苦しそうな顔の演奏家というと、私が思い浮かべるのはギターリストのエリック・クラプトン(若い頃の)。たぶん「なんか芸術家っぽくてカッコいい」ということで人気なんだろうと思いますが。。。グッチ裕三が「あのこはだレイラ by エリックかけブトン」というパロディにしてますが、なかなか本質ついていると思います。このパロディの姿が案外「芸術家っぽい」と思わされているものの本当のところかも。
忠犬ハチ公もそうですね。さて、ベトナム語を7年程勉強していますが、ベトナム語で「お手伝いさん」はôsinで、テレビドラマÔsin(おしん)が外来語化してしまう程「おしん」は人気があります。また、ベトナムの歌のジャンルに日本の演歌に相当する「ボレロ(スペインのものとは異なります)」があり、内容は日本の演歌に似ております。これは世界的作曲家Trịnh Công Sơn(チン・コン・ソン)さんのDiễm xưa(日本語名「美しい昔」)が天童よしみさん、加藤登紀子さんによって日本で大ヒットしたことでもわかります。ベトナム国立交響楽団の音楽監督兼首席指揮者は福島県生の本名徹次さんであることは無関係かもしれませんが、性格的には几帳面な日本人とは反対の性格を有するベトナム人達。でも、私は日本語学校教員時代にベトナム人学生達と音楽の話をしましたが「苦しみの共感」を上記の「ボレロ」の歌に求めると言っておりました。だから、他の誰もベトナム人学生に紹介しないので、私がいわゆる「ド」演歌を彼らに紹介・解説すると彼らはとても喜ぶのです。そんな時私たちはアジア的心情を共有していると感じて親近感を増すのです。
green grassさん そんな感じですね。それと、今回のお話をきっかけに、日本人のクラシックのソリストの演奏動画を見てみたら、プロでも目を閉じて演奏している人が多いなと思いました。目を閉じたら、観客とも共演者ともコミュニケーションできなくなるのに、不思議ですね。アイコンタクトはステージの基本だと思います。
僕は主にピアニストですが、苦しそうな表情、眉間にしわ寄せて、目を閉じて演奏されるのは嫌いです。
大事な音の表現より、顔が気になります。
なるほど、欧州の人の心の底には「救い」があるんですね。
納得の人生観です。
いつも、とても参考になる動画ありがとうございます。
海外で勉強中に、日本人独特の「苦しみ過剰表現」が自分にもモロにあることを自覚しました。留学先の師匠からは、「表現は外に押し出せ!」との指導。
しばらくの海外生活から帰国後は、今度は逆に「苦しみ=成長」という日本の風潮に馴染めず…。
こうして今回の映像で明快に説明されて、いま自分が何に違和感を感じているのか、漸く気付けそうです。
今日のお話で、とても共感した部分があったので、書き送らせて頂きます。それはヨーロッパの場合、ということでしたが、
“たいていの人は「苦しみ」ではく、その先にある「救い」や「光」というものを音楽に求めている。“ーそうです!これが、私が音楽において表現しようとしてきたものなのです!車田先生、ありがとうございます💛。私のやるべきことが明確になりました。
今迄で一番興味深いお話でした!
文化の違いが音楽観や表情にまで影響してるとは!
「アジア人は苦労話が好きだけど、西洋人は成功話が好き」とか「演歌・おしん」のお話に納得。
西洋人は「救いを求める」「表現は外向きに」こういう切り口で音楽を学んだのは初めてで本当に初めて知る事ばかりを解りやすくご教授下さりありがとうございます!
😊😊
私はいわゆる古典派の音楽以外にバロック音楽も好きでいつも聴いて癒されておりますが、深く心を揺さぶられる曲の多くは長調のものです。かえって短調の曲よりも明るい長調の曲の中にこそ独特の深い郷愁や寂しさ、そして悲しみさえ感じます。 その理由がこの車田さんの動画で氷解しました。 私は正真正銘の日本人なのですが、昔からお涙頂戴の苦労話や怨念、執着といった感情が苦手で、音楽に於いても同じく、いかにも苦しそうな表情で演奏する人達は見ていて不快に思っておりました。どうやら感性としてはあまり日本人的でないwのが大きな理由なのかもしれません。しかし、音楽鑑賞におけるその感覚は普通に妥当なんだなと車田さんのお話で再認識し元気を頂きました。有難うございます。
こういう事をハッキリと言葉にして発信してくれる日本のプロ音楽家がいる事がありがたい。
「バッハでありながら演歌のようなバッハになってしまう」というご指摘に我が意を得たりという思いをしております。
日本人はバッハのマタイ受難曲 BWV244 が好きだと言われています。特に日本人は第62曲のイエスの刑死あたりまでが好きで、日本人が演奏するとまさに演歌調の「涙に咽ぶ受難の物語」になってしまいます。
でも、この長大な構造物の焦点はイエスが刑死した後の第65曲 Mache dich, mein Herze, rein, 「心を清くせよ…イエスを受け入れよ」のバスのアリア以降にこそあります。このバッハ渾身のメッセージが日本人にはピンとこないので、なんだか消化試合みたいな気合の入らない演奏になってしまいます。
キリスト教の主眼はイエスの死よりも彼の肉体と精神の復活にこそあるのですが、どうも日本人には復活による栄光の物語には興味が無いように思えます。もっとも日本人にキリスト教が普及しない主な理由はそんなところにあるのかもしれません。となると音楽観の違いというより宗教観あるいは人生観の違いとも言えるような気がしてきました。
素晴らしい解説ありがとうございます
ショパンコンクールで入賞したガルシア氏が仰っていたのですが、ショパンのどんな曲においても希望が表現されているそうです。ノクターンの13番やその他の暗く苦しい曲でも光や希望を探し出して演奏することが重要なのではないかと考えられていました。この動画ともすごく繋がることがあって面白かったです
😊😊
車田さんのお話は本当に解りやすいです。
確かに演奏される方の表情が苦しそうだとこっちまで伝染して苦しくなります。
聴き終わる頃にはどっぷり疲れます😅 なので感情が豊かに表情に現れる方の演奏は目を閉じて心穏やかに聴くようにしています☺️
私も毎日レタスもりもりのサンドイッチを食べてます。美味しいですよねー😋
ありがとうございます😊😊
最後のコーヒータイム
やっぱり好きだな〜
けど、さすがプロの音楽家
食べ物の選び方や作り方、食べ方が繊細で丁寧ですね〜
そこにもいつも感動してます〜
😊😊
日本人でも最近は、変わりつつあると思います。反田恭平さんは笑顔が多く、演奏を楽しんでいるように見えます。演歌でも、石川さゆりさんは表情豊かで、暗い歌詞の部分でも上を向いて明るい表情で歌っています。外国人にもファンが多いようです。
文化、芸術に触れる喜びの1つですね。
こういう事に疑問を持って解説してくださることに感謝します。
😊😊
今回のテーマはとても面白かったです。「苦しみの先に救いや、安らぎを求める」そうですよね。音楽がなぜ存在するかの原点にも思えます。
😊😊
楽しいお話しありがとうございました。くるみの先にある喜びや救い きちんと表現できる様に なりたいです。
何かモヤモヤしていたものが、すっきりしました。すべてではありませんが、諸外国の演奏家の方が魅力的に感じていたことに、納得です。
とてもいいお話でした。文化の違い、宗教の違いで演奏家の表情も表現の仕方も変わるというのは新しい視点です。私はジャズマンなのでクラシック演奏家の苦しい表情は演出かもと思っていましたがもっと深いところで起きていることなんですね。
画面がクルクル回って見れないのでタイトルからの想像でのコメントで失礼します。
日本人って何でも「〇〇道」にしたがるというメンタリティが大いに関係しているように思います。
野球が一番わかりやすい例でアメリカのbaseballとは全く違う「野球道」になってしまっています。最近ではラーメン店までが「ラーメン道」になってしまっていて、なんでラーメン食べるだけなのに修行しないといけないの?といつも不思議に思っています。こういうの好きなんですよね、日本人は。
とても貴重なお時間、ありがとうございます‼️
😊😊
「苦しみにどっぷり浸かった演奏」
明治維新から続く日本の根性論的な考えがスポーツ、芸術において、尾を引いている可能性とかもありますね。
日本人は根性で頑張ることが美徳とされる流れが今日にも多く残っていると思います。
根性論を否定しませんが、周りと違った表情や演奏、表現を「なんだお前は」みたいな感じで否定することはあんまり好きではないです。
日本人の音楽について少しモヤモヤしていた部分があったので話してくださって少し納得できました。
ありがとうございます。
とても、興味深いお話でした。確かに、ヨーロッパの文化では、苦労や困難の向こうにある希望や光を大切にしていますよね。ただ哀愁に浸るだけではないということですよね。バッハが演歌になってはいけない。以前バッハの曲を練習している時、ここのフレーズは希望につながるように表現してと言われたことがあります。やはりその国の文化、作曲者の思いを知って演奏すること大切ですね。
とても考え深いお話、有り難う❤面白かった🎉
文化の違いは本当に面白いし興味深いですね。
宗教観も関係あるでしょうし。
貴重なお話ありがとうございます!
いつもなるほどと思って見させていただいております。ありがとうございます。
私は苦悩の表情を浮かべた演奏も好きです。その方が好きなくらいです。何せ、運動部で水を飲むなと言われて指導された者ですから。苦しみを美化してしまうのです。
苦悩に満ちた表情で演奏する辻音楽師の姿を賞賛した太宰治の一文が頭に蘇ってきました。
自分はまだまだ(クラシック)音楽の聴き方が未熟なのでしょうね?苦悩の先にあるものを見つけられずに苦しんでいます。
「苦しみの先にある救いや光を求めている」なるほど。
「苦しみは救いや光につながるプロセスの一部である」なるほど。
「ヨーロッパの音楽にとって、苦しみは再体験するためではない」なるほど。
閉ざされた苦しみの表情と開かれた苦しみの表情の違いは微妙ですね。これからは、この観点に注意して演奏者を見てみようと思いました。
動画を繰り返し何度も見て少しわかった感じがしてきました。
5:30 6:23 8:10 8:16 12:29
😊😊
興味深いお話。
演奏家が苦しそうな表情で演奏するだけでなく、
聞く側もこういう傾向がある。
たとえば、非常にロマンティックな音楽を鎮魂歌;幻想的な音楽をせつないと受け止めた。
また、素晴らしい演奏を聞いたら、必ず ‘’泣いた‘’ というコメントがずらりと書いた。
どうして❓
苦しそうな顔の演奏家というと、私が思い浮かべるのはギターリストのエリック・クラプトン(若い頃の)。たぶん「なんか芸術家っぽくてカッコいい」ということで人気なんだろうと思いますが。。。グッチ裕三が「あのこはだレイラ by エリックかけブトン」というパロディにしてますが、なかなか本質ついていると思います。このパロディの姿が案外「芸術家っぽい」と思わされているものの本当のところかも。
アーティストが自分の演奏や創作物に酔ってた感じで人に伝えると言うのも変な感じですよね。言われていることが判った気がします。私は音楽に関して全くの素人ですがピアニストのルービンシュタインなどは平然と演奏しています。日本のピアニストが体をゆすりながら表情たっぷりに演奏するのとは違います。西洋の音楽家は子供のころからそういう教育を受けているのでしょうか?しかめっ面の演奏が悪いとは思いませんが、外に向かって表現するのだというお話が勉強になりました。ありがとうございました😸☕
本当にそう思います。
忠犬ハチ公もそうですね。さて、ベトナム語を7年程勉強していますが、ベトナム語で「お手伝いさん」はôsinで、テレビドラマÔsin(おしん)が外来語化してしまう程「おしん」は人気があります。また、ベトナムの歌のジャンルに日本の演歌に相当する「ボレロ(スペインのものとは異なります)」があり、内容は日本の演歌に似ております。これは世界的作曲家Trịnh Công Sơn(チン・コン・ソン)さんのDiễm xưa(日本語名「美しい昔」)が天童よしみさん、加藤登紀子さんによって日本で大ヒットしたことでもわかります。ベトナム国立交響楽団の音楽監督兼首席指揮者は福島県生の本名徹次さんであることは無関係かもしれませんが、性格的には几帳面な日本人とは反対の性格を有するベトナム人達。でも、私は日本語学校教員時代にベトナム人学生達と音楽の話をしましたが「苦しみの共感」を上記の「ボレロ」の歌に求めると言っておりました。だから、他の誰もベトナム人学生に紹介しないので、私がいわゆる「ド」演歌を彼らに紹介・解説すると彼らはとても喜ぶのです。そんな時私たちはアジア的心情を共有していると感じて親近感を増すのです。
すごく面白い内容のお話、ありがとうございます。
わたしも友だちとのサークル活動でさっそく表情と音の関係、試してみます。
サンドイッチいいですね。わたしもドイツへ旅行して以来、駅売りのバケットサンドの
虜となり今でも自宅で再現しようと続けてます。
また、ドイツにいきたいな~☺
😊😊
今日も、とても良いお話を聞かせていただきましたこと、感謝を申し上げずには居られません。
「悲しい」とか「苦しい」などの心の動きは、肉体的に「痛い」と感じることと同じであり、とても『肉的』な現象です。
人間の普遍的な思考が『肉的』なのであり、答えを見出すことのできない悲惨なものであるに対し、一方、芸術の作用するパワーは、『霊的』であると言えます。
たとえ過酷な楽器の練習であっても、霊的な光を探し求めるための行為であるのなら、そこに微かな『光」が見え隠れしている期間に限って私たちにはこれを続け、成し遂げるための尽きることのない偉大なパワーが供給され続けます。
そして、やがてその『霊的』なパワーが、人の腎の底から外側に向けてれ溢れ出る瞬間が度々訪れるのだと思います。
音楽は素晴らしい!
Magnificent!
😊😊😊
イタリアの知り合いの中には、日本の「禅」とか「茶道」とか「生花」が好きな人が意外に多いのに驚きます。さらにびっくりしたのは、ミラノやパリで盆栽がおしゃれな店に数多く置いてあることです。アール・ヌーボーの画家は浮世絵に影響を受けてたり、現代音楽家のジョンケージは禅を勉強してたり。これほど驚くべき日本文化ファンが多いのに、なぜ日本人は欧米はこうですからねって説明されたら簡単に受け入れるんでしょうね。例えば、津軽三味線の持っている世界観や自然観は苦楽を飛び越えた、その先を感じさせてくれるような気がします。欧米の人は日本に憧れ、日本の人は欧米に憧れる。そんな構図は普遍的なんでしょうか?
隣の芝生は青いという感じかな。
green grassさん そんな感じですね。それと、今回のお話をきっかけに、日本人のクラシックのソリストの演奏動画を見てみたら、プロでも目を閉じて演奏している人が多いなと思いました。目を閉じたら、観客とも共演者ともコミュニケーションできなくなるのに、不思議ですね。アイコンタクトはステージの基本だと思います。
@@fishfunky8797 日本人は基本的に恥ずかしがり屋が多い。普段、目と目を向き合って話ができない。しかし、西洋人は会話中、目がきょろきょろしたら、不誠実だと思われる。
車田さんのおっしゃっている事、よく分かります😅
私がいつも感じる事は、日本人は感情を音で表現して、外国人は音で感情を表現しているように感じます。似ているようですが、同じ曲を聴き比べていると、たまに前者はもう、お腹いっぱいに感じてしまい、後者は「ああ‥こんな
表現方法するんだ‥」と余韻が残り驚きや、迷いや、感動したりしてしまいます😅
😊😊
オススメに上がってきたのでちょっと見てみようかなと思って寄ったんですが、面白いです。
私は音楽を勉強しているものではない単なるクラシックファンで特にViolin Loverなんですが、
あるヴァイオリニストのファンなので、そのコンサートのためにドイツに度々行ったりしています。
それで思うのは、日本人のヴァイオリニストは確かに表情で感情表現していますが、演奏自体にはそれほど反映されているとは
思えないんですよねー。ヨーロッパのヴァイオリニストは苦しそうな表情はしないけれど、音に表情がある。
以前、Pinchas Zukermanがジュリアードが主催するマスタークラスで、テクニックは完璧だけど歌わない、アジア人は韓国人も日本人も歌わない(つまり歌うように弾いてないってことかと)と言って、人種差別問題に発展して謝罪したということがありましたよね。
でも、私は、うんそうだよね。日本人演奏家ってテクニックはあってもなんか物足りないんだよねえ、どっか平坦だし色気ないしって
思いました。それが人種のせいにしてしまったことが問題だったんだけど、ありがちなことだと思いました。
私は小学生の頃にアニメから声優ファンになり、まずは劇団へ駆け込み!!でした...。そこでは「苦しい」「有難い」etc短いコトバに何十パターンも表情つけるレッスンがまっていました🙄
❨←最近は絵文字の顔すべて再現しきれるヒトいたらスゴ~ッと思います....❩
チームレッスンが楽しかったです。苦でも体調不良と恨み辛みでは違いますし試行錯誤するのが...。
いまは作詞作曲で卒業のうたをやってますけど、何を卒業という受け止めが1人1人違いこれも結構盛り上がります。
先生の解き放たれた表現もふかいな~と思ってから、サンドで全解放されてつい笑ってしまいました!
車田先生
今日のご投稿も大変勉強になりました(^_^)
悲しみの表現について
以前、狂言師の野村萬斎さんがイギリスに留学されていた際のお話で、同じようなニュアンスの事を言っておられました。
短調の曲 苦労の演歌 おしん なるほどですね~(^o^)
売れるためには実力よりエピソードかも。。。そう言われていますもんね(^_^;)
ちょっとずれるかもですが
フジ子ヘミングさんがNHKで特集されて一躍注目された時のフィーバーぶりを思い出しました。
私はその特集を見ていなくて、フジ子さんの事もほとんど知らなかったのですが
クラッシックに全く興味がなく、クラシックコンサートにも行った事のない、知り合いや身内(義理の兄弟!等など)達が
わざわざ休みを取り、高額なチケットを買って、嬉しそうに出掛けている事をずっと不思議に思っていました。。。
彼女の特殊な壮絶な苦労エピソードや、ちょっと変わったファッションや演出に引きつけられているようで
彼らにコンサートの感想を聞くと、演奏の感想ではなく彼女の苦労話を色々教えてくれました(爆)
私は、彼女の不思議な文章力や、なんとも言えないイラストっぽいかわいい絵 好きです(*^_^*)
「美人女性ピアニストの演奏時の苦しそうな表情がたまらない」とある男性から聞いた事があり
そういう観点?もあるのね。。。と驚いた事を思い出しました。。。
開かれた悲しみの表現
私は、芸術は負の感情や出来事や物事をも美に変えて表現するものだと思っているので
素晴らしいこのお言葉頂きます!
現役高校教師ピアニストマユミージュことMayumi
車田先生、いいお話ですね。
私も光や希望の歌を選びたいです。🎵
曲とかを聞いているとき演奏している方の表情が音楽以上に表現しようとされているのがうるさく感じてました。演奏している自分まで苦しんではいけないのを客観的に説明いただいて楽しかったでした。
いつも動画楽しみにしています!
確かに、プロのコンサートなどに行っても苦しそうに演奏してる人はよく見かけます!
苦しそうな表情をするのは見てて疲れるので、いつもホールに響いてる音を聴いて感じるままに音楽を楽しんでます!
あと苦しみの中にも何かしらの希望を与えるためや、希望を持つために書かれてる作品が多いと思って聴いてます!
いつも勉強させてもらってます。
小学校の頃、音楽好きの校長がよく音楽の授業を乗っ取って「今日はベートーヴェンを聴こう」とかレコード鑑賞やらせてましたが、第九4楽章冒頭、バスの出だしの瞬間クラスが大爆笑し、それに失望した校長は教室を出て行ってしまいました。
その後取り巻き教師達が寄ってたかって児童達に反省会をやらせました。
児童と言ってもテイーチヤーズペット達はお受験の内申書もあり、世渡り上手なので、先頭を切って高尚な芸術を理解できない奴らは自己批判しろ!とクラスが文化大革命みたいになってしまいました。🤣
そんな私もビートルズのレボ9とかを、カスどもには分からんだろうなこの芸術は、と周りに言ってました。
とても良いお話しです。私はかなり微笑みながら演奏しているようです😂
来月のコンクール本選で活かしていこうと思いました。ありがとうございました
毎回全く的を得た話でとても興味深いです。
そうですね、日本人は一番大事な「音楽をやる喜び」というのがないのです。
僕はもう47年間ヨーロッパで音楽をやっているのでその違いが
分かります。クラシック音楽ならまだ話は分からないことはないですが、
ジャズや軽音楽で本来楽しい曲なのに全く楽しそうにやっていないんですね。
クラシックでも楽しい曲はいっぱいあるのにそれですらそれが表現出来ていないです。
言われるように悲しい曲を演奏する時でも「音楽をやる喜び」が無くては
ならないと思うのですが。
このチャネルは専門家もたくさんフォローされてるでしょう、ぜひ国内の全ての音楽大学で話してほしい。
日本国内でしか通用しない演奏家を増産しないで❗️
苦しさの表現の違いとして内側にため込むのと外に向けて表現するというお話がとても参考になりました。
アジア系のピアニストに顕著な苦しみの表情は注目を集めるための演出と思っていましたが、結構根が深い文化的な問題がありそうですね。
演奏家もそうですが、演奏を聞く方でも割と眉間に皺を寄せて聞いている人が多いのかもしれません。
私個人もコンサートで美しい響きに出会えた時、「ああ至福の時」と思いながら眉間に皺が寄ってしまいます。
本当に毎回車田さんの話しには感動と感激があります。
これからアマチュア声楽コンクールに出演。
トスティのイデアーレ
ミミの告別の歌
譜面上の細かい指示
を忠実に再現できればおのずと感情が伝わること、やっと分かってきました。
アマにはそれが一番難しいのですけど(笑)。
演歌歌手(演歌も好きですが)にならないよう気を付けます😊
苦しみの表現、国によって違うのですね。おしんは中東紛争の時、TV放送時は停戦されました。
それと、珈琲お好きなんですね。
私喫茶店やってます。
車田さんに美味しい私の珈琲を淹れて差し上げたい♥️
😊😊😊
ありがとうございました 毎回 車田 さんのお話が私が思ってることを代弁して頂いてるみたいで
嬉しいです 。 私も海外に留学して このことは 痛感しております。 日本人は 耐え忍ぶということを 美学としてるような気がします。 音楽とは 違いますが よく 甲子園で 球児たちが 苦境の時に 笑顔するのも この逆のパターンではないでしょうか? 音楽はもっと自由に そして楽しく また 個性豊かに 演奏されてほしいです
😊😊
とても興味深かったし、文化比較、音楽の表現のお話などとても面白かったです。(最後にサンドウィッチをためているところmp楽しい!)
ピカルディ終止形の意味がわかったような気がします。
楽しい曲を深刻な表情で演奏された時、突然白けてしまった記憶があります。
友人がバッハの合唱団に入っていて、毎年演奏会に行くのですが、受難曲の時が多い。そして聴いててとても疲れるんです。その理由がわかりました。納得です。
最近、若手のピアニストが昭和時代のピアニストとは違っていて魅力的だなと思って聴いているのですが、魅力の違いは表現の違いだったんですね。若い演奏家達は実に楽しそうに演奏するんで、聴いてる方も楽しく心地よく聴けるんです。車田さんの解説は本当に目から鱗で興味深いです。これからも楽しみにしています。
表現に於いてChopinのコンチェルトが、どうしてもコンチェルトではなく『演歌』に聴こえるという経験があり、奏者が日本人である事にやはり無関係ではないのかな・・と改めて思いました🥺
これは、日本のいわゆるクラッシック音楽が日本で創られた音楽ではない、という事も関係があると思います。日本には、邦楽というものがあります。この邦楽という文化が、日本人のクラッシック音楽に対する考え方に、大きな影響があると思います。
小・中学生の時に「音楽の時間」は苦手でしたが、「音楽」は音を「楽しむ」時間の筈だと大人になって考えるようになりました。ところで歌劇には「悲劇」が多いのは何故ですか?日本人の私に特有な選択なのでしょうか?「フィガロの結婚」は大好きなのですが。
最近車田さんのチャンネルを拝聴し始めました!
演奏家は表現者であり、伝達者であるということを再認識しました!
とても面白かったです!
キリスト教圏のテクストで描かれる「受難」はどうなんだろう?と思ったのですが、おそらくそれも、その先の救済や光ありきの開かれたものだったのですね…!納得です。
村上龍という作家が、演歌を「明るい」と著書の中で書いていたのを思い出し、個人的にはそれにも共感していたので、ある種演歌は侘び寂びすらも突き抜けるのかも知れないと思いました…!
個人的には、人の苦労話はそれほど好きではないのですが、確かに苦しみを溜め込むことが美徳だと思っている節が自分にもなくもない、と感じます…
これから音楽を再び始める者として、そのあたり、十分に認識しながら歩もうと思います。
今後の投稿も楽しみにしています〜♪
😊😊
その通りだと思います。 が。
将来、ヨーロッパ中心のクラシックだけではなく、世界各地から湧きて出てくるクラシック?音楽が現れてきて、それぞれの特徴を尊重し楽しめるようになれば、もっと人間や文化に対して寛容になれるし、音楽への冒険が果てしなく楽しくなるのではと思います。
クラシック音楽のほとんどは過去に完成された作品です。それを自分たちの文化にあてはめて解釈すると、その作品が作曲家の意図とは別な姿になってしまう可能性があるので、注意が必要だという話でした😊
作曲家と別な姿になることを嫌う作曲家はそもそも作曲家にはなりません。なれません。
音楽には本来の姿などないので自由なのではないかと言うのが私の考えです。
しかし、車田さんが伝えていることはとても重要です。
自分達とは違う考え方や感じ方がある事を知ることで自分達の姿を知り、将来へのヒントとなるからです。
ありがとうございます。
とっても面白い回でした。妻がピアノに向かう時、演奏するピアノ譜を前に、「苦しい」表情をします。そんな時、妻に問うと「この曲が好きでね・・・」と話はつけませんといなしました。もし、ここに表現の手法の一つとして「眉を寄せる」「苦しい表現」が意味を持ちます。妻は言います、「辛い表情は聴衆を感動させる」効果が得られるから」と。今夜、妻と一緒にこの動画を観ます。彼女も共感してくれるでしょうか?楽しみです。w
おおしゃる通りですね、苦労話は好きですね。西洋文化とは苦しみについては違うという事、実感した事はありませんでした。
体感はできませんが、車田さんのお話で違いがある事を意識することは出来ると思います、音楽を聴く耳がすこし肥えると
思いました。 ありがとうございました。
😊😊
皆さんの感想と同じく。音を楽しむ演奏会なのに、苦しそうな表情の演奏家にのまれて、なぜか演奏会の後はドッと疲れが出てしまうことが多いです。
最後のサンドイッチ🥪美味しそう!お食事ネタも待ってます!
純邦楽を演奏しますが、とくに小唄やなんかの音楽は苦しい・寂しい感情を表現した曲が多いなと思っていました、何が日本人をそういうものを好きにさせたんでしょうねえ。
幼児期から最大手の楽器店の電子楽器を教室で習い、一応それを専門としてました。「楽しそうに演奏する。」といつも言って頂きます☺️不幸なオペラの前奏曲でも、感情が内では無く外に向かってるから、なんか違う。と言われ続けてきたのかも?😅舞台で演奏する際の、私の考えをなかなか言語化出来なかったのですが、これからは伝えていけそうです😌ありがとうございます♪
😊😊
おしん好きです。いや、大好きです😆
演奏会以外だと昔ならレコードやCDで聴くのが普通でしたが、今はUA-camの映像で残りますから表現者の方も大変ですね。
私はバイオリニストが眉間にシワを寄せて弾くのが嫌いです。せっかく綺麗なドレスを着ているのに変な感じというか、見ていると疲れてきます。最後までずっと苦し気な同じ表情で弾き続けるから、簡単なメロディーの部分はもっとおだやかな顔になってもいいんじゃないのと思います。
ありがとうございました!今の私に必要だったお話を偶然にもしてくださいました!本当にありがとう
ございました。ピアノの先生(アメリカ人男性)に言われて来たいろいろなことに説明が
ついたような気がします。あまりに的を得た説明に声に出して笑い出した箇所も何箇所もありました。
“日本人の苦労話と演歌傾向“ 、“苦しみのその先にある救いと光“ 、感情というエネルギーを外に開い
て“解放する“ 等々 の言葉は私のピアノレッスン帳に書き留めておきました!
😊😊
ストピに行くと、classic奏者に、苦しい表情が多いような?難曲を弾くのが自慢?音を聴く余裕のある曲をselectすれば、と。私は、簡単なポップスだけですが、子ども達に、感情には【喜怒哀楽】あるよ、と伝えたい。
なるほど
上手く言えないけど『トスカ』なんて何の救いもない話のような気もしますが言われてみれば『星は光ぬ』なんかも祈りのように聴こえます。
オペラだと、苦しみの感情はとにかく発散してすっきりしたい、みたいな事も良くあります😊
ヨーロッパと日本の宗教観の違い、
キリスト教の歴史のあるヨーロッパと、そうでない日本の違い、
はあるのでしょうか?
モーツァルトのレクイエムを最初に聴いた時、何て苦悶に満ちた音楽なのだと感じました。何回か聴く内に苦悶の先の希望を表現している事が分かりました。漆黒の闇の中に一条の光が、溺れて掛けている時に救われ深く呼吸ができる安堵と同じような感情を表現していることを発見しました。この動画でヨーロッパの音楽表現に根付いた文化を理解することができました。
私は音楽素人のクリスチャンです。モーツァルトのレクイエムは哀しみの後に魂が少しずつ天国(神の所)に登っていくのを感じ心が慰められ希望を想います。
面白かった😆
苦しそうな表情での演奏についてのお話ありがとうございます。
オペレッタなど演技を求められる演奏はともかく、クラシック音楽演奏家の演奏は60年前と比較して段々と体の動きが大きくなり表情での表現が激しくなっているような気がします。音での表現に加え体の動き/表情の変化が大きくなっているのも表現方法の変化なのでしょうか。
一種の流行のようなものではないかと思います。有名人がやるとマネする人は自然と増えますね😊
歌では顔が大切かも知れませんが、ピアノやバイオリンでも一緒っていうのは良く分かりませんでした。大ピアニストと呼ばれるような人のほとんどは、ストイックに弾いていますよね(?)
とても興味深い話をありがとうございます!
これからも頑張って下さい!
仏教的には、苦しみの克服がテーマですので、宗教の違いかな。
まさに 顔芸 ですか? 日本人、好きね。😄
今回、最高に面白かったです!演歌の様なバッハ、聴きたくない〜😂
音楽の違いを知ることで、日本人とは何か?を知ることもできますね✨
開かれた苦しい表情と閉ざされた表情を実際にやってくださってるの、面白くて爆笑しました。
音楽は、その国の文化、宗教から生まれると思ってるけど、個人的にロシア音楽が特に好きなのは、苦労話が好きな国民性のせいかなあ?
😊😊
神奈川フィルの直江智沙子さんは楽しそうに演奏されます。
演奏者はあくまで表現再現者だから作曲者の意図を観客へ演じなければならないと思いますね。
又観客を引き込む為には音楽への集中エネルギーを内側にも外側にも操る能力が必要だと思います。
常に外側だとウザったいし、常に内側だと陰気臭い。
ベートーヴェンの月光を淡々と弾いている男性ピアニストさんがいましたがかえって胸にせまる感じがしました
やっぱり
聴く側なのかな
11:50 苦しみを再体験するためではない
12:09 日本人だからこそ
12:15 表現する場合には
面白かったです。話は違うのですが日本の俳優がベッドシーンを演じる時に苦しそうな顔をするのが不思議です。全然楽しそうじゃない。
サンドイッチ🥪美味しそうですね。😋
😊😊
外国人が深刻な顔をしないのは、意図的ではないかもしれませんが、聴衆へのサービス精神の一種なのかもしれません。日本人は、そこまでまだ、思いが至っていないのではないでしょうか。
日本の伝統芸能では、顔や動作で表現しません。日本ではいつどういう経緯で演奏家が顔や動作に感情を表すようになったのでしょうね。
演奏中の身体は、自分の都合でなく音楽のためのもの。優れた演奏家は、表情、呼吸、視線、といった音を出していない姿も、音楽的で、演奏の姿を見れば出ている音が想像出来、観て楽しいです。
ヨーロッパでは、「人類の苦しみはすべてキリスト様が引き受けられた」という認識から、人間自体が苦しむ必要はないという考え方ではないでしょうか。
「キリストの受難」を表現する場合でも、飽くまで苦しんでいるのはキリスト様であり、演奏者はそれを表現するだけ、「それはそれ」「これはこれ」と
分けているのではないでしょうかね。
また、「合唱で変な顔をする」という動画でも思いましたが、「音楽の感情を演奏者が顔で表現すれば分かりやすいだろう」という勘違いもあるんじゃないか
と思います。
しかし、はっきりいってそれは余計なお世話であって、観客への音楽の感じ方の押し付けであり、自由な感じ方を阻害する方法です。
むしろ、演奏者はナチュラルな表情をしている方が、聞き手は様々な思いを巡らせられ、音楽そのものに没入することが出来るのではないでしょうか。
昔の国内オーケストラを、思い出しました。まさにみんな眉間にしわを寄せ、怒ったような顔をして手先で弾いてました。なんてつまらなそうに演奏するんだろう!といつも不思議に思っていたものです。
日本の演奏者は苦悶の表情が多いですね。
ところが、ヨーロッパでも苦しさを描いたものがあります。
デンマークのラース・フォン・トリアー監督、オーストリアのミヒェル・ハネケ監督 音楽がらみだと「ピアニスト」
前者は苦しいだけ、後者は観客をいじる感じです。
あとベルイマンの監督のいくつかの作品も闇を描いています。
Amazonでは「異端の鳥」という作品も、苦しいだけという感じでした。
ヴァイオリニストって苦悶の表情で演奏する人が多い。
自分の演奏に酔っているんですかね。
誰かが、変だよって言ってあげればいいのに。私は見ていて恥ずかしくなってくる。
楽器の"演奏"や 音楽を"歌唱"する時に、姿勢や表情を 過度にゆがめて表現する
日本(アジア)式の表現法は 私も あまり好まない。
音楽表現に必要なものは 楽器による音色や旋律・響きであり、歌唱においては
歌声の美しさと 歌詞が重要だと思う。演劇のような "造った表情"は不自然で嫌いだ。
この動画と似て非なる話ですが、トロンボーン奏者には、とてつもなく苦しそうな顔で吹く方がしばしばいらっしゃいますね。あれはたぶんアンブシュアを作るためにやっているのだと思いますが。
苦しい顔で楽しい曲は弾かないでほしいですね。
キリスト教と仏教との宗教観の違いを思い浮かべながら拝聴しました。
「代受苦」を尊いものとして受け入れるいわば諦観と、ひたすら救いと解放を求める外側への希求との落差です。
以前の動画でも自分が幼い頃から民謡や演歌に対して苦手意識が強かった理由がわかったことも感謝です。
お菓子やサンドイッチがお好きで尚且つ体型維持を保たれていること、秘訣は何でしょう?
何気に"serviette"!