジーを発明しなかったら、今頃バッハは忘れられた作曲家のままだったかもしれないです。編集について。そもそもメディアで音楽を聞く人はリアルさを求めていなくて、最良の音質で聞き、最高の音楽体験をしたいのだと思います(たとえそれがコイルを流れた電流がコーン紙やイヤホンのパーツを振動させた結果の音であっても)。録音され編集されたコンテンツが、演奏家、技術者を含め、その制作に携わる人たちが精神を込めて作り上げるというそれ自体が最高の1つの作品になっていると思います。生の演奏で演奏家がその場で最高の演奏をする行為と何も違わないと思います。そういう意味ではおっしゃるとおり生の演奏とメディア・コンテンツになった音楽とは一緒にできないし、比較もできないと思います。ライブについて。スポーツの話になりますが、最近は試合をスタジアムなどに行って直接見るよりは、録画も含めた映像で自宅で見るほうが楽しめるという話を聞きます。スタジアムでは制約も多いし、不快なことも多く、テレビなどのほうが試合の内容をつかみやすいそうです。カメラの視点も複数ありライブでは体験できないこともできます。プロ野球ではVR映像を楽しめるサービスもやってました。音楽はスポーツほど複雑ではないので一緒にはできませんが、UA-camでクラシックの演奏動画を見ていてもプレーヤーがアップで映し出されたり、ドローンで撮ったようなオーケストラをカメラを移動させながら俯瞰するような映像がその時に鳴っている音楽とマッチしていたり。というふうにテクノロジーはどんどん視聴者やファンを増やす方向を手助けするもので、クラシック音楽はその点遅れているかなと思います。ファンが増えれば直接演奏を生で聞いてみたいと思うようになるはずで、録音と生演奏、技術と芸術は対立するものではなく相互補完するべきものだと考えています。
その曲を CDなどで聴き込んでから、ライブに行くと、その演奏会が素晴らしいものになりますね。これはどのジャンルの音楽でも同じですが。
極上のクラシック音楽を聴くかのごとく視聴させて頂きました。クラシック音楽、いや音楽を愛されてるからこそ出来るお話かと思いました。ご自身のエピソードなどは今となっては宝ですよね?お陰様で心地よい朝を楽しませて頂いてます。ありがとうございます。
興味深いお話ありがとうございました。まさに録音・編集の寵児ともいうべきカラヤンが、晩年デジタル録音が普及するにあたり、デジタル録音の技術への傾倒からか編集をできるだけ避け、リテイクもしない傾向があったそうですね。(黒田恭一氏との対談記事と井阪紘著「巨匠たちの録音現場」より)
桜を毎年日本人が楽しむのはすぐ散ってしまうからで、音楽のライブと共通するものがあるのですね。
録音したCDの音は良く撮れたアイドルの写真と思えばわかりやすいと思います。生の演奏会と録音の長所、短所は一言では方づけられないですね。私の場合はNHK、地デジとBS放送のライブを好んで聴いています。取り直しがしにくいので演奏者の技量がわかるのと演奏会場の客席より良い場所にマイクを置けるので楽器間のバランスがミキサ-などで理想に近づけられます。音質は良くないですがyoutubeでライブ演奏を選べば演奏者がミスが少ないか音程がとれているか技量は見当がつきます。演奏会ホールごとの音響の良し悪し、場所の良し悪しは経験するしかないですね。演奏者の背面の席ではホルンの音が壁からの反響音がないので最悪ですし、弦楽器の人で遮蔽される木管楽器演奏者が見えない前の席だと木管楽器の音量が小さく聴こえます。しかし生の音は座席の音響が良いところでは高価なオーディオで聴くより大太鼓が聴こえたり楽器音の情報量は多いのは確実だと思います。座席の音響が良くない所でもS席になっているのは要注意です。
その道の学校にいましたが、そもそもマルチマイク前提に問題があります。ホール全体の音を2マイクで録るようにすれば改善されると思います。自分も2マイク録音されたLPを何種か持っていますが、特にピアノをホール事2マイク録音されたLPには緊張感があります。還暦近いのでが、45年前には、カット編集を知っていました。
コメントありがとうございます😊😊😊
ポピュラー音楽ですと、マイクがドラムの中や皮の表面、ボーカルの口元、弦楽器のサウンドホール付近、電子電気楽器ですとスピーカーの付近や直接電気信号が記録されるなどかなり変質させられていると感じています。ライブ盤を選んでもマイクの設置方法はスタジオと変わらずに全て楽器に近接しています。一方でクラシックですと、コンサートホールの天井付近に一組のステレオマイクが設置される録音なので、ライブ盤を購入すれば、ポピュラー音楽ほどの録音のマジックや録音芸術に騙されないと感じています。
広いステージで演奏されるシンフォニーの各パートのタイミングが完璧に合って聞こえるなんてことはホールではあり得ないことでしょうが、録音されたものは100分の何秒というタイミングを完璧に調整して聞くことができる。やはりライブと録音は別物と言えるでしょうねえ。
ステレオ初期にモノラル再生に拘り続けたオーディオ研究家の加藤秀夫と言う人(自分でアンプもスピーカーもレコードプレーアーのアームもカートリッジも自分で手作りして、買おうとすると当時の価格で1000万とか)が「ビルギットニルソンで良いのか?キルステンフラグスタットでなければならないのか?がわかるシステムでなければならない」と言っていたそうです。声楽家の方からキルステンフラグスタットがどの様な存在なのか?どのような歌、歌声だったのか?教えていただけると嬉しいです。
この問題は、過去から今に至るまで大変な数の議論がされ、はては形而上学・哲学的な思考・思想に達するほどの(メディアと芸術、あるいは事象の認識論と云った)問題で、永遠に結論の出ない話でしょうね、 ある程度共通認識になっているのは、生の演奏と再生演奏(音楽)は別次元のものであり、そもそも優劣を論じられない、ということでしょうか。 車田さんが、カラヤンの例で述べておられる、彼は「生」の演奏では決して達成できない自らの理想とする音響(演奏・音楽)像を録音(加工)によって作り上げようとした、というご説明にすべてが端的に語られていると思います。
コメントありがとうございます😊😊!
フルヴェンは色々と残ってますね・・・・・戦時中のステレオ録音も。クラヴィコードなんかの古楽器の復活も録音があれば復活できたと思います。あとは、録音技師のセンスと技術ですね
録音技師のセンスはものすごく大事ですね!
有難うございました!改めてライブこそが、切なくも真実なる音楽の本質と思い、なるべく多くの生演奏を聴きたいと思いました。少し話は違うかも、、ですが。私は長く合唱団で楽しんできました。仲間達とコツコツ積み重ねて迎える本番は格別でした。下手でも観客は温かい拍手を下さいました。他の合唱団の演奏会で、いやにうまい!と思ったら、本番だけ音大生を雇っていたなんてこと、何度かありました。そういう合唱団の演奏会には二度と行きたくなくなってしまいます。本当の演奏がききたいです。
スタジオ録音は切り貼りされているものだと割り切っています。生の演奏会だけだと、聴きたい演奏家やオーケストラを聴くことは不可能に近いし、亡くなられた方の演奏は絶対に聴けないですからね。ライブと録音は各々、一長一短だと考えています。
完璧に近いcd音源に慣れると、ライブ演奏が上手でないように聞こえるのは感じていました。米国のシカゴ・オーケストラの演奏が好きです。好きな先生の演奏は「完璧でない君が好き」と思います。
生演奏と録音...別ジャンルのエンタメと考えれば気が楽になります。生では会場に入るところからワクワクし演奏の始まる前の緊張感から演奏中の様々な感情的反応、そして演奏が終わり他の聴衆と共に拍手する連帯感といった時間経過が全てが音楽を聴く意義です。 一方、録音は100年以上前の紙ロールの自動演奏ピアノやオルゴール、エジソンの蓄音機から始まって身近に音楽をという人々の要求は強く現在のストリームやダウンロードに至っています。特にコロナ禍の中UA-camに上げられる音楽ビデオの数と質の向上はめざましく、音楽をアップのビジュアルで楽しみ、マイクを多用し生では聴くことのできない各パートの輪郭のはっきりした音に浸ることができるようになりました。 生演奏会場では座る場所で音響的、視覚的違いがあり固定的なのとのと比べるとUA-camではスマホでイヤフォンから4K大画面に外付け音響装置といった楽しみ方に幅があるのも新しい音楽の楽しみ方です。
私もフラグスタートが歌っていると思っていましたがまさか吹き替え部分があったとは。グールドのゴールドベルク変奏曲の3日かけた録音の真実を語って音楽好きを怒らせてしまったことがあります。まるで砂糖を加えて丁度いい甘さに調整したワインを語ってワイン好きを怒らせてしまうようでした。今日も有難うございました。
ライヴとセッションでの録音は、割り切って聴いてますよ。ライヴ盤と言っても実際にそのCD聴いてみると演奏終わったあとの拍手がカットされてたりで、これ、ほんとにライヴレコーディング?って思うようなCDとか少なからずあるみたいです。同じプログラムで2回演奏だと、ライヴレコーディングとはいえ2回の演奏のいいとこ取りみたいになる可能性はあると思いますよぉ。でも、録音技術が発展したお陰でレコーディング現場においても編集とかはしやすくなったのでは?とは思うし、CDとかレコードで繰り返し聴けるのは便利だと思うよ。クラシックのCDの場合、いつ、どこで、レコーディングしたなんてことが書かれていて、それを見ると、いいとこ取りしてるんだなって想像はつきますよ。
興味深いお話でした❣️それと共にコメントのレベルの高さにも圧倒❣️です〜クラシックから離れますが、大好きなQueenの練りにねったスタジオ録音に慣れるとライヴ映像の曲が「あれれ…」っと思ったことはあります。が、だからと言って失望する訳でも無くそこには全く異なった次元で迫って来るものがあります♪まぁ、ライヴ映像も生で聴いたわけではありませんので説得力はありませんが、そこには生きたQueenが聴衆共に存在しているのです。聴衆あってこそのライヴです。録音に騙されながらもそこにも一つの真実は存在し、私達に至上の喜びを与えてくれます♪素敵な番組をいつもありがとうございます♪
音楽の本質をつくお話ですね🎵時代の移り変わりにより、あらゆらものの進歩があり、音楽の楽しみ方も様々になっていくのかと思いました。音楽のありかたを改めて考えました。有り難うございました。
即座にロシアのミリタリーバンドが演奏したバッハのパッサカリアを思い出しました^^(またこの曲で申し訳ないですが^^)……You Tube にあがってるライブ録音は正直ミスだらけです。でも熱意とか解釈などがすばらしくて感動してしまうんです。逆にリヒターのマタイ受難曲の録音などは、各セクションは華麗で重厚ですが、劇としての魂があまり感じられなかったです。それよりNOXASから出てた廉価版の方がよかった……まあ何を求めてるかによりますね。基本私は「どっちもアリ」派ですけど^^;; グールドなんて途中からライブ捨ててましたし。私はボストンにいるので時々教会にオルガン聞きに行ってたんですが、トリニティ・チャーチのオルガンて、正面左側と入り口近く(背後)に別個のパイプ群があって、臨場感はあるけどとてもじゃないけど均等に音をきくことなんでできないです^^;; まあそれもライブのよさなんでしょうけど。
会場によっては座る場所で当たりはずれはありますね😅
だから「CDを聴くのなら、演奏会の録音(ライブ)に限る」という人も居ますよね。
先代の金原亭馬生師匠やエリック・ドルフィーのことばを思い出しました。どちらも芸や音楽の一回性を重んじる人であったとおもいます。
いやあ面白いチャンネルですね❗️今全部通しで視聴しています。あと50本観ると追い付きます。恐縮ですが、再生リストの表題を整理していただけると、私の様な後追いファンは有り難いです。
kazuhisakurumada.com/youtube/youtube-index/
スタジオ(セッション)録音もライヴ録音もどちらもそれぞれの良さがありますね。特に嘘とかそういうことを考えたり想ったりしながら聴いたことはないですね。
聴く方としては、生も一つの作品、レコードも一つの作品として、楽しめれば良いかな。レコードの音造りは、肯定的にとらえているな。
UA-camでも、最近は指揮者や演奏家のレコーディング風景やリハーサル風景を観ることが出来ますね。僕は、こういった物を頭に置いて、CDやレコードを聴くようにしています。指揮者や演奏家がどれだけ苦労をして、アルバムを完成させているのかと思うと、本当に頭が下がります。
音楽は耳で聴くと同時に肌で感じるもの……会場 その日の聴衆をふくめて二度と同じ演奏はありません。会場の空気に包まれ音楽のシャワーを全身に浴びる。一期一会の出会いです。先生が仰せのように音は消えるもの。消えたあとに記憶と感動が残される。数十年を経ても消えない記憶、甦る感動は人生の宝物……それでも録音で追体験できる幸せは、聴けないものを聴ける嬉しさは言葉にならない喜びです!!シュワルツコップの美声を高音域だけ切り貼りしたって💢😓💧
全くその通りであると思います。ただ、録音による商業主義が、音楽文化をガッチリと支えていることも認識すべきと思います。音楽は、桜や言霊(ことだま)にも例えられるでしょう。刹那性があるから、人の意識の矛先が鋭くなって対象に向かっていく。だから、それから得られるものの質も高くなる。音楽CDや本がそこにあり、桜が年中咲いていたら、そうはならないでしょう.で、別な視点です。CDでは、人間の耳には意識されないとされる高周波の部分をカットしています。情報量を節約するための手段で商業的には合理的なことです。ただ、人間は意識だけで感じるものではありませんので、高周波の部分の欠落が、何らかの形で人の無意識に影響を及ぼしているのではないか、そうした意味でもライブは重要なのではないかというふうに思っています。要は、分かった上での両者ミックスが良いということだと思います。今日も、大変ありがとうございました。
3種類あるということですね。スタジオ録音、ライブ録音、ライブ演奏。私はライブ演奏が好きです。タンノイやJBLやiPod、どんないい再生機器を使ってもライブ体験の方がはるかに素敵です。
60年代の録音でカラヤン指揮ウイーンフィル・ブラームス交響曲1番をヘッドホンで聞くと、つなぎ目が聞き取れます。そんなものだと思っていました。ドヴォルジャークのチェロ協奏曲をライブを含め3種聞きましたが、意外にもロストロポーヴィチより古い演奏のフルニエが聴きやすくて自然に入ってきました。自分は大音痴ですが、好みがあるというのが面白いです。幼稚ですみません
海外のポップスの軽音楽バンドが1stアルバムの方が良いと思うことが多いのは、だいたい2ndから音がスタジオで作ったあまりにもクリアーで人工的なものになってしまうからだと思っています。カーペンターズなんかは1発撮りとかあったようですね
最近はクラシックのスタジオ録音は本当に減りました。特に国内での録音はライブがとても多くなっています。しかもワンポイントマイクに近い録り方が多くなっていますね。マルチマイクで取ると位相管理が難しく定位が不安定になったり音像の大きさが不適切になりやすいからでしょうが・・・。本当はホールに出向いて生で聞きたいのは確かです。でも生の演奏を聴きに行かなくなって随分長くなってしまいました。なぜか・・・日本独特だと思うのですがベラボー屋がいるからです。演奏の終わりの音が消えるか消えないかどうかすると残響が消えないうちにベラボーと叫ぶバカ者のことをベラボー屋と言います。当人はブラボーと叫んでいるつもりのようですがベラボーと聞こえるのでベラボー屋。一時音楽雑誌でそう呼ばれていました。演奏が終わって音が消えてしばらくの静寂・間が欲しいのに間髪入れずにベラボーとやられると感動がすっ飛んで行ってしまい興ざめです。本当い悲しいことです。ベラボー屋に嫌気がさす前にはカラヤンとベームの来日時の演奏のとんでもないオケのミス。どちらも金管でしたが目立って音を外してしまいゲゲゲ・・ベルリンフィルやウィーンフィルともあろうものがと愕然としたものです。人間のやることですから小さなミスはあっても仕方ないでしょうがあそこまで見事に外すとびっくりでした。にもかかわらず終演後にはやんやの大拍手・・何だこりゃでした。評論家と言う人たちもそのことにはまったく触れませんでした。ベームの方は録音も残っています。カラヤンの方も多分残っているはず。まあそれでもその後も生を聞きに入っていましたが何時の頃からかベラボー屋があまりにひどいのでつくづく嫌になりました。一時音楽雑誌などでベラボー屋批判が結構とりあげられていたので最近はかなりましになったようですが。人の命を預かる仕事を長年やっていると人の仕事のミスにも厳しくなってしまいます。ご容赦を。
ほんと言うとクラシックは生演奏聴きたいです。クラシックの生演奏は2〜3回しか聴いたことがないです。スタジオ録音のCDを普通は聴いてますが、それでも聴くたびに新たな発見があって自分としては飽きることがないです。
昔の作曲家が生きていた時代は、音楽は、ライブで聴くことしか出来なかったわけですよね。だから、現代人は、聴こうと思えば、いつでも聴けるわけで、これが大きな違いだと思います。つまり、録音技術というものが、音楽文化を変えてしまったともいえるのではないかと思います。
こんにちは😃。タイトルから「実際のホールではこんなに音が分離して聞こえませんよ!」と言うお話しかと思いました😅。最近は予算の関係でライブ録音が増えましたね😊。
デジタル化でライブ録音でも簡単に修正できますから。
生のコンサートを聴きに行くのも、良いことだと思います。
いやもうホント、書き写して額縁に入れて部屋に貼っておきたいようなお言葉です。あとカラヤンの指環のボックスがちょこんと座っているのがおしゃれです。笑
いいお話でした。ありがとうございました。
そこはあまり心配いらないんじゃないかな。「やっぱライブ(ライブ録音)はいい!(●´ω`●)」って感じてる人は多いと思う。
今回の御話は『セルジュ・チェリビダッケ】が何故【商業録音=レコードやCDを作る事】を拒否した理由を、端的に解説してくれました。
録音でしか聞いたことない人にとっては録音源こそが本物と感じるかもしれないですね電子音には生演奏というのはないとも言えますし
カラヤンとベルリンフィルの録音を聴いて、惚れて、同じ曲の現代の生音を聴いて生意気言って……自分のことを言われているようで本当に恥ずかしくなりました。最近は生音でプロに対してさえ、「こんなもんか…」と思うようになり、自分に嫌気が差していました。
この話が少しでもお役に立てれば良いのですが・・・
@@kazuhisakurumada まだ別物であると完全に割り切ることはできてはいませんが、今回の動画で違和感の正体を言語化できました。ありがとうございます😊
人工的に切り貼りしていることは感づいていました。それが是か非かは置いといて、演奏会によって演奏者の気合の入れ方に違いが出る事は聴衆としてはちょっと受け入れられないです。ロリンマゼールの指揮でダニエルバレンボイムの息子さんのバイオリンでメンデルスゾーンの協奏曲を聞いたのですが、私の印象は「やっつけ」でがっかりでしたが、ミュンヘンの聴衆は喜んでいましたよ。一方で、ザルツブルグで聞いたハイティンク指揮のウィーンフィルは人間技と思えないほどの演奏で度肝を抜かれました。聴衆のレベルに合わせた演奏をする・・と言うのは録音されてないからできる、ライブの悪い点だと思います。音楽の本質は即興性であるとも言えますが、現代の音楽の9割以上が録音によって流通し存在している事を考えれば、ライブが主で録音が従ということは言えず、録音は軽視できないと思います。ところで、シュワルツコップの最高音と取り換えたという話は衝撃的ですね。100年もすると各楽器の演奏者は不要になり、指揮者に当たる人が全ての楽器をコンピュータ上で自分が考えるように演奏させ、合成し、その人の完璧な理想を録音し、販売するのかもしれません。そうすればアマチュアに埋もれている才能もたくさん開花するかもしれません。どんな凄いものが現れるか、私はむしろ興味があります。
生には生の、録音には録音の良さが有ると思います。自宅で聴く場合、オーディオ機器や環境にも大分左右されると思うのですが、創り手側はどれ位を想定しているのでしょう?
改めて・・・何本かのマイクから入力された音楽が自分の部屋の中でスピーカーから出力された音楽として楽しめることに感謝してます。当然その過程では切った貼っただけではなくライブ盤であっても手は加えられている訳ですからちょっと複雑ですが割り切っています。その中でたまに足を運んでのホールでの演奏会は自分にとっては掛け替えのないものと改めて感じました。ありがとうございます。また、近く演奏会の予定があるので楽しみです(笑)
私もカラヤンはテープをジョキジョキ切って繋いでると70年代の全盛期に聞いたことあります。デジタル録音への執着、背が低かったために決して全身を映さないフレーミングとステージが焼けるほどの強力なライティングで残した映像の数々。明らかにコンサート指揮者というよりレコーディング監督でしたよね。
カラヤンは近々演奏家紹介で取り上げます!
録音って後から相当手を加えてたんですね、、、知りませんでした。私もcdでしか聞いたことなくて録音が当たり前のようになってしまってます。
僕も大学生ぐらいになるまで、まさか切り張りしているなどと想像した事もありませんでした😅
全然騙されてませんよ?(笑)録音された音楽=様々な編集やエフェクトを経て(提供する側が思う)最高の状態で届けられるものと言う認識ですからね。今ではスタジオ録音で楽器、パートごとに録って合体・・・てこともあるでしょうね(笑)数回程度ですがオーケストラの演奏会を聴きに行ったことがありますが、多少の奏者のミス(ん?今なんか鳴った?とか、あれ・・・だれか音外したやろ等々)なんかよりも、観客の咳払いやそれら”ノイズ”の方がよっぽど気になります(笑)ライブ演奏の良さは、その場の空気感(期待感、緊張感、幸福感、刹那感含む)、耳ではなく体で体感して”聴く”という没入感、と、もしかしたら一体感。これらの良さは例えライブ演奏が音源の録音であっても、余程高価なオーディオ環境であっても再現度100%は無理ですね。そりゃー最高に演奏の上手い楽団の演奏を生で、音響効果良いホールで聴くの最高なんですけど・・・予算的にも物理的にもそうそう味わえるものではないので、ファーストテイクでなくても全然OKです。(ジャンル問わず)良い音楽を提供してくれる製作者(特に現場サイド)のみなさんには感謝しかありません。(まぁ、特定ジャンルの”音圧ブースト”とか”なんちゃってハイレゾ”とか文句が無いわけではありませんが(笑))
私はクラシック音楽は大好きですがオーケストラの生演奏は聞いたことがありません、多分ずっとそうでしょう
本州に住んではいても誰も知らないような県に住んでいる身に取って、有名な演奏家の生の演奏が聴けるなんてそれこそ一生に何度ある物ではありませんその生涯において数度の生演奏に取って、演奏者がステージ内に入って来る靴音、咳音、吸っていた煙草をステージ上に投げ捨て踏み潰す音!その一つ一つに対し、我ら観衆の溜息の音、一つ一つが記憶に残ったのです、ハイゾレなんかくそっくらえです!生身の人に対するのと、写真の人に対するのと同等でしょうね。
!!!ビックリ仰天です!!!Flagstadは私のアイドル、特にFurtwanglerと入れたイゾルデは神聖不可侵。それがSchwarzkopfの部分どりだったなんて。
とは言えSP録音では盤面の替わり目で演奏を止める為、その盤面ごと録り直しが出来ました。
著名な大作曲家、カラヤン、ベルリンフィル、ドイツグラモフォンの優秀なレコーディングエンジニア達。すべてが完璧なものから生み出された音楽が2000円前後で買えて、いつでも聴くことができる。騙されていると言われても、これなら私は大歓迎ですw
最近はBoxセットだと一枚100円ぐらいで買える事もありますね😊😊😊!ありがたい!
60〜70年代には一発ドリにこだわった指揮者もいましたが、今の評価ではミスが多いということで低評価になっていましたね。演奏自体は素晴らしいと自分は感じましたけど。
ポップスではよくやってるんだろうなぁと思ってたのですが、クラシックでも切り貼りしてたことに驚きました😲
録音のそういう部分があるからこそ、生の演奏の価値は一生失われないんだろうなと思いました☺️貴重なお話ありがとうございます✨
😊😊😊
教会やコンサートホールのオルガンの生演奏の音は、空気の振動が直に体に伝わってくるような迫力があって感動します。
レコードやCDでは再現できない音ですが、レコードやCDは自宅で好きな時に好きな曲を手軽に聴けるという便利さがあります。
生演奏も録音もそれぞれいいところがあるので、私は両方楽しみたいですね。
オルガンの振動だけは、どんなに録音が優れていても再現できない部分ですね😊
以前、ライブ録音と銘打たれたCDを買ってきて聴いたら、既に所有していたスタジオ録音の演奏に、聴衆の拍手や演奏中の「ゴホゴホ」という咳まで後から入れたという“偽ライブ録音"だったことがあります。ここまでやるかとw これぞ録音の嘘ですね。
それはひどい😂
クラッシック音楽が大好きで、最近はUA-camで毎日のように聴いています。録音と生演奏ついて、車田さんの考えを聞いて、考えさせらることが多かったです。録音が作られたものであることは知っていましたが、ここまで作り込まれたものだとは知りませんでした。録音と生演奏の聴き方というか聞く姿勢について、車田さんの深い見識に感銘しました。今後も車田さんの配信を楽しみにしております。
どうもありがとうございます😊😊
年末年始にたくさんの演奏会のチケットを取りました。
このお話を聞いて、生の演奏に触れる持つ機会の大切さと、ライブで感じた自分の感情を大切に言語化してメモしてみようと思いました。
ありがとうございました!
こちらこそありがとうございます😊😊
録音の嘘で自分が聞いたエピソード (真偽の程は…)
1 カラヤンは迫力を出すために金管の数を増やしていた
2 ストコフスキーは録音の本番を副指揮者にまかせて自分はミキシングコンソールをいじっていた、事もある・・・
🤣🤣🤣
イイ為になるお話うかがいました、89歳ですが全くの同感です。ご指摘の「なま」と「録音」の事はうすうす聞いてました。たしか「吉田秀和さん」が「ヘッドフォンの世界は第三の世界である」っておっしゃってたと思います。古くは「小林秀雄さん」もそのことで「新聞投稿に評論文」書くのに骨折られていたとかです。僕のこと言わせてもらうと、今は「現実にはない世界もなかなか」で満足してますよ。僕の音楽との接点は「ラジヲ」ですね。昭和22年頃「堀内敬三さん」のラジヲ放送解説でクラシック音楽に目覚めました、懐かしい想い出を誘って頂いて嬉しかったです。一方で、どんな芸術も「つぎはぎ」「書き直し」で出来てると思いたいです。48歳のときベルリンで「カラヤン指揮」のBPOの演奏で「ダフニススとクロウエ」をナマで聴いたことありますが、金管楽器の見事さに仰天しました。僕個人的には「50歳まで位のカラヤン」の録音が好きですね、息づいてる情緒と優美が素敵です。「フルトヴェングラー」のライブでBeethovenNo.5 Symphony第一楽章「オーボエのソロ」が間違えてるの聴いてますけど、あれはあれで「ナマの実感100%」ですよね。世界中で「エジソン以来の文明の恩恵」が永遠に地球上に残ることになりましたAlleluia ! 余談:オーディオ機器のお店で「あのねお客さん!ナマは録音出来ないんですよ、出来ても再生する機器がないです、再生するとすると直径15メートルくらいのスピーカーが要ります」ってコメント40年前くらい聞きましたアッチャ~でした。進んでる現在はどうなんでしょうか?
ありがとうございます!やっぱり今でも本物に近く録音するのは難しいですね!特に歌は録音が難しいです!
勉強になった😌。
ポップスなどでは昔から、収録されたものを切って繋いで差し替える事はよく聞いていましたが、私はクラッシックではそれは無いと思い込んでいました。
今まで聴いた中で、ピアノの独奏で一部だけ音質が変わるものがあって気になっていたのですが、あれはもしやそういう事かもですね。
そうかもしれないです😊😊
一番顕著なのはちょっと低次元かも知れないがAKBグループとかですね。編集を相当やっているからなんとか聴けるものになっている。それがライブだと馬脚が現れる。
フルトヴェングラーの切り貼りどころか、シュワルツコップの代役の話は初めて聞きました。いつも興味深いお話ありがとうございます。
テープの継ぎ接ぎや、お話に有ったようにフラグスタートの出せなかった高音をシュワルツコップが代役で歌っていたというのは極端ですが、オペラの録音と生の違いは、歌手の声量です。生演奏でフィッシャー=ディスカウのような歌手が出てきて歌うと、他の歌手が霞んでしまうほど声量があって表現力も抜群だったと、生を聴いた事の有る先輩が言っていました。声量の無い歌手でも、録音ならば個別に歌手の音量を調整できるので、フィッシャー=ディスカウのような存在感のある歌手と同じような音量に調節して録音出来ます。
また、長大なオペラ1曲通して歌う事が出来ないスタミナの無い歌手でも、録音時に休憩を挟みながら細切れに歌えば、スタミナの点も誤魔化しがききます。良い録音作品に仕上げるという意味では悪いことではないと思います。
ヴァイオリン協奏曲は実演だとヴァイオリンの音量はさほど大きくないのですが、録音だと独奏ヴァイオリンをクローズアップするようにやや大きめの音で録ってあるものも多いです。アナログ録音時代のものには特に多い。つまり、録音物と生演奏は根本的に別物です。
ミスが無く何回でも繰り返し聴くに耐える編集されている録音は、ライヴに比べると感情の盛り上がりに欠けるように思います。でも、繰り返して聴ける録音物があるからこそ、あまり上演されないオペラも私のような素人が演奏に触れる事が出来ます。
現代の録音はかなり優れていて、マーラーなどの大編成の曲だと生演奏で指揮者のすぐ後ろの最前列で聴いても聴き取りにくい楽器のパートが明瞭に聴き取れたりして、実演よりもオーケストラが何をやっているのかがよりわかるような録音もあります。我々クラシック・リスナーはこれらの事柄を理解した上で、どちらも楽しめば良いという事ですね。
歌手の場合だと、声量の小さい歌手程録音の恩恵を受けやすいですね。逆に声量の大きな歌手は録音するのがかなり難しいです。歌は録音と生の差が最も大きなものの一つですね。
スタジオ録音は素晴らしく、私もかなりの年数騙されてきた人間です。しかし、フルトヴェングラーやケンプなどの演奏を聴くようになりライヴはライヴ、スタジオ録音はスタジオ録音として聴き分けられるようになりました。やっぱり良いものは良いですよね。ずっと横に置いてあったカラヤンの「ニーベルングの指環」。大変すばらしいですよね。あれはスタジオ録音だからこそできる最高のワーグナーだと思います。
そこに気付いて頂けて嬉しいです!まさにおっしゃる通りスタジオ録音だからこそ達成できるものですね!やっぱり良いものはライブ、スタジオに関係なく良いです!
私は、レコードを否定はしません。
ブルックナーを理解するのに、毎日聴き続け10ヶ月も掛かりました。
レコードが無ければ、今もちんぷんかんぷんだったでしょうね。
でも、生演奏の方が凄い。
ミスなんか関係ない。
最高の演奏会へ、行きたいな(*^o^*)~。。
😊😊
とても面白いおはなしでした。確かに録音すると音楽の本質からは遠ざかるのかもしれませんが、音を楽譜に残すことを編み出した西洋文明の音楽のあり方からすると、皮肉にも録音で完璧なものを作って残すことこそが究極的には理想の姿なのかもしれないと思いました。
😊😊😊
また録音は「エンジニアの作品」という側面もあります。
腕のいいエンジニアにかかれば音質もバランスもなんとでも作れてしまいます。録音がはたしてアーティストが真に望んだ姿なのか、という点も重要だと思います。
面白いです。ミスのない完璧な演奏を追いかけすぎていたかもしれません。参考になりました。
😊😊😊
いつも楽しい動画ありがとうございます。アメリカ在住のオーボエ奏者です。先日ヴィオラ・ダ・ガンバとオーボエ・ダモーレがオブリガートを務めるバッハのカンタータを録音する機会がありました。完成品を聞いて驚いたのは、ダ・ガンバのボリュームをかなり上げ、ダモーレとソロ・ボーカルに釣り合う音量に加工してあったのです。バッハのスコア見る限りそれなりに納得の行く解釈ですが、実際演奏会でそんなバランスは絶対考えられません。やはり録音と生演奏はそれぞれ全く違った媒体であることを、しみじみと考えさせられました。
今はYou tubeやCDがあるからいくらでも音楽が聴ける。CDはともかくYou tubeは聞こえない音があり、ライブで聴いたときにこんな音があったんだと思ったことがあった。便利な時代でもやはりライブが一番いい。クライバーンはコンクールの優勝者に「今はCDでいくらでもいい演奏が聴けるようになったがクラシックはライブが醍醐味、クラシックを知らない人をコンサートホールに足を向けさせるようなピアニスト、人間になりなさい」と言ったそうな。私は見事に嵌まってコンサートホールに行くようになった。でも、時々作り込んだCDも聴きたくなる。
😊😊😊
オペラの華やかな舞台、サロン・コンサートの優雅な雰囲気、綿密に設計されたホールでの素晴らしい響き、大聖堂で聴く典礼音楽の荘厳さ、そういう「ライブならでは」の要素は録音で再現することはできません。けれど、録音技術が無ければ、音楽がもっとずっと手の届かないところに留まってしまっていたであろうこともまた事実ですね。
おっしゃる通り録音が果たした役割は大変大きいですね😊!
私も何回か合唱曲の録音に参加したことがあります(今でもCDになって売られているものもあるようで、恥ずかしい限りです)。何回も何回も録って、いつになったら終わるんだろうという感じでした。何回録っても不満が残るので、もう一度となるんですね。録音とはどこであきらめるかの問題だと思いました。演奏会ならどんなミスがおころうが、全曲歌い終わったら終わるわけで、その方が楽だとつくづく思ったものでした。ちなみに、合唱はオケと違い、音程が甘く、途中で微妙に上がり下がりするので、良い所だけを切り貼りしてというわけにはいかないようです。
いやぁ、フラグスタートとシュワルツコフのすり替えのお話は、ある意味ショックでした。本当にスタジオ録音に支配されてはいけませんね。これからもLIVEに行きたいと、強く思いました。そろそろコロナも下火になりそうな秋、コンサートホールに足を運びたいです。どうもありがとうございました。
貴重なお話しありがとうございました❤
毎回、感謝🎉感動🎉しています❤
音楽とは、終われば消えてしまうもの。あとに残るのはその音を聞いていた時の記憶と感情…。そういえば、写真や映像もそうでしたよね。その場限りのものであったからこそ、見る人は必死にそのかたちを記憶にとどめようとしてきたと思います。しかし、映像や音声が記録されたことにより、受け手は自身の記憶力を駆使しなくても楽しめるようになりました。でもやっぱりナマの人間が目の前で動いて、また触れることが出来る感動は格別です。音楽も、高いクオリティのものがいつまでも保てて、気軽に楽しめる録音盤と、その場の空気や臨場感、時には予期せぬハブラングまでが一期一会の生演奏と、どちらもそれぞれの醍醐味があるということですね。
消えてしまうからころ美しい、というのは自然界には沢山ありますね😊!
初めてお聴きしました。
車田さんの人間性が感じられて素晴らしい❤
有名なオケのゴンサートに行かなくとも、中学生のコンクールですら生演奏の感動は感じられます。たとえ中学生であっても、良い演奏・合唱を聞いたときの、あの鳥肌が立つような感覚は、オーディオの試聴会で聞く一千万を超えるスピーカーでも味わったことはありません。
私の知り合いのプロのピアニストやフルートの奏者は、自分の楽器は一千万超えであるにもかかわらず、10万ほどのあまり高くないステレオしか持ちません。理由を聞いたことはありませんが、たぶん必要ないのだと思います。同じプロとしての動画主さんはどうかわかりませんが、彼らは他者がどう演奏しているか確認するぐらいで、オーデイオでは「音楽」を楽しんでいないのだと思います。(まあJ-POPとかは別として(笑) そういえばBTSいいね!、って言ってましたw 来るたびにうちのステレオで聞かせろとうるさいw)
しかし実際、いくら高級なシステムでもピアノの音すら正確には出せません。
でもクラシック好きとしては、このご時世、オーディオで楽しむしかないんですよね~。田舎なのでもう2年近くコンサートが近くでありません。蕎麦好きがカップ麺ばかりを食べざるをえないような感じです。(いやオーディオファン(マニア?(笑)なのでオーディオの良さも十分わかってるんですけどね。)
カラヤンは感動したことないですw でもLP、CDいっぱいもってますし、良さはわかります。これ、好きな人いるよなあ、という感じですね(笑) それにつけてもコンサート行きたいですねえ。長文・駄文失礼しました。
蛇足 フルートの人にたまにうちで吹いてって言ってるんですが「うん」といってくれるんですが、実際には吹いてくれない(^_^;)
確かに言われてみればステレオにこだわる音楽家はそう多くはないかもしれないですね😊!
日本に生まれた場合、例えば私の好きなバッハのカンタータに関しては録音なしに考えることは出来ません。BCJが創設されて早々に定期会員になりました。そうしてようやく生の音楽に触れられるようになりました。その後ドイツに住み始め、CDやレコードを聴く時間とコンサートやモテッテを聴く時間が逆転しました。
再生音楽を聴くときに一つの利点は集中できることにあります。コンサートだと、なかなかピアニッシモを楽しむことは出来ません。特に教会音楽の場合、観光シーズンだと音楽に興味のない人々が紛れ込むため、鑑賞することからはかなり離れてしまいます。教会だと子供の泣き声もしたりして、日本だと考えられない環境で聴く事になるのですが、ようやくそんな環境にも慣れました。
😊😊😊
カラヤンはたくさん録音することによって、多くの人が音楽に親しめることを願っていたようですね。私の持っているカラヤン/ベルリンフィルの悲愴交響曲(1971)には継ぎ接ぎによって響きが途切れる箇所があります^^ヘッドホンで聴いているとはっきりわかります。
テープの頃だとそういうのが分る場合もありますね😊。デジタルだとほとんど分からなくなりました!
・20代の頃、ズビン・メータ指揮ロス・フィルのレコードを買い漁っていました。その中の一枚のレコードジャケットの解説に、こんなことが書かれていました。
・「レコーディングの時、メータは、オーケストラの低音部には極力音量を抑える様に。それに反して、バイオリンをはじめとする高音部は誇張して響かせる様に指示をした。それによって、スタジオ内に響くオーケストラの音質は、低音がカットされ高音が強調された " きわめて不自然な響き " になった。ところが、録音されたものを聴くと、低音から高音まで非常にバランスの取れた自然な音質で再生されていたので驚いた」というものです。
・今回の動画とは、少し違ったアプローチですが、私たちは、「録音の嘘」というトリックに引っかかっているのですね。
・ところで、高校生の時、メータ指揮ロスフィルの公演が、地元(車田さんのお隣の越後の国)で行われ聴きに行きました。レコードで聴いていたのと同じ響きがして「懐かしさを覚えました」?・・・なんか変な表現!・・・エヘッ!。
・「ブラームスの交響曲4番」は、予習で聴いていた廉価版レコード(ケンペ指揮ロイヤルフィル)では晩秋の趣がありましたが、メータ指揮ロスフィルの演奏は、どちらかと言うと「春一番」のような温かみさが感じられたのを今でも覚えています。プロコフィエフの「ロメオとジュリエット組曲」はその後、バラエティー番組で効果音代わりに使われてなんか変!?でも、生演奏!最高!!!
初めて知ったことばかりで勉強になりました。生演奏だとやはり演奏者との結びつきを感じます。あの演奏家のコンサートには行ったのだというふうに。歩き方や演出、聴衆の反応も含めて印象に残ります。生演奏には多少のエラーがあることもあるし、はやり多少のムラもあるのに録音では完璧なのはなぜなのか、不思議に思っていましたが理由がわかって腑に落ちました。
私の師の一人は,収録された音楽とはカタログのようなものだと言っておりました.私は,写真館で撮った家族写真のようなものだと感じます.
生演奏とは全く別質の鑑賞体である,という前提の元では,録音もまた音楽ですね.
そうですね、私はライブ以外の演奏は簡単に言うと脳内変換ないしは体内変換だと割り切ってます。ライブを聞いた後でも思いかえした時点で脳内変換ですしね。ライブはうまい下手は関係なしに音の響きのシャワーを浴びに行くと思ってます。生演奏は受動的に体に浸みこみますね。
音の響きのシャワーというのは素敵な表現ですね😊😊😊
遅まきながら、こちらも大変参考になりました。自宅スタジオを運営しているので尚更、です。録音技術の発達とジャズの隆盛も見逃せないなぁ、と色々と思いました。
また、某放送局で仕事している同僚の話ですが、クラシック音楽でもパンチイン・パンチアウト(テープの切り貼りなど)とクロスフェード(デジタルオーディオワークステーションで切れ目が分からないようにする方法)が当たり前のように行われています。
僕も音楽大学出身(トランペット)で演奏家の端くれとして、スタジオオーナーとして、ヒオウに感慨深いものがありました。
“When you hear music, after it's over, it's gone in the air. You can never capture it again.“
Eric Dolphy
last dateの最後に入っているセリフですね。
あのアルバムではyou don't know what love isのフルートの演奏が一番好きですね。
バスクラの演奏等は私ごときではまだまだ良さへの理解が追いつかないです。
トスカニーニ指揮のベートーヴェンの第四交響曲のレコードもっていますが、
演奏中に、何かものを床に落とした
ような バタン という音が入っています。
愛聴していたので、
のちに 他の指揮者の同じ音楽を聞くとき、その個所に なると 聞こえないはずの
雑音を覚悟してしまいます。 そして、入っていなくて ほっとします。
今回もためになるお話をありがとうございました。生卵と人の手が加えられたゆで卵、どちらも美味しいですが、たまには卵掛けごはんを頬張るととてもおいしいです。ゆで卵ばかりでは飽きてしまいます。
大変勉強になりました。まさに私です。クラシックに限らず、何度も何度も繰り返し愛聴したCD音源の演奏こそが私の中ではスタンダードになっていて、ライブコンサートがCD音源と比べて下手だったり音作りがショボかったりするとガッカリし、金返せーとまでは言わないけれど、ライブ中も、その帰り道も、その後日も、ずーっと不満が残ってしまうタイプです。偶然にもこの動画を視聴し、生演奏に対する考え方が変わりました。プロでもライブ本番中のミスは当たり前にあるんだなーと。そして、ライブとCD音源は全く別物の商品だという事を。私はいつの間にか、ライブにクオリティーを厳しく求めすぎる聴衆になっていたようです。ライブを聴く時の気持ちが、とても楽になりました。
😊😊😊
「商品」と書いてしまいましたが、「音楽」と書くべきでした。読み替えていただければと思います。
演奏家が間違えるのを待ち望むかの様な聴衆やミスを許さない風潮が、グレングールドをステージから引退させたと聞きます。「聴衆のレベルが低い。彼らにはたった一度の演奏会では音楽を伝えることがができない(グールド談)」と。この動画で語られている「音楽の本質」を忘れた聴衆のために録音に専念する様になってしまったのですね。
「プロでもライブはミスは当たり前」「ライブにクオリティを求めすぎてた」という言葉に少し引っかかりを覚えたので返信させていただきました。
それは演奏家に対して失礼ではありませんか?
もちろんプロにもミスはあります。しかし、ほとんどのプロ演奏家は「CDの完全再現」を目指してライブをしているわけではないのです(ドリームシアターというバンドは別ですが)。
プロアマ問わず、演奏家が目指すのは「いいライブ(演奏会)にしたい」これに尽きると思います。
だから、お客の反応を見ていつもと違うアレンジを入れてみたり、ミストーンを出してまで感情の昂りを表現しようとするのです。
そんなの自己満じゃん、ちゃんと弾けよ金返せと言われればそれまでですが、CDと音が違ったのでライブが面白くなかったと嘆く方々よりかは、プロになってしまうほどの音楽好きは遥かに高次元での音楽の楽しみ方を知っているが故、なのです。
偉そうなことを語ってすみません。ただもっともっと音楽を広く深く聴き続ければ、ミスやハプニングそのものが一期一会のライブの醍醐味ということを実感してくると思います。完全無欠のテクニシャンがうまく弾けなかったときに見せる、申し訳なさそうな苦笑いを見た時は会場全体がほっこりした空気になったりしますよ。
生の音楽は録音よりはるかにすばらしい。その場での音のゆらぎの深さこそ音楽の本質だと感じます。
「生を再現しようとするだけ」なら、どんな録音も生の音にかなうことはないと思います。
絵画だって、どんなすばらしい印刷物でも、本物とはまったく違うことに驚くことがしばしばです。
ただ生でない芸術もありますね。スタジオで作り上げた新しい音楽はもとより、なんといっても「映像」ですね。
そのデータ上で作り上げた創作物を、生で聞いたり見たりするのも醍醐味ですね。
😊😊😊
やはり、録音とライブは、同じくらいの価値があると思います。 それは聴き手が、音楽のどこに視点を置いてそれを求めているかで決まってきます。 ベームのブルックナーの七番のスタジオ録音(ムジークフェラインザール)は、各種の楽器の音が細部に至るまではっきりと聴こえ、それでいてバランスよく統一された仕上がりになっています。(ドイチェグラモフォン) 一方、同じ曲のライブ録音(ザルツブルク)は、ステレオですが少し音がくすんでいて、オケとの距離が感じられます。しかし、生の臨場感は、ヒシヒシ伝わります。(Link). (ベームの演奏は気迫が勝負です。) どちらも僕の宝物です。
ブルックナーとかヴァーグナーは楽器の音色が多彩なので、スタジオ録音だと本当にその辺が良く分かりますよね😊
@@erikasono565 貴重なご意見ありがとう御座いました。 ベームは、それについて知ってか知らずか、なかなか一層の気合いを入れて振っているみたいです。(笑)
《トリスタンとイゾルデ》のフラグスタートの高音は、どうやらつぎはぎではなく、マイクの後ろにシュヴァルツコプフが控えていて、瞬間的に入れ替わって録音したようです。
サム・H・白川『フルトヴェングラー 悪魔の楽匠』によります。
録音に否定的だったフルトヴェングラーが残した録音が後生の鑑賞者によって聖典のように崇められるというのが皮肉というか。
フルトヴェングラー未亡人が、「夫の録音を聴いても感激しないでください。」みたいなことを言ってたのを何かの本で読んだ記憶。
僕が若い頃は、著名な評論家がこぞって「ベートーヴェンはフルトヴェングラーが最高だ!」とか褒め称えるものだからそういうものなのかと思ってしまってたけど。
フルトヴェングラーは自分が聴いた録音を聴いて、自分の意図した演奏と違うので愕然としていたそうですね。なので録音を自分ではあまり聴きたがらなかったそうです(フィッシャー・ディースカウ談)。そう考えると今のフルトヴェングラー現象は興味深いですね😊😊😊
例えば、オーケストラコンサートで【微風】が吹く体験は、ステージから1・2席で体験出来る生演奏ならではの現象体験ですね。
巨匠達の録音が好きで聴いているんですが、やはりセッション録音ではなくライブ演奏の方が何倍も良いですね〜ライブ演奏は現在も非正規のものや未発売・未録音のものが多いんですが、もちろん日時によって演奏が違うので音楽をより楽しめますし、仰る通り、迫力・勢いなどが桁違いです。ですので、私も人工的に作られたセッション録音よりは、生のライブの方が好みです!(セッション録音の方が良い場合もたまにありますが……)
😊😊😊
興味深いテーマでした。価値ある動画だと思いました。本当の音楽がライブでないと出現しないこと、即ち音楽の本質が即興であることをさらに掘り下げてほしいとも思いました。
JAZZの高名なエリック・ドルフィーも「演奏は終わったら消えゆく」と名言を遺してますね。
フルトヴェングラーはライブ録音よりスタジオ録音は指揮の求心力がちょっと弱いかな。カラヤンはライブ録音もスタジオ録音もそんなに変わらないな。奏者のミスが有るか無いかの違い位かな。
ライブ録音とスタジオ録音なのか、頭に入れて置いて聴けば良いかと。
おっしゃる通りだと思います!😊😊
When you hear music, after it's over, it's gone in the air, you can never capture it again. Eric Dolphy.
人間が書いて演奏する手作りの音楽に対して、今では電子的に作られ、再現される音楽というのがありますよね。コンピューターで作った音楽で、演奏(再現)するのもコンピューターです。演奏者や使用する楽器によって、解釈が違うとか、響が違うとか、そういう変異要素も全くありませんし、第一、電子的に作られた音なので、人間が楽器を持って演奏するということ自体そもそもできないものですよね。今の時代において、それはそれで需要もあるし、それなりの役割もあるのだろうと思いますが、個人的には、それはもう本来の音楽というものとは別物だと感じます。芸術として捉え、演奏者が一つ一つの音に耳を澄ませながら練習を重ね、どういう風に演奏したいか悩み、迷い、研究や試行錯誤を重ねたり、その曲に対して色んな思いを抱いたり、時とともに感じ方も演奏の仕方も変わっていったり、そういったことも全くありません。そもそも「生」というものは、消えてなくなるもの、同じ時、同じ日は一日としてないし、同じ人間も一人としていない、死んでしまったら二度と戻ってこない、再現できない、そういうものです。その繰り返しで人類が継続しているのと同じように、クラシック音楽も、消えては現れ、現れては消える、同じものは2度とない、そんな事を繰り返しているから、今の時代に引き継がれて愛されているのではないでしょうか。
😊😊😊
僕は音楽を聞き始めた時は録音でしか聞いてきませんでした。なんせ田舎ですもの。ですから、生のオーケストラを聞けるようになっても、録音のようにきいてしまっていました。あるとき、トランペットがものの見事にひっくり返った事がありました。この時は、これは生なんだ、録音ではないのだ、とかえって感動した覚えがあります。
録音について。仮に録音という技術がなかったら忘れられていく作曲家がたくさん出てきたと思います。メンデルスゾーンがマタイ受難曲を蘇演しなくて、人類が録音というテクノロジーを発明しなかったら、今頃バッハは忘れられた作曲家のままだったかもしれないです。
編集について。そもそもメディアで音楽を聞く人はリアルさを求めていなくて、最良の音質で聞き、最高の音楽体験をしたいのだと思います(たとえそれがコイルを流れた電流がコーン紙やイヤホンのパーツを振動させた結果の音であっても)。録音され編集されたコンテンツが、演奏家、技術者を含め、その制作に携わる人たちが精神を込めて作り上げるというそれ自体が最高の1つの作品になっていると思います。生の演奏で演奏家がその場で最高の演奏をする行為と何も違わないと思います。
そういう意味ではおっしゃるとおり生の演奏とメディア・コンテンツになった音楽とは一緒にできないし、比較もできないと思います。
ライブについて。スポーツの話になりますが、最近は試合をスタジアムなどに行って直接見るよりは、録画も含めた映像で自宅で見るほうが楽しめるという話を聞きます。スタジアムでは制約も多いし、不快なことも多く、テレビなどのほうが試合の内容をつかみやすいそうです。カメラの視点も複数ありライブでは体験できないこともできます。プロ野球ではVR映像を楽しめるサービスもやってました。
音楽はスポーツほど複雑ではないので一緒にはできませんが、UA-camでクラシックの演奏動画を見ていてもプレーヤーがアップで映し出されたり、ドローンで撮ったようなオーケストラをカメラを移動させながら俯瞰するような映像がその時に鳴っている音楽とマッチしていたり。
というふうにテクノロジーはどんどん視聴者やファンを増やす方向を手助けするもので、クラシック音楽はその点遅れているかなと思います。ファンが増えれば直接演奏を生で聞いてみたいと思うようになるはずで、録音と生演奏、技術と芸術は対立するものではなく相互補完するべきものだと考えています。
その曲を CDなどで聴き込んでから、ライブに行くと、その演奏会が素晴らしいものになりますね。これはどのジャンルの音楽でも同じですが。
😊😊
極上のクラシック音楽を聴くかのごとく視聴させて頂きました。
クラシック音楽、いや音楽を愛されてるからこそ出来るお話かと思いました。
ご自身のエピソードなどは今となっては宝ですよね?
お陰様で心地よい朝を楽しませて頂いてます。
ありがとうございます。
こちらこそありがとうございます😊😊
興味深いお話ありがとうございました。
まさに録音・編集の寵児ともいうべきカラヤンが、晩年デジタル録音が普及するにあたり、
デジタル録音の技術への傾倒からか編集をできるだけ避け、リテイクもしない傾向があったそうですね。
(黒田恭一氏との対談記事と井阪紘著「巨匠たちの録音現場」より)
桜を毎年日本人が楽しむのはすぐ散ってしまうからで、音楽のライブと共通するものがあるのですね。
😊😊😊
録音したCDの音は良く撮れたアイドルの写真と思えばわかりやすいと思います。生の演奏会と録音の長所、短所は一言では方づけられないですね。私の場合はNHK、地デジとBS放送のライブを好んで聴いています。取り直しがしにくいので演奏者の技量がわかるのと演奏会場の客席より良い場所にマイクを置けるので楽器間のバランスがミキサ-などで理想に近づけられます。音質は良くないですがyoutubeでライブ演奏を選べば演奏者がミスが少ないか音程がとれているか技量は見当がつきます。演奏会ホールごとの音響の良し悪し、場所の良し悪しは経験するしかないですね。演奏者の背面の席ではホルンの音が壁からの反響音がないので最悪ですし、弦楽器の人で遮蔽される木管楽器演奏者が見えない前の席だと木管楽器の音量が小さく聴こえます。しかし生の音は座席の音響が良いところでは高価なオーディオで聴くより大太鼓が聴こえたり楽器音の情報量は多いのは確実だと思います。座席の音響が良くない所でもS席になっているのは要注意です。
その道の学校にいましたが、そもそもマルチマイク前提に問題があります。
ホール全体の音を2マイクで録るようにすれば改善されると思います。
自分も2マイク録音されたLPを何種か持っていますが、特にピアノをホール事2マイク録音されたLPには緊張感があります。
還暦近いのでが、45年前には、カット編集を知っていました。
コメントありがとうございます😊😊😊
ポピュラー音楽ですと、マイクがドラムの中や皮の表面、ボーカルの口元、弦楽器のサウンドホール付近、電子電気楽器ですとスピーカーの付近や直接電気信号が記録されるなどかなり変質させられていると感じています。ライブ盤を選んでもマイクの設置方法はスタジオと変わらずに全て楽器に近接しています。
一方でクラシックですと、コンサートホールの天井付近に一組のステレオマイクが設置される録音なので、ライブ盤を購入すれば、ポピュラー音楽ほどの録音のマジックや録音芸術に騙されないと感じています。
😊😊😊
広いステージで演奏されるシンフォニーの各パートのタイミングが完璧に合って聞こえるなんてことはホールではあり得ないことでしょうが、録音されたものは100分の何秒というタイミングを完璧に調整して聞くことができる。やはりライブと録音は別物と言えるでしょうねえ。
😊😊😊
ステレオ初期にモノラル再生に拘り続けたオーディオ研究家の加藤秀夫と言う人(自分でアンプもスピーカーもレコードプレーアーのアームもカートリッジも自分で手作りして、買おうとすると当時の価格で1000万とか)が「ビルギットニルソンで良いのか?キルステンフラグスタットでなければならないのか?がわかるシステムでなければならない」と言っていたそうです。声楽家の方からキルステンフラグスタットがどの様な存在なのか?どのような歌、歌声だったのか?教えていただけると嬉しいです。
この問題は、過去から今に至るまで大変な数の議論がされ、はては形而上学・哲学的な思考・思想に達するほどの(メディアと芸術、あるいは事象の認識論と云った)問題で、永遠に結論の出ない話でしょうね、 ある程度共通認識になっているのは、生の演奏と再生演奏(音楽)は別次元のものであり、そもそも優劣を論じられない、ということでしょうか。 車田さんが、カラヤンの例で述べておられる、彼は「生」の演奏では決して達成できない自らの理想とする音響(演奏・音楽)像を録音(加工)によって作り上げようとした、というご説明にすべてが端的に語られていると思います。
コメントありがとうございます😊😊!
フルヴェンは色々と残ってますね・・・・・戦時中のステレオ録音も。クラヴィコードなんかの古楽器の復活も録音があれば復活できたと思います。あとは、録音技師のセンスと技術ですね
録音技師のセンスはものすごく大事ですね!
有難うございました!
改めてライブこそが、切なくも真実なる音楽の本質と思い、なるべく多くの生演奏を聴きたいと思いました。
少し話は違うかも、、ですが。
私は長く合唱団で楽しんできました。
仲間達とコツコツ積み重ねて迎える本番は格別でした。下手でも観客は温かい拍手を下さいました。
他の合唱団の演奏会で、いやにうまい!と思ったら、本番だけ音大生を雇っていたなんてこと、何度かありました。そういう合唱団の演奏会には二度と行きたくなくなってしまいます。
本当の演奏がききたいです。
スタジオ録音は切り貼りされているものだと割り切っています。
生の演奏会だけだと、聴きたい演奏家やオーケストラを聴くことは不可能に近いし、亡くなられた方の演奏は絶対に聴けないですからね。
ライブと録音は各々、一長一短だと考えています。
😊😊😊
完璧に近いcd音源に慣れると、ライブ演奏が上手でないように聞こえるのは感じていました。
米国のシカゴ・オーケストラの演奏が好きです。好きな先生の演奏は「完璧でない君が好き」と思います。
😊😊😊
生演奏と録音...別ジャンルのエンタメと考えれば気が楽になります。生では会場に入るところからワクワクし演奏の始まる前の緊張感から演奏中の様々な
感情的反応、そして演奏が終わり他の聴衆と共に拍手する連帯感といった時間経過が全てが音楽を聴く意義です。 一方、録音は100年以上前の紙ロールの
自動演奏ピアノやオルゴール、エジソンの蓄音機から始まって身近に音楽をという人々の要求は強く現在のストリームやダウンロードに至っています。特に
コロナ禍の中UA-camに上げられる音楽ビデオの数と質の向上はめざましく、音楽をアップのビジュアルで楽しみ、マイクを多用し生では聴くことのできない
各パートの輪郭のはっきりした音に浸ることができるようになりました。 生演奏会場では座る場所で音響的、視覚的違いがあり固定的なのとのと比べると
UA-camではスマホでイヤフォンから4K大画面に外付け音響装置といった楽しみ方に幅があるのも新しい音楽の楽しみ方です。
😊😊😊
私もフラグスタートが歌っていると思っていましたがまさか吹き替え部分があったとは。グールドのゴールドベルク変奏曲の3日かけた録音の真実を語って音楽好きを怒らせてしまったことがあります。まるで砂糖を加えて丁度いい甘さに調整したワインを語ってワイン好きを怒らせてしまうようでした。今日も有難うございました。
ライヴとセッションでの録音は、割り切って聴いてますよ。ライヴ盤と言っても実際にそのCD聴いてみると演奏終わったあとの拍手がカットされてたりで、これ、ほんとにライヴレコーディング?って思うようなCDとか少なからずあるみたいです。同じプログラムで2回演奏だと、ライヴレコーディングとはいえ2回の演奏のいいとこ取りみたいになる可能性はあると思いますよぉ。でも、録音技術が発展したお陰でレコーディング現場においても編集とかはしやすくなったのでは?とは思うし、CDとかレコードで繰り返し聴けるのは便利だと思うよ。クラシックのCDの場合、いつ、どこで、レコーディングしたなんてことが書かれていて、それを見ると、いいとこ取りしてるんだなって想像はつきますよ。
😊😊😊
興味深いお話でした❣️
それと共にコメントのレベルの高さにも圧倒❣️です〜
クラシックから離れますが、大好きなQueenの練りにねったスタジオ録音に慣れるとライヴ映像の曲が「あれれ…」っと思ったことはあります。が、だからと言って失望する訳でも無くそこには全く異なった次元で迫って来るものがあります♪
まぁ、ライヴ映像も生で聴いたわけではありませんので説得力はありませんが、そこには生きたQueenが聴衆共に存在しているのです。
聴衆あってこそのライヴです。
録音に騙されながらもそこにも一つの真実は存在し、私達に至上の喜びを与えてくれます♪
素敵な番組をいつもありがとうございます♪
こちらこそありがとうございます😊😊
音楽の本質をつくお話ですね🎵時代の移り変わりにより、あらゆらものの進歩があり、音楽の楽しみ方も様々になっていくのかと思いました。音楽のありかたを改めて考えました。有り難うございました。
こちらこそありがとうございます😊😊
即座にロシアのミリタリーバンドが演奏したバッハのパッサカリアを思い出しました^^(またこの曲で申し訳ないですが^^)
……You Tube にあがってるライブ録音は正直ミスだらけです。でも熱意とか解釈などがすばらしくて感動してしまうんです。
逆にリヒターのマタイ受難曲の録音などは、各セクションは華麗で重厚ですが、劇としての魂があまり感じられなかったです。それよりNOXASから出てた廉価版の方がよかった……まあ何を求めてるかによりますね。
基本私は「どっちもアリ」派ですけど^^;; グールドなんて途中からライブ捨ててましたし。
私はボストンにいるので時々教会にオルガン聞きに行ってたんですが、トリニティ・チャーチのオルガンて、正面左側と入り口近く(背後)に別個のパイプ群があって、臨場感はあるけどとてもじゃないけど均等に音をきくことなんでできないです^^;; まあそれもライブのよさなんでしょうけど。
会場によっては座る場所で当たりはずれはありますね😅
だから「CDを聴くのなら、演奏会の録音(ライブ)に限る」という人も居ますよね。
😊😊
先代の金原亭馬生師匠やエリック・ドルフィーのことばを思い出しました。どちらも芸や音楽の一回性を重んじる人であったとおもいます。
😊😊
いやあ面白いチャンネルですね❗️
今全部通しで視聴しています。
あと50本観ると追い付きます。
恐縮ですが、再生リストの表題を整理していただけると、私の様な後追いファンは有り難いです。
kazuhisakurumada.com/youtube/youtube-index/
スタジオ(セッション)録音もライヴ録音もどちらもそれぞれの良さがありますね。
特に嘘とかそういうことを
考えたり想ったりしながら聴いたことはないですね。
聴く方としては、生も一つの作品、レコードも一つの作品として、楽しめれば良いかな。
レコードの音造りは、肯定的にとらえているな。
😊😊😊
UA-camでも、最近は指揮者や演奏家のレコーディング風景やリハーサル風景を観ることが出来ますね。
僕は、こういった物を頭に置いて、CDやレコードを聴くようにしています。指揮者や演奏家が
どれだけ苦労をして、アルバムを完成させているのかと思うと、本当に頭が下がります。
😊😊😊
音楽は耳で聴くと同時に肌で感じるもの……会場 その日の聴衆をふくめて二度と同じ演奏はありません。会場の空気に包まれ音楽のシャワーを全身に浴びる。一期一会の出会いです。
先生が仰せのように音は消えるもの。消えたあとに記憶と感動が残される。
数十年を経ても消えない記憶、甦る感動は人生の宝物……
それでも録音で追体験できる幸せは、聴けないものを聴ける嬉しさは言葉にならない喜びです!!
シュワルツコップの美声を高音域だけ切り貼りしたって💢😓💧
全くその通りであると思います。ただ、録音による商業主義が、音楽文化をガッチリと支えていることも認識すべきと思います。音楽は、桜や言霊(ことだま)にも例えられるでしょう。刹那性があるから、人の意識の矛先が鋭くなって対象に向かっていく。だから、それから得られるものの質も高くなる。音楽CDや本がそこにあり、桜が年中咲いていたら、そうはならないでしょう.で、別な視点です。CDでは、人間の耳には意識されないとされる高周波の部分をカットしています。情報量を節約するための手段で商業的には合理的なことです。ただ、人間は意識だけで感じるものではありませんので、高周波の部分の欠落が、何らかの形で人の無意識に影響を及ぼしているのではないか、そうした意味でもライブは重要なのではないかというふうに思っています。要は、分かった上での両者ミックスが良いということだと思います。今日も、大変ありがとうございました。
😊😊😊
3種類あるということですね。
スタジオ録音、ライブ録音、ライブ演奏。
私はライブ演奏が好きです。タンノイやJBLやiPod、どんないい再生機器を使ってもライブ体験の方がはるかに素敵です。
60年代の録音でカラヤン指揮ウイーンフィル・ブラームス交響曲1番をヘッドホンで聞くと、つなぎ目が聞き取れます。
そんなものだと思っていました。
ドヴォルジャークのチェロ協奏曲をライブを含め3種聞きましたが、意外にもロストロポーヴィチより古い演奏のフルニエが聴きやすくて自然に入ってきました。
自分は大音痴ですが、好みがあるというのが面白いです。
幼稚ですみません
海外のポップスの軽音楽バンドが1stアルバムの方が良いと思うことが多いのは、
だいたい2ndから音がスタジオで作ったあまりにもクリアーで人工的なものになってしまうからだと思っています。
カーペンターズなんかは1発撮りとかあったようですね
最近はクラシックのスタジオ録音は本当に減りました。特に国内での録音はライブがとても多くなっています。しかもワンポイントマイクに近い録り方が多くなっていますね。マルチマイクで取ると位相管理が難しく定位が不安定になったり音像の大きさが不適切になりやすいからでしょうが・・・。本当はホールに出向いて生で聞きたいのは確かです。でも生の演奏を聴きに行かなくなって随分長くなってしまいました。なぜか・・・日本独特だと思うのですがベラボー屋がいるからです。演奏の終わりの音が消えるか消えないかどうかすると残響が消えないうちにベラボーと叫ぶバカ者のことをベラボー屋と言います。当人はブラボーと叫んでいるつもりのようですがベラボーと聞こえるのでベラボー屋。一時音楽雑誌でそう呼ばれていました。演奏が終わって音が消えてしばらくの静寂・間が欲しいのに間髪入れずにベラボーとやられると感動がすっ飛んで行ってしまい興ざめです。本当い悲しいことです。ベラボー屋に嫌気がさす前にはカラヤンとベームの来日時の演奏のとんでもないオケのミス。どちらも金管でしたが目立って音を外してしまいゲゲゲ・・ベルリンフィルやウィーンフィルともあろうものがと愕然としたものです。人間のやることですから小さなミスはあっても仕方ないでしょうがあそこまで見事に外すとびっくりでした。にもかかわらず終演後にはやんやの大拍手・・何だこりゃでした。評論家と言う人たちもそのことにはまったく触れませんでした。ベームの方は録音も残っています。カラヤンの方も多分残っているはず。まあそれでもその後も生を聞きに入っていましたが何時の頃からかベラボー屋があまりにひどいのでつくづく嫌になりました。一時音楽雑誌などでベラボー屋批判が結構とりあげられていたので最近はかなりましになったようですが。
人の命を預かる仕事を長年やっていると人の仕事のミスにも厳しくなってしまいます。ご容赦を。
ほんと言うとクラシックは生演奏聴きたいです。クラシックの生演奏は2〜3回しか聴いたことがないです。スタジオ録音のCDを普通は聴いてますが、それでも聴くたびに新たな発見があって自分としては飽きることがないです。
昔の作曲家が生きていた時代は、音楽は、ライブで聴くことしか出来なかったわけですよね。だから、現代人は、聴こうと思えば、いつでも聴けるわけで、これが大きな違いだと思います。つまり、録音技術というものが、音楽文化を変えてしまったともいえるのではないかと思います。
こんにちは😃。
タイトルから「実際のホールではこんなに音が分離して聞こえませんよ!」と言うお話しかと思いました😅。
最近は予算の関係でライブ録音が増えましたね😊。
😊😊😊
デジタル化でライブ録音でも簡単に修正できますから。
生のコンサートを聴きに行くのも、良いことだと思います。
いやもうホント、書き写して額縁に入れて部屋に貼っておきたいようなお言葉です。
あとカラヤンの指環のボックスがちょこんと座っているのがおしゃれです。笑
😊😊😊
いいお話でした。ありがとうございました。
こちらこそありがとうございます😊😊
そこはあまり心配いらないんじゃないかな。
「やっぱライブ(ライブ録音)はいい!(●´ω`●)」
って感じてる人は多いと思う。
今回の御話は『セルジュ・チェリビダッケ】が何故【商業録音=レコードやCDを作る事
】を拒否した理由を、端的に解説してくれました。
録音でしか聞いたことない人にとっては録音源こそが本物と感じるかもしれないですね
電子音には生演奏というのはないとも言えますし
😊😊😊
カラヤンとベルリンフィルの録音を聴いて、惚れて、同じ曲の現代の生音を聴いて生意気言って……
自分のことを言われているようで本当に恥ずかしくなりました。
最近は生音でプロに対してさえ、「こんなもんか…」と思うようになり、自分に嫌気が差していました。
この話が少しでもお役に立てれば良いのですが・・・
@@kazuhisakurumada
まだ別物であると完全に割り切ることはできてはいませんが、今回の動画で違和感の正体を言語化できました。
ありがとうございます😊
😊😊😊
人工的に切り貼りしていることは感づいていました。それが是か非かは置いといて、演奏会によって演奏者の気合の入れ方に違いが出る事は聴衆としてはちょっと受け入れられないです。
ロリンマゼールの指揮でダニエルバレンボイムの息子さんのバイオリンでメンデルスゾーンの協奏曲を聞いたのですが、私の印象は「やっつけ」でがっかりでしたが、ミュンヘンの聴衆は喜んでいましたよ。一方で、ザルツブルグで聞いたハイティンク指揮のウィーンフィルは人間技と思えないほどの演奏で度肝を抜かれました。聴衆のレベルに合わせた演奏をする・・と言うのは録音されてないからできる、ライブの悪い点だと思います。音楽の本質は即興性であるとも言えますが、現代の音楽の9割以上が録音によって流通し存在している事を考えれば、ライブが主で録音が従ということは言えず、録音は軽視できないと思います。
ところで、シュワルツコップの最高音と取り換えたという話は衝撃的ですね。100年もすると各楽器の演奏者は不要になり、指揮者に当たる人が全ての楽器をコンピュータ上で自分が考えるように演奏させ、合成し、その人の完璧な理想を録音し、販売するのかもしれません。そうすればアマチュアに埋もれている才能もたくさん開花するかもしれません。どんな凄いものが現れるか、私はむしろ興味があります。
生には生の、録音には録音の良さが有ると思います。自宅で聴く場合、
オーディオ機器や環境にも大分左右されると思うのですが、創り手側
はどれ位を想定しているのでしょう?
改めて・・・何本かのマイクから入力された音楽が自分の部屋の中でスピーカーから出力された音楽として楽しめることに感謝してます。
当然その過程では切った貼っただけではなくライブ盤であっても手は加えられている訳ですからちょっと複雑ですが割り切っています。
その中でたまに足を運んでのホールでの演奏会は自分にとっては掛け替えのないものと改めて感じました。ありがとうございます。
また、近く演奏会の予定があるので楽しみです(笑)
私もカラヤンはテープをジョキジョキ切って繋いでると70年代の全盛期に聞いたことあります。
デジタル録音への執着、背が低かったために決して全身を映さないフレーミングとステージが焼けるほどの強力なライティングで残した映像の数々。明らかにコンサート指揮者というよりレコーディング監督でしたよね。
カラヤンは近々演奏家紹介で取り上げます!
録音って後から相当手を加えてたんですね、、、知りませんでした。私もcdでしか聞いたことなくて録音が当たり前のようになってしまってます。
僕も大学生ぐらいになるまで、まさか切り張りしているなどと想像した事もありませんでした😅
全然騙されてませんよ?(笑)
録音された音楽=様々な編集やエフェクトを経て(提供する側が思う)最高の状態で届けられるもの
と言う認識ですからね。
今ではスタジオ録音で楽器、パートごとに録って合体・・・てこともあるでしょうね(笑)
数回程度ですがオーケストラの演奏会を聴きに行ったことがありますが、多少の奏者のミス(ん?今なんか鳴った?とか、あれ・・・だれか音外したやろ等々)なんかよりも、観客の咳払いやそれら”ノイズ”の方がよっぽど気になります(笑)
ライブ演奏の良さは、その場の空気感(期待感、緊張感、幸福感、刹那感含む)、耳ではなく体で体感して”聴く”という没入感、と、もしかしたら一体感。これらの良さは例えライブ演奏が音源の録音であっても、余程高価なオーディオ環境であっても再現度100%は無理ですね。
そりゃー最高に演奏の上手い楽団の演奏を生で、音響効果良いホールで聴くの最高なんですけど・・・予算的にも物理的にもそうそう味わえるものではないので、ファーストテイクでなくても全然OKです。
(ジャンル問わず)良い音楽を提供してくれる製作者(特に現場サイド)のみなさんには感謝しかありません。
(まぁ、特定ジャンルの”音圧ブースト”とか”なんちゃってハイレゾ”とか文句が無いわけではありませんが(笑))
私はクラシック音楽は大好きですがオーケストラの生演奏は聞いたことがありません、多分ずっとそうでしょう
本州に住んではいても誰も知らないような県に住んでいる身に取って、有名な演奏家の生の演奏が聴けるなんてそれこそ一生に何度ある物ではありません
その生涯において数度の生演奏に取って、演奏者がステージ内に入って来る靴音、
咳音、吸っていた煙草をステージ上に投げ捨て踏み潰す音!
その一つ一つに対し、我ら観衆の溜息の音、一つ一つが記憶に残ったのです、
ハイゾレなんかくそっくらえです!
生身の人に対するのと、写真の人に対するのと同等でしょうね。
😊😊😊
!!!ビックリ仰天です!!!Flagstadは私のアイドル、特にFurtwanglerと入れたイゾルデは神聖不可侵。それがSchwarzkopfの部分どりだったなんて。
とは言えSP録音では盤面の替わり目で演奏を止める為、その盤面ごと録り直しが出来ました。
著名な大作曲家、カラヤン、ベルリンフィル、ドイツグラモフォンの優秀なレコーディングエンジニア達。
すべてが完璧なものから生み出された音楽が2000円前後で買えて、いつでも聴くことができる。騙されていると言われても、これなら私は大歓迎ですw
最近はBoxセットだと一枚100円ぐらいで買える事もありますね😊😊😊!ありがたい!
60〜70年代には一発ドリにこだわった指揮者もいましたが、今の評価ではミスが多いということで低評価になっていましたね。演奏自体は素晴らしいと自分は感じましたけど。