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敬天愛人!大好きな素晴らしい言葉、城山の西郷さんが立てこもった洞窟、無数に残る城山の銃弾の跡、自害した場所、お墓にも行く事出来ました、とても感慨深い思いです、共に幕府を倒した官軍には敬天愛人の志しはなく結局は私利私欲を持つ人間ばかりに嫌気がさして西郷さんは袂を分けたのだと思いますます。
西郷隆盛、かっこいい!僕もそんな人間になれるように頑張ります!
お前じゃないでしょ
小さく叩けば小さく響き、大きく叩けば大きく響く。四文字熟語で言うと「変幻自在」でしょうか。倒幕時は頼もしかった「西郷」も明治政府には「厄介者」になった。今で言う「融通のきかない人」だったのでしょう。嘘のつけない純粋な人だったのだと想像できます。大好きな人物です。
この様な先頭に立ってくれる政治家は今の世の中にはいない。見習え今の政治家!!
西郷さんに関する書籍は、海音寺潮五郎さんを、始め汎ゆる雑誌を読み漁りました。歴史上の人物の中で、一番尊敬しています。薩摩へは、何度も訪れています。必ず南洲神社に参ります。
敬天愛人、この言葉私の胸に秘めてる言葉だ
転生して総理大臣になってくれ
大和魂の時代に生きた人ですから。当時の考えを支持されるでしょうかね。
時代って皮肉なもんだよなあ。こいう立派な人たちがはやくして命をたたれてで今の政治家はなんなんだよ私利私欲で傲慢でほとんど仕事をしない連中が生き延びてんだからよ。
西郷さんは古今無双の英雄
抜刀隊の歌詞にもなってますね「古今無双の英雄で」。
西郷隆盛は島津斉彬の隠密をしていたから顔が分かるといけないのでその後も写真を撮られるのを避けていたという説もありますね。
やった事が全て正しいとは言えない部分もあるけど、西郷さんをはじめ、薩摩の若者たちが命を賭して日本を変えようとした心意気は素晴らしいものだと思う。
私学校の荒くれ者ヤンキー集団をまとめてた西郷すげーよ
此のような方々が、今の日本に必要ですよね
肖像は確か従兄弟の顔を元に描いたんだった気がする
西郷も高杉も結局は武士なんよなあと龍馬は虚像で偉人ではない
吉之助さー
多分大昔何かがあって戦闘の日が来て事が起きたかもしれない。西の里のどんで西洋の時の人物。今は、鹿児島市になってるから南極、南国、南の島その家族を作り上げてきたメンバーの親。
西郷さんはやはり肖像画のイメージですが、本当の姿はどうだったのかがミステリーですね!?
玄孫さんが地元の記念館来ますが、細身の方ですよ。肖像画と全然違う
司馬遼太郎の「翔ぶが如く」全10巻を丸暗記しようという野望でこれまで4回読み直しました。暇人でしょう。西南戦争研究は私の一生の課題です。
頑張った奴は殺されるか早く病死する、頑張らない人は上手く生き延び長生きする…いつの時代も一緒…要は命を捨てる覚悟がある人しか頑張らない…人間はどっちかの道を選ぶ…頑張って早く亡くなった人はあの世では天国で幸せになっているなら辻褄が合いますが…😓
戦を始めたいが為に、商家への強盗、放火、強姦などを指示した。善ばかりではなく誰にも二面性はありますね
私は、嫌いですね、
テロの指示者
みんな粒になってしまったね残念、
私の地元の西南戦争時に逃げてきて、困窮してたのか西郷札なるお金を自分で作り宿泊代など払ってたそう。 お百姓さんを戦いに駆り出してかなり亡くなったそうです。
西郷が江戸城総攻撃を中止したのは、英国のパークス公使から戦争をしても英国は新政府を支援できないとそっぽを向かれたからであり、西郷や勝の思惑とは余り関係ありません。勝は自分を大きく見せようとして話を盛る癖があるので、要注意です。有名な「龍馬が勝を斬りに行って論破され、弟子入りした。」というのも嘘です。実際には、龍馬は松平春嶽の紹介状を持っており(春嶽の回想談)、また龍馬の友人の近藤長次郎が既に勝の門弟になっていたことなどから、勝を斬りに行ったなどという話は噴飯ものです。龍馬は19歳で勝の義兄の佐久間象山の五月塾に入塾しているので、私は、その頃から龍馬が(一方的に?)勝を知っていた可能性もあると思っています。
bgmが新撰組だ
薩長同盟の立役者は坂本龍馬ではありません
その通りでごわす🙁
坂本龍馬はただの変わり者。 後々に司馬遼太郎がうまく脚色して書いただけ
西郷どん、チェスト、気張れ‼️
写真撮らなかったのは暗殺とか防いだりあと当時の迷信を信じていたからじゃないの?
西郷隆盛の写真が.なかった!
そうだ。親族数人の合成写真。
宮崎県の山の中にある、長日川温泉に湯治に来たらしく、その時の写真見ました!肖像画とはまったく別人でした。
派閥のトップでありながら真の狙いを誰も理解できない混沌の時代の英雄。誠実と謀略を高いレベルで使い分けている。
一見めっちゃ良い人にみえるけど、平気で部下に暗殺させたりやることはなかなかえぐいことやるんよなぁ
薩長軍が江戸総攻撃をしなかったのは補給路が伸びたし江戸や関東では旧幕府軍が無傷で展開していたから地の利がある旧幕府軍がゲリラ戦をしたら薩長軍は勝ち目がないという事もあるといえますね。
ちがうよ。勝海舟の人柄にこころをうたれたんだ。実際長州などは慶喜の首をとれ、と叫んでたし江戸城総攻撃を望んでいた。それに対し西郷さんは元は幕府側、慶喜を100万石程度で残すべきだ。といっていた。勝海舟としては幕府に統治能力がないいま、天皇に政治を返還して徳川も新政府に協力をして文明開化に寄与させようと思い、いたずらに抵抗して戦後処分が厳しくなるよりも江戸城を無血で明け渡し、あとの寛大なご処置を望んだといえよう。その通りになり徳川慶喜は謹慎長くおよぶも後に男爵として復活しています
長州は好戦的ですね帝国陸軍に体質遺伝して日本を滅ぼし、アメリカの州のひとつとなった
違う。薩摩は一貫して慶喜殺害で完結だった。江戸城総攻撃中止は外国勢力に漬け込まれるとの勝海舟の提言に西郷隆盛が聞き入れたからだ。この時長州藩幹部は仇敵会津藩始末で議論。枝葉を枯らしてからだったが長岡藩討伐で戸惑った。会津藩絶滅が長州藩是だったが薩摩土佐尾張備前鳥取等大藩の意見で通らず。長州は大藩ではなく中藩だったので。
金谷さんって、今でしょの塾の講師やん
孝明天皇と睦仁親王の暗殺の実行犯は全て消された。
いや、逆やろ「竜馬」が西郷どんとちょとだけ活躍したんやろ‼️
今も西郷どんが居たら自民党議員に喝を入れてもらいたい。
加賀藩、仙台藩は何をやっていたんでしかね。
清濁併せ呑む、辛い思いも苦い思いも全ては一念通天のため。本当に器の大きい人なのかなと感じた。
坂本龍馬がしたことは創作だからいちいち出さなくていい
想像で.作った西郷隆盛像。
想像じゃない。親族数人の合成。
今から200年前に武士(財務省)が貧しい農民(庶民)から金品をむしりとる姿にとても憤りを感じて外国の言いなりになっている今の幕府(自民党)では駄目だと感じた青年がいたって事だね選挙に行こう!
軍人のまま政治に手をつけなければ歴史が変わっていた
敬天愛人ならば、何故?西南戦争では勝てないと分かっていながら、数千人の薩摩隼人を死に導いたのか理解出来ない。また、西南戦争では、総大将とは云えその姿や指揮があまり見えない?総大将としての資質に疑問が残ります。
宮崎県北の延岡にあちこち西南戦争激戦の地との碑があります。この辺りのお百姓さんもかなり亡くなってる
もう少し勉強したら?大西郷全集、海音寺潮五郎、林房雄その他『西郷隆盛』に関する名著は数限りなくあります。
誰も理解できなかった。実務家西郷と革命家西郷。崇拝する帝よりも殿よりも大きくなってしまった矛盾と戦い続けた破格の人物。
@@しきしま-v6p おたく誰に言うてますのん?
@@ykykykykyk-m6z 谷たま様です。
もっとちゃんと西南戦争のこと語れよ
※フルベッキの写真が佐賀藩の致遠館の写真の筈がない。佐賀藩の藩校になぜ、岩倉具視の子供が入学出来るのか。 坂本龍馬は幕府から見れば指名手配の政治犯である。そんな人物が家の家紋の入った着物を着る筈が無い。龍馬に化けて写真に写っているのは勝海舟である。彼が脇差(実は鉄砲)で龍馬を狙撃したのだ。その脇差の柄の部分が手の握りの幅よりも短い。それを隠す為に両手を懐に入れて隠しているのだ。つまり、その写真は龍馬暗殺の実績報告のために撮ったものである。つまり、フリーメイソンの命令で勝海舟が暗殺し、その協力を請け負ったのは土佐藩士である。勤皇側をイギリス・メーソンが幕府側をフランス・メーソンが支援し、両方を戦わせて共倒れになってから、メーソンが日本を侵略する陰謀だったのである。その陰謀を龍馬が見破って、薩長同盟と大政奉還を成功させて、内乱を小さくしたから、メーソンの出る幕が無くなって、その恨みを晴らす為に暗殺されたのである。※龍馬は薩長同盟の後に寺田屋で幕吏に襲撃された。大政奉還が成立した後に近江屋で暗殺された。真犯人は薩長同盟と大政奉還をやられては困る者で、内乱が小規模になると勤皇派と佐幕派が共倒れにならないので外国勢力が日本を侵略出来ない。つまり、犯人はズバリ、フリーメイソンである。※坂本龍馬の有名な写真は額が剥げている。勝海舟は女遊びをして梅毒に罹ったから剥げているのである。ところが福井県で見つかった写真は禿が進行してもっとひどくなっている。前の写真を撮ったのは慶応3年冬頃か。すると暗殺直前である。着物の下に防寒用の白い襦袢を着ている。福井県で見つかった写真はその後に撮られたものである。これは幽霊の写真だと言うのか。紋付には胸の場所だけでなく袖にも家紋が入っている。袖の家紋を拡大してみると蔦の葉のようである。 龍馬が北辰一刀流の免許皆伝になったのは精神的に強くなって、外国の侵略から日本を救う大望を抱いたからである。その為に刺客から命を護る為に剣術修業したのである。長刀の兵法目録は龍馬が剣豪でなく、弱小の見廻組に斬殺されたと言う虚構を裏付けさせる為の後世の偽装である。剣豪でなかったらとっくに新撰組の餌食になっている。ピストル所持の嘘も同じ理由である。黒船を見て西洋の科学に驚き、幕府を倒すには銃と大砲と海軍が必要だと認識して、海外から武器を輸入する商社まで作った。龍馬は浪人で無収入である。そんな彼が家紋入りの着物を作ったり、百通の手紙を出したり、写真を撮る筈がない。龍馬は西郷に褌のお古を貰いに行っている貧乏人である。手紙のほとんどは後世の偽造(サインも)でそんなものはすべて嘘である。亀山社中の資金は薩摩藩に出して貰い、後は借金で商売している。他人の褌を借りて事業を行っていた。だから、収入は亀山社中の給与だけである。龍馬の真実を語るものはフルベッキの写真と乙女との手紙だけである。薩長同盟は敵同士になった、長州と薩摩を仲直りさせるのは難事である。龍馬が間を取り持って会談させようとしたが、西郷が面子にこだわって現れず桂が待ちぼうけを食らった。龍馬は西郷に長州の窮状を説明して薩摩が情けをかけてやるのが人情であると諭し、薩摩が下手に出ないと薩摩に裏切られたうらみは消えないと説得して、やっとの事で仲直りをさせた。大政奉還は徳川慶喜が全ての権益を放棄して、隠居する事であるから、承服し難いものである。それを龍馬が幕臣を通じて説得して、慶喜の心を動かしたのである。これはより以上の至難の難事である。龍馬の日本を救うと言う熱情が慶喜の冷潔な氷の心を溶かしたのである。もし、龍馬の働きがなかったら、明治維新は行われず、幕僚は不平等な条約を締結させられて、今の様なアメリカの奴隷国家と成り下がっていただろう。身分の差は解消されず、日本人が乞食となってアメリカ人に物乞いする為に土下座をしいられる。それでも殺されるよりましである。表面上、卑賤の生まれの者でも天皇と話が出来、一応憲法で定められた権利を主張して、生活保護等の待遇が受けられる。このように自由、平等な世界になったのは誰のお蔭か。坂本龍馬が命を捨てて働いたお蔭である。 坂本龍馬の身辺には偽装が多いので、真実を伝える文書は残っていない。 龍馬は幼い頃、泣き虫で、寝小便を垂れていたらしい。小心と言う弱点がかえってそれを克服して、命を捨てて日本を救うと言う大偉業をなし遂げたのである。無頓着な坂本龍馬でも、流石に同じ下着(褌)を付け続けているのは具合が良く無いと思ったようだ。時代は慶応。西郷隆盛の家に逗留した時のこと。龍馬は西郷の妻に、着替え用として古い褌で良いから譲ってくれと話したところ、妻は快く、言われるまま用意をして渡した。帰宅した西郷はそれを聞いて妻を叱責した。 「お国のために命を捨てようとするお方に、一番新しいのに代えてあげろ」と。そしてわざわざ新しい物を、龍馬のために用意させたのである。 龍馬は感激し(勿論その他の心遣いもあり)、隆盛夫妻に大きな信頼を寄せるようになったと言う。 フルベッキ写真(明治維新の英雄達)が闇に葬られたのは明治天皇摩り替えの証拠となるからであり、その為に龍馬、隆盛、海舟、晋作等の肖像は摩り替えられた。中央に居て、大室寅之助は刀を抱いている。武家は腰に差す。岩倉具視の子供も刀を抱いている。天皇もお公家さんだから抱いているのだ。天皇の左右に広沢真臣と副島種臣の親衛隊ががっちりガードしている。これでも大室寅之助は天皇では無いと言えるのか。中岡慎太郎、後藤象二郎、伊藤博文、大久保利通、大隈重信等は本人と認められる。 西郷隆盛の本当の顔は次のリンクのアメーバブログで紹介されている。謎の人物である。この人物は桐の御紋が入った大礼服を着ているから政府の高官である。フルベッキ写真の西郷と比較すると右頬骨の尖った骨格の輪郭がそっくりである。目、眉、鼻、口の配置が一致した。この謎の写真は西郷隆盛である。ヘラクレスのような体格、影武者を務めた永山弥一郎に面影が似ている事からも論証出来る。角館の武家屋敷青柳家で売っていた、謎の写真が西郷隆盛です。ameblo.jp/warabemonjya401/entry-12472491439.html
地元でHERO 最後は祭り上げられて テロリスト
嘘ばかり!写真も誰?操り人形
西郷さんが亡くなった前日に産まれました!
今年147歳で草
坂本龍馬は西郷を金に例えて???
なんで田原坂やねん笑
日本テレビだからじゃないかな
どゆこと?
こげなお人ではなか。ってか。
大久保利通「オレも征韓論唱えときゃよかった」
山本太郎が現代の西郷隆盛だよ。
んなぁ、こたぁない
@@kiteletsu-10 俺そんな事言ってたの?忘れちゃった。
山本太郎なんかと一緒にすんなよ
いつの話されてますか?
敬天愛人!
大好きな素晴らしい言葉、城山の西郷さんが立てこもった洞窟、無数に残る城山の銃弾の跡、自害した場所、お墓にも行く事出来ました、とても感慨深い思いです、共に幕府を倒した官軍には敬天愛人の志しはなく結局は私利私欲を持つ人間ばかりに嫌気がさして西郷さんは袂を分けたのだと思いますます。
西郷隆盛、かっこいい!僕もそんな人間になれるように頑張ります!
お前じゃないでしょ
小さく叩けば小さく響き、大きく叩けば大きく響く。四文字熟語で言うと「変幻自在」でしょうか。倒幕時は頼もしかった「西郷」も明治政府には「厄介者」になった。今で言う「融通のきかない人」だったのでしょう。嘘のつけない純粋な人だったのだと想像できます。大好きな人物です。
この様な先頭に立ってくれる政治家は今の世の中にはいない。見習え今の政治家!!
西郷さんに関する書籍は、海音寺潮五郎さんを、始め汎ゆる雑誌を読み漁りました。歴史上の人物の中で、一番尊敬しています。薩摩へは、何度も訪れています。必ず南洲神社に参ります。
敬天愛人、この言葉私の胸に秘めてる言葉だ
転生して総理大臣になってくれ
大和魂の時代に生きた人ですから。
当時の考えを支持されるでしょうかね。
時代って皮肉なもんだよなあ。こいう立派な人たちがはやくして命をたたれてで今の政治家はなんなんだよ私利私欲で傲慢でほとんど仕事をしない連中が生き延びてんだからよ。
西郷さんは古今無双の英雄
抜刀隊の歌詞にもなってますね「古今無双の英雄で」。
西郷隆盛は島津斉彬の隠密をしていたから顔が分かるといけないのでその後も写真を撮られるのを避けていたという説もありますね。
やった事が全て正しいとは言えない部分もあるけど、西郷さんをはじめ、薩摩の若者たちが命を賭して日本を変えようとした心意気は素晴らしいものだと思う。
私学校の荒くれ者ヤンキー集団をまとめてた西郷すげーよ
此のような方々が、今の日本に必要ですよね
肖像は確か従兄弟の顔を元に描いたんだった気がする
西郷も高杉も結局は武士なんよな
あと龍馬は虚像で偉人ではない
吉之助さー
多分大昔何かがあって戦闘の日が来て事が起きたかもしれない。西の里のどんで西洋の時の人物。今は、鹿児島市になってるから南極、南国、南の島その家族を作り上げてきたメンバーの親。
西郷さんはやはり肖像画のイメージですが、本当の姿はどうだったのかがミステリーですね!?
玄孫さんが地元の記念館来ますが、細身の方ですよ。肖像画と全然違う
司馬遼太郎の「翔ぶが如く」全10巻を丸暗記しようという野望でこれまで4回読み直しました。暇人でしょう。西南戦争研究は私の一生の課題です。
頑張った奴は殺されるか早く病死する、頑張らない人は上手く生き延び長生きする…いつの時代も一緒…要は命を捨てる覚悟がある人しか頑張らない…人間はどっちかの道を選ぶ…頑張って早く亡くなった人はあの世では天国で幸せになっているなら辻褄が合いますが…😓
戦を始めたいが為に、商家への強盗、放火、強姦などを指示した。善ばかりではなく誰にも二面性はありますね
私は、嫌いですね、
テロの指示者
みんな粒になってしまったね残念、
私の地元の西南戦争時に逃げてきて、困窮してたのか西郷札なるお金を自分で作り宿泊代など払ってたそう。 お百姓さんを戦いに駆り出してかなり亡くなったそうです。
西郷が江戸城総攻撃を中止したのは、英国のパークス公使から戦争をしても英国は新政府を支援できないとそっぽを向かれたからであり、西郷や勝の思惑とは余り関係ありません。
勝は自分を大きく見せようとして話を盛る癖があるので、要注意です。有名な「龍馬が勝を斬りに行って論破され、弟子入りした。」というのも嘘です。実際には、龍馬は松平春嶽の紹介状を持っており(春嶽の回想談)、また龍馬の友人の近藤長次郎が既に勝の門弟になっていたことなどから、勝を斬りに行ったなどという話は噴飯ものです。龍馬は19歳で勝の義兄の佐久間象山の五月塾に入塾しているので、私は、その頃から龍馬が(一方的に?)勝を知っていた可能性もあると思っています。
bgmが新撰組だ
薩長同盟の立役者は坂本龍馬ではありません
その通りでごわす🙁
坂本龍馬はただの変わり者。 後々に司馬遼太郎がうまく脚色して書いただけ
西郷どん、チェスト、気張れ‼️
写真撮らなかったのは暗殺とか防いだりあと当時の迷信を信じていたからじゃないの?
西郷隆盛の写真が.なかった!
そうだ。親族数人の合成写真。
宮崎県の山の中にある、長日川温泉に湯治に来たらしく、その時の写真見ました!肖像画とはまったく別人でした。
派閥のトップでありながら
真の狙いを誰も理解できない混沌の時代の英雄。
誠実と謀略を高いレベルで使い分けている。
一見めっちゃ良い人にみえるけど、平気で部下に暗殺させたりやることはなかなかえぐいことやるんよなぁ
薩長軍が江戸総攻撃をしなかったのは補給路が伸びたし江戸や関東では旧幕府軍が無傷で展開していたから地の利がある旧幕府軍がゲリラ戦をしたら薩長軍は勝ち目がないという事もあるといえますね。
ちがうよ。勝海舟の人柄にこころをうたれたんだ。実際長州などは慶喜の首をとれ、と叫んでたし江戸城総攻撃を望んでいた。それに対し西郷さんは元は幕府側、慶喜を100万石程度で残すべきだ。といっていた。勝海舟としては幕府に統治能力がないいま、天皇に政治を返還して徳川も新政府に協力をして文明開化に寄与させようと思い、いたずらに抵抗して戦後処分が厳しくなるよりも江戸城を無血で明け渡し、あとの寛大なご処置を望んだといえよう。その通りになり徳川慶喜は謹慎長くおよぶも後に男爵として復活しています
長州は好戦的ですね帝国陸軍に体質遺伝して日本を滅ぼし、アメリカの州のひとつとなった
違う。薩摩は一貫して慶喜殺害で完結だった。江戸城総攻撃中止は外国勢力に漬け込まれるとの勝海舟の提言に西郷隆盛が聞き入れたからだ。この時長州藩幹部は仇敵会津藩始末で議論。枝葉を枯らしてからだったが長岡藩討伐で戸惑った。会津藩絶滅が長州藩是だったが薩摩土佐尾張備前鳥取等大藩の意見で通らず。長州は大藩ではなく中藩だったので。
金谷さんって、今でしょの塾の講師やん
孝明天皇と睦仁親王の暗殺の実行犯は全て消された。
いや、逆やろ「竜馬」が西郷どんとちょとだけ活躍したんやろ‼️
今も西郷どんが居たら自民党議員に喝を入れてもらいたい。
加賀藩、仙台藩は何をやっていたんでしかね。
清濁併せ呑む、辛い思いも苦い思いも全ては一念通天のため。
本当に器の大きい人なのかなと感じた。
坂本龍馬がしたことは創作だから
いちいち出さなくていい
想像で.作った西郷隆盛像。
想像じゃない。親族数人の合成。
今から200年前に
武士(財務省)が貧しい農民(庶民)から金品をむしりとる姿にとても憤りを感じて
外国の言いなりになっている今の幕府(自民党)では駄目だと感じた青年がいたって事だね
選挙に行こう!
軍人のまま政治に手をつけなければ歴史が変わっていた
敬天愛人ならば、何故?西南戦争では勝てないと分かっていながら、数千人の薩摩隼人を死に導いたのか理解出来ない。また、西南戦争では、総大将とは云えその姿や指揮があまり見えない?総大将としての資質に疑問が残ります。
宮崎県北の延岡にあちこち西南戦争激戦の地との碑があります。この辺りのお百姓さんもかなり亡くなってる
もう少し勉強したら?大西郷全集、海音寺潮五郎、林房雄その他『西郷隆盛』に関する名著は数限りなくあります。
誰も理解できなかった。
実務家西郷と革命家西郷。
崇拝する帝よりも殿よりも大きくなってしまった
矛盾と戦い続けた破格の人物。
@@しきしま-v6p おたく誰に言うてますのん?
@@ykykykykyk-m6z 谷たま様です。
もっとちゃんと西南戦争のこと語れよ
※フルベッキの写真が佐賀藩の致遠館の写真の筈がない。佐賀藩の藩校になぜ、岩倉具視の子供が入学出来るのか。
坂本龍馬は幕府から見れば指名手配の政治犯である。そんな人物が家の家紋の入った着物を着る筈が無い。龍馬に化けて写真に写っているのは勝海舟である。彼が脇差(実は鉄砲)で龍馬を狙撃したのだ。その脇差の柄の部分が手の握りの幅よりも短い。それを隠す為に両手を懐に入れて隠しているのだ。つまり、その写真は龍馬暗殺の実績報告のために撮ったものである。つまり、フリーメイソンの命令で勝海舟が暗殺し、その協力を請け負ったのは土佐藩士である。勤皇側をイギリス・メーソンが幕府側をフランス・メーソンが支援し、両方を戦わせて共倒れになってから、メーソンが日本を侵略する陰謀だったのである。その陰謀を龍馬が見破って、薩長同盟と大政奉還を成功させて、内乱を小さくしたから、メーソンの出る幕が無くなって、その恨みを晴らす為に暗殺されたのである。※龍馬は薩長同盟の後に寺田屋で幕吏に襲撃された。大政奉還が成立した後に近江屋で暗殺された。真犯人は薩長同盟と大政奉還をやられては困る者で、内乱が小規模になると勤皇派と佐幕派が共倒れにならないので外国勢力が日本を侵略出来ない。つまり、犯人はズバリ、フリーメイソンである。
※坂本龍馬の有名な写真は額が剥げている。勝海舟は女遊びをして梅毒に罹ったから剥げているのである。ところが福井県で見つかった写真は禿が進行してもっとひどくなっている。前の写真を撮ったのは慶応3年冬頃か。すると暗殺直前である。着物の下に防寒用の白い襦袢を着ている。福井県で見つかった写真はその後に撮られたものである。これは幽霊の写真だと言うのか。紋付には胸の場所だけでなく袖にも家紋が入っている。袖の家紋を拡大してみると蔦の葉のようである。
龍馬が北辰一刀流の免許皆伝になったのは精神的に強くなって、外国の侵略から日本を救う大望を抱いたからである。その為に刺客から命を護る為に剣術修業したのである。長刀の兵法目録は龍馬が剣豪でなく、弱小の見廻組に斬殺されたと言う虚構を裏付けさせる為の後世の偽装である。剣豪でなかったらとっくに新撰組の餌食になっている。ピストル所持の嘘も同じ理由である。黒船を見て西洋の科学に驚き、幕府を倒すには銃と大砲と海軍が必要だと認識して、海外から武器を輸入する商社まで作った。龍馬は浪人で無収入である。そんな彼が家紋入りの着物を作ったり、百通の手紙を出したり、写真を撮る筈がない。龍馬は西郷に褌のお古を貰いに行っている貧乏人である。手紙のほとんどは後世の偽造(サインも)でそんなものはすべて嘘である。亀山社中の資金は薩摩藩に出して貰い、後は借金で商売している。他人の褌を借りて事業を行っていた。だから、収入は亀山社中の給与だけである。龍馬の真実を語るものはフルベッキの写真と乙女との手紙だけである。
薩長同盟は敵同士になった、長州と薩摩を仲直りさせるのは難事である。龍馬が間を取り持って会談させようとしたが、西郷が面子にこだわって現れず桂が待ちぼうけを食らった。龍馬は西郷に長州の窮状を説明して薩摩が情けをかけてやるのが人情であると諭し、薩摩が下手に出ないと薩摩に裏切られたうらみは消えないと説得して、やっとの事で仲直りをさせた。
大政奉還は徳川慶喜が全ての権益を放棄して、隠居する事であるから、承服し難いものである。それを龍馬が幕臣を通じて説得して、慶喜の心を動かしたのである。これはより以上の至難の難事である。龍馬の日本を救うと言う熱情が慶喜の冷潔な氷の心を溶かしたのである。
もし、龍馬の働きがなかったら、明治維新は行われず、幕僚は不平等な条約を締結させられて、今の様なアメリカの奴隷国家と成り下がっていただろう。身分の差は解消されず、日本人が乞食となってアメリカ人に物乞いする為に土下座をしいられる。それでも殺されるよりましである。表面上、卑賤の生まれの者でも天皇と話が出来、一応憲法で定められた権利を主張して、生活保護等の待遇が受けられる。このように自由、平等な世界になったのは誰のお蔭か。坂本龍馬が命を捨てて働いたお蔭である。
坂本龍馬の身辺には偽装が多いので、真実を伝える文書は残っていない。
龍馬は幼い頃、泣き虫で、寝小便を垂れていたらしい。小心と言う弱点がかえってそれを克服して、命を捨てて日本を救うと言う大偉業をなし遂げたのである。無頓着な坂本龍馬でも、流石に同じ下着(褌)を付け続けているのは具合が良く無いと思ったようだ。時代は慶応。西郷隆盛の家に逗留した時のこと。龍馬は西郷の妻に、着替え用として古い褌で良いから譲ってくれと話したところ、妻は快く、言われるまま用意をして渡した。帰宅した西郷はそれを聞いて妻を叱責した。 「お国のために命を捨てようとするお方に、一番新しいのに代えてあげろ」と。そしてわざわざ新しい物を、龍馬のために用意させたのである。 龍馬は感激し(勿論その他の心遣いもあり)、隆盛夫妻に大きな信頼を寄せるようになったと言う。
フルベッキ写真(明治維新の英雄達)が闇に葬られたのは明治天皇摩り替えの証拠となるからであり、その為に龍馬、隆盛、海舟、晋作等の肖像は摩り替えられた。中央に居て、大室寅之助は刀を抱いている。武家は腰に差す。岩倉具視の子供も刀を抱いている。天皇もお公家さんだから抱いているのだ。天皇の左右に広沢真臣と副島種臣の親衛隊ががっちりガードしている。これでも大室寅之助は天皇では無いと言えるのか。中岡慎太郎、後藤象二郎、伊藤博文、大久保利通、大隈重信等は本人と認められる。
西郷隆盛の本当の顔は次のリンクのアメーバブログで紹介されている。謎の人物である。この人物は桐の御紋が入った大礼服を着ているから政府の高官である。フルベッキ写真の西郷と比較すると右頬骨の尖った骨格の輪郭がそっくりである。目、眉、鼻、口の配置が一致した。この謎の写真は西郷隆盛である。ヘラクレスのような体格、影武者を務めた永山弥一郎に面影が似ている事からも論証出来る。角館の武家屋敷青柳家で売っていた、謎の写真が西郷隆盛です。
ameblo.jp/warabemonjya401/entry-12472491439.html
地元でHERO 最後は祭り上げられて テロリスト
嘘ばかり!写真も誰?操り人形
西郷さんが亡くなった前日に産まれました!
今年147歳で草
坂本龍馬は西郷を金に例えて???
なんで田原坂やねん笑
日本テレビだからじゃないかな
どゆこと?
こげなお人ではなか。ってか。
大久保利通「オレも征韓論唱えときゃよかった」
山本太郎が現代の西郷隆盛だよ。
んなぁ、こたぁない
@@kiteletsu-10 俺そんな事言ってたの?忘れちゃった。
山本太郎なんかと一緒にすんなよ
いつの話されてますか?