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小学校の頃、地方のピアノコンクールで物凄い顔芸の人が優勝しました。私達家族は審査結果に納得いかないだけでなく、その顔芸があまりにも可笑しくてコンクールのビデオを振り返るたびに笑っていました。ところがある日、奥で編み物をしていた姉(今までは一緒に笑ってた)が「画面見ずに聴いたらこの人だけ音楽が全然違うよ」という感想を言ってびっくりしました。そして改めて聴きなおしたところ、なんとも表情豊かで、そして誰よりもなめらかで美しいレガートだったことに気付かされました。音楽に真剣に取り組んでいるつもりなのに、視覚的情報というあまりにもつまらない要素のせいで素晴らしい音楽に気付けなかった自分をひどく恥ずかしいと思いました。
「顔芸の代名詞」のような某超有名アジア人ピアニストの公演を初めてサントリーホールで観た時、私は逆に違和感を全く感じず純粋に音楽に感動しました。車田さんの仰るとおり近年はメディアの発達で演奏者の顔のアップが世界中に配信されるようになり「なんでこの場面でこの顔!?」とツッコミたくなって音楽に集中できないことも多いですが、私の場合それは映像の世界だけ。実際にコンサートに行けば顔だけを注視することはあまりなくて(そもそもピアニストなんか横向いてますし)、ホールの音響のなかで音を聴くことに自然と集中できるのは演奏者が誰であっても変わらないですね。
私も車田先生やホロヴィッツ先生のご意見に同感です。顔芸と言うとやっぱりまず思い浮かぶのはピアノなのですが、大きなコンクールで上位入賞した有名なピアニストの顔の表現がどうにも違和感だらけで、正直見ているこちらが恥ずかしくていたたまれない気分になってしまいます。もちろんその方だけではなく過剰な表現の日本人ピアニストがたくさんいます。アジア人特に東アジア人は顔の表現を抑えめにしたほうがかえって伝わるように思います。
終始無表情のアルゲリッチがたまにニヤッとする瞬間が好き
要は、自然に見える(見せる)ことが大切なんですね。
ためになるお話し ありがとうございました 次のお話しも楽しみ待ってます
車田先生、今回も有意義なお話をありがとうございました。👏🏻わたしは、カルロス・クライバーさんがニューイヤーコンサートで、楽しそうに指揮されていたことが懐かしいです。🎵クライバー さんは曲芸をしているかのようなタクトに、音の強弱や雰囲気を目力(めぢから)で表現されているように思いました。🌈わたしは無表情よりも、目力くらいで、演奏者の思いを自然な感じで伝えることに共感を覚えます。🌸
聴衆側としては『耳』と『心』を澄ますことが大切ですね😊私は、スマホでの鑑賞が殆んどなのですが、画面を伏せて聴くと演奏の印象がガラリと変わることが時々あります。それだけ、自分は視覚情報に支配されているのだなあ、と感じました。やはり、本物の音楽は『音』、そして、それに込められた『心』と『感情』ですよね。聴く側にとっても、演奏を鑑賞する上での心構えを考えさせられました。ありがとうございます😊
こんにちは!正直なところ、顔芸に違和感を感じつつも知識がなかったので、そういったものなんだろうと昔は思っていました。顔芸とは少し違いますが、習っているピアノの先生から、身体を揺らして弾かないように指摘されて癖を直すのに苦労したんですが、その時ホロヴィッツを手本にしたことを思い出しました。徐々に改善してきた今にして思うのは、音をより前よりもよく聴き、丁寧に扱う感覚が研ぎ澄まされたように思います。なので、すごくお話には共感するものがありました。とても貴重なお話をありがとうございました!
顔芸という言葉は初めて聞きました。器楽ならピアノやチェロは顔芸はしやすいでしょうが、管楽器は難しいでしょうね。特に金管楽器は顔が赤くなりやすいですが、顔の表情は目ぐらいしか自由がきかないと思います。
内容は深いですね。そして関連する人に対して優しい言動ですね。本当に一流の解釈だと思います。国際関連の解釈も極めて適切だと感じました
私は欧州のカトリック教会でオルガニストをしています。オルガンの設置場所にもよりますが、オルガニストには「顔芸」は殆どありません。でも聴衆が見えないと言うのは、実は非常に孤独でありながら自由に演奏が出来ると言う利点があるのではないかと思います。主人はバイオリニストですが、あまり顔芸が過ぎるとそちらばかり気になって耳がきちんと曲を聴いてない時が有ると…(特に演奏者が美人だったりすると…)
80年代ウイーンで声楽を学びましたが、何を歌っても無表情にレストランのメニューを読んでるのか?と先生に怒られて、一生懸命に顔芸に励みましたよ😅ドイツ在住で40数年経た今もなおわざとらしい顔芸で歌ってます。
昔、韓国の映画を見ていて、演技がオーバーだなぁと思っていましたが、韓国で海難事故があった時、遺族の方が悲しんでいる様子をテレビで見た時、あの映画で見た演技は韓国の方にとって自然な事なのだと思い至りました。民族性ですね。
表現から自然な顔の表情が生まれるなら良いと思いますが、顔の表情を作る事で表現に結び付けようとするのは違う気がしています。演奏の際の派手な身振りも顔芸同様気になってしまう事があります。
音、演奏のみで判断するので顔の表情はどうでもよろしい。演奏家のみなさん表情なんて好きな様にして構いませんです。
同じ曲をレコードで聴く時、ホロヴィッツではなくギレリスを聴いたりします。結局のところ聞き手としては、演奏も奏者の顔(芸)も好みではないかと思います。
気になっていました〜!私の好きなピアニストさんは顔芸?も最小限で身体の動きもかなり少ないです。演奏の音の好みから入りましたが、この演奏姿も良いなと。でも改めて他の日本人のピアニストさんの映像見るとほとんどが動きすぎ顔芸多すぎで驚きました💦
表面を作ってるのは無理があるし、違和感を感じますよね。これって、表情だけじゃなくて「技術」も同様だと思います。技術で表現しようとしてる人は無理があるし、いずれバレたりもする。心から表現したいものを持ってて、表現してるってのが最強なんじゃないでしょうか?
演奏家のにじみ出る自然な表現を感じたくて演奏会にいきます。どうしても視覚的にとらえてしまいますので違和感がある演奏家に感情移入ができないのが正直なところです。車田さんのお話に共感しました。
日本には、積極的に「顔芸」をさせる合唱指導者が多いと感じる。もちろん彼らは本気でそれが良いと信じている。自分もそう指導されたから。
中学生の頃、合唱コンクールにて、私の学校は参加賞レベル、毎年金賞・銀賞を取っているような学校の練習風景でその指導を見たことが有ります。当時は「歌だけでなく、そういう所までも揃えるから凄いのかぁ~真似出来ないやぁ~💦」と、その練習熱に圧倒されていた想い出が有ります。
ちょうど昨日NHKで全国の学生合唱コンクールをやっていましたが、ちょっといきすぎていて音楽に集中できなかったです😅
そういうのって「アジア人は顔が地味だから表情豊かにしなさい!」と先生から指導されたりするのでしょうか。小中学校時代の合唱部も一部のピアニストも「顔芸」が極端な人、実はちょっと苦手です😅
ポップス系のボーカルレッスンだと、口腔内容積を増やすために目を見張れと教えている場合がありますね。
自分はピアノですがホロヴィッツの言葉にとても賛同します。オペラは不勉強ですが、車田先生の過去の動画で、怒りの表現をされましたが、本当に怖かったです。
有難うございました!ピアノの先生から「表現はピアノ演奏で」と言われたのを思い出しました。
余裕が無ければいわゆる顔芸は出来ないはずですよね。おそらくそれはもう自分の音楽として掴んでいる証なのではと思います。それだけ余裕があるのだろうと思います。私はまだまだ余裕が無いので逆にあそこまで感情移入が出来て、素晴らしいなと思います。きっと目を閉じて聴いたら、やっぱり音も素晴らしいと思うはずです。そう思いたい🩵🎹✨✨日本のピアニストさん、頑張って下さいね〜👍✨✨✨
指揮者やソリストの顔はよく見てますが、今まで違和感を感じた事は無く、その人の個性によって大袈裟な人や控えめな人が居るんだなと思っていました。コンサートマスターもよく見てますが、仕事してる顔もなかなかいいです。
なるほど顔芸、、、こちらの感情が高まる前に、オーバーな表情を先にされてしまうとついて行けないような、ちょっとしらけた気分になりますね〜普通の会話にも通じるようで、なかなか難しいです。テーブルのお花は、もしかしてアートフラワーかしら?と思いながら楽しんでいます。
学生の合唱コンクールなんかは集団顔芸と言うこともできますね。顔芸とは違いますが、蝶々夫人のボンゾ(おそらく坊主)がミニチュアの鳥居を手に持っているのを見た時は度肝を抜かれましたね。
言いにくいことをよくぞ取り上げてくださいました!日本の舞台では表情や身振りが邪魔に感じる経験が多くありました。特に合唱の方々。第九のような棒立ちでも表情がくどいのです。海外の舞台でも東洋人の歌手は活躍していますが、それはそこまでではありません。(某ロジーナ役の方が少し演技がくどかったくらい。)教育の時点で何かが違うのでしょうか?
顔芸という言葉がこういうふうに使われることは知らなかったですが、某有名アジア人ピアニストの演奏を見るたびに「すごい顔するもんだなあ」と思ってました。この人は自然とそういう表情になるんだろうと素直に思ってた…。昔自分が楽器を演奏しているところがたまたま友達ビデオカメラに収められたのを見たところ、ベームばりの仏頂面でした…演奏の方は遠く及ばずですが。しかし音楽で顔芸と聞いて一番に思い出すのは、クラシックではなく演歌…某大御所男性歌手、悲しい曲調でもいつもにこやかな笑顔… 笑顔が顔に刻まれた人格者?葬式ではどんな顔するのかしら。
レーザーディスクの時代にクライバー/コンセルトヘボウの有名なベートーヴェンのライブと最初のニューイヤーコンサートをゲットした時は流石に水も滴る好い男感全開で中てられた記憶がある(笑
なるほどですね。これは、オペラにおいては、重要な要素ですね。私は、あまり、顔芸は、気にしない方ですが、大げさな表情をして、演奏されるのを観ると、何もそんなにしてまで、演奏しなくてもいいのになぁと思うことがあります。確かに、盛り上がるところや、ドラマチックなところは、それなりの表情はある方が、その場面の雰囲気が伝わってきていいとは思いますが。歌手の方だと、その歌手の方の、力量、性格も影響しますから、オペラの役柄に合っている性格の歌手だと、素晴らしい演奏になるのではないかと思いますが。このことでは、フィッシャーディースカウさんは、素晴らしい方だなぁと思います。お菓子、美味しそうですね。
ピアノ演奏でも、故意性や純粋性、自己満悦的かナチュラルか、は自ずと伝わって来ますね🍀
よくぞ言われました。全てが同感です。特に日本のピアニストにおいては。それも、これからと言う若手、そして国際競争ができるほどの優秀なる演奏家も入れて。見ていて恥ずかしくなり、身の毛がよだつ程です。そう、私も『ホロヴィッツの演奏ぶりを見よ』といつも心で言っていました。ヴァルター・クリーン、アルゲリッチ、ソコロフ、そして若手のエレーヌ・グリモーなど、ただ音楽だけを無表情で「淡々」と表す。日本の(特に大学級の)ピアノ教師にも問題があるのでしょうか。顔をギュウギュウ伸ばしたり縮めたり、何となくニヤニヤした感じで弾いたり、そして終わりには片手、両手を必要なく上げる、などなど。貴方の動画を見て習う芸術家が出てくれば嬉しいことですね。
顔を用いた演奏表現についての視点、大変興味深く拝見いたしました。同時に、顔を除いた他の身体部位での表現についてはどうなんだろう、と疑問がわきました。演奏者にはほとんど動きのない人もいればパフォーマンスとしての動作をする人もいるかと思います。曲のジャンルや集団かソロかなどでも違いが出てくるのかと思いますが、プロの音楽業界ではどのような意見があるのでしょう?
白目で弾いているバイオリニストがいて、わざとではないのかも知れないけど怖かった😅
私には、幼なじみのバイオリニストがいて、若い頃、少しうつむき加減で一生懸命に弾く姿が、私は大好きでした。今、そんなスタイルで演奏する若手のバイオリニストをよく聴いています。いわゆる「ドヤ顔」が苦手なだけかも知れませんが、総じてピアニストより、バイオリニストの表情の方が好きです。数年前「ギル・シャハムって、表情見ているとカッコ良いね」と、彼女に言ったら、「私も!」と、共感してくれました。
指揮者の顔芸はどう思いますか?
バーンスタインの顔指揮はどうなるんでしょかw
クラシックのお話で、まさか「泣き女」の事が出てくるとは(笑)!また演奏家の「顔芸」批判も初めて知りました。私も楽器演奏を楽しんでますが、どうしても目をつむって演奏してしまいます。外から見たら変なのかも…車田先生の視野の広さと深さに感服してしまいました。
蝶々夫人の話、カラヤンのデッカ版CDを思い出して吹きました。ジャケットの画が「十二単」・・・
ワシは車田さんの母校と同じでピアノ科でした。入試当日は緊張で手足が震えながらバッハショパンベートーベンを弾きました。顔芸余裕なし。ただ、入学後あらゆるリサイタルにいきましたが、超有名ピアニストの顔芸プラス口パクパクも有名で、とにかく口をパクパクしながら弾くのです。眉間にシワもあります。
私も気をつけます。歌は歌詞があるからどうしても過剰な表現がしたくなったり、鼻が低いから鼻のあたり(マスケラ)を広げようとして、すごい顔になったりします💦ヴァイオリニストもやたらと辛そうな顔やエクスタシーを感じているような顔で演奏する人を見ると恥ずかしくなります。
私は顔芸が特技ですが、気づいたらそんな顔をしていたというパターンです。
私としては全然気にならないですね、この人はこう言う表情した方が音の表現が思うように出来るのだと考えれば問題ないです。顔芸の人も、何かしゃべる様に演奏されるピアニストも、演奏さえ素晴らしければ、それが格好良く見えるものではないでしょうか。
子供の頃テレビで見た「マダム・バタフライ」の否定的な気持ちを思い出しました。日本人としての美意識で見ていたので〜これは間違ってる・•と思い続けてましたが、頑なな思いは改めねばならないですね。「顔芸」••最近は演奏家の映像を見ることが容易になりました。それだけに「そんな」演奏を視聴すると音楽より演奏家の表情が「じゃま」をしてしまうような気がしてならないくらいことがありました。私の場合は日本人ピアニストですけれど・・東洋人の声楽の場合は〜表情豊かに〜なんていわれると顔にまで出さなければと思ってしまうのかななんて思ってしまいました。指揮者では「帝王カラヤン」は自身でもかなり意識していたと思いますね。当時(LDで)見た頃はあれはあれでカッコもいいなと思ってました。もうかなり昔の思い出ですが・・
否定的なコメント多いですけど自由な表現ということを考えるならば、守るならば、自由にやればいいと思います。ミュージカル観劇に持っていくオペラグラスをクラシックコンサートに持っていく人はあまりいないですよね。派手な露出の多いドレス着て演奏するから嫌いとか、それって音楽と関係あるんでしょうか
そうです、そうです😊大切なのは『音』と、それに込められた感情ですよね‼︎
最近、動画を撮っていて、自分の顔の表情が忙しい事に気がつきました。自分で驚きました。。。顔芸をしているつもりはないのですが。。。UA-camなどで、最近、ピアニストの顔の表情が残念だとは思っていたので。。。せめてその表情が美しくあって欲しいと思うのですが。。。
テレビで持て囃されるには顔芸が手っ取り早いと思います。超有名なアジア人ピアニストは顔芸しまくってるでしょうね。
以前、東京国際フォーラムにて映画音楽で著名なエンニオ・モリコーネさん指揮で演奏会が有り拝聴しましたが、その指揮は無機質と言って良い程、淡々として、おそらく無表情で一言も発せず終えました。指揮者も色々ですね。自分は指揮者の表情、振る舞いがどの樣なものであっても、聴いて仕合せで有ればどの樣なものでも構いません、気にも成りません。イッヌのクシャミもスーパーに有る半透明のビニール袋を丸めた樣な音、しっかり聴かせて頂きました😊🐶
ワンちゃんのくしゃみ、入ってますねえ。
自分はオケのトロンボーン奏者ですが、音程とるために眉毛上げ下げしてますね
ロックではギタリストが特に顔芸をやりGuitar Faceと呼ばれます。Lovebitesという日本の女性バンドのHoly Warという曲のライブがよく海外リアクションされるのですが、右のギターのミヤコはすまし顔で弾いています。それで外国人は、彼女は仕事で演奏してるだけのようだとか、やる気がなさそうとコメントしています。実際はバンドの曲の7割を書いてる中核なのですが。ミヤコはもともとクラシックピアニストを目指しており、それで感情をあまり出さない演奏になっているのかもしれません。
演奏家の表情が気になったら、ぼくはもう見ないようにします・・ そういうときが「顔芸」になってしまっているのかな 音楽そのものの価値が生かされず無駄になりそうで惜しい
顔芸がいらんのは多分クラシック系だけやね……。未熟なアマチュアの演奏は置いといて、プロの演奏ではジャズ系もロック系も顔芸その他もろもろがないのは有り得ない。
顔芸かぁ。演奏を聞かずについつい顔を見ちゃうよねー。表現者としては有りなんだろうけど、演奏家としてはなぁ。全体的にパフォーマンスとして楽しめればOKかな。
顔芸のない、あの日本人ピアニスト、最高ですネ
オペラ歌手はずいぶん違うでしょうが、バイオリニストやピアニストは自己陶酔を必死に顔芸で出そうとしているように見えますね。
わざとでなければ、いいと思います。
ホロヴィッツ先生のご意見に激しく同意します。改めて、顔芸禁止を日本国内で徹底して教育していただきたいものです。
ホロヴィッツの演奏は指だけで素晴らしい音楽を感じる。ホロヴィッツ自身も表現は心の中にあり、外側に出るものでは無い、外側出るものは指だけだと。ワイセンベルクも言っていた。ベートーヴェンのソナタ悲愴が悲愴に聴こえるのと悲愴に見えるのは違う。演奏家は芝居の役者では無いと。私も賛成です。泣きそうな、厳かな顔をしたり、身体をオーバーに揺さぶったり、腕を派手に上げたりするのは好きじゃない!ホロヴィッツの言う通り、心のなかに芸術がある。
難しい顔をして、フェルマータでもないのに、無用に音を引っ張るピアニストがいますねぇ。内容にもよりますが、そういう演奏では時々故意に咳払いをしたくなります。もちろん客席では慎みますが…
本当に顔芸が必要だったら楽譜に書いてあるんじゃないかね? 楽譜に書いてないんだったらその顔芸はノイズだわな
日本人のセミプロの顔芸は見ていて不快感を覚えます。自己陶酔でしかないと思います。歌舞伎と勘違いしているのではないかしら❓ビデオで自分の顔芸をじっくりと見直してみるといいでしょう。ルッキズムの差別と言われそうですが、目を閉じて聴く演奏者も沢山います。ホロヴィッツのリサイタルは聴きましたが、曲の最後にチラッと聴衆の方に顔を見せて、どうだい❓とニコッとするだけなのですが、これこそが正に彼自信が言うところの「音楽は内部にある」という事だなと感じました。
小学校の頃、地方のピアノコンクールで物凄い顔芸の人が優勝しました。私達家族は審査結果に納得いかないだけでなく、その顔芸があまりにも可笑しくてコンクールのビデオを振り返るたびに笑っていました。ところがある日、奥で編み物をしていた姉(今までは一緒に笑ってた)が「画面見ずに聴いたらこの人だけ音楽が全然違うよ」という感想を言ってびっくりしました。そして改めて聴きなおしたところ、なんとも表情豊かで、そして誰よりもなめらかで美しいレガートだったことに気付かされました。音楽に真剣に取り組んでいるつもりなのに、視覚的情報というあまりにもつまらない要素のせいで素晴らしい音楽に気付けなかった自分をひどく恥ずかしいと思いました。
「顔芸の代名詞」のような某超有名アジア人ピアニストの公演を初めてサントリーホールで観た時、私は逆に違和感を全く感じず純粋に音楽に感動しました。車田さんの仰るとおり近年はメディアの発達で演奏者の顔のアップが世界中に配信されるようになり「なんでこの場面でこの顔!?」とツッコミたくなって音楽に集中できないことも多いですが、私の場合それは映像の世界だけ。実際にコンサートに行けば顔だけを注視することはあまりなくて(そもそもピアニストなんか横向いてますし)、ホールの音響のなかで音を聴くことに自然と集中できるのは演奏者が誰であっても変わらないですね。
私も車田先生やホロヴィッツ先生のご意見に同感です。顔芸と言うとやっぱりまず思い浮かぶのはピアノなのですが、大きなコンクールで上位入賞した有名なピアニストの顔の表現がどうにも違和感だらけで、正直見ているこちらが恥ずかしくていたたまれない気分になってしまいます。もちろんその方だけではなく過剰な表現の日本人ピアニストがたくさんいます。アジア人特に東アジア人は顔の表現を抑えめにしたほうがかえって伝わるように思います。
終始無表情のアルゲリッチがたまにニヤッとする瞬間が好き
要は、自然に見える(見せる)ことが大切なんですね。
ためになるお話し ありがとうございました 次のお話しも楽しみ待ってます
車田先生、今回も有意義なお話をありがとうございました。👏🏻
わたしは、カルロス・クライバーさんがニューイヤーコンサートで、楽しそうに指揮されていたことが懐かしいです。🎵
クライバー さんは曲芸をしているかのようなタクトに、音の強弱や雰囲気を目力(めぢから)で表現されているように思いました。🌈
わたしは無表情よりも、目力くらいで、演奏者の思いを自然な感じで伝えることに共感を覚えます。🌸
聴衆側としては『耳』と『心』を澄ますことが大切ですね😊
私は、スマホでの鑑賞が殆んどなのですが、画面を伏せて聴くと演奏の印象がガラリと変わることが時々あります。それだけ、自分は視覚情報に支配されているのだなあ、と感じました。
やはり、本物の音楽は『音』、そして、それに込められた『心』と『感情』ですよね。
聴く側にとっても、演奏を鑑賞する上での心構えを考えさせられました。ありがとうございます😊
こんにちは!正直なところ、顔芸に違和感を感じつつも知識がなかったので、そういったものなんだろうと昔は思っていました。顔芸とは少し違いますが、習っているピアノの先生から、身体を揺らして弾かないように指摘されて癖を直すのに苦労したんですが、その時ホロヴィッツを手本にしたことを思い出しました。徐々に改善してきた今にして思うのは、音をより前よりもよく聴き、丁寧に扱う感覚が研ぎ澄まされたように思います。なので、すごくお話には共感するものがありました。とても貴重なお話をありがとうございました!
顔芸という言葉は初めて聞きました。器楽ならピアノやチェロは顔芸はしやすいでしょうが、管楽器は難しいでしょうね。特に金管楽器は顔が赤くなりやすいですが、顔の表情は目ぐらいしか自由がきかないと思います。
内容は深いですね。
そして関連する人に対して優しい言動ですね。
本当に一流の解釈だと思います。
国際関連の解釈も極めて適切だと感じました
私は欧州のカトリック教会でオルガニストをしています。オルガンの設置場所にもよりますが、オルガニストには「顔芸」は殆どありません。でも聴衆が見えないと言うのは、実は非常に孤独でありながら自由に演奏が出来ると言う利点があるのではないかと思います。
主人はバイオリニストですが、あまり顔芸が過ぎるとそちらばかり気になって耳がきちんと曲を聴いてない時が有ると…(特に演奏者が美人だったりすると…)
80年代ウイーンで声楽を学びましたが、何を歌っても無表情にレストランのメニューを読んでるのか?と先生に怒られて、一生懸命に顔芸に励みましたよ😅ドイツ在住で40数年経た今もなおわざとらしい顔芸で歌ってます。
昔、韓国の映画を見ていて、演技がオーバーだなぁと思っていましたが、韓国で海難事故があった時、遺族の方が悲しんでいる様子をテレビで見た時、あの映画で見た演技は韓国の方にとって自然な事なのだと思い至りました。民族性ですね。
表現から自然な顔の表情が生まれるなら良いと思いますが、顔の表情を作る事で表現に結び付けようとするのは違う気がしています。
演奏の際の派手な身振りも顔芸同様気になってしまう事があります。
音、演奏のみで判断するので顔の表情はどうでもよろしい。
演奏家のみなさん表情なんて好きな様にして構いませんです。
同じ曲をレコードで聴く時、ホロヴィッツではなくギレリスを聴いたりします。結局のところ聞き手としては、演奏も奏者の顔(芸)も好みではないかと思います。
気になっていました〜!
私の好きなピアニストさんは顔芸?も最小限で身体の動きもかなり少ないです。演奏の音の好みから入りましたが、この演奏姿も良いなと。でも改めて他の日本人のピアニストさんの映像見るとほとんどが動きすぎ顔芸多すぎで驚きました💦
表面を作ってるのは無理があるし、違和感を感じますよね。これって、表情だけじゃなくて「技術」も同様だと思います。
技術で表現しようとしてる人は無理があるし、いずれバレたりもする。
心から表現したいものを持ってて、表現してるってのが最強なんじゃないでしょうか?
演奏家のにじみ出る自然な表現を感じたくて演奏会にいきます。どうしても視覚的にとらえてしまいますので違和感がある演奏家に感情移入ができないのが正直なところです。車田さんのお話に共感しました。
日本には、積極的に「顔芸」をさせる合唱指導者が多いと感じる。
もちろん彼らは本気でそれが良いと信じている。
自分もそう指導されたから。
中学生の頃、合唱コンクールにて、私の学校は参加賞レベル、毎年金賞・銀賞を取っているような学校の練習風景でその指導を見たことが有ります。
当時は「歌だけでなく、そういう所までも揃えるから凄いのかぁ~真似出来ないやぁ~💦」と、その練習熱に圧倒されていた想い出が有ります。
ちょうど昨日NHKで全国の学生合唱コンクールをやっていましたが、ちょっといきすぎていて音楽に集中できなかったです😅
そういうのって「アジア人は顔が地味だから表情豊かにしなさい!」と先生から指導されたりするのでしょうか。
小中学校時代の合唱部も一部のピアニストも「顔芸」が極端な人、実はちょっと苦手です😅
ポップス系のボーカルレッスンだと、口腔内容積を増やすために目を見張れと教えている場合がありますね。
自分はピアノですがホロヴィッツの言葉にとても賛同します。
オペラは不勉強ですが、車田先生の過去の動画で、怒りの表現をされましたが、本当に怖かったです。
有難うございました!
ピアノの先生から「表現はピアノ演奏で」と言われたのを思い出しました。
余裕が無ければいわゆる顔芸は出来ないはずですよね。
おそらくそれはもう自分の音楽として掴んでいる証なのではと思います。それだけ余裕があるのだろうと思います。
私はまだまだ余裕が無いので逆にあそこまで感情移入が出来て、素晴らしいなと思います。
きっと目を閉じて聴いたら、やっぱり音も素晴らしいと思うはずです。そう思いたい🩵🎹✨✨
日本のピアニストさん、頑張って下さいね〜👍✨✨✨
指揮者やソリストの顔はよく見てますが、今まで違和感を感じた事は無く、その人の個性によって大袈裟な人や控えめな人が居るんだなと思っていました。コンサートマスターもよく見てますが、仕事してる顔もなかなかいいです。
なるほど顔芸、、、
こちらの感情が高まる前に、オーバーな表情を先にされてしまうとついて行けないような、ちょっとしらけた気分になりますね〜
普通の会話にも通じるようで、なかなか難しいです。
テーブルのお花は、もしかしてアートフラワーかしら?と思いながら楽しんでいます。
学生の合唱コンクールなんかは集団顔芸と言うこともできますね。
顔芸とは違いますが、蝶々夫人のボンゾ(おそらく坊主)がミニチュアの鳥居を手に持っているのを見た時は度肝を抜かれましたね。
言いにくいことをよくぞ取り上げてくださいました!日本の舞台では表情や身振りが邪魔に感じる経験が多くありました。特に合唱の方々。第九のような棒立ちでも表情がくどいのです。
海外の舞台でも東洋人の歌手は活躍していますが、それはそこまでではありません。(某ロジーナ役の方が少し演技がくどかったくらい。)教育の時点で何かが違うのでしょうか?
顔芸という言葉がこういうふうに使われることは知らなかったですが、某有名アジア人ピアニストの演奏を見るたびに「すごい顔するもんだなあ」と思ってました。この人は自然とそういう表情になるんだろうと素直に思ってた…。昔自分が楽器を演奏しているところがたまたま友達ビデオカメラに収められたのを見たところ、ベームばりの仏頂面でした…演奏の方は遠く及ばずですが。しかし音楽で顔芸と聞いて一番に思い出すのは、クラシックではなく演歌…某大御所男性歌手、悲しい曲調でもいつもにこやかな笑顔… 笑顔が顔に刻まれた人格者?葬式ではどんな顔するのかしら。
レーザーディスクの時代にクライバー/コンセルトヘボウの有名なベートーヴェンのライブと最初のニューイヤーコンサートをゲットした時は流石に水も滴る好い男感全開で中てられた記憶がある(笑
なるほどですね。これは、オペラにおいては、重要な要素ですね。私は、あまり、顔芸は、気にしない方ですが、大げさな表情をして、演奏されるのを観ると、何もそんなにしてまで、演奏しなくてもいいのになぁと思うことがあります。確かに、盛り上がるところや、ドラマチックなところは、それなりの表情はある方が、その場面の雰囲気が伝わってきていいとは思いますが。歌手の方だと、その歌手の方の、力量、性格も影響しますから、オペラの役柄に合っている性格の歌手だと、素晴らしい演奏になるのではないかと思いますが。このことでは、フィッシャーディースカウさんは、素晴らしい方だなぁと思います。お菓子、美味しそうですね。
ピアノ演奏でも、故意性や純粋性、自己満悦的かナチュラルか、は自ずと伝わって来ますね🍀
よくぞ言われました。全てが同感です。特に日本のピアニストにおいては。それも、これからと言う若手、そして国際競争ができるほどの優秀なる演奏家も入れて。見ていて恥ずかしくなり、身の毛がよだつ程です。そう、私も『ホロヴィッツの演奏ぶりを見よ』といつも心で言っていました。ヴァルター・クリーン、アルゲリッチ、ソコロフ、そして若手のエレーヌ・グリモーなど、ただ音楽だけを無表情で「淡々」と表す。日本の(特に大学級の)ピアノ教師にも問題があるのでしょうか。顔をギュウギュウ伸ばしたり縮めたり、何となくニヤニヤした感じで弾いたり、そして終わりには片手、両手を必要なく上げる、などなど。貴方の動画を見て習う芸術家が出てくれば嬉しいことですね。
顔を用いた演奏表現についての視点、大変興味深く拝見いたしました。
同時に、顔を除いた他の身体部位での表現についてはどうなんだろう、と疑問がわきました。
演奏者にはほとんど動きのない人もいればパフォーマンスとしての動作をする人もいるかと思います。
曲のジャンルや集団かソロかなどでも違いが出てくるのかと思いますが、プロの音楽業界ではどのような意見があるのでしょう?
白目で弾いているバイオリニストがいて、わざとではないのかも知れないけど怖かった😅
私には、幼なじみのバイオリニストがいて、若い頃、少しうつむき加減で一生懸命に弾く姿が、私は大好きでした。今、そんなスタイルで演奏する若手のバイオリニストをよく聴いています。いわゆる「ドヤ顔」が苦手なだけかも知れませんが、総じてピアニストより、バイオリニストの表情の方が好きです。数年前「ギル・シャハムって、表情見ているとカッコ良いね」と、彼女に言ったら、「私も!」と、共感してくれました。
指揮者の顔芸はどう思いますか?
バーンスタインの顔指揮はどうなるんでしょかw
クラシックのお話で、まさか「泣き女」の事が出てくるとは(笑)!
また演奏家の「顔芸」批判も初めて知りました。
私も楽器演奏を楽しんでますが、どうしても目をつむって演奏してしまいます。
外から見たら変なのかも…
車田先生の視野の広さと深さに感服してしまいました。
蝶々夫人の話、カラヤンのデッカ版CDを思い出して吹きました。ジャケットの画が「十二単」・・・
ワシは車田さんの母校と同じでピアノ科でした。入試当日は緊張で手足が震えながらバッハショパンベートーベンを弾きました。顔芸余裕なし。ただ、入学後あらゆるリサイタルにいきましたが、超有名ピアニストの顔芸プラス口パクパクも有名で、とにかく口をパクパクしながら弾くのです。眉間にシワもあります。
私も気をつけます。
歌は歌詞があるからどうしても過剰な表現がしたくなったり、鼻が低いから鼻のあたり(マスケラ)を広げようとして、すごい顔になったりします💦
ヴァイオリニストもやたらと辛そうな顔やエクスタシーを感じているような顔で演奏する人を見ると恥ずかしくなります。
私は顔芸が特技ですが、気づいたらそんな顔をしていたというパターンです。
私としては全然気にならないですね、この人はこう言う表情した方が音の表現が思うように出来るのだと考えれば問題ないです。
顔芸の人も、何かしゃべる様に演奏されるピアニストも、演奏さえ素晴らしければ、それが格好良く見えるものではないでしょうか。
子供の頃テレビで見た「マダム・バタフライ」の否定的な気持ちを思い出しました。日本人としての美意識で見ていたので〜これは間違ってる・•と思い続けてましたが、頑なな思いは改めねばならないですね。
「顔芸」••最近は演奏家の映像を見ることが容易になりました。それだけに「そんな」演奏を視聴すると音楽より演奏家の表情が「じゃま」をしてしまうような気がしてならないくらいことがありました。私の場合は日本人ピアニストですけれど・・東洋人の声楽の場合は〜表情豊かに〜なんていわれると顔にまで出さなければと思ってしまうのかななんて思ってしまいました。
指揮者では「帝王カラヤン」は自身でもかなり意識していたと思いますね。当時(LDで)見た頃はあれはあれでカッコもいいなと思ってました。もうかなり昔の思い出ですが・・
否定的なコメント多いですけど自由な表現ということを考えるならば、守るならば、自由にやればいいと思います。ミュージカル観劇に持っていくオペラグラスをクラシックコンサートに持っていく人はあまりいないですよね。派手な露出の多いドレス着て演奏するから嫌いとか、それって音楽と関係あるんでしょうか
そうです、そうです😊
大切なのは『音』と、それに込められた感情ですよね‼︎
最近、動画を撮っていて、自分の顔の表情が忙しい事に気がつきました。自分で驚きました。。。顔芸をしているつもりはないのですが。。。UA-camなどで、最近、ピアニストの顔の表情が残念だとは思っていたので。。。せめてその表情が美しくあって欲しいと思うのですが。。。
テレビで持て囃されるには顔芸が手っ取り早いと思います。
超有名なアジア人ピアニストは顔芸しまくってるでしょうね。
以前、東京国際フォーラムにて映画音楽で著名なエンニオ・モリコーネさん指揮で演奏会が有り拝聴しましたが、その指揮は無機質と言って良い程、淡々として、おそらく無表情で一言も発せず終えました。指揮者も色々ですね。自分は指揮者の表情、振る舞いがどの樣なものであっても、聴いて仕合せで有ればどの樣なものでも構いません、気にも成りません。イッヌのクシャミもスーパーに有る半透明のビニール袋を丸めた樣な音、しっかり聴かせて頂きました😊🐶
ワンちゃんのくしゃみ、入ってますねえ。
自分はオケのトロンボーン奏者ですが、音程とるために眉毛上げ下げしてますね
ロックではギタリストが特に顔芸をやりGuitar Faceと呼ばれます。Lovebitesという日本の女性バンドのHoly Warという曲のライブがよく海外リアクションされるのですが、右のギターのミヤコはすまし顔で弾いています。それで外国人は、彼女は仕事で演奏してるだけのようだとか、やる気がなさそうとコメントしています。実際はバンドの曲の7割を書いてる中核なのですが。ミヤコはもともとクラシックピアニストを目指しており、それで感情をあまり出さない演奏になっているのかもしれません。
演奏家の表情が気になったら、ぼくはもう見ないようにします・・ そういうときが「顔芸」になってしまっているのかな 音楽そのものの価値が生かされず無駄になりそうで惜しい
顔芸がいらんのは多分クラシック系だけやね……。未熟なアマチュアの演奏は置いといて、プロの演奏ではジャズ系もロック系も顔芸その他もろもろがないのは有り得ない。
顔芸かぁ。演奏を聞かずについつい顔を見ちゃうよねー。
表現者としては有りなんだろうけど、演奏家としてはなぁ。
全体的にパフォーマンスとして楽しめればOKかな。
顔芸のない、あの日本人ピアニスト、最高ですネ
オペラ歌手はずいぶん違うでしょうが、バイオリニストやピアニストは自己陶酔を必死に顔芸で出そうとしているように見えますね。
わざとでなければ、いいと思います。
ホロヴィッツ先生のご意見に激しく同意します。
改めて、顔芸禁止を日本国内で徹底して教育していただきたいものです。
ホロヴィッツの演奏は指だけで素晴らしい音楽を感じる。
ホロヴィッツ自身も表現は心の中にあり、外側に出るものでは無い、外側出るものは指だけだと。
ワイセンベルクも言っていた。ベートーヴェンのソナタ悲愴が悲愴に聴こえるのと悲愴に見えるのは違う。演奏家は芝居の役者では無いと。
私も賛成です。
泣きそうな、厳かな顔をしたり、身体をオーバーに揺さぶったり、腕を派手に上げたりするのは好きじゃない!
ホロヴィッツの言う通り、心のなかに芸術がある。
難しい顔をして、フェルマータでもないのに、無用に音を引っ張るピアニストがいますねぇ。内容にもよりますが、そういう演奏では時々故意に咳払いをしたくなります。もちろん客席では慎みますが…
本当に顔芸が必要だったら楽譜に書いてあるんじゃないかね? 楽譜に書いてないんだったらその顔芸はノイズだわな
日本人のセミプロの顔芸は見ていて不快感を覚えます。自己陶酔でしかないと思います。歌舞伎と勘違いしているのではないかしら❓ビデオで自分の顔芸をじっくりと見直してみるといいでしょう。ルッキズムの差別と言われそうですが、目を閉じて聴く演奏者も沢山います。ホロヴィッツのリサイタルは聴きましたが、曲の最後にチラッと聴衆の方に顔を見せて、どうだい❓とニコッとするだけなのですが、これこそが正に彼自信が言うところの「音楽は内部にある」という事だなと感じました。