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私も「いいね」を100回!押したいです。若いころTVで「こうもり」を見て「なんと軽薄な・・・」としか思いませんでしたが、熟年になってウィーンで年末過ごすようになって初めてこのオペレッタの楽しさといかにウィーンの人々に愛されている作品かがわかりました。他国の文化に触れることは本当に車田さんのおしゃるようにワクワクしますネ。
今回もいいね100回押したい内容でした。。。日本の中だけの独特な音楽感についてと、昔の人の方が本場の文化を貪欲に求めていたという点について、以前ジャズミュージシャンの方が似たようなことを言っていたのが興味深かったです。
車田さん、素晴らしい。今回の説話には完全なる賛同と共感を禁じえません。そして、貴方の感受性豊かな清らかな良心を感じ、心から敬意を表します。
中国、韓国の演奏家に日本が抜かされているお話、現地の人々も自国の文化を忘れつつあるお話、ハッとさせられました。競争はしなくていいですが、私も芸術に対してただひたすら深い理解は目指したいです。
私は、音楽は全く素人ですが、楽しく視聴しています。classicって高尚なイメージでしたが、としごろの若い娘がいるかも?でテンション上がった、とか、菩提寺の下でイチャイチャ、とかこんな庶民的感覚な音楽とは知らず、ビックリ。クラッシック音楽って、人情味あふれる音楽なんですね🎵
ドイツに住んでいますが、お話しされることに共感するばかりでした。冬の旅を聴きながら菩提樹の始めについて夫と話をした事がありました。菩提樹と噴水(井戸?)は故郷を思い出させると彼は言っていました。まさに言葉の向こうにあるものの深さを実感した時でした。私はピーターピアーズとブリテンの録音がとても好きで、冬の旅はよくこの録音を聴きます。先日ウィーンのシューベルトの家を訪れた時、このcdが狭い受付にて売られていて、とても嬉しかったです。
文化を背景にした音楽のあり方、とても素晴らしい動画でした。演奏家だけでなく、聴衆にもこの文化的理解が必要なんだろうと、思いました。本場でもうしなわれつつある文化理解。なかなか難しくだからこそ、ロマンを感じます。
動画の時間ずっと、「なるほどー、わかるー、なるほどー、わかるー」の連続でした。私が日本人の演奏を聴くときに感じる、あのもやもやはそういうことだったのかーと思いました。うまいけど、なんか心に届いてこないんだよなあって思ってました。壁の向こうに行きながらも日本人らしさを残している日本人演奏家に、早く出会いたいです。本当にためになるお話ありがとうございました。😀
「車田さん」こんにちは!久々に「タイトル」の素晴らしさに惹かれて先生のお話拝聴致しました。「美しき水車小屋の娘」「菩提樹」のお話が素敵でした。添付のお写真がなんとも素敵。就中「日本の文化に当てはめてしまった日本人の西洋音楽の演奏!」についての件が心に響きました。「洋の東西の違い」と言われる「壁」についても先生のお話は素晴らしいです。僕もある韓国人の演奏がとても好きなんですよ。今の日本にはないかもって思いました。個人個人の「このみ」もあるかもなので個人的な言及は遠慮させて頂いて、むつかしいむつかしいテーマであっても「車田さん」の言葉じりの中に「夢と希望に満ちた今後もある」の静かな信頼に充ちた含みに感動しました(90歳)
大学の英語の授業で先生からイギリス人の夕食はとても簡素でビスケットと紅茶で済ましてしまうこともあり、夜中にお腹が空いてしまいますよと言われました。南アフリカに駐在していた時にイギリス人にこの話をしたら「あなたは一体、何十年前の話をしているのですか?」と言われました。失われた文化なのですね。一方で、ヨーロッパで失われた文化を南アフリカで見つけることもありました。
オーストラリアでも、大学は今やインド人・中国人しかいません。また、家電も、中国・韓国製ばかりです。失われた30年の間に、日本のプレゼンスは大きく後退しました。それでも、日本人に対して好印象を持っているオーストラリア人は多いです。車田さんのおっしゃる日本人の良さがもっともっと伝わると良いと思います!いつも、良いお話、ありがとうございます!
文化のお話は、本当に学びの必要性を感じました。素敵な声でよどみなくわかりやすいお話をありがとうございます。
先生のお話は分かりやすく面白く、本質をついていて、思わく敬礼してしまいます。私は電子工学専攻の技術者で、専攻が音響工学で音楽との接点でした。何十年も外国人技師や学会を通して思う事はクラシック音楽に限っては歴史、宗教、言語、特にラテン語と欧米各言語の関係、筋肉構造、等のデータからどうも白人系が有利と思わざるを得ません。
今回のお話は、大変興味深く視聴いたしました。「目に見えない文化の壁」。これを超えられるかどうかが、本物の感動を与えられるかどうかの分岐点になるんですね。これは音楽だけのことではないと思いました。自分の理解できる範囲で、自分に都合良く解釈して、それでよしとするのみならず、その自己流を理解できない人を排斥することさえあるような…。一流を目指す方には、やはり「求道心」って大事ですね。
オペラをやる時にその舞台となっている文化的背景を知らないとこっけいになると言うことを知っています。私が合唱団として出演したドン・ジョバンニの最初の立ち稽古の時、ドンジョバンニが現れて農民が貴族に挨拶する場面で他の合唱団員はお辞儀をしてしまって演出からすぐに止められたことがあった。お辞儀はないだろうと思った。また、拍手も日本式でやっていた。地方のオペラ上演だと、地元の合唱団が動員されるということがあり、このような事が起きる。オペラでは特に文化と時代背景が重要であることは明らかです。ただ、日本の歌を覚えたから聴いてくれと友人に言われて聴いてみたところ、ちょっとそこのところが違う、というようなことがあった。日本の文化を知らず、楽譜通りに歌った結果だった。ただ、ちょっと違うと感じるがどう違うのか説明できなかった。このような事がお互いに起きているということを思い出しました。
文化を知らないと世界に通用しないのは、日本人に限らず全ての演奏家に当てはまるものですね。また、文化だけに限らず、歴史、風土、原風景、受けている教育の質、・・・・・。ちなみに、分野は違いますが、夏目漱石も同じことを書き残しています。その背景にあるものを必要だという意見と、芸術作品そのものを演奏家が感じ取る力こそが大切だという意見は、繰り返しなされる議論です。車田和寿先生のお話は、その一番の根っこに当たるお話だと思いました。世界共通の大きな課題・壁は、音楽に限らず広い分野に当てはまることだとわかりました。おそらく、指揮者、演奏家同士、演奏家自身の共同確証のプロセスこそが、「壁」を乗り越える最短の道であり、確実なものなのだと思いました。現象学及び認知心理学にも見られる内容だったので興味深く拝聴しました。ありがとうございます。
素晴らしい動画でした。グリムの辞典は学生時代に少し使ったことがあるので懐かしく思います。実用的なことを手っ取り早く習得することが推奨される現代には、文化的な背景を学ぶ余裕がなくなっているように思います。
先生!英語でもご講義されたら、日本語のわからない人々も先生のお話をご教授できるのではないでしょうか。本当に素晴らしいお話なんですもの🤩
ありがとうございます😊😊英語もやろうかと考えているんですが、時間が・・
すごくワクワクする内容でした!音楽の楽しみ方に、新鮮な驚きを与えてくださり、いつも本当にありがとうございます!
こちらこそありがとうございます😊😊
伺いながら、スミ・ジョーの圧倒的歌唱と存在感を思い出していました。そして、韓国国内での人気ぶりも。国内の才能ある人たちは、すり減る前にどんどん挑戦してほしいし、それをどこまでも後押しする文化であってほしいです。素晴らしい演奏家は、人類の宝です。
菩提樹の意味 教えていただきありがとうございました😊 そんな素敵な背景があったなんて❣️ 知らない事ばかりです😅
大変興味深いお話を、ありがとうございました。先日ちょうど、久さんという若いミュージシャンがアップした[日本人なのに日本の音楽を知らないあなたへ、教養のための音楽アカデミア]と言う動画を見て、頭をゴツンと叩かれたところで、この文化の壁についての動画で、再び考えさせられました。文化的な基盤のないところに、明治時代に西洋音楽が導入され、それを日本の音楽よりも親しみを感じている日本人が本当に、クラシック音楽を真から理解できているかは、つねづね疑問に思っていました。かと言って、私たちの世代の多くは、日本の音楽すらよく知りません。時代時代に取り込まれるものを、日本的にmodify(適当な日本語がわかりませんでした)していくのが日本の文化のあり方なのかな、と思いました。 車田さんのお話を聞いていて、どうしても欧米人になることのできない日本人でも、それはそれでもいいのかなとも思いました。なぜなら、私は音楽や芸術は生き物だと思うからです。伝統を再現すること、歴史的背景を演奏に反映させることだけが芸術だとは思いません。音楽は、私たちの生きているこの時に、この時代の演奏家によって演奏されるものなので、この時代の観客を魅了することが、演奏家には必要なのではないかと思います。ちょっと淋しいですが、もはや世界全体がデジタル化し、文化の境目が融合してきた今、クラシック音楽がどのように生き残り、発展していくか、ちょっと興味があります。Modificationに卓越し、新しいものを生み出す日本人の演奏家に、期待しています。いろいろと考えさせてくれる動画をいつもアップしていただき、ありがとうございます。
素晴らしいお話でした
緻密な洞察に基づいたいいお話しでした ありがとうございました
たまたま今日見たミュージカルで、もう何十年も前にアメリカで製作されたミュージカルですが、そこには当時のジェンダー問題、家族の形が話題になっており、現在のアメリカはどうかわかりませんが、確実に20年前には存在したジェンダー、様々な家族の形、みんなの夢を思い出させられました。 でもやっぱりそれを実際に、彼らの葛藤を知らなかったりすると、そこまで話に引き込まれなかったかもしれません。20年前の自分を取り巻く状況が舞台に再現され、当時の状況を思い出し、とても懐かしく感じました。
車田先生の意見を支持します。
とても勉強になります❤音大に行く人が減ってきた分けが分かりました👍
目に見えない文化の壁…これは音楽だけでなく、さまざまな分野で云えることですね。「菩提樹」の歌詞について、うんうんそうだなと頷きながら聴きました。私もメリタのドリッパー使っています♬それにしても、美味しそうに飲みますね😊☕
今日も勉強になりました。ありがとうございました😸
僕も趣味で日本文化を勉強していますが、江戸時代まで公用語だった漢文を読むと新しい発見があったりします。公にできない、あるいは常識過ぎて文章にならなかった風習は、欧州からの交易商人や宗教家の文章に新しい発見があったりします。欧州の文化も、探すのは楽しそうですね。欧州に行けなくても、1枚の絵画を勉強するだけでも、いろんな時代背景・人物像が大きな学びにもなります。車田さんの視点は、とても参考になり学びとなります。
♪泉にそいて茂る菩提樹♪を4声で歌うのに勢いよく声を4声でぶつけ響きを綺麗にすることしか考えてなかった事を思い出しました。まさに文化が空っぽ状態の歌だったと思います。難しいけど意味のあるお話ヲありがとうございました。
世界で活躍するためには、言語習得も大事ですし、ニュアンスの理解や文化の深い理解がとても重要だと思います。ヨーロッパの現地感覚は私も全然足りません。日本国内の話をすると、ルター(プロテスタント)系キリスト教会の礼拝にいくと、ラテン語の持つ意味や歴史が共有されていないことがあります。カトリックでも同様で、日本国内の教会で用いる言語はかなり柔軟になっています。はじめは驚きましたが、「今を生きる人たちのための宗教としてなにが大事なのか」を考えた結果、生活語もラテン語も他の言語も、特に区別なく用いる教会さんが増えたようです。音楽人としての私のポリシーは「歴史や文化を踏まえて できるだけ正しく音楽を作りたい」のですけれど、教会の中で最も大事にされるべきは信徒さんの心です。同じように日本人にとって、クラシック音楽は宗教ではなく音楽ですから、日本人の愛好家や演奏家の皆さんに「宗教理解が足りない」と指摘して良いものかと悩みます。もちろん信仰する必要はないのですが、宗教感覚の薄い日本人が、悪意なく、意識なく、土足で踏みにじってるような音楽を作ってしまうことが多々起きています。世情が世情だけに、ときどきとても不安になります。文化というか宗教の話になってしまいました。そして少々昂ぶってしまい、文章が荒くてすみません。
文化の壁。見つけてみたいです❗素敵なお話ありがとうございました。
音楽界の林先生。
今回も、よかった。菩提樹といったら・・お釈迦さんの瞑想を思い浮かべる、、文化や年代でしょうか(失礼)
自分が外国に移住する前でしたがカラヤンが来日公演のチケットを購入しましたが病気で小澤征爾さんの代役公演となり、チケットを譲ってしまったことがあります。自らの反省ですが聴く側も壁を作らないようにしたいですね。
いつも愉しく観させて頂いています。ピアノの演奏でですが、壁というか、深く大きな溝を感じさせられた事があります。縁があって、ウィーン国立音大の先生に国内でレッスンを受ける機会が有りました。先生の奥様は日本人で声楽家で2週間とか1ヶ月ご夫婦で日本へ…。例えばシューベルトのソナタで 上手く(表現が)纏まらない(的当たりでは無い)と思う時…、この部分は シューベルトの交響曲◯番の第二楽章の この部分と似ていますね!…と空で(譜面無し) ピアノで交響曲のその部分を ご自身の編曲で弾いてくださいます…、モーツァルトならこんな感じ(交響曲から) ブルックナーなら…こう…。自身にとっては 目から鱗 の 今まで日本人のピアノの先生からは受けたことの無いレッスンで 愉しいひと時でした。先生のお父様も多分ウィーンフィル(顔が良く似ていてレコードを持っていたので…) 音楽一家の育ちとは思います。生まれた町の教会のオルガニストでも在るそうです。子供の時からピアノは おもちゃと言うが、 自分を表現する器 …耳から聞こえた知っている音楽は 譜面無しで10本の指で演奏出来てしまう。ピアノの前に 座って 座り方を習って手の位置 ド は ここで …この音は楽譜の ここ…。 初めの1歩が全く違う…。文化も ピアノと言う文化も …、血も ←その中に流れているDNAも…、日本と大陸との距離 日本海よりも深く大きな溝を感じさせられました。…生意気な⁈ 学生達(コンテスタント予備軍) は 車田先生の言う 壁など感じず、見ようともせずに、プロになるにはコンクール至上主義⁈この先生嫌い! 何言ってるか さっぱり分からない ‼︎ ←じゃあ ヒンデミット やウェーベルン シェーンベルク のソナタ…等コンクールの本選で弾くような曲を持って来ずに 一次予選で弾く バッハでも見てもらったら⁇ どうなの‼︎…と思いましたが…。翌年(又は翌々年)またレッスンを受ける生徒は50パーセント未満でした。ホームレッスンの後も やはり 文化の違い先生は家の門の外まで見送りに来て下さいます。…次のレッスンの人が家の中に居てもです。レッスン中でもドアを開けに来て下さいます。(2度目からは 時間より早すぎず、前の人のピアノの音が聞こえる時は タイミングを見て 呼び鈴を鳴らしました)日本の先生では 早く来て前の人のレッスンを聞いている生徒の方が熱心な生徒。 ドアは空いているから 呼び鈴鳴らさずに 勝手に入って来なさい…、レッスン終わったら、謝礼は先生が見ていない時に文箱の中に封筒に入れて)次の方のレッスン居る時は無言で礼をして、タイミングを見計らって勝手に出て行く…のが、音大の先生のホームレッスンでしたが…。
ある地域の文化を知るには、ある程度年月をかけて、体感しないと無理ですね。1週間くらいの観光では、なかなか。。。。😅 それでも、その経験がないよりマシです。 深いお話、有り難うございました。🙏
有り難うございます。おっしゃる通りです。
日本人が西洋文化の理解でつまずく問題を言葉にしてくださり、ありがとうございます。生意気を言えば、ウィーンでもここ数十年、移民政策の結果、わかりやすい文化だけを語る声が大きくなってきたように感じてます。歳を取ったのでしょうかね、、、自分が理解できないことが無意味で無価値だという考えは、最近の日本にもあり、それが社会の主流だと感じてます。無知の知についての理解と、地道な啓蒙活動が必要だと感じてます。
イタリアのローマのフォロロマーノは、30年前は石ゴロゴロ転がっていて、持ち帰っても誰もわかんないような荒れ方でした。コロッセオも猫が沢山いました。今はイタリアもかなり文化や遺跡にお金を出して保存しようとしています。石も落ちていません。30年でもこのように文化は変化します。200年前のシューベルトの思いを想像してみてと言われても、かんたんではありませんが、謎解きパズルみたいにかんがえたら楽しいかも知れませんね。
「現代のヨーロッパは、クラシック音楽に通じるような文化は、失われつつある」…。実は数年前、欧州の一流オーケストラの演奏をライブで聴いたのですが、本当に技巧的に素晴らしいのですが、「文化の壁の向こう側」というべき世界をどうしても感じ取ることが出来ず・・・「これは素晴らしい演奏だったのだ」と自分に言い聞かせつつ、すこし違和感を感じつつ帰途についた覚えがあります。もやもやしていたのですが、ひっとして仰るこのことが…と今思い当たる所があります。
日本人もとっくに古語を理解できなくなっています。ドイツ語もそうなのですね。認識を新たにしました。ちょっと違うかもしれませんが学生時代に「社会思想史を学ぶ者はその時代に身を処してみなければ・・」と恩師に言われたことを思い出しました。 私は、しょせん東洋人〜日本人の声楽家は本場の演奏家と比べられるものではないとかなり偏見を持っていたのですが、それに加えて「文化の壁」・・なかなか意味深なお話でした。
確かに上をみたら西洋人の歌手の方がまだまだ多いですが、それは分母も多いからというのもあって、実は下手な西洋人というのも沢山います。また最近はどこの劇場にもうまい東洋人がいます。日本人は少ないのですが・・。
@@kazuhisakurumada 私の偏見ともいえる感想に返信をいただき驚いております。ありがとうございます。車田さんの先の解説で~日本人のクセ~とおっしゃていましたが専門ではないのでよく理解しているわけではありませんが何か納得できた思いです。私は以前から日本人の合唱曲を聴いても何を歌っているかききとれないと感じて現在に至っております。またオペラや宗教音楽を日本語訳して演奏することも希にありますがこらもよけいに分かりづらいと思っておりました。声楽で世界の舞台で演奏なさっている車田さんを心から応援いたします。またお忙しい中いつも興味深い話題を提供していただき感謝しております。
バックミュージックのハイドンソナタ。懐かしい!
すごい!自家焙煎してらっしゃるんですか。ぼくもよく豆を挽いてコーヒーを煎れますが、良い豆は蒸らすとふっくらと膨らんで良い香りが漂って来てここからがコーヒーの楽しみだと思ってます。今日も大変深いお話が聞けてためになりました。日本人だけの問題でもなくまた西欧だけの問題でもなく、大きくクラシック音楽の問題でもあることが理解出来ました。とても根深くまた難しい問題ですが、豊かな音楽文化が続いてゆくことを願っています。
最高に素晴らしいお話し、ありがとうございます❤「文化の外」感動しました🎉❤🎉❤🎉
面白いですね! よかったです。一人の聴衆として詩の世界もそういうものがありますね?勉強になりました。
いつも素晴らしいお話ありがとうございます😊♪ 更新が楽しみで楽しみで。コーヒー淹れ方も楽しかったです!うちもハリオ使ってます☕️なんだか嬉しいです^ ^
ハリオいいですよね😊
どの音楽もその土地の文化ありきで生まれてくるので、1番重要だと言っても過言では無いですよね。
一応肉食系男子の自覚があるので、水車小屋や菩提樹のくだりにはムフフ💕ですね😁水車小屋の冒頭のピアノのワクワク感が倍増しました😆
今日も深く素晴らしい内容でした。私は海外生活が日本で過ごした時間より長くなりましたが、それでも体に染みついている価値観は日本人。果物やその加工品をつくっていますが、現地の人により好まれる、つまりより良く売れるものは何か? 考えるとき、どうしてもわからないところがあって難しいです。また理解できるところがあってもなかなか共感できないので行動に結びつきません。異文化理解というのは大変に難しいものだと思います。
おまけコーナーのドリップコーヒーで思い出したのですが、ベートーヴェンは、自分がコーヒーを飲むときに、コーヒー豆の数をいつも決まった数だけ数えて挽いて飲んでいたそうですね。さすがというか、ベートーヴェンらしいですね。あはは。さて、日本人は、邦楽という音楽が昔からありますね。クラッシックとは、まったく違った雰囲気の音楽ですね。だから、私も自分が父親の影響でクラッシックを幼い頃から聴いているので、はじめは、なかなか邦楽が受け入れられなかったのですが、大人になって、いろんな民謡を聴いていくうちに、次第に、面白いな、と思うようになりました。だから、これからも、できるだけいろんな音楽に興味を持って聴いて行きたいと思っております。
この動画は極めて重要な問題提起をされていると思います。非常に勉強になります。 日本は経済においてもチャイナやコリアの後塵を拝していっていて、それどころか発展途上国化していっているのですが、それをきちんと認識できている人は少なく、ネットでも日本を持ち上げる動画が大量に溢れかえっていて、ちょっと怖いくらいです。現実をきちんと把握せず、認められなくなると、自画自賛しがちですし、正しい対策も打てないので、それはあらゆる意味で「末期」だからです。 芸術文化の興隆には必ず経済的裏付けが必要とは言いませんが、しかし世界各時代各国の黄金期と言える文化や芸術が栄えた時代には、必ず経済的な繁栄や安定があったように思います。縄文時代しかり。 世界で活躍する日本のクラシック音楽家が減っていっているのも、そういう背景が大きいように思います。経済的に疲弊すると内向きになり、アニマルスピリッツも失われます。海外留学そのものも減っていっています。金銭的な面も大きいです。教育でも貧富の格差が顕著となり、各分野のすそ野はどんどん縮小していって、「階級」ができていっていると感じます。 文化の壁と言えば、キリスト教圏では自殺が忌み嫌われていて、一方日本では切腹や心中などを美しい物語にしてしまうなど、決定的な文化の違いがあるように思います。 死生観や宗教観の根本的な相違というものを、単一民族の島国で育った日本人はなかなか理解しづらいようです。 大陸では人間の最大の脅威は人間であり、紛争によって最も多くの人が亡くなっていて、いっぽう日本では自然災害が最大の脅威ということが、文化の違いを理解する上で極めて重要のようです。 大陸は紛争死史観であり、日本は災害死史観。ここからすべてが始まっていて、ここの部分を理解して歴史や文化に触れると、自国や欧米の建前と本音で見えなくなっている「壁」の部分も見えやすくなると思います。これは学校で教えるべきと思います。お話の中にもちらっと出てきましたが、労働や仕事に対しても捉え方が違っていて、日本人は生涯現役であることを貴びますが、欧米では早くリタイアして余暇やバカンスを楽しもうとします。キリスト教では、労働は原罪を犯した人間に科せられた「苦役」であるという部分が大きな影響を及ぼしていると思います。 ゆえに苦しいの感じ方や捉え方もまったく異なるのでしょう。 欧米の文化の根っ子には明確に宗教の倫理観や戒律や習慣があり、日本では所謂宗教的なものが完全に習俗になって文化になっていて、その違いが文化の壁問題のハードルを、特に日本人にとっては高いものにしていると思います。 日本は自然災害大国で、住める土地も限られていたゆえに、共感し合わないと生き残れない宿命にあり、察する文化、他者を慮る文化、そして謙譲の文化が発達したようで、一定の共感が無ければぎすぎすして暮らしていけなかったということが独特の世界観を育んだように思います。 考えてみればクラシック音楽は西洋の「伝統」文化であり、それを「極東」の日本人がやるというのは、日本で云えば能楽や歌舞伎を西洋人がやるようなものなのでしょうか。 日本独特の音楽観は、日本人から見れば一つの芸術の在り方と感じてしまいますが、「伝統」というフィルターを通してみれば、違うとなってしまうのは理解できます。 「壁の外に出て行って、それでも残った日本人らしさが、日本人にしかできない本物の表現」とは、しびれる言葉です。 しかしその「日本人らしさ」が、今の日本にどれだけ残っているのか、あるいはそれをきちんと残し継承しようとしていっているのか、それは甚だ疑問に思わざるを得ません。クラシック音楽の本場の欧州ですら欧州らしさを失いつづけているなか、そういうものはしっかり意識して、意図して残していこうとしなければ、本当に消えてなくなると、大変危惧しています。 つまり、失われつつある「文化」を見つけ出しても、それを求めない人々だけだったら、という問題が、より深刻化していっているように思います。ポリコレやキャンセルカルチャーという奴です。過去や歴史の検閲と改竄が平然と行われていて恐怖でしかありません。解釈を変えるなんて生易しいものではなく、たとえば映画や漫画の喫煙シーンがカットされたり、当時の言葉遣いを現代にすり替えてしまったり、カットしたり。当時の文化を消し去っ足り改変しているのです。 クラシック音楽でも、あのオペラのあの歌詞は現代では歌えないとか、変えて歌ったりとか、そういうことはあるのでしょうか?
また、文化の壁問題があっても、それでもあえてその独特の音楽観を認めさせるような情熱や挑戦はあってほしいものと思います。 戦前、欧米の文化の壁の向う側も知っていたと思われる山田耕作(クリスチャンだったことも大きい?)は、ベルリンフィルなども指揮し、NYで自作の管弦楽曲を演奏したりしていて、日本のクラシック音楽史の中で大きな存在と思いますが、車田さんの山田耕作評も聞いてみたいです。 そんな彼が、歌はイタリー語よりも日本語のほうが適していると指摘していたことが非常に興味深かったです。 なぜそういう挑戦をしてほしいと思うかというと、日本が近代化以降ずっと抱え続けている独自の大問題なのですが、日本人自身が日本の自国の「文化の壁」を認識せず理解せず、そのまま逆に欧米の文化の壁を乗り越えようとすると、欧米の文化が日本よりもすべて優れていると思い込み、コンプレックスというものをこじらせてしまい、それで返す刀で日本を傷つけてしまうということがあり、それがこの150年以上続いているからです。 それは冒頭の経済の話にも直結する問題となっています。自国の文化の壁を理解せず、むやみやたらに欧米化、グローバル化して、ダメになりました。 民族国境と宗教国境と言語国境と文化国境が実際の国境とほぼ重なっている日本にいると、自分の国の文化の壁にも気づきにくくなります。日本の文化、言語は孤立していて、近代化以降、国際社会に日本国がデビューして以来、日本はずっと孤独。それがいい点でもあり、難しい点でもあると思います。ゆえに外のものが光り輝いて見えてしまう。 特に一神教文化のパワーは強烈で、当てられた日本人は多いことでしょう。明治以前の昔の日本人はそこを時間をかけてうまく調整し、取り入れてよいものと良くないものをきちんと選別していたように思いますが(自動車も飛行機もITもなかったことが幸いしたのでしょう)、近代化以降、良くないものほどどんどん取り入れていっているように思います。 そんな日本が欧州の伝統文化たるクラシック音楽を真に学ぶのは大変なことでしょう。 そういう意味で、チャイナやコリアは圧倒的な技術を追求するというのは興味深く、実にらしいなと感じます。 いっぽうで欧州自身が自分たちの文化や精神を忘れ始めていっているというのは、本当に悲しいことです。クラシック音楽は西洋の「伝統」文化であり、しかし今の時代、「伝統」への風当たりが厳しいのはどの国も同じようなのですね。 そういう点でも、「伝統」の凄さと重要性を日々痛感せざるを得なくなっています。それは文化の型だからです。とにかく訳が分からなくても、その「型」を徹底すれば、何とかなる。 それが伝統の強さ(もちろん「文化の壁」のジレンマはありますが)。それを演じれば、数百年の時間をタイムスリップすることができる。演芸でも、落語でも、音楽でも、それが演じられた瞬間に、時空を超越した藝術が展開される。 そして作品は古ければ古いほど「新しい」。AIの問題もあり、伝統は、人間は、人類の文化は、その存在の意義の岐路に立たされていると痛感します。クラシック音楽の世界ではAIについてはどのように受け止められているか興味があります。いずれ人間の演奏家が必要なくなるかもしれません。 そうなっていくと、2代3代前の「飢えていた」時代のほうがむしろ幸福だったかもしれません。 今やクラシックに限らず、海外でライブやコンサートをするハードルは下がり、或はネットを通じて発信して見てもらって相互交流をすることが容易となり、文化の壁の向こう側に行けたと錯覚しがちと思います。英語が話せればグローバル人材だと勘違いしているような人たちも多いです。東京五輪の開会式のコンセプトが英語のみとか、本当に愕然とさせられました。五輪において外国語で発信するならば、まずフランス語だろうということもわかっていないのです。そういう人たちが「グローバル」を謳っているんですから、本当に危機的と感じます。 昔の純喫茶では、コーヒーはネルドリップでホーローのドリッパーに大量に抽出して、それを各テーブルに入れて回っていたと聞きます。そして大量に淹れると一味違うようです。 昔の日本ではクラシックにしろジャズにしろ、本場のミュージシャンを呼んで演奏してもらうにはハードルが高かったので、レコードを聴かせる純喫茶も増えたようです。 それがコロナ禍になって、そういう趣味の世界全開の日本発のジャズ喫茶やリスニングバーなどの文化に海外の人が注目し、世界で増えているそうです。 その世界的流行の根本には、スローフードや瞑想などで心をコントロールする「マインドフルネス」の世界的な広がりと連動しているといいます。母国でジャズ喫茶を開いたドイツ人の方はそう指摘し、「ジャズ喫茶はゆっくりと物事をすることを知る場だ」と話しています。 アニメや漫画をはじめとして、日本の文化や価値観も、少しずつではありますが、理解され始めていっているように思います。しかし内需の市場が成長しないことで、浅薄なグローバル感覚で海外の市場に阿った表現が増えてきていて、日本文化の死とデラシネ化が始まっているようにも思います。 また、完全にスマホのデジタル化に依存している人たちは、純文学も映画も最後まで見ることができず、ゲームもやるのも面倒で、音楽もイントロもアウトロもいらない、ギターソロもいらないという始末だそうです。交響曲など聴こうとするはずもなく、聴いても、「サビ」だけをつまみ食いするだけ。読解力も低下し、テストの問題や歌詞の意味がそもそも分からない子供も増加中・・・。そういう問題も深刻化しつつあります。 るる失礼しました。
オペラでも勝手に歌詞を変えてしまう演出家がいますね・・・
私が思っている事が、こちらのコメントに書かれていて本当に嬉しく思いました。音楽とは離れますが、日本を持ち上げる動画が沢山有りますよね。これは戦後の自虐的な考えが蔓延していた時代が長かったのでその反動も有るのだと考えます。でも余りに片寄った日本賛美はそろそろ止めないと、その二か国の実力を過小評価してしまうので良くないです。
@@kazuhisakurumada わざわざお答えいただき、ありがとうございます。ふと、川内康範氏と森進一氏の騒動を思い出しました。歌詞を、作品を勝手に変えられることが作家にとってどういうことか、考えさせられるきっかけになりました。はるか昔に亡くなった作曲者、作詞者は抗議すらできないですものね。
車田先生壁の外に出て尚残る日本人らしさが日本人にしかできない本物の表現!素晴らしい表現にいつも感動します(*^O^*)私も本当にそう思います(*^_^*)アーティステックと言うよりややアクロバテックでもある圧倒的なテクニックの韓国中国の演奏家についてのご考察にも同感です!車田先生はいつも問題提起にとどまらず、最後に未来志向のアドヴァイスもされるので素晴らしいなと思います。以前、論文を先輩に見せたら「問題提起で終わったら、ただの愚痴よ!」と言われました(爆)日本で従来信じられている曲の解釈なども、実は全然違うというのを友人が師事していた故アンリオ・シュバイツアー先生がラヴェルから直接レッスンで聞いたというエピソードで教えてくれました♬随分前に大先生が最初におっしゃった事が未だにまかり通っているみたいです。日本同様、ヨーロッパの人達も、自国の文化を忘れつつあるのですね。。。毎回、ご投稿が楽しみです(^_^)/現役高校教師ピアニストマユミージュことMayumi
今日のお話し、最高! !勉強NIなりました。(^人^)
日本人より韓国や中国の人がヨーロッパで活躍してしてるというお話は興味深かったです。クラシックという音楽文化そのものが現代社会ではその熟成基盤が崩れつつあるのを感じます。
興味深いお話ありがとうございます。自分にはとても興味深いテーマでした。自分は外国で医者になるためにアメリカに来て四半世紀過ぎました。当時、外国で医者になるなんて頭のおかしいのは自分くらいで入学した医学部は初めての日本人だったと思います。日本人の1人もいないところで働いていたこともあります。他文化を知るためには、自分に対する理解が必要になると思います。若い方には言葉の通じない国に最低でも1ヶ月住まれることをお勧めします。今まで見えなかった自分が見えてくると思います。
奥深い話で、感謝の限りです。ジェシーノーマンさんが唱歌『浜辺の歌』を歌う時に日本の文化から学ぶとおっしゃっていましたが、車田さんのお話でしっかり理解できました。
あまりにも深い内容に3回リピートしました。これはクラシックだけでなく芸術の他のジャンルや、社会生活全般にも通じる重要性な視点です。違いを知ることは先ず自分を知ることですね。自分を知らなければ違いが分かりません。でも、違いが分かって自分を知ることもあります。そんな取り組みでしか、共感というより平和と言うものは実現できないでしょう。 です。
最近、ロシアの大作曲家達を指して「たまたまロシアに生まれただけ〜」と言う日本人がいて、ずっとモヤモヤしてました音楽はその国の文化から生まれるってのに・・・・あと、最近、ストリートピアノとかで街頭で演奏して注目を集めようとする日本人がちらほら・・・なんか違うなあって思ってます
少なくとも言語と教会に踏み込まないとダメですね
菩提樹の歌詞「慕いゆきては、うまし夢見つ」の意味が分かりました。
私にとってはあまりにも深すぎるお話でした。音楽を只聴くだけの私ですが・・・ありがとうございます。
今回の文化に就いて: 長年小生が感じて居た日本人演奏家への違和感は、正に貴殿の仰る通りだったと思います。80年代、CD-簡易携帯装置が普及した頃、Goldberg BWV-988 を13枚程入手した。併し、大半は心に沁み込んで来なかった故、其の内の数人の演奏家しか聞かなくなった。亦、特に Classical-music をBGM として聴くのを好まない。
中学校の音楽の時間に、車田さんのお話を子供たちに聴かせてあげたい。 授業中にUA-cam 見せる先生がいるかも……いて欲しい。 (((๑>◡
ありがとうございます!
ありがとうございます😊😊
以前コーヒーは飲んでるように見えない(カップに何も入っていないように見える)とコメントしましたが、コーヒーをドリップするところからやっていただけるとは…ありがとうございます。(^-^;)私もハリオの円錐ドリッパーで、プラスチックの透明のやつを使っています。以前はキーコーヒーのPUSH PRESSO(押すプレッソ)というドリッパーを使っていましたが、こういう変わり種も美味しい/面白いですよ。
ベームですか…ワーグナーのニーベルングの指環の演奏は私的にはリファレンスですけどモーツァルトは…ん〜。歌曲を歌うのにグリム兄弟時代の辞書を使うんですか…そこまで拘って徹底してるんですね。確かに車田さんのされていることは芸術ですね…。壁の外に出て行ってそれでも残る日本人らしさが日本人にしかできない本物の表現…恐れ入りました!
私と同じだ!うれしいな!ドリッパーとサーバーがね(笑)
素人ながらずっとチェンバロでバッハの曲を練習しているのですが、お話を聞いて、多くの名演奏をいくら参考にしても自分が何に迷い困っているのか分かりました。バッハの時代の文化背景はどうやったら感じる事ができるのか、知りたいです。ドイツに旅行したこともありますがまた行きたい。
全く同感です…自己満足の文化意識…音楽のみならず他の面において今の日本は文化的意識が自国主義に偏りすぎてきているのを感じます…昨年若い韓国のピアニストのインタビューを聴いたときに音楽の解釈において最も大切にしていること…”その曲や作曲家の想いを表現するのに必要な音楽的解釈とは当時の歴史的背景を知るばかりではなくその国の文化を深く理解し共感するための努力と姿勢が土台とならなければならずこれが表現において大変重要だと考えている…曲を演奏する度に果たして自分の十本の指が作者の意図を上手く表現できているのかという緊張感と思いをこめて演奏している…資料は原書で読むように努めています…自分の音楽家という仕事を通して社会にも貢献できる人になりたいです…”と言っていた言葉が印象的でした…実際このピアニストは昨年、子供患者のためのチャリティーコンサートを行い今年の年末も予定しているそうです…また別の若いピアニストはレコーディングに当たってのインタビューでこのようにも言っています”曲の背景を知るのに重要なこととして当時の出版物や文学作品、同時代の芸術家の活動や社会に及ぼした影響などの知識を得ることは重要なことで、指導してくださる先生が推薦図書リストを作成してくださっています…僕はそれを暗記するほど何度も読みました…以前は自分の愛する音楽がきれいな音さえ出せれば満足だったが最近社会問題にも目を向けるようになってから自分の音楽が深まってきたように感じます…と…"音楽家は国家と同様に謙虚でなければならないんだと改めて感動しました…。
お話を聞いて直ちに Jean-Jacques Grunenwald が演奏した Nicolas de Grigny の Premier livre d’orgue を思い出しました。宗教心皆無の私にも、これは一音一音が本物だと言う事がひしひしと伝わるような古色愴然とした演奏で、 Grigny の迷宮的音楽性があますところなく表現されていました。他にも色々な演奏を聞いたのですが、ここまでの世界観を持つ人は一人も見つからなかったです。その文化圏にいない人間に感じ取れるというのはやはり相当なものですよね……。宝物がある程度普遍的なものならともかく、こういう特殊なものを見つけるにはもはや天性のものも必要な気がします……。(バッハは彼の装飾記号を音符に分解して写譜までしたのに、音楽性が特殊すぎるのかバッハ案件でもスルーされる事川の水のごとしですね……)何か妙にニッチな例ですみません……。Amazonで誰かがレビューを書いていて、おお、同志がいたと思ったら自分の書いたレビューでした^^;;;;
先生のお話を聞きながら、日本が世界で生き残っていくためにどうすれば良いのか考えてしまいました。長い経済的低迷のなかで日本人のなかに内向きな考え方が着実に広がっています。彼らは欧米に追従するのはもうゴリゴリだ、貧しくなっても日本は日本人だけでうまくやっていけばいいと言います。しかしそれで日本は本当に世界で生き残れるのでしょうか。とても不安です。
とりあえず語学力つけることからですから日本人はハンデあります🎵それから先立つものもある程度😅ツライ道のり😁頑張って下さい音楽家たち
メリタが一つ穴の特許をもっていたので、日本のハリオは3つ穴になりました。
音楽の話ではないのですが、料理の世界はどうなんですかね?日本人は味覚や盛り付けの技術は世界最高峰のレベル。第一世代の料理人はフランスやイタリアで修行。日本に戻ってきてその技術を広める。第二世代の料理人はフランスなどでミシュランの星付きレストランのシェフになる人も増えている。日本国内のイタリア料理のレベルは本場を超えているような気もします。(食材に制約がありますし、食材の値段が高いのでふんだんに使えないのが残念ですが・・・)日本にいてイタリアに行ったことのないシェフも美味しい料理を作ります。これは私やお客様が日本人なのでそう感じるだけなのかもしれません。本場のイタリア人から見ると『何だこれは??』ということなのかもしれませんが、実際にお金を払う人にとってお金を払う価値があるということは重要です。クラッシックのマーケット即ち聴衆が欧米中心でその人達がお金を落とす。その人達好みの演奏家が賞賛されるという面はありませんか?ワインの世界ではアメリカが大きなマーケットので、アメリカ人好みのワインが高く評価されるという面もあります。もちろんフランスの伝統的なワインが本流だと思う人も少なくありません。。日本の狭い世界でしか通用しない音楽。。これは日本という音楽マーケットが小さすぎるので、『世界には通用しないという』という面はないのでしょうか?ショパンコンクールでの小林愛美さんのピアノの繊細なタッチには和の趣を感じました。ヨーロッパ人好みの演奏ではなかったので優勝出来なかったけど、それはそれで悪くないのではないかと思いました。
音楽の場合は、作曲家の書いた古いレシピ通りに演奏しなければいけませんからね・・。勝手に変えると、それは編曲という扱いになってしまいます。
是非、指揮者、クレンペラーの解説も、お願いします!
日本語にしろドイツ語やイタリア語のような言葉って古典があって現代の日本語やドイツ語やイタリア語がある。同じ意味の表現でも30年ぐらい前と現在とではかなり違うというのはよく聞きますよ。たとえば、義なる者って言われてもそれどういう意味?ってなる。2、30年ぐらい前はこういう表現も使われていましたが、今ではそういう表現はまるで古語の世界のように見えてしまう。まして、クラシックはだいたい100年から300年ぐらい前に完成して初演されてる。当時の言葉と慣用的な使われ方やその意味理解してなきゃこの動画で言われてる文化の壁を越えた先にあるものは理解するのは難しいんでしょうね。自分が学生だった頃には日本語に翻訳されたものであったとはいえ、ヨーロッパの小説や伝記を読んでた。でも、現書を読んで理解することにはかなわない、そういうのも文化の壁なんでしょうか?
日本いると、ヨーロッパの文化に接する事は、少ないですね。音楽に関しても、流行りの音楽は聴きますが、なかなか伝統と歴史のある音楽は、聴くことは少ないのです。しかし、伝統と歴史、そしてその文化に、接する事ができる所がありますね。それは、讃美歌ではないでしょうか!伝統と歴史から生まれ、その文化を日常として、聴き体験することができるからです。日曜日、教会の近くにいると、讃美歌が聴こえてきます。時には、その音楽に耳をすましてみるのも、壁の向こうを知る一つの要因になるかもしれませんね。
逆の視点で見れば、外国人が日本で民謡を習いたいとします。外国人から見れば、日本に行けば簡単に習えると思うでしょうね。しかし、民謡と言う文化は、未だにその文化が残っている地域例えば東北地方などへ住んでみて、始めてその文化にふれる事が出来る事と同じだと思います。
12:15〜 "苦しい"についての補足
美術教育でもそうですが、技術的なことは教えても文化的な面はあんまりですね
オリエンタル ロックは、日本人に偏見ありますね。ドイツの菩提樹の木は良いですね。お釈迦様が悟りを開いた場は、菩提樹の木。
1980年代半ばにフランスに一年滞在していたが、半年くらいした時に確かベルギーの街中で突然「これがクラシック音楽を産んだ世界だ。」と霊感に打たれた事がある。クラシックと建築はキリスト教の振動に同期しているのだ。しかしヨーロッパのその文化的気候はもう失われてしまった。実は音楽に限らず芸術の理解と言う人の心に起きた事象は、測定する術がない。オペラはプロデューサーにより舞台が全く違う、作曲家は楽譜しか残していないからだ。誰もバッハの心を辿ることは出来ず、作品の受容は時代により人により変わる。芸術の方が人を試しているのかも知れない。
欧米文化の土台には、キリスト教文化「新旧2つの聖書」の文化がある。これに、地域の土着文化と歴史が融合し、地域ごとの違いがある。日本人は「日本の文化」について無自覚な人が多い。日本の文化の中に自分がいると自覚しないと、他国の文化、しかも過去の文化を、自分勝手な解釈になる。日本人には「神道」に「仏教」が融合した「神仏習合」文化が、深く根ずいている。深すぎて無意識下にあるから、なぜか『無宗教』と間違った自覚をする。その間違いに気が付かないと、欧米の『キリスト教・聖書』の文化や、それ以外の他国の文化を間違って解釈する。その間違った解釈の典型が「話せばわかる」「お互いさま」という間違った思い込みです。
ドイツの主婦は力任せにガシガシ家じゅうみがきますね
特にバッハやヘンデル等の宗教音楽なんかは、キリスト教文化のバックボーンがほとんど無い日本人にとっては、本当に腹の底から感動できるかどうかは疑問ですね。
聴いて感動するかどうかは、個人の感受性によるところが大きいですから、日本人でも可能だと思います。感動を与えるとなると文化を知らないと難しいかもしれません。
わたしはピアノをよく聴くんですが、こと、ピアニストに関してはわが国は大したものだ、と思っています。辻井伸行氏とか、藤田真央さんなどですね。たしかにユジャ・ワンさんとかは、メチャクチャ上手いんですが、あれじゃ上海雑技団。内田光子さんなど以来、モーツァルトを見事に弾けるピアニストがわが国にも出てきたことは、西洋音楽への理解がすごく進んだからだ、と思います。それに比べるとたしかに声楽は難しい。とにかくわたしたちは語学が苦手。印欧語族に出合うと、脳みそが裏返ったような感じがしますもの。
私も「いいね」を100回!押したいです。若いころTVで「こうもり」を見て「なんと軽薄な・・・」としか思いませんでしたが、熟年になってウィーンで年末過ごすようになって初めてこのオペレッタの楽しさといかにウィーンの人々に愛されている作品かがわかりました。他国の文化に触れることは本当に車田さんのおしゃるようにワクワクしますネ。
今回もいいね100回押したい内容でした。。。
日本の中だけの独特な音楽感についてと、昔の人の方が本場の文化を貪欲に求めていたという点について、以前ジャズミュージシャンの方が似たようなことを言っていたのが興味深かったです。
車田さん、素晴らしい。今回の説話には完全なる賛同と共感を禁じえません。そして、貴方の感受性豊かな清らかな良心を感じ、心から敬意を表します。
中国、韓国の演奏家に日本が抜かされているお話、現地の人々も自国の文化を忘れつつあるお話、ハッとさせられました。
競争はしなくていいですが、私も芸術に対してただひたすら深い理解は目指したいです。
私は、音楽は全く素人ですが、楽しく視聴しています。classicって高尚なイメージでしたが、としごろの若い娘がいるかも?でテンション上がった、とか、菩提寺の下でイチャイチャ、とかこんな庶民的感覚な音楽とは知らず、ビックリ。クラッシック音楽って、人情味あふれる音楽なんですね🎵
ドイツに住んでいますが、お話しされることに共感するばかりでした。冬の旅を聴きながら菩提樹の始めについて夫と話をした事がありました。菩提樹と噴水(井戸?)は故郷を思い出させると彼は言っていました。まさに言葉の向こうにあるものの深さを実感した時でした。私はピーターピアーズとブリテンの録音がとても好きで、冬の旅はよくこの録音を聴きます。先日ウィーンのシューベルトの家を訪れた時、このcdが狭い受付にて売られていて、とても嬉しかったです。
文化を背景にした音楽のあり方、とても素晴らしい動画でした。
演奏家だけでなく、聴衆にもこの文化的理解が必要なんだろうと、思いました。
本場でもうしなわれつつある文化理解。
なかなか難しくだからこそ、ロマンを感じます。
動画の時間ずっと、「なるほどー、わかるー、なるほどー、わかるー」の連続でした。
私が日本人の演奏を聴くときに感じる、あのもやもやはそういうことだったのかーと思いました。
うまいけど、なんか心に届いてこないんだよなあって思ってました。
壁の向こうに行きながらも日本人らしさを残している日本人演奏家に、早く出会いたいです。
本当にためになるお話ありがとうございました。😀
「車田さん」こんにちは!久々に「タイトル」の素晴らしさに惹かれて先生のお話拝聴致しました。「美しき水車小屋の娘」「菩提樹」のお話が素敵でした。添付のお写真がなんとも素敵。就中「日本の文化に当てはめてしまった日本人の西洋音楽の演奏!」についての件が心に響きました。「洋の東西の違い」と言われる「壁」についても先生のお話は素晴らしいです。僕もある韓国人の演奏がとても好きなんですよ。今の日本にはないかもって思いました。個人個人の「このみ」もあるかもなので個人的な言及は遠慮させて頂いて、むつかしいむつかしいテーマであっても「車田さん」の言葉じりの中に「夢と希望に満ちた今後もある」の静かな信頼に充ちた含みに感動しました(90歳)
大学の英語の授業で先生からイギリス人の夕食はとても簡素でビスケットと紅茶で済ましてしまうこともあり、夜中にお腹が空いてしまいますよと言われました。南アフリカに駐在していた時にイギリス人にこの話をしたら「あなたは一体、何十年前の話をしているのですか?」と言われました。失われた文化なのですね。一方で、ヨーロッパで失われた文化を南アフリカで見つけることもありました。
オーストラリアでも、大学は今やインド人・中国人しかいません。また、家電も、中国・韓国製ばかりです。失われた30年の間に、日本のプレゼンスは大きく後退しました。
それでも、日本人に対して好印象を持っているオーストラリア人は多いです。車田さんのおっしゃる日本人の良さがもっともっと伝わると良いと思います!
いつも、良いお話、ありがとうございます!
文化のお話は、本当に学びの必要性を感じました。素敵な声でよどみなくわかりやすいお話をありがとうございます。
先生のお話は分かりやすく面白く、本質をついていて、思わく敬礼してしまいます。私は電子工学専攻の技術者で、専攻が音響工学で音楽との接点でした。何十年も外国人技師や学会を通して思う事はクラシック音楽に限っては歴史、宗教、言語、特にラテン語と欧米各言語の関係、筋肉構造、等のデータからどうも白人系が有利と思わざるを得ません。
今回のお話は、大変興味深く視聴いたしました。「目に見えない文化の壁」。これを超えられるかどうかが、本物の感動を与えられるかどうかの分岐点になるんですね。
これは音楽だけのことではないと思いました。自分の理解できる範囲で、自分に都合良く解釈して、それでよしとするのみならず、その自己流を理解できない人を排斥することさえあるような…。一流を目指す方には、やはり「求道心」って大事ですね。
オペラをやる時にその舞台となっている文化的背景を知らないとこっけいになると言うことを知っています。私が合唱団として出演したドン・ジョバンニの最初の立ち稽古の時、ドンジョバンニが現れて農民が貴族に挨拶する場面で他の合唱団員はお辞儀をしてしまって演出からすぐに止められたことがあった。お辞儀はないだろうと思った。また、拍手も日本式でやっていた。地方のオペラ上演だと、地元の合唱団が動員されるということがあり、このような事が起きる。オペラでは特に文化と時代背景が重要であることは明らかです。ただ、日本の歌を覚えたから聴いてくれと友人に言われて聴いてみたところ、ちょっとそこのところが違う、というようなことがあった。日本の文化を知らず、楽譜通りに歌った結果だった。ただ、ちょっと違うと感じるがどう違うのか説明できなかった。このような事がお互いに起きているということを思い出しました。
文化を知らないと世界に通用しないのは、日本人に限らず全ての演奏家に当てはまるものですね。
また、文化だけに限らず、歴史、風土、原風景、受けている教育の質、・・・・・。
ちなみに、分野は違いますが、夏目漱石も同じことを書き残しています。
その背景にあるものを必要だという意見と、芸術作品そのものを演奏家が感じ取る力こそが大切だという意見は、繰り返しなされる議論です。
車田和寿先生のお話は、その一番の根っこに当たるお話だと思いました。
世界共通の大きな課題・壁は、音楽に限らず広い分野に当てはまることだとわかりました。
おそらく、指揮者、演奏家同士、演奏家自身の共同確証のプロセスこそが、「壁」を乗り越える最短の道であり、確実なものなのだと思いました。
現象学及び認知心理学にも見られる内容だったので興味深く拝聴しました。
ありがとうございます。
素晴らしい動画でした。
グリムの辞典は学生時代に少し使ったことがあるので懐かしく思います。
実用的なことを手っ取り早く習得することが推奨される現代には、文化的な背景を学ぶ余裕がなくなっているように思います。
先生!英語でもご講義されたら、日本語のわからない人々も先生のお話をご教授できるのではないでしょうか。本当に素晴らしいお話なんですもの🤩
ありがとうございます😊😊英語もやろうかと考えているんですが、時間が・・
すごくワクワクする内容でした!音楽の楽しみ方に、新鮮な驚きを与えてくださり、いつも本当にありがとうございます!
こちらこそありがとうございます😊😊
伺いながら、スミ・ジョーの圧倒的歌唱と存在感を思い出していました。そして、韓国国内での人気ぶりも。
国内の才能ある人たちは、すり減る前にどんどん挑戦してほしいし、それをどこまでも後押しする文化であってほしいです。
素晴らしい演奏家は、人類の宝です。
菩提樹の意味 教えていただきありがとうございました😊 そんな素敵な背景があったなんて❣️ 知らない事ばかりです😅
大変興味深いお話を、ありがとうございました。先日ちょうど、久さんという若いミュージシャンがアップした[日本人なのに日本の音楽を知らないあなたへ、教養のための音楽アカデミア]と言う動画を見て、頭をゴツンと叩かれたところで、この文化の壁についての動画で、再び考えさせられました。文化的な基盤のないところに、明治時代に西洋音楽が導入され、それを日本の音楽よりも親しみを感じている日本人が本当に、クラシック音楽を真から理解できているかは、つねづね疑問に思っていました。かと言って、私たちの世代の多くは、日本の音楽すらよく知りません。時代時代に取り込まれるものを、日本的にmodify(適当な日本語がわかりませんでした)していくのが日本の文化のあり方なのかな、と思いました。 車田さんのお話を聞いていて、どうしても欧米人になることのできない日本人でも、それはそれでもいいのかなとも思いました。なぜなら、私は音楽や芸術は生き物だと思うからです。伝統を再現すること、歴史的背景を演奏に反映させることだけが芸術だとは思いません。音楽は、私たちの生きているこの時に、この時代の演奏家によって演奏されるものなので、この時代の観客を魅了することが、演奏家には必要なのではないかと思います。ちょっと淋しいですが、もはや世界全体がデジタル化し、文化の境目が融合してきた今、クラシック音楽がどのように生き残り、発展していくか、ちょっと興味があります。Modificationに卓越し、新しいものを生み出す日本人の演奏家に、期待しています。いろいろと考えさせてくれる動画をいつもアップしていただき、ありがとうございます。
素晴らしいお話でした
緻密な洞察に基づいたいいお話しでした ありがとうございました
たまたま今日見たミュージカルで、もう何十年も前にアメリカで製作されたミュージカルですが、そこには当時のジェンダー問題、家族の形が話題になっており、現在のアメリカはどうかわかりませんが、確実に20年前には存在したジェンダー、様々な家族の形、みんなの夢を思い出させられました。 でもやっぱりそれを実際に、彼らの葛藤を知らなかったりすると、そこまで話に引き込まれなかったかもしれません。
20年前の自分を取り巻く状況が舞台に再現され、当時の状況を思い出し、とても懐かしく感じました。
車田先生の意見を支持します。
とても勉強になります❤音大に行く人が減ってきた分けが分かりました👍
目に見えない文化の壁…これは音楽だけでなく、さまざまな分野で云えることですね。「菩提樹」の歌詞について、うんうんそうだなと頷きながら聴きました。私もメリタのドリッパー使っています♬それにしても、美味しそうに飲みますね😊☕
今日も勉強になりました。ありがとうございました😸
僕も趣味で日本文化を勉強していますが、江戸時代まで公用語だった漢文を読むと新しい発見があったりします。
公にできない、あるいは常識過ぎて文章にならなかった風習は、欧州からの交易商人や宗教家の文章に新しい発見があったりします。
欧州の文化も、探すのは楽しそうですね。
欧州に行けなくても、1枚の絵画を勉強するだけでも、いろんな時代背景・人物像が大きな学びにもなります。
車田さんの視点は、とても参考になり学びとなります。
♪泉にそいて茂る菩提樹♪を4声で歌うのに勢いよく声を4声でぶつけ響きを綺麗にすることしか考えてなかった事を思い出しました。まさに文化が空っぽ状態の歌だったと思います。難しいけど意味のあるお話ヲありがとうございました。
世界で活躍するためには、言語習得も大事ですし、ニュアンスの理解や文化の深い理解がとても重要だと思います。
ヨーロッパの現地感覚は私も全然足りません。日本国内の話をすると、ルター(プロテスタント)系キリスト教会の礼拝にいくと、ラテン語の持つ意味や歴史が共有されていないことがあります。カトリックでも同様で、日本国内の教会で用いる言語はかなり柔軟になっています。はじめは驚きましたが、「今を生きる人たちのための宗教としてなにが大事なのか」を考えた結果、生活語もラテン語も他の言語も、特に区別なく用いる教会さんが増えたようです。
音楽人としての私のポリシーは「歴史や文化を踏まえて できるだけ正しく音楽を作りたい」のですけれど、教会の中で最も大事にされるべきは信徒さんの心です。同じように日本人にとって、クラシック音楽は宗教ではなく音楽ですから、日本人の愛好家や演奏家の皆さんに「宗教理解が足りない」と指摘して良いものかと悩みます。
もちろん信仰する必要はないのですが、宗教感覚の薄い日本人が、悪意なく、意識なく、土足で踏みにじってるような音楽を作ってしまうことが多々起きています。世情が世情だけに、ときどきとても不安になります。
文化というか宗教の話になってしまいました。そして少々昂ぶってしまい、文章が荒くてすみません。
文化の壁。見つけてみたいです❗素敵なお話ありがとうございました。
音楽界の林先生。
今回も、よかった。
菩提樹といったら・・お釈迦さんの瞑想を思い浮かべる、、文化や年代でしょうか(失礼)
自分が外国に移住する前でしたがカラヤンが来日公演のチケットを購入しましたが病気で小澤征爾さんの代役公演となり、チケットを譲ってしまったことがあります。自らの反省ですが聴く側も壁を作らないようにしたいですね。
いつも愉しく観させて頂いています。
ピアノの演奏でですが、壁というか、深く大きな溝を感じさせられた事があります。
縁があって、ウィーン国立音大の先生に国内でレッスンを受ける機会が有りました。
先生の奥様は日本人で声楽家で2週間とか1ヶ月ご夫婦で日本へ…。
例えばシューベルトのソナタで 上手く(表現が)纏まらない(的当たりでは無い)と
思う時…、
この部分は シューベルトの交響曲◯番の第二楽章の この部分と似ていますね!
…と空で(譜面無し) ピアノで交響曲のその部分を ご自身の編曲で弾いてくださいます…、モーツァルトならこんな感じ(交響曲から) ブルックナーなら…こう…。
自身にとっては 目から鱗 の 今まで日本人のピアノの先生からは受けたことの無いレッスンで 愉しいひと時でした。
先生のお父様も多分ウィーンフィル(顔が良く似ていてレコードを持っていたので…) 音楽一家の育ちとは思います。生まれた町の教会のオルガニストでも在るそうです。
子供の時からピアノは おもちゃと言うが、 自分を表現する器 …耳から聞こえた知っている音楽は 譜面無しで10本の指で演奏出来てしまう。
ピアノの前に 座って 座り方を習って
手の位置 ド は ここで …この音は
楽譜の ここ…。 初めの1歩が全く違う
…。
文化も ピアノと言う文化も …、
血も ←その中に流れているDNAも…、
日本と大陸との距離 日本海よりも深く大きな溝を感じさせられました。
…生意気な⁈ 学生達(コンテスタント予備軍) は 車田先生の言う 壁など感じず、見ようともせずに、プロになるにはコンクール至上主義⁈
この先生嫌い! 何言ってるか
さっぱり分からない ‼︎
←じゃあ ヒンデミット やウェーベルン シェーンベルク のソナタ…等
コンクールの本選で弾くような曲を持って来ずに 一次予選で弾く バッハでも見てもらったら⁇ どうなの‼︎…と思いましたが…。
翌年(又は翌々年)またレッスンを受ける生徒は50パーセント未満でした。
ホームレッスンの後も
やはり 文化の違い
先生は家の門の外まで
見送りに来て下さいます。
…次のレッスンの人が家の中に
居てもです。レッスン中でも
ドアを開けに来て下さいます。
(2度目からは 時間より早すぎず、前の人のピアノの音が聞こえる時は タイミングを見て 呼び鈴を鳴らしました)
日本の先生では 早く来て前の人のレッスンを聞いている生徒の方が熱心な生徒。 ドアは空いているから 呼び鈴鳴らさずに 勝手に入って来なさい…、レッスン終わったら、謝礼は先生が見ていない時に文箱の中に封筒に入れて)
次の方のレッスン居る時は無言で
礼をして、タイミングを見計らって勝手に出て行く…のが、音大の先生のホームレッスンでしたが…。
ある地域の文化を知るには、ある程度年月をかけて、体感しないと無理ですね。1週間くらいの観光では、なかなか。。。。😅 それでも、その経験がないよりマシです。
深いお話、有り難うございました。🙏
有り難うございます。おっしゃる通りです。
日本人が西洋文化の理解でつまずく問題を言葉にしてくださり、ありがとうございます。
生意気を言えば、ウィーンでもここ数十年、移民政策の結果、わかりやすい文化だけを語る声が大きくなってきたように感じてます。歳を取ったのでしょうかね、、、自分が理解できないことが無意味で無価値だという考えは、最近の日本にもあり、それが社会の主流だと感じてます。無知の知についての理解と、地道な啓蒙活動が必要だと感じてます。
イタリアのローマのフォロロマーノは、30年前は石ゴロゴロ転がっていて、持ち帰っても誰もわかんないような荒れ方でした。コロッセオも猫が沢山いました。
今はイタリアもかなり文化や遺跡にお金を出して保存しようとしています。石も落ちていません。
30年でもこのように文化は変化します。
200年前のシューベルトの思いを想像してみてと言われても、かんたんではありませんが、謎解きパズルみたいにかんがえたら楽しいかも知れませんね。
「現代のヨーロッパは、クラシック音楽に通じるような文化は、失われつつある」…。
実は数年前、欧州の一流オーケストラの演奏をライブで聴いたのですが、本当に技巧的に素晴らしいのですが、「文化の壁の向こう側」というべき世界をどうしても感じ取ることが出来ず・・・
「これは素晴らしい演奏だったのだ」と自分に言い聞かせつつ、すこし違和感を感じつつ帰途についた覚えがあります。もやもやしていたのですが、ひっとして仰るこのことが…と今思い当たる所があります。
日本人もとっくに古語を理解できなくなっています。ドイツ語もそうなのですね。認識を新たにしました。ちょっと違うかもしれませんが学生時代に「社会思想史を学ぶ者はその時代に身を処してみなければ・・」と恩師に言われたことを思い出しました。
私は、しょせん東洋人〜日本人の声楽家は本場の演奏家と比べられるものではないとかなり偏見を持っていたのですが、それに加えて「文化の壁」・・なかなか意味深なお話でした。
確かに上をみたら西洋人の歌手の方がまだまだ多いですが、それは分母も多いからというのもあって、実は下手な西洋人というのも沢山います。また最近はどこの劇場にもうまい東洋人がいます。日本人は少ないのですが・・。
@@kazuhisakurumada 私の偏見ともいえる感想に返信をいただき驚いております。ありがとうございます。車田さんの先の解説で~日本人のクセ~とおっしゃていましたが専門ではないのでよく理解しているわけではありませんが何か納得できた思いです。
私は以前から日本人の合唱曲を聴いても何を歌っているかききとれないと感じて現在に至っております。またオペラや宗教音楽を日本語訳して演奏することも希にありますがこらもよけいに分かりづらいと思っておりました。
声楽で世界の舞台で演奏なさっている車田さんを心から応援いたします。またお忙しい中いつも興味深い話題を提供していただき感謝しております。
バックミュージックのハイドンソナタ。懐かしい!
すごい!
自家焙煎してらっしゃるんですか。
ぼくもよく豆を挽いてコーヒーを煎れますが、良い豆は蒸らすとふっくらと膨らんで良い香りが漂って来て
ここからがコーヒーの楽しみだと思ってます。
今日も大変深いお話が聞けてためになりました。
日本人だけの問題でもなくまた西欧だけの問題でもなく、大きくクラシック音楽の問題でもあることが理解出来ました。
とても根深くまた難しい問題ですが、豊かな音楽文化が続いてゆくことを願っています。
最高に素晴らしいお話し、ありがとうございます❤
「文化の外」
感動しました🎉❤🎉❤🎉
面白いですね! よかったです。一人の聴衆として
詩の世界もそういうものがありますね?勉強になりました。
いつも素晴らしいお話ありがとうございます😊♪ 更新が楽しみで楽しみで。コーヒー淹れ方も楽しかったです!うちもハリオ使ってます☕️なんだか嬉しいです^ ^
ハリオいいですよね😊
どの音楽もその土地の文化ありきで生まれてくるので、1番重要だと言っても過言では無いですよね。
一応肉食系男子の自覚があるので、水車小屋や菩提樹のくだりにはムフフ💕ですね😁水車小屋の冒頭のピアノのワクワク感が倍増しました😆
今日も深く素晴らしい内容でした。私は海外生活が日本で過ごした時間より長くなりましたが、それでも体に染みついている価値観は日本人。果物やその加工品をつくっていますが、現地の人により好まれる、つまりより良く売れるものは何か? 考えるとき、どうしてもわからないところがあって難しいです。また理解できるところがあってもなかなか共感できないので行動に結びつきません。異文化理解というのは大変に難しいものだと思います。
おまけコーナーのドリップコーヒーで思い出したのですが、ベートーヴェンは、自分がコーヒーを飲むときに、コーヒー豆の数をいつも決まった数だけ数えて挽いて飲んでいたそうですね。さすがというか、ベートーヴェンらしいですね。あはは。
さて、日本人は、邦楽という音楽が昔からありますね。クラッシックとは、まったく違った雰囲気の音楽ですね。だから、私も
自分が父親の影響でクラッシックを幼い頃から聴いているので、はじめは、なかなか邦楽が受け入れられなかったのですが、大人になって、いろんな民謡を聴いていくうちに、次第に、面白いな、と思うようになりました。だから、これからも、できるだけいろんな音楽に興味を持って聴いて行きたいと思っております。
この動画は極めて重要な問題提起をされていると思います。非常に勉強になります。
日本は経済においてもチャイナやコリアの後塵を拝していっていて、それどころか発展途上国化していっているのですが、それをきちんと認識できている人は少なく、ネットでも日本を持ち上げる動画が大量に溢れかえっていて、ちょっと怖いくらいです。現実をきちんと把握せず、認められなくなると、自画自賛しがちですし、正しい対策も打てないので、それはあらゆる意味で「末期」だからです。 芸術文化の興隆には必ず経済的裏付けが必要とは言いませんが、しかし世界各時代各国の黄金期と言える文化や芸術が栄えた時代には、必ず経済的な繁栄や安定があったように思います。縄文時代しかり。
世界で活躍する日本のクラシック音楽家が減っていっているのも、そういう背景が大きいように思います。経済的に疲弊すると内向きになり、アニマルスピリッツも失われます。海外留学そのものも減っていっています。金銭的な面も大きいです。教育でも貧富の格差が顕著となり、各分野のすそ野はどんどん縮小していって、「階級」ができていっていると感じます。
文化の壁と言えば、キリスト教圏では自殺が忌み嫌われていて、一方日本では切腹や心中などを美しい物語にしてしまうなど、決定的な文化の違いがあるように思います。 死生観や宗教観の根本的な相違というものを、単一民族の島国で育った日本人はなかなか理解しづらいようです。 大陸では人間の最大の脅威は人間であり、紛争によって最も多くの人が亡くなっていて、いっぽう日本では自然災害が最大の脅威ということが、文化の違いを理解する上で極めて重要のようです。 大陸は紛争死史観であり、日本は災害死史観。ここからすべてが始まっていて、ここの部分を理解して歴史や文化に触れると、自国や欧米の建前と本音で見えなくなっている「壁」の部分も見えやすくなると思います。これは学校で教えるべきと思います。
お話の中にもちらっと出てきましたが、労働や仕事に対しても捉え方が違っていて、日本人は生涯現役であることを貴びますが、欧米では早くリタイアして余暇やバカンスを楽しもうとします。キリスト教では、労働は原罪を犯した人間に科せられた「苦役」であるという部分が大きな影響を及ぼしていると思います。 ゆえに苦しいの感じ方や捉え方もまったく異なるのでしょう。 欧米の文化の根っ子には明確に宗教の倫理観や戒律や習慣があり、日本では所謂宗教的なものが完全に習俗になって文化になっていて、その違いが文化の壁問題のハードルを、特に日本人にとっては高いものにしていると思います。 日本は自然災害大国で、住める土地も限られていたゆえに、共感し合わないと生き残れない宿命にあり、察する文化、他者を慮る文化、そして謙譲の文化が発達したようで、一定の共感が無ければぎすぎすして暮らしていけなかったということが独特の世界観を育んだように思います。
考えてみればクラシック音楽は西洋の「伝統」文化であり、それを「極東」の日本人がやるというのは、日本で云えば能楽や歌舞伎を西洋人がやるようなものなのでしょうか。 日本独特の音楽観は、日本人から見れば一つの芸術の在り方と感じてしまいますが、「伝統」というフィルターを通してみれば、違うとなってしまうのは理解できます。 「壁の外に出て行って、それでも残った日本人らしさが、日本人にしかできない本物の表現」とは、しびれる言葉です。 しかしその「日本人らしさ」が、今の日本にどれだけ残っているのか、あるいはそれをきちんと残し継承しようとしていっているのか、それは甚だ疑問に思わざるを得ません。クラシック音楽の本場の欧州ですら欧州らしさを失いつづけているなか、そういうものはしっかり意識して、意図して残していこうとしなければ、本当に消えてなくなると、大変危惧しています。 つまり、失われつつある「文化」を見つけ出しても、それを求めない人々だけだったら、という問題が、より深刻化していっているように思います。ポリコレやキャンセルカルチャーという奴です。過去や歴史の検閲と改竄が平然と行われていて恐怖でしかありません。解釈を変えるなんて生易しいものではなく、たとえば映画や漫画の喫煙シーンがカットされたり、当時の言葉遣いを現代にすり替えてしまったり、カットしたり。当時の文化を消し去っ足り改変しているのです。 クラシック音楽でも、あのオペラのあの歌詞は現代では歌えないとか、変えて歌ったりとか、そういうことはあるのでしょうか?
また、文化の壁問題があっても、それでもあえてその独特の音楽観を認めさせるような情熱や挑戦はあってほしいものと思います。 戦前、欧米の文化の壁の向う側も知っていたと思われる山田耕作(クリスチャンだったことも大きい?)は、ベルリンフィルなども指揮し、NYで自作の管弦楽曲を演奏したりしていて、日本のクラシック音楽史の中で大きな存在と思いますが、車田さんの山田耕作評も聞いてみたいです。 そんな彼が、歌はイタリー語よりも日本語のほうが適していると指摘していたことが非常に興味深かったです。 なぜそういう挑戦をしてほしいと思うかというと、日本が近代化以降ずっと抱え続けている独自の大問題なのですが、日本人自身が日本の自国の「文化の壁」を認識せず理解せず、そのまま逆に欧米の文化の壁を乗り越えようとすると、欧米の文化が日本よりもすべて優れていると思い込み、コンプレックスというものをこじらせてしまい、それで返す刀で日本を傷つけてしまうということがあり、それがこの150年以上続いているからです。 それは冒頭の経済の話にも直結する問題となっています。自国の文化の壁を理解せず、むやみやたらに欧米化、グローバル化して、ダメになりました。
民族国境と宗教国境と言語国境と文化国境が実際の国境とほぼ重なっている日本にいると、自分の国の文化の壁にも気づきにくくなります。日本の文化、言語は孤立していて、近代化以降、国際社会に日本国がデビューして以来、日本はずっと孤独。それがいい点でもあり、難しい点でもあると思います。ゆえに外のものが光り輝いて見えてしまう。 特に一神教文化のパワーは強烈で、当てられた日本人は多いことでしょう。明治以前の昔の日本人はそこを時間をかけてうまく調整し、取り入れてよいものと良くないものをきちんと選別していたように思いますが(自動車も飛行機もITもなかったことが幸いしたのでしょう)、近代化以降、良くないものほどどんどん取り入れていっているように思います。 そんな日本が欧州の伝統文化たるクラシック音楽を真に学ぶのは大変なことでしょう。 そういう意味で、チャイナやコリアは圧倒的な技術を追求するというのは興味深く、実にらしいなと感じます。 いっぽうで欧州自身が自分たちの文化や精神を忘れ始めていっているというのは、本当に悲しいことです。クラシック音楽は西洋の「伝統」文化であり、しかし今の時代、「伝統」への風当たりが厳しいのはどの国も同じようなのですね。
そういう点でも、「伝統」の凄さと重要性を日々痛感せざるを得なくなっています。それは文化の型だからです。とにかく訳が分からなくても、その「型」を徹底すれば、何とかなる。 それが伝統の強さ(もちろん「文化の壁」のジレンマはありますが)。それを演じれば、数百年の時間をタイムスリップすることができる。演芸でも、落語でも、音楽でも、それが演じられた瞬間に、時空を超越した藝術が展開される。 そして作品は古ければ古いほど「新しい」。AIの問題もあり、伝統は、人間は、人類の文化は、その存在の意義の岐路に立たされていると痛感します。クラシック音楽の世界ではAIについてはどのように受け止められているか興味があります。いずれ人間の演奏家が必要なくなるかもしれません。 そうなっていくと、2代3代前の「飢えていた」時代のほうがむしろ幸福だったかもしれません。 今やクラシックに限らず、海外でライブやコンサートをするハードルは下がり、或はネットを通じて発信して見てもらって相互交流をすることが容易となり、文化の壁の向こう側に行けたと錯覚しがちと思います。英語が話せればグローバル人材だと勘違いしているような人たちも多いです。東京五輪の開会式のコンセプトが英語のみとか、本当に愕然とさせられました。五輪において外国語で発信するならば、まずフランス語だろうということもわかっていないのです。そういう人たちが「グローバル」を謳っているんですから、本当に危機的と感じます。
昔の純喫茶では、コーヒーはネルドリップでホーローのドリッパーに大量に抽出して、それを各テーブルに入れて回っていたと聞きます。そして大量に淹れると一味違うようです。 昔の日本ではクラシックにしろジャズにしろ、本場のミュージシャンを呼んで演奏してもらうにはハードルが高かったので、レコードを聴かせる純喫茶も増えたようです。 それがコロナ禍になって、そういう趣味の世界全開の日本発のジャズ喫茶やリスニングバーなどの文化に海外の人が注目し、世界で増えているそうです。 その世界的流行の根本には、スローフードや瞑想などで心をコントロールする「マインドフルネス」の世界的な広がりと連動しているといいます。母国でジャズ喫茶を開いたドイツ人の方はそう指摘し、「ジャズ喫茶はゆっくりと物事をすることを知る場だ」と話しています。 アニメや漫画をはじめとして、日本の文化や価値観も、少しずつではありますが、理解され始めていっているように思います。しかし内需の市場が成長しないことで、浅薄なグローバル感覚で海外の市場に阿った表現が増えてきていて、日本文化の死とデラシネ化が始まっているようにも思います。 また、完全にスマホのデジタル化に依存している人たちは、純文学も映画も最後まで見ることができず、ゲームもやるのも面倒で、音楽もイントロもアウトロもいらない、ギターソロもいらないという始末だそうです。交響曲など聴こうとするはずもなく、聴いても、「サビ」だけをつまみ食いするだけ。読解力も低下し、テストの問題や歌詞の意味がそもそも分からない子供も増加中・・・。そういう問題も深刻化しつつあります。
るる失礼しました。
オペラでも勝手に歌詞を変えてしまう演出家がいますね・・・
私が思っている事が、こちらのコメントに書かれていて本当に嬉しく思いました。
音楽とは離れますが、日本を持ち上げる動画が沢山有りますよね。これは戦後の自虐的な考えが蔓延していた時代が長かったのでその反動も有るのだと考えます。
でも余りに片寄った日本賛美はそろそろ止めないと、その二か国の実力を過小評価してしまうので良くないです。
@@kazuhisakurumada わざわざお答えいただき、ありがとうございます。ふと、川内康範氏と森進一氏の騒動を思い出しました。歌詞を、作品を勝手に変えられることが作家にとってどういうことか、考えさせられるきっかけになりました。はるか昔に亡くなった作曲者、作詞者は抗議すらできないですものね。
車田先生
壁の外に出て尚残る日本人らしさが日本人にしかできない本物の表現!
素晴らしい表現にいつも感動します(*^O^*)
私も本当にそう思います(*^_^*)
アーティステックと言うより
ややアクロバテックでもある圧倒的なテクニックの韓国中国の演奏家についてのご考察にも同感です!
車田先生は
いつも問題提起にとどまらず、最後に未来志向のアドヴァイスもされるので素晴らしいなと思います。
以前、論文を先輩に見せたら「問題提起で終わったら、ただの愚痴よ!」と言われました(爆)
日本で従来信じられている曲の解釈なども、実は全然違うというのを
友人が師事していた故アンリオ・シュバイツアー先生が
ラヴェルから直接レッスンで聞いたというエピソードで教えてくれました♬
随分前に大先生が最初におっしゃった事が未だにまかり通っているみたいです。
日本同様、ヨーロッパの人達も、自国の文化を忘れつつあるのですね。。。
毎回、ご投稿が楽しみです(^_^)/
現役高校教師ピアニストマユミージュことMayumi
今日のお話し、最高! !勉強NIなりました。(^人^)
日本人より韓国や中国の人がヨーロッパで活躍してしてるというお話は興味深かったです。クラシックという音楽文化そのものが現代社会ではその熟成基盤が崩れつつあるのを感じます。
興味深いお話ありがとうございます。自分にはとても興味深いテーマでした。自分は外国で医者になるためにアメリカに来て四半世紀過ぎました。当時、外国で医者になるなんて頭のおかしいのは自分くらいで入学した医学部は初めての日本人だったと思います。日本人の1人もいないところで働いていたこともあります。他文化を知るためには、自分に対する理解が必要になると思います。若い方には言葉の通じない国に最低でも1ヶ月住まれることをお勧めします。今まで見えなかった自分が見えてくると思います。
奥深い話で、感謝の限りです。ジェシーノーマンさんが唱歌『浜辺の歌』を歌う時に日本の文化から学ぶとおっしゃっていましたが、車田さんのお話でしっかり理解できました。
あまりにも深い内容に3回リピートしました。
これはクラシックだけでなく芸術の他のジャンルや、社会生活全般にも通じる重要性な視点です。
違いを知ることは先ず自分を知ることですね。自分を知らなければ違いが分かりません。でも、違いが分かって自分を知ることもあります。
そんな取り組みでしか、共感というより平和と言うものは実現できないでしょう。 です。
最近、ロシアの大作曲家達を指して「たまたまロシアに生まれただけ〜」と言う日本人がいて、ずっとモヤモヤしてました
音楽はその国の文化から生まれるってのに・・・・
あと、最近、ストリートピアノとかで街頭で演奏して注目を集めようとする日本人がちらほら・・・
なんか違うなあって思ってます
少なくとも言語と教会に踏み込まないとダメですね
菩提樹の歌詞「慕いゆきては、うまし夢見つ」の意味が分かりました。
私にとってはあまりにも深すぎるお話でした。
音楽を只聴くだけの私ですが・・・ありがとうございます。
今回の文化に就いて: 長年小生が感じて居た日本人演奏家への違和感は、正に貴殿の仰る通りだったと思います。
80年代、CD-簡易携帯装置が普及した頃、Goldberg BWV-988 を13枚程入手した。併し、大半は心に沁み込んで
来なかった故、其の内の数人の演奏家しか聞かなくなった。亦、特に Classical-music をBGM として聴くのを好まない。
中学校の音楽の時間に、車田さんのお話を子供たちに聴かせてあげたい。
授業中にUA-cam 見せる先生がいるかも……いて欲しい。 (((๑>◡
ありがとうございます!
ありがとうございます😊😊
以前コーヒーは飲んでるように見えない(カップに何も入っていないように見える)とコメントしましたが、コーヒーをドリップするところからやっていただけるとは…
ありがとうございます。(^-^;)
私もハリオの円錐ドリッパーで、プラスチックの透明のやつを使っています。
以前はキーコーヒーのPUSH PRESSO(押すプレッソ)というドリッパーを使っていましたが、こういう変わり種も美味しい/面白いですよ。
ベームですか…ワーグナーのニーベルングの指環の演奏は私的にはリファレンスですけどモーツァルトは…ん〜。
歌曲を歌うのにグリム兄弟時代の辞書を使うんですか…そこまで拘って徹底してるんですね。確かに車田さんのされていることは芸術ですね…。
壁の外に出て行ってそれでも残る日本人らしさが日本人にしかできない本物の表現…恐れ入りました!
私と同じだ!うれしいな!ドリッパーとサーバーがね(笑)
素人ながらずっとチェンバロでバッハの曲を練習しているのですが、お話を聞いて、多くの名演奏をいくら参考にしても自分が何に迷い困っているのか分かりました。バッハの時代の文化背景はどうやったら感じる事ができるのか、知りたいです。ドイツに旅行したこともありますがまた行きたい。
全く同感です…自己満足の文化意識…音楽のみならず他の面において今の日本は文化的意識が自国主義に偏りすぎてきているのを感じます…昨年若い韓国のピアニストのインタビューを聴いたときに音楽の解釈において最も大切にしていること…”その曲や作曲家の想いを表現するのに必要な音楽的解釈とは当時の歴史的背景を知るばかりではなくその国の文化を深く理解し共感するための努力と姿勢が土台とならなければならずこれが表現において大変重要だと考えている…曲を演奏する度に果たして自分の十本の指が作者の意図を上手く表現できているのかという緊張感と思いをこめて演奏している…資料は原書で読むように努めています…自分の音楽家という仕事を通して社会にも貢献できる人になりたいです…”と言っていた言葉が印象的でした…実際このピアニストは昨年、子供患者のためのチャリティーコンサートを行い今年の年末も予定しているそうです…また別の若いピアニストはレコーディングに当たってのインタビューでこのようにも言っています”曲の背景を知るのに重要なこととして当時の出版物や文学作品、同時代の芸術家の活動や社会に及ぼした影響などの知識を得ることは重要なことで、指導してくださる先生が推薦図書リストを作成してくださっています…僕はそれを暗記するほど何度も読みました…以前は自分の愛する音楽がきれいな音さえ出せれば満足だったが最近社会問題にも目を向けるようになってから自分の音楽が深まってきたように感じます…と…"音楽家は国家と同様に謙虚でなければならないんだと改めて感動しました…。
お話を聞いて直ちに Jean-Jacques Grunenwald が演奏した Nicolas de Grigny の Premier livre d’orgue を思い出しました。
宗教心皆無の私にも、これは一音一音が本物だと言う事がひしひしと伝わるような古色愴然とした演奏で、 Grigny の迷宮的音楽性があますところなく表現されていました。他にも色々な演奏を聞いたのですが、ここまでの世界観を持つ人は一人も見つからなかったです。
その文化圏にいない人間に感じ取れるというのはやはり相当なものですよね……。宝物がある程度普遍的なものならともかく、こういう特殊なものを見つけるにはもはや天性のものも必要な気がします……。
(バッハは彼の装飾記号を音符に分解して写譜までしたのに、音楽性が特殊すぎるのかバッハ案件でもスルーされる事川の水のごとしですね……)
何か妙にニッチな例ですみません……。
Amazonで誰かがレビューを書いていて、おお、同志がいたと思ったら自分の書いたレビューでした^^;;;;
先生のお話を聞きながら、日本が世界で生き残っていくためにどうすれば良いのか考えてしまいました。長い経済的低迷のなかで日本人のなかに内向きな考え方が着実に広がっています。彼らは欧米に追従するのはもうゴリゴリだ、貧しくなっても日本は日本人だけでうまくやっていけばいいと言います。しかしそれで日本は本当に世界で生き残れるのでしょうか。とても不安です。
とりあえず語学力つけることからですから日本人はハンデあります🎵
それから先立つものもある程度😅ツライ道のり😁頑張って下さい音楽家たち
メリタが一つ穴の特許をもっていたので、日本のハリオは3つ穴になりました。
音楽の話ではないのですが、料理の世界はどうなんですかね?
日本人は味覚や盛り付けの技術は世界最高峰のレベル。
第一世代の料理人はフランスやイタリアで修行。日本に戻ってきてその技術を広める。第二世代の料理人はフランスなどでミシュランの星付きレストランのシェフになる人も増えている。
日本国内のイタリア料理のレベルは本場を超えているような気もします。(食材に制約がありますし、食材の値段が高いのでふんだんに使えないのが残念ですが・・・)
日本にいてイタリアに行ったことのないシェフも美味しい料理を作ります。
これは私やお客様が日本人なのでそう感じるだけなのかもしれません。本場のイタリア人から見ると『何だこれは??』ということなのかもしれませんが、実際にお金を払う人にとってお金を払う価値があるということは重要です。
クラッシックのマーケット即ち聴衆が欧米中心でその人達がお金を落とす。その人達好みの演奏家が賞賛されるという面はありませんか?
ワインの世界ではアメリカが大きなマーケットので、アメリカ人好みのワインが高く評価されるという面もあります。
もちろんフランスの伝統的なワインが本流だと思う人も少なくありません。。
日本の狭い世界でしか通用しない音楽。。
これは日本という音楽マーケットが小さすぎるので、『世界には通用しないという』という面はないのでしょうか?
ショパンコンクールでの小林愛美さんのピアノの繊細なタッチには和の趣を感じました。
ヨーロッパ人好みの演奏ではなかったので優勝出来なかったけど、それはそれで悪くないのではないかと思いました。
音楽の場合は、作曲家の書いた古いレシピ通りに演奏しなければいけませんからね・・。勝手に変えると、それは編曲という扱いになってしまいます。
是非、指揮者、クレンペラーの解説も、お願いします!
日本語にしろドイツ語やイタリア語のような言葉って古典があって現代の日本語やドイツ語やイタリア語がある。同じ意味の表現でも30年ぐらい前と現在とではかなり違うというのはよく聞きますよ。たとえば、義なる者って言われてもそれどういう意味?ってなる。2、30年ぐらい前はこういう表現も使われていましたが、今ではそういう表現はまるで古語の世界のように見えてしまう。まして、クラシックはだいたい100年から300年ぐらい前に完成して初演されてる。当時の言葉と慣用的な使われ方やその意味理解してなきゃこの動画で言われてる文化の壁を越えた先にあるものは理解するのは難しいんでしょうね。自分が学生だった頃には日本語に翻訳されたものであったとはいえ、ヨーロッパの小説や伝記を読んでた。でも、現書を読んで理解することにはかなわない、そういうのも文化の壁なんでしょうか?
日本いると、ヨーロッパの文化に接する事は、少ないですね。
音楽に関しても、流行りの音楽は聴きますが、なかなか伝統と歴史のある音楽は、聴くことは少ないのです。
しかし、伝統と歴史、そしてその文化に、接する事ができる所がありますね。
それは、讃美歌ではないでしょうか!伝統と歴史から生まれ、その文化を日常として、聴き体験することができるからです。
日曜日、教会の近くにいると、讃美歌が聴こえてきます。
時には、その音楽に耳をすましてみるのも、壁の向こうを知る一つの要因になるかもしれませんね。
逆の視点で見れば、外国人が日本で民謡を習いたいとします。
外国人から見れば、日本に行けば簡単に習えると思うでしょうね。
しかし、民謡と言う文化は、未だにその文化が残っている地域
例えば東北地方などへ住んでみて、始めてその文化にふれる事が
出来る事と同じだと思います。
12:15〜 "苦しい"についての補足
美術教育でもそうですが、技術的なことは教えても文化的な面はあんまりですね
オリエンタル ロックは、日本人に偏見ありますね。ドイツの菩提樹の木は良いですね。お釈迦様が悟りを開いた場は、菩提樹の木。
1980年代半ばにフランスに一年滞在していたが、半年くらいした時に確かベルギーの街中で突然「これがクラシック音楽を産んだ世界だ。」と霊感に打たれた事がある。クラシックと建築はキリスト教の振動に同期しているのだ。しかしヨーロッパのその文化的気候はもう失われてしまった。
実は音楽に限らず芸術の理解と言う人の心に起きた事象は、測定する術がない。オペラはプロデューサーにより舞台が全く違う、作曲家は楽譜しか残していないからだ。誰もバッハの心を辿ることは出来ず、作品の受容は時代により人により変わる。芸術の方が人を試しているのかも知れない。
欧米文化の土台には、キリスト教文化「新旧2つの聖書」の文化がある。これに、地域の土着文化と歴史が融合し、地域ごとの違いがある。
日本人は「日本の文化」について無自覚な人が多い。日本の文化の中に自分がいると自覚しないと、他国の文化、しかも過去の文化を、自分勝手な解釈になる。
日本人には「神道」に「仏教」が融合した「神仏習合」文化が、深く根ずいている。深すぎて無意識下にあるから、なぜか『無宗教』と間違った自覚をする。
その間違いに気が付かないと、欧米の『キリスト教・聖書』の文化や、それ以外の他国の文化を間違って解釈する。
その間違った解釈の典型が「話せばわかる」「お互いさま」という間違った思い込みです。
ドイツの主婦は力任せにガシガシ家じゅうみがきますね
特にバッハやヘンデル等の宗教音楽なんかは、キリスト教文化のバックボーンがほとんど無い日本人にとっては、本当に腹の底から感動できるかどうかは疑問ですね。
聴いて感動するかどうかは、個人の感受性によるところが大きいですから、日本人でも可能だと思います。感動を与えるとなると文化を知らないと難しいかもしれません。
わたしはピアノをよく聴くんですが、こと、ピアニストに関してはわが国は大したものだ、と思っています。辻井伸行氏とか、藤田真央さんなどですね。たしかにユジャ・ワンさんとかは、メチャクチャ上手いんですが、あれじゃ上海雑技団。内田光子さんなど以来、モーツァルトを見事に弾けるピアニストがわが国にも出てきたことは、西洋音楽への理解がすごく進んだからだ、と思います。それに比べるとたしかに声楽は難しい。とにかくわたしたちは語学が苦手。印欧語族に出合うと、脳みそが裏返ったような感じがしますもの。