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武蔵小金井に実家があり、今はハワイ在住です。ちょうど私が高校時代の音源です、本当に懐かしいです。武蔵小金井駅到着時のアナウンスも、聞き覚えのある声な気がします。パンデミックで日本に帰れない今、これを聞いて泣きそうになりました。😌シェアありがとうございます。😊
小学生の頃までよく乗っていたので、とても懐かしいです。101系は、改めて、きれいな音ですね・・・
これ中央線の同じ区間でイヤホンつけて聴くと本当に乗ってる気分になる
今度東京~国分寺までE233系の付随車に乗って、この音聴きながら乗ろうかな
101系純正編成には乗った事がないので~マジ新鮮でした。モータ音はもとよりドア開閉音も。(=103系のチユッッ!ふぅぅんぼぉぉぉ~~~とは全く異なりますね笑笑
101系のドアはいわゆるギロチンドアが標準でしたからね
電車の走行音=VVVFで耳が中毒されている昨今、実に新鮮味を感じますね。
この当時はまだ中央線に101系が沢山走っていたんですよね。中央線101系は記録が殆ど無く平成生まれの自分にとっては幻の様な存在でした。今回この様な素晴らしい音源に辿り着けて本当に嬉しく思います。音源をアップして頂けた事、心より感謝致します。
このモーター音 懐かしいですね。西武鉄道の701系も同じ唸り音が同じでした。昔の鉄道博物館101系のドア開閉を楽しめる展示がありました。
西武701系列は、モーターが日立HS-836-Frbという「国鉄MT54のコピー」だったはずですが、なぜか音が101系のMT46とソックリでしたね。
MT46は本当に軽快で上品な音がしますね。
夜の巡航中のMT46サウンドは、帰りの電車で眠るのにすごく心地よかった思い出。
貴重な音源、ありがとうございました。やはり特別快速って良いです。自分の中では、101と言えば、オレンジバーミリオンです。眼を閉じればあの頃が思い出されます。
矢澤さん、コメントありがとうございます!中央線101系もテープの長さの関係で全区間ではないですが多くの音源がありますよ。201系投入に伴い、101系がムコ区だけの配置になってもこの時でまだ10編成以上はあったと思います。本当懐かしいですね。音源聞きながら目を閉じれば本当あの頃が蘇って来ますよね~!
皆さんがモーター音を関心されているときに恐縮ですが私は扉が閉まる時の ガランガラン ビタッ!の音に懐かしさを感じてしまいました、因みに後半の写真はさりげなく800番台が写っていますね。
yahoo kong 私も勢いよく閉まるドアの音に101系を感じます。
この国鉄時代の通勤電車も乗りたかったな~私は平成生まれなのでもちろん乗ったことないですが、私の父が昔東京の羽村に住んでおりまして、若い頃に新宿へ通勤する際に一時間近くかけて青梅線・中央線の201系と101系で通勤したそうです。夏場に非冷房の101系に乗った時はとても暑すぎて大変だったそうですw
平成でも初期生まれなら青梅線を走る非冷房の103系(2002年頃引退)を経験出来た世代ですね。
101系はモーター音の美しさ、ジョイント音のガタンゴトンの刻むリズム感が絶妙で一番いい車です。
なんだろう、なんかもの悲しいようなウヲォォォンって音が好き
だけどこの音を聞くとわかるけど、既にモーターの老朽化が進行していて、壊れる寸前だったそうですよ。早急に201系導入を進められてて、昭和58年当時だと201系との割合で101系は既に数が少なかったと思います。中央快速線に限って言えばですけどね。101系は全電動車方式と極度の軽量化が仇になって、老朽化が早まりました。
@@asokai2346さん、定期運用を離脱した1985年3月13日の段階で、モハ90時代を知る尾灯内ハメ車も少しはいましたが、一方で1981年の本格廃車開始後、経年20年に満たず(量産終了は1969年〜但し1965年以降の落成車は151系の181系化で捻出された機器流用)に廃車になった車両も少なくなかったですね。
武蔵野線 府中本町~新松戸開業時のころ1時間か2時間に1本の時代に乗った思い出が蘇りました。当時から高架線だったので新松戸周辺の見渡す限り田園風景…今じゃ考えられない。当時絶賛増殖中だった103系に比べてドアがギロチンだったっな~と懐かしくなりました~貴重な音源ありがとうございました。
開業当時からしばらくの間、2時間に3本、つまり40分間隔でした。それが国鉄民営化直前に20分間隔になって、使いやすくなった、と思っていたらさらに増発されて驚きました。6両でもガラガラだったのが今は区間によっては10両にして欲しいくらいです。
素晴らしい‼︎ 103系世代なので新鮮です。MT46は54・55と違い、音色が上品ですね。
シナオク 54・55は爆音ですからねww
ありがとうございます。中央線沿線に住み続けている自分にとってこの音は原点です。それも休日の快速の音なのでなおさらいいです。昭和58年だと101系は豊田所属の武蔵野線用の1000番台を除いて武蔵小金井に集約されていましたよね。103系にはない軽快なモーターの音と101系独特のドアの開閉の音。夏に窓を全開したことを思い出します。三鷹で特快の待ち合わせ二連発のところはカットされているようですけれど特快はまだ国分寺に停まらない時代でしたからね。本当に「特別快速」だった時代でしたね…。
僕の家のすぐ真裏を中央線が通ってます。毎日、この音を聞いてました。懐かしいな。この当時、如何に国鉄の最新鋭の車両だったかがわかります。今は大宮の鉄道博物館で体験出来ますね。
日中の四ツ谷の隧道も室内灯を点灯せずに走っていた昭和50年代後半の中央線快速が懐かしいです。いつの頃から日中も室内灯を点灯するようになったのか、東日本大震災直後に首都圏JRが室内灯消灯して走っていた事が非常に懐かしいと思った私でした^^;
動画upありがとうございます!モーター音が、かつての西武701系や現存してる4000系に似てますね😃
昭和48年春に武蔵野線開業名目で103系の冷房付き新車が66両投入されました(足りない4両は101系のサハに冷房取付改造して投入)。当時電車通学を始めたばかりで、色あせた101系の中にあってひときわ目立つ存在でした。冷房がついている、しかも新車で座席もこの時から奥行きの深いものに改善され、それはもう夢中で学校帰りには、これが来るまで待ちました。と言っても運用が決まっていたので、ホームの業務用時刻表から50~60番台のT運用を選べばこれに容易に乗ることが出来ました。ハズレでもその前年に冷房改造された101系が来たので我慢してそれで帰りました。ところがしばらくして、運転性能で101系と比べて「?」と思うことが色々ありました。ブレーキと立ち上がりがスムースでなく結構ショックがあること、高速域の伸びが101系に比べてトロい等々、かなり後年知り合った三鷹電車区の元運転士氏(知り合ったときは武蔵境の駅員さんでした)に、色々伺ったところ、「101系が最高でしたよ、103はクソ‼」と笑ってらした。何よりブレーキが効いたことが運転士として最高で営団の5000系より遥かに効いた、80㌔でホームに入ってからでも止まったから、と結構興味深いお話を聞きました。暖房が貧弱で早朝など震えていましたが、乗務員室は暖房U相・暖房V相を入れると暑いくらいで、缶コーヒーを載せておくとよく温まったを笑っていらしたのが印象的でした。
加速に関しては中央線の103は101系に合わせて性能下げてたはずなんでその影響でしょう。今手元にある資料は略式のしかないんですがこれによると300%乗車6M2T同士の比較で101系が加速性能で103を超えるのは55キロ前後のわずかな速度域だけになってます。ただもちろんこれは103系本来の性能での比較で制限をかけたときの値ではないですが、、、
@@yi4022 さま、ありがとうございます。6M4Tの比較はないのですか?三鷹電車区で運転士を長くやった知人(故人)曰く、「101系が最高で103系はクソ!」でした。ブレーキが甘くて103では西八でよくオーバーランしていました。運転台かえて最初の駅で下り勾配、電気ブレーキの立ち上がり特性も101系が最高とぜっさんしていました。
@@user-kazkaz5608 さま返信有り難うございます。付随車を増やしても、モーターの引張力が変わらない限り特性は同じになるはずです。ただ限流値などをいじると変わるのでその状態での比較はモーター自体の資料がないとできませんが生憎手元にないためできません、、、ブレーキに関しては私も事実だと思います。多分モーター特性や台車が違うのでブレーキの効き方も違ってきたのでは無いでしょうか。
特性が同じ→加速は鈍くなるが加速力の変化のし方は大体同じに読み替えて下さい、、、、、
101系改造103系サハは750番台で最期は南武線でしたね。ブレーキエア解除音が101系そのものなんですぐに判ったもんです😄
歯数比の具合でしょうか、加速時の軽やかなハミング音がとても心地よさげでまるでモーターが歌っているかのようです。ブレーキ緩解時の『ツシー』も大好きです。
連結部の軋みと思われる音、ドア開閉音(特に閉まる時の「ツーーガラガラガラガラッドン」)がしっかりと入っていて、当時の雰囲気が抜群です。小学生から大学卒業(86年)まで中央線沿線で過ごし、進学塾、駿台、そして大学通学で何度となく乗りましたので、ジョイント音の変化を聞いていると当時の車窓の風景が何となく思い出されます。
南武線の冷房車がありました。その後、鶴見線、南武支線にも冷房が付きました。関西でも息が長ったのです。
南武線のソレは確か転属後に改造されたサハ100−125だったですかね?内装がピカピカの新車のようでよく選んで乗ったもんで事前に改造された転属車と組んで走ってましたです😄
103系は翌年に何故か3編成だけ先頭車が高運台のATC準備車(クハ103-311〜316)に取り替えられたのが不思議。そして316に至っては、側面サボに何年も字幕が入って無かった。
実家が中野なので、小さい頃、母と新宿に行ったり、父が椎間板で台東区の柳橋の病院に入院してお見舞いに行くときに乗ってました。小さい頃は快速線101系と103系が走っていて、夏場101系の非冷房車が来たらがっかりした記憶がありました。MT46モーター音やドアの開閉の時の独特の音と速さ懐かしいですね。11:20~42は新御所トンネルを通る音ですね。晴れて明るい場合新宿を過ぎてから客室の電気を中野到着近くまで切ることもありました。
かつては大阪環状線.片町線.関西線.桜島線にも活躍していた101系懐かしいですね❗
201系に置き換わったこの頃の中央線で、非冷房のこれが来るとドン引きでした。でもMT46は非力でも音は当時も今も最高の癒しです(201系はビービー音が耳障りでした)。あと国鉄時代の車掌のアナウンスには無駄がないですね(裏返せば手抜き)。高尾まで聴けないのは残念、でもありがとうございます、懐かしい貴重な音源だと思います。
切なくも美しい音色が印象的ですね。力強さのあるMT54や、甲高い音をうならせる、MT55A、MT60、61とはまた違う良さがあると思います。今の時刻表見てみましたが、東京~国分寺40~45分と、この動画(43分)の当時ととあまり変わらない感じがしました。勿論、その3分の違いが物凄く大きいのでしょうけど、信号設備の関係や、全M断念して100kw電動機で6M4Tにしなくてはいけなくなったことを踏まえると、かなり速いのではないか、と思います。
新宿中野間が高速出せた感じですね。複複線の中野三鷹間でいつも営団5000系に加速負けしてました。201系までも5000系に負けて到着まぎわに追い込む形でしたね。運手士さんによりけりですが。国分寺西国分寺間の上りの写真?中野東中野に高圧線ないから
あそこは、後から島式ホームをつくったから、快速線はかなりいびつに歪んでいる。阿佐ヶ谷の上り線なんてひどいもんで、制限65くらいじゃないかな。
この時代、杉並3駅通過は日曜、祝日、正月三が日のみで101系時代=土曜半ドン時代そのものでした。現在は気づかないうちに通り過ぎてる感のある四ツ谷駅発車後の御所トンネルも当時は“ジャジャンジャジャンジャジャン“とジョイント音を多発させながら、なかなか賑やかに通過してましたね(^^)架線柱も山区該当区間や三鷹以西は頼りなさ気な針金ビームが殆どでした201系、JR化を経て杉並3駅は土休日通過に、E233系の今、令和の中央線はグリーン車が入るという、101系時代には想像もつかなかったことが始まろうとしてます。杉並3駅問題以外は中央線は進化してます。
子供の頃のにおい、肌で感じた空気感がよみがえる。
幼稚園のころから101系の大ファンで始発から発車の『ミュー』が大好きです。
構想はあったけど幻と化した「『総武緩行の101系』と『常磐快速の103系』のトレード」が実現してたら、あの甲高いサウンドで爆走してたかも、だったのか。
元々101系は駅間長い路線向けとして開発されたんで常磐線快速には向いているはずですよね😃
バリバリ平成生まれで現役の101系はおろか秩鉄1000すら見たことないですが、当時の雰囲気が伝わってきますねぇ。車内に響くMT46、良いものです・・・。
名古屋地区では名古屋~高蔵寺間のJR東海中央線の103系スカイブルー10両編成(JR東海以後は東海色)他にも関西線の名古屋~亀山間で3両編成懐かしい。春日井市高蔵寺は東京都八王子市高尾に成ります。
高尾といえば東海自然歩道の東入口なので大阪の箕面が思い浮かぶこともしばしばですが、中央本線が高尾を出ると高蔵寺まで平野に出ないので同駅も東西の対として思い浮かびます
101系は中央線でデビューして、JR化後に、3両編成が12編成秩父鉄道に移籍して、本家JRでは南武支線を最後に引退し、秩父鉄道に移籍した車両も、2015年に引退して、101系は消滅しました。
MT46のモーター音が甲高いですね。
冒頭の画像は東中野ですね!
この101系が何編成か現代にタイムスリップ(入れ替わりでE233には1983年に行ってもらう)して、中央線の快速運用に就く。するとどうなるか… もし真夏なら、非冷房に現代人は耐えられるか?(ちなみに1983年は私の生年)
1983年だと201系もいた時代ですね201系中央線が引退直前だった時は俺(2002年~)が幼稚園児だったけど晩年の中央線201系は殆ど冷房付きだったらしいですね
消費電力や発熱過多など難しい面もあるのが残念なところです
101系は56年という長寿電車となった。(1957.12 - 2014.3)
元々カルダン駆動の試作段階で、やはりカルダン駆動の恩恵もあってか長生き出来たんですよね。この当時は吊り掛け駆動車も日本には残存しており、カルダン駆動であればなんでも新性能車だったので当時の新車と言われて言われていましたよ。アメリカから20年遅れてカルダン駆動を日本は導入したので、日本はまだまだ成長期なんですよね。アメリカやドイツには、1930年代にはカルダン駆動車がありました。そこから80年余りカルダン駆動に変わる別の駆動方式が出てないので、現状鉄道駆動方式最強の駆動方式と言われており、吊り掛け駆動を真っ向から否定する駆動方式であります。現在も吊り掛け駆動は残っていますが、カルダン駆動車の邪魔者って感じで扱いますね。
@@drivecardan18 初期のカルダン車は失策ばかりで、吊り掛けの代用に至るほどの性能はありませんでしたよ。カルダンが長生きできるようになったのは、量産10年後の1968年辺りからカルダン車の性能が良くなった筈です。
昔から特別快速走っていたとは以外ですな
@@フアンフランシスコ-i5o さん、5方向作戦における複々線化目標像が杉並3駅問題で撃沈してしまう一方で、京王高尾線が1967年に開通、直通特急の運転が始まり、それに対抗すべく誕生したのが特別快速です。
東京駅からこの動画聞きながら現在の中央線乗ったら平日の夕ラッシュにも関わらずE233系の方が先に国分寺に着いたんだが......
三鷹で特快とホリデー快速の2本待ち、10分程止まるようなので…
さっき旧型国電の走行音を聞いていましたが、旧型国電に比べると、走行音が軽快ですねw。
103系よりはマシだけど、この形式もそれなりに爆音だったんだな大量に製造された割には、民営化前後であっさりといなくなったよね
@keikyuspirits of simens kyoichi 101系のような全電動車方式だと変電所のキャパを超える上に、経済的にもあまり良くなかったんですよね
音はどちらかというと、201系に似てますね。
@@えちぜんや 103系は低音寄り、101系や201系は高音よりのモーター音ですね
@keikyuspirits of simens kyoichi 片町線の住道~鴻池新田の高架区間での爆音はほんと不快だったよ。
この当時はまだ吊り掛け駆動もある程度生きていたから、失敗作でも新車同様に扱われていた。60年近くカルダン駆動に別の駆動方式が出てない以上、電車の駆動方式ではカルダン駆動を超える駆動方式は出ないだろうね。カルダン駆動が嫌いな鉄道ファンもいたはいたらしいけど。
画像は東中野付近と思いますが、中央線の電車は大井経由の入線を示しています!大阪寄りが奇数で、東京寄りが偶数の標準が生きています。103系からパンタグラフの搭載が曖昧に成り、電車の方向が判らなく成りました!101系はパンタグラフを搭載した方がモハ100で、相方モハ101で、153系もそうでした!画像はクモハ101で詳細に73系からの改善点が見受けられます!個人的には900番台が好きです。73系の921(920番台)のノンシールを彷彿していました!関西の103系リニューアル車両の様な雰囲気です。
今となれば懐かしいが、当時こいつがくるとイヤーな気分になってね。103系のほうが好きだったというのが正直なところ。
前面形状が発展途上国って感じがするな。
今じゃ絶対に考えられない程無機質なデザインがフェチにはたまらない…
非貫通国電の前面としては窓の傾斜を除くとほぼ1925年のモハ30以来のトレンドを貫いた伝統の一作です
カルダン駆動
武蔵小金井に実家があり、今はハワイ在住です。ちょうど私が高校時代の音源です、本当に懐かしいです。武蔵小金井駅到着時のアナウンスも、聞き覚えのある声な気がします。
パンデミックで日本に帰れない今、これを聞いて泣きそうになりました。😌
シェアありがとうございます。😊
小学生の頃までよく乗っていたので、とても懐かしいです。101系は、改めて、きれいな音ですね・・・
これ中央線の同じ区間でイヤホンつけて聴くと本当に乗ってる気分になる
今度東京~国分寺までE233系の付随車に乗って、この音聴きながら乗ろうかな
101系純正編成には乗った事がないので~マジ新鮮でした。
モータ音はもとよりドア開閉音も。(=103系のチユッッ!ふぅぅんぼぉぉぉ~~~
とは全く異なりますね笑笑
101系のドアはいわゆるギロチンドアが標準でしたからね
電車の走行音=VVVFで耳が中毒されている昨今、実に新鮮味を感じますね。
この当時はまだ中央線に101系が沢山走っていたんですよね。中央線101系は記録が殆ど無く平成生まれの自分にとっては幻の様な存在でした。
今回この様な素晴らしい音源に辿り着けて本当に嬉しく思います。
音源をアップして頂けた事、心より感謝致します。
このモーター音 懐かしいですね。
西武鉄道の701系も同じ唸り音が同じでした。昔の鉄道博物館101系のドア開閉を楽しめる展示がありました。
西武701系列は、モーターが日立HS-836-Frbという「国鉄MT54のコピー」だったはずですが、なぜか音が101系のMT46とソックリでしたね。
MT46は本当に軽快で上品な音がしますね。
夜の巡航中のMT46サウンドは、帰りの電車で眠るのにすごく心地よかった思い出。
貴重な音源、ありがとうございました。やはり特別快速って良いです。自分の中では、101と言えば、オレンジバーミリオンです。眼を閉じればあの頃が思い出されます。
矢澤さん、コメントありがとうございます!
中央線101系もテープの長さの関係で全区間ではないですが
多くの音源がありますよ。
201系投入に伴い、101系がムコ区だけの配置になってもこの時でまだ
10編成以上はあったと思います。
本当懐かしいですね。
音源聞きながら目を閉じれば本当あの頃が蘇って来ますよね~!
皆さんがモーター音を関心されているときに恐縮ですが私は扉が閉まる時の ガランガラン ビタッ!の音に懐かしさを感じてしまいました、
因みに後半の写真はさりげなく800番台が写っていますね。
yahoo kong 私も勢いよく閉まるドアの音に101系を感じます。
この国鉄時代の通勤電車も乗りたかったな~
私は平成生まれなのでもちろん乗ったことないですが、私の父が昔東京の羽村に住んでおりまして、若い頃に新宿へ通勤する際に一時間近くかけて青梅線・中央線の201系と101系で通勤したそうです。
夏場に非冷房の101系に乗った時はとても暑すぎて大変だったそうですw
平成でも初期生まれなら青梅線を走る非冷房の103系(2002年頃引退)を経験出来た世代ですね。
101系はモーター音の美しさ、ジョイント音のガタンゴトンの刻むリズム感が絶妙で一番いい車です。
なんだろう、なんかもの悲しいようなウヲォォォンって音が好き
だけどこの音を聞くとわかるけど、既にモーターの老朽化が進行していて、壊れる寸前だったそうですよ。早急に201系導入を進められてて、昭和58年当時だと201系との割合で101系は既に数が少なかったと思います。中央快速線に限って言えばですけどね。101系は全電動車方式と極度の軽量化が仇になって、老朽化が早まりました。
@@asokai2346さん、定期運用を離脱した1985年3月13日の段階で、モハ90時代を知る尾灯内ハメ車も少しはいましたが、一方で1981年の本格廃車開始後、経年20年に満たず(量産終了は1969年〜但し1965年以降の落成車は151系の181系化で捻出された機器流用)に廃車になった車両も少なくなかったですね。
武蔵野線 府中本町~新松戸開業時のころ1時間か2時間に1本の時代に乗った思い出が蘇りました。
当時から高架線だったので新松戸周辺の見渡す限り田園風景…今じゃ考えられない。
当時絶賛増殖中だった103系に比べてドアがギロチンだったっな~と懐かしくなりました~
貴重な音源ありがとうございました。
開業当時からしばらくの間、2時間に3本、つまり40分間隔でした。それが国鉄民営化直前に20分間隔になって、使いやすくなった、と思っていたらさらに増発されて驚きました。6両でもガラガラだったのが今は区間によっては10両にして欲しいくらいです。
素晴らしい‼︎ 103系世代なので新鮮です。MT46は54・55と違い、音色が上品ですね。
シナオク 54・55は爆音ですからねww
ありがとうございます。中央線沿線に住み続けている自分にとってこの音は原点です。それも休日の快速の音なのでなおさらいいです。昭和58年だと101系は豊田所属の武蔵野線用の1000番台を除いて武蔵小金井に集約されていましたよね。103系にはない軽快なモーターの音と101系独特のドアの開閉の音。夏に窓を全開したことを思い出します。三鷹で特快の待ち合わせ二連発のところはカットされているようですけれど特快はまだ国分寺に停まらない時代でしたからね。本当に「特別快速」だった時代でしたね…。
僕の家のすぐ真裏を中央線が通ってます。
毎日、この音を聞いてました。
懐かしいな。
この当時、如何に国鉄の最新鋭の車両だったかがわかります。
今は大宮の鉄道博物館で体験出来ますね。
日中の四ツ谷の隧道も室内灯を点灯せずに走っていた昭和50年代後半の中央線快速が懐かしいです。いつの頃から日中も室内灯を点灯するようになったのか、東日本大震災直後に首都圏JRが室内灯消灯して走っていた事が非常に懐かしいと思った私でした^^;
動画upありがとうございます!
モーター音が、かつての西武701系や現存してる4000系に似てますね😃
昭和48年春に武蔵野線開業名目で103系の冷房付き新車が66両投入されました(足りない4両は101系のサハに冷房取付改造して投入)。当時電車通学を始めたばかりで、色あせた101系の中にあってひときわ目立つ存在でした。冷房がついている、しかも新車で座席もこの時から奥行きの深いものに改善され、それはもう夢中で学校帰りには、これが来るまで待ちました。と言っても運用が決まっていたので、ホームの業務用時刻表から50~60番台のT運用を選べばこれに容易に乗ることが出来ました。ハズレでもその前年に冷房改造された101系が来たので我慢してそれで帰りました。ところがしばらくして、運転性能で101系と比べて「?」と思うことが色々ありました。ブレーキと立ち上がりがスムースでなく結構ショックがあること、高速域の伸びが101系に比べてトロい等々、かなり後年知り合った三鷹電車区の元運転士氏(知り合ったときは武蔵境の駅員さんでした)に、色々伺ったところ、「101系が最高でしたよ、103はクソ‼」と笑ってらした。何よりブレーキが効いたことが運転士として最高で営団の5000系より遥かに効いた、80㌔でホームに入ってからでも止まったから、と結構興味深いお話を聞きました。暖房が貧弱で早朝など震えていましたが、乗務員室は暖房U相・暖房V相を入れると暑いくらいで、缶コーヒーを載せておくとよく温まったを笑っていらしたのが印象的でした。
加速に関しては中央線の103は101系に合わせて性能下げてたはずなんでその影響でしょう。今手元にある資料は略式のしかないんですがこれによると300%乗車6M2T同士の比較で101系が加速性能で103を超えるのは55キロ前後のわずかな速度域だけになってます。ただもちろんこれは103系本来の性能での比較で制限をかけたときの値ではないですが、、、
@@yi4022 さま、ありがとうございます。6M4Tの比較はないのですか?三鷹電車区で運転士を長くやった知人(故人)曰く、「101系が最高で103系はクソ!」でした。ブレーキが甘くて103では西八でよくオーバーランしていました。運転台かえて最初の駅で下り勾配、電気ブレーキの立ち上がり特性も101系が最高とぜっさんしていました。
@@user-kazkaz5608 さま
返信有り難うございます。付随車を増やしても、モーターの引張力が変わらない限り特性は同じになるはずです。ただ限流値などをいじると変わるのでその状態での比較はモーター自体の資料がないとできませんが生憎手元にないためできません、、、ブレーキに関しては私も事実だと思います。多分モーター特性や台車が違うのでブレーキの効き方も違ってきたのでは無いでしょうか。
特性が同じ→加速は鈍くなるが加速力の変化のし方は大体同じ
に読み替えて下さい、、、、、
101系改造103系サハは750番台で最期は南武線でしたね。ブレーキエア解除音が101系そのものなんですぐに判ったもんです😄
歯数比の具合でしょうか、加速時の軽やかなハミング音がとても心地よさげで
まるでモーターが歌っているかのようです。ブレーキ緩解時の『ツシー』も大好きです。
連結部の軋みと思われる音、ドア開閉音(特に閉まる時の「ツーーガラガラガラガラッドン」)がしっかりと入っていて、当時の雰囲気が抜群です。小学生から大学卒業(86年)まで中央線沿線で過ごし、進学塾、駿台、そして大学通学で何度となく乗りましたので、ジョイント音の変化を聞いていると当時の車窓の風景が何となく思い出されます。
南武線の冷房車がありました。その後、鶴見線、南武支線にも冷房が付きました。関西でも息が長ったのです。
南武線のソレは確か転属後に改造されたサハ100−125だったですかね?内装がピカピカの新車のようでよく選んで乗ったもんで事前に改造された転属車と組んで走ってましたです😄
103系は翌年に何故か3編成だけ先頭車が高運台のATC準備車(クハ103-311〜316)に取り替えられたのが不思議。そして316に至っては、側面サボに何年も字幕が入って無かった。
実家が中野なので、小さい頃、母と新宿に行ったり、父が椎間板で台東区の柳橋の病院に入院してお見舞いに行くときに乗ってました。小さい頃は快速線101系と103系が走っていて、夏場101系の非冷房車が来たらがっかりした記憶がありました。MT46モーター音やドアの開閉の時の独特の音と速さ懐かしいですね。11:20~42は新御所トンネルを通る音ですね。晴れて明るい場合新宿を過ぎてから客室の電気を中野到着近くまで切ることもありました。
かつては大阪環状線.片町線.関西線.桜島線にも活躍していた101系懐かしいですね❗
201系に置き換わったこの頃の中央線で、非冷房のこれが来るとドン引きでした。でもMT46は非力でも音は当時も今も最高の癒しです(201系はビービー音が耳障りでした)。あと国鉄時代の車掌のアナウンスには無駄がないですね(裏返せば手抜き)。高尾まで聴けないのは残念、でもありがとうございます、懐かしい貴重な音源だと思います。
切なくも美しい音色が印象的ですね。
力強さのあるMT54や、甲高い音をうならせる、MT55A、MT60、61とはまた違う良さがあると思います。
今の時刻表見てみましたが、東京~国分寺40~45分と、この動画(43分)の当時ととあまり変わらない感じがしました。勿論、その3分の違いが物凄く大きいのでしょうけど、信号設備の関係や、全M断念して100kw電動機で6M4Tにしなくてはいけなくなったことを踏まえると、かなり速いのではないか、と思います。
新宿中野間が高速出せた感じですね。複複線の中野三鷹間でいつも営団5000系に加速負けしてました。201系までも5000系に負けて到着まぎわに追い込む形でしたね。運手士さんによりけりですが。国分寺西国分寺間の上りの写真?中野東中野に高圧線ないから
あそこは、後から島式ホームをつくったから、快速線はかなりいびつに歪んでいる。阿佐ヶ谷の上り線なんてひどいもんで、制限65くらいじゃないかな。
この時代、杉並3駅通過は日曜、祝日、正月三が日のみで101系時代=土曜半ドン時代そのものでした。現在は気づかないうちに通り過ぎてる感のある四ツ谷駅発車後の御所トンネルも当時は“ジャジャンジャジャンジャジャン“とジョイント音を多発させながら、なかなか賑やかに通過してましたね(^^)架線柱も山区該当区間や三鷹以西は頼りなさ気な針金ビームが殆どでした
201系、JR化を経て杉並3駅は土休日通過に、E233系の今、令和の中央線はグリーン車が入るという、101系時代には想像もつかなかったことが始まろうとしてます。杉並3駅問題以外は中央線は進化してます。
子供の頃のにおい、肌で感じた空気感がよみがえる。
幼稚園のころから101系の大ファンで始発から発車の『ミュー』が大好きです。
構想はあったけど幻と化した「『総武緩行の101系』と『常磐快速の103系』のトレード」が実現してたら、あの甲高いサウンドで爆走してたかも、だったのか。
元々101系は駅間長い路線向けとして開発されたんで常磐線快速には向いているはずですよね😃
バリバリ平成生まれで現役の101系はおろか秩鉄1000すら見たことないですが、当時の雰囲気が伝わってきますねぇ。車内に響くMT46、良いものです・・・。
名古屋地区では名古屋~高蔵寺間のJR東海中央線の103系スカイブルー10両編成(JR東海以後は東海色)他にも関西線の名古屋~亀山間で3両編成懐かしい。春日井市高蔵寺は東京都八王子市高尾に成ります。
高尾といえば東海自然歩道の東入口なので大阪の箕面が思い浮かぶこともしばしばですが、中央本線が高尾を出ると高蔵寺まで平野に出ないので同駅も東西の対として思い浮かびます
101系は中央線でデビューして、JR化後に、3両編成が12編成秩父鉄道に移籍して、本家JRでは南武支線を最後に引退し、秩父鉄道に移籍した車両も、2015年に引退して、101系は消滅しました。
MT46のモーター音が甲高いですね。
冒頭の画像は東中野ですね!
この101系が何編成か現代にタイムスリップ(入れ替わりでE233には1983年に行ってもらう)して、中央線の快速運用に就く。するとどうなるか… もし真夏なら、非冷房に現代人は耐えられるか?(ちなみに1983年は私の生年)
1983年だと201系もいた時代ですね
201系中央線が引退直前だった時は俺(2002年~)が幼稚園児だったけど晩年の中央線201系は殆ど冷房付きだったらしいですね
消費電力や発熱過多など難しい面もあるのが残念なところです
101系は56年という長寿電車となった。
(1957.12 - 2014.3)
元々カルダン駆動の試作段階で、やはりカルダン駆動の恩恵もあってか長生き出来たんですよね。この当時は吊り掛け駆動車も日本には残存しており、カルダン駆動であればなんでも新性能車だったので当時の新車と言われて言われていましたよ。アメリカから20年遅れてカルダン駆動を日本は導入したので、日本はまだまだ成長期なんですよね。アメリカやドイツには、1930年代にはカルダン駆動車がありました。そこから80年余りカルダン駆動に変わる別の駆動方式が出てないので、現状鉄道駆動方式最強の駆動方式と言われており、吊り掛け駆動を真っ向から否定する駆動方式であります。現在も吊り掛け駆動は残っていますが、カルダン駆動車の邪魔者って感じで扱いますね。
@@drivecardan18 初期のカルダン車は失策ばかりで、吊り掛けの代用に至るほどの性能はありませんでしたよ。カルダンが長生きできるようになったのは、量産10年後の1968年辺りからカルダン車の性能が良くなった筈です。
昔から特別快速走っていたとは以外ですな
@@フアンフランシスコ-i5o さん、5方向作戦における複々線化目標像が杉並3駅問題で撃沈してしまう一方で、京王高尾線が1967年に開通、直通特急の運転が始まり、それに対抗すべく誕生したのが特別快速です。
東京駅からこの動画聞きながら現在の中央線乗ったら平日の夕ラッシュにも関わらずE233系の方が先に国分寺に着いたんだが......
三鷹で特快とホリデー快速の2本待ち、10分程止まるようなので…
さっき旧型国電の走行音を聞いていましたが、旧型国電に比べると、走行音が軽快ですねw。
103系よりはマシだけど、この形式もそれなりに爆音だったんだな
大量に製造された割には、民営化前後であっさりといなくなったよね
@keikyuspirits of simens kyoichi
101系のような全電動車方式だと変電所のキャパを超える上に、経済的にもあまり良くなかったんですよね
音はどちらかというと、201系に似てますね。
@@えちぜんや 103系は低音寄り、101系や201系は高音よりのモーター音ですね
@keikyuspirits of simens kyoichi
片町線の住道~鴻池新田の高架区間での爆音はほんと不快だったよ。
この当時はまだ吊り掛け駆動もある程度生きていたから、失敗作でも新車同様に扱われていた。60年近くカルダン駆動に別の駆動方式が出てない以上、電車の駆動方式ではカルダン駆動を超える駆動方式は出ないだろうね。カルダン駆動が嫌いな鉄道ファンもいたはいたらしいけど。
画像は東中野付近と思いますが、中央線の電車は大井経由の入線を示しています!大阪寄りが奇数で、東京寄りが偶数の標準が生きています。103系からパンタグラフの搭載が曖昧に成り、電車の方向が判らなく成りました!101系はパンタグラフを搭載した方がモハ100で、相方モハ101で、153系もそうでした!画像はクモハ101で詳細に73系からの改善点が見受けられます!個人的には900番台が好きです。73系の921(920番台)のノンシールを彷彿していました!関西の103系リニューアル車両の様な雰囲気です。
今となれば懐かしいが、当時こいつがくるとイヤーな気分になってね。103系のほうが好きだったというのが正直なところ。
前面形状が発展途上国って感じがするな。
今じゃ絶対に考えられない程
無機質なデザインがフェチにはたまらない…
非貫通国電の前面としては窓の傾斜を除くとほぼ1925年のモハ30以来のトレンドを貫いた伝統の一作です
カルダン駆動